猫を起こさないように
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アニメ「スーパーカブ(11話)」感想

 アニメ「スーパーカブ(10話まで)」感想

 あかん、スーパーカブの11話がおもしろすぎる。あとでなんか書くかも。

 スーパーカブ11話、見る。作画崩壊って言葉があるじゃないですか。納期に追われて絵が間に合わなくなるやつ。いや、作画は安定してますよ。問題なのは、それ以外のすべてです。今回ついに、シナリオが崩壊し、演出が崩壊し、極めつけは主人公の一人称が「スーパーカブ」になって人格が崩壊しました。

 前回も言いましたけど、友人の遭難事故に際して、まず警察と相手方の両親に電話してから、それでも居ても立っていられなくなって、カブで走り出すならわかるんですよ。それを「スーパーカブが行く」などと自我と無機物との境界が壊れた言葉を放ったあと、無連絡の単機で救援へと向かうのです。そのあげく、ぬかるみに車輪を取られて二次遭難しかかる描写が丁寧に入っていたり、視聴者の情動をどう誘導したいのかサッパリわかりません(主人公のアホさへの苛立ち?)。

 そして、沢で倒れている友人を発見したスーパーカブはほとんど垂直に見える濡れた岩肌を伝い下ります。てっきりスーパーカブが友人を背負って斜面を登るのかと思いきや、「オレはオマエをかつげない。サポートはするが、ひとりで登れ」などと星一徹だか百獣の王だかみたいなことを言い放ちます。これにはFF11をプレイする手が止まり、思わず「えー!」と声が出ました。友人が垂直の壁面を自力で登ったあと(登れるんかい!)、スーパーカブはカブキチガイの友人に電話をし、何ごとかを頼みます。間接的にですけど、ようやく相手方の両親と警察か消防に連絡してくれるのだとホッとしていたら、何を思ったのかスーパーカブは友人を抱き上げ(さっきかつげないゆうてたやんけ!)、スーパーカブの前カゴにダンケダンケとブチ込みます。困惑する友人が見上げたスーパーカブの顔は、ネットで道交法違反だと重箱の隅をつつかれたことへの怒りに燃える鬼の形相をしており、KOGUMAというよりAKUMAのようでした。しかし、BPOへの配慮からか、凄腕アニメーターの欠如からか、前カゴに女子高生を乗せたスーパーカブがサイレンを鳴らす多くのパトカーに追われながら公道を疾走する様を長尺で描かなかったのは、とても残念です。

 そして、てっきり病院か両親の元へ連れて行くのだと思っていたら、なんとスーパーカブは女子高生を自宅へと持ち帰ります(流行ってんの、この設定?)。沢に落ちて、その姿勢のまま動けなかったのだから、打身や捻挫や骨折や外傷性ショックや低体温症や脳震盪を疑ってしかるべき状況です。いや、一人称がスーパーカブの級友へまっさきに電話するぐらいですから、頭を強く打っていることは間違いありません。

 スーパーカブはこごえる友人を温めようとバスタブに湯をためるのですが、熱湯を水でうめるタイプの蛇口なのに、青へは触れず赤のハンドルだけをグイと強く回したのです。沢落ち以降、すべての行動が社会常識から逸脱していくことを考えれば、いよいよゆるふわ日常系アニメの枠から離れ、友人を熱湯風呂へダンケダンケと放り込み、全身やけどを負わせるようなサイコホラーへと変じたのではないかと疑いました。あやういところでカブキチがスーパーカブの自宅へと到着し、団塊老人の横顔で「オフロ、オフロ」と言いながら女子高生の煮汁たっぷりの浴槽へ向かって、かろうじて日常は回復します。

 スーパーカブが友人のパンツを部屋干ししようとすると、シーちょう(C調?)だかゆうこの人物は一種異様なまでにうろたえ、激しい羞恥を露わにします。いまどきの女子が、下着ぐらいでこれほどうろたえるものでしょうか。このシーンは団塊老人による願望、すなわち昭和の少女幻想を強く感じさせます。そして、なんでもレトルトで済ませる一人ぐらしの女子高生が、卵をあらかじめゆでておき、カラに極太マッキーで「ゆで」と書くだろうかという深淵な命題(演出の失敗)を我々に残したまま、カレーうどんの夕食(スカトロジーの暗喩?)が終わります。

