猫を起こさないように
エンドフィールド
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ゲーム「エンドフィールド・春の暁、訪れし時」感想

 エンドフィールド、2度目の大型アップデートであるバージョン1.2をクリア。無自覚系主人公ならぬ無記憶系主人公を、プレイヤー以外はみんな知っている彼/彼女の過去の活躍から無下限(じぢゅちゅ語)に甘やかし、あってしかるべき記憶の回復によるタネあかしがいっこうにない状況にイライラしていたのですが、今回のメインストーリーを通じて、敵の幹部であるアルダシルと管理人ーー呼ばれるたびに「めぞん一刻」が脳裏をよぎる弊害を持つ二人称ーーの関係性は、エヴァ新劇におけるカヲル君とシンジさんのそれになぞらえたものーー片ひざで石像に座る目くばせ演出まで!ーーではないかと気づき、エンドフィールドが「シンに不満を持ち、破からの作りなおし」を志向する作品なのではないかと、大きく期待を高めた次第です。手をかざすだけで石の形をしたエネルギーを放出できる、作中でいっさい説明がない管理人の謎パワーと、スーパーサイヤ人と化したゾアン師による武陵城の防衛戦におけるムービーは、島・半島・大陸から上梓された近年のゲーム群において、”当代一”とでもたたえるべき超絶クオリティに達しております。なにより良かったのは地下の裂け目をめぐる後日譚で、少年兵が子ども時代をとりもどすーーシティハンターの主人公の幼少期を想起ーーロッシのサイドストーリーにも感じたことながら、端正な3Dモデルがかかえる欠点であるところの、人間の役者に比しての「感情表現のとぼしさ」をホヨバとは別のかたちで補おうとしているのです。

 原神スターレイルが過剰なまでのテキスト量や手書き風アニメーションや、俗に言う”漫符”によって感情の演出を行ってきたのに対して、エンドフィールドでは瞳の動きや唇の歪みや会話の間や画面の構図を駆使して、「会話がなされていないときに、人物の気持ちや隠された真意が交錯する」ような演出がつけられている。つまり、3Dモデルの欠点を乗りこえて、人間の役者を使った実写の手法で物語の演出を試みているのです。一例をあげるならば、今回の実質的な主人公であるゾアン師には、左手で耳元の髪をかきあげるクセがあるのですが、一連の事件が解決したあと、右手で髪をかきあげる場面があります。これは、思考するときの視線の向きやスーパーマリオブラザーズのスクロール方向の説明にも使われる「人間にとって左は過去を、右は未来を意味する」を適用していると考えられ、彼女がようやく過去の呪縛から解放されたことを、テキストにたよらず表現しているのです。この手法には、うっかり会話をスキップすると言外の演技までとばされて再視聴できないなど不便はあり、まだまだ試行錯誤の途中だろうとは思いますが、ゾアン・ファンイの過去を語るストーリーを見て、「初恋が来た道」や、このテキストを読む全員が知らないだろうオムニバス・ドラマ「それでも生きる子供たちへ」に収録されていたジョン・ウーの短編を思いだしました。金持ちの子どもと貧乏人の子どもの人生が、人形を通じて一瞬だけ交錯し、母親に娘との心中を思いとどまらせるという内容なのですが、機会があればぜひ見てみてほしいと思います。

 閑話休題。ゾアン師のたどる「期待の新人として社内のプロジェクトチームに招かれ、時が経つにつれてチームの中核となり、気づけば初期メンバーは死去か定年でだれもいなくなり、プロジェクトの意義も会社への忠誠心もゆらぐ中で、いまはいない仲間に向けて『わたしが、必ずやりとげてみせます』と涙の誓いをたてる」という道ゆきは、あまりにも”勤め人の一生”すぎて、アルコールが入っていたこともあって、感情面での強いシンクロが発生してしまい、嗚咽をともなう号泣にいたったほどです。エッキスのみなさんは、あらゆる組織のマネジメント層を攻撃しますけど、彼ら/彼女らはべつにいつ辞めたってかまわないし、そうしたところで、すでに生活には困らないくらいの資産はあるわけですよ。「個人を越えた、外的状況に対する責任」は、たしかに存在していて、それを軽視してツバを吐きかける態度には正直、特大の疑問符をつけざるをえません(そんなにだいじな個人の内面や自由意志って、あるんですか?)。ゾアン師の誇り高い生き方を否定する近年の風潮に異をとなえるべく、大きめの課金で彼女とモチーフ武器を引き、どちらもレベル90にするという抗議活動をひとり電脳空間(古ッ!)にて行なったことを、ここに報告しておきます。あと、あまりにも今回の工業がわからなすぎーーどうひっくりかえしても、電力供給が足りなくなるーーて、休日の3時間を完全に空費して発狂しそうになり、他人の努力の結晶であるところの図面を丸パクりして、今期の目標を達成したことを、ここに懺悔します(正しいマネジメント層の態度)。

