猫を起こさないように
日: <span>2020年1月5日</span>
日: 2020年1月5日

雑文「ウガニクとの邂逅、あるいは『平成最後のテキストサイト100人オフ』について」

 マジでウガニクくるの? マジか! 秒でエントリーした。ちなみに、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」での言及は、『日記・テキストサイト「猫を起こさないように(nWo)」開設。「虚構日記」はどう読まれるべきか。』でした。

 エイジ・ワン・カンパニーのミドル・マネジャーたる小生にとって、ちょうど象牙の社印をモンハンの如くストンプするビジー・シーズンにさしかかる頃であり、参加についてはクリアすべきビッグ・ハードルを残しているッ! がんばる。あと、萌え画像な。な?

 テキストサイト100人オフより、ほうほうの体で帰寧。生ウガニクと20年越しの邂逅を果たしたことを、まずはお伝えしておきます。

 @uganik ウ○○○先輩、土曜日はお疲れさまでした。いまは20年越しの憑き物が落ちたような、晴れ晴れとした気分です。それにつけても、○ガ○○先輩をさしおいてブシドーソウル?みたいな新参者の先行者にマイクを渡す行為は許せませんね! 思い出すだけで、猊下の怒りは有頂天です!

 @uganik そのこじらせた自意識、さすがです、○○○ク先輩! テキストサイト100人オフ、不敬な輩に対する「あとで呪殺リスト」は私もつけてました。もっとも、99人を越えたあたりで数えるのを止めましたがね……これはもう、オフレポをも辞さずでしょうか……

 質問:小鳥猊下のオフレポマダー!(チンチン

 回答:バカモノ! 欠けた茶碗を箸で叩く、もしくは下半身を露出するでないわ! オフレポはぼつぼつ書き進めており、すでに一万字を越えているが、少しも終わる気配がない。それもこれも、怒りのフラッシュバックで執筆中に高級万年筆の先端を圧し潰してしまうからだ。年内の上梓を目処とするがよい。

 小鳥猊下を名乗っていたサイト運営者だが、リアルイベントに参加すると眉目秀麗な容姿のせいだろうか、こういったプチ・ストーカーを招き入れてしまうからイヤなんだ。ああ、オフレポ? ドカチン・ワークの合間に毎日ポツポツと書き進め、ようよう二万五千字を越えたところだ。この感じだとおそらく三万字前後に収まるが、公開する場所もないし、公開したところで百人マイナス一人の敵を作るだけだろう。結局、自分がいちばん面白がるだけのテキストを公開したところで、だれも幸せにはならない。だが今、テキストサイトの更新を書いている実感だけはある。なぜそれをわざわざ公開するのかと問われれば、虚構日記だからとしか答えようがない。

 世界よ、これがオフレポだ。 #テキストサイト100人オフ

 ――ついに、nWoからテキストサイト100人オフ会のレポートが上梓されましたね。まさか旧サイトを復活させての公開とは思いもよりませんでした。

 ははは、本当は書くつもりは少しもなかったんだ。だが、参加者たちのレポートを読むうち、気の抜けたジジイのファックみたいな中身ばかりで、むらむらっときてね。イベント中心のなれあいじゃない、お前らにテキストで殴りあう昔ながらの、本物のオフレポを見せてやるぞって気持ちになったんだ。

 ――それにしても長いレポートです。文中リンクも異常に多い。

  さっき文字カウントしたら、32,000字を越えていたね。実のところ、あと20,000字くらいは密度をそのままに増やせるんだ。けれど更新を行うときの常で、書いていないときも脳のリソースの30%くらいがそれに占有された状態になる。いい加減、日々のドカチン・ワークに影響があるので、このあたりで見切った格好だ。数えてみたら、文中リンクも500箇所以上あった。

 ――少し多すぎませんか。

 オフレポは文中リンク多めで、とあったからね(笑)。あと、私のような古株と最近ネットを使い始めた連中とでは、色々な情報に対する前提条件が異なっている。その差異を是正する意味もあった。

