猫を起こさないように
月: <span>1999年4月</span>
月: 1999年4月

大阪オフ始末書

 私はつねづね思ってきた。ホームページ所持者たちが現実に会合を行いその様子を報告としてアップするような場合、なぜあのような過剰に躁的な、過剰に荒唐無稽な、過剰に虚偽に満ちた――たとえば自宅からもってきたマシンガンで列席者を虐殺とか(銃刀法により厳しく民間への武器の流出を制限しているこの国においてホームページを作る程度の積極性をしか持たない彼ないし彼女がそのようなものを入手できる可能性は限りなくゼロに近いし、よしんばそれが本当のことであるにしても、大量殺人を行った彼ないし彼女が世界に名だたる我が国の警察の包囲の目を逃れ無事自宅にたどり着きパソコンを使ってのうのうとホームページを更新できるなど、まったく絵空事でしかない)、身長5メートルもあるような巨体の大男に(生物学的見地からもこのような骨格の直立歩行生物がこの惑星の重力下において発生できる確率を私は信じない)トイレで肛門を陵辱されたとか(ネット上において散見するホモセクシャリティについてはコンピュータ人口における男女比率の問題を想起させるが、実際のところこれは心理学的にみて肛門期に問題を有しておる青年が彼らの母親に本来の対象を持つ憎悪が女性一般に転移した結果の事象ではないかと推測する。これについては近々誌上に論文を発表するつもりだ)の記述がそれだ――ものになるのだろうか。その理由はどんな種類の真実にもためらわず目を向ける真摯さをわずかにでも持つ者には明白である。なぜならば、ホームページとは現実に存在する様々な負の要因の反作用として生まれてくるものだからである。つまりそれらは、彼ないし彼女の中で本来的に相容れないものとして処理されている自身の現実と自身の虚構がせめぎあう結果として生まれてくるひずみであると推定することができる。
 私は私の中にある妄想や、本当の自分はこうあって欲しいといった願望が、現実にこのようにある私という実存と切り離して考えることのできるものでは決してないことをすでに知っている。私のホームページがここにこうしてあるのも、私という惨めで不完全な人間がこの無慈悲な荒々しい現実の中で、個人の側からの何の入力も受けつけないように見える現実の中で、真に肉体的な意味で生きているからこそであることを私は実感しているのだ。だから私は現実を、起こったことをありのままに彫刻することを恐れない。それは私の連綿と続く意味のないように思える人生の先端において、その連続の結果として発生した事件であるからだ。私は一切の虚飾を廃し、事実のみを記そうと思う。 さて、では諸君にこのレポートのフォーマットについての理解を最初に与えたい。テレビに代表される様々のメディアが一秒の隙間もなく映像や音声を流し続ける現代に顕著な精神症に沈黙状態への脅迫的な忌避があげられるだろう。現代の対人関係において確かに存在するが、具体的な言及の難しいそれについて私は今回のレポートにおいて大胆に迫ろうと思う。以下私が”…”と表記した場合、それは現実的に5秒以内の沈黙が存在したことを意味する。以下私が”……”と表記した場合、それは現実的に6秒以上10秒以内の沈黙が存在したことを意味する。さて、では次の場合はどうだろうか。A「あ………」B「私は」。これは発話者Aの”あ”という母音の発声直後から発話者Bの発話まで10秒以上15秒以内の沈黙の時間が経過したことを意味している。これを理解されたい。
 用意はよろしいか? それでは始めよう。
  大阪駅中央口噴水前。
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「あ……………」
 B「………………」
 A「あの…………」
 B「…はい?」
 A「あ、いや…」
 B「……×××さん、ですか?」
 A「はい! ぼくが、が(咳きこむ)、×××です」
 B「ぼく、××」
 A「…えっと……」
 B「………」
 A「…こちらの方は?」
 B「ぼく、のサイトのファンの女性です」
 C「どうも」
 A「あっ…………どうも」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ。ど、どこか移動しましょうか」
 B「そうですね」
 A「…あ…どこにしましょう」
 B「ぼく、あんまり大阪知らないんですよ」
 A「あ、そうか、あ、そうか……えっと…」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「じゃ、あの、適当な喫茶店でも、あの、行きましょう」
  大阪駅付近の喫茶店。
 A「………………」
 B「(鞄の口を開いて)これ、ぼくが持っ」
 店員「ご注文はおきまりですかぁ?」
 A「ええっと……(二人を見る)」
 C「(煙草を取り出しながら)ブレンド」
 A「あ……ぼくもそれで」
 B「……あの……ぼく、お金無い…」
 A「え…………」
 店員「…(しきりと靴底をコツコツいわせる)」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ……ぼくが……あの…払います…」
 B「え…………ありがとうございます」
 A「……いや」
 C「ふぁ(あくび)」
 店員「…(無言で立ち去る)」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「あ、おみやげ(鞄から取り出す)」
 A「あ、(中身を見て困ったような顔で)…ありがとう」
 B「いや、そんな」
 A「………………」
 B「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 店員「…(無言でコーヒーを置く)」
 A「…(救われた表情でコーヒーに手をのばす)」
 B「……熱ッ………」
 C「…(煙草に火をつける)」
 A「………………」
 B「………………」
 A「…(椅子から尻を持ち上げて聞こえないように放屁する)」
 B「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「(音を立ててカップをおいて)あの!」
 B「(びくりと身体をふるわせて)…なんでしょう?」
 A「あの、(異常な早口で)あなたのサイトはとても面白いと思う」
 B「……ごめん、ちょっと聞こえなかった」
 A「(真っ赤になって)あ、なんでも……」
 B「………………」
 A「………………」
 B「…(空になったカップにスプーンで砂糖を移す作業に没頭)」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あの!」
 B「(びくりと身体をふるわせて)…なんでしょう?」
 A「…出ませんか?」
 C「…(荷物を取り上げるとさっさと店をでる)」
 B「(泣きそうな顔で)あ……そうですね」
 A「(あわてて)出ましょう、出ましょう」
 店員「お客さん!」
 A「(びくりと身体をふるわせて)…なんですか?」
 店員「(不機嫌な様子で)お金」
 A「あれ、あ、(独り言のように)そうか……そうだよね」
 B「………………」
 C「…(店の外で煙草をふかしている)」
  観覧車下広場。
 A「……えっと。どうしましょう」
 B「……ぼく、大阪のこと知らないから……」
 A「あれ、あ、(独り言のように)そうか……そうだよね」
 B「………………」
 A「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ、あ! 歩きましょう!」
 B「……歩く……んですか?」
 A「(泣きそうな顔で)はい、歩くんです」
 B「………………」
 C「はぁ(ため息)」
 A「じゃ…………」
 B「………………」
  大阪駅周辺。
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 C「…(煙草に火をつける)」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ、あの!」
 B「(びくりと身体をふるわせて)…なんでしょう?」
 A「(早口で)××さんはどうしてサイトを作ろうと思ったんですか」
 B「……え……と……寂しかったから…」
 A「(困った顔で)あ、あ、奇遇だなぁ! ぼくも、も(咳きこむ)、そうなんです」
 C「…(煙草を取り出しながら顔を露骨にしかめる)」
 B「……へえ……」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………あ……(独り言のように)大阪駅」
 C「…(舌打ちする)」
  大阪駅東口。
 A「……今日は……あの……会えて嬉しかったです」
 B「(びっくりした顔で)え、あ、もう…ですか?」
 A「(半笑いで)え、あ、まだ…ですか?」
 B「(うつむいて目をそらして)…ぼくも、嬉しかったです…」
 C「…最低(低くつぶやいて肩を怒らせながら雑踏の中に消える)」
 B「(泣きそうな顔で)あ、ああっ……」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「……あの、じゃ」
 B「(気の抜けた声で)…じゃ」
 A「(遠ざかる背中に)あの! ネットで!」
 B「…(振り返らず無言で立ち去る)」
 A「………………」
 4月25日の全できごと終了。

