猫を起こさないように
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アニメ「未来警察ウラシマン」感想

 いつのまにかHuluに未来警察ウラシマンが収録されており、のけぞる。私のSFマインドの30%は、この作品で構成されているからだ。

 社畜の悲しさ、第一話と最終回付近のみを閲覧する。二十余年を経て、脳内に相当の理想化と神格化が行われていたことを知った。質の高い昨今のアニメに慣らされた誰かの試聴に耐えるとは到底思えない。しかしそれらを理性で確認してなお、私は心を深く動かされた。ふだん気難しげに映画の感想などつぶやいているが、結局のところ作品の完成度なんていうのはさしたる問題ではなくて、人生の最も多感な時期に出会った作品へ、我々は雛鳥のように感動を刷り込まれてしまうのかもしれない。

 同工異曲のそしりも、人の死を終着とした生命の大いなる惰性の内側に、やがてすべて呑み込まれていく。

アニメ「艦これ1話」感想

 わたしはいま、巨大化した曙さんの足裏と床のあいだにいます。わたしは自閉症なので、胸部を圧迫されることにつよい安堵をおぼえました。本棚と床の隙間からは、きのう轟沈したはずのまるゆさんがうらめしそうにわたしを見ています。魚雷で大破した頭蓋から、脳漿がまざってドロリとした赤い液体が床を流れてきました。まるゆさんの両目は樹木のうろのようで、わたしはひどくこわくなりました。ドロリとした赤い液体がわたしのほおにふれ、わたしは気を失いました。

 目をさますと部屋は真っくらになっていて、曙さんもまるゆさんもいなくなっていました。身体を起こそうとすると、ほおがフローリングの床にはりついているのがわかりました。つけっぱなしのモニターが暗やみにちかちかと明滅しており、なにやらパン助のあげるようなあで声が聞こえてきます。えいと声をだすと、べりりと床からほおをひきはがしました。床はいちめん赤かったのですが、わたしの顔があった部分だけ木目が見えていました。ほおをさすりながらモニターへ目をやると、大小さまざまの女性が水面をアイススケートのようにすべっていました。奇形的なまでに大小さまざまで、股下すぐから両足を露出しているというところだけが共通していました。あと一センチ丈をつめればぜんいんのオソソが露出しそうなほどで、年来のガイノフォビアがまたぶりかえすような気がしました。画面からはイズミヤでかかってるみたいな音楽がずっと流れており、女性たちの会話は「パンぱカパン」「こコはユズレませン」などまったくかみあっておらず、ああ、彼女たちも自閉症なんだな、と思いました。

 いつのまにかだれもいなかったわたしの部屋は人でいっぱいになっていました。さいしょはみんな気まずそうに黙っていたのですが、大御所ふうの漫画家のような見かけをした人影がすっくと立ち上がり、「カンコレヨキカナ!」と声を裏がえらせて絶叫しました。するとホッとしたような空気がまわりに流れて、「フツウニリョウサク」「オレハジュウブンタノシメタ」などのつぶやきが聞こえはじめました。画面に視線をもどすと棒立ちの黒い人物を女性たちがとりかこんで射撃の的にしており、どう目をすがめてもわたしには気のくるった出しものにしか見えず、染色体のすくない我が子をくちぐちにほめたたえる学芸会の保護者席に混じった子無しみたいな気持ちになりました。

 すると、だんだん頭がグラグラしてきて、わたしはまた気をうしないました。目を覚ますと、わたしは巨大化した曙さんの足裏と床のあいだにいました。天井と本棚の隙間からは頭蓋を大破させたまるゆさんがニコニコとわたしを見下ろしています。わたしは自分の気がくるっていなかったことがわかり、胸部を圧迫される安堵とあいまって、眠るような心もちになりました。

アニメ「輪るピングドラム22話」感想

 『鈍感がクセになって、賞賛はウソばっか』

 我が子を食らうサトゥルヌス(鏖殺)! きょうはアタシみんなにあやまらなくちゃならないことがあるの! 西の情弱エリア在住とか耕運機にまたがってフカシこいていたけど、よくよく調べてみたらピンドラが世界でいちばん早く放映される情強地域在住だったの! アタシのTLではピンドラのネタバレ禁止とかトラクターの上から見下してチョウシこいてたけど、いまから22話のネタバレ感想するね! ゴメンね! てへぺろ(シュヴァンクマイエル作品のリアルな舌で)!

