猫を起こさないように
よい大人のnWo
全テキスト(1999年1月10日~現在)

全テキスト(1999年1月10日~現在)

掌編「ドラゴンクエスト10のある日常」

 仕事を終えて、四畳半のアパートに戻る。ネクタイの結び目に指を入れながら、電気のヒモを引く。流しに残されたレトルト食品の残骸と、朝出かけるときのままに乱れたシーツが目に入る。

 上着を脱いでベッドに掛けると、タバコに火をつけた。スマホで冒険者の広場を確認すると、分身である魔法使いのステータスには万単位の経験値と千単位のゴールドが計上されていた。今日も誰かに雇われ、順調に責務をこなしていたようだった。現実の俺とは大違いだ。笑みは自然、自嘲的なものになる。

 薄く煙を吐きながら何度か広場を更新すると、つど経験値とゴールドがわずかに増えていく。いまの時間から、半ば寝ながらプレイするより、見知らぬ旅人へ預けておいたほうがよほど効率がいい。アストルティアでの冒険は、今日もおあずけというわけだ。冒険者の広場で確認する元気チャージは、すでに200時間を超えていた。これはきっと、現実世界で奪われた活力――意味の無い部署間の調整に身をやつした分だ――がチャージされているのに違いない。

 底の見えない灰皿にタバコを押しつけると通勤カバンから3DSをとりだし、冒険者の便利ツールを立ち上げる。今日もすれちがいゼロ。この一週間、誰ともすれちがっていない。ハーフミリオンは、関西の僻地では充分に多い数とは言えないだろう。

 ふと、胸にさしこむような孤独を感じた。無人島ならば、きっと感じないような孤独だった。それはほとんど痛みを伴っていて、思わずフローリングの床にうずくまる。疲労はとうにピークを越えていた。もはや何かを胃に入れようという気さえ起こらない。のろのろと立ち上がり、ステテコ一枚になるとベッドに身を横たえる。

 救急車のサイレンが遠くに聞こえて、湿った敷布を全身にまきつけた。夢うつつに見たのは、スーツ姿のエルフがメタルスライムに暴走メラミを唱える光景だった。

 ああ、ここでもか。死と同じ救済――安らかな忘我が訪れたのは、そのすぐあとだった。

 『ドラクエ たのしいね!』

アニメ「未来警察ウラシマン」感想

 いつのまにかHuluに未来警察ウラシマンが収録されており、のけぞる。私のSFマインドの30%は、この作品で構成されているからだ。

 社畜の悲しさ、第一話と最終回付近のみを閲覧する。二十余年を経て、脳内に相当の理想化と神格化が行われていたことを知った。質の高い昨今のアニメに慣らされた誰かの試聴に耐えるとは到底思えない。しかしそれらを理性で確認してなお、私は心を深く動かされた。ふだん気難しげに映画の感想などつぶやいているが、結局のところ作品の完成度なんていうのはさしたる問題ではなくて、人生の最も多感な時期に出会った作品へ、我々は雛鳥のように感動を刷り込まれてしまうのかもしれない。

 同工異曲のそしりも、人の死を終着とした生命の大いなる惰性の内側に、やがてすべて呑み込まれていく。

ゲーム「艦隊これくしょん」感想

 FUNK LOVE(ファン倶楽部)! 小鳥猊下であるッ! 貴様ら、コミケを直前に控えた猛暑の最中、いかがお過ごしでしょうか? アー・ユー・バイイング・マイ・ファンジン? 少女保護特区効果により、いまやガイジンどもの聖地巡礼が耐えぬ四神相応の地に鎮座する小生だが、昨日全国を駆け巡った大地震の予報にも関わらず、貴様らから身を案ずる声は絶無であった!

 ネット上で小鳥猊下へ言及を行ったものへの自動発番により肥大し続けてきたnWoファン倶楽部の面々は、いったい何をしておったのか! 奈良県沿岸部在住の小生は、暗峠(くらがりとうげ)を越えて迫る大津波をサーフボード一枚で乗りこなし、あの巨大地震を命冥加に生き延びたことだけ報告しておく!

