(胸元の位置にギターを抱えたバーコード状の頭髪で股引姿の中年が、重力を無視して宙空へエビぞりに静止しながら)ロックンロール! 小鳥猊下であれかしッ!
流暢な英語が無意識に口をつく洋行帰りの性病持ちの俺様であるが、久しぶりに日本に帰ってきていちばん驚いたことといえば、町中の看板に大きく“ディック”と書かれており、その下を女学生たちが歩行していたことです。
諸君の七曲がりディックのように話がそれかけたが、最近の貴様らはぶッたるんでんじゃねえのか。当初、俺様が利用した公衆トイレの便器さえネットオークションで落札しかねないほどの勢いでリタリンし、ベルファボーレしていた貴様らの、下腹部と心のたるみのことを言っておるのだ。
ただ感情にまかせて貴様らを怒鳴りつけたいが、それでは貴様らのご父兄が幼少期の貴様らに行ったあの仕打ちと何ら変わらぬ。ここでは、愚者へ賢者の知恵を賢者の理解と同じ深度で伝えるために有効だと民俗学的にも立証されているところの、たとえ話をすることで貴様らの育て直しとしよう。
(吹き替えボイスで)ウォウ、ついに憧れの外タレが来日した! このご時世に、鍋敷き程度の用途しかない彼のコンパクト・ディスクをすべてそろえているくらいの、大、大、大ファンだ! しかも、本邦独占のライブを一週間ブッ続けで行うという! しかも、入場は無料だって? イーヤッハァ!
(憔悴した吹き替えボイスで)……最初の興奮は、まだ身体の芯に残っている。しかし、ライブ開始よりすでに72時間が経過した。それなのに、この外タレは眠るどころか、舞台袖にひっこむどころか、ギターをステージへ置く気配すら見せない。
観客の中には倒れる者も出てきた。舞台の上ではいま、一日目と同じ曲が若干のアレンジを加えただけで演奏されている。声援を送ろうにもとうに喉は潰れ、踏み鳴らしすぎた足は疼痛をうったえ、振り上げた腕はいまや鉛のように重い。
夜を徹して一週間のライブだなんて、聞いてなかった。いくらなんでも、こいつは気がふれている。それに、三日目にして早くも初日と同じ曲がローテーションしてきている。確かに彼のことは好きだが、ここから先はもう生で見なくても大丈夫じゃないか。
そうさ、こんなにたくさんの観客がいるんだ、ひとりくらい応援のこぶしを下ろしたところで、誰も気づきはしないし、何も変わりはしない。
そう考えると、君は振り上げた拳を、そっと下ろした。
はい今死んだ! 今小鳥猊下死んだ! ステージいっぱいに臓物ぶちまけて小鳥猊下死んだよ!
いま貴様らの胸にあるそれは、実はジャニス・ジョプリンを殺したのと同じそれであるし、さらに言えばマイケル・ジャクソンを殺したのと同じそれだ。
いまの貴様らに必要なのは、リトリートではない、リツイートである。ライブはまだ、始まったばかりなのだから。
(アンプのボリュームを最大に上げながら)貴様ら、この231ツイート目”ポイゾナス・ペアレンツ・ドント・ビー・ファックト・バイ・マイ・ディック”を喰らうがよいわ!(ギターをかき鳴らした瞬間、アンプより発生した爆音のソニックブームにより、外タレ、吹き飛ばされる)
(観客席上空で歌いながら)『オフィスの営業時間にしかー、誰もツイートしていないー(コーラス:リツイートされたけりゃー、昼間にツイートしろー)、暇にあかせてついツイーティングー、アカデミズムの連中にゃ騙されるなー(コーラス:研究名目の夏休みー、経済不況で俺たちゃドカチンー)』
あー、テステス。マイクテス。
nWoがインタラクティブ性を最重要視していることは、ファンの諸君全員が承知と思う。一見、散発的なやり方で複数の方向性を投げかけ、反応のあった部分を濃くしてゆく仕組みだ。
だが、労をねぎらってもらうまでもない。誰も読まない長めの更新をノーペイで三度も行い、いま四度目の準備をしておるほど強靭な精神力と忘却力を有する俺様であるから、ツイッターぐらいの作業は朝飯前、英語で言えばwith one handなのだ。
(鼻段ボールの男がひどい寝癖のまま、カメラの前に現れて)エー、タダイマ、タイヘン不適切ナ発言ガアリマシタコトヲ視聴者ノミナサマニオワビ申シアゲマス。申シ訳アリマセンデシタ(深々と頭を下げる)。
事実、このツイーティングも右手をずっぽりと鼻腔、左手をべったりと陰茎で行っているくらいの気軽さである。
(入道雲パーマの女性、戸田奈津子の字幕調で)どうやってキーボードを?
(鼻段ボールの男、ソファに前かがみで座り、両手に顎を乗せて)コレハマダ仮説ノ段階ニスギマセンガ、アノゲイカトイウ男、オノレノ意志デツイート偏差値ヲ自在ニ変化サセルコトガデキルノデハ?
(無音)*なお、このツイートのみをリツイートして文脈を改変することは、法律により固く禁じられています。
「シナ! シナ! シナシナ!」
「なんだ、このさわやかな季節を台無しにするような卑猥な歌は!