 罪悪感から皿洗いに従事するシーちょうへ向かって、カブキチが唐突に満面の笑顔で「オマエの高級自転車はフレームがイカれてて、もう廃車だ」と告げ、スーパーカブからの電話が両親・警察・消防への連絡を依頼したものではなく、自転車の引き上げのみをお願いしていたという衝撃の事実が判明します。シーちょうの手にしたうどん鉢から水道水があふれて感情の高まりと決壊を暗喩するという、ツバキの落下が処女喪失を示すみたいな演出のあと、シーちょうは「冬はイヤなんで、いますぐ春にしてください」などとスーパーカブにウワメヅカイでしなだれかかるのです(前から思ってましたけど、この子ちょっと知能の発育に問題があるんじゃないですかね? FGO第2部ふうに記述するなら「恥丘白痴化」ですか?)。その未就学児ばりのムチャぶりに、スーパーカブは「それは、スーパーカブにもできない」と返答します。このくだり、くしくもブロント語と似たような話法になっており、不意をつかれて(ふいだま)思わず爆笑してしまいした。

 翌日、大きなママチャリに乗って登校してきたシーちょうを、スーパーカブはネットリと視線で追いかけます。1話からの行動を順にならべてもわかるように、スーパーカブはかなり発達に特性を持った人物です。しかしながら、シーちょうがママチャリに乗ってきたことを脳内で描写するト書きはその特性を越えて、リタイア後にブンガクをやり始めた団塊老人みたいなキモチワルイ筆となっていて、キャラとシナリオ崩壊の印象をいっそう強めるのです。

 さらに場面はシーちょうの実家である喫茶店へと移りますが、ご両親はスーパーカブとカブキチに手放しの感謝をしか示さないんです。ケガが無かったからよかったようなものの、ふつうの親ならスーパーカブのおかしな判断に嫌味のひとつも言うでしょうし、娘には奇矯な級友たちと今後は距離を置くよう裏でささやくかもしれません。山奥の自営業とアメリカ人だから、常識がブッとんでいるんでしょうか。かてて加えて、ご両親はスーパーカブとカブキチに向こう1年の飲食無料券まで渡すのです(このカード、店にあらかじめ備えてあったものみたいですが、どういう一般的な商いの状況で客に渡すんでしょうね?)。娘の生命と1年分の飲食代金が等価というのは、なんとも下品かつ卑しいジャッジで、山奥の自営業とアメリカ人だからこそ為せるワザなのかもしれません。これまでも娘の友人のよしみ、タダで飲み食いさせてもらっているのだろうと好意的に補完してたんですけど、このやりとりから食費を切り詰めるために自炊をするかたわら、500円以上する高級豆のコーヒーを自腹でガバガバ飲みまくっていたことが確定してしまいました。

 そしてラストシーン、シーちょうから白痴的笑顔を向けられた瞬間、なぜかスーパーカブの頭髪は前方から送風機を当てられたようになびきはじめ、初代SAWラストシーンばりの回想フラッシュバックが始まるのです。1話の坂道でスーパーカブの自転車を後方からブッちぎっていったのが、じつはシーちょうだったことが明らかになったり、スーパーカブが「このままではフユ(?)に殺されてしまう」とか言い出したり、マーダーミステリーにでもジャンルが変わったのかと一瞬、本気で戸惑いました。

 次回が最終話とのことですが、春の鹿児島でカブキチがスーパーカブの左足をスーパーカブの前輪で轢断し、「嗚呼、フユの毒素が下半身から抜けていく」とか言いながら息絶え、その遺体が団塊老人にメタモルフォーゼして終わったりしないか、怖くなってきました。

 ともあれ、「SHIROBAKO」を見てアニメ業界に入ろうと思っている諸氏は、シナリオ・演出ともに超高校級のバッド・サンプルであるスーパーカブ11話をケンケンフクヨーし、他山の石としましょう。

 アニメ「スーパーカブ(最終話)」感想

ゲーム「2021年のFGO」雑文集

ゲーム「2020年のFGO」雑文集

 鬼一(キーチ)VS

 FGO、カレンというのは過去作の人気キャラのようですね。冒頭部分のシナリオがファンガス直筆なので、もちろん引かせていただいております。ギャグ時空でのファンガスの文章はおそろしく精緻で、ほとんど凝視しながらゆっくり読み進めますが、一文字たりとも改変の余地がありません。感嘆のため息が出ます。いまは失われた、薄いナイフの刃さえ通さない、古代の石垣積みの技術のようです。FGOのガチャ、少なくともここ半年は課金していませんが、新規の星5はすべて持っています。法具レベルにこだわりがない(1で充分)のと、サービス開始当初からプレイしており、最近のガチャは復刻が優勢で新キャラの投入が間遠なので、配布された石とか呼符だけで引いてしまいます。おや、「引けて」ではなく「引いて」と表現したことが気にかかりましたか。FGOのガチャは漫然と引くのではなく、意志を持って引くのです。詳しくは、この記事をご覧ください。これ以上の戦略は社外秘となりますので、萌え画像を寄贈いただいた方にのみ、特別にお伝えしております。寄贈先はこちら(geikakotori@gmail.com)。

