「いやァ、うれしわァ。私、子どもの頃からずうッとガッデムさんのファンやってん」
「さよか。そら、おおきに」
「主題歌かて、まだそらで歌えますよ。非道ォー、せぇんしィ、ガぁッデムぅ、ガぁッデム、君よォー、パシれー」
「自分、看護士のくせして相部屋で大声だしなや。向かいのベッドのニイちゃん、にらんどるで」
「あの人は誰に対してもあんなふうなんですよォ。ここだけの話、ガッデムさんの前にもふたり、オバアチャンが入っとったんやけど、ふたりともなんや気味悪いゆうて部屋かわってますねん」
「ぶるぶるぶるぶるッ。なら、ワシは三人目かいな」
「まァ、ガッデムさんは戦争にも行ったことあるロボットやし、だいじょうぶかなァ、おもて」
「じぶん、傷くつわ、それ。鋼鉄の中身は繊細なハートでできとんねんで」
「またまたァ。これ、入院のための書類やからサインだけしてもらえますか」
「えらい細かい字やなァ。老眼で読まれへんわ。それにしても向かいのニイちゃん、顔色も目つきもだいぶ悪いで。なんで外科病棟なんかに入院しとるんや。ぱッと見ィ、どっこもイワしてへんけど」
「本人は精神病やゆうて信じてるみたいやけど、先生の見立ては大腸炎ですわ。切るかもしらんからここに入れてるんやて」
「へえ」
「なんでも地元で有名な髪結いのオバアチャンが身内におって、テレビにも出たことあるらしいねんけど、そのオバアチャンがなんかするたび親戚中ふりまわされるねんて。こんどの都知事選にも出馬するゆうて、だいぶ親族会議でもめたらしいわ」
「そら、美談どころの話やあらへんな。しかし自分、ひとの個人情報をあんまベラベラしゃべらんほうがええんとちゃうか。最近どないもこないもうるさいで」
「なに水くさいことゆうてんのん。ガッデムさんはどんな年とっても私のアイドルやさかい、特別やがな。ほら、早うサインしてしもてや」
「君がずっと邪魔しとんのやがな。ハラ撃たれてからこっち、どうにも手に力が入らんのや……ほれみい、せかすから書き損じてしもたやないか」
「歯ァ、食いしばれ。そんな書き損じ修正してやる」
「アラ、この子くちきいたわ。めずらしなァ。やっぱりガッデムさんの人柄ゆうか、人徳やねえ」
「あほ、もうただの中年ロボットや。あちこちボロッとるわ」
「冴えてはるわー、ガッデムさん」
「ニイちゃん、わざわざすまんな……おっと、いま自分、服に白いのついたで。はよとらな」
「わかるまい。戦争を遊びにしている者には、この俺の体を通してでる力が」
「どう見たって修正液やがな。なんや、はやりのプチ右翼かいな」
「ガッデムさん、着替えの装甲もってきましたよ」
「何から何まで迷惑かけるなァ。おっと、このアクセラレーターはもらわれへんゆうたやないか」
「ぼくの気持ちやから。黙って紙袋にしまっといてくださいよ、ガッデムさん」
「あらッ。もしかしてこの人」
「ほれ、サインでけたで。自分おるとややこしいから、仕事もどれや。さっきからナースコール鳴りっぱなしやで。隣のベッドのオッサン、土気色やないか」
「もうッ、女心がわからないんだから。何かあったらぜったい私を指名してや」
「キャバクラちゃうねんど。もう呼ばへんわ」
「あッ、コイツ、ガッデムさんのいとことコンビ組んでたヤツですやん」
「ホンマかいな。そら気づかんかったわ」
「そや、間違いないわ。髪ピンク色に染めたごっついオバハンをヤクザと取り合いして、それから蒸発してしもてたんですわ」
「や、ヤクザやて」
「ガッデムさんをねろうとる組とは関係ありませんよ。すごい黄色のストライプのスーツ着て、ふはははは、ゆうて笑うインテリ風のヤクザやったさかい」
「おどかすなや。あれからワシ、ドアとか開くたびにビクッてなるねん」
「病院の中は安全ですやろ。コイツもホンマはそのクチで逃げこんどるんとちゃいますか」
「自分、その袖口のてんてん、どないしてん」
「これは、あの、なんでもあらしまへんわ」
「ワシを病院にかつぎこむときに付いた血ィやな。ホンマ、自分にはいろいろと悪いことやったわ」
「なにゆうてますのん、ガッデムさんはぼくのために腕もげたことありますやん。こんなん、なんでもあらへん」
「大きな星がついたり消えたりしている」
「うわ、なんやいきなり。あほが、修正液で服の染みが消えるかいな。後ろにも目ェつけとけ、われ」
「男の証明を手に入れたかったんだ」
「意味がわからんで。頭おかしなっとんのか」
「いや、案外見かけより狡猾なヤツかもしれへんで。ヤクザに訴えられたときのこと考えて、今からあほのふりしとんのや」
小鳥猊下・サフォケイション
この記述は本当ならば、4月2日の日記のコメントへのレスポンスとして行われるべきなのだが、「日記を書く」しないと有象無象どもの「マイミクシィ最新日記」とやらに更新が宣言されないため、便器の外側で大便するような抵抗感をおして「日記を書く」することにする。他人を想定しない「日記を書く」が他人を想定するコメント上でのやりとりと”>”の不等号で結ばれる事実は、mixiの抱く潜在的欺瞞を何より証明する。