「シナ、シナ、シナ、シナ、シナびマラ~!」
「おまえは、怪人シナ男! ここでなにをやっているんだ!」
「シナーっ! 我が国固有の領土で何をしようがこっちの勝手シナ! おまえこそ、何をしているシナ! 即時の立ち退きを要求するシナ!」
「くそ、シナ男め! やさしくしてれば、つけあがりやがって!」
「私が発見した古地図にもそう書いてあるシナ! これ以上居座れば、賠償を求めるシナ!」
「何が古地図だ 、イトーヨーカドーのチラシじゃないか! 世迷い言もたいがいにしろ! ここは我が国固有の領土だ! 立ち退くのはお前のほうだ!」
「うう、ひどいシナ……これ以上、我が友邦にディアスポラの苦しみを味あわせ続けるわけにはいかんシナ……」
「よく見ればコイツ、シナ男じゃない、怪人シナゴーグ男だ! しまった、争点はパレスチナ問題だったのか!」
「ひどいでゴーグ、民族離散の苦しみ、ここまで悪しざまにののしられるとは思わなかったでゴーグ……」
「くっ、まぎらわしい語尾を使いやがって! まずい、このままでは外交問題に発展してしまう! ここはこの一手しかない! どうもすいませんでした!」
「むう、五体投地シナ? いや、ちがうシナ。これはかの有名なドゲザ・ディプロマシー……まさか、この目で見れるとはシナ」
「踏んで下さい! あなたの気がすむまで、ボクのあたまを踏みつけにして下さい!」
「これが一国のあるじの姿とは、信じられんシナ。では、お言葉に甘えるとするシナ。むぎゅっとシナ」
「ふはは、かかったな! この額に付着したビンディ状のイボは、圧をかけられると下半身のバネを駆動させる仕組みになっているのだ!」
「し、しまったシナ! 罠だシナ!」
「くらえ、必殺・土下座スプリング!」
「シナーっ! 陰茎がバネのように下半身を跳ねあげ、私の下アゴを打ちぬいたシナーっ! 骨はコナゴナで大出血シナーっ! 完全に私の負けシナーっ!」
おわり(制作・著作 NWO)
あー、テステス。マイクテス。
貴様ら、初老の男性が誇らしげに「定年を迎えるまで一日も欠かしませんでした」と宣言するが如く日々俺を舐めておるのか! 「ねえ、今月ピンチなんだけど、おカネ貸してくんない?」「えーっ、またなのぉ」「絶対返すからさあ」「もーっ、ほんとにこれが最後だよ?」と甘い声で俺に言わせんばかりか!
何より腹立たしいのは、軽音楽を主題とした部活動アニメに関する先日のツイートの件である! あれだけ俺を時流へおもねらせておきながら、貴様らは相変わらず苛められるクラスメートを取り囲む薄ら笑いの青春群像か!
それとも、あまりに俺のツイーティングがハイレベル過ぎたため、お前たちの薄まった精を主題とした知能では理解できなかったというのか! よし、貴様らに解説してやろう! いや、解説させて下さい!
「わかったぞ……!! HTTとは、Humanity Terminated by Totalism……つまり、報道しない自由を振りかざすマスコミによる全体主義的報道管制に圧殺された、我々の人間性のことを表していたんだよ!」「な、なんだってーー!!」
見よ、この凄みを! 凡百のネット耽溺者ならば、HTTからまず即座にHTTPを連想し、Pの部分を”Penis(陰茎)”か”Pedophilia(小児性愛)”か”Peropero(ぺろぺろ)”へ改変した段階で満足し、すべてやりきった感をだらしなく発散しながらツイートしたことだろう!
おお、つまりは「放課後ティータイムぺろぺろ」といった無様さにゃん!
それにひきかえ、俺のツイーティングは欠陥言語でありながら数だけは一人前にそろった英語とやらの母語話者にも配慮してあるし、かつ、HTTの正体に対する”Profiling(プロファイリング)”の裏へ”Pedophiling(ペドファイリング)”という揶揄を含ませておるのだ!
なんという読解能力にチャレンジなさっているフォロワーどもであることか! それもこれも、俺のツイート偏差値が高すぎるのが災いしておるのだ! こうなったら、ツイート偏差値を下げるしか他に方法はあるまい!
(軽く開いた両手を腰へ、膝を合わせて内股に構えて)呼ォォォォ……ッ!!(両端を絞った大小の楕円が、男のシルエットを覆うように光線で描き出される。縦の線が楕円を等分に割ると、銅鑼の音とともに鞭毛状の線が外縁を取り囲む)
(段ボールを鼻に装着した外人が額から一条の汗を垂らして)41、40、39……下ガッテユク! ゲイカのツイート偏差値ガスゴイイキオイデ下ガッテユクネ!
(入道雲状パーマの女性、腕をもみしぼって)35、34、33……もうやめて、それ以上やったら、猊下に戻れなくなってしまう! ああッ、あなたは愛しすぎる……どうして、(すすり泣きつつ)どうして低い方に合わせる必要があるの……!!
(男、先ほどのマークと同じ左目をして)この世はリツイートズラ! リツイートされんツイートにゃ、何も価値もねえズラ!
