猫を起こさないように
<span class="vcard">小鳥猊下</span>
小鳥猊下

MMGF!(0)

「いま三十代ぐらいで、
 戦争でもないのに周りでバタバタ人が死んで、
 気づけば友人や仲間は誰ひとりいなくなって、
 寂しさより先に自分の番が来るのを怯えてて、
 世界に大義なんてものはなくて、
 人生に目的なんてものはなくて、
 生命に意味なんてものはなくて、
 痛めつけられた猫が車の下で傷に舌を這わせるときみたいな、
 ほんの小さな平穏と安堵だけがただ続けばいいと願っている、
 そんな君に向けた、萌え萌え学園ファンタジー」
 プロローグ
 我が敵は頭上にあり。
 血と汗は足元に滴りて、豪奢な模様をなす。
 我が脚は腰を貫き、尻でようやく釣り合えり。
 我れ、反り返るは古代人の弓の如し。
 すさまじいプレッシャーが、両腕を通して全身を伝わるのがわかる。
 魂を高揚させていなければ、おそらく最初の衝撃だけで潰れてしまっていたに違いない。
 まるで、轍に轢かれる蟷螂のように。
 またひとり、崩れ落ちる。倒れたあとも、手のひらは頭上へと向けられている。
 両手にあるプレッシャーがわずかに勢いを増す。
 背骨がきしむ音が聞こえる。
 灼けるような塊が腹部から喉へめがけて、駆けあがってくる。
 ここまでか。
 いや、まだだ、まだだ。
 味らいをひたす熱した海水を、無理矢理のみくだす。
 ここで倒れれば、すべてが終わる。
 一千年前、小さな集落から始まった寄る辺ない人々の歴史は、終焉をむかえる。
 いや、まだだ、まだだ。それは、いつか必ずやってくるのだろう。
 だが、いまではない。
 折れそうになる膝に力をこめる。
 ずっと、自分だけのために死ぬと思っていた。
 だから、もしここで命はてるのだとしても――
 誰かのために死ねることが、うれしい。
 またひとり、崩れ落ちる。
 遠くで、何かが砕ける音が聞こえる。
 吸い上げられるように全身から力が抜け、急速に地面が接近する。
 次瞬、視界は暗転し、耳の中にわずかなノイズだけを残す。

シュレック・フォーエバー・アフター


シュレック・フォーエバー・アフター


“No. You rescued me.” ホヤの幼生は脳を持つが、着床する岩場を見つけるとそれは消滅するという。脳の本来とは、移動がもたらす環境の変化に対応するための装置に過ぎず、生きる上で究極的な優先度は高くないらしい。ゆえに変化を求める脳にとって、誰かが側にいるとか、身の危険が無いとか、継続的な状態に対する幸福の感受性を維持するのは極めて難しい。無くしてから気がつくというフィクションが古来より普遍性を持つのは、必要が無くとも脳を維持しなければならない私たちに共通する生物学的な悲哀と直結している。確かに、アンチディズニーとして始まった1作目以外はただの蛇足だという指摘は正しい。確かに、3Dが導入されたことによって増えたカットが全体を冗長にしていることも事実だろう。だが、私は最後の台詞に涙が出た。すべて、この一言へたどりつくために必要な紆余曲折だったのだと私は信じる。でも、村人たちの幸福を笑顔で踏みにじるシーンにカーペンターズが流れたのには笑った。そういえば、カーペンターズって、映像で言えばディズニーだよな。

小鳥猊下慈愛のようす

 全裸で角刈りの男がさわやかな笑顔で肩越しに振り返りって。
「よし、いいこと思いついた。年末年始、懇切丁寧に全レスするから、お前たちは遠慮せず書き込みしろ」

クリスマスキャロル


クリスマスキャロル


ディケンズをCGてんこ盛りの3Dアドベンチャーへと仕立て上げるアメリカ的心性に笑いが止まらない。ディズニーを期待して見ても裏切られ、ディケンズを期待して見ても裏切られる、誰が得をするのかさっぱりわからない、正に文字通りの怪作だ。とりあえずイギリス国民はこの冒涜に蜂起するべきだし、聖夜に女子供と映像を視聴したいナンパな向きは同監督のポーラー・エクスプレスの方を選ぶべきだと思った。

運命のボタン


運命のボタン


失敗したツイン・ピークス、そしてデビッド・リンチ。夢や無意識が理に落ちたときのつまらなさ。しかしながら、初期設定のうまさだけは突出しており、今後ますます被害は拡大してゆくことであろう。本年度のnWoラジー賞、ここに決定。

