ジョン・ボイエガがBLMーーくわしくないが、ブラック・マジシャンかボーイズ・ラブ・マニアックの略称と思われるーーについて語っているインタビューを読んだ。スターウォーズ・シークエルにおける自分の扱いの悪さを人種問題の観点で批判しており、さすがに今回ばかりはデ銭を擁護する気分になった。
「オイオイ、ボイエガちゃん、フィンがああなったのは主にライアン・ジョンソンのクソ野郎の天童よしみ推しが原因で、人種問題はぜんぜん関係ないだろ! それに人種以前の話で、役者としての雰囲気や立ち居振る舞いにサミュエル・L・ジャクソンほどの魅力が無かったのが、次代のメイス・ウィンドゥになれなかった主な理由だろ! 公衆の面前で情動失禁みたいなスピーチしてるヒマがあったら、まず俳優としての未熟さを自分自身の責任と認めて、演技力の研鑽にはげめよ! なんでもかんでもスキン・カラーのせいにするから、みんなだんだんめんどくさくなって、弱い差別から強い不快に変じた感情を心の底へ沈めて、表面上は無視や無関心を装うようになるんだろ!(突如たちあがって、声音を使って小芝居を始める)」
「(気色ばんで)ええッ、日程を一日延長するだって? 会場費とか人件費とか、どうすんだよ。チケットの払い戻しも出るだろうし、運営スタッフのスケジュールだって押さえなおさなきゃならない。そもそもウチの翌日から別団体が予約いれてたはずだろ?」
「いま会長が頭下げに回ってるよ。そっちの延長分も、ウチがぜんぶ払う方向で調整するらしい」
「オイオイ、莫大な労力と費用じゃないか! もちろんアイツの事務所に請求書を送りつけるんだろうな?」
「バカ言うな。そんなことしたら差別を容認する会社として、ヤツらの標的にされちまう。安くはないカネだが、ひかえめに賛意を表明することで社会的な評判も下げずにすむ。必要な広報費用と考えるんだ」
「オレは納得いかねえよ。情緒不安定なガキの世迷言に、大の大人が右往左往させられてよ。てめえのコンディションが悪いから、状況を利用してこしゃくな時間かせぎをしてるだけなんじゃねえのか?」
「かもしれん。だが、本当のところは本人にしかわからんさ。ともかく、いまヤツらはパワーを持ってる。ヤツらの正面に立たないようにすることが肝要だ。表面だけでいいから、逆らわず同調してると思わせるんだよ」
「ファック、やりきれねえ! ヤツらがやってるのはただの不法行為じゃねえか! いつまで暴力におびえて、こんな理不尽の言いなりにならなきゃいけないんだよ!」
「すぐさ。幸い、ヤツらを駆動しているのは感情で、強い感情は対象を必要とする受け身なエネルギーだ。大事なのは、それを燃やすフュエルを与えないことさ。くれぐれも本音をネットに書いたりするなよ。そうすれば、じきにガス欠になって鎮火する。いつものようにな」
「わかったよ、オレも大人になるよ……賛意を表明するメッセージを発出して、サポートしているふりをすることが、ヤツらへの最大の仕返しってわけだな(狡猾な微笑み)」
「(笑顔でサムズアップ)いいぞ、自分たちの行動で社会が変わったと錯覚させるんだ」
『このような悪は、なくさなければなりません。私たちは、世界で長いあいだ望まれていた変化へ参画することを約束します。** **、あなたは私たちのヒーローです』
……ってなるだろ!(これ以前の文章をすべて名詞化する安易で愚劣な表現)
みんぞくがくにくわしいかしこいせいようじんのぼくがかんがえたさいきょうのいんしゅうときさい、あるいは前置きの長すぎる北欧ポルノ。キリスト教による強固な枠組みを、まったく異なる文化の価値観で揺さぶって怖がらせる、ホステル系の映画と思って大いに期待して視聴を開始しました。まず言いたいのは、緊張感の持続で恐怖を高めるホラーというジャンルに、147分の上映時間は長すぎます(聞けばディレクターズカット版はさらに30分ほど長いようで、余計なシーンや余計な長回しまみれの本編へ、さらに追加する要素があることに驚く)。最初のうちは、奈良コミューン在住なので法の埒外と理解不能性の話や、小鳥猊下という存在は正に異界の体現だ、みたいな話をしようと考えてたけど、開始1時間ぐらいでそんな気分はすっかり消え失せました。ホラーの怖さの本質って「理外にあること」だと思うんですが、本作はすべての場面が理に落ちていて、徹頭徹尾アタマ(西洋の)で作ってる感じがプンプンにおいます。そのくせ、72歳で姥捨てヘルダイブさせる共同体の大祭が90年周期だったり、ディテールたっぷりの儀式がどうやって世代を越えて継承(ヘレディタリー!)されているのか、劇中の情報だけではサッパリわかりません。ならば、そのディテールがよくてきているかと問われれば、「昨夜いたした美女が、翌朝見ると老婆でビックリ」みたいな古典のエピソードが示すように、太陽の光はあらゆるごまかしをまさに”白日の下に”さらす効果があるため、かなりポスプロで色を触ってるはずなのに、セットや小道具のテクスチャから漂ってくる作りごと感をごまかしきれていません。