猫を起こさないように
逆愚痴卑露野侮
逆愚痴卑露野侮

逆愚痴卑露野侮

 ただ聞き手に何の感興も起こさせないことをだけ目的に作られたバックミュージックのためのバックミュージックが軽々しく流れる中、応接間を想定したのだろう、奇妙に生活感の欠如したセットの中央に男女が差し向かいに座っている。セットは以前より明らかに簡素な作り。女性、カメラに対して深々とおじぎをする。
 「ご無沙汰しておりました、ホステスの宵待薫子でござます。長らく放映を自粛しておりましたnWoの部屋ですが、多方面より応援と励ましをいただき、このたび深夜枠という形ではありますが、再びみなさまにお会いすることになりました。スタッフ一同を代表しまして、お礼を述べさせていただきます。本当に、ありがとうございました(立ち上がり、カメラに向かって深々と頭を下げる)。更なる番組のクオリティアップをもって、みなさまからのご恩に応えていきたいと思っております。それでは、新たに生まれ変わったnWoの部屋、記念すべき第一回目のお客様をご紹介させていただきます。人気ロールプレイングゲーム『最終偏執狂的接片愛~ファイナルフェティッシュ!~』シリーズのディレクターであり、総監督でもある、逆愚痴卑露野侮さんです」
 「(長すぎる鼻の下に台形の口ひげを生やした男へカメラが向けられる。深く刻まれた笑い皺の下の、少しも笑っていない目で穏やかに)どうも、今日はお招きありがとうございます」
 「(おじぎして)こちらこそ、お忙しいところお越しいただき、ありがとうございます。ご存じのない方のために付け加えますと、ファイナルフェティッシュ!シリーズは、あのトラ食えシリーズと双璧を為す国民的な人気ゲーム作品です。(資料に目線を落としながら)昨年は映画化もされていますよね」
 「(一瞬顔面神経痛を抑えようとしている人の表情になって)映画? (何かを思い出そうとしていると他人に感じさせるのに充分な間を置いて)ああ、FFM(ファイナルフェティッシュ・マゾヒズムの略)のことですか。いま言われるまで忘れてましたよ。まあ、あれはほんと、片手間でしたね。あの作品は商業主義的に、もっといえば享楽主義的にやりすぎました。欧米中心に公開されたんですけど、(自然つり上がる片頬)むこうの人間の大ざっぱさをぼくは考慮に入れていなかった。つまり、(徐々に早口に)あちらの毛唐の方々の生得的な精神状況の低さの現状を、ぼくが軽く見積もりすぎていたということなんですね。でもそれは、あまりに予想を覆すほどのレベルで低劣だったから、神ならぬ身ではしょうがなかったとも言えるでしょう。誰がやっても同じ結果になったと思います(無意識に、激しく顎が縦方向に上下する)。ぼくは本当にいい人間で、他のスタッフからも、逆愚痴さんはゲームにせよ何にせよ、受け手に期待しすぎじゃないんですかってよく言われるんだけど、(膝の上で、関節が白くなるまで握りしめた両拳をぶるぶると震わせながら)芸術の作り手が受け手、鑑賞者に期待しない態度っていうのは、芸術家にとっての敗北だという気がするんですね、ぼくは。同業者に聞かれたら、甘い考えだと言われるのはわかっているんですけど。(何か身内にわきあがってくるものを押さえようとするかのように、荒い息で肩を上下させながら)ぼくは、本当にお人好しでいい人間なので、観客を想定するあまり、作品の内包するテーマ性を制作初期の段階でより低いものに変えたんです。ただただ、受け手にとってわかりやすいことを追求するためにですよ。ぼくの頭の中にあった元々のものは、実はもっと高級なんです。(うつむいて、親指と親指を触れあわないようにぐるぐるまわしながら)それに、ぼくの持っている深淵かつ壮大なテーマをそのままに彫刻するのに、映画というジャンルはあまりにエンターテイメント寄りすぎますから…(テーブルに頭をつかんばかりの前傾姿勢から、突如上半身をバネようにはねあげて、宵待の左肩をつかむ)ねえ、わかるでしょ!」
