ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
みんなイヤがってるみたいだから、FF11の話、手短にするね。復帰から一ヶ月半が過ぎて、ログインしてドメイン行ったら即ログアウトみたいな、プレイオンラインの表示時間のほうがむしろ長いような日々になってて、これ5年前と同じで、いよいよ引退へのカウントダウンが始まってんの。んで、もう心残りの無いようにしようって、やったことのないバストゥーク出身のガルカでたぶん最後の、「最初から」プレイを始めたのね。バストゥークのストーリーって他の二国と違って、「産業革命後における労働者階級の形成および被差別部落の誕生」みたいなファンタジーとはほど遠い内容で、特にガルカでプレイしてると鬱々としてくんの。そういえば直近のアップデートで、業者対策のためにエミネンスとかのポイント交換へ週あたりの上限が設けられたのね。どんな騒ぎになってるか興味半分でネ・ジツをのぞいたら、複アカの業者がエスカ・ジ・タからいなくなった話してて、「あいつら、本当にガルカ好きだよな(笑)」とかいつもみたくウエメセ(上から目線の略称)でバカにしてんのよ。わたしそれ見て、すっごく悲しくなったわけ。じっさい、ギル販売業者と思われるキャラのガルカ率はとてもとても高い(FF11語)んだけど、なぜかっていうとゲーム内のガルカはヴァナ・ディールにおける被差別民だからなの。いまRMT(リアル・マネー・トレードの略称)のサイトを検索してみたら、1億ギルが8〜9千円ぐらいで販売されてんだけど、複アカを駆使して最大限効率を高めたところで、本邦に住んでるだれかにとってはコンビニバイト以下にしかならなくて、時給で考えてもとうてい割にあう金額になってないわけ。つまりこれが意味するのは、ギル販売は円でもドルでもない通貨の国の住人が、先進国のバックドアからカネをかすめとるためにやってるんだろうなってことなの。貧しい彼らにとってガルカは虐げられる側の象徴で、RMTという行為自体に先進諸国に対する一種の反逆や、義賊的行為としてのメッセージが込められているように思えるのね。そうやって18年が経過して、ガルカという存在はいまやゲーム内の設定を越えて、現実世界の南北問題(経済の搾取構造)とさえリンクしていると考えると、バランスの悪い体躯に短すぎる爬虫類の尻尾とか、歩幅が大きいからタルタルとくらべるとスローモーションにしか見えない移動の様子とか、かつては欠点にしか思えなかったものが、とてもとても味わい深く感じられてきて、自分のキャラの広い背中を眺めているだけで、なんだか涙が出てきちゃった。流行り言葉にのっかれば、ガルカ・ライブズ・マターって感じ? 涙が出たといえば、最近のFF11のオトモはベター・コール・ソウル(ブレイキング・バッドのスピンオフ作品)なんだけど、弁護士で白人の主人公が自分の味方だと思っていた実の兄から「サモア大みたいな三流私立のオンライン教育で取った弁護士資格なんか認められると思うのか。おまえは俺と対等じゃない」みたいな罵りーーしかも兄はその思いをずっと弟に隠してて、問いつめたら感情とともに思わず、といった感じで吐き出された本心なのーーを受ける場面があって、「ヒュムなのに、同じヒュムどうしなのに!」って、ヴァナ・ディールと感情が混線して、号泣しちゃった。天は人の上に人を作らないけど、人が人の下に人を作ろうとする。
『(ガルカ詩人の歌声で)たかいたかいヤシのき、おおきなおおきなヤシのみ、サモアのしま、たのしいしまよ』