猫を起こさないように
Es-7
Es-7

愛のうた

 砂嵐舞う荒野。頭上に双葉を装着したダイビングスーツの男が3人、腰まで地面に埋もれている。スーツの色はそれぞれ赤、青、黄。スーツの下には、劇画調の彫りと陰影を持つ顔面とまったく不釣り合いな、みすぼらしく痩せこけた身体。
 「(青、強風の中、ライターに点火しようと幾度もカチカチと鳴らしながら)くそ、アカンわ。全然つきよらへん」
 「(赤、肘をついて横目に)おまえ、たいがいにしとかんと、しまいに肺から血ィ吹いて死んでまうど。ホレ、おれのジッポー使うか」
 「(青、ひったくって)ボケ、最初からよこせや……フーッ、しかしなんやな、俺たち、いつまでこんなとこ植わっとらなアカンのやろな」
 「(黄、うつむいたままつぶやくように)……我々巨視的存在は、その実存性の基底部分に滅びを内包していなければならない」
 「(赤、青を肘で小突いて)おい、おい。また黄色が始めよるで」
 「(青、フィルターを噛みつぶすようにして煙草をふかしながら)ほっとけ。おれが煙草を吸うみたいなもんや」
 「(黄、独り言を繰り返すように)よろしい。では、実存とは何だろうか。それは、情報の系だ。時間の流れに従って、系には情報が増大してゆく。やがて情報の総量は飽和という名前の臨界点に達し、系は崩壊する。すなわち、実存の終焉だ。衰退や減少ではなく、増大によって実存は死を迎える。このプロセスは、私にとって示唆的な意味を持たないこともない」
 「(赤、あくびして)おい、青色。やっぱワシにも煙草くれや。(青、無言で煙草の箱を投げる)」
 「(黄、独り言を繰り返すように)わかりやすくしよう。巨大な、一本の樹木を想像して欲しい。この樹木は不思議なことに根っこを持たない。これの幹と枝が、私の表現するところの”系”に相当すると考えて欲しい。結実する果実は”情報”だ。根っこを持たないとしたのは、時に樹木は人間的な視点から永続と同義に映ってしまうからだ。それでは、私のする解釈に齟齬を来してしまう。だから、諸君は、数学的な仮定のごとき思考の依り代としての樹木と考えてくれればいい。この樹木は、生物に限らない、すべての実存に対して包括的に当てはまる動きをするが、この際に限っては説明と理解をシンプルにするために、人間のみを表すと想定しよう。時間の始まり、つまり実存の誕生において、かれの持つ樹木には何の果実も無い。この時点で、系の持つ情報はゼロだ。そして、時間は流れ始める。かれが生きることを始めたからだ。かれの時間が流れるにつれ、様々の果実が枝へと結実してゆく。ここで注意して欲しい。最初に言ったように、この樹木には根っこというものがない。だから、情報の総量が増えるに従って、自発的なバランス取りが必然になるんだ。わかりにくいかい? 例えるなら、完全に均衡を保っているやじろべえの片方に、重しを付け加えるようなものさ。もしその重しが重すぎるのなら、やじろべえは倒れてしまうだろう。情報の質量とは、系にとっての意味性の重大さと同義だ。(皮肉っぽく)もし、右の枝に『両親の不貞』やら『性的虐待』やらの巨大な果実が実ったなら、左の枝に『心理学』やら『宗教』やらの同じ大きさの果実を実らせてやらないと、樹木そのものが倒壊してしまうからね! これこそ、バランス取りというものさ!」
 「(青、輪っか状に煙草の煙を吹き上げる)フーッ……樹木やて。わざと皮肉ってるんなら、それこそ大したもんやけどな」
 「(赤、二本目の煙草を取り出す)お、すまんな、青色。これでしまいや(ねじった煙草の箱を遠くへ投げる)」
 「(黄、独り言を繰り返すように)さて、くだくだしく見てきたように、時間軸に沿って増大する情報のバランシングが、実存にとってのほとんどすべてであると言ってもいい自己保存の過程なんだが、ここにもう少しの複雑さを付け加えることにしよう。それは、”情報の切り離し”だ。すべての枝々に実らせることのできる果実の総数には限界があるからね。左様、系は情報を手に入れるだけでなく、手に入れた情報を切り離すこともできる。系が『情報を手に入れる』というとき、それは外側にある情報をそのまま直に取り入れることを意味しているのではないんだ。外側からの刺激を受けて、内側から同質の情報を系内に作り出すことが、系が『情報を手に入れる』ことなんだ。思い出して欲しい。この樹木には根っこというものが無いと言った。それは、系にあらかじめ封じ込められた、何と呼ぶべきか、仮にエネルギーとしよう、エネルギーの総量が誕生の瞬間に決定してしまっているということと同義なんだ。そして、バランシングのためには、系の許容量を超えて増え続ける果実を、ある段階で切り離さなければならない。系内のエネルギーの総量は、そのとき、自然減少することになる。先に話したような均衡を失した倒壊は実存にとっての突然死と言えるが、エネルギーの消滅もやはり実存にとっての死であるということができる。うまくバランス取りをし続けようとも、それは決定された死を先送りするだけのことに過ぎない。つまり、実存は滅びを内包していると定義づけることができる。そう、実存は実存する限りにおいて滅ばねばならぬ……おお、この必滅の定めよ!」
 「(青、もはやフィルターだけになった煙草を噛みしめながら)あー……砂嵐止まねえかな」
 「(赤、唇に煙草を張り付けたまま)どうやろな。もう三日も続いとるしな」