 ところで急激に話題の舵を切るが(唐突な比喩だ!)、最近ドはまりしているものがある。ちょっと手をつけてからしばらく放っておいたのだが、今ではこんなに面白いものがあったのか、これが無ければもう日も夜も呉れぬ(おっと、誤変換失礼!)という感じだ。

 戦争の悲惨を極めた場所へ身を置きながら不服の一言さえ漏らさず、日の終りのわずかな補給だけを楽しみにして、生きて戻れぬかもしれない過酷な命令に日々従事する、あのけなげさ。そして、ボーキサイトを溶かして自作した申し訳の装備を肌身離さず持ち続けるいじらしさ、豊食の日本人が永く忘れていたその清貧と愛らしさに、待ち受ける過酷な運命から逃れさせることはできないまでも、私はそっと背中から抱きしめ、暖めてやりたいような気持ちにさせられる。

 だから私は、少しでも生存率が上がるように、少しでも多くが故郷へ帰れるように神へ祈るのだ、「キラキラしねえか、キラキラしねえか!」と……!!

 さて、もうわかったと思う。いま大人気のアレだ。正解がわかった君は、web拍手などの匿名メッセージで構わないから、こっそりと私に耳打ちして欲しい。もちろん、商品名の一文字を丸の中に入れさせるくらいの簡単なクイズなので、正解者は多数になることが予想される。

 その中から抽選で一名に、nWoの今後に関わる重大な権利を譲渡しようと思う。今度こそ、ファン倶楽部(FUNK LOVE)のみんなの積極的な参加を期待しているゾ!

 うむ? 「やって」る? 「艦コレ」? なにソレ? 貴様らおたくとは、どうも話が噛み合わんな。いま大人気のアレと言えば、ソルジェニーツィン先生の「イワン・デニソーヴィチの一日」に決まっておろうが!

 戦争の悲惨を極めたラーゲリでアルミ(ボーキサイト)を溶かして自作したスプーン一本を脚絆に忍ばせ、わずかの粥と野菜汁を楽しみに酷寒(マローズ)の中での屋外作業をやり過ごす日々。「この野菜汁の一杯こそ、今の彼には、自由そのものよりも、これまでの生涯よりも、いや、これからの人生よりも、はるかに貴重なのだ」の一文にキュン死しない社畜はいないと断言できる。これだけであと十年は社に飼い殺されることができる勢いだ。

 もちろん、「キラキラしねえか、キラキラしねえか!」の台詞は、作業免除になる大吹雪(ブラーン)の到来を知らせる粉雪を祈願してのものに他ならない。「閏年のために、三日のおまけがついたのだ……」を超えるシニックを私は寡聞にして知らないが、貴様らはそうじゃないのか?

 そしてドストエフスキー以降のロシア文学のお約束とも言える、キリスト教徒からの神の愛に関する説法を黙って聞いたあげく、ビスケットを一枚あげちゃうんだぜ? しかも「腹の皮がさけるほど飲む」飽食の本邦とは違って、生きるためにギリギリのカロリーをしか与えられないラーゲリでのできごとなんだ!

 ああ、ワーニャかわいいよワーニャ!

 @nobody やっぱり! ぼくもなんかすでに死んだ人の追憶をたどる気持ちにさせられます! アリョーシュカはやっぱり死んだんだろうな、微笑みながら死んだんだろうな、とか。

 @nobody おしい! 「収容所群島」じゃなくて、初期作品の方です!

 @nobody す、すいません、うちの祖父はなんか兵役免除だったみたいで……すいません、こんな末裔が生きてて、今の繁栄を享受してて、本当にすいません……!!

映画「かぐや姫の物語」感想

 ジブリに、いや、高畑監督にしか作り得ない、ハイパー・日本昔ばなし。そのこだわりは、特定の嗜好品において、ある時点から質の向上と値段の上昇が急激に連動しなくなっていくあの高みにまで達している。一般人には1万円のワインと1000万円のワインの味の違いがわからないように、500万と50億の制作費が生むクオリティの差を感じられるアニメ・ソムリエだけにしか、この作品の真価をはかることはできない。

 個人的には、百年を待たない新しい芸術であるアニメが、ついにこれだけの嗜好品を生み出した事実に、深い感慨を覚えた。ストーリー的には徹頭徹尾、かぐや姫であり、女の子を育てるって本当にたいへんだな、と思った。あと、つがいを得て子を成すことが地上の輪廻に乗ることであり、それのかなわなかった者たちの魂の回収される場所が月なのかな、と思った。

