猫を起こさないように
<span class="vcard">小鳥猊下</span>
小鳥猊下

ゲーム「MHWI:ムフェトジーヴァ討伐戦」感想

 カンコレから解放された先の週末は、文芸の不自由な例の狩りゲームのレイドイベントやってた。ファースト・インプレッションは、動けるラオシャンロン。全部位破壊の一巡目討伐を目指さないのであれば、野良で適当にプレイしてもクリアできる程よい難易度ーー仕事帰りの深夜にアルコールを入れながらでも死なないのが「程よい難易度」だーーに社畜の小生も思わずニッコリ。ワールドおよびアイスボーンから導入されたアクションとギミックをフル活用させる攻略法には、「ボクの考えたゲームがいちばん最強なんだッ!」と絶叫する製作者の自負が垣間見えるようで微笑ましい。

 ただ、プレイさせる動機の部分でスマホゲーを想起させる焼き畑農業が始まっているのは気にかかった。つまり、新イベントでしか手に入らぬアイテムが、旧来すべてのそれらをしのぐ性能を持たされているという点である。「なァに、下位から上位、上位からマスターへの移行がすでに、サトウキビ畑にする米軍の火炎放射そのものですよ」と言われれば返す言葉は無い。だが、週末を費やして手に入れたショウグンギザミみたいなダサい(でもとても強い)この大剣が遠くない未来にゴミと化すのを想像すると、費やした時間でできただろう人生のよしなしごとを考えて、昏い気持ちにはなる。また、武器強化アイテムの取得だけでも他のモンスターへ分散することによって、遊び方の多様性を維持するという自明すぎる解決を避けるのは、プレイ人口の分母がそれを許さないほどまで減っているのやもしれず、正に焼き畑農業の指摘を裏打ちする。

 しかしながら、これらの述懐はすべて精神薄弱に起因した繰り言、本イベントの素晴らしさにとって些末事と言える。赤い巨竜とのバトルは、いまは顧みられることのない多くの海外ファンタジー小説たちを読んでいたとき、我が脳内に繰り広げられた妄想と驚くほどに合致している。男一匹が抜き身を引っさげ、スターウォーズ3の「運命の戦い」を想起させる甲高い男声の宗教コーラスが響き渡る中、巨大なレッドドラゴンに挑みかかるーーこれはシンプルに、当世風に言うならば「ぶちアガる」のだ!

 あとねー、フェムト・ジーヴァって名前がいいよねー、「戦いの刹那」って感じで……って、あれ? ムフェト? ムフェトなの? みなさまご高覧あれ……文芸のみならず、固有名詞のセンスにも不自由する始末でございます……!!

ゲーム「艦これ2014夏イベント」感想

 艦これの夏イベントが始まったので、本日の11時02分ちょうどに最初の海域へ艦隊を送り出した。どうやらアニメ化も決まっているようで、きっと今年のコミケトーも一時帰還した英霊たちが目を覆って空を仰ぐような感じになるのだろう。

 個人的なことを言わせてもらえば、今回のイベントに至る運営側のブレないやり方にひどく感心している。史実通りミッドウェーからの沖縄決戦(岡本喜八!)をやってしまえば、太平洋戦争をモチーフにしたこのゲームに残されたテーマは無く、本質的には役割を終えてしまう。周辺の異様な盛り上がりを考えれば、この最大にして最後の海戦を持ってくることは、来年にでも再来年にでも、あと何年かは引き伸ばせたはずなのだ。

 しかしながら、大和をかなり早い段階から登場させたことからもわかるように、このブームがいつか必ず終息していくことを運営側はすでに見越しているように思う。おそらくはその終わりの時点から振り返れば、いちばん熱く盛り上がっていたと思い出されるだろうこの夏に、しかも原爆の投下から終戦へと至る正にこの時期をねらって今回のイベントを合わせてきたことに、私は確かな強い意志を感じるのだ。これまでに幾度か紹介した愛するブラッドベリのフレーズ、「おれたちは滅びていくのかもしれない」が表現する静かな諦観をこの狂騒の盛夏に忘れない姿勢へ、私は最敬礼を送りたい。