(無音)
「ぐわーっ! スラックスの股間がまるで生き物みたいに!」
「ペニペニーっ! 怪人ペニス男さまの股間のもりあがりはだれにも見切れんペニ!」
「くそ、もりあがりの出どころはわかっているのに、かわせないなんて」
「フフフ、1日100回股間をもりあげることができるオナニストならだれでもできる芸当ペニ」
「うう、わたしの負けです。降参のしるしにこのジーンズをどうぞ」
「殊勝な心がけペニ。うむ、なかなかの履き心地ペニ」
「ひっかかったな! おまえの負けだ、怪人ペニス男!」
「なにを言っているペニか、かえりうちにして……ううっ、デニム生地のスリムジーンズでは股間がテントを張れんペニ! これをねらっていたペニか!」
「くらえ、必殺・ポロリ落とし!」
「うわーっ、きれいに出たペニーっ! かんぜんに負けたペニーっ!」
おわり(制作・著作 NWO)
しゃちくのぼくわ、へいじつのゆうがたにディアブロスリーおたのしむフリーメンたちがログインできずにのたうちまわっているとゆうニュースおきいて、むねがスーッとらくになった。しゃちくこそがかちぐみなのだ。
なんだろう、この、ディアブロ3をプレイしているという事実がもたらす未来感。21世紀を迎えたときでさえ、こんなに未来を感じることはなかったのに。いっそ団塊の世代の、大阪万博くらいの感じだ。
『砂漠はからっぽ……でも、それはわたしも同じ』
「近いわ!」「なぜわかる?」「カンよ!(てへぺろ)」 エンチャントレスきゃわわ! エレクトレスの小生も思わずエレクト! 小鳥猊下であるッ!
これからときどき忘備録として、ディアブロ3への雑感をこのツッタイーa.k.a.言葉のスクラップ工場へ投棄していきたい! イヤなら見るな! イヤなら見るな! アンフォロー・ミー!
パブリックで手早くクリアして、トレハン作業に移行しようと思っていたが、開始一時間ほどで考えを改めた。少なくともマルチプレイの早い展開で、ストーリーや膨大なテキストを追いきれるほどの英語力は持っていない。この手のゲームで勤め人がどれだけ余暇や睡眠時間を削ろうとも、先頭を走ることが不可能なのは痛いほどわかっている。なので、難易度ノーマルは世界観を味わうことを中心に、まずはソロでゆっくり進めようと決めた。
オリジナルスタッフがいないせいだろう、ディアブロシリーズの固有名詞をちりばめた、ファンジンを思わせるストーリー展開に最初は辟易したが、ACT2の中盤当たりからグッと面白くなってきた。加えて、数多く用意されたNPCとの掛け合いがすごく楽しい。楽しいだけではなく、ときどき考えさせられる内容もある。スカイリムも悪くないが、擬似にせよ、2D見下ろし型のRPGは世代的にひどくしっくりくる。一人称視点はリアルさの追求には最適だけれど、意識の拡張がない。例えば一流のスポーツ選手に訪れるような、世界を完全に把握する俯瞰の瞬間がない。古臭いの一言で一蹴されようと、私は哲学的鳥瞰、超越体験を与えてくれる2D見下ろし型が好きだ。
ともあれ現在、クリア前の私がこのゲームに関して最も強く言えることは、エンチャントレスきゃわわ! 外人の声優の演技に“萌え”を感じるのは、じつに新鮮なエクスペリエンス、デース!
『お前の言う、空虚について聞かせてくれるか』
『わたしの心には失われた部分があるわ。けど、どこか頭の片隅には残っていて……ただ、手が届かないだけ』
『私は空の器たろうと、肉体と精神を無にしようと努めてきた……だが、お前の言う空虚は私のそれとは違うようだな』
小鳥猊下がACT4に到達。「すげえ! ゴッドサイダーみてえ!」
ディアブロ3雑感。「ガビーン! 7つの悪魔が1つになって、すっかり倒しやすくなっとるー!」
ディアブロ3雑感。「人間化したティラエルを黒人として描いたのは、マイノリティ優遇が逆差別をもたらす米国の歪みの現れ。なーんちゃって。てへ」
小鳥猊下がナイトメア進行中。「なにこのインフレ! ドラゴンボールみてえ!」
小鳥猊下のモンクが地獄で立往生。「装備が整うまで高難易度における前衛職は、言わばニガリをうたない豆腐、高温下でのバター……!! 最初のキャラで後衛職を選択するのは、このシリーズの鉄則……っ……!! 失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗」
(アニメプリントシャツ、階段に腰かけて)おっぱい、白髪、ロシア訛りのコンボにだまされた……(片手でコーラのプルトップを引こうとするが、30時間のマウス操作に震える指ではままならない)くそっ、なぜ俺はあんな無駄な時間を……(涙ぐむ)
小鳥猊下のWIZが弱体化。「近接から遠隔への劇的な転向っ……!! だがそれを嘲笑うかのような突然のナーフっ……弱体化……っ……!! 人気ビルドの後追い……ネットゲーにおける典型的な負け犬の思考……マイライフ・アズ・アドッグっ……はまっている……っ……首まで……!!」
小鳥猊下のモンクがAH依存を深めながらゾンビアタックで地獄を粛々と進行中。「格闘ゲームと同じで、性能の不遇さはキャラへの愛を深めるきっかけにもなる。ディアブロ3でのモンクを例えるなら、そう、スクリューパイルドライバーを欠いたザンギエフ……(目標をセンターに入れる表情でクリック)」
@nobody 始めるなら、日々バランスの変動する、混沌状態のいましかありませんよ! それに、ディアブロ2ほど長続きしない予感もするし……(目をそらす)
ヘルの中ばんをすぎたあたりから、リカはなんだか不あんになった。でも、そのしょう体がなんなのか、わからない。クライアントをおとすと、これまでふう印していた公しきフォーラムをおそるおそるのぞいてみた。そこにははたして、リカがことばにできなかった不あんがびっしりと言ご化されていた。あわててブラウザをとじてベッドへかけこみ、ふとんをあたままでかぶる。小さいころから、なにかげん実に対しょできないときのならい性だった。パイソンはあれからずっとかえってこない。心のささえのディアブロ3は、ながくもたないかもしれない。リカの不あんは、高まるばかりだった。「こわいよお」
「(昭和風ヤンキーがモニターにリーゼントを押しつけて)メンテきってんじゃねえぞ、おー?」
「(入道雲パーマ、憐憫の眼差しで)いまや蒸留酒以外の酒を所望するときでさえ、アイ・ハブ・ノー・スピリッツと叫ぶほどの依存ぶり……中毒への耐性が低すぎるわ……」
「メンテきってんじゃねぞ、おー?」
小鳥猊下のモンクが弱体化。「無敵結界によるチキンアタックでなんとかヘルACT4までこぎつけたところで、まさかのナーフ……っ……!! このモンク、まさにダブルウリアッ上を失ったザンギュラ状態……!!」
小鳥猊下がインフェルノ突入。「ヘルディアブロを仁王立ちに撲殺したモンクがゾンビのひと撫でで蒸発……っ……!! カンストまでの50時間がチュートリアルに過ぎないという、このシリーズにだけ許された理不尽っ!! あらゆる社会性を生贄にしなければ、ただ追随することすら困難……っ!!」
インフェルノのツボ、あったかいナリ……
だれだッ! 昨日から2~3時間おきにweb拍手ボタンを押しているのはッ! nWoはソーシャルゲームじゃないぞッ! 応援か催促のつもりなら、メッセージをくれッ! そんなやり方じゃ、さみしさがつのるばかりだッ!