舞台設定にしても、昔なつかしい「人喰いクロンボ土人にさらわれる白人カップル」の逆を描くことでポリコレと新奇さを同時にクリアできると考えたのが着想の出発点ではないかと推測しますが、全体的にとても成功しているーー性交はしていましたがーーとは言えないでしょう。そうそう性交の話です! そもそも、あんな状況で男性のチンコは立ちません、それだけは確実に言えます。気の抜けた、男女の腰の動きがバラバラの(まるで挿入してないみたい!)おセッセ1回で手軽に着床できるなら、不妊治療なんてこの世に存在しないでしょう。閉じられたコミューン内での繁殖問題を真剣に扱うなら、もっと汗みずくの老若児童男女くんずほぐれつの大乱交をこそ描かなきゃダメじゃないですか! だれがだれの父親かわからないから、共同体のみんなが家族って呼びあえるんでしょ! 観客が本当に見たかったのは、大乱交・胎児を子宮からスマッシュ・アウト・ブラザーズ(ひぎぃ)でしょ! ホラ、次回作への素晴らしいアイデアの示唆にお礼は? ありあすたー(ありがとうございました)! あと、本作の白眉である「ババア介添え・だいしゅきホールド」でググッてもゼロ件でバズってる気配がないのは、直後の場面における白人男性のチンコの先端(亀頭)が赤すぎたことへの衝撃が原因ではないでしょうか。
え、だってそうでしょう? 組織名と役職名を明らかにしながら上長の許可も得ないまま業務内容に関する個人の感想を衆人環視の便所壁に書きちらすんですから! もし「ぼくたち、すごくがんばりました!」なんて言いながら納品してくる下請け業者がいれば、その場は笑顔で慇懃に対応しながら次回の契約更新は見送りますね! リーサラ・ウェポンであるッ!
遅ればせながら、話題のハーフ澤NAOKIをチラ見しておるが、みんな大好き水戸黄門フォーマットーーあちらは開始45分で印籠、こちらは開始45分で土下座ーーを踏襲した銀行歌舞伎がたいへん楽しい(家人はスッと立っていなくなるので、下品な面白さなのだろう)。感心したのはテンポの速さで、最初はまちがって総集編を再生したかと思ったぐらいである。昭和のドラマ(スクール・ウォーズ)で育った身にとっては、10話で終わりなんていうのはほとんど打ち切り(スクール・ウォーズ2)みたいな短さだ。しかしながら、ネット動画のテンポに慣らされた客層を引き戻そうとする工夫と努力には違いなく、そのネットに愛され助けられながら週刊誌フォーマットを脱却できず馬脚をあらわしたマッソー男の態度とは好対照をなしていると言えよう。そして過剰な演技と感情を抜いてみれば、あらためて我が身をふりかえっての日々の仕事の無意味さに気づかされた。世の中の文系仕事はこのドラマのようにマイナスをゼロへ戻すだけの作業に満ちあふれている。現実はもっと淡々としており、面罵も土下座もないままに人が殺されていく。さらに組織内で死んで亡霊になっていることに、当の本人さえ気づいていない場合も多い。社内調整や人間関係のバランス取りに汲々とするばかりで、多くの時間を費やしながら何のプラスも達成できない。これこそが政治を含めた本邦における文系仕事の正体であり、高度に編まれているがゆえに局所的で普遍性を持てないブルシット・ジョブの塊である。
質問:猊下はトゥー↑、トゥー↑、フォー↓(ハリソンフォードの真似で)・バケーションなのかな。
回答:いえ、ノー・バケーションでした。謎の定額制サービス「働かせホーダイ!」が適用されていますので。
例のアドバタイズ・ドラゴンやってる。現環境で支配的な要素への逆張りだけで作られた、正にキメラティック・メタ・モンスターであり、制作側の想定する手順を完璧にトレースすることでしか討伐できない。フロンティアの雷龍のときみたいに、アルコールを抜いてソロで真剣に練習を繰り返せば勝てるのだろうが、私の気持ちの大半はオススメに向いており、アイスボーンにそこまでする熱量がもうない。バカ高い体力のせいで部位破壊が異様に渋くなっており、負けると素材がほぼ手に入らないこともやる気を大きく減退させる要素だ。カンコレのゲージ破壊や新艦ディグにも感じることだが、同じ時間を使って現実で手に入るものへ思いをいたせば、この年齢になって何も手に入らないまま素材と燃料と、何より貴重な時間が完全に虚空に消滅する作業なんてやってられるか、というのが正直な気持ちである。
「アルバトリオンを倒せ」
「倒せない。引退しよう」
「ミラボレアス実装です」
「懐かしい。復帰しよう」
「アルバトリオンを倒せ」
「は?」
狭い地形に広い範囲攻撃で殺されるの納得いかない……
ねえ、みんなそんなゲームうまいの? ぼくはファミコンからずっとやってるけど、ぜんぜんうまくならないよ?