 「(黄、独り言を繰り返すように)しかし、人間が死ぬということを、私たちはこのような思考実験を外したとて、まざまざと知っている。それを疑うことはできないだろう。だが、人間という名前の系は滅びるとして、人間の作り出したものはどうだろうか? 例えば、そびえ立つ無数のビルディング。それは、滅びを超越している。いや、違う、それは滅びを超越しているように見えるだけだ。(徐々に口調に熱を帯びて)私のした樹木を介する滅びの大統一理論は、その正しさゆえにすべてへと適合され得るはずである。眼前の状況を整理しよう。ひとつ、すべての実存は滅びを内包していなければならぬ。ふたつ、人間による被造物だけは滅びを免れることができる。この2つの間に存在する矛盾は、3つ目の条項によって大統一理論に背理せぬよう解消されなければならない。すなわち、みっつ、人間による被造物は、人間そのものによって滅びを迎えさせられる! (陶然と)それを証拠に、見よ、あの不朽不滅を約束された巨大な二つの摩天楼は、灰燼のうちに滅びたではないか! 人間による被造物は、だとすれば人間という系のうちなのだ。人間たちの迎えたあの破局への綻びは、正に必然だった。そう、あの最初の綻びは、確かに予見できたはずなのだ。荒野に打ち捨てられたビニル袋を見るとき、私はそこに滅びを予感した。それは、嗚呼、そういうことだったのか。(肩で息をして)私の感慨は、いい。それはおくとしよう。いまは、あの巨大な二つのビルディングとの滅びの合わせ鏡の対、人間へと大統一理論を縮小するとしよう」
 「(青、フィルターを噛みながら、気のないふうに)サイズで見たら確かに縮小しとるけどな」
 {(赤、青の言葉を受けるように)実存としてやったら逆に拡大してるとも考えられるわな」
 「(青、フィルターを噛みながら)結局は言葉だけのことや。終わったあとに何言うたかて、それは、むなしいやろ」
 「(黄、我にかえると、驚いたように目を見張り)まさか、君たちからそんなふうに突っ込まれるとは思わなかったな」
 「(青、口の端を歪め)なんでや。関西弁やからか」
 「(赤、口の端を歪め)関西弁やからやろ。見くびったらアカンで。言葉だけのやつは、すぐ現実をみくびりよるからな」
 「(青、煙草のフィルターを噛みちぎると、地面に吐き捨てる)哲学が無力なんは、例えば物理学なんかと比べたら、世界を想定するときに実証があり得へんという点においてや。哲学が正当かどうかは、それをするものの良心にだけ、唯一委ねられとる。良心! なんというどうしようもない頼りなさやろうな! 黄色よ、おまえは人間について話しとったな。人間という実存の特異性はどこにあったんやろう。それは、きっと、『食べられない』ことにあったんやろうと思う。この場合、捕食されない、ちゅう意味やな。世界ゆう名前の系の中で、そこにあるエネルギーの総量はあらかじめ決まっとって、エネルギーの総量は保存されなアカンはずで、その前提の中で、すべての実存は『食べられる』ことによって、自身の持つエネルギーを別の実存へと受け渡す、あるいは世界へと還元するプロセスを持っとった。けど、人間にはそのプロセスが完全に欠落していたんやな。エネルギー保存の法則を唯一破壊する人間という実存は、世界が本来持っていたものとは、何かまったく別の次元のものではあるやろうけど、新たなエネルギーを世界という系に作り出すという、生物の本義とは異なったプロセスで、自身の存在が世界のエネルギー総和を乱してしまうことへの矛盾を解消しようとした。自分たちの依る世界という系を壊さないためにや。けど、それは生物の本義を外れた、実存の消滅を伴わないエネルギーの歪んだ受け渡しやった。なるほど、エネルギーの総和はそれで守られたかも知らんが、ここで人間は必然、実存の消滅という行為を代行する別の代償を必要とし始める。それは、ずっと長い間、土俗宗教のイニシエーションやムラのマツリによる”疑似死”によって補完されてきていたんや。けど、その基盤となる地域社会はやがてゆるやかな崩壊を遂げ、人間たちは再び実存の消滅の代償行為を探さなければならなくなる」
 「(黄、ふるえて)それは、戦争かい?」
 「(赤、首を振って)拡大して、人類史的な視点から考えるんやったら、確かに戦争が代償したと読みとれへんこともないが、それは飽くまで個々の人間がそれぞれにただ在ることから引き起こされた相互作用的現象であって、『食べられる』ことを喪失した一個の生物としての人間が、実存の消滅という行為自体の消滅に対してどのようにふるまうかを説明せえへん。不完全な知恵という名前の解釈装置を放棄し、究極的な全へと和する快楽、知恵が実存の消滅へと対面したときに感じる恐怖――これは人間がものを造ることに由来する恐怖だとも言えるやろ――をうち消す快楽、つまり、死イコール恐怖やなくて、死イコール快楽の生物性へと回帰させる人間たちの代償行為、それは……」
 「(黄、苦悶に顔を歪め)……ゲームかッ!」
 「(青、無表情で淡々と)その通りや。ゲームは殺す。ゲームは死ぬ。そして、ゲームは快楽を与える。実存の消滅を喪失し、相互のつながりを喪失し、人間は、最後にゲームという名前の疑似死へとたどり着いたんや」
 「(黄、切迫した表情で)それじゃ、それで、人間は完全になったんじゃないのか? だったら、なぜ」
 「(赤、絶望的な青白い無表情で)簡単や。人間の失った二つを失えば、それはもはや生物とは呼べへんからな」
 「(青、絶望的な青白い無表情で)そして、覚えとけ。これさえも、ただの言葉や」
 降りる沈黙。やがて、砂嵐の遠くからきれぎれに兵隊ラッパの音が鳴り響く。
 「(赤、煙草を人差し指ではじいて捨てる)おい、そろそろ出番のようやで。(地面に両手をつくと、埋まった下半身を引きずりだす)」