 「(自分の何気ない問いかけが、なぜここまで激烈な反応を引き出してしまったのかわからず、大きく目を見開いて硬直したまま半泣きの口元で)あの、わかります。(おびえのあまり、ほとんど素の状態で)私も仕事でいろいろあるけど、友だちに相談してもしょうがないなってこと、いっぱいあるし」
 「(あざけるように口元で笑って、手を放す)フン、凡人の生活感覚ぐらいといっしょにしてもらっちゃ困るね。ぼくの言った受け手って、君みたいな人のことなんだろうな。(脱力してソファにもたれかかって)わかりゃしねえんだよ、おまえらくらいにはな」
 「(なぜかはわからないが、相手の激情が去ったことにほっとして)あ、ええと、そう、ゲームの方のファイナルフェティッシュ!なんですが、先日最新作が発表されたところですよね。(ジロリとにらみ返してくる相手にうろたえて)ええと、11作目。そう、今回はシリーズ11作目ということで、すごいです、長いです(なぜか拍手する)」
 「(口元を歪めて)どこぞの遊児だか豚児だかとは、才能の密度が違うってことだな。(ブツブツと)資金集めも、組織運営もまともにできねえくせに……カネを使わずに、いい物語を書けば、だと? ハッ、樋口一葉の昔から、日本人ってのはそういういじましいのが大好きだからな……(突然激して立ち上がる)このインターネット時代に、原稿用紙と万年筆でゲーム作ってんじゃねえ!(机を蹴り上げる)」
 「(縮み上がり、上半身はほとんどスタジオの外へ向かって逃げているが、下半身で踏みとどまって)あの、インターネットというお言葉が出ましたが、この最新作はネットワーク専用ゲームだと聞きました。あの、(顔色をうかがう。思い切って)これまでのゲーム業界には例を見ないような、すごい進取の精神ですよね!」
 「(うつむいて、間。突如笑み崩れた顔を上げて)でしょう? ぼくはモジュラーケーブルやLANケーブルの暗示的な逆さ凸が、みっしりと電話線の差込口に満たされるのを見るのが、本当に大好きなんですよ(得意の鼻息で口ひげが揺れる)」
 「(ほっとした様子で)逆愚痴さんがインターネット上に創造なさった、全く新しいファンタジー世界である、(視線を原稿に落とす。凍り付く笑顔。きっかり3度またたきした後、真っ赤になって口ごもりながら)ま、ま、ま、ま、ま」
 「(握った親指と人差し指を左ふぐり、握った薬指と小指を右ふぐりに見立て、下方に垂らした中指をぶらぶらと前後させながら)マラ、でぇぇる!」
 「(顔を真っ赤にして、うろうろと視線を机上にさまよわせ)あの、ファンタジー世界である、ま、ま、ま、ま」
 「(握った親指と人差し指を左ふぐり、握った薬指と小指を右ふぐりに見立て、下方に垂らした中指をぶらぶらと前後させながら)マラ、でぇぇぇぇぇぇる!」
 「(背筋を伸ばし、視線の焦点をどこにも作らないようにして)ま、ま、マラ・デエルでの冒険劇は、これまでのロールプレイングゲームの概念を大きくくつがえすものである、とのことですが…(徐々に涙声になる)」
 「(独り言のように、しかし聞こえるのに充分な大きさで)やれやれ、ようやくか。よもや、男性生殖器を露出するの意でとらえたのではあるまいね。まったく、最近の若いのときたら、性倫理や性道徳などという言葉が定義できるような範疇を超えているね。本当に嘆かわしい限りだ(言いつつ、ズボンの後ろポケットに入っていたテレコからカセットを取りだし、極太マッキーで”ヨイマチ、マラ”と書く)」
 「あ、あの(助けを求めるようにスタッフの方へ視線をやる)」
 「(跳ねるようにカメラに正対し、突然調子を変えて)日本のようなIT後進国で、ネットワーク専用ゲームの製作に踏み切るのは、たいへん勇気のいることでした。専用ということはつまり、プレイを続けるためにいくばくかの料金を電話局なり、我々の会社へ継続的に払い続けるということですから。(作者近影のときのお気に入りの苦悩の表情で)樋口一葉の昔から芸術にカネを払わないいじましい国民の方々が、このゲームにカネを払い続けてくれるのだろうか? その心配は、制作中も離れずありましたね。(わずかに長すぎる口ひげをなめながら)ですが、考えてもみて下さい。