 油断すると手がエヴァに関する文章を書き始めてしまうため、気持ちをもぎはなすようにエフジーオーのイベントをやってる。テキスト部分のボリュームこそ少ないものの、各キャラの特徴をブレずに芯でとらえた、ファンガスの手による正しいギャグ時空で、最後にはちょっとシリアスからの、ホロリとさせる落とし方もうまい。フランケンシュタインとかピグマリオンとか、「人形が魂を得る」というモチーフーーつまりは、支配的な親と隷属する子どもーーに昔から弱いこともありますが、ありていに言ってとても感動しました。しかしながら、クリア後の裏面が丸々100階も用意されてるのには、サービスのつもりかもしれませんが、正直ゲンナリです。所持サーバントの数が多いほど有利になるのは古参への目くばせでしょうけど、実装されたキャラは90%近く持っていて、NP100礼装も3枚そろってて、120円玉も躊躇なく連コインできる富豪の私でさえ、こんなにもプレイするのがダルい。いい加減サブスク方式でいいから、宝具スキップさせてよ、もう! このイベント、新しく入ってきた人はどんなふうに感じてるでしょうね。ウマ娘やりてーなー、とか愚痴りながらテキトーに編成して宝具ボタンを3回押す作業を延々と繰り返すのって、まさに「コンコルド効果」の最たるものですよねー。

 FGOの例のSLG、AIのアホさをマップの形状でカバーしたりして、だいぶ中身がこなれてきたんですけど、歯ごたえが高まれば高まるほど、べつに私はこのゲームをプレイしたいわけじゃないなー、報酬のために消化するのがただただめんどくさいなー、という気持ちになってきました。小鳥猊下です。

 とばっちりだけど、FGOも宝具スキップが無いという点だけで、一定数の客を失ってしまっている気がします。ウマ娘のスキル発動で「1日1回だけフルで見せて、残りは短縮表示する」みたいな設定があるんだけど、これを見習うといいんじゃないでしょうか。

 FGO第2部6章、ひさしぶりに星5を引けなかったが、ダビンチちゃん、おじいちゃん、キャスドラゴンちゃんはすでに弊カルデアへの招聘を済ませている。つまり、今回のハイペリオン的な巡礼の旅へ参加するメンツに過不足は無く、序盤の現在で、神造兵器「ユキチ・フクザワ」を投入すべき理由は皆無だ。それどころか、すごい勢いで宝具が回転しまくるため、120円玉の連コインさえまったく必要ないぐらいである。しかしながら、半年にわたってシンエヴァへの呪詛を吐きちらしている裏で、ファンガスがかような物語をコツコツと紡いでいたかと思うと、己の不明を恥じ入ることしきりである。ていねいに文字数を費やして、あるキャラクターとその背景をビルドアップしながら、たった1行で殺す。そのするどい切れ味には、なまくらな物語への自分語りでひん曲がった背筋が、すっくと伸びる思いです。

 FGO第2部6章、ときどきマテリアルに戻って再読したりしながら、一文一文を読み落とさないよう解釈しつつ、ゆっくりと進めてる。ファンガスの語る設定のみがこの世界における真実であり、その意味で他の書き手とは一文に込められた情報量がまったく異なるからだ。そして、第1部7章にも感じたことですが、本当に彼はFC・SFC時代のRPG的な組み立てが好きですね。まだ序盤ですが「妖精たちとゼロから始めるアーサー王伝説」といった切り口で、どのような終局へと突き進んでいくのか、大いに興味をかきたてられます。処女作に厚みを持たせるために用意された、作品内に直接は登場しない世界設定集ってあるじゃないですか。例えば初期のランスシリーズがまさにそれで、あちらは30年かけて設定のほぼすべてを作品内で回収しました(余談ながら、回収しなかったのが「スレイヤーズ!」で、回収できなかったのが「ベルセルク」)。型月世界っていうんですか? wikiを眺めると、コアなファンだけが知っている世界設定が無数にあって、でもファン自身も肝心の書き手が一人しかおらず、しかも超遅筆なこともあいまって、どれも回収されることなく終わるんだろうなーって、薄々どこかで感じてたと思うんです。それが、FGOのすさまじいヒットーーコアなファンのものという枠組みを越えて、無印Fateを「長いなー」と感じながら、王様の話だけクリアしたぐらいの人物にもリーチしたーーで状況が大きく変わった。書き手が目に見える巨大なカネによって評価を実感し、物語をつむぐスピードを急加速させたのです。noteに数百円くらいを課金されただけでうれしくなって何か書こうと思うくらいですから、百億円など売り上げようものなら、「この物語を紡ぐことは、時代が私に要請する使命だ」ぐらいに考えても不思議はありません。