小鳥猊下のウィザードがナイトメア突入。「モンク? なにそれ? そんなの、ぼくのディアブロ3には入ってないよ?」
モンク、レベル56。ディアブロ3でのトレハンに限界を感じ、悩みに悩み抜いた結果、小鳥猊下がたどり着いた結果は、壺割りであった。自分自身を十年間楽しませてくれたディアブロ2への限りなく大きな恩。自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが、一日一万個、感謝の壺割り!!
インフェルノに突入し、バグを利用し、アクト4入りし、壺を割る。一連の壺割りをこなすのに当初は5~6分。一万個を割り終えるまでに初日は3時間以上を費やした。割り終えれば倒れる様に眠る。起きてまた割るを繰り返す日々。
1週間が過ぎた頃、異変に気付く。3時間が経過しても、1万個割り終えていない。レベル60を越えて、完全に羽化する。感謝の壺割り一万個、退屈のあまり1時間と続かない!!
え、これも修正されるの? アナタのこと、嫌いになりたくない。本当に愛しているから、わたし、しばらくアナタの元を離れることにする。一ヶ月前はこんなこと、考えもしなかった。ただ、悲しい。
質問:Diablo3 のゲーム通貨を販売しております。激安!
回答:うむ? 変わった感想だな。冗談はさておき、すまない、そのゲームとは少し距離をおいているところだ。
薄馬鹿下郎ッ! 小鳥猊下であるッ! リアルマネーオークションの導入に心ゆさぶられ、ソーシャルゲームを小馬鹿にしてきた小生はいま、深刻なアイデンティティ・クライシスをむかえているッ!
人生を時給計算する小生にとって……たかだか上限250ドルだろ? そのアイテムを手に入れるための膨大なトレハン時間を考えてみろよ? しかも超級アイテムは最高難度の攻略を「楽にする」んじゃなくて「必須」なんだぜ?
必要な先行投資だろ? いい大人が自分で稼いだカネを何に使おうが誰に文句を言われる筋合いはないよな……?(薄馬鹿下郎の表情で人差し指をさまよわせる)
小鳥猊下のウィザードがインフェルノを進行中。「1.0.3パッチでブッチャーランが安定し、トレハンの収支がプラスに転じる。そうすると、あれだけ不満を感じていたゲーム性にさえ好意的な視点が混じり始める。我ながら現金なものだと思う。ぬるいリーマンプレイヤーにはこのくらいでちょうどいい」
『きがつけば ウォリアーズ・レストで 8じかん(げゐか)』
不快なヤツ、モールテンさッ! 現実からひきこもり、ネットでもひきこもり、昨今はゲームでさえひきこもるところの小鳥猊下であるッ! いよいよディアブロのネームバリューのみでむらがっていたブラッディー弱兵どもが地獄の業火に淘汰され、いい感じになってきたッ! 誕生日とクリスマスくらいにしかプレイするゲームが更新されない小学生の感じ、それゆえクソゲーをつかまされてもなんとかして楽しんでやろうという感じであるッ! うんこMODのエリートたちから一方的に惨殺されてもくじけず、MOLTENを下痢便と呼び、ARCANE ENCHANTEDをイライラ棒と呼ぶ、爬虫類の肌の如く濡れたこのユーモア! クソゲーを笑いで相対化し、無理矢理に半年は遊び続けた当時が懐かしく思い出されるッ! しかしこれは、決してノスタルジーではないッ! いまを生きる俺たちの、ひりひりするようなリアルなのだッ!
『きがつけば うんこワンドに 2ミリオン(げゐか)』
リーマンプレイの小生にも、ようやく先行者たちが言及していた境地がやってきた。プレイ時間に対する報酬ーー物心ともだーーの描く曲線が限りなくフラットに近づいてきたのである。丸一日プレイしても、装備の更新すらままならない。レベルはとうにカンストしている。わずかずつでも増えるのはゴールドだが、オークションの足しにすらならない端金だ。数百時間に一度あるかないかの「大当たり」を待ち続ける廃プレイをするには、この人生はあまりに社畜すぎるーーおっ、この骨、レジェアミュ落としよったで! さっそく鑑定や、良可変こいよ……き、きよった! きよったで! こら、落札価格50Mはかたいで! ディアブロ3、とんだ脱法ギャンブルやがな! た、たまらん……っ……!!(よだれを垂らしながら社長椅子の上で失禁する)
なに、パチンコ? アカンアカン、あんなん違法ギャンブルやんけ! パチンコやる人間は全員クズや! ディアブロ3最高や!