 「そのようやな(青、地面に両手をつくと、埋まった下半身を引きずりだす)」
 「(黄、下半身を地面に埋めたまま、自身を両手で抱くようにして)怖いんだ……ぼくは食べられるのが怖いんだよ、本当に」
 青、赤、行きかけるが、その言葉に振り返って黄を見る。口を開きかける青と赤。
 突如として、3人の上を巨大な影がおおう。
 振り仰ぐ青と赤。そこには、果たして――
 「(赤、奥に何を隠すこともない完全な無表情で)確かに、怖くないといえば嘘になる」
 「(青、奥に何を隠すこともない完全な無表情で)だが、それが、生物や」
 激しさを増した砂嵐が、すべての騒動をかき消してゆく。
 『でも私たち愛してくれとは言わないよ』

夢の終わり

 「(まぶたの下で瞳を痙攣させて)いや~んばか~ん、そこはおイドなの」
 「あっ。小鳥猊下が張りついた白痴の微笑みとともに薄目を開けて自身の無意識を探索なさっているぞ」
 「(着物のすそをまくり上げて)猊下、私のおイドも使って!」
 「(まぶたの下で瞳を痙攣させて)いや~んばか~ん、そこはおイドなの」
 体育館。整然と並べられたパイプ椅子。その一番後ろに少女が一人座っている。他には誰もいない。演壇には、ひどく痩せ衰えた男。演壇の隣には、袴姿の男と着物姿の女が立っているが、その様子はひどく人形じみて生気を持たない。演壇の痩せた男、細かく痙攣する手で水差しを取り上げ、盛大に零しながらコップへとそそぐ。コップの中身を飲み干すと、男の手の痙攣が止まる。男、咳払いして痰をきる。少女、立ち上がって拍手をする。男、かすれた、そしてろれつの回らない声でしゃべり始める。
 「まァ、俺が言うのはエヴァンゲリオンだ。8割、9割、エヴァンゲリオンだと思ってもらってかまわねえ。俺はじつは不感症で(甲高い笑い声を上げる)、いままであんまりすごいとか感じたことがねえから、もう8割、9割、俺が言うのはエヴァンゲリオンだと思ってもらってかまわねえ。あー、実存の可能性としては、2つあると思うんだな。ひとつの実存は、永遠の命と知恵を持っている。こりゃ、もう神様だな。もうひとつの実存は、知恵も永遠の命も持っちゃいねえが、死というプログラムによって種としての存在を永遠へと連鎖させる。これは植物も含んだ、生物全般のことだな。人間ってのは、(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)どっちにも当てはまってねえよな。知恵というのは、死と同居しにくいんだ。本能は死を理解するが、知恵は死を本当の意味では理解できないからな。それに、知恵ってのは、単発なんだよ。受け渡せない。ドストエフスキーが死んだら、また次のヤツは一から始めなきゃならねえ。人間ってのはその意味で、存在を続けること自体が奇跡的な、言ってみれば奇形に過ぎないんだな。なぜっておまえ、知恵は死と同居しにくいからな。だからさ、親子の情とかさ、そういうのは生物の側に属するものなわけだろ。その反対で、なんでもかまわねえが、例えばいまおまえたちがここで聞いてるダベりは、知恵だろ。神様の側に属するもんなの。だからさ、わかるかな、若いうちは、死ぬことが近くないから、知恵なわけよ。親が俺の感性を理解しないとか言って、飛び出すのよ、例えばさ。なぜかってえと、知恵だからさ。それがさ、ある程度年とってくると、生家に戻ってさ、お父さん、私が悪ゥございましたァってな演歌で泣き崩れて、父親は父親で一番いい羊を屠るわけよ、息子のためにさ。なんでって、お互い死が近くになってっからさ。もう二人とも生物なんだよ。(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)こんな具合にさ、一生のうちに神様と生物の間を行ったり来たりすんのが、どっちつかずの人間のバランス取りなわけよ。俺、バランス取りって言葉よく使うけどさあ、神様と生物の間のバランス取りってのは、かなりいい例えじゃん。んで、エヴァンゲリオン。宇宙に飛んでったエヴァンゲリオンさあ、あれは永遠の命と知恵と、神様じゃん。神様っつわれたって、本当にいるのかどうかなんてわかんねえから、人間が目に見える次元と形で、哲学やら神学やらの仮定を実在させたのがあのエヴァンゲリオンなわけよ。んで、地球に残ったのが生物と、そして二人の人間な。3つの実存を、正確に言や、2つとその中間ってことだが、人間のうだうだを全部ブッ壊すことで仕切りなおして、も一回最初のように切り分けたんだな。壮大な実験が始まるようにさ、どの実存が世界にとって一番ふさわしいんだろう、ってさ(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)。