ムービーが入ったので倒したかと思ったら、「まだ2回も変身を残している」状態だったんですって。へー、すごーい、つよーい、さいきょーう(棒)。
ミラボレアスが倒せず、復帰8時間で再び引退。モンハンって昔は、ドラクエで例えると「あるていど装備を整えれば、レベル30くらいで下手でも頑張れば勝てる」みたいな調整だったのに、いまや「完璧に装備を整えたレベル99を前提として、上手ならば勝てる」みたいなゲームになってるな、と思った。
アルバトリオン、ミラボレアスと来て、私がモンハンに求めてたのって、「良質なアクション」じゃなくて「ごっこ遊び」だったんだなあって、つくづく思った。「キン消しを戦わせる小学生のような、自分が最後に勝つことを前提としたプロレス死闘ごっこ」がやりたいのに、「20分以上、一瞬も集中力を切らさず、最適な行動を選択し続けるアクションゲー」をやらされるのいらんねん。マルチプレイにしても「1人弱いヤツが混じると勝てない」のいらんねん。ゲームやねんから、弱いもんを助ける英雄ごっこをさせてえや。チームの足手まといになるのんは、リアルだけでもうじゅうぶんやねん。最近の格闘ゲームとかでもそうやけど、「素人には静止にしか見えない視線や体重移動のフェイントから、頭部への回し蹴り一発で決着」みたいの、ほんまいらんねん。そういうのは他のフィクションで摂取するから、ゲームくらいもっと雑に遊ばせてほしいねん。あと、こないだからやってる投票やけど、フォロワーの君たちに読んでもらうためにしとんちゃうねんで。君たちのフォロワーに「過去作を再発見」してもらうためにしとんねんで。投票数と同じ数のリツイートがないの、おかしいんとちゃうか? たのむで、現世利益と萌え画像をちゃんと誘導してや!
まあ、あんま知りたくないだろうけど、ここ私の日記帳なんで近況を報告するね。いろいろ文句もつけたけど、ワールドおよびアイスボーンは携帯機をかなぐり捨てたという一点において名作であると認定できるし、これが人生において最後のモンハンになる気がするので(次作がまたスitchyだかゆう小人マシンなので)、引退したとか言っておきながら、仕事が終わってからアルコール入れる前に野良ミラボレアスへ通ってんのね。これがまあ、ぜんッぜん勝てないわけ。第一形態は誰かが死んだら誰かが即リタイアして終わるし、第二形態に進んでもみんな慎重すぎて頭が壊せないまま時間切れ、そんで十回に一回ぐらい第三形態までたどりついても、強力な範囲攻撃のおかげで熱した鉄板に落とすバタのようにハンターたちが瞬時に蒸発していく(含む自分)。そんで、いま私がやってんのは一回こっきりの「特別任務」で、クリアできたらミラボレアス討伐自体が「フリークエスト」へと移行すんのね。クリアできなきゃ「特別任務」をやり続けるしかなくって、これってつまり、毒虫を共食いさせる例の儀式の壺の逆バージョンで、日を追うにつれてどんどんヘタクソで弱いヤツが濃縮してく仕組みになってんの。何度も敗退を繰り返すうち、自分が反射神経の衰えたゲーム下手の中年美少女で、フレンドもおらずギルドに入るコミュ力も無い、リアルをそのまま反映したゲームライフに涙が出てくんのよ。で、しょうがないからせめて装備だけでも作って終わろうと思うんだけど、それ以外の素材は腐るほどあるのに邪眼だけが足りない。それもそのはず、邪眼って剥ぎ取りか頭部を二段階破壊しないと手に入らない上級素材なの。でも、いっかいも討伐したことのない下級モンハンプレイヤーなのに、なんか邪眼がいっこ必要な装備を持ってんのよね。調べてみたら、ネコのぶんどりで1パーセントの確率で手に入るよって書いてある。そっから、名付けて「ぶんどリタイア」マラソンが爆誕するわけよ。「この1パーセントが引けなきゃ、オレは今まで生き残ってこれなかったろうな」っつって根こそぎフランケンごっこしながら半日ほど延々とぶんどっては帰還を繰り返すんだけど、邪眼はゼロ。それ以外の素材は腐るほどあるからぜんぶ売るんだけど、本当に欲しいものは何ひとつ手に入らないのにカネだけが増えていくわけ。技術もなく、仲間もなく、友人もおらず、ただカネだけがしんしんと積もっていくその様子はまさに己の人生を眺めているようで、急に寒くなったこととあいまって、どんどん気が沈んでいくのよ。そんな虚無マラソンの傍らで、ネットフリックスの「ラストダンス」全話を視聴できたことだけが、きょう唯一の収穫でした。もしかして「デカスロン」の、のちに大統領になる黒人選手の人物造詣って、マイケル・ジョーダンを下敷きにしていたのかな、と思いました。モンハンきらい。
邪眼マラソンの末、一匹もミラボレアスを倒していないにも関わらず、ドラゴン大剣装備が完成した。これがまー、アホみたいにつよい。アルコールを入れながら雑にプレイしても(歴戦王でさえ!)ほとんど死ぬことがなくなり、まさに求めていた理想のモンハンが実現したのであった。このまま終わるのも癪なので、毎日数回ミラボレアスに通ってる。きょうは英雄の証が流れるまで追いこんだが、圧倒的な存在感を示す太刀がひとりで4乙してクエスト失敗となった。ほんとクリアできんの、コレ?