 だから、萌えではない方の状況をこそ意識しながら、今回のイベントを楽しみたいと思う。最近では思い出したときに艦隊を遠征に出すくらいしかしていなかったから、きっと高難易度の終盤ステージはクリアできないに違いない。

 でも、それでいいのだ。私たちの祖先も、ついにそれを果たさなかったのだから。終わりの延長線上にある今を、いつか思い出として語る今を、いっしょにじっくりと味わおう。

 そろそろ諸君のプリキアータイムも終わっただろうか。タイフーンに降りこめられたkinky地方在住(用例:His sexual demands are kinky.)の俺様が、ミッドウェーを攻略しながら片手間にダラダラとしゃべろうかと思う。

 チクショウ! 本土が攻められてるってのに、燃料が底をつきはじめた! 大和型の大破すること、まさに豆腐の如し! そのたびに鋼材が四桁単位でフッとんでいく! こいつァ、リアル沖縄決戦の様相を呈してきやがった!

 なに、燃費の悪い大和型をわざわざ使わなくても、金剛型とか長門型を使えばいいじゃないですかだと? バカヤロウ! マリー・アントワネットみたいなこと言ってんじゃねえ! おれァ、大和じゃなきゃダメなんだよ! 大和といっしょに、史実をくつがえすんだよ!

 燃料が、尽きた……!! (男の戰いの抑揚で)

 あと一度撃破すれば、露助ないし毛唐、もしくは紅毛人、あるいは鬼畜米英を本土から永久に追放できるという大詰めで、初めてボスマスからそれた。ちょうど燃料は尽きた。本当に、心の底からブッ殺してやりたい。憎悪でさえ、シミュレーションの対象なのか。

 沖縄決戦の反省会すっぞ、コラァ!

 このキソ野郎が! なんちゃって雷巡め、ちっともカットインしやがらねえ! たまにしたと思ったら、ドヤ顔で雑魚ばっかねらいやがって! アリューシャンの先輩方にヤキ入れてもらいてえのか!

 神妙な顔で聞いてるフリしてんじゃねえぞ、このヤマンバギャルめが! ポンポンポンポン爆竹みてえに大破したかと思や、立ちバックで突っ込まれたみてえな気に障るツラしやがって、ドM野郎め!

 大口あけて笑ってんじゃねえぞ、英検5級のイカサマビッチ帰国子女めが! 砲撃なんざハナから期待しちゃいねえが、オマエが毎回ちゃんと探照灯うってりゃ、とっくにこの戦争終わってんだよ!

 てめえもだよ、役立たずの尻軽空母が! 前から思ってたけど、なんで目の焦点があってねえんだよ、このテカテカトルコ相撲パイオツロンパリ野郎が! どの性癖層に訴求してんのかわかんねえよ!

 目ェ伏せてお通し作ってますみたいな顔してんじゃねえぞ、このドサ回りの演歌歌手めが! 高校生のガキがいそうなツラして、なんで3スロットなんだよ! スロットは秘裂の隠喩じゃねのかよ!

 土下座だ! おまえら全員、大和ねえさんに土下座しろ! 

雑文「エヴァQ生実況(2014.9.5)」

 すごい早回し。この併映いらなかったよな。

 この巨神兵がセット販売なのも、Qの嫌いなところだ。明らかに現実のとある災害を本作へ紐付けようとしている感じが。

 すべてのエヴァファンをだまくらかした(気難しい、何も褒めないことを信条とする批評家連さえ!)伝説の8分が始まるよーー‼︎

 思えば金ローでこの先行放送を見て、実際に劇場へ向かうまでの20時間くらいが、もっともエヴァ熱が高まり、いちキモオタとして存分に二次創作的な妄想を膨らませるのできた、楽しく幸せな時間だった。

 これまでカントクが関わった作品へのオマージュをふんだんに盛り込んできた新劇である。ラスト二作はバイオレンス・ジャック的な大お祭りのエンターテイメントをやるんじゃないかと想像していた。

 たとえばこの場面に先駆けての、戦略自衛隊が迫る中でのオネアミスばりの弐号機打ち上げシーンが見られるのかもしれないと期待していた。

 そして、地球に帰還したシンジ君の大活躍を、何の疑いもない未来として、まざまざと幻視していた。

 それが、あんなふうに、陰惨に裏切られることになるとは……

 サターンファイブみたいな小ネタにイラッとくる。うるせえ。

 なんか画面暗くない? ジバニャン好きの小学生に配慮しているの?