 「あとな、文章で人間がわかるんですかって、おまえさあ、わかるに決まってんじゃねえ。言葉が人のカタチを規定しねえってんなら、いったい何が規定するってんだよ、まったく。(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)そりゃ、自己防衛の薄ら笑いで、小学生の作文コンクールをひとりでやってるぐらいにはわかんねえだろうよ。おまえな、本当の言葉ってのは、すべての防衛とは遠いところにあんだよ。馬鹿なヤツは馬鹿な文章を書くし、軽薄なヤツは軽薄な文章を書く。そんなん決まってんじゃねえか。言葉には、すべての愚かしさと、すべての無知と、そして、(声を低めて)すべての気高さがあんだよ。言葉は、それを書いた当人が気づいていないような、無意識の澱の、その奥底の醜さまで、勝手におまえの言葉を読んだ相手にささやくんだ。(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)あのな、本当の言葉を書くためにはな、世界と人間を理解しなきゃダメなんだよ。少なくとも、世界と人間を理解しようと思わなきゃなんねえんだよ。それを、さかしげに人類史や世界や、そういった巨大な流れから切り離された個人の感情だけで言葉を語りやがって。俺たちゃ、お互いみんな違うように見える。けど、少し踏み込んだら、みんな同じなんだ。そして、もう一つその奥では、やっぱり全然違うんだよ、俺たちは。この人間理解の道程をもたどらず、最初に感じる世界への違和感にだけ拘泥した愚かしさで、誰か自分以外の人間に届いてしまうかもしれないここで、言葉を吐こうなんて少しでも思うんじゃねえ! (水差しを取り上げるが、中身が入っていないのに気がついて、床に叩きつける。粉々に砕ける水差し)本当の言葉ってのはなァ、個人の浅薄な意識を超えたところですべてを知っていて、そして外に出したが最後、すべて勝手にみんなに教えちまうんだ、こいつは差別主義者ですよ、こいつは性的倒錯者ですよ、おおっとダンナ、こいつは両親からひどく虐待されていたようですよ、うへへ過剰色欲者、たまんねえ! そしてな、その出歯亀に終わらねえ、言葉ってのは個人の意識をはるか超え、個人が世界へ死にものぐるいでつながろうとするときの、究極の手段なんだよ! (気狂いの目で口の端から泡を飛ばして)その丸裸の恐怖と栄耀を知らずに、少しでもここで言葉を吐こうと思うんじゃねえ! 文章で人間がわかるんですか、だと? おまえの魂胆はまるわかりなんだよ!(絶叫し、演壇をひっくり返す。演壇の倒壊する、もうもうたる粉塵の奥から姿を現し)いいか、よく聞け、俺は常に答えを出す。まァ、本当はどっちかなんて誰にもわかんないんだけどね、なんて腐れた防衛の言葉で、俺は答えを、真実を濁らせたりはしねえ。ここで独白に終わらねえ言葉を吐こうとおまえが少しでも思うのなら、おまえが何者であれ、例え間違っていようとも、何か答えを出さなきゃなんねえんだよ! (一瞬の静寂。ゆっくりと)俺は、答えを出す。その瞬間瞬間に俺が見い出し、確かにそうだと信じた答えを、世界という名前の莫大な問いかけへの答えを、おまえたちがどれだけ耳を覆おうとも、俺はひとりで叫び続けてやる! そして時々に形や位相を変え続ける世界へと、決死の丸裸でむしゃぶりつき、俺の言葉で噛みやぶり、引きずり出し、咀嚼して、耳をふさぐおまえたちの上に嘔吐し続けてやる! 俺が弱くなり、荒れ野に朽ち倒れるそのときまで、俺は究極の答えを、嫌がるおまえの口の中に無理矢理ゲロし続けてやるって言ってんだよ! この終始薄ら笑いの白痴めが!(喉の裂けた血煙を吹く)
 「(拍手をしながら近づいてくる少女の姿に気がつき、脅えたように)どうだった、今日の講演は?」
 「(小動物へ向けるような、この上ない優しい微笑みで)良かったわ。とても良かった」
 「(突如激し、少女を突き飛ばす。整然とならぶパイプ椅子の列へ、倒れこむ少女)そんな、つたないセックスをした客をなぐさめる商売女のような調子で、俺に話しかけるんじゃねえ!(散乱したパイプ椅子の列から、少女の髪をつかんで引きずり出す。大きく振りかぶり、平手。そしてまた平手)」
 「(赤く腫れたまぶたに、切れた口の端から血を流して、棒読みに台詞を読むように)自分の感情と行為の非を、心が理解してしまわないために、逃げるようにさらなる激情に身を任せる(髪をつかまれたまま、目だけを動かして男を見る)」
 「(慌てて少女の髪を離し、脅えたように背を向ける)何が講演だ! こんな誰もいない場所で、何が講演だ! あいつら、俺を誰だと思ってんだ!」
 「(両膝に手を当て、自分を支えるように立ち上がり)『猊下の虚構力が弱まってきている』、そう言った人がいたわ」
 「(激しく振り返り)弱まってなんかいねえ! それを証拠に、見ろ! (男、演壇の横に立っている着物姿の女に向けて指を鳴らす。女、それに応じて着物のすそをまくりあげる。かすかな狂気を思わせる様子で目を剥いて)どうだ、これでも弱まってるって言えんのか!」
 「(哀しそうに首を振る)あれには魂が入っていないからよ。自分でも、もうわかってるんでしょう? 魂を持ったものたちは、みんな行ってしまったわ。ドラ江さんも、D.J.FOODも、パアマンたちも、CHINPOも、みんなここから行ってしまった」
 「(両耳をふさいで)違う! あいつらは、全員俺が殺したんだ」
 「(淡々と)ここに誰もいないのは、あなたがいつからか殺せなくなってしまったことに、みんな気がつき始めたからよ。どうしてかは知らない、あなたは自分が生み出したものたちに対して、真摯にならざるを得なくなってしまった。いつの日からか。(哀しそうに)そう、いまのあなたにできるのは、せいぜいが魂の無いものたちに猥褻な行為を強要するぐらいのもの」
 「(一瞬サッと顔を紅潮させるが、すぐに泣きそうな表情になって、その場にくずおれる)知ってたよ……魂があるものたちに対して、俺は俺の虚構力を及ぼせなくなっているのに、とっくに気がついていた。俺ができたのは、せいぜいかれらの様子を詳細にスケッチすることぐらいだけ」
 「(憐れみの視線で)あの人が言った、あなたの虚構力が弱まってきているという言葉。でも、それは正確じゃなかったのね。少しでも魂を持ったものたちは、あなたの指の間からすり抜けて、ここからおりて行ってしまう」
