猫を起こさないように
nWo at mixi
nWo at mixi

失われた時を求めて

 ネットワークがあらゆる情報を拡散させ、現実に新たな位相を加えたことにより、個は流動的で置換可能なものとなったという言説に、私は眉をひそめる。例えば台所に生息する黒い昆虫を見ただけで悲鳴をあげる婦女子が、それを指でつまんで口に放り込む事態が、新たな情報の流入により可能だと断言する輩はいまい。肉と時間軸を度外視せねば、個は流動できない。この場合の軸とは文化変容を招く十年の単位ではなく、百年を単位とする歴史的な時間を指す。
 私たちは、トラウマティックな個への外挿に操縦されるだけの存在である。私の言う操縦のイメージは電気的な厳密のコントロールではなく、操り人形の糸が持つようなルースさだ。自由意志を漠然と信じさせるほど制約は少ないが、それは明らかに我々の行動をある範囲と方向に収めている。
 亡くなった祖母がよく、「あの家は三代前の旦那が妻をひどくいじめ、虐待で得た障害を理由に里に帰したことがあって、そのせいで今でも係累の自殺が絶えないのだ」などと語ったものだが、この話は私には全くオカルトのようには響かなかった。トラウマにも満たないような精神的余波が、糸電話と同じ要領で現在の我々へ連絡をしているのである。若い世代ほどより流動的な個性を持つという仮説も、やはり空論である。
 養育者の側へ生活する限り、つまり最初のトラウマティックな外挿に近い場所にいる限り、私たちにつながる操り人形の糸はあまりに身体へ接近しているので、ほとんど自由な活動を持ち得ない状態にある。やがてそこを離れ年齢を重ねることは、すなわち操り人形の糸が長くなってゆくことを意味している。重なることは無くとも、精神の自由へ近似してゆくのである。肉を無視するのは、それが恐ろしいからだ。しかし、肉を無視して現実を評論する行為は、摩擦係数を無視してエンジンを設計する行為と酷似する。
 唐突に話は変わる。私たちは、ずっとひとりでやれと言われてきた。しかし、ひとりでやればただ狂わないだけで力を使う。だから、わずかな他人の関心によって最初の歪みが補正されることが、実は意外に重要だ。社会とか、そういう大きな名付けの枠組みを恨んでいるわけじゃない。ただ、生きることのすばらしさを運命づける熱気を与えられなかっただけだ。私たちの失敗を非難するときにだけ膨満するこの熱気は、充分絶望に足りる。そして、狂わなかった幸運に感謝したい。この偶然はきっと、我が身の歳月だけでは説明がつけられない類のものだ。

空しさに包まれたなら

 加齢とアルコールで自意識の抑制から解放され、もはや何に心動かされることもなくなった小鳥猊下だが、あんなに気性の激しかったおじちゃんが、よよ……ってナメてんのか、貴様ら! おっと、そんなに慌てて飛びすさらないでおくれ、顔面の奇術師・ファットボーイ諸君! ご覧の通り、ちゃぶ台は床に強力接着剤で固定してあり、万一の際にも折れた木片が諸君の柔らかな脂肪を切り裂いて内臓へ到達するなどということはない。私は気づいたのだ。日常の生活を記述するでなく、時事問題を取り扱うでなく、誰かとの書簡でもないとしたならば、ネットで書くことなんてないやろが! おっと、そんなに慌てて二階へ駆け上がって、この拒食症系スキニー美少女・小鳥猊下から距離をおかないでおくれ! ご覧の通り、この細い滑らかな喉元は首輪と鎖につながれており、万一の際にも真珠の光沢をした前歯が諸君の陰茎を噛みやぶることはない。しかしそれにしても、不特定多数への罵倒を自ら封じてしまうとは、あやうくネット蒸発するところであった。まあ、そこへ座って話を聞け。おやおや、縁側の淵で半分腰を浮かせたような正座では、私から発するスペクタクルに仰天した瞬間に転落、後頭部から脳味噌ブチまけたろか! ほれ、言わんこっちゃない。
 最近の話である。ときどき訪問していたサイトの更新が長く止まっているな、と思っていたら実は管理人が死んでいたからだった。ホームページの寿命は、犬の寿命と同じくらいだと聞いたことがある。開設九年目を迎えるnWoも、ネットでの死に方という命題を否応に考えざるをえない。そも、死を伝えるべき知り合いという概念がネットでは非常に希薄で、曖昧だ。最近の話である。処女のように勇猛な決意でマイミクを申し込んだサイトが消滅した。お互い長くホームページを運営しているので、知り合いのような気がしていた。もちろんそれは、顔見知りが恋愛へとスライドするストーカー的な妄想に過ぎず、閉鎖にあたっての連絡などなかった。悲しみ未満のような感情が虚脱感へ移行するのを観察した後、すべての人間関係をご破算にしたいという離人症的欲求を簡単に満たせるのがネットなのだな、と改めて感じた。湿っぽくなってきた。話をまとめると、小鳥猊下はオフ会をしたいし、呼ばれたいということだ。ここまでの論理展開に、私の中でなんら飛躍はない。日付や場所などは、現在のところまったくのノープランである。不幸にも足あとをつけてしまった諸君の反応に期待する。なんとなればインタラクティブ性がnWoの信条だからである。あと、4名によって送付の約束された萌え画像が未だ届かぬ。行方を知っている者がいれば、連絡を乞う。