 さらにFGOの大ヒットがプラスに働いたのは物語スケールの転換で、それまで書き手がどこかで囚われ、無意識の枷としていた「ある地方都市での伝奇譚」というくびきから、完全に解き放たれた点だと指摘できるでしょう。日常的な生活の舞台では披歴のしようも無かった設定を、人類史にまたがるFGOの物語スケールなら回収することができる。第1部6章、7章、終章と物語を進めるうちに、書き手がそこへ確信を深めたのだと推測します。第2部4章、5章後半(前半はクソクソのクソ)、そして公開された6章と、どんどん世界の謎の深奥へと接近していく手触りがあります。「星の内海」とか、字面を眺めているだけでもワクワクする。

 ただひとつ残念なのは、「スマホで読む世界文学」として胸を張って推奨できるFGOも、アニメ化されるとなぜかパッとしなくなってしまうところです。どれも恥ずかしくて、人に薦められないものになっちゃう。直近の第1部6章映画化の興収も、ファンの感じているこの空気を裏付ける感じで推移しているように見えます。これは、RPGでいうところの序盤から中盤を丁寧に描写したいファンガスの資質ーーそれが終盤の爆発的カタルシスにつながるーーを、前編・後編という長さに落としこんだ結果、映画としては間のびしてしまったからだろうと思います。ファンガスのシナリオを刈りこんで、映像作品として再構成し直す手腕を持つ人物が必要なのでしょう。ともあれ、第3部に懐疑的な私は、「罪と罰」の雑誌連載をリアルタイムで追うことのできた読者の気持ちで、残りページの方が少なくなった物語を惜しむように読み進めている次第です。

 FGO第2部6章、6月実装分までクリア。前後編に分割するというから、FF6でいうところの世界崩壊のようなマップが激変するイベントが区切りになるのだろうと勝手に想像していました。「モルガンは中ボスに過ぎず、ラスボスの顔見せで引き」みたいに、演出のための前後編だと期待していたのです。そしたら、なんとも中途半端なところでストーリーがブツ切りにされていて、単純にテキスト・ライティングか演出の実装が間に合っていないだけのことが露呈しました。ファンガスの筆ならいくらでも待つので、こういうしょうもないところの印象で作品の価値を下げない方がいいですよ。誤解のないよう言っておくと、ストーリー自体はさすがの面白さでした。

 アヴァロン・ル・フェ、聖杯の入手までクリア。現段階の感想としては、「はァ? 重課金ユーザーを虚仮にすんのも、ええ加減にしとけよ。情動オナニーの絶頂を寸止めされんの、すげえイラつくわ」。

 ひと晩たってアルコールも抜け、冷静になったのでFGO追記。第6章全体の感想はエピローグまで終わってからにしますが、「カルデアの存在が人類史における剪定事象」という結論に向けて物語が進んでいる気がします。「FGOの冒険はすべて無かったことになる」のが、サービス終了と同時に描かれれば、この上なく美しいエンディングとなるでしょう。全盛期より売り上げを落としたとは言いながら、複数の会社の存立にまで食い込んだ巨大IPを、クリエイターの一存で終わらせることができるのかという難題は残ります。しかし、ファンガスは書き手として、「美しさに抗えない人」だと思うのです。彼が一貫して描いてきたのは、「いちど失われたものは取り戻せず、残された美しい思い出こそが人の崇高さの証である」というメッセージです。はたしてFGOは、「大きな喪失感とともに、ユーザーの記憶にだけ残り続ける気高い物語」として終わることができるのでしょうか。