 「だからといって、いったい何を変えることができるっていうんだ……俺だって、たくさんの一人に過ぎないのに(両手に顔を埋める)」
 「(近寄り、優しく肩を抱き寄せて。勇気を奮い起こすように)もう、やめましょう? あなたが自分の中に生まれた、魂への真摯さを裏切りたくないのなら、もう、やめましょう。ここで行われていることは、あまりにあなたのその気持ちを裏切っているわ」
 「(すがるような表情で顔を上げて)江里香」
 「(右頬にゆっくりと涙を伝わらせて)私をまだ、名前で呼んでくれるのね」
 「(苦悩に顔を引き歪めて)それは、無理なんだ。何度そうしようと思ったのかわからない。でも、それは、無理なんだよ。本当に」
 「(歌うように)じゃあ、私を殺しなさい」
 「(予期していた絶望に悲鳴を上げて)江里香!」
 「私を殺して、あなたの持っていた虚構力をわずかでも取り戻しなさい。そうすれば、あなたはここで多少長らえることができるでしょう。それができないのなら、(いまや滂沱と涙を流しながら、両手を広げ)私といっしょに、ここをおりて」
 「(ほとんど音にならない悲鳴で)あ、あ、あ……ッ(両手の指を額に食い込ませる。裂けた皮膚から血が流れ出す)なぜ、どうして、いつのまに、こんなことに……!」
 一人の痩せこけた男が、入り口の扉へ身体をぶつけるようにして出ていく。男が出ていった途端、演壇の横に立つ二人の男女が、糸の切れた人形のようにくずおれる。誰もいなくなった体育館の床に転がる少女の生首。長い髪の毛に隠されて、切断面は明らかでない。ほとんど生きているように見えるその顔は、まぶたを閉じて、すべてから解放された永遠の安らかさをたたえている。

⊥(ターンティー)の癒し

 1999年1月17日が、個人サイト『nWo』のスタートだった。
 サイト運営をするということは、自己の概念とか美意識を表現することで、それを不特定多数の人々にしめして、理解され楽しんでもらわなければならない。
 更新した、というところにとどまっているのであれば、素人である。
 インターネットという未成熟の媒体でも、創作することに関与できたおかげで、ぼくは正常でいられたらしい。
 創作をしてインターネットという広い場に発表できるということは、サイト運営というだけでなく”情”を吐き出すことができるのだ。マスターベーション的にひとりお部屋の中で精をだすことでもなければ、アクセス数を増やせたとひとりだけの満足にひたることでもない。
 だれかが見てくれている、だれかがメールをくれるかもしれないという想像は、自閉症になることを予防してくれる。
 自己が安定するのだ。
 サイト運営をしてこなければ、ぼくは、どこかで禁治産者の烙印をおされていたか、精神的なものが原因の事件をおこしていただろう。昨今、ニュースにとりあげられている事件そのままにおこなっていただろう。
 ゆるゆると3年が過ぎた。
 新陳代謝の早いこの場所では、新参が古参になるのに、充分な時間だ。
 年々、ぼくは身内に危機感をつのらせていた。
 言葉というのは、最大公約数の共通認識を伝達にのせる手段だが、現実とは完全に重ならないという意味合いにおいて、それは虚構と呼ぶことができる。言葉の持つ虚構性については多くを語ってきたと思うので、ここではさらには触れない。
 伝達、というポイントが重要である。なぜ言葉が存在するのか、という本質的な問いに少しでも思考を与えたことがあれば、言葉の本義を踏み外すことは無いはずだ。言葉の力点は個人の上ではなくて、個人と個人の間にある漠然としたつながりの上にあることが容易に理解できると思う。
 言葉とは、伝達とイコールなのだ。
 そこで、最大公約数的である言葉の持つ曖昧さは、時間と場所は異なるとしても、世界の包含する事物への共通体験によって補われる必要が出てくる。例えば、『樹木』という言葉を発するとき、『樹木』という言葉以上に説明を加えないのは、我々の全員がそれを現実に見、嗅ぎ、触れたことがある、という前提によっている。
 これに対し、例えば『正義』であるとか、共通の前提を伝達の条件とできない、概念だけの言葉もあることは、少し考えればわかることだ。モニター上でなくマンコの襞を押し広げる現実体験を持たないものにとって『マンコ』という言葉は、『正義』という言葉と同じように概念でしかない。
 言葉には、大ざっぱに分けてこの二つの種類がある。そして、概念を表す言葉群は、生活への出現頻度や絶対数において、対立する言葉群よりもはるかに少ない。
 だが、二者間のバランスは今や崩れつつある。ネットを日常とする若い世代は、圧倒的にぼくなどよりも少ない前提をしか持っていないことに、ぼくは気づいた。つまり彼らは、『正義』と同じ響きで『樹木』や『マンコ』を発信している。この由々しき現代病に、ぼくは力及ばぬながら、『nWo』でわずかなりの抵抗を示してきたつもりだ。
 そんな漠然とした危機感を抱きつつも、日々の雑然さに流されるしかできない中、一通のメールが届いた。
 そこには、『テキストサイト大全』なる企画本に、テキストサイト系現役ネットカリスマとして寄稿してもらえないか、といった趣旨のことが一見慇懃な調子で書かれていた。
 テキストサイト系!
 それこそ、言葉に不可欠な前提と伝達の無いままに、インターネットという広い場に放言を繰り返す、現代病の病理の最たるものではないか! 『nWo』の文脈を読みとれぬ、なんという明き目盲の申し出であることか!