 今回は「ぼくたちはあらかじめ失われた子ども」とか「あれは美しい棺だった」とか、監督の自意識が漏れだしてるセリフを、キャラクターが与えられた自我を越えて話す場面がいくつもあったけど、アタシこういうのだぁい好き! 作り手が客観性を失うほどの情熱で作品に入れ込んでいることの証拠だから!

 あと、ピクトグラムの警官が死体になった瞬間にリアルな描写に変じる場面の、監督の「ドヤァ!」が聞こえてくる感じがすごい好き! 書き割りに過ぎなかった他者が死によって実在感を取り戻す、このワンメッセージ、ワンシーンのために21話の演出を積み重ねてきたんだぜって表情が見えるようなの! この演出で監督が感じているだろう気持ちよさは、例えるなら21日後にオナニー解禁って感じかしら? きゃっ(羽生生純が描写した両手で酒焼けに紅潮した顔をおおう)!

 何が言いたいかっていうと、他者にとって書き割りに過ぎない自分を想像して、日々無力感と無効力感に甘く痺れているアタシだけど(電気フグを装着した股間のアップ)、それを乗り越えて何か発信しようって気にさせる情熱を伝播する作品ってホントすごいわよねってことなの!

 ……そして、世界にとっての書き割りに過ぎないという事実を打破するには、現代社会ではほとんどの個人にとって自殺と他殺しか手段がないということだ。結局のところ、「死」だけが重要なのだ。自らに死を与えたものの芸術や、他者に死を与えたものの教義、それらが論理や科学の分析を超えた不可侵の意味をまとう様を見よ。この世界には何かがいる。超越的な何かが。それは断じてすでに名付けられた神などではない。そう、すべてが暴かれたこの場所では、ただ「死」だけが重要なのだ。

 ドヤッ!

アニメ「ガッチャマンクラウズ」感想

 質問:ガッチャマンクラウズはどう思いますか?

 回答:うむ? 私への質問はweb拍手ではなくアスクエフエムを通してもらえるとありがたい。まあよい、先のSF愛好家ディスを受けての質問かもしれないが、Huluに入っていたのでクルセイダー育成の傍ら視聴した。結論として、このアニメは3つの点でダメだ。

 一つ目は別にガッチャマンで無くても成立するところ、二つ目はセリフ回しが汚いところだ。若手の脚本家が「これが、今の……俺らの、リアルなんスよ……!!」とかつぶやきながら書いてそうだ。悪役から学生から政府高官から、登場人物すべての自意識がこの汚いセリフ回しのレベルに統一されており、長くは見ていられないぐらいだ。

 なに? 海外で人気あるんスよ? それは翻訳の過程でセリフの汚れが脱臭されたことが主な理由だろう。なに? 3つ目がありませんだと? あれで三つの理由だったんだよ。おれたちゃ数学があんまり得意じゃないのさ。ここじゃあな。

アニメ「あしたのジョー2」感想

 過度なアルコール摂取にしばしば意識を喪失する、いわゆる寝正月の最中、西方蛮族提供の流感みたいな名前の動画配信サービスに、「あしたのジョー2」が追加されているのを発見し、長い前髪で片目を隠しながらジャージ姿の体育座りで視聴を行う。途中、家人が無神経に部屋の扉を開け放ち、「マア! また暗い部屋でテレビ見て! 目が悪くなるわよ! 前髪も切りなさい!」などと甲高い声でまくしたてるので、「うるせえババア! ブッ殺すぞ! あと、お酒買ってきて!」と絶叫したりした。