美術館に入るのには然るべき料金を支払いますね。そしてあなたがあの素晴らしい人類史的な作品群をもう一度見たいと思ったとき、またきっと美術館にカネを払うでしょう。その反復に疑問を感ずる人はいないはずです。まあ、お上に頭のあがらぬいじましい農耕民族の国民のみなさんに関しては、(鼻息で口ひげをゆらして)何らかの権威づけがそこには不可欠なのでしょうけれどね。じっさいのところ、日本では無名であっても世界的に有名な人物はたくさんおります。(とりすました表情で)私にしたって、極力ひかえめにいったところで、”世界の”という冠を名字につけて呼ばれるくらいのレベルの人間ではあるんですけどね。(見えざる何者かの追求を遮るように慌てて)外タレにサインをねだられたことはありませんが、それは私が一度も外タレと遭遇したことがないというだけの話なんですよ、じっさいのところ。ですから、何の話でしたか、今度のFF11(ファイナフフェティッシュ!11の略)は、『継続的に体験するためには継続的にカネを支払い続けねばならぬ』というこの一点において、芸術作品と同義であるということができるのです。今までの作品は、まあ悪くはなかったですが、単品切り売りの、肉屋につり下げられた牛か豚のような類のものでした。それは、私の作品の提出方法としては、私の意図とかなりかけはなれた不本意なものでした。ぼくのファイナルフェティッシュ!という名前の芸術作品は、ネットワークという概念空間を使って、形而下から形而上へと存在のステージを写したんですよ。つまりこれは、人間が神に昇華するという比喩と、まったくの同義の移行なんです。(口ひげを引っ張り、アゴを突き出して得意げに)この移行が人類にとっていつ以来のことだかわかりますか、宵待さん?」
 「(うつむいて親指のささくれを引っ張っていたが、急に話をふられてとびあがって)は、はい! わかりません!」
 「(右の掌を額に打ち当て、左手で口ひげを数本引き抜く)本当に馬鹿だなあ、あんたは! 宗教学を知らぬ人間に、世界というパラダイムが理解できるものか! (嘲るように)あんたみたいのが俺の想定していた観客だったとすると、FFMの興行収入の数字にも納得がいく。(片頬を吊り上げて)その納得を手に入れただけ、今日このくだらない席に、(一息入れて強調して)激務の合間を縫って座っている意味があったってことか。(声をひそめて、蛇を思わせるやり方で下方から宵待ににじりよる)いいか、俺はいまファイナルフェティッシュ!がネットワーク専用ゲームになったことは、人間が神になったこととイコールだと言ったんだ。つまり、それは、(重大な秘密を明かすようにささやいて)キリストだよ。新たな千年紀を生きる人類が迎えたキリストの復活、それが、俺の、(立てた左手の親指を自身に突きつけながら)ファイナルフェティッシュ!11だ!(かわいた鼻水でてかてかになった口ひげが、頭上のライトを照り返す)」
  「(かみ殺したあくびで両目をうるませながら)なるほど、なるほど。すばらしい。(スタッフが示す板を横目で確認する。書かれている内容に激しく首を横に振るが、スタッフの強い調子にやがて押し切られて)し、しかし、マナ・デエルへの接続に必要不可欠であるプレステHHユニット(プリーズ・レット・マイサン・エレクト、ハーマイオニー、ハーマイオニー!ユニットの略)の品薄や、ネットを経由しないと入手できない仕組みの煩雑さや、加えてプレステHHそのものの高額さや、(唾を飲んで)それに先ほどもおっしゃられましたが毎月継続的に、それこそ半年で別のゲームが購入できてしまうほどのプレイ料金を払わなければならないことなどが相まって、FF11は一般のゲームユーザーには非常に敷居が高いものになってしまっているのではないでしょうか?(目をつむり、首をすくめる)」