以下は、4月2日の日記につけられたコメントの一つである。ここへ到るまでの軽妙なトークについては4月2日の日記を参照されたい。
“ところでnWoにおかれましては一部の民より、古くから『無骨なhtmlによる改行も容赦も無い文字の群に圧倒蹂躙される感覚がステキ』と叫ばれておったと記憶しますが、あの横列陣形の侵略感には一行あたりの表示数も大いに関連していたかと存じます。
現状横に縮まり縦に長くお見受けしますので、もそっと横にひろげてガッツリ蹂躙していただけるとアリガタク。”
>所長
横に広げてガッツリ蹂躙したいのは山々だが、あの幅はトップ画像の横幅550ピクセルから逆算したに過ぎないのである。諸君が600~700ピクセルの横幅を持つ画像を送信しさえすれば、一行当たりの表示数はたちまち改善を見るであろう。
小鳥猊下・オベイション
六畳ほどの部屋。正面には窓、右手には安手のスチール製の机、左手には本棚。窓の外には青空。二階の一室か。窓枠を基準にすれば白い雲がじりじりと移動しており、時間が静止していないことを伝える唯一の情報である。長い間。何も起こらない。前衛劇の様相を呈し始める。突然の大音響。ちょうど諸君の右肩を跳び越すようにして、全裸の男の引き締まった尻えくぼが六畳間へ姿を表す。何かを破壊したらしい大音響に伴って白人女性の、決して拒絶ではない「ア~ン」という音声が諸君の左右後方に設置されているらしいスピーカーから流れる。全裸の男、引き締まった尻えくぼの位置はそのままに、上半身だけで諸君を振り返る。
「お家芸の”閉鎖”にすら『成田屋!』等のかけ声を期待できないのだとすれば、おまえたちがそこへ蝟集することは私にとってどんな意味を持つのだろうな。今回の件に対して釈明を求める無言アクセスに回答を与えるとするなら、再放送やDVD販売やリメイクの”リ”の部分を軽視した回数を繰り返して稼ぐ手法が存在するなら、ネットにそれを取り入れて非難される言われはないと考えたからだ。しかし、汗がしたたる人いきれと嘔吐をもよおす臭気に比して、ここは白痴と唖の王国ように静かだな」
全裸の男、引き締まった尻えくぼの窪みをいっそう深くすると、続く一つの大きな跳躍で前方の窓を破り、六畳間から消える。窓ガラスの割れる音に伴って白人女性の、決して拒絶ではない「ア~ン」という音声が諸君の左右後方に設置されているらしいスピーカーから流れる。窓枠を基準にすれば白い雲がじりじりと移動しており、やはり時間は経過しているのがわかる。
人類の子どもたち
団塊の世代の子育ては大失敗。ゆえに女は父を求めて不倫をし、男は母を求めて二次元に耽溺する。女は父とファックしたいが、男は母とファックしたくないからだ。負け犬、おたく、認知症、カテゴライズが無限のグラデーションを喪失させ、カテゴライズが作り出した壁は無限に並列するカーストを形成し、階級間の移動を完全に不可能にする。エクセル状の伸縮するセルが我々の住処、少子化の悲惨極まるこの裏舞台、悲劇を連鎖を望まぬ無感情で申し上げる、社会評論家の諸君はうんこを食べなさい。コーンの入ったうんこを食べなさい。精子だけを要求される男たちがなぜ勃起できると信じられるのか。かてて加えて、配給会社は高所から白痴の群れへ骨付き肉を投げる傲慢さで、計算しつくされた原題へ外国語風人造言語を上書きする。人として、最低限の知性さえ疑われた我々は、銀幕やDVDのパッケージに刻印されたそれを前にして絶望するしかない。
チルドレンオブメン、上記の理由から消極的におすすめです。
小鳥猊下・サクセッション
左のつま先へ伸ばした右手の先端で触れ、左腕と右の肩胛骨でアーチを形作り、「パロール!」と深夜戸外へ絶叫することも稀ではない不安定の代名詞、生きる伝説a.k.a.小鳥猊下であるが、相も変わらず貴様らは俺をなめておるのか。アー・ユー・リッキング・マイ・ディック? 堪能な英語が思わず口をついてしまい、諸君の民族に固有の遺伝的白人フォビアの証左であるてんかん発作を誘発したのをたいへん申し訳なく感じているが、私には貴様らしかいないのだということを改めて、無言で口角泡飛ばす貴様らに懇願し申し上げたい。貴様らは王様の裸踊りをにやにや笑いで眺める通行人であり、そして王様は与えられた権威の絶対性が示唆するほど自立的に存在できるわけではない。私は今回の更新を二週間に渡り読み返しては改変し、その行為の不毛性自体を楽しんでいた。もう二週間は続けていたかったが、関心を得たいあまり気がつけば、愛されたい一心で発作的にアップロードを完了してしまっていた。私の意識は常に貴様らに脅迫され続けている。民衆は王様が手を振るとき、彼の瞳が潤む瞬間を見逃してはならないのだ。