 旧劇と同じく四人に囲まれて銃を向けられる主人公。戦自と同じデザイン?のコスチューム。いま思ったけど、スターウォーズep3の感じで新劇から旧劇へと巻き戻そうとしたのかな……

 おい、ポッと出の新キャラごときがシンジさんをにらんでんじゃねえよ!

 おい、状況を説明してやれよ! ブッ殺すぞババア!

 寒々しいまでに上滑りしたブンダー起動シークエンス。ここ、地球のどこなの……

 Qの中で、この「緊張するわー」だけはゆるす。

 なんで登場人物の全員が同じ語彙レベルなんだよ……

 ポッと出の新キャラごときがシンジさんに舌打ちしてんじゃねえよ!

 だから、説明してやれよ!

 なんで説明しないのかさっぱりわからない。ねえ、説明したら死ぬの?

 明らかにこの場面、膣内に槍イコール陰茎を突っ込んだ子宮口ないし処女膜の破砕を連想させようとしている。ここまでの新劇には無かった、あからさまなセックスの暗喩である。

 子ども向けのアニメにセックス要素を取り入れるなんていう、90年代全開のアングラ感、カッコイー‼︎ コウノトリを信じる(以下略)!! これがライブ感なんですね、カントク(cunt-Q)⁉︎

 唐突にサラリと明かされる、時空制御さえ可能とするスーパーテクノロジー。

 ほんとここ、地球のどこなの……

 たった十四年でここまで科学が進歩することをもはや信じることはできない。なぜならぼくたちは、自家用車が空を飛ばない2014年をすでに生きているから。

 ギターのウィープが視聴者の慟哭を表しているんですね!

 人類も滅んだみたいだし、もう地球を捨ててどっかいっちゃえよ。いや、もしかすると今後のギャラクティカ路線への伏線なのかもしれない。

 いや、なんで技術屋じゃなくてテストドライバーが事故の責任負わされんのよ。社長もだんまりやし。悪いの君らやないの。

 そんな効果音じゃ、強化ガラスは割れないよ!

 出た、「エヴァの呪縛」! 古い鯖に当たったときのような深刻な蟻走感が全身を包む!

 だから、説明しろよ! クソババアどもが!

 この期に及んで高圧的な命令口調……毒親の典型例……

 勘弁して欲しいのはこっちだよ!

 アウト・オブ・レンジ(ファンの心が)。

 そうこの、ネルフ本部とブンダーしか劇中に存在しない感じ。アングラ演劇を思わせる閉塞感。制作側が意図してその雰囲気を作ったのでは「ない」ことが透けて見えるのが、絶望に拍車をかける。

 ちょっと待って! なんであのドーム状のものを見ただけでエヴァってわかったの?

 旧劇の殺戮会場。

 ピアノの上達スピードが速すぎる! 3秒で雨だれ式から両手を!

 ジェネシスつながり?

 たぶん回収されない伏線。

 「元気少ない」「おなか満腹」。脚本家の自意識が鼻につく。

 言葉だけで解説すんなよ! わけがわからないよ!

 ダッシュがついてた。

 なんでピアノの内部構造を3D化するのに何千万もかけたんですかァーーッ‼︎ 何千万もかけてるのになんでテレビ版ではバッサリ編集しちゃうんですかァーーッ!! 無意味の浪費が本作の裏テーマなんですか、カントク(cunt-Q)ゥーーッ‼︎

 エロゲっぽい写真。旧劇の巨大アヤナミの残骸。

 旧劇の記憶の洪水を連想させるシーン。突然の絶叫を少しズラして、エヴァファンをビックリさせるという、憎らしいセルフパロディ演出。

 ふたりで完成できるようなものなんだ、エヴァって……

 まさか、これを見た誰もが「エヴァなんてどうでもいいんだ」と考えるようになるとは……ライブ感?