ゲーム「エンドフィールド・潮起ち、故淵離る」感想

 エンドフィールド初の大型アップデートを更新分までクリア。正味のプレイタイムは5時間ほどで、ゆっくり会話や商談を楽しむためのコース料理へ饗された一品なのに、あまりのかつえからガツガツと手づかみで一瞬にたいらげてしまったことを、いまは頬を赤らめて恥じております。リリースから1ヶ月を経たいま、本作に感じている”不安点”をここに書きしるしておきましょう(”不満点”ではないことに、注意が必要です)。板垣恵介の絵柄で描かれた、勤続35年無遅刻・無欠勤系サラリーマンにとって、他のスマホゲーにくらべて重ためのデイリー消化を1日も欠かさないのはあたりまえの前提として、はたしてコツコツたくわえた素材が陳腐化しないかは、とても気になるところです。現在、キャラと武器のレベル限界突破素材は数百、帝江号の施設を強化する宇宙建材にいたっては数千の在庫があるのですが、これらを使いきる未来がまったく想像できません。今回のアップデートにおいて、アホみたいにあまる星4キャラの潜在強化アイテムに使い道が用意されたので、完全なる虚無的作業ではないーー軽快な操作感とともに、美少女キャラの臀部をながめ続けるのは、やはり楽しいーーと信じながら、どこか不安は残ります。

 また、前回の感想で申しのべた「評判のはずのストーリーがビックリするほどつまらない問題」は、今回の更新を通じてもまったく払拭されていません。中華ゲーお得意の”任侠”と”家族”をテーマにした場面の語りはさすがに心を動かされるーー捨て子であるタンタンが「大事に思ってねーなら、おくるみをリボンで飾ったりしねーよな?」みたいな、会ったこともない両親の心中を想像する独白には、ジワッと目じりに涙が浮かびましたーーのですが、ストーリー全体がキャラクターに固有の状況をあたえる目的でビルドアップされるため、動機と展開に納得感がありません(シンエヴァかよ!)。今回のメインストーリーを簡単にまとめますと、「城の輜重隊を襲撃した賊が返り討ちにあったのを何年も逆恨みしており、その復讐心に敵幹部のカヲル君がつけこんで、親族を殺された兄は悪のパワーを増幅させた」みたいな、情状酌量の余地すらない、ただの犯罪者の逆ギレなのです。おまけに、タンタンの眼帯は魔眼設定なんだろうなーと思っていたら、襲撃の晩にケガをしただけーーわざわざ争いの場に、幼な子を連れてくる意味がわからないーーだと判明します。にもかかわらず、ボス戦のムービーでは眼帯の外れた左眼が黄色いエフェクトで輝いたり、ライティング部門とゲーム制作部門の連携をうたがう、非常にチグハグした印象をあたえます。

 魔眼つながりで話を少し原神方向へ脱線させますが、両目を見ひらいたコロンビーナに「両腕をそなえたサモトラケのニケ」的な感想をいだいてしまったことを告白しておきます。つまり、人の想像力による確定しない無限の選択肢を、あるひとつの正解に押しこめられたような落胆と窮屈さを感じたのでした。話をエンドフィールドにもどしますと、「音楽が耳に残らない」という話をしましたが、今回のパートにおいて中国語の男声独唱で朗々と歌いあげる「いずみのうた」は、かなり悪めだちしているように感じました。ジャッキー・チェンでうぶ湯をつかった身に、香港映画の全盛期を彷彿とさせ、強い郷愁をさそった一方で、本邦の若いユーザーから、一種のギャグのように受けとめられないか心配になります(けっこうしつこく、何回も流れるので……)。このチョイスが正解だったのかは、のちの歴史に判断をゆだねるとして、リリース後の同時期に京劇の女性歌手を持ってきた原神の慎重な姿勢との差が、きわだつポイントだとは言えるでしょう。もしかすると、ゴリゴリの集成工業システムといい、逆張りで骨太の男っぽいセンをねらったのかもしれません。

