ただ聞き手に何の感興も起こさせないことをだけ目的に作られたバックミュージックのためのバックミュージックが軽々しく流れる中、応接間を想定したのだろう、奇妙に生活感の欠如したセットの中央に男女が差し向かいに座っている。女性、カメラに対して深々とおじぎをする。
「みなさん、こんばんは。nWoの部屋の時間がやってまいりました。わたくし、今回より新たにホステスをつとめさせていただきます宵待薫子でございます。さて、本日はゲストに、いま400万本のミリオンヒットで話題沸騰中の”トラ喰え7”、そのシナリオ作家であられるホーリー遊児さんをお招きしました。(向き直り)ホーリーさん、今日はどうぞよろしくお願いします」
「(慇懃に)いや、こちらこそよろしく。前回来たときは逆巻さんがホステスやってたんだよ。彼女、どうかしたの?」
「(少し困った表情でスタッフに助けを求める視線を送る)ええと、逆巻さんもお忙しい方で、あの、スケジュールの方の都合がつかなくなってしまって」
「(含み笑いを口元に浮かべながら)スケジュールの方、ね。業界の事情ってヤツかな。まァ、ぼくもそういうのがわからない人間じゃないから、詮索するつもりはありませんよ(卓上のジュースを取り上げる)」
「(スタッフのする話題を変えろという手真似を見て)ええっと、前回いらしたときは”トラ喰え7”はまだ発売していなかったわけなんですが、ついに”トラ喰え7”発売を迎えて、その後心境の変化などはございますでしょうか」
「ぼくは所詮、(声音に自負を含ませ)シナリオ屋に過ぎませんから、シナリオが脱稿した時点でぼくの中の”トラ喰え7”は終わってしまっていると言っていいでしょうね。ゲームをプレイしているみなさんにとってはまさに”トラ喰え7”は旬であり、現在のことなんだろうけど、ぼくとってはもうすでにはるか過去のことなんですよ(サングラスの位置を神経な様子で直す)」
「なるほど。(膝上の台本に目をやりながら)では、もうすでにホーリーさんの目は次回作に向けられているということですか」
「そういうことだね。ぼくのここには、(人差し指をかぎ爪形に曲げて、こめかみをコツコツと叩いてみせながら)次回作の構想が半ば以上すでに構築されているんですよ」
「(新人の功名心に思わず身を乗り出して)それは、いったいどのようなものになるのでしょうか」
「(ずるい笑みを口元に浮かべ)おっと、これ以上は勘弁して欲しいな。ぼくくらいのシナリオ作家になると口にするほんのわずかの情報さえ、株式などの経済の流れに影響を与えかねないからね。誰もが文字通りの千金の千倍をぼくの前に積んでも手に入れたいと思うそれを、(鼻で笑って)こんな場所でおいそれと公開するわけにはいかないよね。(うつむいた下から見上げるようにして)ま、もっとも、今のは一経済人としての立場からの発言であって、一シナリオ作家としての立場からならシナリオの一端ぐらいを語って聞かせることは可能なわけだが……」
「(空港で芸能レポーターを振り切るときもかくや、というような勢いで甲高く)今回のゲストはあのホーリー遊児さんだということも手伝いまして、さまざまな意見や励まし、ご質問のお便りを当番組へたくさんいただいております。今日はそれらの声にお答えねがうという形で進めさせていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか(おびえたようにホーリーを見る)」
「(不服そうに)ま、好きにしたらいいんじゃないの。(そっぽを向き、小声で)テレビ屋風情めが」
「(ホッとした様子で)ありがとうございます。では、今日はじめてホーリーさんの出演を知った方もいらっしゃいますでしょうし、今からメールと当番組の掲示板でもホーリーさんへのお声を受けつけ」
「(さえぎって)ダメだ」
「(スタッフの出す指示から目を離し、きょとんと見返して)は?」
「(紳士的な見せかけの下にある野獣の本性で、ぎらぎらと)購入したハガキをポストへ投函しに行くといった程度の能動性もないままに発信が可能な媒体なんぞで送られてくる意見にロクなもんはねえ。(本当にその顔が見えているかのような強さで虚空をにらんで)やつらはその手軽さの分しか推敲しねえし、その手軽さの分しか考えねえ。ネット経由の意見は全部破棄するんだ。(有無を言わせぬ強さでスタッフをも同時ににらみつつ)いいな?」
「(泣きそうになって)あ、あの、でも」
「(全身をぶるぶるとふるわせながら)世界という手の届かぬ至高の悪女を、誰とでも寝る安宿の淫売におとしめた電子回線なんぞに用は無いってぼくは言ってるんですよ、宵待さん……(モニターを目の端に確認すると、急にテーブルをひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がり、振り上げた右足を卓上に音高く打ちつけて)メールアドレスのテロップ消せや、コラアッ! それともおまえから先に消されてえのか!」
「(腰を抜かしてテーブルの下へずり落ちながら、必死に封筒のひとつをつかんで)わ、わかりました、あの、では、さっそく封書で来たこちらを読ませていただきたいと思います。(泣き笑いで)あの、いまテロップ出てたかと思いますけど、そのアドレスにはメール送っちゃダメ。絶対送っちゃダメですから! ほ、『ホーリーさん、はじめまして。みんなこんなふうに書き出すんでしょうけど、ぼくは”トラ喰え1”のころからの、ホーリー遊児の大大大ファンなのです! 今回の”トラ喰え”もまたすばらしいテキストの連続で、ずっとティッシュの箱を横に置いてプレイしています。でも、ちょっと困ってることがあります。ぼくは”トラ喰え1”のころからのファンなので全然気にならないんですが、この前”トラ喰え”を一度もプレイしたことがない友だちにすすめたら、グラフィックがショボいからやる気がおきないって言われたんです。確かに最近の実写と見紛うばかりの他社のゲームと比べるとそんなふうに思えるのかもしれませんが、ぼくは”トラ喰え”の持つ昔から変わらない、職人芸的な味のあるグラフィックがとても好きです。どうぞ、このことについてのホーリーさんのお考えをお聞かせ願えませんか』……(おびえるように、ハガキから目線を上げないまま)あ、あの」
「(ソファに深く腰掛けたまま、両手を腹の上でゆるく組んで、半眼で)ふむ、その君はなかなかいい切り口を提出してくれたと思うね。なぜなら、それはいま、”トラ喰え”のみならずすべてのゲームが直面している根元的な問題であるからだ。つまり、”リアルさを追求していけばいくほどゲームは我々の現実へと際限なく近づいていき、ついにはその存在理由を自ら殺さざるを得なくなってしまう”というジレンマだよ。他社の同規模の作品に比べ、”トラ喰え”の表現は記号的だと表されることが多い。例えば、ゲーム中のキャラクターが死ぬときに、”ぐふっ”という発話をした後、明滅を繰り返して消えるといった表現がそれに当たるんだけど、これは家庭用ゲーム黎明期の、マシンのスペックの低さによる苦肉の策だと思われているようだが、実際のところ全然そうではないんだ。すべて、ぼくの指示による意図的なものなんだよ。”機械の限界による表現の制約がゲームをゲームの形たらしめ、メディアとして成立させている”という、最近になって皆がようやく気がつきはじめてきた、その鬼子的な存在の発生理由に、ぼくは最も初めから気がついていたというだけのことなんだ。つまり、ゲームは、”魔物に受けた背中の爪あとから赤い血液と緑の毒液をとめどなくしたたらせながら、徐々に体温を失って冷たくなっていく兵士の末期”を視覚的に、リアルに彫刻してはいけない。ゲームがゲームであり続けるためにね。ある場所にタブーが存在するのには、それがどんなに我々の持つところの近代的自我からしてばかばかしく思えるような場合でも、必ず何かの意味がある。そして、ゲームにとってのタブーをぼくはただ侵さないようにしているだけなのさ(キザに人差し指でサングラスの位置を指でなおし、斜めからポーズを作ってカメラ目線で見上げる)」
「(よくのみこめていない表情で、言葉だけで)なるほど、なるほど。(何かを恐れるように矢継ぎばやに)では、次のお便りです。『みなさん”トラ喰え”のことをほめますけど、私にはどこがいいのかわかりません。20時間ほどプレイしたんですけど、それ以上続けることは断念しました。だって、あまりにシナリオが女性蔑視的なんですもの。旧態依然とした家父長制の中で、ほとんど身売りに近いような形で結婚させられる女性の話とか、しばらくは我慢してたんですけど、もううんざりしてやめてしまった。特に、”たくさん子どもを生まなくっちゃ”という女性の台詞は無神経に過ぎます。みなさん、どこがいいんですか、本当にいいんですか、”トラ喰え”?』……(しまったという表情で全身をこわばらせながら、ハガキから顔を上げることができずに)い、いかがでしょうか」
「(静かに)ビチグソだな」
「(自分の耳を疑うように、見上げて)は?」
「(一音一音区切るように)ビ・チ・グ・ソだって言ってんだよ。生まれつきの不出来な顔面を性格の歪みがさらに歪ませて、両親と親戚からの無言の重圧に打ちのめされて弱り切って、その反動ですべての女性性への発言へ攻撃的になった30女ってとこじゃねえのか。もしくは自分の女性性を否定するようないでたちと言動を好んでする肛門性愛万歳三唱のおたく女かだ。ファンタジーってのは、”男が男であり、女が女であった”世界のことを描く方策なんだよ。資本主義と西洋文化に塗り替えられた哀れな近代人としての自分の脳みそを、人類の歴史の流れの中で対象化することもできないほどの知能で、自分の持つ女性性の一部を否定されたから、あるいは無視されたからというだけの個人的な理由で、すべての男性性を逆に取り込もうと必死になってんのが、こいつの似非フェミニズムの正体なんだよ……(激高して)ビチグソめらがッ! おまえらはおまえらだけに隷属する、おまえらにだけ気持ちのいい一様な価値観の言葉が聞きたいだけなんだよ! ムービーの合間に戦闘が数十回だけあるような公称RPGか、チンポの想像できないような美形の男が耳に心地よい言葉だけでおまえにオナニーの種を提供する腐れ疑似恋愛ゲームでも永遠にやってろ! ”トラ喰え”はチンケな物語どころじゃねえ、世界そのものなんだよ! おまえを不快にさせるような人間のいる、おまえを不安定にさせるような他人の幸せのある、ひとつの完成した世界なんだよ! それを受け止めることもできねえようなパパの陰嚢の中の未成熟さで、歴史から断絶された偏狭な現代的意識だけで、おれの”トラ喰え”をプレイしてんじゃねえ! クソがッ!(大理石のテーブルをかかと落としでまっぷたつにする)」
「(椅子の下で両手で頭を押さえて)ひいいッ。ごめんなさい、ごめんなさぁい」
「チッ、(血の混じった唾を吐いて)謝るくらいなら最初からそんなハガキ読むんじゃねえよ。(スタッフが割れた大理石のテーブルを運び出し、代わりに木製の長テーブルを持ってくる)で、どうなんだよ、もう終わりか、(凄まじい目でにらんで)ああ?」
「う、うふ。(泣き出しかけるが、自分を勇気づけるように背中を張って)つ、次のお便りです。と、『”トラ喰え”、もう売っちゃいました。6800円だったかな、売値。なんか全体的に、シナリオとか古くありません? フラグ立てるのにあっちこっちで話聞かなくちゃならないの面倒だし。最後まで感情移入できなかったな。クリアしなかったけど(笑)』……(読み終わった途端にハガキを放り出し、椅子の後ろに隠れる)すいません、すいませぇん」
「(恐ろしい穏やかさで、膝の上に両手を組んだまま微動だにせず))”トラ喰え”が意図しているテーマは数あるが、そのうちで最も根元的なものは”父と子の対決”であると言っていいだろう。近年”父と子の対決”を当初のテーマとして打ち出しておきながら、物語が進むにつれて制作者の中にある問題が実は父親ではなく母親との関係であることを露呈していった映像作品があったが、あれは”トラ喰え”と非常に好い対照を為していると思う。息子が切断的別離を強行した後に父との和解を迎えるというのが、聖書の昔からの父子対決の構図なんだが、”トラ喰え”のメインストーリーはそれを忠実に踏襲していると言える。加えて、象徴的に言うなら、ゲームをクリアーするために歩まなければならない不可避なストーリーの流れを構成するテキストが、人を見ぬ先へと有無を言わせぬ強さで駆り立てるもの、すなわち父性を象徴し、逆にプレイヤーの意志において触れても触れなくてもかまわないが、どちらを選ぶにせよ常に変わらずそこへ在り続ける世界の住人たちの上へ与えられたテキストが、決してゆるがず受け止めるもの、すなわち母性を象徴しているんだよ。(震える声で)それを、(突然激しく立ち上がり、テーブルを手刀でまっぷたつにする)したり顔の、腐れおたく共がッ! 母性に取り込まれる程度の弱い自我しか持てねえ、父性と対決する段階にまで成長できてねえクソおたく共がッ! ”トラ喰え”はなァ、ちゃんと父子の対決を済ませた、まっとうな社会参画を済ませた、精神的にも肉体的にも真に成熟した大人のための、あるいはそうなるための強さをあらかじめ持った未来の子どもたちへする、人間賛歌のゲームなんだよ! どこの誰がおまえたちみたいな母性とヌルヌルの、日なた水のボウフラどもに当ててメッセージを送ると思えんだよ! 父との問題にたどりついてすらいない、未分化の卵子風情のおまえらぐらいに、おれのシナリオの持つ高い人間的成熟がわかるはずがあるかよ!他人が持つ価値観や世界理解が自分のそれより高いものであるかもしれないことを感じとるどころか想像すらもできない、ほとんど向こうを見通せる薄皮一枚の差が永遠の差と等価であることへの悟りに絶望したこともない、大自然のゆぅるいゆぅるい水気の排泄物共が!(後ろ手に応接用の巨大なソファをつかむと、セットの外、スタジオに向けて巴投げの要領で放り投げる。支柱をヘシ折られ、撮影台がクルーごとセットの中へ倒れこんでくる)」
「(もうもうたる土煙の中から這いずるように身を起こして)そ、それではこちら、時間的にも最後のお便りになるかと思います。ど、『どうでもいいけど、あのムービーはヤバイんじゃねえの?』……もういや、いやあっ!(脱兎の如くスタジオの外へと向けて駆け出す。それに呼応するように、スタッフたちも機材を放り出し、次々と走り去っていく)」
「(横倒しになったカメラからの、怪獣特撮でやる踏みつぶされた街のアングルで)クソがぁぁぁぁぁッ! 俺の至高の作品を、誰があんな”おもしろポリゴン四コマ”としか形容できないおチンポ映像で台無しにしろって言ったよ! (絶叫が喉を裂いたのだろう、血煙が混じった咆吼で)クソがッ、クソがッ、クソがぁぁぁぁぁッ!」
「(つまづきつつ、まろびつつ、必死の逃走に乱れた衣服で)本日の、ゲストは、ホーリー、遊児さんでした。これで、nWoの部屋を(画面を斜めに走るノイズが次第にひどくなり、唐突に画面がかき消える)」
狂気クリエイター
枯痔馬酷男(1)
「(右手にペンを走らせ、左手の服の袖でよだれをぬぐいながら)ククク…おしゃれだ、こいつァ、たまらなくおしゃれだよ」
「(大気を震わせる重低音で)ゴルルコビッチ、ゴルルコビッチ」
「(ハッと顔を上げ)この重厚かつ珍奇な移動音は、まさか…(おびえるように振り返る)こ、こ、(暗闇から染み出すように、中肉中背の特徴に薄い男が現れる)枯痔馬酷男監督ッ!」
「(造作は普通のはずなのに内面からにじみでる何かがその印象を一種異様なものにしている顔面と、異様にくぐもった聞き取りの困難な発話で)どうだ、リトルグレイ・インプラント編の執筆は順調に進んでいるか、賢和(口元だけを泣き笑いに歪める微笑みで、男の肩へ鷹揚に手を置く)」
「(嬉々として机の上に置いてあった原稿を差し出しながら)もちろんですよ、監督ッ! 今日も今日とて主人公とその恋人のとびきりおしゃれな会話シーンを完成させたところです!」
「(原稿を取り上げる)どれどれ…(音読する)『それから君の部屋に行って朝までキングコングを見た。2人で、何度も何度も』」
「(腰を浮かせて)どうですか、枯痔馬監督。最高におしゃれでしょう? (屈託の無い笑顔で)会心の出来です」
「バカヤロウッ!(振り向きざま、裏拳を男の顔面へめり込ませる)」
「ぐはぁッ!(糸の切れたマリオネットのようにフッとび、コンクリートの壁に叩きつけられる。泣き出しそうな表情で首だけ持ち上げて)こ、枯痔馬監督?」
「(もはや隠しようもなく露出した頭皮からもうもうと蒸気を立てながら)おれこないだ言ったよな、安直な比喩に頼るなって。おまえ何度言やわかんだ、賢和? つい先日自分史を書き始めた50代デパート店員みてえな、コタツにこぼれた醤油臭え文章書いてんじゃねえ! 世界の枯痔馬の名前に泥を塗るつもりか、コラ(”世界”という語を殊更に強調して発話しつつ、倒れた男の脇腹に靴のつま先をねじ込む)」
「(せき込みながら、血と欠けた歯を床に吐き出して)そ、そんなつもりは、本当に、私ぐらいは枯痔馬監督のような深い洞察や文章感覚は到底持ちあわせておりませんので…よ、よろしければ、私めに道を指し示しては下さいませんでしょうか(うるんだ瞳で、床へ身体を投げ出すようにひれ伏す)」