 ちぃちぃ……さみしぃょ……

 自分が名づけをした生命が、この世界から永久に失われるということ。結局、私は、何もわかっていなかった。

忘備録「ロスジェネについて」(2013.12)

 ああ、またこの世代の犯行だったか、という感じ。ぼくたちの小中学生時代はインターネットが存在せず、ゆえに左の教育の純粋な効果が最も期待できた時代だった。ぼくたちは意味もわからず汗を軽蔑し、土からは遠く切り離されたまま、ファミコンのドットの群れに世界を見ていた。

 その暖かな楽土へ、当時はだれもそれとは知らなかった第一次就職氷河期がやってくる。社会に回収されない個人が多く野へ撒かれたのが、ちょうどこの時期だ。そしてぼくたちは、数少ない優れたクリエイターや、均衡を失った多くのキチガイになった。汗は牛馬に所属し、土を不浄とみなすようずっと教えられてきていたし、何より最悪なことに、大学生のときにエヴァンゲリオンの本放送があった。いや、大真面目だ。

 余談だけれど、90年代後半のテキストサイト管理者は、そんな社会に回収されないアウトローか、その予備軍である学生がほとんどを占めていたように思う。一昔前のアマチュアバンドに例えれば、有名テキストサイトがインディーズレーベルだとすれば、エロゲーライターになることはメジャーデビューする、みたいな感じだった。そう、エロゲー制作が最高にクールで、ワルくて、ゴッドな一時期は確かに存在した。いま、ぼくがそれを感じることはない。

 閑話休題。今回の事件は規模こそ違えど、マーク・チャップマンを描いたチャプター27的であり、また手前味噌を言わせてもらえば、極めて高天原勃津矢的である。護送車に乗せられるときカメラに向けた彼の表情は、目をキラキラさせた満面の笑顔だった。長い長い無視の不遇を経て、ようやく社会に見つけてもらえたこと、そしていま正にこの瞬間、世界の焦点が自分の上にあることが、嬉しくてしょうがなかったのだろう。ぼくに不機嫌にテレビを切らせたのは、まちがいなく同族嫌悪と呼ばれる感情だった。憎しみと自己愛の種子はかように広く深く撒かれており、これが最後の一人だとは、ぼくにはとうてい思えない。

 ぼくたちは、虫のようにたくさんいる。そしてぼくたちは、虫のように人の悪徳を実感できず、ただその種子を萌芽させないことに人生の多くを費やしている。

ゲーム「FGOダ・ヴィンチちゃん礼賛」、あるいはガチャと運の管理について

 人生は、とても楽しい(バスタオルで両目を押さえてワッと泣き出す)! 小鳥猊下であるッ!

 昔からそうだが、長く苦しみを味わってきたはずの人物が最後の最後で伝える、生きることを肯定する言葉に本当に弱い。古典でいうならファウストの「時よ止まれ、おまえはいかにも美しい」がそれだし、グイン・サーガでいうならサウル老帝が「わしはいつも、生きているのがとても好きであったよ」ともらす場面なんか、読むたびに泣ける。

 「人生は、とても楽しい」ーーここまでの伏線を考えれば、ほとんど遺言のようにさえ響く。種火周回もこの台詞を聞きたいがために、わざわざシステムとやらを組んで彼女の宝具を連発しては、そのつど涙ぐむ日々である。

 キミ、FGOを愛しながら、このキャラがいないカルデアでアプリの終焉を迎えるつもりなの? ほんと、嫁を質に入れてでも引いておきなさいよ。 彼女が永久に失われる前の、最後の夏の強い輝きを、ともに喜ぼうじゃないの。そう、私たちの人生は、ビューティフル・ジャーニーなのだから!

 質問:小鳥猊下…ダ・ヴィンチちゃんマジで出ねぇっすけど…

 回答:「出る」のではない、意志をもって「引く」のだ。今回のような大きな機会をピンポイントでモノにできるかどうかは、貴君が常日頃から己の運をいかに管理しているかによるだろう。もしそれを行ってこなかったのならば、色川武大の「うらおもて人生録」を購入し、二度、三度と熟読せよ。人生における勝ち負け、そして運のなんたるかを理解すれば、次のピックアップでは必ず引けるにちがいない。とはいえ、貴君がツッタイーに貼り付けた、あまりにも漫然とした「爆死」画像群を見るにつけ、もう少し技術的なアドバイスが必要だと感じたので、そうする。『(巨デブが声音を作って)ーー五十連分の聖晶石があれば、ピックアップの星5は9割以上の確率で引いてみせる』。ありがたく拝聴したまえ。