 しかしながら、「ボーイッシュな見かけをした少女の中身が、じつは小学生男子のガキ大将」というタンタンの造詣は、リボンの騎士やラ・セーヌの星(古ッ!)につらなる由緒正しい”とりかへばや物語”になっているように思います。つどつどの表情から挙動まで、精緻にその内面を彫刻ーー他の中華ゲーと一線を画した本作の美点は、「唇の演技」にあると指摘しておきますーーすべく、ていねいに作られていて、特に帝江号での休憩中に片あぐらで座る彼女の様子には、おもに下半身へ電流が走りました。初のアップデートを通じて、エンドフィールドの正体は「金髪碧眼の超絶美少女なのに、中身は偏差値35の中国人」なのではないかという疑惑と不安は深まってきましたが、そんなことはタンタンとイヴォンヌのモデリングを前にすれば、ささいなことにすぎません。ここをアークナイツというコンテンツの終末地にしないため、みんなでプレイしよう、エンドフィールド!

ゲーム「崩壊スターレイル・月満ちる時に神はなし」感想

 崩壊スターレイルのバージョン4.0「月満ちる時に神はなし」を実装部分までクリア。今回の舞台について簡単にまとめると、「1999年の日本を下敷きとした二次元パラダイス」であり、江戸星などの既出ワードから原神における稲妻のような世界を予想していたので、かなり意表をつかれました。おそらく、昨今の二国間の情勢に影響されたのでしょう、「無国籍なアジア地域の繁華街」と強弁できなくもない街並みになっているのには、ある種の配慮を感じます。余談ながら、原神に右のボール、スターレイルに左のボール、エンドフィールドに中央のスティックをつかまれている身にとって、希少土などよりもよほど供給を止められてはこまる産業ですので、いちオタクとして早期の関係回復を切にいのるものです。当局に目をつけられるかどうかのラインで”反体制”をしのばせてくるライティングは健在で、突如として「世界が滅びようってときに、お上にいったいなにができるっていうの?」みたいな中共へのビーンボールが顔面スレスレにとんできたりして、喝采より先に心配がきました。鴨川をモジった”鳩川”なる地名がサラリと提示されることからも、この街を前世紀末の京都に見立てていることは確定的にあきらかで、もしかすると制作サイドに本邦への留学経験のある「学生さん」か「同やん」がいるのかもしれません(「立ちゃん」は、鴨川に思い入れなんてないでしょう)。以前にもお伝えしたように、学生時代は四条河原町あたりでのたくる日々を送っており、ゲーム内の光景に「川をはさんだ街並み」以外の共通点はないはずなのに、どこかなつかしさをくすぐられるのは、じつに不思議な感覚でした。「オンパロスという一大叙事詩のあとに、なにを持ってこられても、格落ちにしかならんよなー」とヘラヘラ笑っていたところへ、「おのれの過去の情動とヒモづいた、他国から見る特定地域の魅力」みたいなものを正面からぶつけられて、すこし動揺してしまったのは否定できません。

 さらに、マップ移動には土管を起点とする、スーパーマリオをオマージュした、横スクロールの8ビット・ワールドが用意されていて、ブラウン管につながれたファミコンの前にすわる小学生の自分が、エロゲー全盛期にむかえる大学生活を先どりして体験しているような、じつに倒錯した気持ちになりました。また、大好きなキャラ造詣でありながら、ピノコニーでは悪役としてイマイチ不完全燃焼だった花火たんに、あらためてスポットライトが当たったのもうれしく、彼女とウリふたつのライバーである火花たんとの実存をめぐるやりとりは、いちテキストサイト運営者として感じいるものがありました。特に、「1万人の仮面を演じることのできる役者は、はたして最初の人格をおぼえていられるか?」という問いかけは、1999年1月10日にインターネットへ投下されたnWo最初の記事を読みかえすとき、「これを書いたのは、いったいどんなヤツなんだ?」と首をかしげる人物にむけた虚構耽溺者の掘りさげとしては、”かいしんいちげき“クラスの中身だったと言えましょう。そのあとにつづく、「ベッドの上で金縛りに身動きがとれず、人格排泄ボタンを押さないよう懇願する少女」の有り様には、「爬虫類の表皮と同じヌメヌメとした質感をした、忘却のうちにあった小昏い性癖」を刺激され、いまや得体の知れぬ反社会的な衝動に、ひどく動揺させられたことを告白しておきます。