「(肥大した自意識を刺激される心地よさを見せまいとする、装った見下す無表情で)フン、才能に乏しい後発どもを指導するのも、まったく骨が折れることだぜ。(原稿を手の甲で叩きながら)キングコングを媒介とし、殊更にそれへの焦点を高めることで、おまえは2人の激しい情事を読み手へと婉曲的に示そうとした。そうだな?」
「(がくがくと首を縦に振って)はい、その通りです、ご推察の通りでございます。ですが、猿めの浅知恵でした」
「わかってりゃ、得々とおれに手柄顔で近寄るんじゃねえよ。失敗した比喩が放つ悪臭にも気がつけない、この最低の明き目盲めが。(床に唾を吐いて)…まァ、いい。こんな(口の端を歪める)状況設定自体、世界の枯痔馬酷男にはありえない話なんだが、あえて、もし、おまえが提出しようとしたこの状況をおれがリライトとすると、こうなる。よく聞いとけよ、一行10万の大シナリオ書きの言葉だ、一字たりとも聞きもらすんじゃねえぞ」
「(大慌てで)か、紙。え、鉛筆」
「(咳払いして、しかしくぐもった声で)『夜の底の街路樹たちは愛液を含んだ陰毛のように、夜霧のうちにしっとりと濡れていた。空に浮かぶ摩天楼の群れは、まるで林立する黒人の禍々しいチンポの如く傲然と屹立しており、発情猿の、下から見上げる群衆へと向けて挑戦的にパックリと開いた血のように真っ赤な巨大オメコを、それらのビルヂングは端から順に荒々しく突き上げていっているようにも、当時のおれの目には映ったものだった。もっとも、君のあえぎ声といえば間違いなくキングコング並だったが(苦笑)』(左頬をひきつるように上げて)どうだ?」
「(筆記する手を止めて、おそるおそる)あの、”(苦笑)”はどうかと思うんですけれど」
「バカヤロウッ!(男の頬にこぶしが根本までめり込む。”く”の字に折れ曲がる顔面。ガラスの粉々に砕けるような音とともに部屋の壁へと叩きつけられる男) 自身が虚構であることを自覚した明確なそこへの線引き、物語の最高潮にも読み手を没入しすぎない冷静へと立ち返らせる客観的な視点、それがおれの、世界の枯痔馬様の、枯痔馬節のうなりなんじゃねえか! テメエの悪臭放つ排便シナリオを大音響とともに棚上げして、よくもおれの極上のウィットに薄汚ねえ自己防衛と批判のゲロを浴びせることができたもんだな、アア?(男の襟をつかむんで引きずり起こす)…おまえ、どんなエロがこの世で一番エロかわかってんのか?(男の頬を平手で痛打する。その言葉を言うときだけ激しくどもりながら)イ、イ、イ、インポの男が持つエロに決まってんだろうが! (感情の昂ぶりから左頬に現れたチックを隠そうともせず)エロなんてのはしょせん、誰も見たことのない抽象、ほとんど神話とも呼べる幻想に過ぎん。女と交接すりゃ、幻想は現実と重なり、ついには入れ替わっちまう。だが、エロという名前の幻想を少しも放出せずに、最も純粋な幻想のままに放置しておけば、そうさ、ホースの穴の詰まった(どもりながら)イ、イ、イ、インポ男の中でそれはグズグズに腐り、ドロドロに醗酵し、ついには脳髄の芯の芯まで酔わせる極上のエロへと醸造されるんだよ! おたく野郎どもは現実との交接を相互関係によって生きる命としての極限まで薄めているという一点において、どれだけチンポをオッ立ようと(どもりながら)イ、イ、イ、インポとほとんど同義であるということができんだ。食べるに殺さず、交わるに犯さず、歴史上のどんな聖職者よりも清い、最低の売女の息子どもめが! 目もくらむようなやつらのエロへの妄想の中で、こんな三文新聞小説みてえなくすぐりに、どのおたくが本気でオッ立てると思ってんだよ! (襟を持ったまま激しく揺さぶりながら)毎晩の安いオナニーでエロを殺してんじゃねえ! おまえ、それを売って生きようってんだろうが! 情欲は鈴口じゃねえ、カラス口からほとばしらせんだよ、俺たちは! (ズボンの隙間から男のパンツの中へ手を突っ込む)どうだ、賢和、おまえもおれと同じ(どもりながら)イ、イ、イ、インポにしてやろうか? おまえに才能がありゃ大作家、才能が無けりゃキチガイ病棟!(つかんだ手に力を込める)」
「いひィィィ(涙と鼻水を垂れ流しながら、おこりのように震えると失禁する)」
「(近づけた顔からのぞきこんで)なぁに本気にしてんだよ。おまえのチンポを直々に握りつぶしてやるほど、おれがおまえの才能を信じてると本気で思ったんじゃねえだろうな? (男を床へと突き飛ばすと、取りだしたハンカチで手をぬぐう)とはいえ、このまま賢和にすべてを任せることで、我らが主人公”ソリッド・スネエク”の完成し、ある意味では肥大化を始めている英雄像を崩すわけにもいかん。…ときに賢和、今回のサブタイトルである『ピンチ・オブ・ポヴァティ』には、二重の意味が込められているんだが、わかるか?」
「(ひどく脅えた様子で)わ、私ごときの痩せた感性で、枯痔馬大監督の深淵かつ高邁な思想がいったいわかるはずがありましょうか」
「(自尊心をくすぐられた様子をあからさまに小鼻に表しながら)フン、追従者めが。このサブタイトル、表面の意味をそのまま汲み取ると”金が無くて大変”の意味になる。だが、ピンチ(PINCH)をアナグラムしてみろ。どうだ、チンポ(CHINPO)となるだろう? つまり、ここには本来の意味を越えた”貧相な男根”の意味がサブリミナルに与えられてるんだよ!(口元を歪めて、得意げに両手を広げる)」
「(紙に筆記してためすがめつしながら)あの、監督。でも、”O”が足りませ…」
「バカヤロウッ!(男の半開きの口元に、革靴の尖ったつま先を蹴り入れる。口腔から血を吹きながら後頭部方向に倒れる男)そんな枝葉末節にこだわってるヒマがあったら、テメエのシナリオの不備の方を考えやがれ! (床をのたうちまわる男を尻目に)しかし、納期も目前に迫ったいま、賢和の才能の突発的な開花に期待してすべてにリテイクを出すことはあまりに危険すぎる――(目を閉じて)考えろ、その世界を席巻した素晴らしい頭脳で考えるんだ、酷男――(カッと目を見開き)見えたッ! 賢和、リトルグレイ・インプラント編の主人公をソリッド・スネエクではない別の人物に設定しなおせ。これなら、シナリオのマイナーチェンジで事は足りるだろう。その新しい主人公の名は、名前は、(突如両手を前傾姿勢から後ろ向きに伸ばし、異様な光をはらんだ目で宙空を凝視しながら)最も敏感な類の警備兵が異変に気づく……大気中に混じるかすかな腐臭……生きながらただれてゆく肉の放つ腐臭……まるでモーセする奇跡のように、兵士の海は2つに割れる……その衆人環視の中、”潜入”を果たすその男の名は……(後ろ向きに伸ばした両手を激しく羽ばたかせる仕草で)癩ッ、伝ッ!(窓の外を稲光が走る。部屋に落ちる恐ろしい沈黙)」
「(自失から回復して)あ、あの」
「(手で制し)待て。連絡が入ったようだ。(懐中から携帯電話を取り出す仕草をするが、その手には何も握られていない)もしもし、私だ。何かあったのか。(相手の返答を待つような沈黙)何ッ! 北米で先行発売だと!? それは上層部が決めたことなのか…(慌てて)いや、カナダはまずい! あそこには、セリーヌ・ディオンがいるだろうが! (相手の返答を待つような沈黙)とにかく、おれが行くまでなんとかお偉方の決断を先延ばしにしておいてくれ。(沈黙。苛立ったように)わかってる、漫談でもなんでもかまわん! (親指で空を押す仕草をする。男の方へ向き直り)聞いての通り、緊急の用件が入った。おまえはシナリオの執筆を続けろ、賢和。いいか、(立てたひとさし指を左右に振って)安直な比喩はタブーだ。では、また来る(きびすを返し、歩み去ろうとする)」
「待って下さい! (ためらうように)あの、以前から、前作の頃から聞きたかったんですが……ソリッド・スネエクという主人公の命名には、いったいどんな意味が含まれているんでしょうか。あの、よろしければ、参考にお聞かせ願えませんか」
「(口の端を歪めて)いいだろう。スネエクは西洋文化におけるチンポの陰符。ソリッドのソリは”反りくり返ったチンポ”の”反り”、ソリッドのドは”怒張したチンポ”の”怒”、だよ。(自分より背の高い女性へと手を回し、肩越しにその胸をもみしだくパントマイムを行いつつ、立ち去る。重低音で)ゴルルコビッチ、ゴルルコビッチ」
「(後ろ姿を見送りながら、人差し指で鼻の頭をこすって)へへッ、やっぱり枯痔馬監督は別格だ。いつ見てもすげえや!」
⊥(ターンティー)の癒し
1999年1月17日が、個人サイト『nWo』のスタートだった。
サイト運営をするということは、自己の概念とか美意識を表現することで、それを不特定多数の人々にしめして、理解され楽しんでもらわなければならない。
更新した、というところにとどまっているのであれば、素人である。
インターネットという未成熟の媒体でも、創作することに関与できたおかげで、ぼくは正常でいられたらしい。
創作をしてインターネットという広い場に発表できるということは、サイト運営というだけでなく”情”を吐き出すことができるのだ。マスターベーション的にひとりお部屋の中で精をだすことでもなければ、アクセス数を増やせたとひとりだけの満足にひたることでもない。
だれかが見てくれている、だれかがメールをくれるかもしれないという想像は、自閉症になることを予防してくれる。
自己が安定するのだ。
サイト運営をしてこなければ、ぼくは、どこかで禁治産者の烙印をおされていたか、精神的なものが原因の事件をおこしていただろう。昨今、ニュースにとりあげられている事件そのままにおこなっていただろう。
ゆるゆると3年が過ぎた。
新陳代謝の早いこの場所では、新参が古参になるのに、充分な時間だ。
年々、ぼくは身内に危機感をつのらせていた。
言葉というのは、最大公約数の共通認識を伝達にのせる手段だが、現実とは完全に重ならないという意味合いにおいて、それは虚構と呼ぶことができる。言葉の持つ虚構性については多くを語ってきたと思うので、ここではさらには触れない。
伝達、というポイントが重要である。なぜ言葉が存在するのか、という本質的な問いに少しでも思考を与えたことがあれば、言葉の本義を踏み外すことは無いはずだ。言葉の力点は個人の上ではなくて、個人と個人の間にある漠然としたつながりの上にあることが容易に理解できると思う。
言葉とは、伝達とイコールなのだ。
そこで、最大公約数的である言葉の持つ曖昧さは、時間と場所は異なるとしても、世界の包含する事物への共通体験によって補われる必要が出てくる。例えば、『樹木』という言葉を発するとき、『樹木』という言葉以上に説明を加えないのは、我々の全員がそれを現実に見、嗅ぎ、触れたことがある、という前提によっている。
これに対し、例えば『正義』であるとか、共通の前提を伝達の条件とできない、概念だけの言葉もあることは、少し考えればわかることだ。モニター上でなくマンコの襞を押し広げる現実体験を持たないものにとって『マンコ』という言葉は、『正義』という言葉と同じように概念でしかない。
言葉には、大ざっぱに分けてこの二つの種類がある。そして、概念を表す言葉群は、生活への出現頻度や絶対数において、対立する言葉群よりもはるかに少ない。
だが、二者間のバランスは今や崩れつつある。ネットを日常とする若い世代は、圧倒的にぼくなどよりも少ない前提をしか持っていないことに、ぼくは気づいた。つまり彼らは、『正義』と同じ響きで『樹木』や『マンコ』を発信している。この由々しき現代病に、ぼくは力及ばぬながら、『nWo』でわずかなりの抵抗を示してきたつもりだ。
そんな漠然とした危機感を抱きつつも、日々の雑然さに流されるしかできない中、一通のメールが届いた。
そこには、『テキストサイト大全』なる企画本に、テキストサイト系現役ネットカリスマとして寄稿してもらえないか、といった趣旨のことが一見慇懃な調子で書かれていた。
テキストサイト系!
それこそ、言葉に不可欠な前提と伝達の無いままに、インターネットという広い場に放言を繰り返す、現代病の病理の最たるものではないか! 『nWo』の文脈を読みとれぬ、なんという明き目盲の申し出であることか!
ぼくはひさしぶりにキレた。
「この、母親のマンコ臭の頭髪から抜けきらない、くっきり蒙古斑のボウフラ水め! ネットワーク上に自己を投射するために不可欠な、あの明確極まる枠組みの絶望的な相互孤絶を意識化することができないから、孤絶を孤絶のままで集合させたところに名付けをして、これぞコミュニティでございとふんぞっていられるんだ! おまえ、コミュニティというのを、近似値的な概念集団と勘違いしてるんじゃないのか? 互いの姿を形作る領域の境界が重なって、どちらをどちらと指摘することのできないグラデーション化した部分を持ち、その曖昧な部分においてはそこに重なるどの個も重要ではない。理知の明解さの照らさない、その黄昏の場所の持つ怪しさこそが、小さな社会集団と曲がりなりにも呼べるものの、本質なんじゃないか! この怪しさを見ないから、清潔で単純な概念へと一足飛びできるんだ。そもそも、ネットワークは致命的に肉を欠いているという物理的な事実だけからも、セックスを内包した生活集団足り得ない、すなわち社会足り得ないことが理解できるはずだろう。なに、すでに現代社会はマンションの一室一室として、ホームページ状に分割されている、だって? バカヤロウ! このパパとママの庇護下のオナニー野郎め! 両親と同じメシを喰って、自分の女とセックスできるか! セックスできないから、おまえはいつまでもパパとママの生殖器の下なんだ! セックスが家族と訣別させ、家族というドロドロの融合から、両親へ社会という距離感を与えるんじゃないか! そうやってすぐに肉を無視する先鋭化した観念に一足飛びするのは、ノットセックス(掌で机を一撃)、バットオナニー(掌で机を一撃)の自分をだけ納得させるための歪んだ世界観に過ぎないんだ! 人類種の本義を外れた、セックスレスを進歩的と鼻高々な、腐臭放つ悪魔崇拝者の姦夫姦婦め! 今は何者でもないが、いつか何者かであれるかもしれないなんてグズグズの、ぬぅるいぬぅるい澱んだ温泉水の譲歩に首までつかった、ブヨブヨ精神のシワシワ余り皮め! その、社会と時代を度外視した、自分に都合の良いものだけを採択するという意味合いでだけの暴走した個人主義が、(顔を真っ赤にしてどもりながら)テ、テ、テ、テキストサイト系などという名付けの、僭越極まる自己欺瞞を増殖させてるんだろう! だいたいあんなものは、対立する素封家の一人娘との、深夜のご神木の裏で村人に隠れてするセックスのようなもので、もっと言えばそのとき膣外射精した精液がご神木の表皮を伝い落ちるのを雲間の月明かりに見る虚脱のようなもので、むしろ誰にも知られないまま消えて欲しいと望む類に過ぎない。(咳払いして)おまえ、ここが何かのマイナーリーグとか思ってないか? つまり、今は日の目を見ないが修練次第でメジャーの一線級の大舞台を踏むことができると、どこか心の片隅でチラとでも思ってるんじゃないか? 醜いアヒルの子どもをさらに自意識で醜悪にした顔面で、救われることを前提としたハーレクインロマンスの悲劇の中で、優越に満ちた一時的な自虐を盛大に微笑んでるんじゃないか? ハ・ハ・ハ、(笑いに咳き込んで)いや、申し訳ない。まさかね…まさかそんな(突如激し、机をこぶしで強打する)薄ら白痴めが! もっと深刻で、決定的で、致命的な隔絶があるんだよ! (顔を真っ赤にしてどもりながら)テ、テ、テ、テキストサイト系ってのは、おまえ、マイナーリーグどころじゃない、パラリンピックなんだよ! 不倶と健常者が同じ舞台に立てると思ってるのか! どれだけ心がパラリってるか、社会性の最後の残滓を締め出し、どこまで心をパラリらせる様を見せることができるか、これはそういう類の争いなんだ! そこを意識しなければ、おれたち不随の歯茎の黄色の乱杭歯ぐらいでは、健常者たちのあの分厚いのどぶえを、少しでも噛みやぶれるわけないじゃないか!」
そう一息に叫ぶと、ぼくは飲みさしのビール瓶を、ノートパソコンが置いてある文机に叩きつけて割ってみせた。
『やめなさいよ。見せかけの大手サイトのポーズなど……』
しかし、そのメールは行間で、ぼくを非難した。
<潮流から外れているという自覚が無ければ、ビール瓶の割れた方を飼い猫に押しつけ、その頭部をクール宅急便でてめえの自宅に直送していた!>
そうきっちりと考えながら、
「そうだ……ポーズだよ。こうしなければ、この申し出をおさめることはできない」
そうやって承諾の返信をしてみせたのも、ポーズだった。
結局申し出を断ることができなかったのは、かくも『nWo』は読み手の”慣れ”のうちに、ついにはこういったオファーを許すほど毒気を喪失したものになっていたのか、という認識が強まっていたからである。
テキストサイト側だって、『nWo』的なサイトづくりが明らかに潮流を外れていることは知っていても、いくらアクセス数で劣っていても、ネット上の年功序列から声をかけざるを得ないというジレンマをしのがなければならないのだ。
なんで、長いことやってる割りに人気が出ないのか? その自問自答に、
「あいつらが邪魔してるんだ!」
そう言ったのは、小鳥猊下という名前のインターネット上の疑似人格だった。
あいつら、というのは、旧来のテキストサイト・ファンというよりも、おたくたちのこと。
「あんたは才能がないんだから、頑張りなさいよ」
