猫を起こさないように
映画「罪人たち」感想
映画「罪人たち」感想

映画「罪人たち」感想

 盆休みのヒマにあかせて、ずっと気になっていた罪人たちーー”ざいにん”ではなく、”つみびと”と読むーーをアマプラでレンタル購入して、ほおづえをつきながら見はじめたら、あまりのブッとんだおもしろさに気づけば前傾姿勢となり、全身の毛穴と肛門がカッぴらきました。「黒人ブルース歌手が主人公の、1930年代ミシシッピ州を舞台にしたミュージカル吸血鬼ホラー」というB級感あふれる建てつけからは想像だにできない、南米文学的なリアリズムの横溢した骨太の物語になっております。映画の冒頭において、「これは、一夜の夢である」ことを観客にしめしたあと、ブルースの実力者たちが梁山泊のごとく、各地からひとところへと集結するさまを描く手つきはみごとであり、浜辺の砂や紙のトランプで作る山のように、あらかじめ「破壊するために創造し、破滅をむかえるべく絶頂する」のに必要な過程であることを行間へと忍ばせながら、登場人物たちの来歴とパーソナリティについて、ていねいな積みあげが行われます。また、公民権運動にいたる前夜の人種隔離政策についても、緻密な考証にもとづいた舞台セットが組まれていて、その描写の正確さは学校の教材に使えるぐらいのクオリティになっています(女性の”ボタン”をどうなめるかの指導と実践があるため、じっさいは使えない)。そして、物語の中盤に製材所跡のダンスホールで演奏される、まさに”四ツ辻で悪魔に魂を売りわたした”ギター演奏とブルース歌唱は、言葉にのせた瞬間に雲散霧消してしまう、音楽の持つプリミティブなパワーを、「過去と現在と未来をひとつなぎにしながら、人間の境界を融溶させて個と世界を合一するもの」として、圧巻の映像で力強く朗々とうたいあげるのです。

 すべての障壁が天井の楽曲によって焼け落ちた結果として、吸血鬼の始祖とその眷属たちという”魔”を喚びよせてしまうのですが、彼らがミシシッピ・ブルースではなくアイリッシュ・フォークを愛好しているのは、音楽性にあずけた両者の実存の差違を対照して見せるしかけになっており、吸血鬼サイドの有する「感覚と知識と記憶をたがいに共有する集合体」という特徴は、まさに人類補完計画の実現した姿だと指摘できるでしょう。そこからは、「アメリカ南部における黒人音楽史」といったふうな前半の印象をガラリと変化させ、「招かれないと家に入れない」「心臓に木の杭を刺すと復活できない」「太陽光で焼け死ぬ」などのバンパイアにまつわる古い伝承をたくみにシナリオに落としこんだ、タランティーノ作品を彷彿とさせる人間と吸血鬼たちの血みどろの争いへと突入することとなるのです。さらに、夜の騒動がすべて終わったあとにやってくるクー・クラックス・クランの白人メンバーたちを、黒人の準主人公がスナイパー銃やマシンガンで鏖殺していくのは、無責任な極東アジアの黄色人種にとってさえスッと胸のすく思いがしたのですから、国家を奪われたブラック・ライブズはマーベルのブラックパンサーに深く共鳴したのと同じ痛快さを、腹の底から味わったにちがいありません。最後に、この映画をB級バイオレンスからはるか高い位置へと押しあげているのは、スタッフロール突入から終了のあいだに挿入された主人公のその後を描く一連のシークエンスだと指摘しておきましょう。

 時は移ろい、60年後のシカゴにおいて、円熟の老プレイヤーへと変貌した主人公は、彼のもとに訪れた吸血鬼の生き残りを、知らずファンとして楽屋に”招きいれて”しまいます。そして、死期が近づいていることを吸血鬼の嗅覚で看破されたにも関わらず、永遠の生命をあたえようという申し出を寸毫の迷いもなく、キメツの煉獄さんばりに毅然と拒否する。時空を超えて世界とつながる音楽の源泉が、個という絶望的なまでの孤独と、だれもがひとりで死んでいく事実に根ざすことを彼は悟っており、乞われて弾いたギターの音色に不死の者が思わず見せた優しいまなざしは、ほとんど取りかえせぬ憧景のように映りました。そして、「思いだすたび、半世紀以上の経ったいまでも体が恐怖に麻痺する」ような凄惨きわまるスローターハウスでの一晩を経験してさえ、本物のブルースを奏でる神の器として羽化したその日を「人生最高の一日だった」と誇らしく形容したのには、「表現することを運命づけられた者が、表現することへ無事にたどりつけた僥倖」への深い喜びがにじんでいて、たどりつかなかった者のほおには理由のわからぬ涙が流れるのです。そのやりとりを皮切りとして、走馬灯のように流れる回想シーンは、「みんな死んでしまったが、死ぬまではそれぞれの信念にしたがい、懸命に生きた」ことを痛いほどに伝えており、人生の意味を問うような脆弱さとは、はるかに遠い力強さを照射していました。エンドマークのむこうに置かれた少年の日の主人公によるソロは、本来の意味でのブルーノートになっていて、この物語のテーマを総括する目的で、歴史が黒人の魂にきざんだリズムを、より普遍的な形であらわそうと試みているように感じられました。