 バージョン4.0の結末において、本邦の公立高校を思わせるあかねさす教室で、たがいにたがいをずっと昔に死んだはずだと信じる父娘が、「おまえはだれだ?」と誰何しあう場面で幕を閉じたのは、前世紀末に隆盛をきわめた「雫」「痕」「久遠の絆」などに代表される伝奇ノベルゲーへの強い目くばせがあり、瞬間、1990年代のフィクションがまとっていた独特な空気感の中へ、あたかもタイムスリップしたかのようでした。虚構内ニュース番組で初代Fateについてパロディめいた言及などもあったり、オンパロスの重厚さとはまったく異なったアプローチながら、自分自身が過去に通過した現実と虚構、双方の遍歴と密接にからみあうような物語体験になっていて、いまは今後の展開へ期待と恐れを半々にいだいております。もう幾度目になるかわからない、「どうして我々がうみだすべきだった物語が、我々とはちがう場所から、世界にむけて問われているのだろうか……」という重たい嘆息とともに、このテキストを閉じることといたします。

ゲーム「ドラクエ7リイマジンド」感想

 ドラクエ7リイマジンドを20時間ほどプレイ。まず、プレステ1で発売されたオリジナルについて、ザッとおさらいしておくと、「もっとも制作期間の長い、もっとも売れた、もっともつまらないドラクエ」だったと言えるでしょう。エフエフの同ナンバリングが、クリエイターの交代による新生を印象づけたのに対して、おそらく「大人のドラクエ」としての脱皮をめざした結果、本来のはつらつとしたユーモアをうしなって、「ギリシャ悲劇小品集」のような、鬱々たるぎこちないパッチワーク的な連作に堕してしまったのです。この時期のホーリー遊児はスランプに陥っていたか、もしかすると心を病んでいたのかもしれません。5年にもおよぶ、遅々として進まない制作状況に対して、当時のメインプログラマーがどこかの酒場で、他社の人間から「おまえがしっかりしなきゃダメだろ」と叱咤されたという話が、いまに伝わっているほどです。クリアまで70時間はゆうに越える、ディスク4枚にわたるウンザリするようなこの超大作は、「いつまでもいつまでも延々と終わらないプロローグ」「バイカル湖の底みたいな不気味の谷そのもののムービー」「回転機能を悪用して建物の死角に配された見つからない石版」「長時間プレイを続けると熱暴走のハングアップで進行不能」など、ある才能の枯渇とシリーズの終焉を印象づけるような、まったくひどい製品でした。これを書いているのは、6から導入された全職業の魔法や特技が累積する転職システムこそ、ドラクエを壊したガンであると断ずる「ドラクエは5まで派」であり、7のことは「アスカの原型となったマリベルを生んだ以外に、見るべきところはなにひとつない、古めかしい凡作」としかとらえていません。これ以降、「レベルファイブの助力を得てすこしだけ持ちなおした原点回帰の8」「キャバ穣への偏愛をダイレクトに出力した”エッチな大人の”9」「結果としてシリーズに大停滞をもたらして新規層の流入を途絶えさせた10」と続いたことをふりかえると、やはり7はドラクエにとって、大きな負のターニングポイントだったと言えるかもしれません。

 さて、ようやくリイマジンドの話にはいりますと、鳥山明のデザインをほぼ完璧に3D化した”ドールルック”なる見た目は、ドラクエ世界の表現として100点満点の完全な正解をだしていて、今後のリメイクは珍奇なる”HD2D“という不出来の赤点をすべて棄却し、この形式でデータを蓄積したものを使いまわしていくべきだと感じました。UIも従来のドラクエからガラッと変えてきていて、少ないボタン数で快適かつ直感的に操作できるし、近年の海外ゲーで不満をおぼえがちな「フォントがダサすぎる問題」も、ドールルックにフィットするハイセンスな選択がなされていて、非常に好印象です。敵味方ともにこれでもかとアニメーションするにもかかわらず、戦闘のテンポはとても軽快で、ストーリーの誘導も適時適切におこなわれ、オリジナルにあった「石板を探して数時間をさまよう」などという事態は、ぜったいに起こりません。にもかかわらず、神さまを解放したあたりで、もう3日ほどプレイが停滞しているのです(余談ながら、オリジナルにおける神さまの登場は、ナディアのネオ皇帝回のように、世界中の空へ同時出現する演出だったのが、本作では室内でのできごとに矮小化されていて、ガッカリしました)。すべてのマップはあらかじめ開示され、次の目的地は一直線にしめされて迷うことはなく、戦闘はかしこいAIが”バッチリ”雑魚からボスまでを完封し、適正レベルを越えると棒ふりでモンスターは一蹴でき、ふんだんに用意された女神像はMPを管理する手間をはぶいてくれ、プレイヤーは新たな町に着くたびにタンス開けとツボ割りとテキストを読む作業だけしていれば、あとはゲームの側がすべて遺漏なくやってくれます。