ヒックとドラゴン


ヒックとドラゴン


芸術は血を求める。本作が多くの原住民の血をすすり、多くの黄色人種の血をすすり、多くの異教徒の血をすすった果てに結実した傑作であることを考えれば、その人類史的とも言える莫大な道程に、しばし呆然とさせられる。そして、日本の成人男性中央値a.k.a.小鳥猊下の元へこれまでほとんど何も評判が聞こえなかったことを鑑みれば、死を賭して国を守護した英霊たちへ最敬礼の血涙を流しながらなお、本邦の同胞たちの積極的な滅亡を祈願させられる。しかしながら、ひとつの巨悪を打倒した果てに訪れる平和という解決は、フセイン殺害を企図した際の国家的妄想を越えておらず、虚構の限界を露呈していると感じた。

タクティクス・オウガ


タクティクス・オウガ


ロスジェネ世代の日雇いドカチンにゃ、ゲームをやる時間なんてねーのです。「プレイしないで済むゲーム」という冗談が笑えなくなった、そんなブルーカラーの諸氏におすすめです。まずはじめに職業と装備をセット。あとは欠けた茶碗で安酒をあおりつつ、ブラウン管で競艇を見ながら下半身をまさぐるだけ。そうすると、あら、ふしぎ! レベルアップ! お宝ゲット! AIさいこう! 炭坑節・オルガスムさいこう!

トイ・ストーリー3


トイ・ストーリー3


本当に大切なものだから、だれかが汚さないうちに終わらせる。子どもの目には夢の国、大人の胸には死の気配。どこも壊していないのに、ほら、もう何の足し引きもできなくなった。己が代換品であることを知りながら、なお生きなければならないあなたへ送る、数少ない本物のマイルストーン。

よい大人のツイッター講座その2

 (広いスタジオの中央に布のかかったキャンバス。背なしの椅子に浅く腰掛けた段ボール鼻の外人、カメラに向かってにこやかに)やあ、ごぶさた。みんなをより良いツイートに導く当ツイッター講座の伝道師、トゥレットだ。まだ君はこんなふうに考えているのかい? 「+100のリツイートなんて、夢物語さ」「結局、ハイスクールでの人気者ばかりフォローされるんじゃないの?」「カレッジでは話相手もおらず毎日便所飯なのに、陽気なツイーティングなんて無理だよ!」 大丈夫! ぼくといっしょに学べば、君のツイートは必ずリツイートされるし、君は必ず誰かにフォローされる! 繰り返すけど、このメソッドは米国でもワンハンドレッド・パーセントの成功が保証済みなんだ! それじゃ、さっそく今日のテキストを見ていこうか。(鼻段ボール、キャンバスにかけられた布を取る。表れる文字列)

 『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、例えこの命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』

 フーム、野暮ったい。こいつは野暮ったいね。寝たきりのグランマも羞恥に跳ね起きる野暮ったさだ! でもその原因を探る前に、まずは着想のティップスから見ていこう。簡単さ、誰にでもできる! アートってのは、天才が0から1にした場所を、その他の有象無象がよってたかって10とか100とかにした結果、裾野を広げてしまったひとつの山に例えることができると思う。天才の着想よりも、凡人の剽窃の方が圧倒的に多い世界だ。なに、言いたいことがわからないって? このパンプキンヘッドめ! つまり、エレメンタリースクールの頃に君が感動したフィクションのセリフから丸々パクっちゃえってことさ。簡単だよ、誰にでもできる! ひとつだけコツがある。原典を確認しないで、記憶だけで書くこと。そこに生じる不正確さが、実は一般にオリジナリティと呼ばれるものなんだ。簡単だろ? なに、そんなのを本当のクリエイティブと呼びたくないだって? このユーズド・ナプキンめ! だから君は一行のツイートも書けないままただ引きこもって、フォロワーはいつまでたっても一桁なんじゃないか! ツイッターはオフィスとは違う。真面目さや誠実さが評価される場所じゃないんだ。それに、君がいるのはインターネットだろ? ここは情報の出どころがすごく曖昧なんだ。天才の着想か凡人の剽窃かなんて、そもそも天才本人以外の誰にもわかりゃしないんだよ! 本来、すべての情報が持つはずの時間というタグさえ、ここでは混乱してる。突然トゥー・ディケイズも前のフィクションが“発見”されたりするのがいい例さ。ブログあたりから堂々と孫引きしちまえ! どっちが先かなんて絶対にわかりゃしないんだ、簡単だろ?
 さあ、着想のティップスはこのくらいにして、次に野暮ったさの原因を順に取り除いていこう。まず二文目だけど、「を失い」と「を失って」が表現として重複しているね。シソーラスを持ち出すまでもなく、同文中の同一表現、これはご法度だ。後者を「が消えて」に変えちまおう。

 『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、例えこの命が消えても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』