あと、ミラボレアスの直下ブレスと「あれもモンスターである以上」という台詞にすごくシン・ゴジラみを感じる。
ミラボレアスたおせた!
ミラボレアスのアホいてこまして、よっしゃ、ぜんぶの武器つかえるようにしたろゆうてドラゴン装備で防具くみはじめんねんけど、ずっとサボっとったからタマがぜんぜん足らんねん。んで、イベクエながめとったら、滅日あるやん。歴戦テオたおすヤツやねんけど、オスやからか知らんけど、封じられたタマ、確定でみっつも落とすねん(モンスターやし、キンタマみっつついとんかもしらんな)。アマプラでダイ大ながしながら滅日マラソンすんねんけど、声優はんがエエ声でカタカナ2文字に気持ちこめて「ギラ!」とか「イオ!」とかしゃべんの聞いてたら、だんだん恥ずかしゅうなってきて、顔があつなってくんねん。そしたら、うしろから音もたてんとしのびよってきたジャリが首かしげて、「おとうちゃん、こんなんすきなん? きめつみいひんのん?」とかきいてくんのに、「ち、ちげーし! ジャンプ連載時はもっとおもしろかったし! ちんぽデルパ!」とか大声でどなって泣かしてもうたり、もう最悪やねん。まあ、ジャリのくだりは妄想やねんけどね。歴戦テオ周回しまくってて思ったんやけど、いまはやりのキツメのおめこ?のゲーム化は、なんや格ゲーになりそうな気ぃすんねんけど、上弦とのバトルとかモンハンのシステムでワチャワチャやるんがしっくりくるんとちゃうかな。知らんけど。
そういや特別任務のアルバトリオンたおしてへんわってなって(なって、やて。サブイボたったわ)、ミラボレアスのアホいてこましたあとやからかもしらんけど、装備もものごっつうつよなってるし、ぜんぜんたいしたことあらへんなゆうてヘラヘラ戦っとったら、属性DPSチェック3回もやりよんねんな。野良パーティでノーミスやったのに、3回目のフィールド攻撃でみんなまとめていんでもたわ。モドリ玉もつかわれへんし、フィールドひろうて壁ドンもなかなかでけへんし、なんや難易度の上げ方がごっつゲーム的やねん。環境を利用した本格狩猟アクションみたくはじまったワールドやのに、アイスボーンの最後はどいつもこいつもイー・スポーツやねん。ホンマはらたつわ。
それと、ちんぽやらおめこやら、かんとの上品な方々にはエゲツない言い方して、えろうすんませんでしたな。かんにんやで、知らんけど。おあいては、しおみまこ、まこまこでしたぁ……ってだれやねん! いま完璧に脳内でセリフが再生されたで、こわっ!
*これより、キツメの関西弁による映画感想が出ます。関東地区に在住の方は、一時的なミュートを推奨します。
キツメのおめこ、オードムーゲ花電車みてきたで! アイマックスのダボに2400円もはろたったわ! なんやて、ファーストデーやらレディースデーつこたら、その半額で見れますよ、やて? アホか、そんな日に映画館いったら、ジャリを病院にもいかされへんセイホのビンボウ人まみれで、地元のコーリツで濃ゆうなったバイキンもらうかもしれへんやんけ! あんたもええかげんええ年やねんから、キチッとカネはらうとこははろて、客の民度をスクリーニングせなあかんで! せやけどな、アニメのアイマックスはただただ音を大きゅうするだけの調整やから、絵ぇはきれえやけどセリフは聞き取りにくいし、耳はごっつう痛なんねんけどな! んで、キツメのおめこの感想やけど、こら映画ゆうよりは長めのアニメやね。映画ゆうんは言葉にでけへん気持ちをあらわす芸術や言いますけど、この長めのアニメは気持ちだけやのうて何が起こってるかもなんもかも、ぜえんぶ言葉で説明してまうねん。ふつう映画ゆうたら長めの尺つこて、間ァやら表情やらで見るがわにいろいろ想像する余地がありますやろ? ふつう映画ゆうたら見るがわの人生経験とか上乗せできるもんやねんけど、それがぜえんぶないねん。でもそのおかげでハナたれのジャリから大卒のカシコから豹ガラのオバハンからボケたジイさんまで、100パーおなじレベルではなしが理解できるようになっとるのもたしかやねんな。もしかしたら大ヒットのヒミツはここにあるのかもしらへんな、知らんけど。ぜんぶ言葉で説明すんのんで思わずわろてもうたんは、大マジメの場面やのに、なんや「俺の右腕がお前のみぞおちを貫通しているんだぞ」みたいなセリフをエエ声で聞かされたとこやな。「え、そこ声に出して説明する必要ある?」みたいな? よっしゃ、こんどキツメ・ファンのおなごとおめこするときは、「ワイのちんぽがキミのおめこを貫通してるんやで!」