 FGOのガチャは、ファンガスの素晴らしい文章を勘案してさえ、企業の強欲なる収奪を目的とした許しがたい倫理欠如(人類悪)である。実際、サービス開始からプレイしている古参にとっては、ピックアップ・サーヴァント以外のカードはもはや全く必要のない、文字通りのデータ・クラップと化している。いまや日本銀行券を直接シュレッダーに投入するが如きマシンと化したこのガチャに対して、貴君のように徒手空拳で当たるのは、ブルーカラー的労働(ドカチン)を資本家に搾取させることと同義だ。

 例えば一般に、ポーカーや麻雀は運の要素が大きすぎる遊戯と思われている。しかしそれらにも、最善の結果をたぐりよせる技術やセオリーが確かに存在するのだ。FGOのガチャはおそろしく勝率のしぼられたギャンブル沼だが、ポーカーや麻雀のような遊戯としてとらえなおせば、勝ち筋が見えてくる。「十連の内容(星4以上の出現数および礼装とサーヴァントの比率)をエクセルに記録し観察する」「フレポの星3サーヴァントおよび星5種火の排出頻度を記録し観察する」「強化時の大成功、極大成功の出現頻度を記録し観察する」、これくらいはやって当たり前である。もしひとつもやっていないとすれば、それは腹をすかせた猛獣の群れの中を全裸で歩くようなものだ。そして、「星4が礼装一枚の場合は連続では引かず、時間帯を変える。どうしても欲求を抑えられないなら、少なくともアプリを再起動する」ことも忘れてはいけない。

 さらに付け加えれば、貴君がクレジットカードの審査にパスできるほどの社会的な強者ならば、「課金をコンビニ等で購入するプリペイドカードに限る」ことも重要だ。繰り返すが、FGOのガチャはイカサマの横行する場末の賭場である。手放す日本銀行券の額面と生活とをリンクさせて失うものへの実感を持つと同時に、賭場を出るまではそれが紙切れと等価である状態を維持するためには、カード決済は後者に寄りすぎる。体感に満たない気配を細く細く積み重ねていけば、どのタイミングでガチャを回すべきかが見えてくるはずだ。ガチャを引く際の、自分のフォームを作ることが肝要なのである。どこで引けば星5ピックアップを引く可能性を最大化できるかのルールを決め、それに己を殉じさせる覚悟が、胴元の圧倒的に有利なーー運営(ビースト)の、十一連開始みたいな目くらましに騙されてはならぬーー賭場で胴元を出し抜くには不可欠である。

 最後に、「うらおもて人生録」から少し引用しておこう。『フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな。(略)ことわっとくが、フォームに既製品はない。自分で手縫いで作るんだよ』

 とりあえず、貴君の長年の忠誠に応えて、入り口部分だけは伝えた。これ以上を知りたければ、指定の口座に現金を振り込むか、棚ざらしとなっている萌え画像を寄贈するとよかろう。「描くと出る」らしいよ?

 質問:小鳥猊下が突如ガチャ必勝法めいたツイートをおっぱじめたが、まだまだ精度の低い初歩的な内容であるが、それでもそこに羅針盤を求めてのことだと思う。「ガチャ必勝法などと言う世迷いごとを言う暇があれば毎日ログインしろ!ログイン1日以上はリムーブ対象だ」と言われたことを思い出していた

 回答:喝ッ! 「必勝法」などという万人が利用可能なティップスぐらいに、色川御大の金言を矮小化するでないわ! 運を人為的に操作するのではなく、運を感得し管理することこそが重要なのだ! 貴様に足りないのは、「いかに負けるべきときに負けるか」の視点である。「必勝法」とやらで浮いた端金で御大の著作を百冊ほど購入し、致命傷を負う前に負け方を学ぶがよい。あとログイン間隔が一日を超えると、どんなカネのかかったアカウントだろうと即座にリムーブするのが、俺様のフォームである。このブラック労働に耐える自信があり、なおかつ俺様とエフ・ジー・オー・フレドンになりたいのならば、ディー・エムせよ!