Mr.オナニー

 「(扉をちょうつがいごと蹴破って)賢治ちゃん、お夜食をもってきたわ。勉強ははかどってるかしら」
 「(椅子ごと真後ろにぶっ倒れて)うおあッ! ババア、部屋に入るときはちゃんとノックしろっていってんだろうが!」
 「(不気味に緑色の煙をあげる夜食の盆を取り落として)まあっ! なんなのそのむきだしの下半身の先端にティッシュペーパーをはりつけ、アヌスに乾電池を突き刺した人間のオスがとりうる最も間の抜けた姿は! ま、まさかあなた、今まで」
 「(うろたえて)バ、バカヤロウ、何勘違いしてんだよ、何勝手な想像してんだよ…あ、おい」
 「この教科書とノートの間にある扇情的なピンクをした表紙の破廉恥な雑誌はいったい…あなたまさか今までこっそりオ」
 「(全裸にマスクの男が天井を突き破って闖入してくる)奥さぁんッ!」
 「きゃああっ! 春先だからといってこれはあんまり唐突すぎるわ!」
 「(母親と賢治の間に立ちふさがりながら)さぁ、賢治くん。私が来たからにはもう安心だ。(目をのぞきこんで)誰にも君の優雅なオナニーライフを邪魔だてさせはしない!」
 「あ、あなたは……」
 「私か。私の名前は(流れだす勇壮な音楽。両手を前面に突き出し順番に5本・7本・2本と指を立ててみせる)オ・ナ・ニーッ! 人は私をMr.オナニーと呼ぶ!(宣言とともに背景がショッキングピンクとどどめ色で交互に激しく点滅する)」
 「(鼻息荒く)Mr.オナニーだかなんだか知らないけど、これは家庭の問題です! 賢治ちゃん、あなたはオナニーなんて馬鹿なことはしなくていいのよ。ほら、母さんが相手をしてあげるから…邪魔よ、あなた邪魔なのよォォォォ! ブフーッ」
 「ああっ、アザラシをも圧死させる母さんの200キロの巨体が軽やかに宙を舞い、Mr.オナニーに襲いかかったぞ!」
 「グワシャッ(Mr.オナニー、遙か上空まではねあげられ頭から無防備に落下する)」
 「ブフーッ、賢治ぢゃぁぁぁぁん」
 「(部屋の隅で膝を抱えてふるえながら)口ではどんなかっこいいこと言ったって、どだい初代シベリア全生物無差別級格闘王者の母さんにかなうわけがなかったんだ…ああ、僕は母さんに捧げるのか。こんなことになるのがわかっていたら、もっと積極的に青少年の匿名性をかさに着た生きざまで軽犯罪などをいくつか犯しておくのだった……」
 「(瓦礫の中から立ち上がりながら)賢治くん、あきらめてはだめだ」
 「み、Mr.オナニー! だめだよ、立ち上がっちゃ! あなたの実力では母さんには到底勝てっこないんだ!」
 「だいじょうぶ、足りないぶんは…(爽やかに白い歯をみせて)チンポでおぎなえばいい!」
 「(下半身を蜘蛛のように誇示しながら)ブフーッ、チンポですって!? チンポが何だっていうのさ! しょせんチンポはヴァギナに隷属する運命なのよ! ブフーッ(突進する)」
 「ああ、母さんの言うとおりだ。チンポは絶対にヴァギナには勝利できないようになっているんだ、そういうふうにできているんだ(絶望的に両手で顔を覆う)」
 「(迫り来る600キロの巨体に拳を握りしめながら)女よ、言っておく! チンポを笑うものは…(腰を落としてかまえる)チンポに泣くのだ! 今だ、必殺オナニーパンチ!」
 「SMAAAAAAAAAAAAAAAAASH!」
 「ああっ! 怒り狂ったアフリカ象の突撃をも食い止める母さんの1トンの巨体がMr.オナニーの細腕から繰り出されたパンチに吹き飛んだぞ! Mr.オナニーの繰り出したパンチと吹き飛ぶ母さんの間に挿入された書き文字の擬音が両者のそれぞれの状態に存在する暴力的な因果関係をうち消しており、社会的配慮もばっちりだ!」
 「ば、ばかな、たかがチンポごときが…(がくりと首をたれる)」
 「Mr.オナニー、Mr.オナニー!(泣きながら駆け寄る)」
 「(満身創痍の様子で)ふふ、賢治くん、わかってくれたかい。唯一信じる心が、君たちのオナニーを救うのだということを」
 「うん、うん! これからはぼくはあんな自室に引きこもって鍵をかけてするこの世界の原罪をすべて背負ったような後ろめたさではなく、公衆の面前でどうどうとチンポをぶっかくよ!」
 「(優しく目を細めて頭を撫でる)そうだ、その意気だ。私はもう行かねばならない。この世界のオナニーはまだまだ危機に瀕している…賢治くん、いつもチンポを信じる心を忘れないように! さらばだ!」
 「(空のかなたへ飛んでいく姿に手を振りながら)ありがとう、Mr.オナニー! 素晴らしいオナニーをありがとう!」
 「(雲の谷間を全裸で飛行しながらカメラ目線で)テレビをご覧になっているみなさん、オナニーは次世代を担うクリーンなエネルギーです。どうぞ家族のかた、親戚のかた、ご近所のかたに安心しておすすめ下さい。それでは、グッドオナニー!(空の向こうに光となって消える)」