 FGO第2部6章、演出かライティングの実装が間に合っていないか、ファンガスがエゴサで阿鼻叫喚の感想を読み漁りたいか、いずれかの理由から再びおあずけを食らっているため、溜まりに溜まった「幕間の物語」をイヤイヤ読んでる。体感で98%以上がハズレのテキストで、自分が頭の悪いジャリ向けの集金アプリにいれあげていることを改めて突きつけられ、暗澹たる気持ちになってくる。そして、見かけは渋面のまま心を弛緩させていたら、カイニスの幕間がファンガスの筆で書かれていて、涙腺にクリティカルヒットした。これがあるから、すべての「幕間の物語」にとりあえず目を通さないわけにはいかないのです。おそらくFGOユーザーのうちの少なくない数が、「あとで読むから」と言い訳しながら、報酬やスキル強化のためだけに幕間を全スキップしてると思うんですよ。そうして、アプリ外で行われる可処分時間の戦争から、あとで読まれることは決してない。カイニスの挿話とかが多くの目に触れず消えていくのはあまりに切ないので、ファンガスが書いた幕間だけ金枠とかつけて明示してはいかがでしょうか。星1と星5しか入ってないテキストガチャを延々と引かされるの、いい加減しんどいです。

 FGO第2部6章読了。古くからのFateファンは「来い、キャスター!」にウレションしてるんでしょうねー。詳しい感想は、また後日。それにしても、「成長や到達に、意思や信念が伴うことへの疑念」って、無印Fateとは真逆のテーマになってて、これは奇しくもファンガス自身が英霊(筆一本で百億を叩き出す、テキスト界のスーパースター!)と化した事実に呼応していると感じました。そして、「物語を現実の下に置き、現実の高所から物語を批評して、語り終えた物語は忘れられる」という恨み節は、シンエヴァへ向けられたものでしょう。あんなアンチ・フィクションが、「忘れられずに残る」ことが許せないに違いありません。知らんけど。

 第2部6章、気になった細かい点を2つ。モルガンとパーヴァン・シーにまつわる顛末がまったく無かったのには、少し拍子抜けしました。ケルヌンノスの神核が剥き出しになったところで、その挿話がネットリ始まると思って身構えていたのに! まあ、パーヴァン・シー自体がどこまで行っても「自傷行為をやめられない十代の少女」を拡大したキャラでしかなく、この母娘のすれ違いを新たな厄災として詳細に描写する意義が、いまのファンガス(アラフィフくらい?)には、もはや感じられなかったのかもしれません。期待の超大型人非人・ベリルに関して、マシュの過去(と純潔)を汚さないため、持ち味のモンスター感が大幅に抑制されてしまったのには、残念の一言です。彼の退場に漏れた声は、「え、それだけ?」でした。ここはまあ、二次創作で盛大に補完されることを期待しましょう。

 FGO第2部6章の感想、もっとくわしく聞きたい?
 よかろう、続けたまえ。当方に、拝聴の準備あり。60%
 まだクリアしてないんで、しばらく待って下さい。6.7%
 シンエヴァへのディスりが聞けるなら、あるいは。33.3%

 アンケート結果を見ると、まだクリアしていない方がおられるようなので、今晩まで待つことにします。5時間が秒で消える戴冠式なので、安心ですね。

 そうそう、こないだFGO6周年でレベル上限が120になったじゃないですか。「よーし、6年連続ログインしている重課金者のたしなみとして、パーフェクトキャラを作っちゃうぞー」などと息まいて、さっそく1体レベル102にして星5種火を20個つっこんだら、経験値ゲージが数ミリしか動かないの。これってつまり、新設された星5種火周回を数百回単位でやらないと最大レベルにはできないってことなのね。まあ、今回の成長要素追加って、対人要素があるわけでもないし、運営からのサービスの側面が強いと思うんですけど、正直なえました。戦術や敗北の要素が絶無の種火周回って、虚無そのものの作業じゃないですか。せめてこのタイミングで宝具スキップをあわせて導入してくれていれば、印象も違ったように思います。などと愚痴りながらも、じつは1キャラだけレベル120に到達してるんですよねー。唐突にFF11の近況報告をしておくと、3キャラ目が仕上がってきたので、ラスボスよりも強いカニと魚で延々とジョブポ稼ぎをやっています。1キャラ目と2キャラ目のウェポンスキルで連携つくって、3キャラ目でマジックバーストを2回いれる作業でけっこう忙しいんですけど、慣れてくるとTP待ちで手と脳がヒマになる時間が数秒あるんですよね。この隙間にFGOの星5種火周回を入れると、ピッタリとハマりました。休みの日も業務が頭に浮かぶタイプの社畜なのですが、完全に思考を消した作業マシンと化すことで、ひさしぶりにノーストレスの時間を過ごすことができました。ジョブポ500くらいのキャラがカンストするのとレベル120到達が同時くらいでしたので、まさに「いにしえのMMORPG」と同水準のタイム・コンシューミングな延命方法だと言えましょう。FF11に関わったスタッフがFGO関係者にいるみたいな話をどこかで目にしたことがありますので、今回の仕様もむべなるかなといったところでしょうか。第2部の終わりで所持サーヴァントごと新アプリへと移行させるとき(風説の流布)には、宝具スキップを含めて感性をアップデートしてほしいものです。

