猫を起こさないように
雑文「近況報告(D2R&FGO)」
雑文「近況報告(D2R&FGO)」

雑文「近況報告(D2R&FGO)」

 近況報告。ディアブロ2に本腰を入れだすと、他の虚構に触れる機会がほぼゼロになる。特に低レジストのマジック・ファインド装備でヘル難度を「面のトレハン」するときなど、他のメディアはすべて遮断せねばならず、一種の過集中みたいな状態に陥ってしまう。90%の時間は無為に過ぎるのに、ユニークやハイルーンがドロップした瞬間の多幸感から、ズルズルと止めどきを失って、気づけば数時間が経過しているというありさまである。「ディアブロ2の面白さの本質は、パチンコと同じ」という指摘を否定する言葉を、いまの私は持っていない。そして、メフィストの対岸焼きなど「点のトレハン」を行うときは、同じルートをテレポートするだけなので、他のメディアを「ながら見」する余裕ができる。そこで、FGOの新イベントが来たこともあり、長らく終盤で放置していた絶対魔獣戦線バビロニアを最後まで視聴したのです。

 テキスト上ではあれだけ壮大で感動的だった物語が、アニメだとどうしてこんなにもイマイチな感じになってしまうんでしょうか。メフィストが生きながらにして焼かれるうめき声を聴きながら、つらつらとその理由を考えていくうち、ファンガスの書く物語の魅力は、テキストとして視界に入った瞬間に最大化される性質のものではないかと思い至りました。例えば、山の翁が登場する際の口上って、文章で読むと痺れるようなクライマックスなのに、音声で聞かされると脳内で漢字が変換できず、まったく内容が頭に入ってこないんです。かつて、「祇園精舎の鐘の声」か「春はあけぼの」くらい陰キャの中高生男子に暗唱されただろう「体はホニャララでできている」から始まる例の文章も、じっくり読んでみると英語もヘンだし、ほとんど意味不明なんですよ。そして、それが声優のイケボで読みあげられるのを聞くと、なんだかモゾモゾと恥ずかしくなってくる。特に最後の部分、技名を英語で叫ぶところなんて、羞恥のあまりきつく目をつぶって固まってしまいますからね。けれど、テキストの字面だけ追えば、不思議とカッコいいんです。ファンガスのテキストって、「ある程度の速度で読みとばすことを前提とした、絵画的な文章」なのではないでしょうか。FGOでもときどき感じますが、視界に入った2行の文字バランスが最高に美しい瞬間がある。月姫のインタビューでも、「同人版は既存のフォントしか使えなかったので、あらためて読み返すのが辛かった」とか言ってましたし、彼が持つ天賦の才はノベルゲーに特化した「テキストの外観を装飾する異能」のような気がしてきました。「死生観が逆転する」なんてフレーズ、目に飛びこんだ瞬間こそ「かっけえ!」ですが、3秒後には腕組みをして「んー?」と首をかしげてますからね! ですので、FGOのアニメ化に必要なのは優秀な脚本家ではなく、彼のテキストからカッコよさだけを抽出して朗読可能な日本語へと変換する、翻案家みたいな存在だったのかもしれません。

 え、ハロウィンイベントは楽しんでますかって? 冒頭パートだけで「些かの人」が書きとばした文章だとわかりましたので、今回は薄目でナナメ読みにして、素材ひろいに専念したいと思います。ファンガスならギャグの方がむしろ文章が精緻になるんですが、「些かの人」はネットスラングっぽい口語をユーモアと勘違いした軟便たれ流し(源泉かけ流し、のイントネーションで)なので、読んでてつらくなってきます。けれど、その低品質なテキストに比して、「フォーリナー専属の人」による新キャラのガワは、とてもとてもいいですね。怖いほどに写実的なPDFの骨格へ、妄想の欲望のみで肉づけをしていき、現実の女性にはありえないフォルムを作り上げる。この肢体が持つ魅力は、3次元の肉どもがどれだけあがいても届かない、まさに2次元の幻想だけが到達できる至高の領域(キメツの影響)と言えましょう。

 さて、最後にディアブロ2へと話を戻します。このゲームをプレイしていて気づいたのは、表現することに対する私の内発性が、もはや完全に枯渇したのだなという事実です。旺盛に行われているように見える批評めいた言説さえ、どれも「外部刺激に対する反射」に過ぎません。シンエヴァ以降、毒のあるテキストを多方面へまきちらしてきましたが、それは同作への巨大な不満がビッグバンの如く炸裂した余波、すなわち初期宇宙の膨張のようなものでしかなかったということでしょう。いま、その速度が緩やかになり、宇宙から熱が引いていくのを感じています。小鳥猊下のインターネットへの登場は、これまでよりも間遠なものになっていくのかもしれません。もっとも、まだ見ぬ萌え画像が寄贈されるようなことがあれば、この宇宙の膨張は再び加速していくだろうことをお約束します!