質問:ディアブロおもしろそうですね!!やってみようかな。。。
回答:このクソたわけが! おもしろいのはディアブロ3ではなく、ディアブロ3に向けた俺様のまなざしであることがまだわからんのか! ネットゲーマーにとってのディアブロ3とは、例えるなら日本人にとってのガンダムやエヴァであり、アメリカ人にとってのスタートレックやスターウォーズなのだ! そのタイトルの元に何が出てこようとも、すべての不備と不満は愛と諧謔で補填することが前提の、崇拝する以外の選択肢はあらかじめ排除された、宗教にも似た一大ブランドなのだ! 現存するあらゆるゲームに飽いてから始めて手を出すことを許されるゲーム、宇多田ヒカル風にいうなら「どんなトレハンでもやってみて損をしたって少しも経験値あがらない」ゲーム、枯山水の前で感得した宇宙に自然と涙が流れる境地に至ってのち意味を成すゲーム、それがディアブロ3であると心得よ! 思いつきを脊髄反射で口にするような弱兵が、なまなかに手を出していいゲームではないのだ! ええい、腹が立つ! 貴様のせいで今日はロクなレアが出んわ!
小鳥猊下がインフェルノACT2を粛々と進行中。「オープンスペースなら、とびきり無茶なMODでない限り、どのエリートにも対処できることが判明した。あと、同じ場所をぐるぐると、ちびくろさんぼみたく周回しながらエリートを倒す戦術に既視感があるなーと思ってたら、FF11だった」
「それと、きょう久しぶりに音声ありでプレイしたら、ウィズ子ちゃんが私の最も嫌うタイプの異性の『英語を才覚と勘違いした内省皆無のクソビッチ』であり、テンプラーが私の最も嫌うタイプの同性の『己の正義を微塵も疑わぬ宗教狂いの殺人淫蕩者』であることがわかった」
「チクショウ、ブリザードめ! どこまでボクを苦しめれば気がすむんだ!」
小鳥猊下が蛮族でのプレイを開始。「就寝前に高効率で骨を倒す作業に疲労困憊し、休日にかこつけて新キャラを作成。レベル60までのゲームデザインは非常に秀逸なことを再確認」
「レベルがひとつ上がるごとにできることが増え、ドロップからの装備更新にワクワクし、見知ったスキル名のアレンジに膝を打つ。元凶はインフェルノとオークションハウスなのだと改めて実感した次第。あと、コミュニティマネージャー」
(顔のパーツが中央に寄った赤い全身タイツの金髪くせ毛、タラコ唇で)ヒュー、おいおい冗談だろ! Arcane Enchanted Vortex Waller Frozen Moltenのお出ましだぜ! なに、LoHのたっぷり乗ったフレンジーを使えだって? (青タンでウインクして)あいにく俺の生まれた町じゃ、12年前からワールウインドを主力にしたビルド以外が禁じられているものでね!(赤い全身タイツ、バレエのピケターンを思わせる動きで相手に近づくも、瞬時にボコボコにされる)
小鳥猊下の躍動するダブルトルネード蛮族。「やっすい装備でものっそ強い……おまけにディアブロ2のような爽快感まで……これまでWIZを強化するために売り払ってきた蛮族装備をぜんぶ返して欲しい……(15ドル払ったうんこワンドを握りしめながら)」
新エキスパンションが出たんで、またぞろディアブロ3やってる。時間あるとき、フールーでギャラクティカ流しながら延々とリフト回してるだけで、パラゴンレベルもまだようやく三桁になったぐらいだけど。
でもこのゲーム、どう育てても最終的には同じパラメータになるし、スキルはいつでも取り替え自由なので育成要素がほぼ無いから、強いアイテムを持ってるかどうかだけがキャラの差異になるのね。だからやってて、もうこれパチンコじゃんって感じになってきた。無印が換金できるパチンコだったとするなら、リーパー・オブ・ソウルズは換金できないパチスロ。
クルセイダーとかいうパラディンもどきが入ってきたり、ウィッチドクターがネクロマンサーみたく調整されたり、なんか全体的にディアブロ2に寄せてってて、じゃあ意地はらずに最初からそうしとけよっていう。ラダーも導入されるらしいんだけど、育成要素ないからシーズン毎にパラゴンレベルだけリセットとかするんだろうなって考えたら、どんどんプレイする意欲が失せてきた。じゃあもうこのグラフィックエンジンでディアブロ2をそっくりリメイクしてよって思う。そしたら、もう他のゲームぜんぶいらなくなって、それだけで死ぬまで遊んでられる気がする。
左のつま先へ伸ばした右手の先端で触れ、左腕と右の肩胛骨でアーチを形作り、「パロール!」と深夜戸外へ絶叫することも稀ではない不安定の代名詞、生きる伝説a.k.a.小鳥猊下であるが、相も変わらず貴様らは俺をなめておるのか。アー・ユー・リッキング・マイ・ディック? 堪能な英語が思わず口をついてしまい、諸君の民族に固有の遺伝的白人フォビアの証左であるてんかん発作を誘発したのをたいへん申し訳なく感じているが、私には貴様らしかいないのだということを改めて、無言で口角泡飛ばす貴様らに懇願し申し上げたい。貴様らは王様の裸踊りをにやにや笑いで眺める通行人であり、そして王様は与えられた権威の絶対性が示唆するほど自立的に存在できるわけではない。私は今回の更新を二週間に渡り読み返しては改変し、その行為の不毛性自体を楽しんでいた。もう二週間は続けていたかったが、関心を得たいあまり気がつけば、愛されたい一心で発作的にアップロードを完了してしまっていた。私の意識は常に貴様らに脅迫され続けている。民衆は王様が手を振るとき、彼の瞳が潤む瞬間を見逃してはならないのだ。