モジャ公

 「(全身を覆う体毛に櫛をつかいながら)あいた、あいた。なんでワシの体毛はこんな一本のうちで先から根本までワカメみたく幅が一定でなかったり波うってたりするんや。いたたたた、いたい、いたい」
 「ぼき」
 「ありゃ、また櫛ダメになってもうたがな。毎月のストレートパーマ代も馬鹿にならんで、しかし。(煙草に火をつける)フーッ…手持ちも寂しなってきたし、そろそろまた二三人宇宙マフィアにメスガキをさばかんならんな。魔羅夫に言うて連れてきてもらうか…」
 「おぉうい、モジャ公、モジャ公~」
 「(煙草をもみ消して)おう、ちょうどええところに来た。魔羅夫、おまえの友だちの女の子を紹介してくれへんか。なぁに、二三人でええんや」
 「ええっ、またかい。先週紹介したばかりじゃないか」
 「ええやんけ。友だちはいくらおっても困ることはあらへん。それに俺、地球人となかよなりたいんや。国際化なんてもう古いで、これからは宇宙と交流する時代や。そう言うて頭の弱いのをな。な」
 「そうだ、それどころじゃないんだ、たいへんなんだよ、SFクラブ(少し不倫クラブ)存続の危機なんだ。唯一の部員だった未来ちゃんが部活動の一環としてはじめた数学科の水口先生とのちょっとした火遊びに本気で燃え上がってしまったんだ。どうしよう、モジャ公」
 「(煙草に火をつけて)なんや、つまらん。そりゃおまえのチンポに魅力が無かったいうだけのことやで。あきらめ、あきらめえ」
 「わかってる、わかってるよ、そのくらいのことは。うう、ぼくはなんて無力なんだ。ぼくのチンポはなぜ他のクラスメートと違う形状をしているんだ(つっぷしてむせび泣く)」
 「しょうもないのぉ…おい、俺の目を見てみい」
 「(魔羅夫、涙に濡れた顔をあげる。そこには不気味な色に明滅する光を宿したモジャ公の両目がある)な、なに…あ、頭が…視界が狭窄する…脳味噌の右半分が冷たくなって…血の気が引いた両手足が痺れる…頭が痛い…頭が割れるように痛い…うげ、げえええ(嘔吐する)」
 「どや、気分は」
 「(吐瀉物の中であおむけになって)最悪…最悪だよ…現実が遠い…もうなんでもいい…全部どうでもいい…なんなの、これ…」
 「おまえの脳味噌は特殊な出来上がりなんや。脳波の矩形が一般人と違うんや」
 「それってぼくの頭がおかしいってことじゃないのか…チ、チンポだけじゃなかったなんて…」
 「違う。おまえは選ばれたんや。おまえは選ばれた人間なんや」
 「ぼくが…?」
 「そや。『ぼくは選ばれた人間です』、繰り返してみい」
 「(弱々しく)ぼくは…選ばれた人間です」
 「もっと強くや」
 「ぼくは、選ばれた人間です」
 「もっと、もっとや! もっと強く言うてみい!」
 「ぼくは選ばれた人間です! ぼくは選ばれた人間です! ぼくは選ばれた人間です!」
 「どや。どんな感じや」
 「不思議だ…ぼくは今までなんでこんな下等種の群の中で自分をつまらぬものと劣等感を抱いてきたんだろう…ぼくは優れている、ぼくにはやつらの上に行使することのできるあらゆる権利がある。なぜならぼくは選ばれた人間だからだ! ハハハ、ハハハハハハハ(気狂いの目で哄笑する)」
 「おいおい、どこ行くねん」
 「なぁに、あの”枯れ枝”水口から未来を引き剥がしにいくのさ。(戸口に手をかけたまま唇の端を歪めて振り返り)未来には俺の本当の価値を見抜けなかった罰として痛い目をみてもらうつもりだ。やつが馬鹿にした俺の男性自身で存分にね!」
 「ほどほどにしとけよ。あ、それとおまえの女友だちをな」
 「わかってる、わかってる。二三人なんて眠たいこと言うなよ、五十人も連れて帰ってやるぜ。楽しみにチンポおっ立てて待ってな(階段を降りる音がする。入れ替わりに女性が部屋に入ってくる)」
 「なんだったのかしら、今の魔羅夫、ようすがおかしかったわ。大丈夫かしら」
 「(あわてて煙草をもみ消し、灰皿を後ろに隠す)あっ、奥さん、えらいすんまへん」
 「ねえ、モジャ公、魔羅夫がどうしたのか知らないかしら?」
 「いやぁ、なんて言うんでしょう、かれも男の子ですさかいに。いろいろな肉体的要因から猛々しい気持ちになることもあるんやないでしょうか」
 「(頬に手をあてて)そういうものかしら。母親ってこういうときに弱いわよね…」
 「そんな深刻に考えんほうがええんちゃいますやろか。時期やと思います」
 「そうね。そうよね。(うるんだ瞳で)…モジャ公、いつもありがとうね」
 「(身体の前で両手をふって)何をおっしゃいますやら! この無駄飯喰いには過ぎたお言葉ですわ! ボクも奥さんの助けになれるなら嬉しいなぁていつも思っとります!」
 「うふふ、ありがとう。物騒な世の中だからモジャ公のような頼れる下宿人がいると安心するわ。先月も魔羅夫の通ってる小学校の女の子が二人失踪したんですって。これで十人よ。女の子ばかり…うちは男の子だからいいけど、どうにもぞっとしないわ…」
 「(胸を反らせて)安心して下さい、奥さん。ボクがおりますから。たとえ何が来てもおいかえしてやりますよ(空中をパンチで叩く真似をする)」
 「うん、そうね。(顔を近づけて囁くように)それじゃ、今夜…ね? 待ってるわ…(部屋から出ていく)」
 「(煙草を取り出して火をつける)フーッ…それにしてもなんでワシの体毛はこんな一本のうちで先から根本までワカメみたく幅が一定でなかったり波うってたりするんやろ。なんでや…」

D.J. FOOD(7)