 この違和感をたとえばなしでお伝えすると、毎晩を店にかよって高級シャンパンを入れ、心から相手に寄りそって尽くしているのに、ホストからは裏で邪険にあつかわれる女性事務員みたいなものだと表現できるでしょう。エンドフィールドが数時間もしがみつづけて、ようやく陶然となる味のしみだしてくる熟成ジャーキーだとしたら、7リイマジンドは米粒のよく砕けた中華がゆであり、さらに言えば咀嚼の必要ない流動食であり、もっと言えばアゴさえ使わずにすむ栄養剤の点滴であり、最悪もしかすると、嚥下の衰えた者にする胃ろうみたいなゲームなのです。難易度は3段階どころか、モンスターの強さから獲得する経験値とゴールドの多寡まで細かく調整することができ、しつこくステーキハウスでもたとえておくなら、立地よし、門がまえよし、内装よし、接客よし、テーブルに案内され、調度品よし、カトラリーよし、大ぶりな皿の上には生のシャトーブリアンがのっていて、なぜかそれを持って厨房へ移動するよううながされる。案内されたピカピカのキッチンには、考えられるかぎりの調味料や副菜が用意されており、「調味から焼き加減からサイドメニューまで、すべてお客様ご自身でご自由にお選びいただくことができます」と、うやうやしく告げられるーーオイ、プロの矜持をかなぐりすてて、プロのスキルや責任までを客にあずけてんじゃねえぞ! オマエは席まで人間が誘導しておきながら、スマホで注文させる飲食店かよ! けったくそわりい、ミスや不快の責任をすべて客に押しつけるのは、サービスとは言わねーんだよ!

 ドールサイズに縮小された細ぎれのフィールドに探索要素はほとんどなく、体験版で期待したような物語の分岐も用意されておらず、導入時の好印象は時間の経過とともに薄れてゆき、最後はゲームをしているのにすこしも楽しくなくなり、なんども寝落ちにコントローラーを取りおとすところまでいきます。いまはオリジナル版の悪癖である「同じマップを再利用したプレイ時間の引きのばし」の最たる「四大精霊をたおせ!」という展開をむかえており、「だっるッ!」とさけんだところに崩壊スターレイルのバージョン4.0がやってきたため、エンドフィールドの重めなデイリー消化とあいまって、ドラクエなのにクリアまでいたらない可能性さえ出てきました。数だけはムダに多い氷河期世代の現在を慰撫する過去の郷愁のみで、いい加減なリメイクが売れつづけてきたドラクエシリーズは、ポケモンのようには新しい世代へ浸透せず、われわれの退場とともに消えゆくさだめなのかもしれません。だって、この冒険感ゼロのベルトコンベアーみたいな作業、ほんとうにつまんないんだもん!

ゲーム「アークナイツ:エンドフィールド」感想

 アークナイツ:エンドフィールドをサルのようにプレイ中。いよいよもって、なにか新しいゲーム体験を得たいと思ったとき、本邦のそれをファースト・チョイスにする選択肢は無くなってきたように思います。少なくとも虚構分野において、パトリオティズムに起因するエクスクルーシオニズムは、私の中で完全に消滅しました。これまで、原神ブレワイのビジュアル的フォロワー、崩壊スターレイルが軌跡シリーズの精神的フォロワーであると指摘したことになぞらえると、エンドフィールドはゼノブレイド系の「完全上位互換である」と表現できるかもしれません。リリースしたばかりなのに、すでにとんでもないボリュームのコンテンツが実装されていて、手ざわりはオンラインのソシャゲというより、買い切り型のオフライン大作RPGといった具合です。ゲーム開始から最初の5時間くらいは、「美少女たちと歩む、超絶美麗オープンワールド」といった風情なのですが、それは新規プレイヤーを引きかえせないほど深く巣の奥にさそいこむための、チョウチンアンコウの発光部分が女体になっている捕食者による、下準備みたいなものでした。ユーザー・インターフェースがけっこうわかりにくくて、「ホヨバのゲームなら、どれに相当するか?」を手がかりに脳内で翻訳しながら、ようやく操作感が手になじみはじめたころに、突如として怒涛の工場チュートリアルがはじまるのです。説明の文章をなんど読んでもサッパリ意味がわからず、これは相手が自分の言語能力を上まわっているからか、中国語からの翻訳に難があるのか、けっこう真剣に悩んだほどでした。