小鳥猊下呪殺のようす

 薄い頭痛に目を覚ます。身体を起こそうとして、両肩に鉄の板を差し渡したような凝りにうめく。仕事のせいというより、内臓から来ているのに違いない。ここのところ飲みすぎだ。締め切った雨戸から差し込むわずかの光線が、室内に埃を舞わせているような錯覚に陥る。どこからでも染み入る陽光が、心底恨めしい。起きぬけにパソコンを起動するのは習い性だが、最近めっきりと寒くなった。暖房器具としての意味合いもある。かじかんだ両手をすりあわせつつ、ゴミの山から灰皿をひっぱりだすと、煙草に火をつける。この古いCRTモニターが映像を写すのには、本体の起動より時間がかかるのだ。じわじわと滲むようにデスクトップ画面が出現すると、すかさずnWoへアクセスする。更新をして、しばらく経つ。メール、掲示板、web拍手、mixiと順に巡るが、未だに何の反応も無い。ブログ世代の速読力と読解力という言い訳へ、アルコールを多めに追加して己をごまかしてきたが、もはや堪忍と肝臓の限界だ。字面を追えど、中身は伝わらぬ。膨大な情報を恣意のみで取捨選択し、己の主観に対する批判的な視点は絶無である。現代の生んだ、より位相の深い文盲どもはまとめて呪殺だ。強く噛みすぎた臍から流れ落ちる血の生暖かさに我へ帰る。ほとんど吸わぬまま短くなった煙草を灰皿に押し付け、食卓へと向かった。家人が外出中だったのは、幸いである。誰とも話さぬ生活を続けると、感情の境界と対象が曖昧になる。ネットに由来する怒り現実へぶつけて、元より良いとは言えぬ関係を更に悪化させることもあるまい。口蓋と歯の裏にこびりついたニコチンをバターの如く食パンでこそげつつ、食す。古くなったパンは、ただただ口中の水気を吸い上げるばかりで、精液のように不快に粘った。その感覚がまた、怒りを加速させる。上半期のアンケートでは、萌え画像の送付を5名が約束したはずだ。手元に届いたのは2枚であり、どうにも計算が合わぬ。俺の更新の頻度か品質かに対する、無言の批判に違いあるまい。その想像に、「目の前が赤くなる」が比喩でないほど瞬間的にカッとなる。呪殺。途端、胸に差込みが来、頭がくらむ。食卓に上体を預けたまま、しばらく獣のように荒く息をする。近年の高血圧と生来の気性の激しさとの結婚は、俺にとって時に致命的だ。萌え画像到着を遅延させ、わずかの感想を書き込まぬことで、奴らは俺を合法的に殺人しようとしているのだ。なんという狡猾な連中だろうか。呪殺、そう呪殺だ。どこまで行っても匿名という安全圏のネット世界で、俺のファンを自認するのならば、「ラッセラッセと斬殺ワロスwww」くらいの気軽な感想がなぜ書き込めぬ。もしくは人気ブログなどで積極的に紹介し、砂漠への灌漑の如く涸れたアクセス数と同時に俺の心を潤そうとは思わないのか。テキストサイトとやらの黎明期にnWoを開設し、はや10年。他の大手サイトがこの忌々しい弱小メディアを軽々と踏み台にしていったのに対し、これだけ長い歳月をかけて未だ100万ヒット到達すら適わない。呪殺――いえ、本当に呪い殺したいのは、この私。才能もカリスマ性も無いのに、ネットだからこそ許される過激な文言のストリップで、他人の関心を乞食のように得たいだけの私を、呪い殺してしまいたい。愛らしい北欧系の白人少女にメタモルフォーゼした高血圧で脂性の俺は食卓に伏したまま、いつしか泣きつかれて眠ってしまったのでした。おやすみ、小鳥猊下。家人の怒号が君を夢の楽園から連れ出すまで、ゆっくりとおやすみ……

