猫を起こさないように
月: <span>2026年8月</span>
月: 2026年8月

ゲーム「紅の砂漠」感想

 最近でこそ、DiabloIIR漬けの日々を送っていたものの、UltimaOnlineとかEverQuestとかFF11などに代表される、かつてのMMORPGに向けた郷愁というのは強くあって、都会で定年退職をむかえた男が出里の田舎で農業をはじめるように、いつかそこへ帰りたいという気持ちをいだき続けている。しかしながら、パーティメンバーの募集に1時間、狩り場への移動に1時間、そこからトイレにも立てない3時間におよぶ目まぐるしい連戦を、いまの気力と体力でこなせる自信はなく、少年時代に3メートルの段差をとび降りた直後、そのまま駆けだしたさいに耳元で鳴っていた風の音を思いだすときと同じで、復帰は実現しないものとなかばあきらめていたのです。小鳥猊下がする原神エンドフィールドへの耽溺は、その代償行為なのではないかとのご指摘は当たっておりますが、更新の最突端までゲームを進めてしまうと、そこはストーリーとマップが時限で開放されるのを待つばかりの、いささか窮屈すぎる場所と化してしまうのは難点でした。世界を探索する行為も、地図が広がっていく順を持つことで、一定の指向性をあたえられてしまい、どこか野放図な自由度を欠いた「制作側の意図に管理された冒険であること」を意識せざるをえない瞬間があります。こういった内容を言語化できずにモヤモヤしていたところ、気になっていた紅の砂漠をなにげなくダウンロードしたら、ゲーム内容が漠然とした不満と不足に対する完全な回答になっていて、ビックリ仰天しました。ホヨバに代表される近年の擬似MMORPGは、課金ガチャと定期的な更新による遊戯要素の時限解放が大前提となっていますが、その比較的あたらしいパラダイムによって、知らぬまにゲームに対する価値観を上書きされていたことを、このたび痛感した次第です。

 開発に数年をかけた、メインストーリーとサブクエストと膨大なマップが最初から完全な形で実装されている、課金要素の無い買い切りゲームを1万円以下で販売するなんて、社長が脅迫症的な信念を持っているか、さもなくば気がくるっているかのいずれかとしか思えません。最初に感じたのは、おそらく3DO REALでプレイしたことのある、いまは名前も思いだせない昔の洋ゲーが持つ独特な手ざわりと同じ、なぜこれがそうなっているのかまったく説明のつかない、圧倒的な異文化でした。第7章まで進めたストーリーは、どこどこまでも脈絡なく意味不明で、「高熱のときに見る悪夢」というのが最も適切な比喩と言えるでしょう。システム面は、オブリビオンからエルデンリングーーウィッチャー3を濃く感じるーーまでのすべての3Dゲームにあった要素を節操なくほうりこんでいて、「カロリー摂取だけを目途とした、調味不在の闇鍋」としか表現できない仕上がりになっています。操作系もすべてのボタンを総動員するのは当たりまえで、さらに長押しと短押しと複数同時押しも駆使せねばならず、「左と右のスティックを同時に押しこんだまま、右だけ回転させる」のを要求されたときはイラだちのあまり、夜中にもかかわらず絶叫しそうになりました(加齢で性格が丸くなりましたね)。また、各地に用意されたノーヒントの謎解きを個人でクリアできる叡智は人類にあたえられていないため、往年のMMORPGよろしくインターネットの集合知をたよる以外の解法は存在しないと割りきる必要があります。そして、拠点拡充や傭兵派遣といったサブ要素ばかりか、肝心かなめのキャラの育成方法にさえ満足な説明がなく、数十時間も漫然とさわるうちに”気づく”しか方法がないのです(30時間を過ぎてから、銀行で投資ができるのを発見したので、まだ気づいていないゲーム内の要素は、おそらく無数にあると思われます)。