って目ェみて言うたろ(最低やね)! あと、いっちゃん感心したんは、原作8巻のバトルが作品テーマなんをこれやゆうて見ぬいて、26話のテレビアニメから長編劇場版へとつながるよう構成した制作会社の、マンガを読む力の確かさやね。ワイがキツメのおめこを読みだしたんは18巻やら19巻やらが出てたころあいやったけど、こうやってアニメとして見せられてはじめて、「おお、たしかにこのバトルが作品テーマやないけ」と気づかされた次第ですわ。レンゴクはんゆうええキャラを「サメに食われて左腕がのうなりました」みたく中途半端にせんと、キッチリ殺して退場させたんもポイント高いし、作品テーマの説得力につながっとる。
それとちょっと思うんは、栗本薫が生きとったらこの大ブームにどんないっちょかみしたかってことやね。女史の漫画の感想でいっちゃん好きなんは、閉鎖的な文壇をディスる流れで「幽遊白書を10巻まで読んだら続きが気になって、風邪ぎみだったけど思わず残りの9巻を買いに走った。おまえら文学にはこの情熱をかきたてるドラマツルギーがないから全然ダメ」というムチャぶりやね。たしか10巻の最後は幻海が戸愚呂弟に殺されるとこでヒキになってて、これぞ「死せる幻海、生ける薫を走らす」やねってキミ、やかましいわ。
話もどすけど、「ホニャララできるようになるから、永遠に鬼として共に生きよう」ってカヲル君のエエ声で誘われたら正直ワイ、ことわれる自信ぜんぜんないわ。
「貴様の小説を商業ベースに乗せてやるから、永遠に鬼として共に生きよう」
「えろうすんませんな、あんじょうよろしゅうお願いします」
ワイのフォローがかたよっとんのかしらんけど、センセイがたはほんまケンカが好きでんな。でもな、ウチら庶民がほしいんは、ええアタマつこた「ぶちのめし」やのうて「よりそい」やねん。「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」ゆう川柳があるけど、カシコのセンセイがたはウチらのこのツッパリの裏にある気おくれや劣等感を見すかして、じぶんからよりそったらなアカンと思うねんな。「センセ、そろそろガッコひらいてくれへんやろか。ウチの娘、なんやうつ病みたいになってもて、まいにちパソコン見ながら部屋で泣いてまんねん。それ見とったら、なんやじぶんのことみたいに苦しゅうて」「この流行拡大期に馬鹿を言いなさんな。それに、この論文を読めばオンラインの学習でも十分に効果があることがわかります。少しは勉強してから口を開きなさい」みたいなやりとり、ハタで見ててもつらいねん。一日中ドカチンして帰ってきてヨメはんのグチ聞きながら安酒あおってブッたおれるように眠る毎日で、雨ふって休みなったらなったでカネの不安で頭いっぱいやし、いつどこでどうやって腰すえて勉強しまんのん。勉強でけへんウチらの代わりに、カネもろて勉強してくれてんのがセンセイとちゃうのん。政治家のセンセイや大学のセンセイはカネと力があるんやから、庶民のツッパリをぶちのめさんとよりそったってほしいねん。え、さっきのやりとりロジハラいいまんのん? 診断書もって出るとこ出たら勝てまっせ、やて? ちゃうねん、それもいらんねん、よけいなお世話や! センセイたちはたしかにちゃんとやっとらはる思うけど、「ボクたちはちゃんとやってます」って泣いてる娘にオンラインで言わんとってほしいだけやねん。「つらいねえ」ってゆうてくれたら、それでええねん。だれもセンセイのこと責めてへんねん。ウチらアホやから苦しゅうて、もしかしたらぎょうさん勉強してはるセンセイが楽になる方法しってはるかもって、たよりにいってるだけやねん。ウチらアホやから言葉きついかもしらんけど、そうゆうときにはぶちのめさんとよりそったってほしいねん。大学のセンセイや政治家のセンセイにいっちゃん大事なんはそれやと思うし、それしかあらへんと思うで。ホラあれや、「のぶれす・おぶりーじゅ」ゆうヤツや、知らんけど。近ごろはなんや、大学のセンセイや政治家のセンセイにいけすかんのおおて、テレビで見かけたら我慢でけんとサブイボたってすぐスイッチ切ってまうわ。ウチらけっきょく、いつの時代も浪花節やねん。義理と人情でホロリとさせんの、バカにしとったら足もとすくわれまっせ、センセ。ああ、また言わんでもええことゆうてもたわ。でもしゃあないですやん、センセかしこいから、ほっといたら「77億人に77億個の病名を付けることが、多様性のゴールです」とかマジで言いだしそうやからなあ。ほんま、たのんまっせ!