ホステルを見た。素晴らしい映画だった。人物と舞台装置に与えられていた意味が、物語の進捗につれて次々と反転してゆく様は見事であり、また、アメリカへの世界的憎悪をアメリカ人自身が描いた心意気を褒めたたえたい。ワールドトレードセンターの壮大な腰の引けっぷりに比べ、なんといさぎよいことか。しかし、私が何より関心したのは、国際理解やグローバル化などという催眠による眠気がたちまちぶっとぶ、そびえ立つ異質の表現であった。疲労で脳神経が灼き切れ、それまで理解できていたはずの外国語から全く意味の消失するあの瞬間、笑顔に見えていた表情が顔面の筋肉の変化を伴わず眼前へ能面化する、ほとんど恐慌さえ伴う圧倒的なあの異国感――私にとって異国とはあれに尽きる――を感じたのは、少なくない映画視聴の中でも初めてのことだった。この感覚を、言語的マイノリティの日本人ではなく、9割がパスポートを持たぬというアメリカ人に体験させるのだから、彼らの感じる恐怖の正体の無さは、我々の比ではなかろう。hostelというタイトルはhostileを連想させる。本来中立の世界は”I”が介在することで敵意に満ちたものになるのだ。あと、この監督は日本女性に過大な幻想を抱いていると思った。それと、東欧のおっぱいはすごく堅そうだと思った。
少女保護特区(3)
最後尾に接続された木製の有蓋車が、地鳴りと鉄の軋みをあげてホームへと滑り込む。耳障りなその残響も収まらぬうち、巨大な体躯に制服を歪曲させた三人の鉄道職員が異様な俊敏さで互いの位置を入れ替えながら駆けて来、太い鎖で厳重に封印された鉄扉にとりつく。一人が赤子の頭部ほどもある巨大な錠前へ鍵を差し込み、内部の仕掛けを利用してというよりはむしろ握力によってそれを回す。残った二人が制服の縫製を漲る筋肉で引き裂きながら、顔面を紅潮させて扉を横へ引く。露わになった肩口に血管が浮き、にじむ汗が爬虫類の質感を赤銅色の肌へ生じさせる。均衡が作り出す完全な静止を越えて、溝に浮いた赤錆をこそげ落としながら鉄扉がじりじりと滑り始める。わずかの隙間から、人間が身をよじるようにして続々と降りてくる。どこまでいっても男しかいない。その衣類は一様に暗い色調で、ちょうど台所に生息する例の昆虫が家具の隙間から出現したような錯覚を、嫌悪感と共に与える眺めである。ホームが鋼鉄の間仕切りで分けられ、それぞれから別々の出口へと階段が続いているのは、万一にも少女と男性が遭遇しないようにとの配慮からだ。当初は単に金網が引かれていたのだが、局所のみを金網の隙間へ通過させる者が続出し、微弱な電流を流す対策を施したところ、局所のみを金網に通過させる者が逆に増加するという陰惨な経緯があった。当局の、高度に政治的な判断を求められる決断だった。
鉄扉が完全に開放されると、精神を崩壊した焦点の無い瞳でホームに蝟集する男たちが、意志というよりは眼前にある状況に促されて、幽鬼の如く空の車両へと吸い込まれていく。この有蓋車こそが、青少年育成特区の生み出した副産物のひとつ、男性専用車両である。異臭に耐えて一歩足を踏み入れれば、劇的な大気の変化は組成自体に及んでいるかのように感じられる。この世界に偏在する特殊な磁力を持つ場、その境界を踏み越えたときの悪寒や霊感を与える変容は、正に異界や結界の類である。入り口付近の床は光に四角く切り取られ、清掃の手間をはぶくためだろうか、干し草が敷き詰められているのが見える。その表面は黄から茶への階調で濡れ濡れと照っており、生理的嫌悪と直結する何らかの成分を大量に吸い取っているようだ。干し草に含まれた微生物とそれとの発酵現象に、なま暖かな白い湯気がゆらゆらと立ち上っている。明かりの届かぬ先は黒く塗りつぶされ、狭いはずの車内は広所恐怖を感じさせるほどの莫大な空間へと変じていた。かような劣悪の環境を、なぜ男たちは移動手段として甘受するのか。人として堅守すべき尊厳が藁の上へ臭気を伴って遺棄されるとしてさえ、少女警報の頻繁な公道に乗用車を走らせること、あるいはかちゆくことに比べれば、目的地へ到着するのに少なくとも命だけは伴うことができるからである。
鉄と鉄が擦れる不快な軋みが獣の断末魔の如く響き、乗客たちの背後にがちり、と錠前の閉じる音がすると、窓の無い車内は完全な暗黒に包まれた。慣性の存在により、接続された電動客車が牽引を始めたのをかろうじて知ることができる。やがて、天井付近に人魂と形容したいような灯りが浮かぶ。その、不定期に明滅を繰り返しながら揺れる裸電球が唯一の光源であり、ぼんやりと浮かんではまた闇へと消える視界は、脳波への負の影響を心配させる。座席と呼べるものはかつての残骸がわずかに散見されるのみであり、家畜のように詰め込まれた男たちは苛立った様子で身体を前後へ揺すったり、足を踏みつけられては怒声を挙げたりしている。自立することを放棄し生存を疑わせる脱力で漂うものもいるが、倒れる心配だけはないほどの乗車率である。