 「 Jam, Jam! MX7! 今週もまたD.J. FOODの”KAWL 4 U”の時間がやってきたぜ! それではいつものように始めよう、 Uhhhhhhhhhhhh, Check it out!
 びっくらコきマラ! 空気も温み花も暗示的に咲き乱れ開放的になった婦女たちがたわわな双乳をぶるんぶるんふるわせながら町を我がもの顔で闊歩するのを電波でチャクラを解放されたお仲間が挿入を求めて襲撃するこのよき季節、特殊な嗜好を持った私なんぞはほころびかけたつぼみという修辞的表現を想起させる一定年齢以下の少女たちのする破廉恥さにこの世で一番の好物料理を目の前に出された人間のようにそれを口に入れた瞬間の悦びをより大きいものにするために幾度も幾度も舌なめずりをし自身の手のひらをにぎにぎと揉みしだいて自分をじらす毎日なんやけれども、びっくらコきマラ! まァ、あの頃の僕は今日より若かったものだから、ずっと若かったものだから時と場合によってデッサンの乱れから3~10メートルまで自在に可変する身体でマフラーをなびかせ巨大なナイフでもって世紀末の荒野を疾走する戦国武将のコスプレ集団と真っ正面からしばしば激突して彼らのほとんどを日曜の午後のほんの気晴らしに原型の推測できないミンチ状に丹念に切り刻んだものやったで! そしてちょっとした建物の三階ほどの長さの日本刀を振り回す刃物キチガイとことあるごとに互角に渡り合い、あるときは首を切らせ、あるときは首を切ってやったもんやったわ! あいつも今では某百貨店地下の食品売場で真面目に店員をやっとるんやから世の中わからんもんやね! 奥さんは男性にムチを使用することで破格の金銭をいただく職業についてるらしいで! こりゃもうびっくらコきマラ! さて、いつもの犬のようなおしゃべりはこのくらいにしといて、最初のお便りは練馬区のグンペイグンペイまたグンペイくんからだ! 『こんばんは、FOODさん。正体不明のテログループが各地の放送局とその関係者を無差別に襲撃しているというニュースを聞いたとき、僕はFOODさんが無事なのかどうかをまっさきに思いました。どうしてこんなひどい事件が起こるんでしょう。僕には想像もつかない。でもこの手紙をあなたが読んでいるということはあなたが大丈夫だったということですよね。どうぞ無理をなさらないで下さい。FOODさんの声が聞こえなくても、FOODさんが無事で生きていてくれるなら僕はそれだけで嬉しいんです』 びっくらコきマラ! そうそうそれやそれや、面白い話を言うのを忘れとったで。こないだの放送のときな、俺寝坊してしもて、なんでもっとはよ起こしてくれんかったんやっておかんに文句たれながらメシ喰うとったんや。ほんなら急にばかデカい音がするやん? 気がついたら持っとった茶碗のメシが真っ赤になっとるねん。 俺笑いながら、”おかん、どないしたんや。生理でも来たんか”言うて前見たらな、おかん首ないねん! 首からなんか漫画の管みたいのが出とってピューピュー血ィ吹いとんねん。そんでな、肝心の首はどこにあったかって言うとな、ええか、笑うなよ…なんとたんすの上の花瓶に乗っかっとったんや! 俺、メチャメチャおかしかってなぁ! つねづね俺みたいなオモロイ芸人のおかんがこんなただのオバハンやったらカッコつかんなぁ、思っとったんや。そのときのおかん、めっちゃ輝いとった。カネとれる芸やったわ。俺二時間くらいずっと転げ回って笑い続けてな、気がついたら病院のベッドの上におったんや……びっくらコきマラ! 続いて二枚目のお便りは…なんや、封書かいな…まったく迷惑極まりないで…(と、封を開けようとする。軽い破裂音)うわっ! び、びっくらコきマラ! (マイクから離れた遠い音声で)いや、大丈夫、まだ本番中だから入ってこないで。人差し指の爪が剥げただけだ…(調子を戻して)まったく、ええネタを仕込んでくれるね、ウチの聴視者さんは…ペンネームは、と。封筒燃えてもて読まれへんがな。ええとなになに、『これは警告だ。これ以上その俗悪な思想で民族の魂を汚すというのなら、君に近しい人間にまた消えてもらうことになる。君の罪を贖うために』 びっくらコきマラ! えらい時代がかっとんなぁ! エイプリルフールはもう過ぎとるで、きみ! 最後のお便りは大阪府在住の小鳥くんからだ! 『もうやってらんないっすよ、FOODさん。毎日毎日仕事仕事、家帰ってすることは眠るだけ。いいですよねえ、FOODさんは。マイクの前で一時間ほど馬鹿話して、ダベって金もらえるんですから。あ~あ、もうたまんないっすよ。やってられないっすよ』 びっくらコきマラ! (ぽつりと)…そうだね、そうかもしれない。
 おっと、もうこんな時間だ! みんなからのお便り待ってるぜ! それじゃ、来週のこの時間まで、C U Next Week!」 