 最終話近く、少年鑑別所時代のジョーの仲間が喫茶店に集い、昔のことをふりかえるシーンがある。うろ覚えの記憶で再現すれば、こんな感じだ。

 「ぼくたちは変わってしまったけれど、矢吹丈だけがあの頃の青春のままにいる。それが、たまらなく嬉しいんです」

 「へえ……おまえ今、小説家とか、学校の先生でもやってんの?」

 「いいえ、地方の工場の、ただの工員ですよ」

 かつては気にも留めなかったこのやりとりが、いまでは強く胸に迫る。おのれが矢吹丈その人ではなく、矢吹丈のことを語るだれかであることを知っているからだ。ウルフ金串の回といい、元全日本チャンプの回といい、昔はものをおもはざりけり、年齢を経た現在だからこそ感じられる哀切の数々に、成熟を拒否し続けてきたこの身が、遠くまでよろよろと、なんとか歩いてきたことに気づかされた。物語後半へ進むにつれて力尽きてゆく作画と演出も、ジョー自身の崩壊とリンクしているように感じられ、涙なしには見ることができない。

 「へへ、ほんと、テキストサイトなんてのは運だよなあ。たった一発のラッキーヒットですべてが決まっちまうんだから。あのとき、あのラッキーヒットさえなけりゃ、メジャーのスターダムにいたのは、俺だった。俺の方だったんだ」

 あのころ、ぼくたちはみんな、矢吹丈になりたかった。

アニメ「咲-Saki-」感想

 アイ・アム・ワーキング・ライク・ア・ドッグ! 小鳥猊下であるッ! 激務を終えて久しぶりにメールボックスをのぞいてみたら、一枚の萌え絵も献上されておらぬとは、貴様らは俺様をナメておるのか! ユーブ・ガッタ・マニー・トゥ・バイ・ア・プロスティテュート?

 Huluで昔のアニメに加え、最近の萌えアニメが配信されていることに気づき、いくつかをつまみ食い的に試聴する。おたくディスをネットでの生業とする小生にとって、己のリリックを研ぎ澄ませるために必要な自己鍛錬であり、最低限の教養の習得であると言えよう。

 人生でいつか言ってみたい台詞ナンバーワンが「サンカンツリンシャンカイホウ、マンガン」であるところの小生にとって、萌え版・哭きの竜みたいな主人公が活躍する麻雀アニメが面白かった。対局中の女子が常に内股へ手をつっこんで恍惚の表情を浮かべる(たぶんマンコを触っている)ことへの違和感は最後までぬぐえなかったが、闘牌シーンのリアルさ(中身ではなく質感、為念)にはいたく感動させられた。最後に見た麻雀アニメがスーパーヅガンであるところの小生にとって、おそらくCGによるのだろうこの進化は、ファミコンからいきなりプレステ3くらいの衝撃だった。Havokエンジンの如く、あらゆる麻雀アニメに搭載されるデフォルトとなって欲しい。そしてこのエンジンで是非、ノーマーク爆牌党をアニメ化して欲しい。商業的な成功の困難が予想されるならば、登場人物全員を女体化しても一向に構わない。

 あと、関節部分をピンク色に着色する萌え表現が気になった。あんまり気になったので、都内の高級マンションに呼びつけた高級プロスティテュートの膝をファック中にチェック(リリックだ)したが、特に紅潮するようすは見られなかった。萌え業界のトレンドなのだろうか。有識者からの回答を待ちたい。

 それと、麻雀の役に例えると、私の人生はいつまでもシーサンプートウみたいだな、と思った。

 『多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える』

 質問:嗚呼、敬愛なる猊下。あー、それ普通にあります。関節と頬はピンクのブラシとばして中心にハイライトのホワイト。瑞々しさのお手軽表現と心得てます。

 回答:うむ? 瑞々しさの表現とな? てっきり肉欲の昂進か、脚気などの疾病か、畳の上で行われるバックからのファック(リリックだ)のいずれかを暗示しているのだろうと思っていた。しかしながら、この表現のパイオニアが、なぜ関節をピンクにすれば受け手に瑞々しさを想起させると考えるに至ったかについては、依然として謎に包まれている。萌えは難しい喃。