 ――具体的には。 

 同じ単語でも辞書的な定義と、経験により獲得した意味への質感は違うということだ。

 ――難しいですね。 

 例えば、セックスという言葉ひとつとっても、君には同性とのアナルセックスだし、ぼくにとっては山羊との獣姦だろう。

 ――なるほど、猊下の感じる語彙への質感を、文中リンクを多用することで共有したかったと。

  その通り。あと、個人的に田中康夫フォロワーなので、「なんクリ」を現代的な手法で再構築したい気持ちもあった。

 ――ああ、芥川賞候補にもなった「なんとなく、クリトリス」ですね。

  クリスタル。クリスタルな。

 ――それにしても、物議をかもしそうな内容です。 

 文句があるなら、オフレポで殴りかえせばいいのさ。それが昔ながらの、テキストサイトの流儀ってやつだろ? もっとも、40字くらいじゃ皮一枚、傷つけられないだろうけどね(笑)。だが、九十九式の宮本には期待している。オフ会の直後、レポートを1,000字書いたがまだ公開しないとわざわざ宣言するような、昔気質のサイト運営者だ。もしかすると、彼なら私に敗北を教えてくれるかもしれない。敗北を知りたい。

 ――怒る人も出ませんか。

  むしろ、だれかが怒れば上出来なのさ。今後は、このオフレポに対する参加者の反応を注視したい。リツイート、いいね!、@ツイート、トゥゲッターへの追加、それらがこれまでと同じ温度とジャッジで行われるのか、それとも完全に黙殺されるのか。二十年間の経験から言えば三つのうち、最後のものが最も可能性としては高いだろうね。まあ、なんにしても一度は閉鎖したサイト、気楽なものさ。全部また、消せばいい。

 ――それにしてもウガニクです。本当に大丈夫なんですか? 許可とってるの?

  ははは、それこそ余計な心配というものだよ!  ウガニクは私だし、私はウガニクだ。ホラ、こうしてインタビューを受けている瞬間にも、君の後ろの本棚と壁の隙間から拳をふり上げて、私を鼓舞してくれている。「おい、小鳥! いいのか、こんなオフレポで大丈夫か? 俺ならもっと、歯向かう気持ちも失せるぐらいに、徹底的にブチ転がすぜ!」ってね!

 ――ありがとうございました。 (企画・制作:nWoエンタープライズ)

 おい、お前ら! あれだけキャッキャウフフ・ステイトで盛り上がってたのに、急にシーンとなるなよ! 俺が全裸で舞台にとびでた瞬間、毎回真顔でシーンとなるのやめろよ! 市井の小鳥猊下であるッ! 毎晩、酒飲みながら読み返して、ゲラゲラ・ステイトで大爆笑してるのに、「復活させてのレポートありがとうございます」やら「久しぶりに猊下の文が読めて良かったです」やら、無表情で話しかけてくるのやめろよ! 自分の同人誌を読み返すときもクライマックスでは毎回、オイオイ・ステイトで号泣するくらいなのに、なんでお前らは俺の文章を読みながら常に無感動でいられるんだよ! 綾波レイかよ! むしろ怖いわ! (入道雲パーマが両手を口元に当てて)一般人との感じ方のズレが、いまのコリツ・ステイトを作り出していることに少しも気づかないなんて……!! あと、オフレポを読み返すたびに文中リンク追加してて、私的リンク集みたいになってきました。リンク集と言えば、「日曜日には僕は行かない」も地味に改変してるので、貴様らもシミジミ・ステイトで懐古するがいいです。

 質問:オフレポ読みましたけど、ぜんぶ本当にあったことなんですか?

