猫を起こさないように
ゲーム「原神・神に愛されぬ雪国」感想
ゲーム「原神・神に愛されぬ雪国」感想

ゲーム「原神・神に愛されぬ雪国」感想

 原神のスネージナヤ編、いつものごとく小だしの引きのばしかと思いきや、複数のマップとメインストーリーとサブシナリオとミニゲーム群がドカンとまとめて実装され、エサの皿に大量のフードが追加されつづけるのにおびえて、部屋のすみに直立するマーモットみたいになってる(ネットミームの混線)。なりふりかまわず、エーペックスやエンドフィールドエルデンリングの要素をそのまんま丸パクリしておきながら、最後の調整が甘いために生ぬるいプレイフィールになっており、本家には遠くおよばないところも、原神らしいと言えば原神らしい。圧巻だったのは今回のメインストーリーで、「吹雪の夜の密室殺人」という古いミステリ類型を用いながら、真犯人である神との対峙という弩級のクライマックスをむかえたと思ったら、息をつくヒマもなくパイモンの誘拐とスネージナヤの軍事中枢へなぐりこみがはじまり、厳冬計画の詳細や女皇の真意、そしてパイモンの正体までもがすべて、なんの誤解もないよう赤裸々に提示され、ホヨバは原神という破格の物語をその人気の絶頂で、キッチリたたむつもりなのだということがビンビンに伝わってきて、予想外の展開に驚愕したのです。特に、「地球人類の科学文明の発展を、介入目的で見守る第三者の存在」というのは個人的に大好きな設定で、古くは幼年期の終わりやスタートレック・ファーストコンタクト、新しくは三体があり、「ファンタジーの見かけをしながら、世界の根幹はSF」であることをひさしぶりに思いだして、これこそ原神の面目躍如だと感じました。そして、滂沱の涙を流してブラヴォの拍手を送りながら、なにより強いのはパトリオティズムに由来する「くやしい」という感情だったのです。

 たとえば、バスタード!やスレイヤーズ!やベルセルクが、作者ひとりの人生をまかなえるぐらいの小金を持った時点で創作の初期動機を失い、それこそ数十年にわたって読み手を失望させつづける「終わらない物語」と化していったのに対して、原神はわずか5年ばかりの道程で、あらゆる設定を回収して積みあげた先に、いよいよ頂上の石であるベンベネトを置きにかかっている。ゲーム分野において、この「続きへの欲目を断ち切り、完膚なきまでに終わらせる」ことを達成できたのは、私の知るかぎりではランス10の他はなく、日本ファルコムの作品群がその悪しき対極に位置しておりますが、もうグチグチとくわしくは語りますまい。ホヨバの持つ凄みとは、おのれを「日本の2次元文化のコピー」であるとどこか自覚している点で、「コピーだからこそ、情熱も時間も金銭も惜しみなく注がなければならないし、なにより受け手であるファンに対して誠実でいなければならない」と強く信じていることが、作品の端々から伝わってくるのです。これは、いまや他を押しのけてオタク第一世代の頭目となったQアンノの「我々の作品は前世代のコピーにすぎないが、そこにおのれの人生を熱転写することで、オリジナルに接近できる」という創作手法と、国境を越えて奇しくも酷似していますが、これをある種の理念として、数千人の社員と共有することで、本邦の虚構作品に多く見られる「才能ある個人の意欲の終わりが、創作の終わり」という現実を克服したのは、中華の心性の根幹をなす「生き汚なさ」と、仙人や真君の概念に代表される「個を延伸した先に存在する超越」を、いまや組織として体現しているとさえ言えるかもしれません。

 最後に、虚構先進国だった場所で人生の大半を過ごした者として、敗北感からくやしまぎれに予言しておきますと、ズバリ、パイモンが原神のラスボスたる天理その人にちがいありません。今回のストーリーの結部で、脈絡なく「対天理武装を見たい」と彼女が言いだした瞬間、これまでのおぼろげな伏線が、はっきりとした輪郭をあたえられように感じました。ランス10において、いつでも世界を破壊できる魔王がかつての想い人との記憶だけをよすがに、寸前でそれを踏みとどまりつづけたように、天理と化したパイモンは、数千年の時間に比べれば、旅人・イコール・プレイヤーとのほんの短い「旅の記憶」を理由に、テイワットの破壊を完遂できなくなってしまうーーそれは、私たち原神ファンがともに過ごしてきた時間までをも称揚する、とても美しい結末のように思えてなりません。終わります。