ノトーの運営がまたぞろルンペンの記事でフレイミングしておるようだが、「スマホでnWo!」は過去サイトと比べても相当に読みやすく、提供されているフォーマットには感謝しきりである。そして、通勤や出張の合間にどこへも届かなかった作品をノトー上で読み返すことは、うらさびしくも楽しい時間だ。
さて、自己選択的ルンペンなる概念については、特にロスジェネ世代が過敏に反応しているように見受ける。それは戦場の如き歳月ーー才覚と努力だけでは、生き残るのに充分ではない苛烈な環境ーーを過ごした経験から、いま現在の立ち場がいかほどであろうと、我々全員の社会的自認が「特別に運の良かったルンペン」にとどまるからだろう。私は生き残った方のルンペンだが、私の額をねらって放たれたはずの弾丸が逸れ、周囲の同胞を殺し貫くのを何度も何度も見てきた。なぜ私が死ななかったかを説明するのに、自身の能力を挙げることだけは絶対にないと言える。つまり私が生き残った理由は、運が良かったか、神に選ばれているかのいずれかというわけだ。小鳥猊下なるを構成する卑屈と諦念と高慢と自己愛は、まさにこういった時代背景によって形作られてきたのである。ゆえに、ちんぽおめこを連呼する躁の汚濁と、少女保護特区の終幕のような鬱の清浄は、私の中でまったく矛盾しておらず、両者は常に行き来する場所なのである。
先日、移動の合間を使って5年ぶりぐらいにMMGF!を読了した。巧拙はおくとして、書かれている中身のあまりの偽りのなさに涙がこぼれた。同時に、これを繰り返せば技術の向上は見込めるのだろうが、この内容でダメだったなら私が私である限りは、もう何をどうやっても仕方がないとも感じた。高慢と自己愛から転落したその卑屈と諦念は、アイドルとセックスワーカーの隣接にも似ており、現代的な病理の形象化がすなわちキング・ルンペン・小鳥猊下の正体なのだろう。
いやー、ルンペンに言及した文章だけでなく、こんなルンペンが書いた文章まで分けへだてなく掲載してくれて、ありがとう! ひと昔前なら、駅や公園の便所壁に記述するしかなかったわけだから! 弥栄、弥栄、ノトー運営の未来に栄えあれ!
エオルゼアで不健康に麻雀しかしていない自キャラを不憫に思い、薄目で少しだけメインストーリーを進めてみる。面白くないこともないが、親を間接的に殺した相手にサービスを受けている居心地の悪さが常につきまとう。FF14のための実験と称してFF11にアイテムレベルを導入した狼藉は、試みに足の悪い老人の秘孔を突いて殺しかけるレベルだったし、FF11のデザインを剽窃した種族や敵キャラを目にすれば、愛する人の生皮を剥いでかぶった猟奇殺人者を想起してしまう。ふりかえれば、FFシリーズの中で12と14だけが他の作品たちと地続きになっていないように思う。前者は想像力のオリジナリティ、後者は想像力のプレイジャリズムによってそれぞれ特異な存在となっているのだ。ともあれ、若干の紆余曲折を経て、再び私のエオルゼアは雀荘サイズへと戻ったのであった。HAPPY END!
なに、今日はプレステ5の発売日だったというのか! もはや私は次世代ゲーム機(死語)に対して、ドライブがてら近所の電気屋を10軒ほど回るぐらいの関心しか示せない。でも途中、「本日はフリーでの販売はありません」という貼り紙を見かけ、キショクマンメン・ステイトで「オーッ、オフコースお金は払いマスネー! ハウマッチ・シュッド・アイ・ペイ?」っつったら、「ハア?」って顔してミーに恥をかかせた店員は殺します。誤解が無いように付け加えますと、有機物が無機物に変じる瞬間へ責任を持つという意味で「殺す」と言いました。って、その一連のムーブ、かなりプレステ5に執着ありますやん! 関西弁をやめると言ったそばから流暢なネイティブ発音が出て申し訳ないが、たとえ買えたところで遊びたいソフトが一本もない。ってそれ、ただのすっぱいブドウですやん! 数週間の加療を要する言語障害で申し訳ないが、プレステ5専売であるFF16が発売されたらプレイしてやらないこともない(えらそう)。
FF14にも感じたことだが、この制作者はとにかくネーミングのセンスがひどい。ヴァリスゼアって名詞を見た瞬間、のけぞりながら「だっせー!」と叫び、叫んだ余勢をかって思わず後方宙返りしてしまうほどダサい。「よし、英語で悪徳を示すヴァイスを使ってヴァイスゼア……は直接的すぎるな。い行で考えてみるか。い、き、し、ち、に……ヴァリス、これだ! なぜかわからないが夢幻の戦士みたいなイメージもあるし、ファイファンの世界観にぴったりじゃないか! (己をかき抱きながら)おお、我がエオルゼアの表裏となる背徳の地、其方の名はヴァリスゼア……!!」とかなんとか言いながらモニターの前で失禁してそうだ。おいコラ、地名ってのはてめえの自意識から出てくるもんじゃねーんだよ、多くの人たちが暮らす歴史から出てくるもんなんだよ! なに、シリコンバレーのネーミング方式にならいました、だと? バカモノ、あれはもともとサンタクララバレーだろうが! この西洋かぶれのキラキラネーム野郎め、蛇落地悪谷さんを見習いやがれ! FF11の制作者が「三日三晩考えて、ヴァナディールという単語がひらめいたときは、これで勝ったと思いました」っていうような確かなものづくりの感覚が、なぜ組織文化として根付いてねーんだよ! 意識高い系の自称カリスマばっか軟便みたいに輩出しやがって、ぶちころがすぞ! 思わず激してしまい申し訳なかったが、これは結局のところクリエイティブの真の上澄みは個人の才能からしか発せず、組織に接ぎ木できないことの証左かも知れぬ。