ボブ・ザ・アナリスト

 「あら、ボビー。どうしたの。今日のあなたはとても沈んでみえるわ」
 「(憂鬱そうに顔をあげて)やぁ、ステフ。ちょっと最近夢見が悪くてね」
 「へえ。それはきっと現実がうまくいっていない証拠よ」
 「うん。そうかもしれない。特に昨日のは最悪だった(目を伏せる)」
 「聞かせてくれるかしら。興味あるわ。もしかしたら力になれるかも。なんだったらジョンソン教授にとりついでもいいわよ」
 「ああ、そうか、君は心理学専攻だったな……誰にも言わないって約束しておくれよ。(膝の上で手を組んで目を閉じる)そう、あの夢の中で僕はひとり自室のベッドに寝ていたんだ。月は出ていなかったんだろう、窓からはどんなわずかの明かりも感じられなかった。突然、部屋に黄緑色の不気味な光が射した。次の瞬間、僕は宙に浮かんだ自分自身の身体を感じていた。僕はしびれたように動けなくて、何も考えることができなくて、自然に開いた玄関の扉から自分の身体がふわふわと飛び出すのを他人事のようにぼんやりと見ていた。ふと気がつくと僕はテーブルの上にのせられていたんだ。テーブルという表現は正しくないかな、手術台、そう、手術台のような無機質で冷たい台の上にのせられていた。ぼくはそのときになってようやくその異常な事態に恐怖を感じはじめた。僕が逃げ出そうともがいているうちに、周囲を取り巻く銀色の壁から人型の生き物が何体か現れた。そいつらはちょうどアーモンドのような、顔の半分もあるような大きな黒い目をしていて、身長は、そうだな、君の腰ほどもなかった。そして、それからやつらは、やつらは、おお(顔をおおう)」
 「ボビー、つらかったら無理に言う必要ないわ」
 「いや、聞いてくれ。聞いて欲しいんだ、ステフ……やつらは僕には意味の不明な言葉で二言三言何かささやきあうと、おもむろに僕のジーンズをひきずりおろした。そして巨大な、ちょうど理科の実験でつかうじょうごのような物体を取り出すとぼくの、ア、ア、ア」
 「(両手で口をおおって)おお、ボビー、まさか、まさか」
 「ぼくのアヌスにふかぶかと突き刺したんだ!」
 「ああ、神よ!」
 「それはとても、なんというか、不思議な感覚だった。突き刺されたじょうごから内蔵のすべてが裏返ってとびだしてしまうように思えた。ひんやりとした金属の感触が直腸にあり、その心地よい冷たさに前立腺を刺激され、僕は二度射精した。やつらはかわるがわるじょうごの中をのぞきこみ、カンに障る笑い声のような音をたてた…僕はその最悪の恥辱の中で意識を失ったんだ。気がつくと僕は自室のベッドの上にいた。何事もなかったようにね。ひりつくアヌスの痛みをのぞいては、何も……これがすべてさ(がくりと首を垂れる)」
 「ボビー、でも、でも、それは夢なんでしょう。夢のお話に過ぎないんでしょう?」
 「(小昏い目で見上げて)本当にそう思うかい、ステフ」
 「(あわてて陽気に)ねえ、ボブ、こんないい天気の日に屋内にいるのはもったいないわ。さぁ、外でスカッシュでもして気分を変えましょうよ」
 「待てよ! ほら、見ろ、見るんだ! 目をそむけるな! (おもむろに立ち上がりジーンズをずりおろすとケツを突き出す)これが僕だ! 僕はもう普通の人間じゃないんだ、アンヌ!」
 「いやっ、いやぁぁぁぁっ!」
 「(涙声で)僕はもう普通の人々のようには生きられない。僕はこの世界で一番目立たない人のようなささやかな人生をこそ送りたかったのに。植物のようなおだやかな、高橋陽一の漫画にキャラの描きわけができないために必ず登場する双子や三つ子のような、そんな凡庸な人生をこそ過ごしたかったのに!」
 「ばぶん(爆音とともに窓ガラスを突き破って空のかなたへと消えていく)」
 「(後ろから歩み寄り)アナル・バースト現象」
 「(ふりむいて)ジョンソン教授…」
 「かれはいま、かれの意志にかかわらず手に入れてしまった自分の力にとまどっているんだ。ステファニー、いっしょに来てくれないか。かれを呼び戻さなくてはならない」
 「(うつむいて)私には…私にはかれにかける言葉がありません」
 「今のかれを説得できるのは君だけだ。かれを慰めてやれるのも。我々人類にはかれのアナルが必要なのだ」
 「…私はかれをひどく傷つけてしまったわ。かれの異形のアナルを見て悲鳴をあげて、後ずさって。私はなんていやらしい、品性の下劣な女なんだろう! かれのアナルはまったく問題ではなかったのに! 私はいつもつくり笑顔で友だちのふりをしていただけなんだわ…」
 「ステファニー…」
 「行きましょう、ジョンソン教授。私はかれに会ったらまっさきにひざまずいて、そのアナルに接吻するつもりですわ」
 「(微笑んで)うん、そうするといい」

小鳥猊下講演録

 「もうタってま~す」
 「あっ。小鳥猊下が授業はじめの挨拶のときに立ち上がらず、それを国語科の女教師に指摘されるのに反抗してみせているぞ」
 「なんてへだらなビーバップなのかしら。私のヴァギナが挿入を求めて小刻みに蠕動しはじめたわ」
 「もうタってま~す」
 「はぁ。うん、ちょっと落ち込んでてね。聞いてくれるかな。もし、もしだよ。僕たちを創り出した神のような存在があって、そのかれの影響を僕たちがはっきりと受けるとしたら、かれの本業が忙しくなったりしたら――もちろんこれは例えで言っているんだよ――僕たちは完全にほうっておかれるんじゃないだろうかね。なんだか最近僕たちのまわりを取り巻く愛のムードが希薄だと感じるんだ。それが僕の気持ちを沈ませる…ああ、ちょっと抽象的すぎる話だな。いや、いいよ。忘れておくれ。心が弱くなっているときは何もしゃべらないほうがいいね。そろそろ時間だ。行かないと。
 「……みなさんはいつも私の講演を聞きに来て下さる。人生の限られた時間で限られた豊かさをできるだけ多く現実という場所から切り取るために…いや、失礼。どの人間をも無理矢理巻き込もうとする、人生のありかたに対する脅迫的なこのような言い様は私の中にこそ問題があるのでしょう。私は恐怖しています。私はつねに次の瞬間自分の足下が崩れ去るのではないかと恐れている。すべては時間の流れの中で色を失いくすんで、鈍くなり、そして消えていく。消えていった者たちの中には私より明らかに優れている者も多くいた。ここでは力あることが生き残るための条件ではないのです。私にはわかりません。私がなぜ選ばれて、選ばれ続けてここにいま在るのか。私は大勢のうちの、ただ自分が大事な、自分をしか見ない、世界に広がる視点も持たない、小心な、本当に小心な一人に過ぎなかったのに。私がこの場所にいることでこの場所にいることを許されなくなった無数の人間たちのことを考えると、その意味の重さに私はすくんでしまう。流す涙は常に傲慢であり、私は進む一歩の歩みごとに味方を失って孤独を増していく。私はそうして、一人でやるしかなくなってしまう。みなさんはどうぞそれぞれの場所で見ていて下さい、私がどこでつっぷして動かなくなってしまうのか、その行方を。私の破滅があなたたちを何かの形で楽しませるのならば、それは無数の道化たちの一人として、至上の喜びであるでしょう(沈黙。ためらいがちな拍手がまばらにおこる)。
 「よくなかったね。よくなかった。いや、いいよ。こういうのは自分が一番わかるもんなんだ。妙な嗅覚だけが発達してね。いやらしいね。ハイヤー? うん、今日はやめとくよ。ちょっと歩きたい気分なんだ。それじゃ、お疲れさま。本当にいつも君たちはがんばってくれるね。(何かの感慨にとらわれたかのように見回して)いったい僕の何を気に入って集まってくれているのかわからないけれど、君たちの奉仕に応えられる日がいつか来るといいね…」
 「(ふと空を見上げて)ああ、春雨じゃ。濡れてまいろう…(果てしなく続く曇天の下、都会の雑踏へと消えていく)」