 ぼくはひさしぶりにキレた。
 「この、母親のマンコ臭の頭髪から抜けきらない、くっきり蒙古斑のボウフラ水め! ネットワーク上に自己を投射するために不可欠な、あの明確極まる枠組みの絶望的な相互孤絶を意識化することができないから、孤絶を孤絶のままで集合させたところに名付けをして、これぞコミュニティでございとふんぞっていられるんだ! おまえ、コミュニティというのを、近似値的な概念集団と勘違いしてるんじゃないのか? 互いの姿を形作る領域の境界が重なって、どちらをどちらと指摘することのできないグラデーション化した部分を持ち、その曖昧な部分においてはそこに重なるどの個も重要ではない。理知の明解さの照らさない、その黄昏の場所の持つ怪しさこそが、小さな社会集団と曲がりなりにも呼べるものの、本質なんじゃないか! この怪しさを見ないから、清潔で単純な概念へと一足飛びできるんだ。そもそも、ネットワークは致命的に肉を欠いているという物理的な事実だけからも、セックスを内包した生活集団足り得ない、すなわち社会足り得ないことが理解できるはずだろう。なに、すでに現代社会はマンションの一室一室として、ホームページ状に分割されている、だって? バカヤロウ! このパパとママの庇護下のオナニー野郎め! 両親と同じメシを喰って、自分の女とセックスできるか! セックスできないから、おまえはいつまでもパパとママの生殖器の下なんだ! セックスが家族と訣別させ、家族というドロドロの融合から、両親へ社会という距離感を与えるんじゃないか! そうやってすぐに肉を無視する先鋭化した観念に一足飛びするのは、ノットセックス(掌で机を一撃)、バットオナニー(掌で机を一撃)の自分をだけ納得させるための歪んだ世界観に過ぎないんだ! 人類種の本義を外れた、セックスレスを進歩的と鼻高々な、腐臭放つ悪魔崇拝者の姦夫姦婦め! 今は何者でもないが、いつか何者かであれるかもしれないなんてグズグズの、ぬぅるいぬぅるい澱んだ温泉水の譲歩に首までつかった、ブヨブヨ精神のシワシワ余り皮め! その、社会と時代を度外視した、自分に都合の良いものだけを採択するという意味合いでだけの暴走した個人主義が、(顔を真っ赤にしてどもりながら)テ、テ、テ、テキストサイト系などという名付けの、僭越極まる自己欺瞞を増殖させてるんだろう! だいたいあんなものは、対立する素封家の一人娘との、深夜のご神木の裏で村人に隠れてするセックスのようなもので、もっと言えばそのとき膣外射精した精液がご神木の表皮を伝い落ちるのを雲間の月明かりに見る虚脱のようなもので、むしろ誰にも知られないまま消えて欲しいと望む類に過ぎない。(咳払いして)おまえ、ここが何かのマイナーリーグとか思ってないか? つまり、今は日の目を見ないが修練次第でメジャーの一線級の大舞台を踏むことができると、どこか心の片隅でチラとでも思ってるんじゃないか? 醜いアヒルの子どもをさらに自意識で醜悪にした顔面で、救われることを前提としたハーレクインロマンスの悲劇の中で、優越に満ちた一時的な自虐を盛大に微笑んでるんじゃないか? ハ・ハ・ハ、(笑いに咳き込んで)いや、申し訳ない。まさかね…まさかそんな(突如激し、机をこぶしで強打する)薄ら白痴めが! もっと深刻で、決定的で、致命的な隔絶があるんだよ! (顔を真っ赤にしてどもりながら)テ、テ、テ、テキストサイト系ってのは、おまえ、マイナーリーグどころじゃない、パラリンピックなんだよ! 不倶と健常者が同じ舞台に立てると思ってるのか! どれだけ心がパラリってるか、社会性の最後の残滓を締め出し、どこまで心をパラリらせる様を見せることができるか、これはそういう類の争いなんだ! そこを意識しなければ、おれたち不随の歯茎の黄色の乱杭歯ぐらいでは、健常者たちのあの分厚いのどぶえを、少しでも噛みやぶれるわけないじゃないか!」
 そう一息に叫ぶと、ぼくは飲みさしのビール瓶を、ノートパソコンが置いてある文机に叩きつけて割ってみせた。
 『やめなさいよ。見せかけの大手サイトのポーズなど……』
 しかし、そのメールは行間で、ぼくを非難した。
 <潮流から外れているという自覚が無ければ、ビール瓶の割れた方を飼い猫に押しつけ、その頭部をクール宅急便でてめえの自宅に直送していた!>
 そうきっちりと考えながら、
 「そうだ……ポーズだよ。こうしなければ、この申し出をおさめることはできない」
 そうやって承諾の返信をしてみせたのも、ポーズだった。
 結局申し出を断ることができなかったのは、かくも『nWo』は読み手の”慣れ”のうちに、ついにはこういったオファーを許すほど毒気を喪失したものになっていたのか、という認識が強まっていたからである。
 テキストサイト側だって、『nWo』的なサイトづくりが明らかに潮流を外れていることは知っていても、いくらアクセス数で劣っていても、ネット上の年功序列から声をかけざるを得ないというジレンマをしのがなければならないのだ。
 なんで、長いことやってる割りに人気が出ないのか? その自問自答に、
 「あいつらが邪魔してるんだ!」
 そう言ったのは、小鳥猊下という名前のインターネット上の疑似人格だった。
 あいつら、というのは、旧来のテキストサイト・ファンというよりも、おたくたちのこと。
 「あんたは才能がないんだから、頑張りなさいよ」
 2001年暮れに、そういった内容のメールをくれたファンがいたが、それは当たっていたのである。
 才能――力があれば、取り扱っている中身がどうとか、おたくたちがいようがいまいが、人気はでるはずなのだ。
 それが低迷するというのは、力がない証拠である。
 ぼくがおたくだったら『nWo』は承認しない。そんなことはわかっている。