アニメ「アイドルマスター・シンデレラガールズ第23話」感想

 年を取ると感受性が摩耗するのか、新たな経験が肥大化し続ける過去の体験群から参照できてしまうからか、ずっと軽度の鬱状態にいるせいか、おそらくいずれもが理由に一定の割合を占めているのだろうが、大きく感情が動く瞬間が少なくなっていく。なので、ときどき訪れるそういった瞬間を書きとどめておくことは、インターネットを日記帳とするテキストサイト管理者にとって、まったく意味のないことでもないと思われるのである(あるのかないのかどっちなんだ、はっきりしろ)。

 数年前のある晩、いつものようにアルコホリック・ドリンクーーそういえば、過去に一度アルコール飲料の意味で使って、フライト・アテンダントに失笑されたことを思い出したーーを入れながらテレビに流れているアニメをぼんやりと眺めていた。ツッタイーでエシ(壊死?)の方々が大衆の関心を得るために頻繁に原典の模写を公開するところの、「偶像主人・シンデレラ少女」みたいな名前のアニメだった。

 主人公はアイドルというには若干トウのたった少女で、周囲のより若い才能たちの活躍に自信を失って「大丈夫?」と声をかけられると「大丈夫です」と応答する例の状態に陥っていく。アルコホリックの底つきーーなるほど! だからあのフライト・アテンダントは笑ったのかーーみたいな位置でその話は終わった。酩酊した頭には、「かわいそうだな」ぐらいの感想しかなかったのだが、予告で次回タイトルとして提示された”Barefoot girl.”の文字列を見た瞬間、眼球から潮吹きのように涙があふれた。

 たぶん、「シンデレラ」「ガラスの靴」「王子様」「裸足の少女」の連想から、アイドルとして消費される少女ーーつまりそれは、己の価値をすべて、男性側の審判に委ねることに他ならないーーが、王子様の求婚を拒絶し、ガラスの靴を捨て、はじめて自分の意志で人生と相対することを決める、みたいな物語を一瞬で想像したからだろう。決意に満ちた強いまなざしとか、頬に涙の乾いた跡とか、泥に汚れたドレスの裾とか、砂まみれの素足とか、そういったイメージが次々と湧き上がって、自分でも驚くぐらいに感情が動いたことを思い出す。

 家人がやってくる気配にあわてて涙をぬぐい、テレビを消したが、私の目はどうやら真っ赤になっていたらしく、「飲みすぎじゃない?」と言われ、大の大人にあるまじき情動失禁へ気づかれなかったことにホッとしたのを覚えている。

 さて、”Barefoot girl.”と題された続きの話は今日にいたるまで見ていない。たぶん、己を見失ったあの少女が、アイドルとしての自信を取り戻す様子について、コンサートを通じて描かれるのだろう。至極まっとうなその筋立てに文句をつけるところではないが、私が幻視した鮮やかなビジョン、私が味わった大きな情動へ勝ることは決してできないと思っている。

 このダラダラとした犬のような文章を通じて、何が伝えたかったかと言えば、諸君の偶像主人に対する愛や思い入れを否定することではない。結局、テキストサイト村の人間は、長年にわたるテキスト記述を通じて、文字でしか感動できないという奇矯な性癖を身に着けてしまっているということだ。もちろん、”Barefoot girl.”なる文字列から得た私のビジョンや感動を萌え画像化してくれる君の好意については、最大限の敬意と感謝をもって迎え入れられることだろう。

 ほら、おだいはしめしたんだからスケブ(助平?)でコミッション(コミュ障?)をもとめるエシ(壊死?)のみなさんははやくしてやくめでしょ!