背後から強く押された一人が、肩越しに不快げな視線を投げる。その瞳孔がたちまち驚愕に収縮し、ひゅっと小さく息を呑むのが聞こえる。急なカーブにさしかかり、車両が大きく傾ぐ。裸電球が焦げるような音を立てて消えると、永遠のような漆黒が視界を満たした。流れる車内放送は、停電程度の不便をことさらに詫びる欺瞞には気づかぬふりである。古いスピーカと車掌の胴間声の相乗効果で音声は割れに割れており、「茂吉の猫、死ぬべし」という台詞を、構成する最小の音素群に分解してさらに濁点をつけ、日本語ノンネイティヴのする抑揚で読み上げたように聞こえた。再び焦げるような音を立てて、裸電球に光が戻る。少女の、床の間に置かれた由来の知れぬ日本人形のような無表情が、男の前にあった。特定の数字や単語が、日常をただ通過するだけの膨大な情報群から、ほとんど意味を伴った連続であるかのように浮き上がる錯覚が存在する。無意識の執着がその検索を可能にするのだが、このとき、物理的にも列車の走行音を圧するほど大きかったはずのない「少女だ」というつぶやきに呼応して、車内にみっしりと詰め込まれた男たちが、群衆を表現した低予算のCGを思わせる動きで一斉に振り返った。どの顔にも光源の影響による陰影とばかりは言えない恐怖と――何より、抑えきれぬ欲望がにじんでいる。立錐の余地など元より無かったはずの車内に、少女が背にする鉄扉を直径とした半円がたちまち形成された。
青少年育成特区において、少女から与えられる死とは、有機体としての終焉に止まらない。人の死は情報を残すがゆえに、動物のそれとは一線を画す。だが、少女に殺された者はその聖別を奪われ、畜生道へと墜ちるのである。古代の記録抹殺刑、尊厳死の定義する状態を真逆にしたものが少女と関わった者のたどる末路なのだ。死亡届は受理されず、戸籍は焼却され、火葬の許可が得られぬ死体は川を流れ、山に白骨化する。我が社会において、その影響市民生活に甚大なれど、少女殺人は公的には存在しないというパラドクスである。人と人との関係性が命の喪失に際して生じることを仮定するならば、究極の社会性は殺人であり、究極の反社会性は自殺であると定義できよう。意識的にせよ、無意識的にせよ、行為にこめた意味のすべてを社会に無化された少女たちの多くは、自らの始末へ同じ手段を選ぶこととなった。もし同等の権利が与えられれば予はどうふるまったかを想像するとき、予の胸中をどよもす少女たちへの感情は同情に近い。しかしこれは、発信の源をたどれぬ行為は存在せず、よって法を度外視するならば救済に値しない人間は存在しないという、予の信念から見た一方的な感傷に過ぎぬこともわかる。実際、この災厄を得た者たちの親族は予の見方には全く同意せぬだろう。それどころか、具現化した精神上の疾患を見るが如き反応を予へ示すに違いないのである。理解へ到達することが不可能な人と人との関係というものは疑いなく存在し、そこへ妥協点を見いだすことが政治と言えるが、少女観察員という予の立場から試みることができる営為はそれとははるか遠い。そして、例え予に政治が可能であったとして、予はそれをすることを望みはしないだろう。無欠の予にうしろ暗さがあるとすればそれは、予の人生をどれほど延長しても政治には到らないという一点においてである。
微温的な幻想の理解が消失し、世界に虚無と政治が現出するその瞬間を見ることのできる機会は決して多くない。不幸な若者が、少女を中心とする半円の内側へ押し出される。他の全員を救うための、集団によって選ばれた生け贄である。群衆の一人へ戻ろうと人垣へ突進するも、彼の力では身体ひとつ分の空間を圧倒的な人口密度の中へ作り出すことが適わない。たまらず跳ね返され、床に敷き詰められた藁へ顔面から倒れ込む。口腔内に侵入した汚物を唾と共に吐き出しながら顔を上げれば、発光して見えるほどに白い少女のふくらはぎがそびえており、それらは襞の折られた陣営へと続いていく。その内幕に漂う闇は、若者の周囲にある闇と全く同じものだったが、全く違うものだった。上半身を起こすと、ふくらみが持ち上げた上衣の隙間からのぞく、うおの腹のように湿った濃い白が見える。弱々しく立ち上がった若者の腰が引けているのは、群衆による打撃のせいばかりとはもはや言えなかった。整髪剤で固めた前髪のひと房が、汗のにじむ額へと落ちかかる。頬は痩け、顔に血色は無く、一見すると内向的な書生風だが、その実、戦争などの外的エクスキューズを得ると最も残忍に豹変しそうな容貌だ。若者は、恐怖と絶望と嫌悪と好奇と憧憬と欲情と諦観とが入り交じった、修辞上でのみ無責任に表現可能な表情を浮かべている。その内面には死と性の、嵐のような葛藤が渦巻いているのだ。取り囲む群衆は両手を振り上げ、足を踏みならし、車内はほとんどショウダウンの様相を呈し始める。長い睫毛を伏せ、少女が怯えたように後ずさりする。いまや車内の全員が少女の――あるいは若者の共犯者だった。背後から忍び寄る無数の手が、若者の背中を強く押す。彼は踏みとどまることもできた。しかしその瞬間を恐れると同時に強く望んでもいたため、一瞬、両足に力を込めるのが遅れる。男性の重みを預かり、少女は鉄扉へと押しつけられる。若者の意識は柔らかさと香りにくらんだ。逃れようと身をよじった少女の手の甲が、若者のセクスを撫でる。君は激しく勃起したな、と余人が指摘できるほど身を震わせた後、痛みにも似た放出をした、と表書きされている表情で若者は放出をした。刺激によってというよりはむしろ、自らの置かれた状況に放出したのである。それは分厚な生地越しにさえ、少女の手の甲へ粘液を残すほどの激しい放出だった。長い長い放出の後、若者は膝から床に崩れ落ちる。ハンカチを手の甲に当てながら少女が、駅員を呼んでください、と小さくつぶやくのと、鉄扉が少女の背後で開くのはほぼ同時だった。ホームにはすでに、制服姿の巨漢が阿吽の如く待ちかまえていた。