 ホラ、少し良くなった。簡単だろ? そして「例え」だけど、これはツイート初心者が陥りやすいミスだね。伝えたい気持ちが先行するあまり、ついつい強調しすぎてしまうという悪い見本だ。それにね、どの命も必ず消える。「例え」はその事実を否定し、書き手の持つ生への傲慢さと敬意の無さを図らずも表してしまっているんだ。これは無色な「そして」へ変えちまおう。

 『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、この命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』

 うん、グッと謙虚な印象になった! 簡単だろ? フーム、だいぶ洗練されてきたけど、まだ改善の余地があるね。よし、今日は少しだけレベルを上げて、中級者向けのツイート技術へと踏み込んでみようか。語尾の「だろう」は未来を表しているんだけど、ズバリ、こいつが二文目を野暮ったくし、その広がりを阻害している元凶なんだ。イングリッシュでもそうだけど、現在形は過去と現在と未来をひとつにつないだ偏在性を含意するんだ。だから、歴史に通底する何かの真理を読み手に訴えたいときは、現在形を使うとグッと効果的になる。「だろう」をとって、ついでに「私が」もとっちまおう。

 『いいじゃないか。いつかツイッターに興味を失い、例えこの命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続ける。それでいいじゃないか』

 ホラ、すごい効果だろ? 小さな部屋の壁が静かに崩れ、無限の地平が四方へシーンと広がった感じだ。感嘆の一言に尽きるね。なに、「私が」を残した方が文意がすっきりしませんか、だって? おいおい、ぼくの話のどこを聞いてたんだよ! 君が話してるのはジャパニーズだろ! 主語の不在は曖昧さではなくて、むしろ全体への回帰や万物の包括を表現できる利点だろ? これは世界との合一を体現する素晴らしい言語的特性じゃないか! それとも君は、イングリッシュ至上の極左勢力なのかよ! 簡単だろ! 主語を取り除くことで「この命」へさらなる普遍性を付与できるし、何より「止まることなく流れ続けるタイムライン」を人類の営々たる継続とオーバーラップして読ませないとダメだろ! 主語が残ってたらそうは読めないだろ! いい加減にしてくれよ! 簡単なことだろ!
 じゃあ、この素晴らしいツイートを早速ツイーティング……よし、よし。ようやくわかってきたようだね。そう、君が持つ唯一にして無二のリソース、時間を最大限に生かさなくちゃどうしようもない。このツイートにはまだ良くなる余地がある。その通り、三文目だ。「それで」の後に読点を入れよう。この読点は話し手のブレスといたわり、そしてためらいを表現している。なぜ、いたわるのにためらうんだろう? それは、愛しているからに他ならない。真実はいつもシンプルだ。簡単だろ?
 では、完成したツイートを見てみよう。こんな感じだ。

 『いいじゃないか。いつかツイッターに興味を失い、そしてこの命が消えても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続ける。それで、いいじゃないか。』

 ……フーム、すぐ耳元で慈愛に満ちた少女の吐息さえ聞こえるようだ。それは自分の言葉が有効ではない悲しさをまで含んでいる。このツイートはきっと+100のリツイートを受け、君は軽薄なフォロー返しなどではない、真のフォロワーたちを得るに違いない。今回もただ手順に従うだけで、すばらしいツイートを完成することができた。な、いつも通り簡単だったろ?
 さて、最後にひとつ残念なお知らせがある。長らくみんなのご愛顧を得てきた「トゥレットのツイッター講座」だけど、実は今回で打ち切りが決まってしまった。わかってる。みんなと同じく、ぼくもガックリきてる。だって、まだぼくたちは上級ツイート技術へ進んでいないんだからね。もしみんながまたぼくに会いたいと思うなら、番組公式ツイッターの“@kotorigeika”へ嘆願のツイートを送ってくれ。もしかするとだけど、上層部が考えを変えてくれるかもしれない。まあ、望み薄かな。(腕時計を見て)おっと、ついにお別れの時間が来ちまったようだ。それじゃ、またいつか会える日まで、ソー・ロング! バイバーイ!(にこやかに手を振る鼻段ボール。引いてゆくカメラ)

おわり(制作・著作 NWO)

ザ・ウォーカー


ザ・ウォーカー


神の声を聞き、荒野に三十年を放浪する。現代の使徒言行録に説得力を持たせるため、逆算で舞台を設定した感じですね。マッドマックスとか、北斗の拳とか、フォール・アウトとか、そういうの。原題を見た瞬間、”Eli, Eli, lama sabachthani?”を直ちに想起し、「ア・ハーン、なるほど。神の本ね、アレね」と実にいやらしい表情を浮かべ、すべてわかった気で正面から物語へ組みに行った半可通の醜いピッグめは、オチの部分で制作者の意図通り、びっくりするぐらいきれいに背負い投げをくらいました。イーライの聖書。