風の歌を聴け

 一週間ばかり鼠の調子はひどく悪かった。新年度の始まったこともあるだろうし、童女趣味規制法案の成立のせいもあるのかもしれない。鼠はそれについては一言もしゃべらなかった。
 鼠の姿が見えない時、僕はジェイをつかまえてさぐりを入れてみた。
 「ねえ、鼠はどうしたんだと思う?」
 「さあ、あたしにもどうもよくわかんないよ。最近たくさんのサイトの更新が滞っているから、そのせいかもしれないね。」
 毎年四月が近づくと、いつも鼠の心は少しずつ落ちこんでいった。
 「多分取り残されるような気がするんだよ。その気持ちはわかるね。」
 「そう?」
 「サイトの更新が少なくなるのは、みながそれぞれの現実に戻っていっている証拠だから。戻るべきところも行くべきところもなくただ現実に対峙しないために、際限なく依存心を拡大させるこのやくたいもない電脳空間へ閉じこもって、ただ一人ほとんど毎日サイトを更新し続けることの虚しさへの気づきが、鼠を沈ませるんだろうと思うよ。」
 「そんなものかな。僕にはわからないけどね。」
 「あんたにはどこか悟ったようなところがあるよ。あんたはまだ大学生という立場をもっているからいいが、それを失ってどこにも居場所が無いような場合のことを考えてごらん。とても辛いことだと思わないかい。この国は一度ドロップアウトした人間の復帰を認めないから。前科と同じだよ。履歴書にだけ残る前科。そんな中で気持ちだけは焦ってじりじりしながら、すべての人間に唯一平等で、最初に与えられたのをすり減らすだけで補給のきかない若さを消費することの焦燥感は、焼け付くようなんじゃないだろうか。一般の人間がその若さと言う貨幣を支払って手に入れる社会的価値を、何とも交換せずにただ空費する作業、それがホームページ作成さ。どれだけ積み重ねてもどこにもたどり着かない、何を得ることもない。」
 「……。」
 「鼠はそんなことを感じてるんじゃないかな。鼠が命を張っているホームページ作成は結局のところそれだけの、現実に敗北することをその発生の当初からあらかじめ約束されている作業に過ぎないんだ。賽の河原の石つみのような。でもいまさらそれに気がついたところでやめられないのさ。拡大した電脳世界への依存心はかれにささやきかける、結局俺にはこれしか残されていないんだ、俺はこの何の役にも立たない、どこにも到達しないガラクタしか持ち物を持ってないんだってね。」
 ジェイは手にしたグラスを何度も磨きながらそう言い終えると、しばらく黙った。
 「…みんなが帰ったあともずっと公園でブランコにゆられているんだ。日が落ちて、街灯がともって、夜の風が身に冷たくても、ずっと。だって、誰も迎えにきてくれないから。俺はね、待ち続けて待ち続けて、誰かが迎えにきてくれるのをずっと待ち続けて、とうとうこんな年齢になっちまった。だから鼠の気持ちは少しはわかるのさ。あんたよりはね。」
 「ジェイ。」
 「なんだい。」
 「そのトップページの画像、いい感じだね。」
 「だろ? 昨日五時間かけて作成したんだ。会心の出来さ。」
 ジェイは本当に嬉しそうに、子どものような笑顔をみせた。