近くを列車が通過する度に、ほとんど灯火管制のような深い、幅広の傘に覆われた電球が小刻みに揺れ、待つ者たちそれぞれの不安を象徴するかのように大気を光で攪拌した。やがて、耳障りなじゃりじゃりという音と共に黒電話の受話器が漫画的に跳ね上がる。目深にかぶった制帽のつばが落とす濃い影に視線を消失させられ、ほとんど非人間的に見える制服姿の巨漢が受話器を取り上げ、応答する。短いやりとりの後、通話口を片手で覆うと、申請が受理された旨を少女に伝えた。駅舎に入れられてからというもの、うつむいたまま組んだ両手の親指を見つめるばかりだった若者は、駅員の言葉に促されるように顔を上げる。その表情は、人間が平常に浮かべ得るものの中では笑顔にもっとも近かった。若者の視線の先には、少女が腰掛けている。きつく合わせた膝の上へ、身長ほどもある日本刀を横抱きにする少女の表情は、人間が平常に浮かべ得るものの中では笑顔にもっとも近かった。だが、両者の内面はその実、究極と究極の両端へ乖離しているのだった。少女は陣営の襞を揺らしつつ、日本刀を床に突いてことさらにゆっくり立ち上がると、駅員の方を向いてわずかにおとがいを上下させた。与えられたばかりの権利の行使を肯定したのである。少女の意図を確かに理解したはずの若者の表情は、依然として笑顔のままだった。しかし、彼の足はわずか数分の先に待ちかまえる自己存在の完全な消失を認識したことで、逃走の不可能な距離で腹を空かせた肉食獣と遭遇した草食獣と同じほどに萎えており、社会の規定する新しい人権の中でも最も新しい人権を少女に行使させるためのあらゆる助力を拒絶できない第三者、いまや法に強制された正義がお互いを双子のように似通わせている巨躯の駅員たちが、両脇から支えてやらねば立ち上がることもできないほどである。本能が萎えさせた両足から悟性が若者の大脳へ満ちるには、しかしさらにいくばくかの時間が必要だった。日本刀の柄に手をかける少女を見た若者は、体中の穴という穴から人体に可能なあらゆる粘度の液体を流しに流し、やがて水分を喪失して木乃伊のように収縮してしまう。一方、駅員たちは己れの幇助する権利の正しさへますます膨張肥大してゆき、いまや天井を突かんばかりだ。少女は悠然と日本刀を肩にかつぐと、そのまま重力が鞘を払うにまかせた。鞘の先端が床に触れるのと、刀身が爆発的に右から左へと薙がれるのはほぼ同時だった。その速度は、特定の自意識の持ち主ならば、”疾走”に”る”と送りがなをつけて「はしる」と読ませるほどだったろう。消えた刀身は、瞬間移動のように駅舎の壁に突き刺さった形で出現し、その威力を殺しきれずぶるぶると蠕動していた。このとき、まだ少女の技術は斬撃をあますところなく制御する精妙さには至っていなかったことがうかがえる。刀身の震えがおさまると、駅舎に完全な静寂が訪れる。しかし、それはほんの須臾の時間に過ぎなかった。駅員の上半身が背中の方向へ、ずるりと滑り落ちる。遅れて、切り離された若者の首が、頸動脈からの血流に押し上げられて天井近くまで上昇し、噴水の上に乗ったボールの如く、顔全体を赤く染めながらくるくると向きを変える。やがて血流は弱まり、首はけん玉の要領で頭頂から元の受け皿へと見事に着地した。もし切断された頭部にしばらく意識が残るのだとすれば、若者の視界には天井を歩み去る少女の後ろ姿が見えたに違いない。そして、少女の陣幕が重力の影響を全く受けないのを口惜しく感じたはずである。
空にはすでに月があった。原色に近い黄色を、霞が覆うような月だ。見上げる少女の右手が、陣営の上から小刻みに太ももを叩いている。そこへ、茶色に塗装された清掃車が猛然と走り込んで来、後輪を激しく滑らせながら半回転すると、駅舎へ横付けになる。車体が停止する暇もあらばこそ、頭髪を紫に染めた妙齢の女性が両腕を組んだまま跳躍し、五輪選手もかくやという月面宙返りを見せて少女の傍らに着地する。その跳躍が、月を背景に横切る文字通りのものだったことは付け加えるまでもないだろう。昂ぶる感情によるものか、高ぶる年齢によるものか、鼻の頭にいっそう皺を寄せる動作から、彼女が視覚というよりはむしろ嗅覚によって敵を発見したことがわかる。大気へかすかに混じる血の匂いを嗅ぎとったのだ。獅子の如き威嚇の表情と、その猛烈な視線を涼しく受け流すと、少女は艶然たる微笑を返した。完璧に抑制されたその微笑の裏に、そのとき本当は少女が何を感じていたのかをうかがうことは、不可能だった。
以上が、数少ない現場証言と一級の史料に当たって予が再現した、予の少女の――誰もが人生で一度は通るとは限らぬ――殺人の処女性を喪失した事件の全容である。
わたし、しちゃった!