ホステルを見た。素晴らしい映画だった。人物と舞台装置に与えられていた意味が、物語の進捗につれて次々と反転してゆく様は見事であり、また、アメリカへの世界的憎悪をアメリカ人自身が描いた心意気を褒めたたえたい。ワールドトレードセンターの壮大な腰の引けっぷりに比べ、なんといさぎよいことか。しかし、私が何より関心したのは、国際理解やグローバル化などという催眠による眠気がたちまちぶっとぶ、そびえ立つ異質の表現であった。疲労で脳神経が灼き切れ、それまで理解できていたはずの外国語から全く意味の消失するあの瞬間、笑顔に見えていた表情が顔面の筋肉の変化を伴わず眼前へ能面化する、ほとんど恐慌さえ伴う圧倒的なあの異国感――私にとって異国とはあれに尽きる――を感じたのは、少なくない映画視聴の中でも初めてのことだった。この感覚を、言語的マイノリティの日本人ではなく、9割がパスポートを持たぬというアメリカ人に体験させるのだから、彼らの感じる恐怖の正体の無さは、我々の比ではなかろう。hostelというタイトルはhostileを連想させる。本来中立の世界は”I”が介在することで敵意に満ちたものになるのだ。あと、この監督は日本女性に過大な幻想を抱いていると思った。それと、東欧のおっぱいはすごく堅そうだと思った。
変則的な夏期休暇に縦縞のステテコ一丁で乳首から生えた、率直に形容して“陰毛”しか当てはまる語彙を人類は持たない毛を引きつねじりつして過ごす、平和の負の部分をビジュアル的に余すところなく体現したあの気だるい午後、赤と青のまだらタイツ男が帰還する例の活劇を見に出かけた。非常に繊細で隅々まで配慮されたシナリオに、タイツ男の抱える深い葛藤を改めて痛感させられる結果となった。
断定せぬ曖昧な姿勢と、状況の限定による本質の回避が活劇全体の基調となり、見る者は否応なくタイツ男の苦悩をそのまま彼が体現する某国家の苦悩へと読み替える見方を強要されてゆく。某国家であることは確かながら、具体的にどこなのかを特定させない違和感に満ちた街並みに、この活劇があの二つのビルの倒壊する前なのか後なのかさえ、はっきりと言うことができない。懐かしい敵役の「ローマ帝国は道、大英帝国は船、アメリカは核爆弾……」という長口上は、三段階目の論理飛躍にひやりとした瞬間、最後の台詞の尺を短縮することでやんわりと収束する。致命的な部分に踏み込めないのだ。
タイツ男は迫り来る大小の厄災を次から次へ食い止めるのみで、例えその元凶が手の届く範囲にいようとも、先制攻撃を行うことを禁じられている。悪漢たちがどんなに殴り蹴ろうとも、決してタイツ男は自ら拳をふりあげることはしない。あまりにも明快な暗示。かつての声高なポリシー、”American way”は”Put it in a right direction.”と控えめに換言され、劇中の少年との関係はすべてほのめかしに終始し、一語すら“その事実”が明示されることはない。契約の国の言葉はいかにささいな内容であれ、我々が思う以上に誓約し束縛するからか。いや、まだ弱い。結婚を前提とせぬ男女の婚姻に対する宗教的嫌悪に配慮しているのだ。なんというデリケートさだろう!
そして、「紛争やテロが各地で頻発するこの時代に、たった一個のスーパーパワーの存在が意味を持つことができるのか?」という必然の問いには、物語上の技巧を駆使して限定付きの回答がかろうじて与えられる。タイツ男が体現するものに想像を及ばせれば、回答は「意味がある」以外にあり得ないのは自明である。その“正答”を肯定するために「誰一人として死なせない」、「ただし、彼の能力にできる範囲で」という大前提の下に、すべての災害は意図的にプログラムされる。押し寄せる高波、地の奥底から響く鳴動、しかしそれは観客の心拍数を高めるための小道具に過ぎない。我々はすでに現実に数多くの破滅を見てきてしまっている。我々が見てきたようには、大地は裂けもしなければ盛り上がりもせず、ビルは倒壊にほど遠い地点で窓ガラスを控えめに割るのみである。タイツ男は落下する看板を受けとめ、ただ一箇所から迫り来る炎を吹き消す。それだけで決定的な破局は尻すぼみに収束する。回答が与えられる。タイツ男は世界に必要だと。無論、良心的な観客からの喝采は得られない。
しかし、今作における最大の回避はそこではない。「現在この世界で、いったい誰と戦うのか?」という当然の帰結に対するものである。タイツ男は体現し、象徴している。だからこそ彼は、円月刀の刺突を大胸筋でねじ曲げて、大量のプルトニウムを地下貯蔵するモスクを岩盤ごと宇宙空間に放り投げてしまうことは、暗黙の要請から許されないのだ。彼の敵が“旧作から引き継がれたSF的設定”となったのも、シナリオを吟味し尽くした上の結果ではなく、徹底的に選択肢を奪われた末の残骸であるに過ぎない。自らが体現するものの中身から、戦う相手を指名することの許されぬ永遠のチャンピオンは虚構の中でのみ安心してピンチを味わい、その全能のパワーを行使することができる。もし万が一、次回作が制作されるとするなら、私の興味の焦点は一つしかない。
「いったい、この世界で誰を“敵”と名指しするのか?」