或阿保の一生

 私とかれは特に親しい間柄というわけではありませんでした。その交際の頻度やかれ自身がどう思っていたかにかかわらず、かれは私にとって腹蔵なく話せる種類の人間ではなかったのです。かれはその、つまり、ある種のマニアでした。様々のものを収集し、それがつもっていくことに精神的な満足を抱いているようでした。私はかれの持つとある品物に興味を持っており、それがかれとの交際を続けさせる唯一の要因でもあったわけなのですが、それらのすばらしさにかかわらずかれという人間は私に少しの魅力も感じさせ無かったのです。むしろ私はかれといるときにしばしば不快さを感じていたことを認めなくてはならないでしょう。かれの収集癖は自分自身の人間的魅力の無さへの意識的か無意識的かの認識から生まれた、かろうじての防衛策であったと言えるかも知れません。自分の存在を成熟したものとして確立できなかった人間はしばしばこういった馬鹿げた性癖を手に入れているものです。それはむろん代替物に過ぎないのですが、かれらにありがちな周囲との折衝の無さからでしょうが、今まで失敗せずに機能してきたのでまったく正しいものだと思いこんでしまっているのです。
 その日、じつに一ヶ月ぶりに――私には仕事があり、かれには無いからです。生活基盤の違いは人間関係に如実に影響を与えるものです――かれの私が密かに呼ぶところの”ねぐら”へ訪ねました。築何十年経とうかという、薄汚れた湿っぽいアパートメントの二階の一番奥の部屋がかれの住処です。郵便受けには大量のチラシがつっこまれており、外にまではみだしています。私はいつものように粘つくドアノブにハンカチをあてると、深呼吸をひとつしてからゆっくりと扉を押し開き、中へと入りました。かれが外出することは年に何度もなく、私以外の訪問者は宗教勧誘員くらいで――セールスマンはこの界隈にはよりつかないのです――私のこのような不躾な訪問はほとんど暗黙の了解となっていました。
 「おい、いるかい」
 私は答えの明らかな質問をわざと口にしました。私とかれの複雑な関係は、それ以下のよそよそしさもそれ以上の親しさも私に許さなかったからです。床にはその、つまり、ある種のマニアックな雑誌や私には意味を持たない様々の物体が積み上げられていました。それらの中で日本経済新聞だけが私にとって認識可能なものでしたが、かれがこの新聞を購読しているのはゲーム業界の今後の動向を知るためなんだそうです。日々親からの仕送りで生活する、大学は9年目に放校され、現在いかなる職にもついていないかれが、どうしてゲーム業界の動向を知らねばならないのかは私にはわかりません。一度かれに尋ねたことがありますが、「まぁ、君、ディレッタントの宿命というやつだよ」などとはぐらかされました(かれはこの手の自分は何でも知っていると見せかけようとするやり方がたいへん好きなのです。そんなときのかれはいつもニワトリのような顔になります)。奥に進むにつれ視界は奇妙な白い薄もやにさえぎられ、バックミュージックは階調を下げておどろおどろしさを増します。この白いもやの正体について私は一度かれに尋ねたことがありますが、「まぁ、君、ブレードランナーみたいだろ」などとニワトリのような顔ではぐらかされました。私はおそらく何かの動物の死体が発酵して吹き出すガスではないかと推測していますが、真相を確かめる気はもちろんありません。
 「おい、いないのかい」
 玄関奥の四畳半がかれの部屋です。ビデオデッキが縦向きに十台以上積み上げられ、壁には地肌が見えないほどポスターが貼られています。ポスターにはほとんど奇形といってもいいほどにデフォルメされた女性の姿が描かれています。記号として人間をとらえる芸術としてのそれらの完成度の高さを否定するつもりはありませんが、かれはその、つまり、恐ろしいことに、これらの簡略化された人間のパーツの組み合わせに、あろうことか、欲情を感じるらしいのです! 私はそれを信仰者がする重大な告白のようにかれがうち明けたときのことを思いだし、軽いめまいを感じて目をそらしました。窓は分厚いカーテンに遮られ、昼間だというのに少しの光も入ってきません。暗闇のただ中に数台のモニターがぼうっと光を発しています。そこに写っているのは……私はモニターを見ないようにし、なお呼ばわりました。
 「おい、僕だよ。いないのかい」
 うめき声が足下から聞こえました。私はかれの醜怪な顔面を踏みつけにしていたのです。帰りにコンビニで換えの靴下を購入せねばと苦々しく思いながら私はかれを助け起こしました。かれは驚くことに、泣いていました。感情を、真に自分が感じている感情を他人に知られることを恐怖して、いついかなる瞬間にも、まばたきの一つでさえも軽躁的な演技でやり、現実から身をかわして生きているかれがその醜い顔をさらにゆがめて、誰からも同情を与えられることのない奇怪な様子でさめざめと泣いているのです。私は何かが壊れようとしているのかもしれないと感じました。かれは突然手に持っていたゲームのコントローラーをビデオラックに投げつけました。危うい均衡で本来の収容量以上を納めていたラックから大量のビデオが床に雪崩落ちました。
 「もうこんなのはたくさんだ。こんな地獄のような個人主義はたくさんだ。誰か俺を巻き込んでくれ。俺はつながりたいんだ。俺は世界との関係を回復したい。誰でもいい、誰か偏見に満ちた思想で、全体主義的な有無を言わせない圧倒的なやり方で俺の存在が社会の一部を構成する部品に過ぎないことを教えてくれ。俺をあのマスゲームに埋没させてくれ。俺の脆弱な現実をこっぱみじんにうち砕いてくれ。自我が際限なく肥大していくんだ、俺が世界の中で唯一無二の実在であるという妄想的な確信にまったく疑問を感じない瞬間が日々増えていくんだ。もう、いやなんだよ、こんな嘘に囲まれて、ネット上で虚構の美少女たちを論評している自分が、やつらが、たまらなくいやなんだ! 誰か助けておくれよ…誰か…やめる、こんなことはもうやめるから…お願いだ…」
 これは革命でしょうか。もしかれの発した今の言葉がかれの現実とまったく一つになることがあるとしたら、それは革命の達成でしょう。ですが私は知っています。こんな演劇のような、一時的な感情の高ぶりによる革命は決して続かないことを。瞬間的な演劇空間の成立による革命の意識は日常を裏切っています。けれど私はあえてそれをかれに告げようとはしませんでした。私はかれの友人ではないからです。私は代わりに崩れたビデオの山を指さし、言いました。
 「それでは君にはあれはもう必要なくなってしまったわけだ。決心がにぶるとよくない、私があれらをもらっていってもかまわないだろうか」
 かれは泣きながら言いました。ああ、持っていってくれ、今すぐ持っていってくれ。私はかれの言葉が終わるのを待たずに手持ちの鞄にビデオをつめるとそそくさとその場を後にしました。二度と訪れることのないだろうかれの部屋を出ていったのです。久しく経験しなかった激しい感情の動きに疲れたかれはぐっすりと夢を見ない眠りを眠り、やがて目を覚まして自分の行動を身悶えするほどに後悔するでしょう。ですがその過失を埋め合わせる機会は永遠に来ないのです。なぜならかれは私の住所も、電話番号も、名前さえも知らないのですから!
 それからの私はと言えば、かれと私をつなぐ唯一の絆であった、今や私の所有物となったあのビデオ群を毎日存分に楽しんでいるんですよ。童女たちのあられもない乱痴気騒ぎをね。ひっひっひ。

聖アヌス衆道院

 ここは神の子羊たちが集う人里離れた衆道院。今日の彼らはどんな騒ぎを巻き起こしてくれるやら。
 「やばいよ、ブラザー三島。謝っちゃおうよ、ねえ」
 「ほほほ、友達の忠告は聞くものよ。あなたがこの便所の床に額をすりつけて『私が悪うございました。二度とファーザーグレゴリウスを誘惑するような真似はいたしません』とさえ言えば、私たちにもゆるす用意が無いわけではないのよ」
 「(毅然と)人間の心は常に自由であるべきです! 私がファーザーグレゴリウスを慕わしく思う気持ちも。あなたたちのような最低の暴力に屈する気はありません!」
 「(色めきたって)なんだと、このガキ」
 「(青ざめて)ぶ、ブラザー三島」
 「(低いドスのきいた声で)まぁ待ったれや、おまえたち…立派やないか。だが口だけでおきれいな理念を語るのはどこの白痴にでもできるこっちゃ。いったん口から出たことにはちゃぁんと責任を取らなあかん。それが大人っちゅうもんや。おまえの覚悟がホンモノかどうか試したろ…(ブリーフから刃物を取り出す)」
 「きゃあっ」
 「こいつはカミソリの刃二枚の間に一円玉をはさみこんだ代物や。(刃物を舌で舐めながら)こいつで切られたらちょっと切ないめにあうでぇ。数ミリの幅で平行に走る二本の傷跡は縫うこともでけん、一生もぐら穴のような傷が顔面に残ることになるんや。こいつの前ではどんな人間も演技をやめて、惨めで臆病な本当の姿を見せてくれる…(ドスのきいた声で)ちょっと踏めるツラしてるからてええ気になってるんやないで! さぁ、ワビ入れるなら今のうちや。最後通告やで、兄ちゃん」
 「(泣きながら)ブラザー三島、ブラザー三島ぁ」
 「あら、聞こえなかったんですの。私はあなたたちのような下劣な畜生にあけわたすプライドは持ち合わせていません!」
 「(後ろに控えていた手下に合図して)おい、こっち引っ張ってこい」
 「押忍」
 「(葉巻に火をつけさせながら)まったく馬鹿が多くて困るわ。俺もできればこんなことはしとうないんやがな…」
 「ぎゃああああっ」「ち、ちくしょう、こいつ、やりやがった!」
 「な、なんや、何事や」
 「(弁髪の先端に装着した鎖がまを振り回しながら)どうやら喧嘩を売る相手を間違えたみたいやな、おっさんら」
 「その口調、おまえはいったい…」
 「八州衆道連合二代目総長・三島逝夫とは俺のことよ!」
 「ば、馬鹿な。あの伝説のヘッドがこんな片田舎の衆道院に収まっているはずが…!!」
 「フカシや、フカシに決もとる。たとえほんまやとしても数ではこっちが勝っとるんや! やれ、いてもうたれ!」
 「弱い犬ほど牙を見せたがる…(凄惨な目で睨んで)この始末、おまえらの命だけで済むと思うなや! (飛びかかろうとする寸前、便所の床に薔薇が突き刺さる)むっ」
 「双方そこまで。聖アヌス衆道院規則第28条4項「院内デノ暴力沙汰ハ直腸ノ人為的閉鎖ヲ以テ是ヲ処罰スル」(白いスモークの向こうから顔を赤いマスクで覆い隠した全裸の男が薔薇を背負いながら馬にまたがって登場する)」
 「アァ? なんだイカれた野郎は。邪魔するんじゃねえ!(手下の一人が馬上の男に襲いかかる。が、その間に青いマスクをつけた全裸の男が立ちはだかり自在に動く弁髪で手下の首を締め上げる)」
 「ぐえええ」
 「そのへんにしておあげ(青いマスクの男その場にひざまずく)」
 「は、はわぁ、青い従者をしたがえ薔薇とともにあらわれる、あの男はまさか」
 「どうした、ブラザー山本。何か知ってるのか」
 「おまえもその名前は聞いたことがあるやろ、院内の風紀乱れるときその男はあらわれる、聖アヌス衆道院の実質的支配者…」
 「ま、まさか……綱紀粛正委員会!」
 「あれはその実行部隊の長に間違いないわ…なんで、なんでこんなこぜりあいに委員会が動くんや!?」
 「わからねえよ! 逃げるんだ、とにかく逃げるんだ!」
 「あ、待ってくれぇ!(全員が蜘蛛の子を散らすように逃げていく)」
 「(ブラザー三島の後ろに隠れて)ど、どうしよう」
 「怪我は無いようですね」
 「どうして私たちをを助けてくれたんです?」
 「あなたを、です。あなたはとても興味深い人材だ、ブラザー三島」
 「何をおっしゃっているのかわかりかねます」
 「(肩をすくめて)ふふ、あなたのチンポに惚れた、とでも言っておきましょうか。また会うこともあるでしょう…(馬の首を返す)」
 「あっ、待ってください。せめてお名前だけでも」
 「(肩越しに)名乗るほどのものでもありませんが、人は私をこう呼びます、”男色男爵”。はいやーっ!(馬の尻に鞭を入れる)」
 「ぱからぱから(遠ざかる蹄の音)」
 「(その場にへたりこむ)た、助かったぁ」
 「(つぶやいて)男色男爵様…とても懐かしいような…どこかで一度会っているような…かれはいったい何者なのかしら…」