最近は人間のふりをする技術がとても向上し、生きづらくないことが逆につらい小鳥猊下なわけであるが、第二関節まで人差し指を鼻の穴に埋めて口を半開きの貴様らに一つ断っておきたいことがある。それは更新が全く行われない事実が、更新を行うための作業を全くしていないのと同義であると勘違いしてもらっては困るということだ。齧歯類を思わせる黄色い前歯に食べ滓の付着している貴様らにもわかりやすいよう、例え話で私の労苦を伝え聞かせることにする。
あるところに趣味で素潜りをしている男がいる。男は人の寄りつかない、とある浜辺の沖合いに素晴らしい財宝が眠っていることを知っている。わずかずつその財宝を引き上げては好事家に開帳し、彼らの感嘆する表情を見るのを楽しんでいる。潜れば必ず財宝のある場所にいきつく、というわけではない。目測を誤って違う場所にたどりついたり、息が続かずに空手で戻ってきてしまうこともしばしばである。ところで、男は別に仕事を持っており、都会に住居を構えている。秘密の浜辺にたどりつくには、実のところ二時間ほども車を走らせなくてはならない。仕事への影響を考えれば、そう気軽に通える距離ではない。一度などは万難を排して浜辺にたどりついたが、海が時化てしまい潜れないということもあった。いっそ浜辺に住居を構えれば毎日素潜りができるとも考えるが、男が引き上げる財宝を喜ぶ好事家は決して多くはない。最近では、浅い場所にある財宝を取り尽くしてしまったようで、男はますます深く潜らなくてはならなくなった。どうやら深く潜れば潜るほど財宝の質は高まっていくらしく、いつか引き返し損ねるのではないかと頭のどこかで思いつつも、男はそのスリルを楽しんでいる。日の出から日没まで、浜辺で海面を見つめながら、集中力を高めている男の姿を見ることもしばしばである。それほどの大事業なのだ。財宝は引き上げた段階では長く塩にさらされているせいか、男の美意識からすれば到底見られたものではない。研磨し、補修をする必要がある。熱心な好事家のひとりは、引き上げたものをそのまま見せてくれと懇願するが、男は自分のこだわりを裏切ることを嫌っている。財宝かと思ったものが、実はガラクタだったということも少なくはない。はたして潜ることが好きなのか、財宝が好きなのか、好事家が喜ぶのが好きなのか、男にはわからなくなっている。しかし、そのどれかが欠ければ、自分はもう素潜りはしないだろうと男は思う。
なんかすごい、ふつうのブログっぽい文章だ。何が言いたいかというと、つまり、少女保護特区を更新したということだ。「人を殺した者が罰を与えられないならば、その精神はどのような終焉を迎えるのか」というドストエフスキー以来の命題に現代的な解答を与えるべく、小鳥猊下が四つ相撲で取り組む骨太の作品の続きである。半ば以上、本気だ。そろそろ作品内の状況を図画した萌え絵を贈呈しやすい展開になってきたように思う。好事家どもの対価に期待している。
小鳥猊下・フラストレーション
アゴの肉をたるませた恰幅のいい小鳥猊下が、「ハイラルの地は楽しくて、もう少女保護特区を思い出すこともありません」と臣下へ回答しては彼らを慨嘆させる毎日である。前々回のアレを体験したときには、この分野における進化が間違いなくひとつの階梯を登ったことを実感したものだったが、右腕の筋肉痛に耐える私が今回の率直な感想を諸君へお伝えするとするならば、「しとねに横たわり、もはや抵抗を喪い潤んだ瞳で見上げる絶世の美少女を押し開くと、その色素は沈着し、膜は破られていた」とでもなるだろうか。新しさを機軸にして快楽と陶酔を求める態度が、加齢のうちに色を失ってきたのだと、諸君はしたり顔の無言で指摘することだろう。過去という比較対象が人生に大きな割合を占めるようになった悲哀を噛みしめつつ、何の感想も萌え画像も訪れぬ、ホームページとは名ばかりの廃墟を尻目に、小鳥猊下はブログ全盛の今日も右手に握りしめた棒を振りに振り、しごきにしごくのであった。<完>
少女保護特区(2)
後の歴史が断じるどのような悪政も、誰かの善意から志向されたことを予は疑わない。かの青少年育成特区でさえ、有効な対策の無い少女への略取行為の抑止となることが、その当初の目的であったのだ。ここに一枚の許可証がある。すでに持ち主は死亡しており、彼女の死は当局によって公的にも追認されているため、もはやそれが与えていた特権は失効している。山中深くで行われた少女殺人に立ち会った際、清掃局の到着前に予が資料として私的に接収したものである。一見して運転免許証と見まがうが、所持者に与えられる権限は全くその外見と乖離している。青少年育成特区のホームページに記載されていた「復讐において生じたあらゆる結果を合法とする」という文言は削除され、現在では閲覧することができない。だがそれは、文言が表現していた実体の消失までを意味しないのである。
許可証の右肩には、3×4センチの写真が貼付されている。少女の前髪は目許まで垂れ、薄く青白い唇と相まって持ち主の印象を乏しくしている。写真の下には、Avenger Licenceと英文字で朱書きされている。はなはだ正確性に疑問符の付く英語だが、発案者が青春時代に少年漫画を愛好していたのだろうことだけはうかがえる。氏名、誕生日、本籍地、住所、交付年月日の記載が並び、続いて条件等の項目が来る。そこには、「少女である限り有効」と金地に白抜きされている。青少年育成特区はまず女子の保護を優先したのだが、男子へ許可証が発行される機会はついになかった。あの大混乱を経た後、各自治体の首長たちはすでに、例えば痴女に貞操を奪われる際の精神的外傷がいかほど深いかについて議論を尽くす気力を失っていたのである。