 理解を断念して、工場生産パートをスキップして先に進めようとするのですが、ストーリー展開とマニュファクチャリングがあざなえるナワのように一体化しており、避けて通ることは不可能になっているのです。正直なところ、土日の休みをはさんでいなければ、ここで永久に脱落してしまっていた可能性は充分にありました。なかば意地になり、数十個はあるチュートリアルを順にクリアしてゆき、手にいれた図面から製造システムを設置して、ああでもないこうでもないと丸一日さわり続けるうち、エウレカ的な瞬間が訪れて、すべての設備が詰まることなく流れはじめると、一気にゲーム世界へと深くダイブする感覚がありました。さらに驚いたことに、いったん自動化に成功した工場設備は、ログアウトしたあともサーバー上で生産を続けているのです。この仕様は、「時間の経過を裏切る、現実の積みあがらなさ」をつねになげく、社畜マネジャーたる小鳥猊下のハートをワシづかみにしました。アークナイツ:エンドフィールドは工場生産パートの存在によって、これまで大陸および半島から上梓された大作ゲーム群のどれとも異なった存在となることに、成功していると言えるでしょう。また、鉱石の採掘場を建設するために、電柱を小脇に抱えてフィールドをかけめぐるのも楽しく、先のオートメーション・ファクトリーにくわえて、どんどん設置物を増やしても寸毫の処理落ちさえ生じず、ほんのわずかな刺激でCTDしまくるベセスダゲーを経験してきた者として、いったいどんな超絶技術がこのゲーム体験を裏でささえているのか想像するだけで、「本邦の衰退」という言葉とともに、背筋のうすら寒くなる感じをおぼえるほどです。

 さて、ここまでをほぼ両手ばなしの絶賛で埋めてきたわけですが、いにしえよりインターネットに棲息する、すれっからしの虚構アディクトとして、約束された輝かしいエンドフィールドの未来をさらに盤石なものとするために、いくつか苦言を呈しておかねばなりますまい。まず、前作?であるアークナイツのシナリオを、エッキスに巣くう虚業従事者たちが絶賛しているのを横目にながめていたこともあり、事前にかなり期待を高めていたのですが、長大なメインストーリーと膨大なサブシナリオのどれもが驚くほどつまらなくて、逆にビックリさせられました。これは物語の進行がマップの開拓と綿密にからみあっているせいかもしれず、スターレイル方式ーーマップを無視して会話劇とムービーだけで物語を進めるーーを踏襲しはじめた最近の原神は、もしかしたら正しかったのかもしれないと考えさせられた次第です。システム面はすばらしいのに、少なくともストーリーへの興味に駆動されるゲーム体験にはなっておらず、今後の改善が期待されるところでしょう。次に、ゲーム内の音楽がどれもまったくと言っていいほど、耳に残らない。リリースから3日で20時間以上プレイしたはずなのに、頭の中にフレーズが充満して幾度もリフレインされるというあの感覚が、まったくもって生じません。しかしながら、これは生粋のトーンデフによる難クセの可能性が捨てきれないことは、付記しておきます。最後に、かなり致命的な弱点である気がしているのですが、固有名詞のセンスがどれも絶望的に悪い。パンダの見かけをしたキャラの名前がダパンだったり、舞台となる惑星の名前がテラから安直にタ行とラ行で連想したタロだったり、既存の神話由来のものをのぞいては、人名や造語の”ツクリモノ感”がひどく、世界観への没入を阻害する要因にさえなっています。あらためて、カルデアとか、キリエライトとか、アニムスフィアとか、FGOの固有名詞はどれもセンス抜群だったなと思わされました。

 ともあれ、数年単位を惰性で続けているいくつかのアプリゲーを引退してまでプレイ時間を捻出したいと思わせた、業界最高峰の技術の集積体であるアークナイツ:エンドフィールド、いちばんダイナミックにゲームそのものが変容していく、まさに旬の時期であるリリース直後のいま、ゲーム好きなら少しでも体験しておくことをオススメします。