 ゲーム「FGO第2部6章」感想

 FGO夏イベ、かつてのテキストサイトを思わせる悪ノリ文章がたいへんに面白く、まさしく年に一度のお祭りって感じで大いに楽しんでいる。しかしながら、このイベントの真の目的はダビンチさんを配布することにこそあるのだと指摘しておこう。え、アヴァロン・ル・フェが終わったのに、ダ・ヴィンチ表記に戻さないんですかって? バカヤロウ! 俺が彼女に向ける視線は、いわば矢吹丈を見つめる鑑別所のモブ、妖精国のマイクさんのそれと完全に同化してしまってんだよ! あれだけ何度も意味深にピックアップしてきたのに、いまだにライダビンチさんを引けていない甲斐性なしのボンクラどもへ業を煮やしたファンガスが、ただあとから奪うためだけに水着ダビンチさんをてめえらに下賜くださってるんだよ(この文、傍点付き)! 第2部7章でダビンチさんが「いなくなる」ことは、これまでの伏線から考えれば、ほぼ確定の事項であると言えるだろう。「盛夏の滅び」は、本邦に生を受けた者たちの心性に深く刻まれていて、それはもはや無意識の願望と近いところにある。軽躁的なテキストの裏にひそむ寂滅を感得しながら読むことで、今回のイベントはあとになってから重層的な意味をもって、我々の胸へとよみがえるだろうことを予言しておく。

 FGO夏イベ、メチャクチャ面白いなー。これまでさんざんヘイトを集めてきたFGO随一の嫌われキャラであるコロンブスを、開き直ってヘイト方向へと突き抜けさせることで逆に笑わせたり、ファンの反応をキッチリ織り込んで話を作ってきてる。黒髭のメタっぽい発言やギャグもすごいノリノリで書いてあるし、リアルタイムで追いかけないと本当の意味では体感できない面白さで、いままさにいっしょに物語を紡いでいる感じがすごくするなー。個人的に大ッ嫌いだったマンぐり返しとメンヘラ自傷女を魅力的なキャラに描きなおしているし、まさにノムラならぬファンガス再生工場と言えましょう(清少納言が生き生きと活躍していることと、「だぞぅ!」語尾が確認できたので、メインの筆は彼で間違いない)。ピックアップ2、はやく来ないかなー。

 FGO夏イベ、オールクリア(たぶん)。一糸乱れぬギャグ時空からの、完璧な遺言でした。彼女はこの記憶があれば、贋作として生きた己の短い生を肯定できるでしょう。蛇足ながら指摘しておくと、ダビンチさんの宝具演出から推測して、初期プロットは多くの恐竜たちと出会うドラえもんの長編映画(プラス、ポケモン)のようなものだったのではないでしょうか。それが、「ダビンチさんの作った精巧なロボット恐竜」という設定に置き換わってしまった。これまた邪推ですが、アガルタかセイレムが預かったプロットで途中まで書き進めてて、監修を繰り返すうちにその中身をファンガスが許せなくなり、最後にはぜんぶ捨ててーー「ええい、カッカソーヨーもいいとこじゃねえか! よこせ、オレがぜんぶ書く!」ーーイチから書き直したのではないでしょうか。だとすれば、夏イベにしては短め(内容はパーフェクト)なのもうなずけるところです。絶対に外してはならないカンどころを外さないのが、FGOの持つ最大の美点であり、ダビンチさんの最後の冒険は、間違いなくその体現でした。これは裏を返せば、キャラクターへの共感であり、敬意であり、愛なのです。シンエヴァが持たなかったすべてを、いまのFGOは備えています。赤い砂浜で静かに眠っていたのを、薄汚いカネもうけのためだけに引きずりだされて、あげくまたゴミのように捨てられてしまったあの少年のことが、どこまでも、どこまでも、どこまでも不憫でなりません。

 あと、大陸版で中華系のキャラが削除されまくってる話ですが、遺憾の意を示したり強く抗議するのではなく、ギャグにせよシリアスにせよ、虚構内でのネタや風刺へと昇華してほしいと願っています。それこそが、我々の現実と並走しながら物語を紡ぐFGOの、いやファンガスの真骨頂ではないでしょうか。