特区の設立からほどなく県下で発見された身元不明の死体が、少女による復讐の結果であることが判明し、県議会は揺れに揺れた。当該特区の首長たちのみに求められていた善処も、少女殺人が県境を越えるに及び、焦点であった許可証の文言を適切に採用したのが誰かは特定されないまま、国会へと舞台は移される。少女の定義を巡って議事堂で繰り広げられた痴態は、年月というよりはその衝撃ゆえに、市民たちの記憶に新しいところだろう。普段は表明が許されず、よって相対化されることも標準化されることもない各人の性癖と異性への偏見をすべての議員が公の最たる場へ生のまま開帳したのだから、無責任に徹することを決めれば、これほど面白い見せ物は無かったはずである。
ほとんど土俗イニシエーション的とさえ言える答弁を除けば、少女の定義はほぼ二つへと集約された。当人のみによる賛同しか得られなかった少数派の意見だが、その多様さは議会の過半数を占有したほどである。民主主義はビザールを圧殺しえないことの証左として、また当時の空気から遠く離れて読む受け手の理解への一助として、行われた無数の答弁から一つを引用する。「マネキンの頭部を糸鋸で切開し、トマトで煮込んだ獣肉で満たす。その後、切開した頭部を元のように封じる。少しでも汁気が漏れないよう、ビニールテープで成されることが望ましい。その後、マネキンの頭部を粉砕する。漬け物石か庭石が、入手の点では簡便でよいだろう。その際、鶏の羽根を黒く染色したものを外套に張りつけ、鳥に扮装することが望ましい。その後、飛び散った獣肉のうち、地面に落ちたものだけをかき集める。付着した塵埃は洗浄されるべきではない。その後、食した獣肉が排泄されるのを目視できたなら、少女を成熟した社会の構成員として認めるべきである。食餌と排便は、薬品による睡眠や殴打による昏睡など無意識のうちに始められ、意識を取り戻した段階で無理矢理嚥下、排泄せしめられるのが望ましい」。
先に述べた二大勢力とは、初潮を少女の終わりとする月経派と、処女喪失を少女の終わりとする破瓜派――タカ派のイントネーションで――である。日々の議論のうちに少数派は押しやられ、やがて超党派の両勢力が議事堂を席巻してゆく。世に言う血の七日間の幕開けである。少女の声を持つ年齢詐称の声優がするラジオ電波、いやラジオで電波を延々と答弁に代えた末、係官からの退去を演台を抱きかかえて拒んだり、演台を拳で殴打しながら男女の性差について宗教的な理由ではなく進化論を逸脱した私論を展開したり、義務教育年齢の女子が奔放な姿態を露わにする本邦でのみ公開可能な冊子を実物投影機で開帳したり、実物投影機を馬乗りにして全議員へ具材を強要しながら宗教的な理由ではなく進化論を逸脱した私論を展開したり、猥褻ゲームのポスターを掲げながら現実に少女はいないと宣言したり、馬乗りに具材を押しつけた腺病質の顔面へ拳がめりこむほど殴打を加えながら宗教的な理由ではなく進化論を逸脱した私論を展開したり、国営放送の画面には断続的に、しかし総計すれば一日八時間以上に渡って野山の静止画が映し出された。倫理は小声の謝罪か極小の囲み記事がすべて引き受ければよいとばかり、あらゆる報道は一斉に加熱を極める。すべての良識が自制を失った当時の狂騒ぶりを忍ばせるできごとを紹介したい。理性ではなく感情に訴える、全体主義統制下の政策報道官の如き言辞に得々とするニュースキャスターが、「これだけ国民を騒がせておきながら、直腸性交に関する議論が全く行われないという一種異様な事態があるわけですが、そこのところどうでしょう」と発言する。コメントを求められた、クオリティペーパーを以て任ずる大手新聞社の編集局長は、生放送の最中にもかかわらず完全に絶句した。また、その新聞社と関西圏のみに販売経路を持つ夕刊専門誌の一面が、スーツの下を脱がされて議事堂内を逃げ回る男性議員の写真を同一日に一面で掲載する。フォントの種類や大きさの違いはあれ、どちらも見出しに「お粗末」と書かれた。両紙の持つ品格の違いは、モザイクの濃淡にのみ帰せられたのである。
破瓜派の優勢は一時ゆるぎないものに思われた。なぜなら当時の与党の国対委員長、老利数寄衛門が強力な破瓜推進派だったからである。しかし、その構図は最終局面を目前に逆転することとなった。運命の夜、老利は料亭を出たところで待ちかまえていた記者団に取り囲まれる。月経か破瓜かと詰め寄る記者たちに対し、道端で手毬遊びをしているおかっぱの少女を指さして、「あのように愛らしさの中にも凛とした清冽さが同居できるのは、両足の間に膜がぴんと張って心棒の役割を果たしているからである。もし膜を喪失してしまえば”しなをつくる”の言葉どおり、身体の中心は張りを失って蛸のようになる。それはそれで別の趣を持つが、あの少女のような清冽な美しさはもはや望めないだろう。世には陰毛論争もあるそうだが、それは論点をはき違えている。生えてしまっては割れ目が見えないではないか。割れ目だけに筋の通らぬ話である」と発言する。軽妙な冗談に爆笑する記者団の傍らで、少女は浮かぬ顔のまま、「どうか許して欲しい。騙すつもりはなかった。私はあなたに言わせれば、少女とは呼べない。なぜなら、この花はすでに望まぬ形で散らされてしまっているからである」と返答する。とたん老利は多くのカメラが取り囲む衆人環視の最中、潮吹きのように両の眼球から涙を噴出させると、少女の足元へ我と我が身を投げ出し、宣言した。「きみは少女である。誰が何と言おうと、この老利がきみを少女にしてみせよう」と。老利数寄衛門が破瓜派から月経派に転じた瞬間である。この映像は不作為の大スクープとなり、政治史上もっとも劇的な思想転向として語り継がれることになった。後の世に言う、老利の変である。