小鳥猊下慈愛のようす

小鳥猊下が年末年始恒例のあの状態。
「慈愛、みたいな? 親しみやすさを前面に押し出し、どんな内容の書き込みにも優しく全レスする、みたいな? web拍手やメールにも対応するよ!」

小鳥猊下上京のようす

 ネタに走ろうかとも考えたが、普通に告知する。来る2月7日の夕刻、東京駅から30分の圏内でオフ会を行う予定である。参加を希望する場合は、mixiメールかnWoのメールフォームで意思を表明して欲しい。追って、詳細な時間と場所を返信する。通常メールの場合、スパムにまぎれてしまう可能性があるので、注意されたし。タイムスタンプを調べると前回の東京オフ会が十年前だった。今回を躊躇すれば次の機会は十年後となろう。〆切りは2月1日。諸君の蛮勇に期待している。

小鳥猊下帰阪後のようす

 貴様らの小鳥猊下である。

 脚本執筆中のタランティーノが如く「シュッシュッポッポォーッ!!」などと叫びつつ記述し家人および隣人の顰蹙を多分に買いながら爆笑につぐ爆笑のうちに完成を見たはずの新宿オフレポートだが、一週間ほど空けて読み返してみると朝の白い光の中で俺の表情筋はびっくりするほど静止したままだった。網膜剥離の予兆である視界の隅のミジンコほども笑えなかった。参加者たちは虎の子の実存を茶化されて怒り狂い、非参加者はあまりの内輪受けに眉をひそめるといった、本当に誰ひとりプリーズさせない内容であり、我が身のあまりの非才に懊悩するあまり隣のオッサンをオーノーと叫びつつSATUGAIしたくなるほどである。
 誤解しないで欲しいのだが、言いつのるほど信憑性が下がるのは承知の上だが、実際のところ小鳥猊下とは、nWoのような陰鬱極まるマイナーテキスト群をものしておきながら(腹部の脂肪縞をちり紙でぬぐいつつ)容貌さわやかで、リア充を疑われるほど(AMラジオの如きくぐもった声で)現実でのトークの方が面白いタイプのテキストサイト管理者なのであり、諸君はもっと積極的に俺をオフ喜利とかに招聘し、秋葉原の猥褻な飲食店とかで食欲と睡眠欲ではない欲求を満たさせるべきである。会えば会ったで回転レシーブの如き低姿勢で「チョリーッス」などと発話し好感触でシャイな俺へ、その裏にひそむ「死ね、全員死ね、俺と初潮未満の女子以外」と考える極めて衒学的かつ哲学的な気質を度外視して、貴様らの側から積極的に誘いをかけるべきである。

 とりあえず、オフ会参加者以外は感想を寄こすとよいと思った。

You can(not) advertise nWo.

 「このままじゃ、nWoはダメになる!」」
 長髪熟女の雨宮がテーブルの上に片足立ちで指差しながらした酒の席での放言を真に受けて、漫画的な鼻水を垂らした袖口のゆるい薄幸少女であるところの事務次官が泣きながら何やらごそごそとサイトの改変を行いはじめた。全身剃毛・七三カツラの俺は、まだダメになる余地がnWoへ残されていることに驚愕し、花粉症で鼻腔が通らぬため口にくわえたちくわぶをシューシュー鳴らして抗議の意を露にしたが、「おまえはすっこんでろ!」の叫びと共に鳩尾と顔面を同時に殴られ、路地裏のゴミ捨て場でひとり意識を取り戻す有様であった。無論、以上は虚実の入り混じったイメージ画像である。
 しかしながら、結果として冒頭の指摘は炯眼だったと言わざるを得ない。虚構日記と銘打ちながら、全く日記的ではない内容を記述してきたnWoにとって、作品が更新された順で並ぶことに大きな意味は無いだろうと全裸で青白く痙攣しながらサイト移転した俺の認識は、間違っていたのである。それを証拠にいま時系列で過去ログを読み返せば、初期における一日単位の目覚ましい進化と中期における己の尻尾を追いかけるような螺旋状の混迷とが、当時の現実とそれへ付随する精神状況をまざまざと思い出させ、書き手のモチベーションにとって極めて有益であることが判明した。
 だが、いったいどういうわけか最も恩恵を被るはずの読み手からは全くと言っていいほど反応がない。思わず契約しているプロバイダへ、主に俺の精神を安定させるためだけにモンスターの如きクレームの電話を入れかねないほどの黙殺である。見かねた新宿オフ参加者の数名が掲示板やweb拍手へメッセージを書き込む気の遣いようは、小生にとって堕ちた偶像の自覚を否応に促し、惨めさは増すばかりである。また、加速する内輪受け感がnWoの持つ人類史的な意味付けを矮小化しているのではないかと心配するあまりの深酒で夜中に絶叫し、このご時勢に通報寸前まで隣人を脅えさせるほどの情緒不安定ぶりである。
 とりあえずネット界隈に影響を持つブロガーの諸君は、nWoのことを積極的に宣伝してよい。ありがたいことに、ちょうど新しいトップ画像が寄贈されたところである。銭を取れる萌え絵だ。愛らしい猫のバナーを併用し、萌え系の画像掲載サイトとして偽装する勢いで宣伝していただきたい。なんとなれば、少女保護特区は正に佳境にあり、ジャズセッション的に更新を行いたい俺としてはオーディエンスからの反応を切実に求めている。更新が成った瞬間、物語の行く末は永久に固定される。何らかの関与が可能なのは、この空白期間のみだと理解されたい。人類滅亡は思春期の類型的な夢想だが、実際に全人類を殺害できる力を持つ者がその実行を願った場合、魂の可塑性を越えた悪が彼ないし彼女の実存を永久に改変するだろう。果たしてそこに救済は存在しえるのか? この、少女保護特区が問う命題に対し、諸君の直接・間接問わぬ関与を期待する。