関心を得るためだけにまた意図的に鬼滅方向へ脱線していきたいが、あのさー、鬼滅の刃のユニークさは固有名詞の発想にもあると思うんだよね。パッと見、キャラの特徴を中二病的感性でムリヤリ漢字に押し込めただけで、鬼舞辻無惨とか最初は「なんじゃそりゃ」って思ったけど、ケンケンフクヨーするうちスルメみたいに味が出てくる。これはやはり、作者の人格に強く紐づいた言語センスとしか言いようがないと思うゼア。ちなみに、私のオススメのゼアはボブ・ディランの伝記的映画「アイム・ノット・ゼア」である。諸君のオススメのゼアもぜひ教えて欲しいゼア。
タイムラインにて「FF14はストーリーが良い」とのツイートを見かけ、「ほんとにござるかぁ?」などと疑いつつも、ときどき雀荘から出てメインシナリオをぼつぼつ進めていたが、テレポで移動してはフラグを立てるだけのおつかいが続くばかりで、いっこうに面白くならない。たまにさしはさまれるオートリーダーのダンジョンも、前衛なので近いカメラに山盛りのエフェクトで何が起こっているのかわからないまま終わる。ここ一週間での進展はと言えば、麻雀で卓を囲むときに”LIGHT PARTY”と表示されるのどういう意味かなー、光のパーティって意味かなー、とか思ってたら、”FULL PARTY”に対する”LIGHT”なのがようやくわかったぐらいだ。
そんで今日、帝国軍(笑)のアルテマウェポンを倒すのを目的としたラスダンと思しき場所へ突入することになったわけ。けっこうな頻度で音声つきのイベントシーンが始まるんだけど、なぜかスキップできないの。奇矯な語彙のヘンな文章をいい声で朗読されるのに精神的ダメージを受けつつも、フルパーティのエフェクトまみれでむりくり進行していくわけ。敵方の最重要人物たちがわざわざ手の届く範囲へ親切にも姿を現してーー現実のボスは決して姿を現さないまま、ダメージかどうかもわからない遠隔攻撃をこっそり重ねてきてて、気づいたときには削り殺されてるーーくれて、よくそれで重要な役職につけたなとびっくりするような精神病とまごうごたくばっか並べてくんだけど、結局ぜんぶ暴力で解決するのはJRPGの悪い部分を濃縮しててすごい笑える。あと、なぐりたおされたボスが「それだけの力があるのに、なぜ俺の考えがわからない」とかアホ言ってくんだけど、黒人のヘビー級チャンピオンにアジア人の独裁国家元首が「すごいボクシングが強いくせに、なぜ共産主義思想を理解できないんですかあ!」とか言うみたいな滑稽さだなあ、と思った。
じつは裏でプロメアっていう劇場アニメーーポップな色調で線が少なく動きが激しいグレンラガンみたいなヤツーーをアマプラで流しながらプレイしてたんだけどーーどっちもガワは新しいのに語られる内容は昭和みたいな野暮ったさで、両作品から音声を伴って流れてくる負の相乗効果により、ひさしぶりにいい年をしておたくを止められないことを恥じいる例の鬱々とした気分にさせられました。
そうこうするうちにエンドロールが始まって、なんか各国首脳(笑)の演説が始まるんだけど、どれも小学校の校長が児童に語るみたいな中身なのね。ゲンナリしてそれを聞きながら、声優とかアナウンサーとか話業の人をあらためて尊敬する気持ちになりました。どんなにつたなく破綻したスクリプトでも、成立しているように演じてみせるんだから! 結局、FF14のストーリーの良さはわからないままでした、すいません。
オススメされたストーリーを読むためにFF14のプレイを続けているが、どうもすべてのストーリーが縦方向へリニアーにつながっていて、FF11とは異なり順にすべてのシナリオを消化していかないとエキスパンションにはたどりつかないらしく、くだらないおつかいをテレポで消化するのが苦痛でしょうがない。戦闘システムも理解できてきて、最後にはレベル99のキャラでスキルの時間管理をしながら正しい順でボタンを上手に押す作業になることがぼんやりと見えてきた。まあ、モンハンワールドの極ベヒーモス戦コラボでなんとなくわかってたけど、突きつめていくとFF11とはまったく方向性の違うアクションゲーになっていき、RPGをプレイしたい気分には合わないなーと思っていた矢先でした、その事件が起こったのは。
何の脈絡もないまま突然、死に化粧みたいなテクスチャの顔面でカタパルトみたいなパイオツをピンクのブラジャーで包んだオールウェイズ腹まるだしの痴女が焦点の無い目で「じゃあ、今日はエーテルの説明するね!」とか言いながら豪華なパワポみたいなの使って得意げにプレゼンをはじめんの。そしたら、疑問も葛藤もないペラッペラの死生観が失禁みたく垂れ流されるわけ。輪廻転生の孫引きのガイア理論のひ孫引きのヒゲの御大によるライフストリーム理論から玄孫引きして、おまけに何の内省も無いまま前頭葉だけで思考してるもんだから、「死んだらエーテルに回収されて、また生まれ変わるんだよ!」とかいう文字列がこれ以上でもこれ以下でもない100%の生命の解釈なのよ。つまり、FF14世界での生死にまつわる「観」じゃなくて「実相」がこれなの。この制作者にかかったら真言密教なんかも秒で理解されて、「つまりそれは現代的な価値観でアップデートするとこういうことですね」とか齢百歳の高僧に向かって前頭葉の要約を軟便みたく垂れ流し、己の軽薄と侮辱に気づきもせず同じ晩には夜の街にくりだして、その日にあったことすべてを忘れてそうだ。”Another Time, Another Place”、いま現在の地球ではないという意味での異世界(最近ではこの単語もペラくなってて、視界に入ると目をそむけちゃう)を創出するのにもっとも重要なのは、どういう死生観を持った人々が生活しているのかという想像力だと思うんです。当然、国や民族や住む場所によってそれは違ってくるでしょう。エオルゼアって、白人とインディアンがLEDライトの下で同じ死を死ぬ世界なんですよ。このエーテルに関する豪華なパワポによるプレゼンーー声つきの演技がまた得々としてやがんだーーを聞いて、こんなクソみたいなペカペカの死を迎える世界に、大切な自キャラを置いておけんわとなって(と、なって!)、鬼畜米英が目前に迫る防空壕の母親の気持ちで、衝動的にキャラデリしちゃいました!