 「君になら」「君となら」。日本語最大の特徴であるところの、助詞を上手く処理した名セリフの誕生だァーーッ! と、脚本家が考えていそうなところがすごいムカつく。

 ほんと、ネルフ本部とブンダーしか存在しないのね。

 インフィニティ……もう英語の単語はダサいってことに気づこうよ。

 いや、テレビ版ではそんないうほど連弾しなかったし。

 マークシックス……バックセックスみたいなポーズだな。

 だから暗いよ! もっと光を!

 だから武器をおいて説明しろよ! 28歳なんだろ! おまえが馬鹿なガキだよ!

 旧劇に逆行した血涙という露悪趣味。

 操縦席に飲み物がたくさん散らかっばってるってことは、13号機がフタを開く前からそこにいたんだよね。どこから入ったの?

 いや、どうでもいいんだけど。もうキミ、ほんとどうでもいいキャラになりさがったよね。意味深なセリフのすべてに、なんの意味もないことがわかったからだよ。

 男とか女とか言わないのが新劇だったのに、いまのセリフは旧劇そのものだ。

 エヴァの特撮的対比による巨大感がことごとく失われる状況設定。たぶん、制作側の意図したものでは「ない」ことが絶望に拍車をかける。

 いや、だからなんでその黒いソウメンが使徒だってわかったの……

 新規ファンに旧劇のアレっぷりを体験させるためのQなんですよね? 次回は破の続きなんですよね、カントク(cunt-Q)?

 本作では碇司令の婿養子設定が消滅しているが、これはカントク(cunt-Q)が自分のスタジオを持ったゆえの主体性回復を、お得意のライブ感覚で表現しているのではないか。

 さらに、Q制作の中で多くの離反者を生んだことが、廃墟に立つ孤独な王としての自己イメージを碇ゲンドウに投影させたと思われる。カントク(cunt-Q)ならではの、疾走する山吹色のライブ感だ。

 改訂できるんだ。聖書とコーランもあとから書きかえできるよ!

 冬月先生の電源コード抜き削除とか、やっぱQには余計なシーンが多すぎたね!

 俺たちは中指を立てたい気持ちでいっぱいだ!

 ブラックボックスを抱えたリアルロボットを人の知恵でなんとか制御しながら運用していくもどかしさがエヴァの魅力だったのに、この弐号機は原理不要の絵作りスーパーロボットと化してしまっている。おそらく、ライブ感によるものだろう。

 全身がコア……全身がクリトリスみたいな感じ?

 ほんと、支離滅裂なストーリーを音楽で無理矢理ひとつにつないでる感じ。

 旧劇っぽいセリフ。Qってカントク(cunt-Q)がほとんど脚本書いてるんだろうな。

 あれ、モザイクかけないの?

 また男と女に拘泥したこのセリフ。すごい旧劇っぽい。

 なんや、世間って。人類ほろびたんとちゃうんか。

 テレビ局のお偉いさんたる「ゼーレ」がいなくなった今、物語のすべての帰結はカントク(cunt-Q)の責任ですよ!

 旧劇の記憶がないと「自分のことばっかり」なんて発言は出ませんよね。

 L結界密度……放射能を連想させようとしてるのか……

 NEXT。EVANGELION3.0+1.0。これは破の続きからの急やりなおしで決まりだね!

 最後に不謹慎を承知で、フォロワーの減少を覚悟で言わせていただきます。東日本大震災における本邦最大の喪失のひとつは、エヴァンゲリオンです。あの震災さえなければ、エヴァンゲリオンは今度こそまっとうなエンターテイメントとして終わることができたのに!