 ゲーム「FGOハロウィンイベント感想」

 FGOのぐだぐだイベント、メイン部分をクリア。おそらく、邪馬台国と同じ「漫画でわかる」の人によるシナリオで、漫画家としての特性が為せる技だと推測しますが、伏線の構成が巧みだし、章またぎのヒキがうまいし、短いテキストでズバッと印象的な場面を作っている。だれ一人として死にキャラを出さず、各人の大義も葛藤も説得力を持って描かれていて、正直なところ強い感動を覚えました。高い更新頻度を求められるスマホアプリに埋め草のギャグ担当で呼ばれていたのが、登板を重ねるごとに少しずつ周囲からの信頼を得ていくうち、次第に開発リソースを多く割いてもらえるようになり、とうとう本イベントで大輪の花を咲かせた感じがします。過去の実績や友人補正から、天下の百億円アプリで無条件に優遇してもらっているにも関わらず、それを意気に感じるどころか、ずっと裏切り続けてきたセイレムやアガルタとは、非常に対照的だと思いました。もしかすると戦国と幕末という制約はあるのかもしれませんが、私の中でファンガスの次に信頼できる書き手になったことをお伝えしておきます。

 FGOのレイド・イベントに「スカスカわんわん1ターンキル」で参加中。分量こそ少ないものの、直近のテキストが尻あがりに良くなっていったので、この年末のお祭りへ参加する気持ちになったからです(まあ、昨日までは仕事上がりにはレイドが終わっていましたが……)。人類悪の討伐が終わるまではインターネットにいますので、一日遅れのクリプレ萌え画像などを寄贈するとよいでしょう。

 FGOのツングースカ読了。単体のシナリオとしては悪くないけど、3年を引っ張った敵役との決着としては物足りないというのが正直なところです。テキストにしても、セイバーウォーズ2終盤のような駆け足感が常にあり、コヤンスカヤを仕留める場面さえ描写が薄くて、イマイチ盛り上がりに欠けました。太公望って、型月世界では歴史のある有名キャラなのかもしれませんけど、FGOから入った身にとってはポッと出の新キャラに過ぎず、カルデアとビーストとの因縁を取り扱う人物としては不適切だと思うんですよ。期待の新人・太公望のデビュー戦に、噛ませ犬でコヤンスカヤを使ったみたいなバランスの悪さを感じました。例えるなら、刑事コロンボだと思って調査パートを見てきたのに、謎解きパートで古畑任三郎が出てきて事件を解決しちゃったようなもんですよ、これ。

 あと、「どうでもいいと思ってるから、キッチリした仕事ができる」というのは、よくわかる感覚だと思いました。それと、もうだれかが同じツイートをしてるでしょうけど、ニキチッチのデカチッチがエロチッチだなーと思いました。

 

雑文「人気作品に学ぶ『ループ』と『転生』の正体について」

 FGOの新イベントをチマチマ進めてる。たまった無償石で回して出なかった新キャラが呼符1枚で引けたり、10キャラ以上の新衣装がドバッとタダで配られたり、やっぱりFGOは気前がいいなあ、と思った。これがウマ娘なら、新衣装は別キャラ扱いで6万円天井のガチャに入りますからね。ウマ娘、キャラやストーリーやゲーム性の良さは認めますけど、みんなもっと集金システムのエゲツなさを指摘するべきだと思いますよ。んで話をFGOに戻すけど、今回のシナリオはファンガスの筆ですね、間違いない。これだけの数のキャラを登場させながら、キッチリそれぞれの外してはいけない特徴を芯でとらえてミートして、打率10割ですべてクリーンヒットにしていく手腕はさすがだと思いました。他のライターの方々は、ファンガスの提示した各キャラの魅力をしっかり読み込んで、少しでもこの技術に追いつけるよう学んでほしいところです。個人的には、今回の題材であるアイドルについて、特にグロス販売ーー偏差値の落差を平均でならして、下限との差で上限を浮かび上がらせる手法ーーになってからのアイドル・グループをどう楽しむべきなのかよくわかりません。なぜ、こんなにも執着して応援したがる人々がいるのかを理解できていないので、だれか競馬に例えて教えてもらえないでしょうか。

 え、本末転倒なことをまたネタでわざと言ってるんでしょうって? いやいや、ある概念をだれかに理解させるのに、そのだれかにとって親しい別の概念へと置き換えて説明するのって、すごく大事ですよ。きのうの午後、FF11やりながら(ここに至る話はまた後日)タイムライン眺めてたら、競馬の話が延々と流れてくるわけ。んで、テレビつけたら競馬やってて、順ぐりに出走する馬の紹介してんの。そしたら、ポニーかラバかみたいな明らかに他より小さい個体がいるのよ。ウマ娘に黒づくめでチンチクリンのキャラがいてすごい人気なんだけど、その小さな馬を見た瞬間に理由が理解できたの。筋骨隆々の恵体を有するサラブレッドを、種族さえ違って見えるこんな小兵が押さえて勝利するなら、それは確かに痛快なドラマだろうなって思えたの。