エヘヘ、ゲイカジョーク! 麻雀をする場所を失ったことだけが心残りなので、だれか無料で麻雀ができるアプリなんか教えてほしいナー?
ダイの大冒険、世代なので遅ればせにアマプラで第1話見る。大事MANブラザーズバンドを彷彿とさせる語呂あわせクソ・リリックのオープニングに心をくじかれ、開始30秒で視聴を止めようかと思ったが、なんとか本編へたどりつく。感想としては、かつてのファンだったオッサン・オバハンがリアルタイムでエス・エヌ・エスをやりながら同窓会的に見る方法以外では、楽しめない作品になっています。わざとかもしれませんけど、台詞運びや場面の切り替えやアクションのテンポ感がすごくスローリーで、昭和生まれには懐かしいのかもしれませんが、ウェブ動画に慣れた最近の子どもたちは生理的にじれったくて見ていられないでしょう。青少年向けアニメなのに、ターゲットはオッサン・オバハンという歪さに、制作側も感覚のアップデートされていないオッサン・オバハンなんだろうなという暗澹たる気持ちにさせられました。本作は毎年のように新作が発売されるドラクエ全盛期に連載を開始し、ドラクエの販促という鬼子的出自をふりきってはるかな高みへと飛翔したからこそ、当時の少年少女たちに長く記憶される名作となったのだと思います。個人的には、ダイの大冒険あたりから「たたかう」「じゅもん」だけだったドラクエ世界に「とくぎ」として「なんとかスラッシュ」などの剣技が逆輸入され、転職システムの変更と相まって最終的に全てのキャラが没個性なカンストへゴールするゲームへと変じて、やや魅力を減じてしまったと感じています。
閑話休題。本作は当時の文化と社会の状況こみで体験してこその作品だと思うので、若い世代から新規のファンを取りこむのは(テンポの件も相まって)厳しいのではないでしょうか。以前にも言いましたが、猫型ロボットとかゴム人間とかポケット内の怪物などの長寿作品群は、いまやオッサン・オバハンがおのれの少年時代に体験した感動を後からやってきた小さい人々へ、同時代性抜きに押しつける側面が強くなりすぎています。文学はいちど誰かに語られれば語りなおす必要のないテーマが描かれ、ジュブナイルは同じテーマを新たな世代が何度も語りなおす性質の作品群だと指摘したことがあります。この意味で、少し前の妖怪ウォッチとか、最近の鬼滅の刃は正しくジュブナイルですし、特に後者は子どもが子どもを、少年が少年を失う前に語り終えられたという事実から、彼らにとって大切な心の場所に長く留まり続けることでしょう。
さて、ドラクエ派生作品の話をしてもオッサン・オバハンにしか通じませんので、最後に鬼滅の刃について話を移して終わります。鬼滅の刃の特徴って、少女漫画的な「詩情」だと思うんですよね。特に女性の中で理想化された、肉から離れた男性の詩情を感じます(女性の描き方は肉そのもので非常に生々しいのに)。その一方でアクション漫画としては、キャラと背景と技のエフェクトが同じ調子で描いてあって、大ゴマを1枚絵としてじっくり眺めないと何が起こっているかわかりづらく、読むのに時間がかかる。その弱点の理想的な補完がアニメ化によって行われ、物語の持つポテンシャルが最大化されたことで、一個の作品として完成することができたのだと思います。覚えておきたいのは、この作品は大人を楽しませる力を持っていますが、本質的にはいまを生きる子どもたちのものであり、テリーやエス・エヌ・エスで騒ぎ立てるオッサン・オバハンのものではないということです。今あふれているように見えるこの作品に向けた言説は、私のものも含めて、すべてオッサン・オバハンのウエメセ感想に過ぎません。未だ一語たりとも、子どもたちの心以外のどこにも、この作品の本当の感想は書かれていないのです(言語によって矮小化される前の世界理解に彼らはいるからです)。これから十年をかけて、いまの少年少女たちがどう鬼滅の刃を受け止めたかが明らかになってくるでしょう。私は、それを見るのを楽しみにしています。