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

ゲーム「サイコブレイク」感想

 サイコブレイクのPS4版やってる。ムービーとプレイのシームレスな融合を狙ってるのはわかるんだけど、ラスト・オブ・アスがより高いレベルで達成してしまっているので、つい最近リマスター版をプレイしたばかりの目で見ると、演出的にもモーション的にもグラフィック的にもかなり厳しい。インセプションを彷彿とさせる冒頭の都市崩壊とか、パイを彷彿とさせる白黒の精神病院での演出とか、ストーリーとシステム双方で全体的に既視感が強すぎる。

 いったん悪い印象を抱いてしまうと、映画的演出の一貫だろう画面上下の黒帯とか、主人公の背中を追い続けるカメラとか、ただただ視認性を悪くさせているだけで何の効果にもつながっていないように見えてくる。カメラが背後の位置から動かせないのは足回りの動きが地形の起伏とリンクしてないせいだろうなとか、ワイヤーとかトラバサミのトラップって世界観的にいったいだれが設置してんのとか、下手くそな性的愛撫に抱くような、うまく騙してくれないことへのイライラばかりが募っていく。

 ゴアモードも制作側が望んだ演出意図の再現とかではなく、どうせ強く吸えば気持ちいいんでしょみたいな、場末の娼婦的投げやりさをしか今のところ感じない。

 今後、この感想がくつがえされることを祈りたい。

雑文「本邦のSF界隈、あるいは日本語ラップについて」

 本邦のSF界隈がその構成員の高慢と偏狭によって版図を失い続けてきたという指摘を、またぞろ自らの手で立証していると聞きおよんだ。

 以前いろいろしゃべったので同じ言葉は重ねるまいが、SFの本質って異文化コミュニケーションだと思うんだよね。知性の質そのものが異なっているだれかといかに意思疎通し、可能ならば共存の道を見つけようという試みがSFだって信じてるわけ。他者と意志を通わせることの困難さって、もっともミニマムな範囲でいうと幼少期に肉親とどうコミュニケートしていたか、その質がどんなものだったかが個人にとって大きいと思う。だから、どんな場でもだれとでも軽々とコミュニケーションしてのける人たちっているけど、うらやましいと思うと同時に、彼らはSFには到着しないだろうなって考えるわけ。個人としてコミュニケーションの不具を抱えているだれかにとって、SFっていう手段はすごい有効なセラピーっていうか、解決策っていうか、魂の癒やしだと信じ続けてきたわけ。

 今回の騒動だけど、わずかの想像力があれば改善可能だったシステムの不備を泣き言で看過し、かつ自分たちとは異なる文化土壌から来た存在をまずもって拒絶していて、どっちもすごいSFの本質とかけ離れたやり方じゃない? 思ったのは、ああ、やっぱりなー、日本のSF界隈から出たSFって本当の意味でのSFじゃないんだなー、ってこと。結局ジャパニーズラップと同じで、舶来の方法論を歪に模倣しながら、最後にはよそ者をだれも受けいれない土着のムラを形成するに至ったんだよね。ジャパニーズラップも、ジャパニーズサイファイも、国や人種を越えた偉大な虚構分野としてのジャンルに、何ひとつ影響を与えていない、何ひとつ還元していない時点で、もっと深刻なアイデンティティ・クライシスに陥ってしかるべきじゃないの? 結局のところムラを形成して、そこだけで有効な権威のボールをパス回しして、一定の満足を得ちゃったんだよね? ヒューゴー賞とネビュラ賞に国籍条項ってあったっけ?

 本邦の文化が持つ美徳と正反対の部分を極限にまで濃縮したものが、ジャパニーズ・サイファイ・ビレッジだという事実を再確認できたことだけは、良かったです。小鳥猊下でした。

雑文「先代の巫女について」

 ”The place you were speaking to the world is heading towards new world order, I want to know what is wrong the old world order?”