 いいサイトであればヒットするという原則は、この世界にはないのだが、まったく新しいものにしていかなければ、今後の『nWo』の展望などは絶対にないという確信も、またゆるぎない。
 が、それにしてもどうしてだ……という状況のなかで『nWo』の全盛期は終了した。
 それでも、諸君、ぼくは、
 日々大量生産される妄想美少女たちの架空とはいえ”人格”と呼べるものを蹂躙し消費するおたくは道徳的・倫理的・神学的に醜いよ、そういう自分の内外を問わぬおたくを侮蔑し嘲けりついには憎悪する視点というものを獲得してもらいたいと願ったから、『nWo』をこのようにしたのだとわかってほしい。
 そういう心をもてば、心は外にむいて、おたくにならないですむから! と……。

祈りの海

 点々と反吐をまき散らしながら、外へ出た。
 ほとんど一歩ごとにつまづき転倒し、全身に擦り傷をつくりながら、のめるように石段を降りる。
 薬の効果か、意識がだまし絵のように伸び縮みを繰り返し、ひとつに焦点を結ばない。これがついには致命的なことへつながるのかどうか、それすらもいまはわからなかった。
 突如、これまでになかった強烈な嘔吐が胸を灼く。私はたまらず足をもつれさせ、もんどりうって、ほとんど棒立ちのまま前へと倒れ込む。
 幸い、もう石段は続いていなかった。全身を波打たせるようにして、吐いた。そのまま大の字に裏返ると、長い長い石段の先に、私の葬儀をとり行った寺の全容が見えた。かたわらの反吐の臭気が鼻をつく。
 結局、何ひとつ自分で決めることができなかった。わずかこの身の始末すら。伸縮を繰り返す意識がその限界まで広がり、はじける。
 あれは、何の言葉だったろう。籐椅子の中の午睡から目覚めた男が、側にひかえる召使いに言う。『私は傷ついてしまったんだよ、本当に。そしてもう二度と癒されることはない』。たとえ近親殺しであったとしてさえ、それが人の営為であるならば、人は共感に涙を流すことができるだろう。世界に悪は存在しない。つまり人の関係とは、客体化された現象に集約してゆくからだ。けれど、心の神性の中には、純粋な悪が存在し得る。その悪の純粋さは、人間の魂を本当の意味で破壊する。純粋な悪に一度魂を触れられてしまったら、二度ともう元のようには戻れない。かれは、それを知った。おのれの魂が不可逆に傷つけられ、もう二度と癒される日が来ないだろうことを、知った。恐ろしい。あれらの悪の様相は、人間の手に負える、人間の触れていいものではなかった。あれらの甘い砂糖菓子の口あたりは、純粋な悪だけが持つことのできる真の安堵に満ちていた。私は、あそこから逃げなくてはいけない。もう、ここにいてはいけない。
 指先が砂を掻き、海面へと浮上するように、意識が覚醒する。身を起こそうとすると、再び強烈な嘔吐がやって来た。かたく目をつむり、全身を硬直させて、私を嘔吐が蹂躙するにまかせる。眼球が小刻みに回転して、意識が浮遊する。血が滲むまで、唇に歯を立てた。すんでのところで、自我の消失から我が身をもぎはなすことに成功する。膝をついて、立ち上がった。萎えた足はぶるぶると震えたが、それでも私の身体を無理にも先へと押しやろうとした。しかし、それは私の中にあるというのに、いったいどうやって逃げだそうというのだろう。ほとんど這うようにして私の身体が坂道を下ってゆくのを、私の意識ははるか高見から眺める。人ごとのように? 遠のき、眼下に矮小化してゆく私の身体。
 私は、本当はどうありたいのだろう。
 万華鏡のような自失。次の瞬間、私の意識は私の身体と合致していた。
 三たび、強烈な嘔吐。視界の端から溶暗が始まる。私は今度こそ本当に打ちのめされ、意識から手を離してしまう。
 ふいに強い衝撃を受けて、目を開く。白い金属のつらなりが視界に入る。護岸道路のガードレールを乗り越えて、私は転落したらしい。身体を起こそうと手をついて、そこが砂地であることを知る。大気には、重たい湿気が混じっている。私は立ち上がった。
 陽光がすべてを漂白してゆく。足下を泡立った波がすくう。波間に億もの反射光が同時にきらめく。
 嘔吐は、どこかに消えていた。
 自分が薄く、涙ぐんでいるのに気がついた。左右に首をふる。このような世界への親和は、私にふさわしくないだろう。魂は、感情という因子に影響を受けて、いくらでもその形を変容させる粘土細工のようなものだ。平板な舞台装置による突発的センチメンタリズムと、世界への悟りを混同してはいけない。こんなふうな安易さで、世界を理解してしまってはいけない。私は、何からも、少しも救われてなどいない。
 腰がひたるまで海中に歩を進める。高い波が近くではじけ、全身にできた擦り傷を洗った。わずかに遅れて、じわりと痛みが広がる。ほとんど美しいとさえ言える海が、眼前へパノラマ状に広がっている。波間に浮かぶ錆の浮いた空き缶が、私の身体へと流れついて、止まった。空き缶の周囲には、油膜が形成されていた。それは、まるで老婆のような染みだった。
 背後で声が聞こえた。振り返ると、数人の若者の群れがこちらを指さして、けたたましい笑い声をあげているのが見えた。あるいは、私に向けられたものではなかったのかもしれない。きっかけは何でも良かったのだ。いまは、それだった。だから、不意に染み出した感情を私は止める気にならなかった。染み出た感情はいっぱいに広がると、次にしたたり落ち、ついにはすさまじい勢いで噴出した。私は波をかきわけ絶叫し、砂地に足をとられながら絶叫し、若者のひとりに飛びかかりながら、私にはあり得ないような絶叫を絶叫していた。
