猫を起こさないように
アニメ「まどか☆マギカ」感想
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 質問:欝展開の魔法少女ものが最終回をむかえました。猊下はあの結末をどのように見られたか教えてください

 回答:この質問はわけがわからないよ。よりによってアンチ・ギークスの大家たるぼくに、君たちにとって大切な作品への意見を求めるだなんて、よっぽど悪し様にののしられたいとしか思えないじゃないか。いや、君たちおたくは条理に盲目であれる存在だ。君たちおたくがどれだけの不条理を成し遂げたとしても、驚くには値しない。もしかすると、破滅こそが君の願いなのかもしれないね。その願い、かなえてあげるよ!

 15年前にエポックを作った福音ロボットアニメのことは君たちも覚えていると思う。劇場公開されたそのアニメの結末だけど、3つの異なる救済観をめぐっての対立だという見方ができるんだ。それぞれの勢力がどのように救われたがっているか、ということだね。この例にならって、まずは救済観という視点から読み解いていくよ。

 君たちの国の仏教には、小乗と大乗という考え方がある。小乗は個人の悟りを至上と考え、大乗は衆生の救済を至上と考えるんだ。お地蔵さまは知ってるね。あれが君たちに最も身近な大乗だよ。お地蔵さまは、仏になって浄土へ行くこともできたのに、君たちの苦しみすべてが無くなるまで現世に留まることを選んだ人なんだ。衆生のすべてが救われれば、己も衆生であるがゆえに自身も救われるという誓いになっていることがポイントさ。つまり大乗は、利他は利己へつながるという、この世の善の本質を解いているんだ。どれだけ輪廻を繰り返しても小乗ではかなわなかった救いを、大乗へのパラダイムシフトが可能にする。2つの救済観をめぐる象徴的な結末だったと言えるね。

 さて、次に考えないといけないのは、救済の有資格者がなぜ他の誰でもない、その人物だったのかという点だ。ここには、物語の主人公であったという以上の蓋然性が求められる。じゃないと、救済は絵空事に終わってしまうからね。仏陀が王族の地位を捨てて出家したのは有名な話だけど、救済の有資格者たるには、まず物質的に満たされることが要件だ。その生が一度も満ちたことが無ければ、低い欲得への渇望を断ち切ることは、君たち人間には不可能だからね。

 おや、もしかして君たちはいま、貧しい大工の息子のことを考えているのかい。やれやれ、本当にあげ足とりの好きな連中だね、君たちおたくは! 以前にも話をしたことがあるけど、ぼくはある仮説を持ってるんだ。あの大工の息子は人類史上で初めて、養育者との葛藤に人生を支配されなかった人物なんじゃないかっていうね。従属や利用ではない親子関係を得るのは現代でさえ簡単な仕事ではないけれど、当時の社会状況を考えれば、それは文字通りひとつの奇跡だ。貧しい大工の息子による人々の救済は、その精神が愛に満たされていたがゆえに可能となったんだ。

 さあ、君たちにもそろそろ論旨のゴールが見えてきたかな。無作為に抽出した市井の人でさえ、過去の王族に匹敵する物質的豊かさを享受するこの国で、養育者からの精神的な略取をまぬがれている誰か。そう、人類の歴史に照らせば、その人物は二重の意味で人々を救済する資格を持っているということさ。もっとも、豊かさについては舞台装置からの類推に過ぎないし、この作品には大人がひとりも登場しないから、実際の養育者との関係性については説明が省略されているけどね。

 さあ、ぼくからはこれでぜんぶだよ。でもこんなのは、人気作品に引き寄せての自分語りをより多くの人間に聞かせたいだけの、文系の寝言に過ぎないね。もうさんざん、どこかで似たようなことが語られてるんじゃないのかな。なるほど、君たちにとっては誰が言ったか、誰に言わせたかが重要なんだね。けどそれって、もうただの政治じゃないか。君たちと民主主義はじつに親和性が低いね。民主主義の本来は、個我の染まらなさの中でなんとか共通の結論を得るための方便なのに、君たちときたら徒党を組むことこそが目的になっている。

 君たち日本人は、本当にわけがわからないよ。