だが、すでに大勢は破瓜へと傾いている。この大物の転向も趨勢を完全にくつがえすことは適わなかった。依然として発生し続ける少女殺人に決断を促される形で、両勢力は妥協案を採択することとなる。膣内よりの流血を第三者が観測した段階を少女の終わりとするという、玉虫色の折衷案に猛反発が巻き起こった。いわく鉄棒で股間を強打した場合はどうなるのか。いわく一輪車で股間を強打した場合はどうなるのか。いわく挿入式の生理器具が誤動作を起こしたらどうなるのか。しかし時すでに遅く、様々の矛盾を孕みながら少女の定義に関する法案は、野次と怒号の中で可決されたのだった。次いで少女喪失観測者の国家資格が新設され、出血の量に始まってその粘度と間隔に至る細部が文言として整備される。手順の煩雑さもさることながら、青少年を性的略取とその二次被害から守るという特区の理念が優先されたゆえに、少女の終わりは本人からの申し出が無ければ審議の対象とはならなかった。実質上の骨抜きである。ゆえに、少女であることを生きたまま失効した者は、現在に至るまでただ一名を数えるのみである。権利の放棄を手続きする手順とは正反対に、許可証の発行は極めて簡略化されている。戸籍抄本を用意すれば、残る要件は唯一「異性からの略取行為」であり、さらに口頭による申告ですべての手続きを完了できた。一時期、AvengerLiscenceの発行数は爆発的な増加をみる。どれほどの冤罪がこの数を裏で支えたのか、もはや確認するすべはない。炭坑のカナリヤとして常に狩られる側の立場にあった少女たちが、初めて他者に対する真の優越を得たのである。この至上の楽園さえも、しかし長くは続かなかった。結果の価値とは、過程において手に入るものだと予は考える。卓に満載された皿を前に自足しろというのは傲慢であり、パンの固まりを片手に自足しろというのは欺瞞であろう。特区の理念はたちまちに適えられたが、その無窮の位置で周囲を見回した少女たちは、鏡写しの自分自身を発見したのである。少女に与えられた特権を奪えるのは少女だけであり、彼女たちの持つ特権の膨大さは望むと望まざるに関わらず、すべての介入と救済を拒絶した。
少女の定義が確定したとき、予が人間世界にとって何者であるかという定義は未だ確定していなかった。予は高等遊民として、俗世から離れた生活を自身に強いていたのである。労働が予の純粋さをわずらわすことを好まなかったからだ。睡眠と覚醒へ好きなように時間を配分し、数十年程度の強度をしか保てぬ凡百の常識を超越した場所で、予はときに何時間も飽かず自由な思索をくゆらせたものだ。市民たちの嘆息ぐらいは、歴史的な視点から人間世界の実像を俯瞰する予にとって、何の痛痒でもなかった。日々は素晴らしい気づきと変革に満ちており、予は人間精神の広がりの無限を喜んだ。予の生活においての惰性は、ペットボトルに蓄えたし尿を二階の窓から庭の木々へ撒く日課を除くならば、絶無であった。獲物へ跳びかかる肉食獣の筋肉に漲る一瞬の静止の如く、来る大事に備え、予は極めて創造的な雌伏の日々を過ごしていた。無論、遠大なる高邁はしばしば近視眼の低俗に、容易な非難の口実を与えてしまうものである。だが、何の実利や栄誉を得ることなく果てるとして、それが予の貴族精神による選択の末ならば、恥じるべき理由はどこにもない。予の主人は、予以外にあり得ぬ。この確信を誰かに証明するべきだという強迫は他ならぬ相対化の罠であり、予の無謬はあまりに市民の生来と離れていたので、悲しいかな、予の本質を貶める以外の伝達は不可能だと言えた。
寒い日だったことは覚えている。自室に長く寝そべって食事を口へ運びながら、天気予報と同程度の頻度でなされる少女殺人についての報道を眺めていた。法の庇護を享受しただけであるのに、ほとんど指名手配犯のように並ぶ少女たちの顔写真の一つに予は目を留める。突如、長らく抱き続けてきた脳髄の外へは決して共有され得ぬはずの予の観念が、現世へと受肉したのである。予は数年ぶりで自室の扉を開くと居間へ駆け下り、炬燵を囲むように蝟集する市民たちへ少女観察員となることを誇らかに宣言する。しばらくぶりの発声に予の言葉はくぐもったが、それは予の言葉を少しも汚しはしなかった。あれほど明白な確信の様を理解できず、うろたえるしか知らなかった市民たちは、今では予を恐れて彼らの城門を予の前に閉ざし続けている。少女観察員の概念は当時、予の内側にのみ存在していた。しかし、巨大掲示板での熱心な匿名討論の末、予の克己はあらゆる政治的な誹謗と中傷を乗り越えるに至る。少女観察員は当たり前の選択肢として、すでに一定の社会的承認を得た職業と考えてよいと思われる。実際、少女同士の対決を撮影した映像は、役場や大学など実地の検証を常に求める公的機関へ提出すれば、いくばくかの謝礼金と交換することができた。また、ネット上にパスワードをかけて配信すると、ダウンロードの権利を求める市民たちは後を絶たない。もちろん、先の清掃局員が予に投げたような不条理を浴す機会も少なくはない。しかし、あらゆる理解と援助をただ克己により拒絶した上で、精神力と実行力の極限を自身に問い続ける少女観察員は、名誉ある職業と予によばれている。