猫を起こさないように
ゲーム「エンドフィールド・春の暁、訪れし時」感想
ゲーム「エンドフィールド・春の暁、訪れし時」感想

ゲーム「エンドフィールド・春の暁、訪れし時」感想

 エンドフィールド、2度目の大型アップデートであるバージョン1.2をクリア。無自覚系主人公ならぬ無記憶系主人公を、プレイヤー以外はみんな知っている彼/彼女の過去の活躍から無下限(じぢゅちゅ語)に甘やかし、あってしかるべき記憶の回復によるタネあかしがいっこうにない状況にイライラしていたのですが、今回のメインストーリーを通じて、敵の幹部であるアルダシルと管理人ーー呼ばれるたびに「めぞん一刻」が脳裏をよぎる弊害を持つ二人称ーーの関係性は、エヴァ新劇におけるカヲル君とシンジさんのそれになぞらえたものーー片ひざで石像に座る目くばせ演出まで!ーーではないかと気づき、エンドフィールドが「シンに不満を持ち、破からの作りなおし」を志向する作品なのではないかと、大きく期待を高めた次第です。手をかざすだけで石の形をしたエネルギーを放出できる、作中でいっさい説明がない管理人の謎パワーと、スーパーサイヤ人と化したゾアン師による武陵城の防衛戦におけるムービーは、島・半島・大陸から上梓された近年のゲーム群において、”当代一”とでもたたえるべき超絶クオリティに達しております。なにより良かったのは地下の裂け目をめぐる後日譚で、少年兵が子ども時代をとりもどすーーシティハンターの主人公の幼少期を想起ーーロッシのサイドストーリーにも感じたことながら、端正な3Dモデルがかかえる欠点であるところの、人間の役者に比しての「感情表現のとぼしさ」をホヨバとは別のかたちで補おうとしているのです。

 原神スターレイルが過剰なまでのテキスト量や手書き風アニメーションや、俗に言う”漫符”によって感情の演出を行ってきたのに対して、エンドフィールドでは瞳の動きや唇の歪みや会話の間や画面の構図を駆使して、「会話がなされていないときに、人物の気持ちや隠された真意が交錯する」ような演出がつけられている。つまり、3Dモデルの欠点を乗りこえて、人間の役者を使った実写の手法で物語の演出を試みているのです。一例をあげるならば、今回の実質的な主人公であるゾアン師には、左手で耳元の髪をかきあげるクセがあるのですが、一連の事件が解決したあと、右手で髪をかきあげる場面があります。これは、思考するときの視線の向きやスーパーマリオブラザーズのスクロール方向の説明にも使われる「人間にとって左は過去を、右は未来を意味する」を適用していると考えられ、彼女がようやく過去の呪縛から解放されたことを、テキストにたよらず表現しているのです。この手法には、うっかり会話をスキップすると言外の演技までとばされて再視聴できないなど不便はあり、まだまだ試行錯誤の途中だろうとは思いますが、ゾアン・ファンイの過去を語るストーリーを見て、「初恋が来た道」や、このテキストを読む全員が知らないだろうオムニバス・ドラマ「それでも生きる子供たちへ」に収録されていたジョン・ウーの短編を思いだしました。金持ちの子どもと貧乏人の子どもの人生が、人形を通じて一瞬だけ交錯し、母親に娘との心中を思いとどまらせるという内容なのですが、機会があればぜひ見てみてほしいと思います。

 閑話休題。ゾアン師のたどる「期待の新人として社内のプロジェクトチームに招かれ、時が経つにつれてチームの中核となり、気づけば初期メンバーは死去か定年でだれもいなくなり、プロジェクトの意義も会社への忠誠心もゆらぐ中で、いまはいない仲間に向けて『わたしが、必ずやりとげてみせます』と涙の誓いをたてる」という道ゆきは、あまりにも”勤め人の一生”すぎて、アルコールが入っていたこともあって、感情面での強いシンクロが発生してしまい、嗚咽をともなう号泣にいたったほどです。エッキスのみなさんは、あらゆる組織のマネジメント層を攻撃しますけど、彼ら/彼女らはべつにいつ辞めたってかまわないし、そうしたところで、すでに生活には困らないくらいの資産はあるわけですよ。「個人を越えた、外的状況に対する責任」は、たしかに存在していて、それを軽視してツバを吐きかける態度には正直、特大の疑問符をつけざるをえません(そんなにだいじな個人の内面や自由意志って、あるんですか?)。ゾアン師の誇り高い生き方を否定する近年の風潮に異をとなえるべく、大きめの課金で彼女とモチーフ武器を引き、どちらもレベル90にするという抗議活動をひとり電脳空間(古ッ!)にて行なったことを、ここに報告しておきます。あと、あまりにも今回の工業がわからなすぎーーどうひっくりかえしても、電力供給が足りなくなるーーて、休日の3時間を完全に空費して発狂しそうになり、他人の努力の結晶であるところの図面を丸パクりして、今期の目標を達成したことを、ここに懺悔します(正しいマネジメント層の態度)。