 ただ、これら1個1個が致命的に思える欠点をすべて呑みこんで、広大な世界を完全なる自由度で探索できることが、底抜けに楽しい。すでに最新とは言えないグラフィックボードなのに、最高画質で寸分のフレームレート落ちもなく、はるか遠景を見わたしながら、ロードゼロのシームレスで縦横無尽に移動できるのは、もはやオーパーツ的な超テクノロジーと言えるでしょう。「フォンテーヌの次はナタ、ナタの次はナド・クライ」ではなく、あなたは東西南北どこへ向かって足を踏みだしたっていいし、どこまでも延々と好き勝手に歩いていっていい。すなわち、戸籍も住所も持たない真の根無草の自由、世界の枠組みの埒外にいる狂人の自由をぞんぶんに、腹の底から体験することができるのです(仕事終わりにフラッと起動して、ただ野原を歩いているだけなのに、気がつけば日付が変わっていたこともありました)。紅の砂漠、人間関係のギスギスをゲーム内へと持ちこみ、時間を無限にコンシュームするMMORPGに、もどりたいけどもどりたくない層へとドンピシャリにお届けする、マッシブリー・シングルプレイヤー・オフライン・ロールプレイング・ゲームとなっておりますが、げっぷの出るほどあふれかえった、JRPGの設定と用語に強く依存する異世界転生ファンタジー群に食傷しており、この陰鬱なテキストを読み切ってなお、興味と関心が残った方にのみ、オススメです!

漫画「キャプテン翼・ワールドユース編」感想

 なんと、キャプテン翼のワールドユース編を読了。比較的あたらしいシリーズだと思っていたのに、じつはドーハの悲劇より前の時代の連載作品であり、中年期以降の時間感覚にあらためて恐怖をおぼえた次第である。ジャンプ本誌では、リアル・ジャパン・セブンの登場ぐらいまでを読んでいたことが今回わかったのだが、前作の終盤に連呼された、少年に向けた性愛がほんのり香るジェイ・ボーイズ・サッカーなるネーミングといい、あいかわらず全編にわたって独特のセンスがただよっている。そして、この世界における審判はまったくの無力であり、荒れる試合をいっさいコントロールできないため、相手の選手を物理的に痛めつけることが目的の南米式カンフーサッカーが横行し、有名なフレーズである「ボールはトモダチ」どころか、作中に体現されているのは「ボールはマーダー・ウェポン」であり、必殺シュートに接触すると人体はもれなく破壊されるのだった。協会の片桐さんが試合で片目を喪失しているのも、キャプテン翼のサッカー観を如実にあらわしており、おそらくスパイクの裏側で顔面をけずられたーーしかも、ノーファウルーー結果にちがいない。さらに、無印1話から登場し続けるダンプカーが選手とその家族を死傷させまくるのは、ほぼシュールなギャグレベルの反復になってしまっている(これほどまでに大型車が登場人物たちを苦しめるマンガは、他には野望の王国くらいのものだろう)。本邦がまだワールドカップ本戦出場をはたせなかった時代の作品ゆえに、見たくもない中国やサウジアラビアとの死闘を予選リーグで延々とくり広げたあげく、国際ジュニアユース編を焼きなおしたような展開になってしまったからだろう、決勝トーナメントの途中で打ち切りが決定したようで、セミファイナルはナレーションだけで”ごういん”にスッとばし、満を持して登場したロベルト本郷ひきいるブラジルユースとの頂上決戦も、後半ロスタイムで巻きぎみに終わってしまう。これにワリを食ったのは、さんざん読者の期待をアオッてきた世捨て人のサッカー王で、試合時間にして数分とわずか数ページを登場したのち、翼くんにアッサリと返り討ちにされるのだった(それにしても、世界の一流選手たちに絶大な影響をあたえた作品の続編を、ジャンプ編集部はよく打ち切りにできたものだなと感心していたら、当時の彼らは年齢的にまだ小中学生だったことに気づいた)。