アニメ「まどか☆マギカ」感想

 質問:欝展開の魔法少女ものが最終回をむかえました。猊下はあの結末をどのように見られたか教えてください

 回答:この質問はわけがわからないよ。よりによってアンチ・ギークスの大家たるぼくに、君たちにとって大切な作品への意見を求めるだなんて、よっぽど悪し様にののしられたいとしか思えないじゃないか。いや、君たちおたくは条理に盲目であれる存在だ。君たちおたくがどれだけの不条理を成し遂げたとしても、驚くには値しない。もしかすると、破滅こそが君の願いなのかもしれないね。その願い、かなえてあげるよ!

 15年前にエポックを作った福音ロボットアニメのことは君たちも覚えていると思う。劇場公開されたそのアニメの結末だけど、3つの異なる救済観をめぐっての対立だという見方ができるんだ。それぞれの勢力がどのように救われたがっているか、ということだね。この例にならって、まずは救済観という視点から読み解いていくよ。

 君たちの国の仏教には、小乗と大乗という考え方がある。小乗は個人の悟りを至上と考え、大乗は衆生の救済を至上と考えるんだ。お地蔵さまは知ってるね。あれが君たちに最も身近な大乗だよ。お地蔵さまは、仏になって浄土へ行くこともできたのに、君たちの苦しみすべてが無くなるまで現世に留まることを選んだ人なんだ。衆生のすべてが救われれば、己も衆生であるがゆえに自身も救われるという誓いになっていることがポイントさ。つまり大乗は、利他は利己へつながるという、この世の善の本質を解いているんだ。どれだけ輪廻を繰り返しても小乗ではかなわなかった救いを、大乗へのパラダイムシフトが可能にする。2つの救済観をめぐる象徴的な結末だったと言えるね。

 さて、次に考えないといけないのは、救済の有資格者がなぜ他の誰でもない、その人物だったのかという点だ。ここには、物語の主人公であったという以上の蓋然性が求められる。じゃないと、救済は絵空事に終わってしまうからね。仏陀が王族の地位を捨てて出家したのは有名な話だけど、救済の有資格者たるには、まず物質的に満たされることが要件だ。その生が一度も満ちたことが無ければ、低い欲得への渇望を断ち切ることは、君たち人間には不可能だからね。

 おや、もしかして君たちはいま、貧しい大工の息子のことを考えているのかい。やれやれ、本当にあげ足とりの好きな連中だね、君たちおたくは! 以前にも話をしたことがあるけど、ぼくはある仮説を持ってるんだ。あの大工の息子は人類史上で初めて、養育者との葛藤に人生を支配されなかった人物なんじゃないかっていうね。従属や利用ではない親子関係を得るのは現代でさえ簡単な仕事ではないけれど、当時の社会状況を考えれば、それは文字通りひとつの奇跡だ。貧しい大工の息子による人々の救済は、その精神が愛に満たされていたがゆえに可能となったんだ。

 さあ、君たちにもそろそろ論旨のゴールが見えてきたかな。無作為に抽出した市井の人でさえ、過去の王族に匹敵する物質的豊かさを享受するこの国で、養育者からの精神的な略取をまぬがれている誰か。そう、人類の歴史に照らせば、その人物は二重の意味で人々を救済する資格を持っているということさ。もっとも、豊かさについては舞台装置からの類推に過ぎないし、この作品には大人がひとりも登場しないから、実際の養育者との関係性については説明が省略されているけどね。

 さあ、ぼくからはこれでぜんぶだよ。でもこんなのは、人気作品に引き寄せての自分語りをより多くの人間に聞かせたいだけの、文系の寝言に過ぎないね。もうさんざん、どこかで似たようなことが語られてるんじゃないのかな。なるほど、君たちにとっては誰が言ったか、誰に言わせたかが重要なんだね。けどそれって、もうただの政治じゃないか。君たちと民主主義はじつに親和性が低いね。民主主義の本来は、個我の染まらなさの中でなんとか共通の結論を得るための方便なのに、君たちときたら徒党を組むことこそが目的になっている。

 君たち日本人は、本当にわけがわからないよ。