 レベル100にした女史とする種火周回を通じて、例の台詞に心が動かされるのは、絶妙なラインを踏まえた演技(ファンガスの監修に違いない)もまた、素晴らしいからだと気づいた。ぬけるような青空の下、生命の絶頂がかすかに死の陰を帯びるーーすなわち、本邦に生きる者たちの心性に深く刷り込まれた「盛夏の滅び」への共鳴を惹起するには、あれ以上はしゃいでも、あれ以上おとなしくても、ダメだ。

 この意味で、スキルをまくときの「とても楽しかったさ」は少しマイナス方向へ逸脱していると感じました。

忘備録「正しい英語、あるいは人種差別について」

 お前らから萌え画像を、もらう前に、言っておきたい、ことがあるッ! それは何かと問われたならば、「ツッタイー」とか「ノトー」とか「タラムイーン」みたいな間違った表記の外来語を、俺様が多用する理由についてである。

 “Education is important, but beer is importanter.”みたいな看板がタンブラーで「いいね」されまくっているのを見たことが、そもそものきっかけだったように思う。このフレーズ、いったい何が面白いかというと、「教育よりもビールの方が重要」と言いたいのに文法が間違って(more important、為念)おり、この台詞をしゃべっている呂律の回らない低学歴のアル中を読み手に想起させ、やっぱり教育って大事だよなー、という逆の教訓を感得させるところがキモである。調べてみると、beerの部分をディスりたい別の対象に変えた派生が山ほど出てくる。つまり間違った文法というのは、時としてネイティブどもa.k.a.偶然英語圏に発生した生命体群に「軽蔑を伴う可笑しみ」を否応に惹起するということだ。

 また、トラヌプ・ビッグ・統領が本邦の棟梁(土建国家のボス、の意)であるアビー(かわいくないほう)の英語を揶揄するときの仕草と周囲の反応を見てもわかるように、正しくない発音は「公の場で指摘するのは上品ではない」が、「確実に皆の下卑た笑いを誘う」のである。何度も例えに出していると思うが、チーム・アメリカで北の総書記の言う”inevitable”へ白人女性が執拗に聞き返しをする様とか、サウスパークで単語の末尾へつけた母音を強調させる日本人の発音とか、おそらく不自由な英語を揶揄することは、人種差別などに属する性質の悪い笑いなのだと推測する。

 さて、そろそろ小鳥猊下の深淵なる意図が理解されてきたことと思う。そう、「猊下なんて衒学の極みみたいな敬称をわざわざ自分で使っておきながら、致命的に英語が間違っている」という滑稽さ、厳粛な謁見の間で男たちは下を向き、女たちは袖に口元を隠すという、権力者を笑う笑いをねらっているのだ。

 やれやれ、兵馬俑なみに無言の臣下どもへ、また重大な無私の贈り物をしてしまった。きょう以降、小鳥猊下のツイトーは貴様らにとって、ますます玄妙なる可笑しみを増すことであろう!

 それでは諸君、グッバドイー!(退場する主君へ、居並ぶ臣下からの忍び笑い)

ゲーム「FGOセイバーウォーズ2」感想

 ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で右から左へなぎ倒しながら)! 小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの新イベント、エス・ダブユー・ツー、たいへんに面白うございます。常ならば時限式にしそうなところがそうなっていないのも、たいへんによろしゅうございます。さすがマッシュ(SW2準拠の呼び名)、感性の合うファンの声にはキチンと耳を傾けてくれる……(マーク・チャップマンのまなざしで虚空を見つめながら)。

 メリハリのある展開に、キチッとした文章でクスッと笑わせてくれる、正しいギャグ時空。実のところ、シリアスは少し文章が甘くてもそれなりに読めてしまう。だが、ギャグはそうはいかない。おふさげにこそ、確かな文章力が必要なのです。

 ただ、キャットが私にはそろそろ辛くなってきた。黒タイツの例の芸人、ホニャララ・テン・トゥー・スリーみたいに、行動の読めないキチガイ芸で売ってきたのが、登場を繰り返すうち、次に何をするのかわかってしまうのに似ている。嫌いじゃないけど痛々しくて、チャンネルを変えてしまう感じ。

 だが、これは批判ではなく個人のつまらぬ感想であり、エス・ダブユー・ツー、本編をのぞいてはひさしぶりの、エフ・ジー・オーの名に恥じぬハイ・クオリティ・イベントであることを俺様が保証しよう! 惜しむらくは、「よーし、今回はパパ、大目に課金しちゃうぞー」などとマン札のビラビラ、いや、マン札をビラビラさせていたところ、溜まっていた呼符と無償石で新キャラを2体とも引けてしまったことだ。

 マッシュ、すまぬ、すまぬ……ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で左から右へなぎ倒しながら)!

