猫を起こさないように
ゲーム「崩壊スターレイル・汽笛は轟く、帰寂のさなかに」感想
ゲーム「崩壊スターレイル・汽笛は轟く、帰寂のさなかに」感想

ゲーム「崩壊スターレイル・汽笛は轟く、帰寂のさなかに」感想

 崩壊スターレイルの最新バージョン4.4をクリア。半島と大陸の課金アプリをいくつかかけもちでプレイしているが、かの国では文系大学院生の必読書にリストアップされているとのウワサがまことしやかに流れるほど、本作の物語はじつによく書けており、頭ひとつ抜けておもしろい。特に大陸のゲームは、第2章にあたる部分で中華の類似国の話を都合のいい妄想ーー唯一の造幣局として通貨の発行権をにぎり、世界経済を牛耳っているなどーーこみで延々と語る傾向があるのは玉に瑕だが、そこを我慢して通りすぎると第3章あたりからギアをあげて、グングンとよくなっていく印象である。正直なところ、崩壊スターレイルも仙舟羅浮の後半あたりで、プレイをやめようと思ったことは何度かあった。しかし、そこからピノコニーオンパロスと劇的にシナリオが改善されていくのを目のあたりにして、つくづく創作の邪魔になるのは客観性の欠如ーーこの場合、”おらが国”へのプライドないし、検閲によるとりつぶしを避けるための元首へのおもねりーーだとの思いをあらたにした次第である(アークナイツでさんざん聞かされた評判とは裏腹に、凡庸でつまらないストーリーのエンドフィールドを細々と続けているのも、第2章の武陵編さえ終われば、この「中華アプリの法則」により、少しはマシになっていくかもしれないとの期待からなのだった)。ひとつまえの感想にも述べたように、二相楽園での冒険は、1990年代に本邦で隆盛をきわめた伝奇作品群で創作の産湯をつかった者たちによる、ある種の返歌ないし本歌どりを意識しているように感じてならない(ノーマルエンドとトゥルーエンドを続けてリニアーに提示するところなど、ビジュアルノベル的な分岐を意識したのだろうなと思わせる)。すこし話はそれるが、無印Fateからの深甚なる影響を隠そうともしないコラボ第2弾ーーお話は二次創作以下で、ぜんぜんダメーーを見て、FGOのリメイクは崩壊スターレイル内の別棟として行うのが正解ではないかと思いはじめており、かなりその意図をもって主要キャラのモデリングを進めている気がする。

 今回のバージョンで特によかったのは、絶滅大君である帰寂のキャラ造形と底を割らない語り口であり、「人非人による偽りの愛情でも、育てられる側にとっては本物の愛情として機能するのか?」という問いには、かなり身につまされる重たさがあった。最後の最後で彼がもらす「勝敗はどっちでもいいが、負ければ自分がまちがっていたことの証明になる」というメッセージも、そこにいたるていねいなビルドアップがあるため、宇宙の混沌を神へと擬人化するならば、きっと我々にそう述べるだろうという奇妙な説得力をはらんでいる。また、成功したクリエイターが「創造すること」への称揚を作品内に織りこむ現象ーーたとえば、グラップラー刃牙におけるリアルシャドーや形象拳がその最たるものーーがあり、年齢を重ねるにつれて、一次産業的な現実への干渉に向けた忸怩たるまなざしが、いっそう複雑さを増すせいだと想像するのだが、本作においては「虚構にも生命が宿る」という舞台設定までをあらかじめ逆算で準備して、創造する行為を通じた素子/姫子の関係性を、臭みなく表現することに成功している。「みずからが生みだしたキャラクターが、おのれの運命を書きかえて、異なる人生をあたえてくれた」という結論は、「姫子は10年前に死んだはず」というミステリーに対する巧妙な謎解きであると同時に、ホヨバのスタッフにとっての偽らざる実感をも表明しているような気がしてならない。ただ、日本語ネイティブではない悲しさ、ある登場人物の名前を「無量塔弘」と書いて「むらたひろし」と読ませるセンスはあまりにもダサすぎて、これが音読されるたびに全身を恥ずかしさで硬直させながら、肌をビッシリおおうサブイボに「イーッ!!」と奇声をあげるような始末だった(ほんと、勘弁してください)。

 あと、帰寂への切り札である姫子の巨大ロボットが造形から演出からポージングまで、まんま勇者シリーズのそれになっており、「大丈夫なの? 許可とってるの?」と心配になって検索したら、ブレイバーンの監督から先んじてコメントをもらっていて、方向性をまちがった周到さに思わず失笑がもれました。