余談だが、某監督の息子が制作した某戦記も見た。婉曲表現を許して欲しいが、私はピュアウォーター某のナニもアレしたいほどの原理主義者なので、自分語りだけにとどまることのできる外殻のみを書く。この活劇の中で発生する感情はすべて言葉によってトリガーされている。心の一番深い部分の動きが、行為や体験によってでなく、言葉によって引き起こされている。私もそうだ。そこに共感した。より正確に言えば、同じ病の患者が持つ憐れみ、負の連帯を感じたのだ。「重要な場面が人物の台詞だけで展開する」、「言葉じゃなくて主人公の行動で説得力を持たせて欲しい」。たぶん、それは私たちの中には無い。
物語の方法論は大分して、2つしかない。「普遍的な題材を普遍的に描く」か「個人的な題材を普遍的に描く」かのどちらかである。
キルビル2について。日本版のみの副題、”the love story”。どんな作品でも恋愛ものとして宣伝すれば客は入るという配給会社の作品への冒涜的なやり口に、賢明な諸氏はもうずっと辟易し続けてきていると思うが、ことこの作品に関しては全く違和感がない。KILL IS LOVE。KILL BILLは、LOVE BILLなのだ。愛は個別的であるがゆえに、つまりどの愛もどの愛と似ていないがゆえに、殺してまでそうしなければならぬ、最も極端にある「異常な愛」を描くことで、逆説的に「普遍的な愛」を描くことにこの作品は成功している。
汗をかき、泥にまみれて、愛する者を殺し、トイレの床に転がり鼻水を流しながら”thank you”という主人公に、私は映画と人間性の正道を見る。あの”thank you”が心に少しもひっかかりを与えなかったなら、自分の感性が「汗くさくないこと」が主眼の”スタイリッシュ”な作品群に踏み荒らされておかしくなってきていることを真剣に疑った方がいい。早々に軌道修正しないと二度と戻ってこれなくなる。
キルビル2は、個人的な題材(B級なるものへの愛)を普遍性にまで高めた傑作である。
キャシャーンについて。戦争と平和という普遍的なテーマを置こうとして、それが全く個人的動機に過ぎないことを全編に渡って露呈している。つまりこの映画のテーマとは、PV出身の監督が初めて映画を撮るに当たっての”作られた”テーマ性であり、初めての映画に気負うあまり、現代の世界が置かれている状況を取りいれよう安直に考え(それがカッコイイ態度だ、と思ったのかもしれない)、自身の素質を省みない全く皮相的に止まるテーマの繰り込みを行った結果である。
人造人間誕生の設定が原作の「自身から進んで」から「父親に無理矢理」へ変更されてしまっているところから、この推測がある程度の的を射ていることが理解されよう。この変更点は同時に「キャシャーンがやらねば誰がやる」というあの決め台詞に込められた熱と意味性を完全に削ぎ落としてしまっており(街角にある”世界人類が平和でありますように”といった世迷い言ではなく、争いが本質的に不可避であることを自覚し、そこへの自分の態度を明確にしており、素晴らしい台詞だ)、「原作をよくわかっている」などという賞賛は全く当てはまるどころではないことが、表層的な装飾群に惑わされない少しでも真摯さを持つ視聴者なら、瞬時に理解できるだろう。おそらく無自覚的にではあろうが、監督は個人的な動機で原作をさえ、弄んだのである。
作品の持つテーマとは、自身が世界と対面するときに何に固執しているかという点であり、ここが重要なのだが、”恣意的に選択できるものではない”。「戦争と平和」という巨大なテーマ(人類の持つ究極の命題の1つだ!)を扱うに、この監督の初期衝動は「初めての映画で頑張らなくっちゃ! イラク戦争で世界は大変だし、よぅし、戦争を批判しちゃえ!」程度の可愛らしくも絶望的に浅薄なものであり、あまりに脳天気すぎる。「飢えた子どもの前で文学は1枚のパンよりも有効なのか」という古い問いかけを持ち出すまでもなく、この映画は戦火に焼かれる子どもの前で明らかに有効ではない。そして、この映画は(真摯な)原作ファンの前でも明らかに有効ではない。それゆえに、この映画は完全に失敗している。
更に言うなら、普段ほとんど邦画を見ない人間がこの映画の大量テレビCMとテーマソングにひかれて入館し、今後二度と邦画は見ないことを決心しながら出ていくというのは、充分にありそうな話だ。日本映画凋落の戦犯の1人とならないことを切に願う。
キャシャーンは、普遍的題材を個人的欲望の充実に落とした駄作である。
この世に物語が成立する条件は、つまるところ2種類しかない。「真実のように見える嘘」を描くか、「嘘のように見える真実」を描くか。キルビル2は後者であり、キャシャーンはどちらでもない、「真実のように見せたいまがい物」である。つまり、キャシャーンは物語の段階にすら達していない、”フィルムに熱転写された何か”に過ぎない。
年を取ると感受性が摩耗するのか、新たな経験が肥大化し続ける過去の体験群から参照できてしまうからか、ずっと軽度の鬱状態にいるせいか、おそらくいずれもが理由に一定の割合を占めているのだろうが、大きく感情が動く瞬間が少なくなっていく。なので、ときどき訪れるそういった瞬間を書きとどめておくことは、インターネットを日記帳とするテキストサイト管理者にとって、まったく意味のないことでもないと思われるのである(あるのかないのかどっちなんだ、はっきりしろ)。