2001年暮れに、そういった内容のメールをくれたファンがいたが、それは当たっていたのである。
才能――力があれば、取り扱っている中身がどうとか、おたくたちがいようがいまいが、人気はでるはずなのだ。
それが低迷するというのは、力がない証拠である。
ぼくがおたくだったら『nWo』は承認しない。そんなことはわかっている。
いいサイトであればヒットするという原則は、この世界にはないのだが、まったく新しいものにしていかなければ、今後の『nWo』の展望などは絶対にないという確信も、またゆるぎない。
が、それにしてもどうしてだ……という状況のなかで『nWo』の全盛期は終了した。
それでも、諸君、ぼくは、
日々大量生産される妄想美少女たちの架空とはいえ”人格”と呼べるものを蹂躙し消費するおたくは道徳的・倫理的・神学的に醜いよ、そういう自分の内外を問わぬおたくを侮蔑し嘲けりついには憎悪する視点というものを獲得してもらいたいと願ったから、『nWo』をこのようにしたのだとわかってほしい。
そういう心をもてば、心は外にむいて、おたくにならないですむから! と……。
ザ・ボイシズ・オブ・ア・ディレッタント・オタク
卓上に置かれたカセットレコーダー。
突然、自動的にテープが回り始める。最初ただのノイズかとも思えた音は、二人の男のくぐもった話し声へと収束してゆく。
「(なだめるように)わかった、わかった。15歳の少女がロボットに乗るという設定に蓋然性が薄いように思えるのは、俺が音楽屋で読解力に欠けるせいだからなんだよな。短気は押さえて、詳細を詰めていこうな。な?」
「(すねた口調で)まったくその通りだよ。”ガ……”(我? 蛾? 何かの暗符と思われるが、詳細は不明)のだって、もっと若いヤツをロボットに乗せてたじゃん。全然おかしなことなんかないよ。(吐き捨てるように)プープカプープカ、ちんどん屋まがいの芸当しかできないくせに、ぼくのカッコいいアイデアに口を出すなよな。全然カッコ悪いよ」
「(ひどく重い沈黙の数秒。つとめた明るい口調で再び始めようとするが、徐々に尻下がりに暗く)”人類の敵、火星人は主人公の搭乗する巨大ロボットと同じ大きさで……切ると赤い血を噴き出しま、す?” (故意に感情を空っぽにした調子で)なァ、火星人がなんで赤い血を吹くんだ?」
「(何かを噛みながら)全部説明させて、全部陳腐にしちゃうんだ。君のそういう頭の悪いとこ、ぼくは嫌いだよ」
「(凄みのある無感情で)俺はおまえの仕事の協力者であって、おまえの作品のいち視聴者ではないことを忘れるな。監督であるおまえが少しもコンセンサスを取ろうとしないから、こうしていま俺がおまえの目の前に座っているのを忘れるな」
「(甲高く)そんなこと言っても、少しもこわくなんかないよ。(大きな音)ヒィッ! わかったから、机をたたくなよ。汚いよ、そういう脅すみたいなやり方。全然カッコ悪いよ」
「(淡々と、棒読み調で)なんで、火星人が赤い血を吹くんですか」
「(すねた口調で)ヒロインの15歳の少女の、初潮と、月経と、破瓜を代理してるんだよ。クラスで一番遅い、始まってない子でも、そろそろ始まっちゃうころだろ? だから、火星人の流血に代理させて、少女の初潮を先送りにさせてるんだ。いいだろ、これで。満足したろ」
「(間。抑制された感情の底流をうかがわせる声音で)なんで、火星人が初潮を代理する必要があるんですか」
「(心底意外なことを聞いたという口調で)ばッ、なに言ってんだよ、決まってるだろ! 初潮し、月経し、破瓜するということは、孕むかもしれないってことでしょ! 孕むってことは、男女の攻守が逆転するってことでしょ! ぼくは、精神的には圧倒的・絶対的に依存してくるけど、肉体的にはこのイヤな世界から盾となってぼくを守ってくれる、そんな初潮前の少女だけが欲しいんだよ! (吐き捨てるように)だいいちそんな、孕むなんて全然カッコ悪いよ。ひどく体臭がしそうだしさ(何かで何かをふくような擦れ音が聞こえる)」
「(感情を爆発させないためのやけくそな大声で)わかった、わかった! 絵コンテと、おまえの説明からこの作品の特徴をまとめると、ひとつ”巨大ロボットに搭乗し、切ると赤い血が噴き出す異星人と戦う女子中学生”、ふたつ”火星で発見された先史文明のロストテクノロジー、この技術は少女の搭乗する巨大ロボットにも流用されている”、みっつ”登場人物のする驚愕の演出には瞳孔の収縮する様子をアップで”、(徐々に不安な調子で口ごもりながら)よっつ”真下から見上げた高圧電線と、その向こうに広がる夏の雲と青空”、いつつ”看板や新聞やモニターなどの文字は手書きではなく、パキッとしたレタリングで”……(長い沈黙)なァ、言っていいか?」
「(すねた口調で)なんだよ」
「これって、まんま”ガ……”の作品からのパク…」
「(大声でさえぎって)大違いだよッ! あんな不潔なのといっしょにするなよッ! (ひどい癇癪で、唾をぶくぶくいわせながら)ぼくの少女はあんな性徴を際だたせるぴっちりスーツを着たりはしないし、あんな月経を中心に世界を回したりは絶対にしないんだよッ!」
「(半ば投げやりに、なだめるように)わかった、わかった。もしそんなしたり顔の指摘をする分からず屋がいたとしても、オマージュって言っておけばいいよな。オマージュ。だから、短気は押さえて、ひとつひとつ詳細を詰めていこうな。な?」
「(すねた口調で)ちょっとカッコいいところを借りただけだよ。全然カッコ悪くないよ。これがダメなら、歌舞伎の再演だってダメってことになるよ」
「(少しも同調してないことを声音だけで表して)まったくその通りだ。ところで、登場人物が少年と少女の二人しかいないようなんだが。宇宙船の乗組員とか、他のロボットの操縦者とか、そういうキャラクターは…」
「(絶叫して)ぼくの少女にセックスをさせたいのかよ! 宇宙船の中に他に誰かいたら、少女はぼくが閉じこめたロボットから出てきちゃうだろ! 何考えてんだよ! (ひとつ大きな鼻息。冷静に)でも、少年の周辺に誰かを配置するというのは、アリかもしれないな。例えば少女の母親とか」
「(ほっとしたように)いいじゃないか。話に深みが出そうだ」
「(得意げに)少女の母親は22歳、身よりのない少年を引き取っていっしょに生活している」
「(間。しぼりだすように)少女の年齢は何歳だったっけ?」
「(苛立って)本当に、君は物覚えが悪いなあ。15歳って言ったじゃん。そこに書いてあるし。字、読めないの?」
「(不自然な陽気さで)よくわかった。俺が悪かった。やっぱり、登場人物は二人だけにしよう。その方が、余計な雑味がなくて、きっといい。(強引に話を変えて)ところで、絵コンテのここの描写、よくわからないんだが」
「(不満げに)だったら最初から言うなよな……どこだよ。(ひどく馬鹿にした調子で)本当に芸術オンチだなあ、君は! セミに決まってんじゃん、夜空を埋めるセミの群れだよ。”ガ……”の映画でもセミの声使ってたろ。全然カッコいいよ」
「(数瞬の意味深い沈黙のあと)なァ、おまえ。セミ、見たことあるか?」
「(得意げに)もちろんさ! ぼくは30年も丸々引きこもっているような連中とは、ワケが違うからね。あれは小学生のときだったろうか、(陶酔した調子で)粉雪の舞う中、四枚の羽をピンと水平に伸ばして、やかましく鳴きながら大気をグライダーのように滑空するセミの群れ……あれは、ぼくの原風景と言っていいだろうね……」
「(不自然な陽気さで)よくわかった。このセミのカット、やめよう。”ガ……”みたいに、鳴き声だけにしよう。その方がきっとずっと効果的さ。な、そうしよう。な?」
「(苛立って)音楽屋ふぜいが、さっきからいちいちぼくに指図するなよ。ぼくの完璧な絵コンテにケチつけるなよ。今回試みるフルデジタルという方法論には、意識したアナログ感覚が必要なんだよ。コンビニやケイタイの持つデジタル的なリアリティと、セミの持つアナログ的なリアリティを意図的に混郁させることで生じる違和感が、作品に現実という名前の新たなパースペクティヴを与えるんじゃないか。どうせ何もわからないんだから、黙ってろよ」
「(一瞬絶句した後、聞こえるか聞こえないかの、ドスのきいた低い声で)つまるところ、世界と交接したことがねえんだ。コンビニやケイタイっておまえ、おまえの提示するリアリティなんざ、同棲してるオンナが使った便器からする大便の残り香の当たり前さを、童貞のしたり顔でリアリティと言っているのと同程度に、クソ薄っぺらなんだよ」
「(癇癪を起こして)ぼくの前で体臭の話はするなよ! ぼくは人間の身体のニオイが本当に嫌いなんだ! こうして君と、1メートルほどの近距離に座っていても、君の体臭の分子がぼくの身体に付着するんじゃないかって、ほとんど物理的な脅迫を感じるくらいなんだよ!」
「(げんなりした調子で)わかった、わかった。もういい。つまりこいつは、この企画は、(何か紙の束を叩く音がする)”ガ……”的な演出・視覚要素を取り除けば、ほとんど最近のエロゲーが好んで提出するのと同じ、(嫌みに)体臭の無い恋愛未満の男女のリリカルが主眼なんだよな。(嘲弄するように)ここまで露骨にエロゲー的なんだから、もっとこう、チューくらいさせたらどうですか、先生。ふとももとパンツの間を執拗にアップで写したコマも多いことですし」
「(絶叫して)馬鹿なこと言うなよッ! 少女に初潮も破瓜もまだ来ていないことを確認するだけの、実にさりげない演出じゃないか! それに、自転車に二人乗りするシーンで、少女が制服の布越しに男の肩を触ってるだろッ! あれ以上に二人を接近させるのはグロテスクだし、何よりあれ以上接近したら体臭がするじゃないか! それに、(絶叫とも言える大声で)肩を触ったら、次はチンポに触ることになるだろ!」
「(声をひそめて)馬鹿、隣に聞こえたらどうすんだ」
「(聞こえないふうで)だから、困るから、チンポに触られたら困るから、少女を宇宙船でまず木星へ、それでもやっぱり不安だから、次は太陽系の外へ飛ばすことにしたんだ。それくらい遠くに離せば、チンポにとってはまずまず安全な位置と言えるからね。少年はようやく安堵して、胸のうちを独白する。『届かぬ愛撫を待ち続けることのないように、チンポを固く、冷たく、強くしよう』。オナニー宣言、全然カッコいいよね(へらへらと笑う)」
「(唖然としたふうで)物語の展開が唐突だとは思っていたが、まさかおまえ、本気でそういう。物語の必然とか、そういうのは…」
「(あきれたふうに)なに、物語なんてカッコ悪い言葉使ってんだよ。ストーリーなんて、カッコいい絵と、ぼくの願望に従属するためにある方便だろ。なんたって巨大ロボットの活躍はカッコいいし、猫を殺したら責められるけど、火星人を殺したらほめられるだろ。それに、ロボットはカッコよく殺すだけじゃなくって、巨大な鉄の貞操帯になって少女の貞操に誰も触れられないようにしてくれるし――精液を暗示する雨粒ぐらいさえもね――、少女はと言えば貞操帯の中で火星人の流血に初潮を代理させ続け、そうやって肉体的には清らかなまま、精神的には何といっても体臭のしないケイタイでぼくに依存してくれて、一方で悪い敵からは捨て身でぼくの世界を守ってくれるんだ。それに、光速で宇宙を旅することのパラドックスで、30歳のぼくが15歳の少女を好きだと公言しても、誰もぼくを、ロリコンとか、そういう異常な性癖の持ち主として糾弾したりできない必然的社会状況が生まれるだろ。これが、ぼくにとっての一番大切なポイントなんだよ! ストーリーなんて、カッコいい絵と、ぼくの願望から逆算すればいいんだよ! 物語の必然だって? そんなのレトロで、全然カッコ悪いじゃん(へらへら笑う)」
「(もはや涙声で絶叫して)真面目にやれよ! おまえ、真面目にやれよ! おれ、このために仕事辞めたんだぞ! 本当に、冗談ごとじゃすまないんだよ! どこのおめでたい誰が、こんなオタくさい、文字通りの前世紀のアニメを金払って視聴したいと思うんだよ! お願いだから、真剣にやってくれ!」
「(癇癪を起こして)ぼくはいつだって真剣だよ! ぼくは自分の作りたい、カッコいいものだけを作るんだ! それと君の音楽だけどさ、ドラムとか、エレキとか、ああいう青臭いのは、ぼくの作品ではやめてくれよな。反体制とか、体臭とか、そういうのが一番嫌いなんだ、ぼくは。(言い終わるか言い終わらないかのうちに、獣のような絶叫とともに、凄まじい騒擾が始まる)何するんだ、離れろ、音楽屋め、体臭が、ぼくに、臭い、臭いィィィッ! (気狂いのような悲鳴で)ぼくに触るなァァァッ!」
(男性の声のナレーション)残念ながら、このテープはここで終わっている。この後、二人がどうなったのか、果たして輝けるアニメ界の超新星となったのかどうか、それは誰も知らない。
逆愚痴卑露野侮
ただ聞き手に何の感興も起こさせないことをだけ目的に作られたバックミュージックのためのバックミュージックが軽々しく流れる中、応接間を想定したのだろう、奇妙に生活感の欠如したセットの中央に男女が差し向かいに座っている。セットは以前より明らかに簡素な作り。女性、カメラに対して深々とおじぎをする。
「ご無沙汰しておりました、ホステスの宵待薫子でござます。長らく放映を自粛しておりましたnWoの部屋ですが、多方面より応援と励ましをいただき、このたび深夜枠という形ではありますが、再びみなさまにお会いすることになりました。スタッフ一同を代表しまして、お礼を述べさせていただきます。本当に、ありがとうございました(立ち上がり、カメラに向かって深々と頭を下げる)。更なる番組のクオリティアップをもって、みなさまからのご恩に応えていきたいと思っております。それでは、新たに生まれ変わったnWoの部屋、記念すべき第一回目のお客様をご紹介させていただきます。人気ロールプレイングゲーム『最終偏執狂的接片愛~ファイナルフェティッシュ!~』シリーズのディレクターであり、総監督でもある、逆愚痴卑露野侮さんです」
「(長すぎる鼻の下に台形の口ひげを生やした男へカメラが向けられる。深く刻まれた笑い皺の下の、少しも笑っていない目で穏やかに)どうも、今日はお招きありがとうございます」
「(おじぎして)こちらこそ、お忙しいところお越しいただき、ありがとうございます。ご存じのない方のために付け加えますと、ファイナルフェティッシュ!シリーズは、あのトラ食えシリーズと双璧を為す国民的な人気ゲーム作品です。(資料に目線を落としながら)昨年は映画化もされていますよね」
「(一瞬顔面神経痛を抑えようとしている人の表情になって)映画? (何かを思い出そうとしていると他人に感じさせるのに充分な間を置いて)ああ、FFM(ファイナルフェティッシュ・マゾヒズムの略)のことですか。いま言われるまで忘れてましたよ。まあ、あれはほんと、片手間でしたね。あの作品は商業主義的に、もっといえば享楽主義的にやりすぎました。欧米中心に公開されたんですけど、(自然つり上がる片頬)むこうの人間の大ざっぱさをぼくは考慮に入れていなかった。つまり、(徐々に早口に)あちらの毛唐の方々の生得的な精神状況の低さの現状を、ぼくが軽く見積もりすぎていたということなんですね。でもそれは、あまりに予想を覆すほどのレベルで低劣だったから、神ならぬ身ではしょうがなかったとも言えるでしょう。誰がやっても同じ結果になったと思います(無意識に、激しく顎が縦方向に上下する)。ぼくは本当にいい人間で、他のスタッフからも、逆愚痴さんはゲームにせよ何にせよ、受け手に期待しすぎじゃないんですかってよく言われるんだけど、(膝の上で、関節が白くなるまで握りしめた両拳をぶるぶると震わせながら)芸術の作り手が受け手、鑑賞者に期待しない態度っていうのは、芸術家にとっての敗北だという気がするんですね、ぼくは。同業者に聞かれたら、甘い考えだと言われるのはわかっているんですけど。(何か身内にわきあがってくるものを押さえようとするかのように、荒い息で肩を上下させながら)ぼくは、本当にお人好しでいい人間なので、観客を想定するあまり、作品の内包するテーマ性を制作初期の段階でより低いものに変えたんです。ただただ、受け手にとってわかりやすいことを追求するためにですよ。ぼくの頭の中にあった元々のものは、実はもっと高級なんです。(うつむいて、親指と親指を触れあわないようにぐるぐるまわしながら)それに、ぼくの持っている深淵かつ壮大なテーマをそのままに彫刻するのに、映画というジャンルはあまりにエンターテイメント寄りすぎますから…(テーブルに頭をつかんばかりの前傾姿勢から、突如上半身をバネようにはねあげて、宵待の左肩をつかむ)ねえ、わかるでしょ!」
「(自分の何気ない問いかけが、なぜここまで激烈な反応を引き出してしまったのかわからず、大きく目を見開いて硬直したまま半泣きの口元で)あの、わかります。(おびえのあまり、ほとんど素の状態で)私も仕事でいろいろあるけど、友だちに相談してもしょうがないなってこと、いっぱいあるし」
「(あざけるように口元で笑って、手を放す)フン、凡人の生活感覚ぐらいといっしょにしてもらっちゃ困るね。ぼくの言った受け手って、君みたいな人のことなんだろうな。(脱力してソファにもたれかかって)わかりゃしねえんだよ、おまえらくらいにはな」
「(なぜかはわからないが、相手の激情が去ったことにほっとして)あ、ええと、そう、ゲームの方のファイナルフェティッシュ!なんですが、先日最新作が発表されたところですよね。(ジロリとにらみ返してくる相手にうろたえて)ええと、11作目。そう、今回はシリーズ11作目ということで、すごいです、長いです(なぜか拍手する)」
