猫を起こさないように
映画「運び屋」感想
映画「運び屋」感想

映画「運び屋」感想

 ニガー、ニグロ、ホワイトワールド、前回出演のグラン・トリノから変わらぬ差別用語連発のキャラづけで、他の俳優だったら問題だけど、クリント・イーストウッドに言わせるならしゃーねーなー、という周辺の雰囲気をひしひしと感じる。そしてこの映画は、トラヌプ支持層のプア・ホワイト・オールドたちが抱える、現代アメリカへの不満を慰撫するためだけに作られた物語である……とばかりは、今回は言えなかった。

 話は変わるが、この年末年始に多くのフォロワーを抱えるひとりの若いおたくに興味を持ち、こっそりとフォローした。片親に絶縁された天涯孤独の身で、自らの半生をあるときは自虐的に、あるときは狂騒的にネットへと記述する様に、かつての自分を重ねる部分もあったのかもしれない。己が精神の抱える一種の陥穽に気づいてはいるが、おたくであることを止めてしまえば、だれも捨てられたがゆえの尽きせぬ承認欲求を満たしてはくれず、何よりその芸へのおひねりがなければ食っていくことはできない。

 結局のところ、彼が苦悩する彼にとって唯一の問題も、私たち現代の棄民・ロスジェネ世代が抱える問題も、そしてアメリカの貧乏白人が抱える問題も、潤沢なカネを与えられさえすれば、すべてきれいさっぱりと解消してしまうのだ。苦悩にも、それへの救済にさえ、何の精神性も必要としないーーこの究極的な尊厳の欠落こそが、資本主義という名づけの収奪システムが体現する真の悪徳なのだ。

 「先生、銭のないところに平和はないズラ!! 銭のないところに愛もないズラ!! 銭のないところに教育も宗教もないズラ!! 銭のないところに健康もないズラ!! 幸せの青い鳥は、銭が運んでくるズラよ!!」