アンフィニッシュト・ライフ
久しぶりに映画らしい映画を見た気がする。視聴するという行為そのものが批評も批判もすべて精算して、見終わった後に何も言葉を残さない。
ぜんぶ、フィデルのせい
ぜんぶ、フィデルのせい
政治的な風景や進歩的な家庭が、いかに子どもにとって不必要であるかが描かれて――すいません、わたくし、いま自分を偽っておりました。ニナ・ケルヴェルが最高すぎます。あの眉間の皺ったら! 決定、けってーい! nWo四天王入り決定です。
ファーストフード・ネイション
ファーストフード・ネイション
ドキュメンタリーだと思ってたら、まんまと騙された。パテに唾を吐く店員の描写をはじめとして、演出と脚本に由来する不快感をファーストフード店のそれに転化する作りは、到底フェアとは言いがたい。移民や低所得者の道徳観と肉欲を類型的に描写し、業界の倫理欠如とオーバーラップさせて読ませる誘導も卑劣だ。俺はこの映画を見て、明日からもハンバーガーを山盛り喰う決意を固めたぜ!
空しさに包まれたなら
加齢とアルコールで自意識の抑制から解放され、もはや何に心動かされることもなくなった小鳥猊下だが、あんなに気性の激しかったおじちゃんが、よよ……ってナメてんのか、貴様ら! おっと、そんなに慌てて飛びすさらないでおくれ、顔面の奇術師・ファットボーイ諸君! ご覧の通り、ちゃぶ台は床に強力接着剤で固定してあり、万一の際にも折れた木片が諸君の柔らかな脂肪を切り裂いて内臓へ到達するなどということはない。私は気づいたのだ。日常の生活を記述するでなく、時事問題を取り扱うでなく、誰かとの書簡でもないとしたならば、ネットで書くことなんてないやろが! おっと、そんなに慌てて二階へ駆け上がって、この拒食症系スキニー美少女・小鳥猊下から距離をおかないでおくれ! ご覧の通り、この細い滑らかな喉元は首輪と鎖につながれており、万一の際にも真珠の光沢をした前歯が諸君の陰茎を噛みやぶることはない。しかしそれにしても、不特定多数への罵倒を自ら封じてしまうとは、あやうくネット蒸発するところであった。まあ、そこへ座って話を聞け。おやおや、縁側の淵で半分腰を浮かせたような正座では、私から発するスペクタクルに仰天した瞬間に転落、後頭部から脳味噌ブチまけたろか! ほれ、言わんこっちゃない。
最近の話である。ときどき訪問していたサイトの更新が長く止まっているな、と思っていたら実は管理人が死んでいたからだった。ホームページの寿命は、犬の寿命と同じくらいだと聞いたことがある。開設九年目を迎えるnWoも、ネットでの死に方という命題を否応に考えざるをえない。そも、死を伝えるべき知り合いという概念がネットでは非常に希薄で、曖昧だ。最近の話である。処女のように勇猛な決意でマイミクを申し込んだサイトが消滅した。お互い長くホームページを運営しているので、知り合いのような気がしていた。もちろんそれは、顔見知りが恋愛へとスライドするストーカー的な妄想に過ぎず、閉鎖にあたっての連絡などなかった。悲しみ未満のような感情が虚脱感へ移行するのを観察した後、すべての人間関係をご破算にしたいという離人症的欲求を簡単に満たせるのがネットなのだな、と改めて感じた。湿っぽくなってきた。話をまとめると、小鳥猊下はオフ会をしたいし、呼ばれたいということだ。ここまでの論理展開に、私の中でなんら飛躍はない。日付や場所などは、現在のところまったくのノープランである。不幸にも足あとをつけてしまった諸君の反応に期待する。なんとなればインタラクティブ性がnWoの信条だからである。あと、4名によって送付の約束された萌え画像が未だ届かぬ。行方を知っている者がいれば、連絡を乞う。
ゼア・ウィルビー・ブラッド
ゼア・ウィルビー・ブラッド
言葉少なな二時間半のハリウッド劇は偽装。最後の十分を見せるためだけに、それはある。”I’m finished.”から逆算された、極めてミニマムなアングラ劇がこの作品のすべて。