小鳥猊下自由連想のようす

 生存報告として、合意を伴わない公での性交や出産を伴わない生命の経膣などを主眼としたゲームが毛を伴う唐の国家で問題視されている件について、自由連想法的にお届けしようかな。時間がありません。推敲はありません。申し訳ありません。
 合意を伴わない公での性交という欲望は、人類が知恵を手に入れる前に持っていた、メスをおさえてすぐにしないと逃げられて、逃げられるとオスもメスも遺伝子残せないっていう、動物の古い慣習的な欲望なので、いつまでも顔を出してぬぐいさるのが難しいんだろうなあ。出産を伴わない生命の経膣という欲望は近代が男性に要求した新しい義務に対する反動なんだろうなあ。しんどいもんなあ、一瞬で果たせない責任や義務って、すごくしんどいよなあ。昨日と一週間前と一年前と十年前に連続性があるって前提、すごくしんどいよなあ。たくさんの承認を得てしまうと人類の存続が難しくなったり、滅亡にまで続くような個人の欲求っていくつかあって、反社会的とか禁忌とか名前をつけられるんだろうけど、反社会的とか禁忌とかの類があとからあとからカテゴリを追加され続けて、それで大本の理由が薄まってしまって、忘れられてしまって、なんでこんなやっちゃいけないことばかりなだろう、しんどいよなあってとこへインターネットがやってきて、反社会と禁忌を大量生産する既存メディアを旧弊だってあげつらって、うっかりうまくいって反動的に承認形成装置として機能してしまって、あらゆる欲望が許容される巨大なるつぼになってしまって、何言ってんだよ、本当はぜんぶだいじょうぶだろ?みたいな。絶妙のタイミングだったよなあ。でもさあ、人類が存続してきたからこそ、その連続の先にある今日の文化を楽しめるのであって、楽しんでいる以上は人類の存続を消極的にでも求めるべきじゃないのかなあ。現在の最突端からは少しだけ遅れて何か言うことを生業にする人が複雑にして、複雑にしたから当人をいれて何人かにしか届かなくなってて、そんな届かない啓蒙より届く陰茎をさわるほうが気持ちいいになってるので、人間を1人作るのに人間が2人必要だから、2人が2人を作れば人類は存続し、2人が1人を作れば人類は半減し、2人が0人を作れば人類は滅亡するという単純さへ回帰するべきなんじゃないかなあ。でもこの理屈で言えば、0人を作り、人類から楽しみを搾取し、死を選択する予定がない誰かというのは、人間なるものに対する最悪の背信行為を行っているということになるなあ。こいつ、連想のくせに俺を追い詰めて死にたくさせるなあ。あと、某福音アニメで「使徒は知恵を身につけはじめています」「残された時間はあとわずか、ということか」だったかの台詞が最近、妙にひっかかってて、何でだろうって考えてて、あれは自分がクズであることに気づいている親が小さい子どもから、子どもの知恵の無さを利用する形でクズであることを隠していて、そうして子どもが成長していろいろ分別がつきだして、もしかしてうちの親ってクズなんじゃないの?と気づきはじめていることを見て親が恐れている場面を想像させるからかなあ。子どもをあれしてしまう親って、そんな恐怖に耐えられなくなってするのかしら。どうなのかしら。また冒頭に戻るけど、表現の自由ってみんな言うけど、もう表現は圧倒的に自由で、そのおかげをこうむって手で配布するより大勢に猥褻まみれ不道徳まみれのnWoを見てもらってるんだけど、表現の自由って聞くとカネもらわずにやってると、うんこを金銭売買する自由を守ってよって聞こえるなあ。ステーキは売っていいけど、うんこは売っちゃいけないよなあ。口から入ったステーキが内臓を通ってうんこへ変わるどの過程までを売っていいのかってことなのかしらん。いや、これってむしろ、ただのひがみだよなあ。
 とりあえず、日々こんなうわごとのような妄想に包まれながら、怠惰な性根の許す限りの懸命さで生きてます。