 ぎざぎざした分厚い靴底が私の顔面をとらえた。首を支点に身体を前へと投げ出され、背中から墜落する。倒れたところへ、続けざまにみぞおちへ鈍い衝撃が走った。呼吸が止まる。感覚はなぜか、人間の意識と微妙に同期を外している。激しい痛みが来た。そして次の衝撃と、その次の衝撃が同時に来た。私は申し訳のように、のろのろと身体を丸める。繰り返し重ねられる無数の痛みが境界を無くし、やがてぼんやりとした大きなひとつに感じられるようになったとき、横倒しのカメラからのような視界が、何の劇的効果をねらったものか溶暗する。
 まばたきほどの時間でしかなかったと、私は感じた。
 目を開くと、陽光はすでに力を失っていた。意識が焦点を結ぶ直前の、あの数瞬の自失の後、髪を赤と黄のまだらに染めた若い男が、私をのぞきこんでいるのに気がつく。とっさに両手で顔をかばって、身体を硬直させる。いくら待っても何も起こらなかった。どうやら、先ほどの若者たちではないようだ。愛想のよい笑顔で手をさしのべてくる。沈黙をどう解釈したのか、男は肩をかして私を立ち上がらせると、どこかへ連れてゆこうとする。私は、わずかに身をよじってみせた。だが、声も出せないほどに口腔は腫れ上がり、全身は痛み以外の感覚を持った場所を見つけだすのが難しいほどだった。結局私はこうやって、いつも何ひとつ自分で決めることができないのだ。そのまま男の示す先についていったのは、受け入れるという怠惰さをすら意味していなかった。
 一歩ごとに、足の裏で砂がきしむのが感じられる。世界は動いてゆく。保留は停止を意味しない。男の横顔に、なつかしい面々の面影が次々に重なる。かれらとは最も似ていないはずのこの男に、いったいどうしたことだろう。私は、あの頃を思い出す。そして、私がかれらとの日々に少しなりとも心地よさを感じることができたのは、かれらが決定できないほど弱かったからだと気づく。かれらはまるで、私の鏡写しのようだった。その弱さを憎むことで、私は自分を傷つけないまま、自分と対峙するふりをすることができた。永遠の保留の無解決の中で、穏やかに遊ぶことができた。
 私は深く息を吐くと、大きく男に寄りかかった。足をひきずりながら、そのまましばらくいっしょに砂浜沿いを歩いた。一言も話さなかった。水平線に漂う陽光の残滓が、徐々に光を失っていくのが見えた。
 手当をしてくれた若い女の皮膚の柔らかさが、自然と反芻される。別のひとりが、紙コップに入った生ぬるいビールを手渡してくれた。打ち上げられた流木の上に腰掛ける。数匹のフナムシが両足の隙間をすり抜けていった。私は気取られぬようズボンに片手を突っ込み、軽く勃起して座りの悪くなったペニスの位置を正す。
 口の中がずたずたに裂けているので、ひとすすりほども飲むことはできなかったが、大勢の人間が集まった場所の空気は、どこかアルコールと同じような効果があるらしい。たき火の周囲を十数人の若い男女が踊り、歌い、笑いさざめいている。砂浜に置かれたラジカセから流れる音楽はひどく割れていて、炎の喧噪ごしには、いったい何の曲なのかも判然としない。私はほとんど放心して、その様子を眺める。大勢の人間の中にいるときに必ず感じるあの所在の無さを、私はなぜか感じていなかった。そして、何のきっかけを得たのだろう、かれらの誰ひとりとして、他の誰かと同じようではないことに、私はふと気がつく。その理解のあきれるような素朴さに、私は愕然とする。
 背の高い者、背の低い者、痩せた者、太った者、あけすけな者、はにかんだ者、髪を染めている者、髪を染めていない者、俊敏な者、のろまな者、顔立ちの整った者、ひどく不器量な者、声の高い者、声の低い者、輪の中心にいる者、輪を遠巻きにする者、うまく歌う者、調子外れな者――それらのすべてが、そして対立する極端から極端を埋めるグラデーションが、ひとりの中にいくつもあって、かれらをかれらがいまあるようにしていた。感動とも違う、それは当たり前の何かが、はるかな遠回りの果てに初めて、私の胸の欠落に落ちた瞬間だった。
 長髪の男が、身を投げ出すようにして私の横に座った。かなり酔っているらしい。私の肩に手をまわしながら、大きな声でまくしたててくる。脇の下のじっとりとした汗の感触が、衣類越しに伝わってきた。胃腸を悪くしているのだろうか、男の吐く息には、アルコール以外に腐ったような匂いが混じっていた。私は、不快を感じた。だがそれらは、私がこの男を拒絶したり、愛さなかったりする理由には、もはやならなかった。不思議ないとおしさに突かれて、ぎこちなく、同じ流儀で男の肩に手をまわそうとする。男の横顔に視線をやると、長髪の隙間からひどく奇妙な形をした耳が見えた。かれが長く髪を伸ばしているのは、不格好なこの耳を隠すためなのだろうと、私は理解した。そのことを口にすると、かれは一瞬びっくりしたような目で私を見た。それから、照れたように笑った。私は、笑い返した。
 やがて男は踊りの輪の中へと戻っていった。その後ろ姿を見送りながら私は、ああ、こういうことなのか、と思った。それは、不思議な感覚だった。しかし、悟りのようではなかったから、ずっと続くだろうと信じることができた。
 祭りは、いつか終わる。
 ひとりまたひとりと、帰る場所のある者たちは帰り、そうして、夜の浜辺に私だけが残された。
 泡立つ波が足下をさらってゆく。
 ふと見上げると、どういう大気の影響か、月の周囲におぼろな白い光の輪が浮かんでいた。
 目の前に広がる夜の海は、幻想的で、広大で、限りなく清らかだった。身をかがめて、海水を手のひらにすくってみる。そこにあるのは油じみた、卑小で、汚れた水に過ぎなかった。
 手のひらを返すと、水はまた、夜の海の一部になった。
 私は波間に立ちつくしながら、そっと口の中につぶやいてみる。
 「しかし、それではあまりに生きることがつらくありませんか?」
 驚いたことに、答えが返ってきた。あるいは、波音に聞いた幻聴だったか。
 「なに、四六時中ってわけじゃないさ」