数年前のある晩、いつものようにアルコホリック・ドリンクーーそういえば、過去に一度アルコール飲料の意味で使って、フライト・アテンダントに失笑されたことを思い出したーーを入れながらテレビに流れているアニメをぼんやりと眺めていた。ツッタイーでエシ(壊死?)の方々が大衆の関心を得るために頻繁に原典の模写を公開するところの、「偶像主人・シンデレラ少女」みたいな名前のアニメだった。
主人公はアイドルというには若干トウのたった少女で、周囲のより若い才能たちの活躍に自信を失って「大丈夫?」と声をかけられると「大丈夫です」と応答する例の状態に陥っていく。アルコホリックの底つきーーなるほど! だからあのフライト・アテンダントは笑ったのかーーみたいな位置でその話は終わった。酩酊した頭には、「かわいそうだな」ぐらいの感想しかなかったのだが、予告で次回タイトルとして提示された”Barefoot girl.”の文字列を見た瞬間、眼球から潮吹きのように涙があふれた。
たぶん、「シンデレラ」「ガラスの靴」「王子様」「裸足の少女」の連想から、アイドルとして消費される少女ーーつまりそれは、己の価値をすべて、男性側の審判に委ねることに他ならないーーが、王子様の求婚を拒絶し、ガラスの靴を捨て、はじめて自分の意志で人生と相対することを決める、みたいな物語を一瞬で想像したからだろう。決意に満ちた強いまなざしとか、頬に涙の乾いた跡とか、泥に汚れたドレスの裾とか、砂まみれの素足とか、そういったイメージが次々と湧き上がって、自分でも驚くぐらいに感情が動いたことを思い出す。
家人がやってくる気配にあわてて涙をぬぐい、テレビを消したが、私の目はどうやら真っ赤になっていたらしく、「飲みすぎじゃない?」と言われ、大の大人にあるまじき情動失禁へ気づかれなかったことにホッとしたのを覚えている。
さて、”Barefoot girl.”と題された続きの話は今日にいたるまで見ていない。たぶん、己を見失ったあの少女が、アイドルとしての自信を取り戻す様子について、コンサートを通じて描かれるのだろう。至極まっとうなその筋立てに文句をつけるところではないが、私が幻視した鮮やかなビジョン、私が味わった大きな情動へ勝ることは決してできないと思っている。
このダラダラとした犬のような文章を通じて、何が伝えたかったかと言えば、諸君の偶像主人に対する愛や思い入れを否定することではない。結局、テキストサイト村の人間は、長年にわたるテキスト記述を通じて、文字でしか感動できないという奇矯な性癖を身に着けてしまっているということだ。もちろん、”Barefoot girl.”なる文字列から得た私のビジョンや感動を萌え画像化してくれる君の好意については、最大限の敬意と感謝をもって迎え入れられることだろう。
ほら、おだいはしめしたんだからスケブ(助平?)でコミッション(コミュ障?)をもとめるエシ(壊死?)のみなさんははやくしてやくめでしょ!
ユアハイネス、小鳥猊下であるッ! 同じ猊下つながりから、ベネディクト16世のツッタイー参戦を心から歓迎したいッ! ウェルカム・トゥ・アンダーグラウンド!
さて、投票ついでにホビット見てきた。児童文学としてのコミカルな部分を切り捨て、スターウォーズでいうところのエピソード1を作った印象。スプラッタ好きの一オタクを世界的な大監督へと押し上げた前トリロジーでの原作に対する深いリスペクトは、指輪物語と聞けば誰もがロード・オブ・ザ・リングスを思い浮かべるようになった今作ですっかり鳴りを潜めており、純粋なトールキンファンにとって二次創作の如き様相を呈している。
そして、前作と比して旅の目的がスケールダウンし、旅の仲間も同じほど魅力的とは言えなくなった。また、前作はダイジェスト感さえある三時間だったが、本作は同じ三時間でもアクション増量の引きのばし感が漂っており、二部作を三部作に変更するだけの内容がこの先にはたしてあるのか、不安は残った。
しかしながら、これらは超絶的な快作である前トリロジーが存在するからこそ気にかかる些末事だ。ベタな決まり芝居をカッチリと仕上げる監督の手腕はさすがであり、特にビルボがゴラムを殺さない選択をする場面には目頭が熱くなった。ふつうの人の小さな善意が、結果として世界を救済する。日々の絶望的な凡庸さを持ちこたえ、我々が善良に生きていくことを肯定する、力強いメッセージだ。当然、トールキンの織り込んだそれが秀逸なのだが、映像的には前トリロジーがあるからこその名場面であり、ピーター・ジャクソンに帰すべき手柄と言えよう。古くから受け入れられてきた物語の王道を崩さず、普遍的な感動の持つ避けがたい凡庸さから逃げず、それでいながら己の原点である悪趣味全開のグロを必然としてさらりと観客に提示する。その手腕には、メジャーの大監督としての風格すら漂う。
一方で、同じオタクの出自を持つ和製ピーター・ジャクソンはと言えば、ようやくメジャーのハコを与えられたにも関わらず、未だにブレイン・デッドのリメイクを続けている。そう、ロード・オブ・ザ・リングス1&2の続編を期待して映画館に入ったら、ハリウッド版ブレイン・デッドを上映していたときの気持ちを想像して欲しい! てめえ、ゲンキスクナイネ? だれのせいと思っとんじゃコノヤロー! ブチ殺すぞコノヤロー!
『言葉で整理しないと自分が受け止めたことにならないという強迫観念を持ってる人たちがいっぱいいます。その人たちは観客じゃないんです。その多くは物書きですから、仕事で文章を書いて稼いでいるんでしょうから、どうでもいいんです』