蹴撃手マモル

 「(砂をいっぱいにつめたビール瓶ですねを叩きながら)ついに追いつめたぞ! ぼくの兄さんをもうほとんどムエタイという問題では無いような両足を縄の如くねじりあげてする九十日殺しで殺し更には個人の暴力だけで世界支配をもくろむ発展途上国だからの猶予で娑婆の空気の恩恵を授かっている最悪の誇大妄想狂であるところの白人を基準とした場合やや濃いめの肌色を有するコブラの頭飾りをつけたニシキ蛇会総帥め!」
 「(屹立したチンポの勢いでマントをぶんぶんひるがえしながら)こわっぱめ! まだ生きておったのか! 雇うのはカマキリの頭飾りをつけたゴム人間など病院収容一歩手前の変態ムエタイ選手ばかりなので組織の資金源の九割を占めてしまっているところの俺が日本にようやく作った幼女がその身体の隅々までの閲覧を許す奔放さでかけずりまわり成人男性はせんずりまわる類のビデオの販売ルートを横取りしようとした兄のように殺されに来たか!」
 「(つまようじで歯の隙間をせせりながら)シーッ、ハーッ! ぼくはあの頃のぼくじゃない! 成人女性に欲情してチンポを屹立させついでに成人に達していない幼女にも欲情してチンポを屹立させる一人前の格闘家だ! それを証拠に、見ろ! (トランクスをずり降ろす。マモォール鳥の頭飾りをかむった湯気をたてるキャノン砲が姿をあらわす)」
 「(目を細めて)ほほう、少しはやるようになったというわけか。ならばそれなりの礼をもって迎えねばなるまい…(背後に向けて)いでよ、サンボ三兄弟!」
 「ははーッ!(舞い上がる砂煙の中から三人の男が姿をあらわす)」
 「この小僧を始末しろ」
 「待て、おまえのかむっているコブラの皮はおまえの下の皮をも暗示しているのだろう!」
 「ぬぬぅ、ロリータめ! いきがりおって!(男の下半身が凄まじい勢いで屹立し、少年ののどを突く)」
 「(吹き飛ばされる)ぐええっ」
 「(マントをつけなおして)おまえと俺とにはまだ天と地ほどもの実力差があるということだ……あとはまかせたぞ」
 「小僧、立て。俺達サンボ三兄弟が相手だ」
 「(のどを押さえて立ち上がりながら)くくっ。三人がかりとは卑怯な」
 「ふふ、安心せい。おまえと戦うのは一人だけだ。いくぞ! はーッ!(一番体格の大きな男が飛びかかり、裂帛の気合いとともにチンポを突き出す)」
 「おわ~っ!(かろうじて身を起こし、自前のチンポで敵のチンポを受け止める)」
 「きぃん」
 「(暑苦しく荒れた肌の顔を近づけながら)よくぞかわした。初太刀でしとめられないのは久しぶりだよ。だが我々三兄弟の真の恐怖はこれからだ…(残った二人に合図を送る)やれ!」
 「まかせろ、兄者!(二人で例のリズムをハミングし始める)」
 「(右手で額を押さえて)な、なんだ、このリズムは…単調で麻薬的な…だめだ、これを聞いちゃだめだ…(両手で耳をふさぐ)」
 「(両手で少年の頭を抱え込み)ボディががらあきだぜ、ボウヤ。(リズムに合わせてみぞおちに膝蹴りをたたき込む)サンボッ、サンボッ」
 「(ハミングして)サンボッ、サンボッ」
 「だ、だめだ、ハミングする二人の胸の筋肉の上下が気になって脱出できない…!!」
 「(リズムに合わせてみぞおちに膝蹴りをたたき込む)サンボッ、サンボッ」
 「(ハミングして)サンボッ、サンボッ」
 「(血を吐きながらその場にくずおれる)兄さん…そこにいるのは兄さんかい…? 花畑でたくさんの幼女に取り囲まれて…笑ってる…ああ、兄さんはいま幸せなんだね…兄さん…ぼくも、そこへ…」
 「(三人で手をつないで扇形に広がって)サンボ三兄弟、サンボッ!」