「(口元を歪めて)どこぞの遊児だか豚児だかとは、才能の密度が違うってことだな。(ブツブツと)資金集めも、組織運営もまともにできねえくせに……カネを使わずに、いい物語を書けば、だと? ハッ、樋口一葉の昔から、日本人ってのはそういういじましいのが大好きだからな……(突然激して立ち上がる)このインターネット時代に、原稿用紙と万年筆でゲーム作ってんじゃねえ!(机を蹴り上げる)」
「(縮み上がり、上半身はほとんどスタジオの外へ向かって逃げているが、下半身で踏みとどまって)あの、インターネットというお言葉が出ましたが、この最新作はネットワーク専用ゲームだと聞きました。あの、(顔色をうかがう。思い切って)これまでのゲーム業界には例を見ないような、すごい進取の精神ですよね!」
「(うつむいて、間。突如笑み崩れた顔を上げて)でしょう? ぼくはモジュラーケーブルやLANケーブルの暗示的な逆さ凸が、みっしりと電話線の差込口に満たされるのを見るのが、本当に大好きなんですよ(得意の鼻息で口ひげが揺れる)」
「(ほっとした様子で)逆愚痴さんがインターネット上に創造なさった、全く新しいファンタジー世界である、(視線を原稿に落とす。凍り付く笑顔。きっかり3度またたきした後、真っ赤になって口ごもりながら)ま、ま、ま、ま、ま」
「(握った親指と人差し指を左ふぐり、握った薬指と小指を右ふぐりに見立て、下方に垂らした中指をぶらぶらと前後させながら)マラ、でぇぇる!」
「(顔を真っ赤にして、うろうろと視線を机上にさまよわせ)あの、ファンタジー世界である、ま、ま、ま、ま」
「(握った親指と人差し指を左ふぐり、握った薬指と小指を右ふぐりに見立て、下方に垂らした中指をぶらぶらと前後させながら)マラ、でぇぇぇぇぇぇる!」
「(背筋を伸ばし、視線の焦点をどこにも作らないようにして)ま、ま、マラ・デエルでの冒険劇は、これまでのロールプレイングゲームの概念を大きくくつがえすものである、とのことですが…(徐々に涙声になる)」
「(独り言のように、しかし聞こえるのに充分な大きさで)やれやれ、ようやくか。よもや、男性生殖器を露出するの意でとらえたのではあるまいね。まったく、最近の若いのときたら、性倫理や性道徳などという言葉が定義できるような範疇を超えているね。本当に嘆かわしい限りだ(言いつつ、ズボンの後ろポケットに入っていたテレコからカセットを取りだし、極太マッキーで”ヨイマチ、マラ”と書く)」
「あ、あの(助けを求めるようにスタッフの方へ視線をやる)」
「(跳ねるようにカメラに正対し、突然調子を変えて)日本のようなIT後進国で、ネットワーク専用ゲームの製作に踏み切るのは、たいへん勇気のいることでした。専用ということはつまり、プレイを続けるためにいくばくかの料金を電話局なり、我々の会社へ継続的に払い続けるということですから。(作者近影のときのお気に入りの苦悩の表情で)樋口一葉の昔から芸術にカネを払わないいじましい国民の方々が、このゲームにカネを払い続けてくれるのだろうか? その心配は、制作中も離れずありましたね。(わずかに長すぎる口ひげをなめながら)ですが、考えてもみて下さい。美術館に入るのには然るべき料金を支払いますね。そしてあなたがあの素晴らしい人類史的な作品群をもう一度見たいと思ったとき、またきっと美術館にカネを払うでしょう。その反復に疑問を感ずる人はいないはずです。まあ、お上に頭のあがらぬいじましい農耕民族の国民のみなさんに関しては、(鼻息で口ひげをゆらして)何らかの権威づけがそこには不可欠なのでしょうけれどね。じっさいのところ、日本では無名であっても世界的に有名な人物はたくさんおります。(とりすました表情で)私にしたって、極力ひかえめにいったところで、”世界の”という冠を名字につけて呼ばれるくらいのレベルの人間ではあるんですけどね。(見えざる何者かの追求を遮るように慌てて)外タレにサインをねだられたことはありませんが、それは私が一度も外タレと遭遇したことがないというだけの話なんですよ、じっさいのところ。ですから、何の話でしたか、今度のFF11(ファイナフフェティッシュ!11の略)は、『継続的に体験するためには継続的にカネを支払い続けねばならぬ』というこの一点において、芸術作品と同義であるということができるのです。今までの作品は、まあ悪くはなかったですが、単品切り売りの、肉屋につり下げられた牛か豚のような類のものでした。それは、私の作品の提出方法としては、私の意図とかなりかけはなれた不本意なものでした。ぼくのファイナルフェティッシュ!という名前の芸術作品は、ネットワークという概念空間を使って、形而下から形而上へと存在のステージを写したんですよ。つまりこれは、人間が神に昇華するという比喩と、まったくの同義の移行なんです。(口ひげを引っ張り、アゴを突き出して得意げに)この移行が人類にとっていつ以来のことだかわかりますか、宵待さん?」
「(うつむいて親指のささくれを引っ張っていたが、急に話をふられてとびあがって)は、はい! わかりません!」
「(右の掌を額に打ち当て、左手で口ひげを数本引き抜く)本当に馬鹿だなあ、あんたは! 宗教学を知らぬ人間に、世界というパラダイムが理解できるものか! (嘲るように)あんたみたいのが俺の想定していた観客だったとすると、FFMの興行収入の数字にも納得がいく。(片頬を吊り上げて)その納得を手に入れただけ、今日このくだらない席に、(一息入れて強調して)激務の合間を縫って座っている意味があったってことか。(声をひそめて、蛇を思わせるやり方で下方から宵待ににじりよる)いいか、俺はいまファイナルフェティッシュ!がネットワーク専用ゲームになったことは、人間が神になったこととイコールだと言ったんだ。つまり、それは、(重大な秘密を明かすようにささやいて)キリストだよ。新たな千年紀を生きる人類が迎えたキリストの復活、それが、俺の、(立てた左手の親指を自身に突きつけながら)ファイナルフェティッシュ!11だ!(かわいた鼻水でてかてかになった口ひげが、頭上のライトを照り返す)」
「(かみ殺したあくびで両目をうるませながら)なるほど、なるほど。すばらしい。(スタッフが示す板を横目で確認する。書かれている内容に激しく首を横に振るが、スタッフの強い調子にやがて押し切られて)し、しかし、マナ・デエルへの接続に必要不可欠であるプレステHHユニット(プリーズ・レット・マイサン・エレクト、ハーマイオニー、ハーマイオニー!ユニットの略)の品薄や、ネットを経由しないと入手できない仕組みの煩雑さや、加えてプレステHHそのものの高額さや、(唾を飲んで)それに先ほどもおっしゃられましたが毎月継続的に、それこそ半年で別のゲームが購入できてしまうほどのプレイ料金を払わなければならないことなどが相まって、FF11は一般のゲームユーザーには非常に敷居が高いものになってしまっているのではないでしょうか?(目をつむり、首をすくめる)」
「(悠然と煙草を取り出そうとするが、ぶるぶると震える指先がそれを裏切っている。フィルターを外側に向けて煙草をくわえながら)芸術とは常に時代にとって、もっと言うなら、人間が命をつないでゆくことにとって、余剰であったわけです。生きるために必要ではないが、魂が求めるその余剰にこそ、人間を他の畜生と聖別する何かが含まれている。(大仰に両手を広げて)そして、ダ・ヴィンチの例を挙げるまでもなく、芸術という余剰には常にパトロンの存在が不可欠です。なぜなら、この世の大半を占める、ただ増えて死ぬために生きている蒙昧の群れどもは、日々口を糊することと、オメコにしか興味が向かないからです。(わずかに均衡を崩した目で自身の言葉に埋没するように)この連中は、オメコには恐ろしいほどの労力やカネをつぎこんで省みませんが、芸術となるととたんに、これはもう間違いなく彼らの低脳からくる劣等感でしょうが、オメコ汁に濡れた口元を半開きに激しくどもりながら批判めいたことを口にし、あるいはオメコの入り口はもう締めようもなく荒淫に弛緩しているくせに、財布のヒモをことさらに固く締め上げたりするわけです。(何かを振り払おうとするように大声で)彼らの精神はもう本当に低劣極まりますから、これを啓蒙しようなどと少しでも思わないほうがいい。私は本当にいい人なので、彼らに手をさしのべようとして一度ひどい目にあっていますから言うんです。(ほとんど涙ぐみながら)映画というのは本当に間口が広すぎて、やつらの方が選択する側の人間なんだと勘違いさせ、増長させてしまったんだ。(袖口で口ひげに垂れた鼻水をぬぐって)芸術にカネを払うことは知的に、そして何より人間的に高度でなくてはできませんから。つまり、(妄執にとらわれた人の目で、身を乗り出して)FF11のプレイヤーは、FF11をプレイしているというその事実だけで、すでに存在論的優位者として選民されているのです。敷居の高さゆえに売り上げが伸び悩んでいるという指摘は、ですから全くの的はずれなのです。(口の端から泡を吹きながら)私は私の芸術へとたどりつく資格のある人たちを、電子的な方法論で選民したのです。彼に竹ひごでぶたれるためなら進んで急所を差し出してもいいとお考えの、ノブナガ好きの民主主義国家の主権者のみなさんには、危険思想の持ち主と思われてしまうかもしれませんがね(声を上げて笑う)! FFMの時とは違ってな、(自分のしゃべる言葉に後追いで得心した満足な笑みで)わざと間口を狭くすることで、おまえたちが選ぶんじゃなくて、俺が、俺こそがおまえたちを選ぶ芸術的絶対者なんだってことをわからせてやってんだよ、このオメコ愛好者どもが(テーブルを蹴り上げる)!」
「(無表情で)選民する。なるほど、よくわかりました。あなたはオメコという言葉を連発なさいましたが、それは食料と交換可能であるという意味合いにおいて、生命と限りなく等価値であるカネを、生命を物理的に養わない抽象事象に支払うことができるかどうか、という比喩として受け取ってよろしいですね(無表情のままのぞきこむ)」
「(鼻白んで、目をそらす)ああ、まあ、そうとも言えるかもな」
「(無表情で)少なくともFF11という名前のネットワークゲームは、”公共”を作ろうとしている。”公共”の究極とは『どんな対価をも伴わずに、誰のものでもある』ということだと、私は考えます。知性と財による選民、私にはFF11は、貴社からの様々のプロパガンダが表現するような、開かれた無謬の理想郷にはとても思えません。(ゆっくりと)あなたがおっしゃられたキリストの比喩をなぞるなら、マラ・デエルは人造の失楽園なのではないですか(無表情のまま小首をかしげる)」
「(うろうろと視線を漂わせて)なあ、急にそんな…やめようぜ。(作り笑いで)本気に取るなよ、ほんの冗談じゃねえか!」
「(口元の両端を機械的に吊り上げて)虚構の現実化によるアンチクライマックスです。いつまでも、好き勝手に暴れられるものではないですよ(立ち上がる)」
「(周囲を見回す。人形のような無表情のスタッフが見つめ返す。泣きそうに)なあ、やめようぜ、こういうの流行らねえよ。なあ」
「(さえぎって)今日のゲストは逆愚痴卑野侮さんでした。お帰りはあちらからどうぞ(腰を折り曲げて、深々とおじぎをする)」
遊児 vs 酷男 ファイナルウォーズ
土間から座敷へ上がる式の、和風居酒屋。額と頭頂部が一体化しつつある、薄く色の入った眼鏡をかけた男が背中を丸めて、周囲のざわめきに埋没するように食事をしている。大柄な白人女性と、その半分ほどの背丈の小男が店に入ってくる。少し遅れて、”腰を低くする”言葉どおり、ガウォーク状に腰を屈めた男が、作り笑顔と、指紋の消えた手でする蠅のごとき高速の揉み手で後に続く。揉み手からぶすぶすと立ち上る煙。
小男、白人女性との会話――よく聞くと、数種類の四文字語をイントネーションを変えて話しているだけ――に没頭しているふりで通り過ぎるも、突然大仰に振り返る。
「(プリマのような必死の背伸びで、白人女性の肩口から胸部へ手を回そうとしながら)おやおや、どなたかと思えば、これはホーリー先生じゃありませんか! 先生ともあろうお方が、こんな場末の居酒屋でひとりお食事とは、なんとまあ(額に手のひらを打ちつける)」
「(薄くなった頭頂部から大雪山の角度でなでつけた前髪に、こめかみの青筋を隠しながら)贅沢というのは、やりすぎると慣れてしまいますもので。いまではこのくらいに落ち着いています。(白人女性と枯痔馬の頭頂部のそれぞれの位置の差を、首を上下にしながらためすがめつして)身の丈に合わないことをすると、『芸が逃げる』と言いますからな。(充分な間。首をかしげて)ところで、どちら様でしたかな?」
「(つんざく怒号で)賢和ッ!」
「(回転レシーブの要領で枯痔馬の前に飛び出す)はイィッ、監督ッ! なんでございましょうかァッ!」
「ホーリー先生に名刺をお渡ししろ(立てた親指で指示する)」
「了解しましたァッ!(回転レシーブの要領でホーリーの前に飛び出し、名刺を手渡す)」
「(眼鏡を額に上げて、目を細める)なるほど、あなたがご高名な枯痔馬酷男さんでしたか。私は名刺を持ち歩かなければならないほど、人に知られていないという状況が少ないものでして……(片手で髪を掻き上げる)ホーリー、遊児、です」
「(右頬にチック症状が現れる)一度、ホーリー先生とは個人的にお話をしてみたいと思っていました。(ホーリーの前の席に目線をやる)よろしいですか?」
「(手に持った杯を一飲みに干して)なァに、そんなに恐縮することはありません。ときどき出すゲームをせいぜい400万本しか売り上げることができない、しがないゲーム作家の晩酌、どなたに同席されようとも、(鷹揚に缶入りの煙草を抜き出して、火を付ける)孤独を癒す喜びでこそあれ、(煙を枯痔馬に向けて吹きつける)邪魔だ、などということはあろうはずがないです」
「(煙を左手で払いのけて)賢和ッ!」
「(回転レシーブの要領で枯痔馬の前に飛び出す)はイィッ、監督ッ! なんでございましょうかァッ!」
「(千円札のみで構成された札束を床に放り投げて)その、(口端から泡を吹く発声法で)ビィィィィッチに支払いを済ませておけ」
「了解しましたァッ!(背筋をのけぞらせて軍隊式の敬礼をすると、困惑する白人女性の手首をつかんで店の外へ出てゆこうとする)」
「(つんざく怒号で)賢和ッ!」
「(白人女性を突き飛ばし、直立不動の姿勢をとる)はイィッ、監督ッ! なにか不備がございましたでしょうかァッ!」
「(本人は決めポーズだと思っているのだろう、傍目には『屠殺場の直立できる家禽』としか形容しようのない有り様で上半身だけで振り返り、ウインクに失敗した片目だけの半目で)お釣りは全部、俺のものだぜ?」
「了解しましたァッ!(背筋をのけぞらせて再度軍隊式の敬礼をすると、困惑する白人女性の手首をつかんで店の外へ出てゆく)」
「(ゆっくりとホーリーの方へ向き直る。頬のチックは消えている)これで二人きりです、ホーリー先生」
「(鷹揚に煙草をもみ消しながら)やれやれ、どうにもぞっとしませんな。そんな大きな声を出されたら、どんな偉大な人物がこの場末の酒場の一角を占めているのか、気づかれてしまう(懐から色紙と極太マッキーを取りだし、試し書きを始める)」
「(カウンター席で銚子の山に埋もれていびきをかいていた男、女店員に揺り起こされて涎をふきながら)なんだ、女将。デュアルスクリーンが右の乳房と左の乳房でそれぞれ占拠されるという夢を見ていたのに……ヤヤ、もしかしてあそこにいる二人は……(突如垂直に1メートルほど跳び上がり、その跳躍の頂点で180度の角度になるまで前後へ開脚する)た、たいへんズラ! こんな場末のハッテン場で、ホーリー遊児と枯痔馬酷男が対談を繰り広げているズラ! とッ、特ダネだァ! 輪転機を止めろォい!(下駄を鳴らしながら店外へ駆けだしてゆく)」
「(その後ろ姿を満足げに見やりながら)全く同感です。誰もがその言葉を”千金の千倍を積んでも”聞きたいと思うホーリー先生。そして、シアトル在住のおばが国際電話で『酷男ちゃん、ゲーム作ってるんだってねえ! 酷男ちゃんにハリウッドからオファーが来たりしたら、オバチャンのとこにもテレビカメラ来るのかしら。ねえ、カメラ来るの?』と、個人的感想を思わず赤裸々に語らざるを得なかったほど、全米を揺るがした最新作を上梓したばかりの私。この二人がここにいるんですから」
「(試し書きの手を止めて、上目づかいにジロリと見て)枯痔馬さんは、思っていたよりもずっとお若いんですな」
「(小鼻を膨らませて)不惑を目前にした12月24日、独身仲間との毎年恒例のサバゲーの最中に突然開花した、ボクの瑞々しい感性、青々と繁りゆく天賦の才能。ホーリー先生がそのことを意識なさっているのはよくわかります。なぜって、人生も半ばをとうに越えられた先生が、日々の衰えのうちに最も感じざるを得ないはずのものを、目の前のこの男は持っているんだから!(両手を広げて回転する)」
「(卓に押しつけすぎて先端部の粉砕したマッキーを土間へ放り投げて)お若い、お若い。若いというのは恐れを知らないということですからな。(煙草に火をつける)しかし、お若いからなんでしょうかなあ……(煙を吹き上げて)枯痔馬さんの新作、拝見させて頂いたんですがね」