 個人的な感覚を言えば、雷獣シュートやらナトゥレーザくんなどは、同人作家によるパチモンのようにしか思えない。なんとなれば、初代の連載終了後に発売されたファミコン版キャプテン翼2・スーパーストライカーにて、真のワールドユースにおける激闘を個人的に何周も”実体験”しているからである。翼くんしかガッツ消費のシュートを持たない弱小サンパウロFCを率いてリオカップを制覇し、続く全国高校サッカー選手権は退屈すぎて特に印象はなく、全員が必殺シュートを持つ全日本バーサスほぼ翼くん単騎チームのジャパンカップは極限の死闘となり、敗退をくり返すことで経験値をかせいでレベルを上げ、ついに初めての勝利を手にしたときの歓喜は、ジョホールバルもかくやというもので、いまでも忘れることはできない。そして、ワールドユースの予選を勝ちあがり、本戦でピエールくん、ナポレオンくん、ジノ・ヘルナンデスくん、ファン・ディアスくん、シュナイダーくん、ミューラーくんと戦いながら、伝説の選手とその必殺シュートについてのミステリーが、テクモシアター演出(忍者龍剣伝!)によって解き明かされていく興奮は、令和の最新ゲーム群が提供するそれに勝るとも劣らないものであった。ブラジルとの決勝戦において、ガッツを400も消費するサイクロンをゲルティスくんのダークイリュージョンでキャッチングされ、パスを受けたコインブラくんが他選手の3倍の速度をしたドリブルで自陣ゴールへとせまる絶望感は、じっさいに経験してみないとわからないだろう。いまでも、ブラジルのレジェンドはだれかと問われれば、ペレではなくジャイロと答えるし、翼くんの最強シュートはスカイダイブではなくサイクロンだと強く主張して、一歩もゆずらないほどである。私の中では、このファミコン版キャプテン翼2がたび重なるゼロからのプレイによって正史と化しているため、マンガ版のワールドユース編はできの悪い二次創作か、それこそ偽史としか思えないのであった。最後にこっそりと、「ビックリするほどあっていないから、これ以上は読まないほうがいい」とのアドバイスをいただいたアオアシを全巻読了したので、それに言及して終わりたいと思う。サッカーにおけるユース世代の育成をテーマとして、「すこし食い足りないが、ここで終わるのがもっともきれいだろう」という地点で幕を閉じており、事前の想像よりもはるかに読後感よくまとまっていて、非常に好感が持てたことをまずはお伝えしたい。それと同時に、おのれの過去の虚構体験から逆算したマイナスの予測をご高説として垂れるのは、以後、厳につつしまねばならぬと反省したのであった。

 ただ、ひとつだけひっかかったのは、バルサのエースであるCUNTーーやだなあ、カッコつけのために英語表記にしただけで、他意はいっさいないですよ!ーーをめぐる勝負の描き方で、「地域の紛争や欠損した家庭からの逃げ場としてサッカーにたどりついた者が持つ、失敗イコール地獄への逆もどりとなるがゆえの、人生と骨がらみになった強さ」に対抗しえたのが、片親で極貧の少年期を過ごしたAKUTZだけだったというのは、その後の主人公による決勝ゴールへといたる展開を加味してさえ、作り手の意図しない誤ったメッセージを発信してしまっているような気がする。現在、現役生活とGOAT論争の終わりを迎えつつある二人の大スター選手がいるが、かたや長身の筋肉質なイケメンであり、かたや中肉中背のオタク顔をした喪男であるという見かけの相違だけが、高校時代の学内ヒエラルキーのような、余計なイザコザを場外に引き起こしているような気がしてならない。それは、カースト上位に位置する生徒が視界に入れただけでイライラするキモオタを、教師にバレないよう取り巻き連を使って間接的にイジメる構図に酷似しており、騒動の規模がグローバルであろうとも、根っこの部分に横たわるのは、青春時代に万国共通のルッキズムだと指摘できるだろう。突然のリアル方向への脱線でなにが言いたいのかといえば、イケメンがアル中の父親に対する憎悪を自己愛へと反転させ、サッカーを立身の道具と決めて勝ち続けてきた結果、いよいよ年齢を重ねて、汲むべきエネルギーを枯渇させてガス欠となってきたのに対して、ブサメンのほうは両親への深い愛情と感謝の念をかくそうとしないだけでなく、なによりまだサッカーをプレイできることへの喜びに満ちあふれていて、いよいよ年齢を重ねて、常人には理解不能の領域へと突入しているということだ。現実のサッカー界において、まったくCLITRISやCUNTやAKUTZのようではない人物が軽やかに、いとも簡単そうにすべての栄冠を手に入れていくのは、人生の初源に憎悪を持つ小鳥猊下にとって、人類全体へと向けられた救済や福音であるように思えてならない。