 ちゅーる(スベッたギャグが場を冷やし熱力学的死を迎えたことを表現する擬音)! 小鳥猊下であるッ!

 エス・ダブユー・ツー、ストーリー部分クリア。時限式への批判に対して、大量のアホ毛と賞金首を進行遅延として用意してきたのは、ゲーム的回答でとても良いと思いました。ラストでまた、いつものとんち合戦が始まるんだけど、女神の善悪に関するくだりは年を取ったせいか、上質な語り口もあいまって、ひどく心を動かされた。「人よんで」の傍点も、すごくいい。

 ただ、最後の最後、同格であるはずの存在同士に優劣が生じるくだりで、いつものファンガスなら「五十億と十四年、神ではなく人として育てられたわずかな年月がアナタと私を分けた」みたいな内容で、人間賛歌を絡めたネッチリとしたアロガント・ゴッド・ディスをおッぱじめたはずである。ワクワクしながら、普段は強固に締め上げている涙腺を緩めて待ち構えていたところ、しかしその期待は完全に肩すかしをくらい、至極あっさり風味で話を切り上げられてしまった。この部分だけは、濃厚豚骨ラーメンを期待して店に入ったら、戦時中のすいとんが出てきたみたいなガッカリだった。常のファンガスなら、間違いなく書いたはずの展開であり、日常生活ではありえない貴重な情動失禁のチャンスを逃し、寸止めにされた射精のような悶々とした不満をつのらせている次第である。エピローグのテキストなし紙芝居から推測するに、締め切りありきでライティングを追い立てられたに違いない。

 あのね、エフ・ジー・オーの最大の価値はファンガスの最新テキストーーつまり、リアルタイムの彼の思想ーーが定期的に読めることで、その他はいわばビッグワンガムの菓子部分みたいなもんでしょ! 周囲の悪い大人たちは目を覚ましてもう一度その原点に立ち帰って、すべての作業工程にファンガスのテキスト・クオリティを優先させなさい。猊下との約束だぞ!

 あと最近、電子書籍で「もっこり半兵衛」を読んでるんだけど、目を覆うような下ネタから、人間の本質へ鋭角に切り込む落差に、年とったせいもあると思うんだけど、ひどく涙腺を刺激されるんだよね。たぶんnWoと同じく含羞が理由の、「ターちゃん」「狂四郎」の昔から変わらない手法で、そのエログロさ加減からNHKの時代劇で原作に取り上げられるようなことは決してないにせよ、狭いがゆえに逆説的に、ある感性を持った人々にとってはより深い普遍へと通じていくように思う。今回のイベントを通じて、ファンガスの手法にも同じ側面があると感じたことを最後に付け加えておきたい。

忘備録「表現が不自由な話」

 「アウチ!エリナトンレー」みたいな展示会で、小生の親族の写真a.k.a.御真影にダメージを与える行為を繰り返す人物が「父がインペリアル・ファミリーが嫌いだって言ってたからやったのに、ボクの作品を見たときの父の表情が曇ったので傷つきました」とか話しているドキュメンタリーを偶然目にした。親子間に生じた確執やトラウマを公共の場所で垂れ流すこととか、脳か身体にダメージがある人物の作成した何かを芸術と呼ぶのって、ホント、本邦の病を直截に表している事象だなー、と思いました。

 あと数年前、「ゆとり・エデュケーション」導入の旗振りをしたモンカ・ショウのエクス・ビューロクラットがヌース・ペパーでインビュータを受けているのを読んだ。「ずっと折り合いの悪かった父親から、深夜に塾帰りの小学生がコンビニ前にたむろしているのを見て、『おい、あんなことで日本の未来は大丈夫なのか』と言われたことがきっかけでした」みたいな内容が語られていた。親に認められたい、親に褒められたいだけの脳に深刻なダメージのある高学歴の人物が、親子間に生じた確執やトラウマを公の場所で解消しようとするのが、本邦のポリティクスの病理の正体だなー、と思いました。

 みんなトラウマ解消の作法として、ジョージ・ルーカスのやり方をもっと学んで欲しいと思いました。