「(小鼻を膨らませて)天下のホーリー先生にお見せするようなものではないのですが、先生から積極的にご覧になったというのなら、感想を聞かないわけには参りますまい」
「そうですな、(真顔で)ゲーム進行中、場面の合間の実写活劇が省略されて話がつながらないことが頻繁にありましたが、あれは枯痔馬さん、どういう演出意図をもっておられたのです?」
「(頬のチックが再開する)あれはッ! あれは、単純に製造工程上の問題で、私の手元を離れた後での、ボクは悪くないッ! きっと工場のブルーワーカーたちがボクの才能に嫉妬していらぬ細工を…クソッ(拳で卓を一撃する)」
「(愉快そうに)では、あれはただの不具合だったんですな。ハハ、年を取ると気が長くなっていけない。十年前の私なら、そうとわかっていれば、ジグソー状にノミでもって丹念に粉砕した光学式円盤に、ナタで切断した雄鶏のとさかの部分を同封して、そちらの販売会社さんか、さもなくば枯痔馬さん宅かへ、直接郵送していましたものを(呵々と笑う)」
「(1秒の10分の1に一回ほど発生する右頬のチックを顔の角度を傾けることで相手に見えないようにして)乱丁・落丁の取り替えを作家本人に請求する筋は聞いたことがありません。賢明なご判断でしょう」
「(真顔で)冗談ですよ。お互い嘘を商売にするのに、枯痔馬さんは少し発想が真面目過ぎるんじゃないですか。私が深夜にバイク便へ電話するのを思いとどまりましたのは、その言動の一つ一つが肌に皮膚病の痒みを生じさせるよう緻密に計算された、前作の例の(悪意を込めて愉快そうに)イケメン君の大活躍が消しがたく念頭にありましたので。敵陣営の中核に当たる人物を確かに打倒したにも関わらず、実写活劇は挿入されず、他の登場人物の誰もその一件に触れない状況に遭遇したときなぞ、またぞろ前作の後半部のようにメタメタ(この場合、メタフィクション・メタフィクションの略)に展開してゆくための大胆な伏線に違いないと、いつ突然場面が転換して無線の”デンパ”が飛んでくるか冷や冷やしていました。(肩をすくめて半開きの両手を全面でゆらゆらさせながら焦点の合わない両目で、女性の声音で)『ピー。ガ・ガー。癩伝、あなたの倒したと思った敵は実在しないの。それは社会的偏見と呼ばれるもので、人々の頭の中や、あなたの頭の中にしか存在しない、決して打倒し得ないものなのよ!ピー。ガ・ガー』。(両眼球を連動しない動きで一回転させて焦点を戻す)いやあ、私の思いこみに気を取られていたもので、枯痔馬さんが意図なさっていたようには、楽しめていないのでしょう。いやはや、反則そのもののミスリードですな(言いながら、煙草の缶をのぞき込む)」
「(店内へ息を切らせて駆け込んでくる)監督、例のビッチに支払いを済ま」
「(おもむろに立ち上がると、脇腹を蹴りつけて)賢和ッ! ホーリー先生が煙草を切らしてらっしゃるじゃねえかッ!」
「(蹴られた勢いで転倒するも、そのまま回転レシーブの要領で立ち上がり)了解しましたァッ!(店外へと走り出てゆく)」
「(下卑た笑みで)ヘヘ、賢和ってんで、住み込みの弟子としてここ2年ほど飼ってんですが、どうにも気のきかない野郎で。ご指摘のリトルグレイ・インプラント編も、試しにあの馬鹿に書かせてみたんですが、案の定のできあがりってわけでして。抽象性を高めて高尚に見せようってのは、最低のハリボテですな。あっしの”人物眼が”間違ってたってことですかねえ」
「ハハ、異なことをおっしゃる。(顔を上げる。照明が眼鏡に照り返し、表情が読めなくなる)枯痔馬さんはゲーム作家なんでしょう? ”人物”を見る目の無い者が、どうして人間を適切に描写できることがありましょうか」
「(もはや顔面の右半分全体に伝播したチックを手のひらで押さえながら)は、話は変わりますが、ホーリー先生、『トラ喰え8』のことです。御作品、遊ばせていただきました。他の点に関しては右斜め45度に固定した頸椎でもってすべて判断を保留にするとしても、国籍不定の地名と悪役名を考えつく先生の御才能”だけ”は、未だこの業界で誰の追随をも許していないようで、安心しました。(上半身を乗り出す)しかし先生、お言葉ですが、件の”マペット放送局”(『トラ喰え8』の物語中盤に登場する、右手と左手にそれぞれ動物を模した指人形を装着した、数人の全身黒タイツ男性から構成される末期ガン専用ホスピス慰問団のこと)のくだりには、この枯痔馬酷男、しばらく大きく開いた顎の両端から唾液がとめどなく垂れ流れるのを止める術がありませんでした。ホーリー先生は昔から、『俺たちは死ぬまで同性愛だぜ!』とか、ぎょっとするような直接な表現やオマージュを好まれましたが、最近の漫談ブームに乗ってここまで露骨にやられるとは(わざとらしく手のひらで額を打つ)、この厚顔さが『トラ喰え』の現在までを形作ってきたのだと改めて気づかされ、不肖この枯痔馬、夜中に一人モニターの前で羞恥に悶絶しておりました(両腕を身体に巻きつけて悶えてみせる)」
「(引き寄せようとしていたアルミ製の灰皿のへりの一部が、親指と同じ形に変形する)そうだ、枯痔馬さん。私はお礼を言わねばならないと思っていたのです。なんと言いましたかな、あの登場人物。枯痔馬さんの作品に登場した、射精の速度に苦悩する大学院生」
「”THE・早漏(ざ・そうろう、と読む)”のことですか」
「(わざとらしく大きくうなずく)そうそう、確かそんな名前でした。枯痔馬さんが、彼の人物設定を深めるために与えた、射精毎の口ぐせ、『哀しい…』は拙作のドリペニス(終末医療のための施設を占拠する犯人が、警察に送信した犯行声明のメールの送信者名欄に書かれていた名前。以後、”ドリペニス事件”と呼称され、社会的に定着する。犯人は小便の最中に施設へ突入した警官隊に射殺され、虎状のペニスを隆々と露出したまま、二重の意味で直立不動のまま、絶命する)の決め台詞『悲P…(かなぴー、と読む)』への巧妙なオマージュ、つまり『トラ喰え』へのレスペクトの顕れですね。ありがとうございます」
「(両手を激しく振って)いや、いや、いや。ホーリー先生は勘違いなさっていらっしゃる。売れない漫才コンビによるショートショート百連発、あるいは単品ではさばけない品物を寄せ集めたデパートの福袋の如き、”ギリシャ悲劇小品集”とでも形容するしかない前作『トラ喰え7』への私の感想を、登場人物に仮託して思わず吐露してしまっただけのことですよ。お恥ずかしい」
「(口へ持ち上げかけた猪口にヒビが入るのをそのまま卓へ戻して)いやいや、往年の名作『かぼちゃ状ボイン(かぼちゃ状のボインを有した婦女が蚤の如き小男に懸想する大正時代を舞台にした少女漫画。最終回で結ばれた二人は、朝鮮半島へと政治亡命する)』を否応なしに想起させるほど、登場人物名にことごとく”THE”をとりあえずあてがう、日の出の如き才能をお持ちの枯痔馬”監督”ですから、一般人のするような私の作品へのその手放しの賞賛には及びますまい。ゲーム作家に過ぎない自身を”監督”と敬称させてはばからない感性は驚愕に値しますが、先ほどご慧眼により看破なさった点、漫談ブームに関してのご指摘ですが、私は監督が漫談ブームへの造詣に関して人後に落ちることはあるまいと、半ば確信しております。枯痔馬”監督”の最新作に登場した”THE・醜女(ざ・ぶす、と読む。顔面の生まれながらの不出来に懊悩する中年OL)”役の斜陽中年女子声優へする、監督の演技指導ぶりといったら! 妙な裏声でもって、『間違いない』を決めフレーズとするあの漫談師と寸分狂わぬ抑揚を忠実に真似るそのアテレコぶりは、まさか漫談ブームを意識しなかったとは言わせません。加えてその発話内容の放つ政治臭ぶりは、学生自体にゲバ棒を握って機動隊の一員の脳頂を強打したことのない、膣内ではなく、ちり紙の上に放出した精液と同じ青臭さをふんぷんとまき散らしておられました。無論、『ゲームと現実の線引き』を常に遊戯者に意識化させる手法をお取りの”監督”のことですから、当然照れ隠しとしての結果、ひいきの斜陽中年女子声優にする体当たりの演技指導に熱が入りすぎてしまった結果のことだとは推察しますが! しかしこの業界に長くいる先達から忠告させて頂きますなら、『ゲームと現実』より、『ゲームと映画』の線引きを、まずご自身に対する周囲からの敬称から、改めていってはいかがかと存じますね(口端を歪める)」
「(顔を真っ赤にして、異様な早口で)わ、私が推測するに、やつらは本当は、心の奥底ではゲームなんて全然プレイしたくないと思っているはずなんです。ゲームに対してあまりにも膨大な時間を費やしてきた結果、ゲームそのものには致命的に飽いてしまっているはずなのに、それが無い時間は不安でしょうがないから、ゲームをしている。ちょうど重度のアルコール依存者が、血中にアルコールの含まれていない状態に精神的な不安を生じるように、ゲームの存在しない日常に不安を生じるまでに依存してしまっているのです。ここで不幸なのは、他の依存症と同じく、周囲からはそれ無しではいられないかのように耽溺しているように見えるのに、当の本人は少しも状況に楽しんでいない、ゲームをすることを楽しんでいない、むしろ不愉快と苦痛を感じている場合がほとんどということなのです。私の意識する私のゲームの購買層は明確です。『20歳を越えてまだゲームをし、映画館に出かけて行く程度の能動性の無い成人男性』がターゲットです。ゲーム内にパロディ化された特定映画の一場面に、彼らが微苦笑を浮かべるのではなく、むしろ感涙を浮かべるとすれば、それは彼らの無知と精神性の低さを間接的に戯画化し、批判していることになる。私の手法とは、他の健全な人々が社会的居場所を築くために使っている膨大な時間をすべてゲームに費やしてきている彼らの無為を、彼ら自身にはそうと気づかせぬまま徹底的に愚弄することなのです。ネット上で彼らがゲームにする批評の舌鋒が時に気狂いじみているのは、つまらないゲームは自分たちの日常の、ひいては自分たち自身のつまらなさとオーバーラップするからです。自己存在の否定に対して、人間は最も強く抵抗を示します。彼らは無意識的に、自分たちの営為のつまらなさ、意味の無さを知っているのです。私は彼らの存在の位置を、私の作品を通じて社会の中にマッピングすることが目的なのです。消費するばかりで生産することを知らぬ彼らの平面的な実在の有り様を、立体化する作業なのです。だから、あんな同人誌みたいな二次創作ではないんですゥ! すべて意図を持った演出技法の一環なのですゥ!(両腕をぐるぐる回しながら、絶叫する)」
「(飛び散る唾に対して左手を風防にして、煙草に火をつける)私の好きな言葉に、『人生について考えるのはいいが、人生の意味について考えてはいけない』というのがあります。人生の意味とは、すなわち死の意味ということで、他の事象とは違って死が個別的であるという点から、死の意味も決して一般化のできない個別的なものです。つまり、正解が無く、他者へ言葉を使ってその意味を疎通することもできません。思考が言葉によって定義されるというなら、言葉が他者への伝達を基とするというのなら、究極的には、言葉で死を考えることはできません(ゆっくりと煙を吐き出す)。君が愚弄するまでもなく、彼らはすでに社会的制裁を受けているじゃないですか。それこそ、暗黙のうちに。この社会での断罪とは、かつてのような石もて追われ罵られることではなく、完全にその存在を無いものとして扱うこと、無視と同義ですよ。愛と憎悪はベクトルを変えた同じ力です。君の絶叫はつまり、彼らを愛しているという絶叫とも考えられる。更に言えば、君は自分自身を社会へどう位置づけるかに未だ執着しているように見える。君が、無視された者たちに心ざわめかせるのは、自分の商売に必要な相手という以上に、かつて自分が彼らの一人だったことを知っているからじゃないですか? (顔面総チックとなった枯痔馬が言いつのろうとするのを手で制すと、眼鏡の位置を直す。眼鏡のガラスに照明が照り返し、表情が読めなくなる)君の作品から判断するに、君は童貞ですね。君に足りないのは、成功体験ならぬ、性交体験なのです。見かけのハードさによらず、君の銭入ゲーム(銭湯闖入ゲームの略)が子ども向きだと私がどうしても考えてしまうのは、君の提示しているものがセックス未満の世界理解、セックス未満のエロスに満ち満ちているからです。ひとつもっとも顕著な例を挙げるなら、乳の揺れです。君が知っているように『トラ喰え8』の乳は、ことごとく揺れます。対して、君の作品の乳はそのサイズの大小に関わらず、ことごとく揺れない。ぴっちりバイクスーツの隙間からのぞいていようとも、黒い下着に包まれていようとも、眼前で揺れない乳はどんなに巨大な乳であろうともグラビア写真に過ぎない。つまりせんずりネタに過ぎないということです。実際に眼前で自身の動きにあわせて揺れる乳を見たことがあるものは、あんなふうなリアリティの無さには陰茎を硬直させることはできません。逆に、自身の動きにあわせて眼前で揺れる乳を見たことがあるものは、その表面上の差異にとらわれず、『トラ喰え8』にこそ真のエロスを感じることができるのです。『トラ喰え8』は、セックスを終えた大人、あるいはセックスをする予定の子どもたちに捧げる人生賛歌なのです。君の好んで選ぶ題材であるところの政治にしても、あんなに青白い書生ふうな、個人的な神経さでは進んでいかないものです。比較の問題ですが、私にとっては下着を着用しない婦女が肉を熱い汁の中で弄ぶ類の接待を受ける官僚の方が、よっぽど人間的で好感が持てますね。私はもちろん、君の願望の投影として受け取っていますが! 君の作品の人物は、腺病質な内面は自身の投影としてリアルに、マッチョや奇形はアニメーションに影響を受けたのだろう、外挿的な”設定”が人物の本質に先行した戯画的な造形で作られている。
「君は私の地名や悪役名の名付け作法のことを指摘しましたが、現実に存在する固有名詞はすべて歴史的情報や歴史的記憶というものを蓄積しているという事実に意識を向けたことはあるでしょうか。つまり、すでに物語を含有している名詞を積み重ねて、俗に”リアリティ”と呼ばれるものを作り出すのは、実に簡単だという事実に気がついているのでしょうか。現実に存在するものの名前を物語の中へ取り込むのは、死ぬほどデリカシーのいる作業です。その選定を怠ったり、或いは全く無自覚だったりすれば、たちまち他人の蓄積してきた現実に君の物語は取り込まれ、圧倒されてしまうでしょう。私の観察を言わせてもらえば、物語作法の順序を違えたせいで、本来不可欠であるはずの自分の現実と他人の現実の境界を意識することのないまま、君は自己定義の袋小路に迷い込んでいます。微に入り細に入ったギミックを膨大に積み重ねることで外殻を作りあげると、その外殻を遠目から一見したものはそれが形を成しているので、そこに中身が存在するかのような錯覚を生じます。君たちの世代の物語作法とは、まさにこれです。世界観や思想とは、個人の傷や偏見と同義であるにも関わらず、それを徹底的に排除するように教育を施されてきた君たちの世代のする物語は、すべてこの方法でできています。(遊児、立ち上がる。ほんの一瞬、数倍にも膨れ上がったように見える)おまえの世代の歪み、同情には値するが、物語を愚弄することだけは許さねえ!(悪鬼の形相。気迫が突風となって吹き上がる)」
「(頭を抱えて這いつくばって)ヒイィッ!」
「(穏やかな表情で)ただ、THE・醜女の人物造形には感心した。美容整形に成功し、社会的に容認され、いまや周囲の誰からも求められる新しい自分を、自分自身が実は一番求めていないことに気がつくことを描写する下りは、私の見ている”現実”に肉薄していた。外挿的設定、外観的パーツへの偏執愛から人物造形する世代にはわからないかも知れないが、本来人物造形とは、キャラクター本人が自身の自我をどのレベルにまで深めて言語化できる知性を持っているか、によっている。若しくは、それを視聴するものが、キャラクター本人によって言語化されない自我の部分をどのレベルにまで言語化して補うことのできる知性を持っているか、によっている。意識してのことかどうかは知らないが、おまえの描いたTHE・醜女は、この両翼から、既存の人物造形のレベルを一段階押し上げていた。なぜならTHE・醜女の自我と知性は、本来中年OLのそれに過ぎなかったはずなのだから。彼女の持つ苦悩の深みは、そして彼女の愚かしさは、私を泣かせるに足る。その点に関しては、この通りシャッポを脱いで賞賛しようじゃないか(言いながら、頭頂のカツラを一瞬持ち上げて、また元のように下ろす)。
「おまえはまだ人間を知らない、世界を知らない。おまえはまだ物語という広大な広がりの、端緒についたばかりだ。おまえが今まで俺の前へ提出したおまえ自身の物語は、THE・醜女の悲哀だけだ。これを殿軍に実作の世界から遁走し、無朽の位置に自分を押し込めようとする気じゃないだろうな。(親指で自分を指し)俺という、真実からの評価には目をそむけて。おまえはまだ、偉そうに誰かを指導できるほどの物語を物語ってはいない!(テーブルを一足飛びに乗り越えると、酷男の肩口を蹴りつける。たまらず土間に転がり落ちる酷男) もう一度地面に這いつくばれ! 人間という名前の巷間を、吐かれている反吐と同じ目線でいざってこい! (座敷から土間を見下ろして)そうして、ここまで登って来るんだ。俺を脅かすところまで(口の端で笑みを作り、人差し指で招いてみせる。ジャケットを羽織ると、息を切らせて店に駆け込んできた賢和の手から缶入りの煙草を取り上げて、出てゆく)」