訃報に接して

 ぼくにとって太宰治のような、一時期の熱狂がそのまま羞恥ゆえの憎しみに転じ、紐で縛って押入れの奥に放りこんでしまう類の作家だった。放りこむ先が廃品回収や古本屋ではないところが複雑なのだ。創造を生業にする誰かに対する最大の賛辞は、「早く死んで欲しい」だとする文章を読んだことがある。大いに首肯したものだ。己が七転八倒しながら生み出した何かを軽々と飛び越えられる、あるいは己にしかわからない深いところで死ぬほど打ちのめされる、そんな経験をもうさせられなくて済むからだ。欝と加齢とアルコールで短期記憶と長期記憶の連絡が麻痺しているので、きっとすぐにすべて曖昧になってしまうに違いない。だから、いまの気持ちを書きとめておく。
 ぼくは、ショックを受け、悲しみ、そして安堵した。

小鳥猊下啓蒙のようす

ハロー、偉大なるnWo臣民よ。私だ。小鳥・満太郎・猊下だ。
こちらは、この冷たく不合理なインターネットで暖かさと理性の声を届ける“猫を起こさないように”。
では、ここでひとつ霊的な引用を。小鳥・満太郎・猊下自身が、あなたの心に届けよう。
「萌え画像を送るのは、なぜ送らなかったかを説明するより、簡単だ」。

少し話をしたい。もっと大切なことを話しあうべきだ。
私たちは貧困、欲望、暴力、そして陵辱ゲー発禁の時代を生きている。
そして、中堅テキストサイト“猫を起こさないように”は、いまやネットのトラフィックを増大させる更新頻度の少ないブログにまで成り下がってしまった。
ネットのトラフィックを増大させる更新頻度の少ないブログよ、なぜ“猫を起こさないように”はこうなってしまったのだ。

インターネットで最もアナーキーだったテキストサイトが、ブログ化の果てに死んでいくのを、なぜnWo臣民たちは黙って見ていたのだ。
答えは極めて単純だ。それは、力の喪失だ。最高更新責任者が力を失ったことだ。君たちは、愚か者に管理と更新を預けてしまった。

そこで私は考える。
民主主義の基本は、多数決ではなかったかな?
萌え画像を送られない小鳥・満太郎・猊下は、少女の肢体、媚、愛液と体液の混然となったシズル感、欲しいものをすべて手に入れられなかった。
だから彼は怠け者になった。そうだ、怠惰は更新を生まないのだ。

私は誓う。過去のテキストサイト管理者が犯してきた間違いを繰り返さない。更新できないから閉鎖する、それは愚か者の思考だ。
小鳥・満太郎・猊下が作るテキストサイトは、更新の無いまま長く続いていくテキストサイトだ。餌の無いトラバサミに獲物がかかるのを座して待つ、それが、nWo流だ。

親愛なるnWo臣民よ、君は値しないのか。アングラ時代から密かに支援していた芸人が愚かな一般大衆へ突如認められるとき、奴らの狂奔を尻目に「今更ねえ」と唇の端を歪める優越感を味わう未来に、値しない存在なのか。

私がなにを言いたいのか、賢い君たちは理解していると思う。
しかし、あえて言うならば、最高更新責任者として私はふさわしい萌え画像を得るまで、決して更新を行わない。それを厳粛に、誓うことを宣言する。本当の意味での、放置だ。

親愛なるnWo臣民よ、そろそろお別れだ。待つべき萌え画像が大量にある。そして小鳥・満太郎・猊下は、それまで決して更新を行わない。絶対にだ。
だが、寂しがることはない。
私はnWoの意思だ。私は皆であり、また、君たちも私だ。
では、また会おう。小鳥・満太郎・猊下から、さようなら。