 回答:実際にあったかどうかは、全く問題ではありません。歴史とは、ある事象に関与した当事者がすべていなくなったあと、残されたモノから当事者以外のだれかが推測する何かのことです。小鳥猊下およびウガニク周辺に関するまともなオフレポが存在しない以上、これはやがて「事実になる」のです。

 「テキストサイト100人オフ」のオフレポ公開からちょうど一週間が経過したので、状況を振り返ってみようと思う。

  リツイート:2/88 いいね!:3/88  @ツイート:0/88  トゥゲッター追加:yes

 分母の88とは参加総数であり、実際の参加者以外から寄せられた反応はカウントしていない。ちなみにリツイートした2名は、直接に名指しをした九十九式の宮本と、私に性的魅力を感じているだろう兄貴の館の兄貴だった。私のオフレポより、体裁も文章も中身もはるかに充分ではないものが、より多くの反応を得ているこの不可解な現状をどう解釈するべきだろうか。私は長くテキストサイト系とは、文字通りテキストのクオリティがすべてを決するグループだと考えてきた。アクセス数(今ならフォロワー数)に判断を左右されず、だれが書いたものであろうと、そのテキストが良いものなら手放しの賞賛を惜しまない。管理人が持つテキスト審美眼への絶対的な信頼が、このグループをかたち作っているのだと。

 しかし、今回の結果が明らかにしたのは、当該の人物と過去に面識があったかどうか、そして実際のイベント等を共にしたかどうかが、テキストそのもののクオリティに優越するという動かしがたい事実である。マナコをクリックするとなまこのウィキが表示されたり、「なんでも言うこと聞きマス」に傑作ミュージカルナンバー“I can change”がリンクされていたり、まさにこれは、爆笑と感嘆のメリーゴーランドやないかー! 目の前にある至高のテキストに言及もせず、「ホニャララさんがつぶやいてたお店に来ちゃいましたー」とか、もう見てらんない。おまえらアホかと。馬鹿かと。テキストサイトってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。

 すなわち、今回行われたのは「テキストサイト100人オフ」ではなく、「リアルイベント出会い系100人オフ」であったことが確定的に明らかとなった。この「リアルイベント出会い系100人オフ」について、私からもう積極的には触れるまい。なぜなら、現存する最後のテキストサイト系管理者である私がこれ以上、より低いものへ対等にとりあえば、ウガニクを始祖ジュラとした過去の英霊たちの名へ、泥を塗ることになるからである。

 @uganik オフレポを通じてパイセンの権威と威光を再びインターネットに蘇らせようとしましたが、どうやら力およばなかったようです。すいません……

 小鳥猊下が現存する最後のテキストサイト系管理人であるという主張に対して、あなたは賛同しますか?(企画・制作 nWoエンタープライズ)

映画「運び屋」感想

 ニガー、ニグロ、ホワイトワールド、前回出演のグラン・トリノから変わらぬ差別用語連発のキャラづけで、他の俳優だったら問題だけど、クリント・イーストウッドに言わせるならしゃーねーなー、という周辺の雰囲気をひしひしと感じる。そしてこの映画は、トラヌプ支持層のプア・ホワイト・オールドたちが抱える、現代アメリカへの不満を慰撫するためだけに作られた物語である……とばかりは、今回は言えなかった。

 話は変わるが、この年末年始に多くのフォロワーを抱えるひとりの若いおたくに興味を持ち、こっそりとフォローした。片親に絶縁された天涯孤独の身で、自らの半生をあるときは自虐的に、あるときは狂騒的にネットへと記述する様に、かつての自分を重ねる部分もあったのかもしれない。己が精神の抱える一種の陥穽に気づいてはいるが、おたくであることを止めてしまえば、だれも捨てられたがゆえの尽きせぬ承認欲求を満たしてはくれず、何よりその芸へのおひねりがなければ食っていくことはできない。

 結局のところ、彼が苦悩する彼にとって唯一の問題も、私たち現代の棄民・ロスジェネ世代が抱える問題も、そしてアメリカの貧乏白人が抱える問題も、潤沢なカネを与えられさえすれば、すべてきれいさっぱりと解消してしまうのだ。苦悩にも、それへの救済にさえ、何の精神性も必要としないーーこの究極的な尊厳の欠落こそが、資本主義という名づけの収奪システムが体現する真の悪徳なのだ。

 「先生、銭のないところに平和はないズラ!! 銭のないところに愛もないズラ!! 銭のないところに教育も宗教もないズラ!! 銭のないところに健康もないズラ!! 幸せの青い鳥は、銭が運んでくるズラよ!!」