「(土間に寝そべり、呆然と天井を見上げる枯痔馬に気づいて)監督ッ!」
「(ゆっくりと賢和を見る)賢和、か。悪いが、俺とお前の師弟関係は、今日この場で解消だ」
「(うろたえて)な、何を言っているんですか。あんな才能の枯渇したとネットで評判のロートルに言われたことを、気にしてるわけじゃないでしょうね。(ノートパソコンを取りだして)ほら、監督の新作もネットでこんなに好評を博しているじゃないですか! ネット上での人気調査でも、『トラ喰え8』を押さえて監督の新作がトップですよ(前歯の抜けた口腔を見せながら笑顔を作る)」
「(悲しそうに見返して)そうか、わからないんだな。あの遊児が、ホーリー遊児が、俺を敵として認めたんだ。あの膨大な力に対抗するのに、弱い者はいらない。足手まといはいらないんだ。俺はいま、一瞬の油断も許されない、戦いの密林へ踏み込んでしまった。俺はおまえの世代を導くほど、まだ自分の世代に責任を果たしちゃいなかった。(陶然と)いまになって気がつく。俺は、俺の浅薄な世界理解を、何の反論も許さないほどに粉々にうち砕いてくれる”シ”を求め続けていたのだと。家族、学校、会社、社会、みなが俺の価値を認めてきた、尊重してきた。その温情と愛情と平等の錯綜する地獄のような穏やかさの中で、俺は常に違和感を感じてきていた。俺はようやく、”シ”と呼べる人に出会った! そうだ、俺はずっと、俺よりも力強い誰かに、俺自身を強く否定されたかったんだ!」
枯痔馬酷男(2)
「(蹴りあけられた扉が蝶番ごと吹き飛ぶ)広報部は何やってやがんだァ! (手にした雑誌を床に叩きつける)『銃と軍艦+尻と胸の谷間+小児的誇大妄想+三文芝居=MGS(まったりゴックン!銭湯闖入、の略)』だと……こういうのを事前に検閲するために開発費を削って大枚はたいてんだろが! このレビュアーの代わりに生まれてきたことを後悔させてやるぜ! 担当者ァ、一歩前に出ろ!」
「(整然と並んだモニターの前で脅えきったスタッフの中から、ベースボールキャップのせむし男が足を引き引き前へ出る)へへ、ゲームの外でも軍隊式ですかい。枯痔馬監督のご威光に照らされちゃ、誰も逆らえやしませんや。ここはひとつ、監督の(強調して)男らしい度量と器の大きさを、スタッフたちに見せてやっちゃあくれませんか」
「(厳しい表情が小鼻の膨らみからわずかに崩れる)おお、周陽! わが友、わが理解者、そして枯痔馬を継ぐ者! 聞かせてくれ、音曲にも似たおまえのシナリオを! おまえに比べればこの世の言葉はすべてささくれだち、ボクの繊細な心にはあまりにつらすぎる……(しなを作りながら両手で自身を抱きしめる)」
「(右半分と左半分で奇妙に印象の違う顔の造作を歪めて)監督に乞われて断れる人間は、ここには一人もおりませんや」
「(哀願の表情で)おお、言わないでくれ! 才能という名前の地獄が形成する王者の孤独を何よりも理解するおまえだというのに、そんな皮肉を言わないでくれ! 周陽、ボクは友としておまえと話をしているのだよ」
「(曲がった口元が痙攣する)ならば、お聞かせしやしょう! スネエクが彼の運営する銭湯掲示板を十年来荒らし続けたその仇敵と現実に遭遇する場面でございやす」
「(目を潤ませて)近所の銭湯で会釈だけを交わす常連が、愛好家としての心のつながりを信じていた相手が荒らし本人だったという、あの名場面のことだね」
「そう、こんな切ねえ場面を仮構できる監督の才気に、拙が打たれたあの場面でごぜえやす」
「同時に、おまえが文章による虚構力をまざまざとボクに見せつけ、枯痔馬の名を受け継ぐにふさわしいことを証明したあの場面だよ」
「(ベースボールキャップのつばに手をかける)まったく恐れおおいことでして」
「(フリルのついた両袖を広げて)周陽、おまえが恐れる必要があるのは、おまえを破滅させるかもしれないその才能だけだよ! さあ、聞かせてくれ。砂漠で水に飢えた人間のように、ボクはおまえのシナリオに飢えているのだから!」
「では……(咳払いとともにロンパリとなる黒目)“スネエクの眼球には浴槽の外(アウトサイド、のルビ)で腰掛ける中年男が写された。スネエクの内(インサイド、のルビ)では、光と陰で構成された中年男の倒立像が網膜の光受容体を刺激・活性化し、視神経という名付けの電脳回路を通過する。その過程で分解された画素(ピクセル、のルビ)は外側膝状体(ニューロン集団、のルビ)を経由して、脳の後方に位置する一次視覚皮質に転送された。同時に、同じ情報が脳幹の上丘を経由して頭頂葉を中心とする皮質野にも転送されている。一次視覚皮質には網膜の感覚(SENSE、のルビ)と点対応を成す視覚地図が広がっていた。右眼球から転送された画素は左側視覚皮質に、左眼球から転送された画素は右側視覚皮質に紐付けられ、ナノ秒をさらに分解する単位でマッピングされてゆく。その情報は分類の後に編集され、中年男の輪郭という視像を明確に捉えるための縁(エッジ、のルビ)が強調される一方で、背景に広がるペンキ絵や番頭が腰紐に挟んだ扇子(SENSE、のルビ)については曖昧化が行われた。編集を終えた情報は劣化せずに、色彩や奥行きなど視覚風景のさまざまな属性に特化した三十ほどの視覚野へと中継される。眼前の中年男が持つ語義的な属性と情動的な属性の検索(サーチ、のルビ)作業と同じくして、側頭葉の高次領域は対象への意味論を展開する。活性化した視覚野たちはやがて不可解のデカルト的統合を果たし、現実空間の中にひとつの像(ヴィジョン、のルビ)を形成した。スネエクに呪詛の言葉を迸らせたのは、その認識だった。『わあ、あなたがあらしだったなんて、すごいびっくりした。もう、おどかさないでよ』”……(黒目の位置が元に戻る)以上でごぜえやす」
「(レースのハンカチに顔を埋めて)この現実の手触り感ったら……リアルだよ、たまらなくリアルだ」
「(ベースボールキャップのつばに手をかける)監督は光で、拙は陰でございやす。光が強ければ強いほど、その陰は濃くなるって寸法で」
「(小鼻を膨らませて)ふふふ、陰影があるからこそ事象は立体的な奥行きを得るのさ。おまえを得た今、MGS新作の成功は約束されたようなもの。宿敵・ホーリー遊児も何を血迷ったのかG.W(ゲームウォッチの略)の世界へ後退し、もはや物の数ではない。しかし、ひとつだけ大きな不安材料が残されている」
「枯痔馬監督の有する巨大な才能に不安を抱かせるとは……それはいったい、なんでございやす?」
「(弱々しい微笑を浮かべて)トリプルミリオンを意識するときに避けて通れない一般大衆の愚劣さが好むもの――つまり恋愛感情だよ。しかも、三次元の女性との色恋沙汰だ。おおッ(しなを作りながら両手で自身を抱きしめる)、なんとおぞましい……!!!」
「(唇の端を歪める)心配いりやせん。その案件についてはすでにシナリオへ織り込み済み、解決済みでさ」
「(目を潤ませて)周陽、おまえはなんて頼りになるんだろう! これでボクは銃火器と軍艦の描写にだけ専念できるというもの……ただ、ボクの芸術作品に現実の女の臭いがするというのは耐え難いことだ。おまえを疑うわけじゃないが、その点はちゃんとクリアできているんだろうな」
「キキキ、ぬかりはございやせん。主人公と恋人は遠距離恋愛中という設定でございやす。パソコンとインターネットを使って愛をはぐくんでおりやす」
「(目を細めて)ほう、膣が陰茎から遠いというだけですでに好ましいな」
「互いを隔てるのは距離だけではございやせん。東京とサンパウロ、長大な時差がございやす。朝の出勤前に互いのビデオメールを確認しあうという間柄でして」
「女に貴重な趣味の時間を占有されないというわけか! ますますいいじゃないか! しかし、同じ地球上にいるには違いない。黄砂よろしく、大気を伝って女の臭気や分子がボクのところへやってくるんじゃないのか。アニメ風情とは格が違うんだ。発売日も迫ってきている。女を宇宙に打ち上げるロケハンを行うほどの予算は残っていないぞ」
「キキキ、仕上げをごろうじろ。ある日、女は出勤途中に橋の欄干から足をすべらせて死にやす。彼女の両親から受けた知らせに呆然となる主人公は、自室のパソコンにビデオメールが届いているのを確認するのでごぜえやす。震える手でマウスをクリックし、そして泣きやす。すでにこの世にはいない女が二次元で優しく微笑むのを見て、モニターを抱き抱えてオイオイ泣くのでごぜえやす」
「(うっとりとした表情で)完璧だ……三次元の女へ愛情を向けるのにこれ以上の譲歩は考えられないくらい、完璧な譲歩だ。おまえは本当に揺れる男心の機微をわかっているな。“死んだ処女だけが美しい女”とはよく言ったものだ」
「含蓄の深い言葉でごぜえやす。いったい、どこの国の大文豪から引用なさったんで」
「(親指で自身を指しながら、マッチョな表情で)このボクからさ!」
「道理で。(ベースボールキャップのつばに手をかける)大文豪というくだりだけは、間違っちゃおりませんでしたか」
「(破裂せんばかりに小鼻を膨らませて)なんて機知に富んだ男だ! おまえの応答には退屈させられるということがない。それに引きかえ……」
「(大声で叫びながら部屋に駆け込んでくる)てえへんだ、てえへんだ!」
「(不快げに眉をひそめて)何事だ、賢和。この世界の枯痔馬のセクシータイムを直接わずらわせなければならないほどの重大事だというんだろうな」
「(両腕を不規則にばたばたと動かしながら)バグでヤンス! ゲームの進行に深刻な影響を及ぼす規模のバグが、同時に三つも出たんでヤンスよ!」
「(手のひらに拳を打ちつける)クソッ、この時期にか! プログラム陣は全員、生まれてきたことを後悔させてやる! 詳細を報告しろ!」
「BB(主人公の無賃入浴を阻止するために雇われた四姉妹、ボイン番頭の略。度重なる無賃入浴は、やがて町の銭湯の廃業へとつながってゆく)たちのリーダー、鎌田キリ子の乳揺れが異様でヤンス! まるで重力を無視して、上下左右に揺れまくるでヤンスよ!」
「(賢和の頬に拳をめりこませる)ボクは断じてインポテンツじゃないッ!」
「(両手足を大の字に広げて壁に叩きつけられる)ぐはぁッ!」
「騎乗位の視点から眺めた乳の動きを並列化したコアの演算機能で数値解析し、三次元的にシミュレーションを行ったんだよ! 乳首にモーションキャプチャーのマーカーを貼り付けるなんておぞましいことをボクにさせる気なの! 本物が見たいならソープに行けよ! ボクはボクの頭にある美しい光景だけが見たいんだよ! 汚い現実は見たくないんだよ!」
「(口の端から血をぬぐいながら)は、早とちりでヤンした。でも、次のは間違いないでヤンス」
「(ウェットティッシュで執拗に拳をぬぐいながら)言ってみろ」
「(満面の笑みで)もう死ぬと言って倒れた登場人物が40分以上しゃべり続けていて、一向に死ぬ気配がないでヤンス! しかも似たような話と台詞を繰り返すばかりで、これはプログラムが無限ループに陥ってるに違いないでヤンスよ!」
「(賢和の頬に肘鉄をめりこませる)この毛唐の手先めがッ!」
「(両手足を卍状に広げて壁に叩きつけられる)ぐはぁッ!」
「(繰り出した肘の先端を震わせて)同一モチーフの再登場はテーマを強調するための常套だろうが! そして繰り返しはプレイヤーどもの知性への疑義の提示と同義で、一方的な奴らからの批判に対抗する意図があるんだよ! 何より死の間際の長広舌は日本芸能のおハコだろうが! 欧米に侵された感性でボクのシャシンを判断するんじゃないよ!」
「(普段は動かない方向に曲がった関節を元へ戻しながら)は、早とちりでヤンした。でも、次のは間違いないでヤンス」
「(ウェットティッシュで執拗に肘をぬぐいながら)言ってみろ」
「(得意げに)異様に演技の下手な声優がひとり混じっているのを見つけたでヤンスよ! その拙さに思わずコントローラーから手を離して耳をふさいじまうので、ゲームの進行が不可能でヤンス!」
「(賢和の頬にハイキックをめりこませる)そりゃ、ボクのことだ!」
「(両手足をカギ十字状に広げて壁に叩きつけられる)ぐはぁッ!」
「大好きな輪島崩子(わじまぽんこ)ちゃんが、ボクの童貞告白に『私もはじめてなの』と処女膜の健在を宣言する! そのやりとりを私的利用のためサラウンド録音するという、物語の内的必然性を体現した極めて重要な場面じゃないか!」
「(通常稼動する範囲を越えて回転した頚椎を元へ戻しながら)これまた監督の深遠すぎる意図を汲みそこねた早とちりというわけでヤンス」
「(ウェットティッシュで足の甲を執拗にぬぐいながら)おい、賢和。ボクとポン子ちゃんの苗字を声に出して読んでみろ」
「(脅えた表情で)こ、枯痔馬。わ、輪島。これでいいでヤンスか」
「(うっとりとした表情で)コジマにワジマ……2文字もいっしょじゃないか。ボクはここに宇宙的な運命を感じるよ。ああ、かわいそうなポン子ちゃん! 神の悪戯がこれほど引かれあうボクとポン子ちゃんの精神的な結合を許さない……あの愛らしい声がこともあろうに女の肉で包まれているなんて、こんな悲劇ってあるものか! だからボクはポン子ちゃんに正しい容れ物を用意してあげるんだ。最新の映像技術を使ってね(手のひらを組み合わせて遠い目をする。が、途端に険しい顔となる)……いつまで見てやがんだ! さっさとデバッグ作業に戻りやがれ!(賢和の尻を蹴りあげる)」
「(両手の肘から先を力なくぶらつかせながら)し、失礼いたしましたァ!」
「(遠ざかる茶色に染まった尻を見ながら)周陽、おまえはボクを裏切るなよ」
「(ベースボールキャップのつばに手をかける)へへ、それは監督の胸先三寸次第で」
「(唇を噛みながら宙空をにらみつけて)ホーリー遊児め、なぜ今更G.Wなんだ。わざわざボクにハンデをつけようっていうのか。G.Wでこの表現力に適うと、本気で考えているのか」
枯痔馬酷男(3)
静まり返った深夜の雑居ビルに一室だけ点る灯り。文字の本来が持つ伝達という意図を無視した乱雑さで“シナリオ会議”と極太マッキーで書かれた紙片の掲示される扉の向こうには、複数の男たちが額を寄せ合ってうめいている。上座に位置する男、露出した頭皮へわずかばかり残った下生えを凄まじい勢いでかき回している。
「(血走った目で)矛盾はねえか、矛盾はねえかァ! MGSの完結編となるこの作品、わずかばかりの不整合や語り残しさえ、二度と語りなおせないという意味で致命的な瑕疵となりうる。広げた風呂敷の裏で実は何も考えていなかったと、(実際にそうすれば見えるかのように宙空をにらんで)奴らに格好の批判の口実を与えるなど、断じてあってはならないのだ。(積まれた原稿用紙へ十センチまで視線を近づけて)矛盾はねえか、矛盾はねえかァ!」
「(関節を感じさせない動きで両肘から先をぶらぶらさせながら)見つけたでヤンスよ! 廃業した銭湯の湯船で殺されていた豚醜女(ぴっぐ・ぶす、と読む)の死因でヤンス! 入り口にはインサイドとアウトサイドから板が打ちつけられ、あらゆる侵入経路は完全に封鎖されていたにも関わらず、日本刀は被害者の手が届かない背中から胸部へ突き抜けているでヤンス!」
「(額に浮かんだ無数の血管に両手の爪を突きたてて)ぐぬぅ、ぐぬぬぅ! (突如椅子を蹴たてて立ち上り、両手を前傾姿勢から後ろ向きに伸ばすと、異様な熱をはらんだ目で宙空を凝視する)」
「で、出た、酔狂のポーズでヤンス! 周陽、よく見ておくでヤンス! あのポーズが出たとき、枯痔馬監督に解決できないシナリオ上の問題点は無くなるんでヤンス!」
「(額に一滴、汗のしずくが流れ落ちる)噂には聞いていやした……まさか、この目で拝見できるとは……」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 豚醜女を殺害した犯人は入り口をアウトサイドから閉鎖した後、大気散布型のナノマシンを使って死体を遠隔操作し、被害者自身にインサイドから木材を打ちつけさせたのだ!」
「(スーパーのチラシの裏を見ながら)MGSの年表を眺めていたのでごぜえやすが、THE・醜女(ざ・ぶす、と読む)の懐妊時期とスネエクのED(勃起不全、のルビ)が始まった時期が整合しやせん」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 体内循環型のナノマシンがスネエクの海綿を充填し、一時的にEDの回復を見たのだ!」
「(両肘から先をぶらぶらさせながら)見つけたでヤンスよ! このムービーで鎌田キリ子の膣口が重力方向ではなく水平方向に開いているでヤンスよ!」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 生体置換型のナノマシンが、鎌田キリ子の遺伝情報を根本から書き換えたのだ!」
「(両肘から先をぶらぶらさせながら)アッ! この場面、太陽が西から昇っているように見えるでヤンス!」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 大気散布型と生体置換型の混合タイプのナノマシンが、スネエクの大脳辺縁系を侵し、主観カメラに影響を与えたのだ!」
