猫を起こさないように
風の歌を聴け
風の歌を聴け

風の歌を聴け

 一週間ばかり鼠の調子はひどく悪かった。新年度の始まったこともあるだろうし、童女趣味規制法案の成立のせいもあるのかもしれない。鼠はそれについては一言もしゃべらなかった。
 鼠の姿が見えない時、僕はジェイをつかまえてさぐりを入れてみた。
 「ねえ、鼠はどうしたんだと思う?」
 「さあ、あたしにもどうもよくわかんないよ。最近たくさんのサイトの更新が滞っているから、そのせいかもしれないね。」
 毎年四月が近づくと、いつも鼠の心は少しずつ落ちこんでいった。
 「多分取り残されるような気がするんだよ。その気持ちはわかるね。」
 「そう?」
 「サイトの更新が少なくなるのは、みながそれぞれの現実に戻っていっている証拠だから。戻るべきところも行くべきところもなくただ現実に対峙しないために、際限なく依存心を拡大させるこのやくたいもない電脳空間へ閉じこもって、ただ一人ほとんど毎日サイトを更新し続けることの虚しさへの気づきが、鼠を沈ませるんだろうと思うよ。」
 「そんなものかな。僕にはわからないけどね。」
 「あんたにはどこか悟ったようなところがあるよ。あんたはまだ大学生という立場をもっているからいいが、それを失ってどこにも居場所が無いような場合のことを考えてごらん。とても辛いことだと思わないかい。この国は一度ドロップアウトした人間の復帰を認めないから。前科と同じだよ。履歴書にだけ残る前科。そんな中で気持ちだけは焦ってじりじりしながら、すべての人間に唯一平等で、最初に与えられたのをすり減らすだけで補給のきかない若さを消費することの焦燥感は、焼け付くようなんじゃないだろうか。一般の人間がその若さと言う貨幣を支払って手に入れる社会的価値を、何とも交換せずにただ空費する作業、それがホームページ作成さ。どれだけ積み重ねてもどこにもたどり着かない、何を得ることもない。」
 「……。」
 「鼠はそんなことを感じてるんじゃないかな。鼠が命を張っているホームページ作成は結局のところそれだけの、現実に敗北することをその発生の当初からあらかじめ約束されている作業に過ぎないんだ。賽の河原の石つみのような。でもいまさらそれに気がついたところでやめられないのさ。拡大した電脳世界への依存心はかれにささやきかける、結局俺にはこれしか残されていないんだ、俺はこの何の役にも立たない、どこにも到達しないガラクタしか持ち物を持ってないんだってね。」
 ジェイは手にしたグラスを何度も磨きながらそう言い終えると、しばらく黙った。
 「…みんなが帰ったあともずっと公園でブランコにゆられているんだ。日が落ちて、街灯がともって、夜の風が身に冷たくても、ずっと。だって、誰も迎えにきてくれないから。俺はね、待ち続けて待ち続けて、誰かが迎えにきてくれるのをずっと待ち続けて、とうとうこんな年齢になっちまった。だから鼠の気持ちは少しはわかるのさ。あんたよりはね。」
 「ジェイ。」
 「なんだい。」
 「そのトップページの画像、いい感じだね。」
 「だろ? 昨日五時間かけて作成したんだ。会心の出来さ。」
 ジェイは本当に嬉しそうに、子どものような笑顔をみせた。