 平和に関する国際的な賞を受けたあの少女について、少し思うところを話したい。同賞は大上段に主観的かつ蒙昧なまでに高踏的で、いつも強い臭みを感じてきた。少女はこの受賞を契機として、融和可能・共存可能なムスリムの代表として、また、キリスト教世界の対イスラミック・ステイトの象徴として、政治的に利用され続けることになるだろう。そして以後の彼女は、彼女という個人を越え、一部のムスリムからは打倒すべき西洋文明の生ける偶像として、常に生命をねらわれつづける立場に置かれるだろう。この受賞は彼女の人生を、もしかするととても短いものにしてしまう可能性さえあるということだ。他の部門の授与が過去の実績に立脚しているのに対して平和に関する賞は近年、あまりに現在の世界情勢とリンクしすぎている。彼女が成長して大人になった後に賞を与えることも、選択肢として十分にあったはずだ。しかし、ノーベル委員会はイスラム国の台頭という現実に押され、彼女がまだ子どもであるという事実に目をつぶった。国際社会へ明確なメッセージを「今」発したいという誘惑に、膝を屈したのである。”I also had dreams like a normal child has.”、私には夢が「あった」。彼女はもう、ふつうの子どものように自身の将来を思い描くことはできない。この受賞は子どもを戦士とし、子どもから将来を奪うというイスラム国の方法と、奇しくも相似形を為してしまっている。委員は誰ひとりとして、大人の世界の戦争へ子どもを加担させることの醜悪さに、気がつかなかったのだろうか。

 ”…if you were shot but Americans in a drone attack, would world have ever heard updates on your medical status?”

映画「フォレスト・ガンプ」感想

 20年ぶりにフォレスト・ガンプを見た。公開当時は雰囲気で感動していたけれど、改めて見ると軽度の知的障害を持った主人公が、身持ちの悪い女性の人生を尻ぬぐいさせられる話だったことがわかり愕然とする。

 これは身持ちの悪い主人公が軽度の知的障害を持った(としか思えない描写の)女性に人生の尻ぬぐいをしてもらう泣きゲーと同じ構図であり、エロゲー業界で一時代を築いたあの物語類型は、もしかしてフォレスト・ガンプの影響下にあったんじゃないかと思い至り愕然とする。

雑文「文学とラノベについて」

 質問:文学とラノベの定義って、どうお考えですか?

 回答:確か以前も同じような話をした思うが、いちど語られれば再び語りなおす必要の無い非更新性が文学であり、同じテーマや筋立てを異なる書き手が時代に応じて幾度も語りなおさねばならないという切迫性がラノベである。

 しかし、この質問はそもそも前提がおかしい。つぶ餡とこし餡の優劣ならば激論も交わせようが、餡子と生クリームの比較を問われても、好みを答えるしかできないのと同じだ。ラノベは歴とした日本の文化だが、本邦には私小説こそ腐るほどあれ、文学が存在したことは一度もない。文学とは、いつでも止められる精神病めいた繰り言を指すのではなく、どうしても逃げられない世界の不条理と四つ相撲を組む肉体そのもののことだ。つまり、ソルジェニーツィンは文学だが、太宰治は文学ではない。この意味では、ラノベの方が真の文学により近いと言える。

 個人的なことを言わせてもらえば、小鳥猊下を許容できなかったという時点で、どちらも不十分なジャンルであり、さしたる興味はない。ちなみに「非更新性」というのは俺様の造語だ。あらかじめ権利は放棄してあるので、好きに使ってよい。

ゲーム「艦これ2019秋イベント」感想

 艦これのイベントは、仕事にそっくりだ。

 前のイベントのダメージから完全には回復しないまま次のイベントが始まってしまうところなんか、仕事にそっくりだ。

 一隻の大破で連合艦隊を撤退させるとき、チーム力は最も弱い者のレベルになるというマネジメントを思い出させるところなんか、仕事にそっくりだ。

 敵の旗艦をあと一撃にまで追い詰めながら撃沈を逃したとき、部下のミスで大きな契約を逃したことを思い出させるところなんか、仕事にそっくりだ。

 イベントの終了時期と残り資源から逆算して難易度を下げるとき、納期と天秤で質へ目をつぶる決裁を思い出させるところなんか、仕事にそっくりだ。

 イベント海域をクリアしたときの「もうプレイしなくていい」という解放感は、オフィスで迎える納品後の朝の虚脱感を思わせて、仕事にそっくりだ。

 そして毎回、「もう辞めよう、もうこれで終わりにしよう」と思うのに辞められないところなんか、仕事にそっくりだ。

 艦これのイベントは、仕事にそっくりだ。

 (何らかの激情に駆られて握ったこぶしを激しく交互にキーボードへ叩きつけながら)ウオアアアアーーッッ!! 小鳥猊下a.k.a.キーボードクラッシャーであるッ!