「(スーパーのチラシの裏を見ながら)MGS年表を眺めていたのでごぜえやすが、二人ばかり年齢が二百歳を越えておりやす」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
「(両肘から先をぶらぶらさせながら)じゃあ、お湯の上を走っても沈まない妊婦の挿話は」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
「(スタッフらしい男が入室しながら)すいません、昨晩から腹を下してて、どうも便が水っぽくて」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
「(スタッフらしい男が退室しながら)監督、レンタルビデオの延滞料とられそうなんで、申し訳ないですが今日はこれで失礼します」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
「(額に流れる汗のしずくをぬぐいながら)恐ろしいばかりの才気、そしてそれを上回る執念……拙が唯一持ち得ないものは、自分以外の一切を度外視したこの妥協の無さ……」
「(空々しい拍手とともに)みなさん、夜遅くまでお勤めご苦労様です」
「(全員が一斉に戸口を見る)誰だッ!」
「(登頂を経由して大雪山の角度になでつけられた頭髪の隙間から、雪の反射光を思わせる不可思議の輝きを発しながら)誰だとはお言葉ですな。場末の雑居ビルという哀れな舞台装置とこの大人物とのギャップが、それを言わせたのかもしれませんね(戸口の暗がりから電球の傘の下へ歩み出る)」
「(犬歯を剥き出しにして)ぐぬぅ……ホーリー遊児……ッ! いったい何をしに……!」
「(かきあげすぎないよう細心の注意を払って大雪山に手櫛を入れながら)陣中見舞い、ですよ。同業者としてね。さて、これは非常につまらないものですが(机の上に、提げてきたポリ袋を投げ出す。重く湿った音が響く)」
「(癇の強い叫び声で)賢和ッ!」
「(回転レシーブの要領で顔面から床へ這いつくばり)ハイィッ! 何でございましょうかぁッ!」
「(顎をしゃくって)早速ホーリー先生のご好意をお確かめしろ」
「こういう役目が回ってくるという予感がしていたでヤンス……(足の指を使っておそるおそるポリ袋の口を開く)ヒイイィィッ!(尻餅をつき、失禁する。ポリ袋の中からは、頭蓋を丸く切り取られ、脳味噌を露出した馬の生首が転がり出る)」
「中国では悪い身体の部位を食べることで養生をすると言いますから。(両手を広げて)枯痔馬監督の患部にぴったりの差し入れをと熟考いたした結果でして!」
「(チック症状が見え隠れし始めるも、つとめて慇懃に)シナリオ仕事で原稿用紙に向かうと、どうも(強調して)目が弱ってきていけません。ホーリー先生のご好意だけはありがたく頂戴するとしましょう」
「(青ざめて立ち尽くすスタッフを見回すと、含み笑いを拳で押さえながら)『神は笑うことを恐れる観衆を前に演じる喜劇役者だ』とはよく言ったものですな」
「(ベースボールキャップをとり、胸に当てる)ご高名は拙のような低きにも届いてきておりやす。さすが、ホーリー遊児、含蓄の深え言葉で。いったいどなたからの引用でございやす?」
「(色つき眼鏡のつるに中指を当てて)ヴォルテールですよ。金言集は実に役立ちます。私は作家ではなく、ただのゲーム製作者なのでね」
「(顔面の右半分をチックに侵食されながら)周陽ッ! おまえが敬意を示すべき相手は誰だッ!」
「(悲しそうな顔になり)なんと心の狭い言い様か。だとすれば、枯痔馬酷男が退行してしまったという噂は、やはり本当だったということですか。前回の貴方は、本当にいいところまで来ていたのに! (遠い目をしながら)そう、ブレイクスルーに肉薄さえしていた。(机の上に広げられた原稿用紙やチラシの山を見て)しかし、今の貴方は己の脳髄のみで設定の辻褄を合わせるのに必死だ。熱情と奇跡と世界との融和が奏でる自動律が、作り手の意図を超えたところですべてを整合する」
「(顔面全体のチックに震える声で)賢和、ホーリー先生はひどく酔っておいでのようだから、丁重に外までお送りしろ」
「(聞こえないかのように続ける)制約がゲームを作る。46文字の平仮名と19文字の片仮名が無限の世界を作ったあの日を、私は決して忘れない。それとも、貴方は忘れてしまったのですか? 他のメディアを剽窃するのではなく、与えられた媒体に安住するのではなく、自らの治める王国を自らの手で探し出したいという燃える渇望。その熱気に満ちた初源がゲームという新たな地平を生んだのです。技術の限界を知恵で超越するという、世界と人間とのメタファーにも通ずる苦闘がゲームを鍛えたのです。私たちは私たちだけの王国を築き上げた。次世代の旗手として貴方には王国の城壁を堅持して欲しかったのです。私が今になってG.Wに回帰しようとするのも貴方を最右翼とする――認めましょう――次の人々に、流浪の民の上へ響いたThy Kingdom comeの喜びと祝福を再び思い出させたいからなのです。卑近な制約を知恵で超克する、これが日々の営みの本質です。制約の存在しない場所で自己を解放したところで、どれだけ高く跳躍しても雲に手が届くことは決してないのを知るのと同じ絶望をしか生みません。大容量メディアを前にした貴方は、おそらくその絶望に気がついたはずだ」
「(無言。いつのまにかチックは消えている)」
「(肩をすくめる)話すつもりのなかったことまで話してしまった。それだけ、私は貴方に思い入れがあったということでしょう。しかし、もう貴方に会いたいと思うこともありますまい。何より、トラ喰え最新作の作業にする没頭が貴方を忘れさせるでしょう(踵をかえすと、たちまちに立ち去る)」
「(ホーリーがいなくなり、沈黙が降りる。それを破るように、渇いた笑いが周囲へひびく)は・は・は・は……あっさりと認めやがった……この枯痔馬さまが次世代を担う旗手だと、認めやがった」
「(ベースボールキャップのつばに手をかけて)どうやら、そのようでごぜえやす」
「(ひどく不安そうな口調で)制約だって? ばかばかしい! 俺は今回、BD(ビッグ・ディルドー、の略)の容量をすべて使い切ったんだぞ……この事実こそが、与えられた制約を乗り越えた客観的な証拠じゃないか! 莫大な物量が質に転換する分水嶺を越えて、そうだ、俺は俺だけの新たな王国を築くことに成功したんだ。そうさ……俺はMGSの最新作でゲームを超えたんだ……(消え入りそうな声で)俺は、ホーリー遊児に勝ったのだ……」
「(両肘をだらりと垂れ下げて)周陽、ホーリー遊児と話をすると、枯痔馬監督はいつもおかしくなっちまうでヤンス。前回は事務所を解散すると言い出して……また見捨てられないか不安でヤンス」
「(ベースボールキャップのつばを引いて深くかぶり、独り言のように)ホーリー遊児に敵対し、その存在を頑なに否定しながら、彼の提示した方法論とパラダイムに則って自作を評価している……これは、そろそろ潮時かもしれやせんね」
ホーリー遊児(3)
ソファとテーブルのみの簡素なスタジオセットの中央で、一人の婦女が腰掛けている。白目に蝿がとまるが、某有名拳闘漫画の最終回を想起させる前傾姿勢で微動だにしない。突如、頓狂な音楽が流れだすと同時に、婦女、バネじかけの如く跳ね起きる。その顔面は余すところなく靴墨のようなもので着色されている。
「ハァイ、全国津々浦々、老若男女のみなさーん! 小鳥尻ゲイカがテンションあげあげのスーパーハイテンションでお送りする『nWoの部屋』の時間がやってきましたよ! (興奮の極みのロンパリで)ってゆーか、アタシがこんな有名番組の司会に抜擢されるだなんて、リアルに超ウケルんですケド! コーデリア、見てる? ついに帰ってきたの! アタシ、全国のお茶の間にまた、帰ってきたのよ! ……え、何? 全国放送じゃないの? ははあ、ネットで有料動画配信。(前髪に手櫛を入れながら、とたんに低い声で)話がうますぎると思ったわ。やっぱり裏があったのね(露骨に舌打ちする)」
画面の外でプロデューサーらしき男が両手を身体の前で振り振り口パクで『だましてないだましてない』と言う。
「(両腕をソファの背に乗せてのけぞって)あー、いっきにやる気うせたわー」
画面の外でプロデューサーらしき男が合掌して口パクで『かんべんかんべん』と言う。
「わかってるわよ。いまのアタシに仕事えらぶ権利なんか無いってんでしょ。(立膝になると片手のメモを隠そうともせず)えー、記念すべきネット配信第一回のゲストわぁ、(棒読みで)なななーんーとぉ、ホーリー遊児さんにお越しいただいておりまぁす。あの有名な(全くそれを知らない者のイントネーションで)『トラ食え』シリーズのシナリオライターに、最新作『トラ食え9』発売直後のホンネを直撃したいと思いまぁす」
「(カメラがスライドすると、サングラスの男が映される。足を組んで鷹揚に座っており、その秀でた額はスポットライトを激しく照り返している)ふん、宵待薫子で一時代を築いたあのnWoの部屋がいまやこんな安普請で(土足で軽くテーブルを蹴る)、場末のネット配信にまで堕ちてるとはね。(画面外のスタッフへ)宵待チャン、いまどうしてんの? あ、死んだの。それはご愁傷様。(値踏みするように小鳥尻を眺め)だから、どこの馬の骨ともわからない芸人が司会してんのか。不況の影響かあ? どれもこれも安く上がってんな!(馬鹿笑いする)」
「……ンだと、この野郎!」
袖をまくり立ち上がりかけるが、プロデューサーらしき男が両手を身体の前でクロスさせながら口パクで『がまんがまん。また干されたいの』と言う。
「(硬直した笑顔で)ドウゾヨロシクオネガイシマス」
「(口の端を歪めて)フン。もはや僕が出演するのにふさわしい番組の格とはとうてい言えないが、金科玉条のインタビューに雑誌を買う能動性すらない連中にも等分に僕の言葉を届けてやる義務がある。例え、こんな場末のネット配信番組で羞恥プレイに近い待遇を受けてもだよ。それが、(充分に計算された角度と速度で首を振る。前髪がはねあがり、きわどい部分をお茶の間に公開する寸前、前髪は元の位置に戻る)過去に類を見ない国民的人気作品を世に送り出してしまった、罪深い僕の才能に対する贖罪というものだからね……(右手で口元を押さえ、左手で身体を抱くポーズを作り、流し目をカメラへ送る)」
「(無視して)それでは早速、質問に参りたいと思います。(カンペに目をやりながら)今回のトラ食え9は前作から実に5年の歳月を経て、まさに満を持しての発売となりましたが、苦労なさった点や制作秘話などをお聞かせいただけますでしょうか」
「(両手を打ち合わせて)ハハハ、上手上手。ちゃんとおしゃべりできるじゃないの」
「(目線を外したまま硬い声で)どうも」
「(ねっとりと嘗め回すように小鳥尻を見る)いいね、いいね。そういう強気なの、嫌いじゃないね。最近、草食系とやらが多すぎて、食傷気味だからさ。草くってテメエだけおつうじよくて、こっちの腹ァくだらせる連中がさ! いいですよ、制作秘話ね。実は前作から古巣を捨てて、制作会社が変わったんですね。仕事する相手もツーカーの同年代ばかりじゃなくて、若い子が圧倒的に増えてね。最近の若い子たちはね、とても頭がいいんですよ。昔なら信じられないけど、大学出てるくせにゲーム屋やってんだもん。どいつもこいつも、偏差値高いんだ。卒論とかで鍛えられてんのかな、文章も達者で、なんでも言葉で説明できちゃう。で、説明できるもんだから、やったこともないのに本質をわかった気になっちゃうんだな。体験が欠落してしまうの。でも、いまや受け手の大半も体験が乏しい世代だから、それに気づかないんだよね。だから、表面はすごく洗練されて見えるんだけど、軽いの。情念が伝わってこない。僕はそういうの、ヤなんだよ(笑)。古いって言われてもさ、受けつけないの。書き手のナマの経験値がさ、何を題材にしたって、隠しても隠しても行間から否応に染み出してくるような文章じゃなきゃ、トラ食えのシナリオを記述するのにふさわしいとは言えないのよ。ぬぐってもぬぐっても、染み出る先走りね(舌で唇を執拗に湿しながら、こぶしの人差し指と中指の間へ親指を出し入れする)。わかる?」
「(あくびとも嘆息ともつかぬ様子で)はあ」
「(サングラスの位置を直しながら)なんとも淡白な反応だね。デレないツンデレってわけだ。まあ、いいや。だから、僕は若手社員たちの教育から始めなくちゃならなかったわけですよ。みんなスケジューリングもうまくて、仕事も速くて、それでいて一定のレベルを超えるものを作ってくる。でも、僕は不満だったのね(笑)。ふつうのゲームならそれでいいんだろうけど、これはトラ食えではないって思ってたの。(興が乗るにつれてやさぐれた感じを増して)ヤニも吸わずに青白い顔でカタカタってキーボード打ってさ、ほとんど残業も無しに定時退社するわけよ。んで、飲みに誘っても、全然のってこないわけ。『それって給料分ですか?』って言われてアッタマきてさ。モノをつくるドロドロが、会社っていうシステムでおきれいに下水処理されてんだよ。だから、制作開始から一ヶ月くらいしてからかな、全員退社した後にハードディスクをひとつ残らず五階の窓から放り投げて、プリントアウトしたシナリオもびりびりに破いてやった」
「(あくびを隠すように両手を口元へ当てて)まあ」
「(得意げに)次の日、床に散乱したシナリオの残骸にあぐらをかいて、定時出社の連中をお出迎えしたのよ。どいつもあんぐり口を開けてさ、いっそ怒鳴りあいになれと思ってたね。なのに、『どうするんですか、これ』とかぼそぼそ声の抗議だけで片付けを始めやがったからよ、アッタマきて手近の青ビョウタンをネクタイごと胸倉つかんで、したたかブン殴ってやった。そしたら、女みてえに(口マネで)『なにひゅるんでひゅかぁ~』だってよ! 大切なものを土足で踏みにじられてんのに、テメエの存在ごと作ってねえから、本気で怒ることさえできねえのよ。俺はキレたね。机の上に仁王立ちして、啖呵よ。『テメエらは天下のトラ食えの制作に参加してんだぞ! なんでもっとそれを利用しねえんだよ! クオリティアップのためだったら、どんなに時間をかけたって社長からも文句を言われねえ、誰にも文句を言わせねえ、国民の一割が購入することがあらかじめ決まってんだからな! 大学出てるくせに公務員じゃねえ、わざわざゲーム屋を選んだんだ! それなりの我ってもんがあるんじゃねえのかよ! 納期を守るとか、そんなつまらん社会性はぜんぶ放り投げて、ただ創造だけを我利我利に追及しろよ! トラ食えの制作現場にいんだぞ、おまえら! もっと誇りを持てよ! もっと貪欲になれよ!』」
「(あくびに目を潤ませ、眠気に頬を紅潮させて)かっこいい」
「(勘違いに小鼻を膨らませて)それからよ、『おまえら、これからトラ食えが何なのかを教えてやる』って言って、問答無用で全員引き連れて、むりやり午前中から店ェ開けさせて、朝までキャバクラ三昧よ。まあ、上司の飲みすら断る青びょうたんたちをキャバクラに引きずり込むための、計算ずくの大芝居だったわけだ。んで、その日から四年間ずっと全員でキャバクラ。制作期間を一日二十四時間で計算し直したとしても、半分以上はキャバクラにいたな。もちろん、制作費も九割がたキャバクラに消えたよ。おかげでヤツら青びょうたんどもの人格もいい具合に陶冶されたね。まあ、少々やりすぎたせいで、金髪の顔面ピアスにアロハ姿で重役出勤、キャバ嬢にケータイかけながらダラダラ片手で仕事しやがるもんだから、制作の終盤にはシュラフ持ち込んで会社に泊まり込みよ。開発室は煙草の煙でモウモウしててさ、いよいよの追い込みにはビタミン注射の回し打ち。品行ホーセーだったあの若手どもがよ、修羅場に目を輝かせて、どんどんいいアイデアを出してきやがる。(舌足らずの声の演技で)『ホーリーさん、閃いたッス! セーブデータを1つにすれば、今までの三倍売れるんじゃないッスか?』(胸元で右手を握り締めて)『ビッグアイデア!』。嬉しくって涙が出るってのはこのことさ。そんなよ、社会的には落第しちまった連中がよ、本当にキレーな話を書いてくんだよ。行間からにじむ情念がさ、下手な演歌よりも泣かせんだ(手のひらで鼻をすする)。まあ、少々その他の部分で妥協することにはなったがね(カメラから目線を外す)。今回のトラ食えで、うちの会社は組織としてひとつの大きな山を越えたと感じたね。レベルアップさ(例の効果音を口ずさむ)」
「(カンペを横目で見ながら)しかし、疑問は尽きません。なぜ他の何かではなく、キャバクラだったのでしょうか」
「(足を組み直しながら)いーい質問だ。トラ食え9くらいの、文字通り日本の全家庭に一本が行き渡る規模の国家プロジェクトになると、ただ良作であるということを超えて、どうしても時代時代に即した、大衆を啓蒙する要素を盛り込む必要が出てくる。我々は常に、我々の巨大な影響力に自覚的なんだよ」
「そこで、キャバクラですか」
「(莞爾と微笑んで)おうよ。トラ食えの登場人物に対するお定まりの批判のひとつに、『女性は、処女か母親しかいない』ってのがあるが、今回はそれを逆手にとらせてもらった」
「それが、キャバクラですか」