 「(悠然と煙草を取り出そうとするが、ぶるぶると震える指先がそれを裏切っている。フィルターを外側に向けて煙草をくわえながら)芸術とは常に時代にとって、もっと言うなら、人間が命をつないでゆくことにとって、余剰であったわけです。生きるために必要ではないが、魂が求めるその余剰にこそ、人間を他の畜生と聖別する何かが含まれている。(大仰に両手を広げて)そして、ダ・ヴィンチの例を挙げるまでもなく、芸術という余剰には常にパトロンの存在が不可欠です。なぜなら、この世の大半を占める、ただ増えて死ぬために生きている蒙昧の群れどもは、日々口を糊することと、オメコにしか興味が向かないからです。(わずかに均衡を崩した目で自身の言葉に埋没するように)この連中は、オメコには恐ろしいほどの労力やカネをつぎこんで省みませんが、芸術となるととたんに、これはもう間違いなく彼らの低脳からくる劣等感でしょうが、オメコ汁に濡れた口元を半開きに激しくどもりながら批判めいたことを口にし、あるいはオメコの入り口はもう締めようもなく荒淫に弛緩しているくせに、財布のヒモをことさらに固く締め上げたりするわけです。(何かを振り払おうとするように大声で)彼らの精神はもう本当に低劣極まりますから、これを啓蒙しようなどと少しでも思わないほうがいい。私は本当にいい人なので、彼らに手をさしのべようとして一度ひどい目にあっていますから言うんです。(ほとんど涙ぐみながら)映画というのは本当に間口が広すぎて、やつらの方が選択する側の人間なんだと勘違いさせ、増長させてしまったんだ。(袖口で口ひげに垂れた鼻水をぬぐって)芸術にカネを払うことは知的に、そして何より人間的に高度でなくてはできませんから。つまり、(妄執にとらわれた人の目で、身を乗り出して)FF11のプレイヤーは、FF11をプレイしているというその事実だけで、すでに存在論的優位者として選民されているのです。敷居の高さゆえに売り上げが伸び悩んでいるという指摘は、ですから全くの的はずれなのです。(口の端から泡を吹きながら)私は私の芸術へとたどりつく資格のある人たちを、電子的な方法論で選民したのです。彼に竹ひごでぶたれるためなら進んで急所を差し出してもいいとお考えの、ノブナガ好きの民主主義国家の主権者のみなさんには、危険思想の持ち主と思われてしまうかもしれませんがね(声を上げて笑う)! FFMの時とは違ってな、(自分のしゃべる言葉に後追いで得心した満足な笑みで)わざと間口を狭くすることで、おまえたちが選ぶんじゃなくて、俺が、俺こそがおまえたちを選ぶ芸術的絶対者なんだってことをわからせてやってんだよ、このオメコ愛好者どもが(テーブルを蹴り上げる)!」
 「(無表情で)選民する。なるほど、よくわかりました。あなたはオメコという言葉を連発なさいましたが、それは食料と交換可能であるという意味合いにおいて、生命と限りなく等価値であるカネを、生命を物理的に養わない抽象事象に支払うことができるかどうか、という比喩として受け取ってよろしいですね(無表情のままのぞきこむ)」
 「(鼻白んで、目をそらす)ああ、まあ、そうとも言えるかもな」
 「(無表情で)少なくともFF11という名前のネットワークゲームは、”公共”を作ろうとしている。”公共”の究極とは『どんな対価をも伴わずに、誰のものでもある』ということだと、私は考えます。知性と財による選民、私にはFF11は、貴社からの様々のプロパガンダが表現するような、開かれた無謬の理想郷にはとても思えません。(ゆっくりと)あなたがおっしゃられたキリストの比喩をなぞるなら、マラ・デエルは人造の失楽園なのではないですか(無表情のまま小首をかしげる)」
 「(うろうろと視線を漂わせて)なあ、急にそんな…やめようぜ。(作り笑いで)本気に取るなよ、ほんの冗談じゃねえか!」
 「(口元の両端を機械的に吊り上げて)虚構の現実化によるアンチクライマックスです。いつまでも、好き勝手に暴れられるものではないですよ(立ち上がる)」
 「(周囲を見回す。人形のような無表情のスタッフが見つめ返す。泣きそうに)なあ、やめようぜ、こういうの流行らねえよ。なあ」
 「(さえぎって)今日のゲストは逆愚痴卑野侮さんでした。お帰りはあちらからどうぞ(腰を折り曲げて、深々とおじぎをする)」