 社畜には、イベント開始と同時に攻略へ取りかかることは、ほとんど不可能である。時間も資源も圧倒的に足りず、試行錯誤の余地はあらかじめ奪われている。なので、先行者のクリア編成と装備を丸々コピーすることからイベントが始まる。慢性の鬱病で、音と光がとてもつらい。特にキンキンした若い女性の声が耳にさわる。モニターの明るさをできるだけ低減し、音声設定からBGMとVoiceをあらかじめ殺しておく。SEを切らないのは、戦闘終了とギミック解除の音を聞き逃さないためだ。なぜなら量子力学の観測問題ーー注視しながらプレイすると必ず道中大破し、ボスにはカットインせず撃破を逃す現象ーーを回避するため、攻略中は画面を他のウィンドウで覆って見えないようにするからだ。つまり私にとって、クリアまでの行程はセガサターンのリアルサウンドとほとんど変わらないのである。リアルイベントにもいっさい興味はないし、なぜプレイを続けているのか自分でもわからない。たぶん、アルコールと同じ類の耽溺なのではないかと思う。

 たったいま、甲甲乙乙乙乙でクリアしたお……もう年内はプレイしなくてすむお……ほんとうに、ほんとうにうれしいお……不幸のない状態を幸福と呼ぶんだお……(バスタオルに顔を埋める)

ゲーム「シェンムー3」感想

 発売されたことに1ヶ月近くも気づいていなかった。なんとなれば、私のアクセスするエス・エヌ・エスでは誰からの言及も無かったからである。「もーっ、みんななんで教えてくれないのよー! あたしが鈴木裕、大好きなの知ってんじゃんよー!」などと一人でモニターに向かってオドケながらダウンロードし、三時間ほどプレイして真顔になった。

 グラフィックがアレなのは、キックスターター発のインディーズゲームと考えれば、ご愛敬の範囲。アジアとクンフーのオープンワールドという点も、いまだ新鮮に映ります。何が問題かと言えば、プレイフィールがほぼそのまんま初代シェンムーなこと。

 モッサリとしたレスポンスに、スキップできない上に不気味なぐらい無感情で棒読みの会話、くるぶしほどの段差さえ越えられない移動制限だらけのフィールド。初見殺しのシビアすぎるQTEに、少し走っただけでfalloutのサバイバルモードなみに減りまくる腹イコール体力、さらにオマケどころではないプレイ必須で攻略性の薄いミニゲーム群。シラミつぶしの会話によるフラグ立てに、セーブの仕方さえ教えようとしない不親切なチュートリアル、かてて加えてブツ切りに入りまくるローディング。土間から座敷に上がるとき、靴を脱ぐムービーを見せるために二回ロードが入ったのには乾いた笑いが出た。

 この二十年、オープンワールドタイプのゲームがコツコツと積み上げてきたノウハウとかテクニックをガン無視して、二十年前の不便・不満・不都合をそのままに引き継いだのが本作なのだ。何年か前にファミコンのゲームが三十年ぶりに発売されるみたいなニュースを見たが、鈴木御大はそれと同じ制作姿勢で当たられたのだろうと思う。感性の摩耗とか、進取の喪失とか、そういった安易な批判をしてはいけません。正当進化ではない、かといって退化でもない、初代そのままのゲームをこの令和の御代に作ることを決め、実際そうされたのだ。初代ファンには恍惚の体験をもたらす仕上がりなのかもしれないが、一見さんにお勧めできる要素は絶無である。残念ながら、本当に、何ひとつ、ない。

 そして何より気になったのは、全8部作とブチ上げた初代・第二作から、二十年ぶりのシリーズ第三弾であるにも関わらず、ストーリーが1ミリも進まない点である。いよいよシェンムーシリーズも本作をもって、作者の死が物語の終わりとイコールになる例の作品群に繰り込まれたようだ。

 何度も引き合いに出して申し訳ないが、オールドクリエイターの諸氏はランス10の潔さを見習って欲しい。