「(ひどくいい笑顔で)おうさ。ハレとケってヤツよ。キャバクラは絶望的なケの中にあってハレを永続化させようっていう近代の試みなんだよ。民俗学的に見ても、ムラ組織が解体された結果として日本人が失った祝祭機能を代行する場所って言えるわけよ、キャバクラは。いろんな娯楽がある現代にさ、わざわざゲームっていう一頭地劣ったところに群がる連中はさ、どいつもこいつも妙にご清潔なわけ。倫理的によく躾けられていることを見せることで、ママか誰かが褒めてくれるって信じてるみたいにさ。(吐き捨てるように)誰も褒めちゃくれねえのによ! 品行ホーセーが現世での成功に直結するってなら、今頃ニートどもは大金持ちだよ! いままでトラ食えが連中の心をつかんできたのもさ、女性的なるものとして処女と母親だけを記述してきたから、当たり前の帰結って言えるわけ。でも、もうそんなのはヤになったんだよ(笑)。神職とか河原芸人とか、倫理ってのは相対的だからさ、ケガレを代行する装置が相対化を担ってきて、そこへケガレを押し付けることで相対的に清潔でいられるってことを連中は知るべきだと思ったわけ。だから今回、キャバクラで剃毛、おっと、啓蒙なわけよ。しなびたフルーツ盛やら、水道水のミネラルウォーターやらでさんざんボッタくっておきながら、帰り際にポケットのアメ玉をキャバ嬢にやったら、発展途上国の子どもみたいなすげえキレーな笑顔で『ありがとー』って、本当にうれしそうに言いやがるわけ。もう、そういうのにグッときちゃうのよ。俺くらいの重鎮になると、枕営業なんか受けることもあんだけどさ(意味ありげに小鳥尻を見る)、確かに顔立ちも整っててイイ身体してるよ。けどさ、情事の後で後ろ手に髪を束ねてるときなんかにのぞく打算的な横顔に、もう心底からどっと疲れちまうのよ。後ろ指さされないためだけの品行ホーセーで、そのくせ隣人のゴシップには目を輝かせて、娘息子から刃物刺される連中なんかよりも、パンツに大便のスジつけて、髪の毛バサバサで、ゴキブリみたいな質感の顔面で、ホントきったねえんだけど、俺に言わせるとキャバ嬢の方がもう何倍も、一億倍もキレーなわけ。もう、たまんないのよ。(突然、カメラに指を突きつける)おまえら日本男子は全員、いますぐキャバクラ行け! キャバクラ行け、キャバクラ行け、キャバクラに(天をあおいでお茶の間にきわどい部分を公開しながら絶叫する)行けぇーーーッッ!!! 日本男子なら将軍様に仕える心意気ってのが、わかるだろ? 『いざ、キャバクラ!』、なんつって!(ソファに身を投げ出して、馬鹿笑いする)」
「(あきれ顔で)ホーリーさん、ホーリーさん」
「(ずり落ちたサングラスを直して)ああ、これは失礼。少し興奮してしまったようだ」
「(冷静に)キャバクラはもう充分お聞きしました。(カンペを見ながら)今回、若手のスタッフが制作の大部分に携わったようですが、それをとりまとめるホーリーさんのお仕事はどのようなものだったのでしょうか」
「(衣服を整えると、気まずげに咳払いして)そうですね。シナリオプロットの作成と、制作進行および品質管理ですね。プロットを書いたメモ用紙をできるだけ小さくし、簡潔にまとめるのにとくべつ腐心しました。ようやく想像の翼を広げる楽しみを知った若い才能たちに、できるだけ自由にやらせてみたかったんですよ(笑)」
「そのメモには、どんな指示が書かれていたんでしょうか」
「プレイ前の方へのネタバレは避けなくてはいけないという前提の元ですが、いくつか例を挙げましょう。『魚類と父親。父親は死ぬ』『新妻と伝染病。新妻は死ぬ』『令嬢と人形。令嬢は死ぬ』『学院と院長。院長は死ぬ』『姫と騎士。両方死ぬ』……ざっとこんな感じですね」
「(目を大きく開いて)死にまくりですね」
「(深くうなづいて)テロルによる大量殺戮の時代に、死の個別性と恣意性を強調したかったんです。時代に敏感であることも、トラ食えが愛される大きな理由のひとつですからね」
「(真剣な表情で)キャバクラですね」
「(神妙にうなづいて)ええ、キャバクラです。そして、最終工程のブラッシュアップでは、視認性を高めるのに骨を折りました。ひとつの文章がひとつのウィンドウに収まるように調整する作業ですね」
「具体的にはどのような作業だったのでしょう」
「半角を全角にしたり、全角を半角にしたりする作業です。これがまた神経を使いましてね! あまりの精神的な重労働に、頭がハゲあがるかと思いましたよ(笑)」
「えっ」
「いやだなぁ、もちろん言葉のアヤですよ」
「えっ」
「えっ」
突然、画面の解像度が粗くなる。カメラが手前へ引いてゆくとスタジオの光景は遠ざかり、薄暗い部屋のモニターが映し出される。画面の前には一人の男が座っており、その手には携帯ゲーム機が握られている。
「クソッ、わからない! なんでG.Wなんだ! 何の変哲も無い、ふつうのゲームじゃないか! なんでG.Wなんだよ! もしかして、まだボクには見えていない何かがあるのか? クソッ、ホーリー遊児め、どこまでボクに関心を持たれれば気がすむんだ! 読みといてやる、読みといてやるぞ……!!」
インターホンの音が幾度も鳴っているが、男、携帯ゲーム機から顔を上げようとはしない。
カメラは薄暗い部屋から薄暗い廊下を引いてゆき、玄関を通過し、やがて鉄扉の外側を映し出す。新聞受けからはみ出した広告が通路に散乱している。せむしの男、インターホンから指を離し、途方に暮れたといった様子でため息をつく。
「トラ食え9が発売されてからと言うもの、ずっとこもりきりでヤンス。周陽も引き継いだ携帯ゲーム機のプロジェクトを投げ出したまま、辞表を提出しちまったでヤンス。枯痔馬監督、はやく戻ってきてくれでヤンス……」
廣井王子(4)
米国のスラムを思わせる街並み。稲光。カメラの端を巨大なドブネズミが走り去る。カメラは雑居ビルの階段を上昇してゆく。いくつかの踊り場を過ぎ、“ワイドプリンス・プロダクション”の表札がかかった扉の前で停止する。室内には本や雑誌、書類などの紙類が散乱しており、床が見えないほどである。脳卒中を疑わせる重低音のいびき。ソファの上に、文庫本を顔に乗せた中年男が寝そべっている。やがて、廊下から慌ただしい物音。
「(デブとチビ、二人の男が息を切らせて駆けこんでくる)廣井さん! 廣井さんはいますか!」
「(いびきが止まり、廣井と呼ばれた男の顔から文庫本がずり落ちる)ンだよ、うるせえなあ。明け方まで仕事して、ようやく寝かかったってとこなのによ」
「(デブ、ぶるぶると肩を震わせながら)なに、悠長なこと言ってるんですか! 大事件になってますよ! こ、これは、これは本当のことですか!(手に持ったスポーツ新聞の束を廣井の足元へ叩きつける)」
「ああン? (スポーツ新聞の一つを手にとりながら)最近は老眼が進んじまって、細かい字が見にくくっていけねえよ」
「(デブ、荒々しくテレビのリモコンを取り上げ、震える手でボタンを押す)……あの超人気アイドルグループ、悪罵四六時中(略称:AKB46)のリーダーである顎門罪科(あぎとざいか)さんの自宅マンションから、昨日の早朝、中年の男が出てくるのが目撃されました! こちらがその、衝撃のスクープ映像です! (残念な造作の女がジャージ姿の廣井をドアの隙間から見送る写真が映し出される)この冴えない男、名前を廣井王子と言いまして、この冬、罪科さんが主役を演じる予定のミュージカルの演出を任されているとか。一部では枕営業の噂も?(デブ、テレビを切る)」
「(チビ、青ざめた顔で)アンタは、アンタは、やっちゃいけないことをしちまったんだ!(激昂して廣井に殴りかかろうとする)」
「(デブ、チビを後ろから羽交い締めにして)やめろ! まだそうと決まったわけじゃない! まずは廣井さんの話を聞くんだ!」
「(心底めんどくさそうに)チッ、童貞どもが浮き足立ちやがって。なんで俺がお前らに話をすると思うんだよ。てめえんとこの両親は、昨日セックスしたかどうか朝食の席で尋ねたら、朗らかに教えてくれたのか? とんでもねえ家庭だな!(馬鹿笑いする)」
「(チビ、デブを振りほどこうと身をよじりながら涙ぐんで)ぼ、ぼくの罪科ちゃんに指一本でも触れててみろ! 社長だからってただじゃおかないぞ!」
「(両手をかかげて大仰に)おお、怖い。もちろん、指なんて触れてませんよ」
「(チビとデブ、明らかな安堵に表情を緩めて)ほ、ほんとうだな」「ほ、ほんとうですか」
「(真剣な苦悩の表情で)この国のメディアの未成熟ぶりには目を覆うものがあるね。男女が一晩同じ部屋にいたら、必ずセックスをするはずだなんて、無理にでもゴシップを、つまりは自分たちの飯のタネを作らんがためだけの、下衆の勘ぐりにもほどがある。まったく、『下男の目には英雄なし』の金言は、真理であるということを実感したよ。もちろん、指で触るなんて、(突如立ち上がり、邪悪に顔を歪めて)そんな童貞くさいことするわけねえだろ! 俺のポケットモンスターが風邪であんまり寒がるもんだからよ、罪科ちゃんのいちばん深くてあったけえ部分に頭からずっぽりと潜り込ませてやったのよ! こんな具合にな!(近年逝去した黒人整形ダンサーを想起させる動きで腰を前後に動かす)」
「(チビ、顔の筋肉が消失したような虚脱の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちる。デブ、呆然と)そ、そんな……」
「だがよ、童貞ども、安心しな。俺も遊び人の端くれだ、とうの昔にパイプは切断済みよ! 年食った非処女ちゃんの人生を背負う可能性は、まだお前たち一般人男性どもの上へ残されてんだからな!(馬鹿笑いする)」
「(デブとチビ、巨大な蛾が登場する怪獣映画の双子のように手をとりあって)ひどい、ひどすぎる! あーん、あんあん、罪科ちゃん、罪科ちゃぁん!」
「(ゆっくりとソファに腰を下ろして煙草に火をつける)……まあ、最初はほんとに舞台の稽古をつけてやるくらいの話だったんだぜ。ついつい興が乗っちまってさ。おまえにゃ色気が足りねえって、気がつきゃ下半身と下半身のぶつかり稽古よ。(スポーツ新聞を取り上げて目を細める)まあ、この報道ぶりじゃ、二番はねえかな」
「(チビ、もはや話を聞いているふうもなくすすり泣いて)うう、罪科ちゃん、ぼくの罪科ちゃんが汚されてしまった……」
「(デブ、チビの背中をさすりながら)馬鹿、こんなときこそファンの俺たちがしっかりしなくてどうするんだ。一番辛いのは、(涙に声をつまらせて)罪科ちゃんなんだぞ」
「(呆れたように)いま、お前らの様子を見るまで実感なかったけど、悪罵四六時中ってのは、やっぱすげえ商売だな! ゲームがらみで長いこと声優業界に関わってきたから、わかってたつもりだったけどよ、おたくどもの心根を冷徹に分析した、見事なシステムだわ。まず、この不況下で最も活発な消費活動を行うのは、独身のおたくだってこと。次に、おたくは美人の非処女より、多少ブスでも処女が好きだってこと。芸能界なんて場末で美人を探すのは骨が折れるが、ブスならいくらでも虫みてえに集まってくるしな。そして、木を隠すなら森、ブスを隠すならブスの集団ってわけだ。くっそ、考えれば考えるほどに完璧じゃねえか! どうして声優転がしでおたく様どもからカネを巻き上げるのが得意だった俺が、これに気づけなかったかな……」
「(チビ、真っ赤に泣き腫らした目で)ぼ、ぼくは、それでも罪科ちゃんを愛し続けます! 今までも! これからも!」
「(デブ、涙声で)うん、うん。それでこそ罪科ちゃんのファンだ」
「(呆れ顔で二人のやりとりを眺めて)まあ、よっぽど気をつけてやらないと、おたくの自意識に立てられた砂上の楼閣だ、簡単に土台ごと崩れちまうがな。たぶんプロデューサーの野郎、恋愛禁止ぐらいのことしかメンバーに言ってなかったんだろうさ。メンバー全員に最初ッから、ちゃんとこのシステムの成り立ちを詳しく説明しとくべきだったな。強すぎるおたくの猜疑心にかかりゃ、すぐに他のメンバーにも非処女の疑惑は飛び火するだろうよ。まさに蟻の一穴ってわけだ。もっとも、その一穴は罪科の処女膜に開いてんだがな!(馬鹿笑いする)」
「(チビ、勢いよく立ち上がって)よ、呼び捨てにするな! ぼくの罪科ちゃんを呼び捨てにするなよ!」
「おっ、元気あんじゃん。(ニヤニヤ笑って卑猥に腰を振りながら)まずはそのふざけた処女幻想をぶちこわすぅ~」
「(チビ、膝から床に崩れ落ちて)ううっ、財科ちゃん、こんなヒヒ親爺に汚されたって、ぼくは君のことを愛し続けるよ……」
「(肩をすくめて)おまえさァ、そろそろ冷静になって、誰に給料もらってるか思い出したほうがいいんじゃねえの? 安心しろよ、あんな女のこと、すぐに忘れるさ。芸能界にゃ、他にもたァくさん、若い処女がごろごろしてるからな。女アイドルの仕事ってさ、忘れられることも込みだからよ。まあ、長くて一週間ってところかな」
「(チビ、膝の上でぶるぶるとこぶしを震わせて)侮辱するな! ぼくの純粋な恋心を侮辱するなよ!」
「(背もたれに両腕を投げ出し、天井を向いて)女ってのは、つくづく大変だよなあ。若い処女もすぐに非処女になってさあ、じきに若くもなくなってさ、子どもができたらカアチャンになってさあ、容色も衰えていってさ、しまいにゃ、生理までアガッちまう。人生にたどるべき明確なステージがあって、まあ、肉体の変化が先行するせいだけどよ、同時に心もメタモルフォーゼさせないといけなくてさ、失敗すると羽根が伸びきらない蝶々みたいな奇形か、さもなきゃ怪物になっちまう。その点、男ってのは楽でいいよなあ。セックスしたって、たとえ子どもができたって、死ぬまで少年漫画読んでりゃいいんだからさあ。(目を伏せ、小声で)まあ、ガキでもいれば、それが長すぎる人生の時計ぐらいにゃ、なるんだろうがよ」
「(デブ、たまりかねたふうに)いったい廣井さんは何が言いたいんですか!」
「(チビ、加勢して)そうだそうだ! 何が言いたいんだ!」
「(目を細めてチビを見て)おまえ、愛するって言ったけどさ、愛するってのは、女が歩むそのすべての階梯をいっしょに寄り添うってことだよ。若くて処女の罪科ちゃんが好きだったおまえが、処女でもなく、若くもなくなった彼女の何を愛せるんだ? 少年漫画を読む以外のことをしたくなくて、現実から俺の事務所に逃げこんできたおまえがさあ? なあ、もう一度言ってみろよ、罪科ちゃんを愛していますってさ」
「(チビ、嗚咽とともに床に顔を伏せる。デブ、チビの背中をさすりながら)ど、どうして廣井さんはミュージカルの演出なんか引き受けたんですか。柘榴vs.禅(ざくろたいぜん)からこっち、ゲーム制作に関わろうともしない。お言葉ですがそんなミュージカル、演出のことなんか何もわかりゃしないおたくたちが、悪罵四六時中のメンバーを観に来るだけの、半年も経たないうちにすべて消えてしまう泡沫じゃないですか。貴方の才能はゲーム制作でこそ、最大に輝くはずなのに、それをどうして……」
「(目を細めて)そして、舞台にかかわらなきゃ、顎門罪科の処女を散らされることもなかったと言いたいわけだ」
「そ、それは……」
「はは、おまえら本当に純粋だな。なんで俺とヤるまで顎門罪科が処女だったって前提なわけ? 非処女だったよ、当たり前じゃねえか(床に突っ伏したチビの嗚咽がいっそうに高まる)。で、なんだっけ? 俺がゲーム作らずに舞台演出やってる理由か? 簡単だよ。才能がある者は公の場で認められたいと思う。俺には才能がある。そして、ゲームは公の場じゃない。どれだけギャルゲー作ったって、世間は俺を尊敬してくれねえのよ。五十がらみのオッサンが、ゲーム作るときにだけその才能が輝くって、どういう罰ゲームだ、こりゃ? ……俺のカアチャン、九十近くってさ、すげえ田舎に住んでんだよ。メディアといや、テレビとラジオと新聞でさ、やめろって言ってんのに、まだ俺に仕送りしてくんだよ。ゲーム制作で名を上げて、もうカネにゃ何の不自由もない五十がらみのオッサンにさ。俺ってさ、こんなに成功してるのに、この世にいないも同然なの。ゲーム作ってんのが、心底恥ずかしいの。それが俺の理由(窓の外へ視線をそらす)」
「(デブ、その横顔を見つめて)廣井さん……」
「(事務所の電話が鳴る。顔を見合わせる三人。廣井、顎でデブに促す。おそるおそる受話器を取り上げるデブ)はい、ワイドプリンス・プロダクションでございます。え、廣井ですか? (廣井に視線を向ける。廣井、無言で首を振る)少々お待ちください。いま廣井にかわりますので(子機を差し出す)」
「(三白眼で睨んで)テメエ、社長をマスゴミどもへ売ろうってのかよ」
「(微笑んで)お母さんからですよ」
「(毒気の抜けた表情で子機をひったくり、部屋の隅へ行く)あ、カアチャン、ひさしぶり。ゴメン、ずっと電話できなくて。あ、テレビ見た。え、取材来たの? ごめん、なんか騒がせちゃって。言ったろ、おれ、有名人だって。カアチャン、ぜんぜん信じてくれねえんだもん。仕送りいらねえって言ってんのに……ほんと、ゴメン。うん、俺はだいじょうぶだから。うん、うん。近いうちに顔出すよ。うん、じゃ、切るね(子機の切ボタンを押す。無言)」
「(デブとチビ、二人で)廣井さん……」
「(振り向かないまま袖で顔をぬぐって)あー、なんかすっきりしたわー。お前ら、ごめん! たったいま、事務所たたむことに決めた。ごめんな、なんかずっと、つまんねえことにつきあわせちまって」
雑居ビルの外。ロングコートにサングラスの女がビルを見上げている。やがて意を決したように一歩を踏み出し、階段を登ってゆく。引いてゆくカメラ。米国のスラムを思わせる街並みに、雲間から射し込む一条の陽光。