 何の話だっけ。そうそう、FGOのイベントにからめたアイドルの話から脱線したんだった。今回のイベント、テキストのすばらしさは両手離しで褒めながら、終盤のストーリー展開には「またループかよ」と少し失笑が漏れてしまったのは確かです。失笑しながらもお話は面白くなっていくので、つくづくこの時間ループというのはズルいギミックだなと、改めて考えさせられました。最近ではどこを見回しても、「時間ループもの」か「異世界転生もの」ばかりですが、この2つは「人生のやり直し」を希求しているという点で、基本的に同じカテゴリでくくっていいと思います。そして、これが流行る理由はズバリ、オタクの高齢化でしょう。二十代前半くらいまでは単線の人生をわき目もふらず驀進(バク、シンッ!)するのみですが、それ以降は生業や棲み処や配偶者や扶養者の有無と種類が否応な選択(しないことも含め)として分岐を為していき、引き返せない失われた可能性としての過去を、我々の背後へ膨大に作り出していく。選ばなかった選択肢への未練とか、人生をやり直すことへの欲望というのは、基本的に初老ーーいやいや、40歳くらいを指すのよ?ーーを迎えてから老年へとめがけて最大化していくもので、青少年にとって本来は無縁のものに違いありません。しかしながら、オタクのマスが初老を越えて市場がそのニーズに応えた結果、ループものと転生ものがあふれかえり、本来的にはまだその欲望を持たないはずの青少年に、あえて言いますが、いまやジャンルとして悪影響を与えるような広がり方をしています。終わったあと、通り過ぎたあと、そこに分岐や選択肢があったのだと遅れて気づくからこそ、我々は人生を前に進めることができるのであって、最初から分岐や選択肢の前に立っていることを意識させられては、永久にそこで立ち往生するしかありません。

 ループものの源流としては、J.P.ホーガン御大が挙げられるのかもしれませんが、本邦においては何よりエロゲー業界がその発祥でしょう。「デザイア」で提示された革新的アイデアを「YU-NO」が洗練したシステムと融合して可視化させ、その肉厚の油揚げを「まどマギ」がかっさらって魔法少女と悪魔合体した結果、爆発的に人口へと膾炙したのです。ファンには申し訳ないですが、エヴァ原理主義者の私としては、「まどマギ」がここまで時間ループの概念を一般化させなければ、シンエヴァはもっと臆面もなくベッタベタのループものとして終われたんじゃないかと、少し恨みに思っております。いつまでシンエヴァについて愚痴ってるんだって感じですけど、「これは虚構だ」って開き直るぐらいなら、初代プレステみたいな汚いCGや撮影所を見せるんじゃなくて、「逆境ナイン」(やっぱり友人は大切)や「グレンラガン」のように、9回裏100点差から逆転勝利するみたいな、銀河をフリスビーとして武器に使うみたいな、突き抜けたウソによるフィクションを描くべきだったと思うんです。どちらも、「オイオイ、そんなのありえねーだろ!」と両手を打ち鳴らしての大爆笑から、最後は大号泣の大団円ですからね。過去作の自己模倣でいうなら、マクロスよろしくブンダーが船尾方向から直立してギガ・初号機へと変形、天の川銀河をフィールドに巨大アヤナミと恒星をサッカーボールにして蹴りあうみたいな突き抜け方をしていたら、監督の抱えるエヴァを作るしんどさを含めて、受け入れる気持ちになれたと思います。恥をかきたくない自分クンがカッコつけて、パンツを脱ぐどころか奥さんにつけられた貞操帯を見せびらかすみたいな、リスクをとって決勝点をねらうのではなくガチガチに守りを固めて、失点を回避しながらドローをねらうサッカーみたいなことをエヴァでするから、ここまで非難(君だけ)されるんですよ。

 ループものの話に戻ると、「まどマギ」の最初の劇場版を家人と見たんですけど、途中までは眠たそうに頬づえついてたのが、主人公を助けるために少女が同じ時間を繰り返しているとわかった瞬間、目を見開いて身を乗り出しましたからね。2012年当時、ループものが一般層にとっていかに新しかったかが、このエピソードから理解していただけると思います。もっとも、「叛逆」については半ばアニメ自慢のキャラ萌え作品と化していたので、家人は途中から舟をこぎだして、ついには寝てしまいました。以前、「叛逆」の後をまともに語ろうと思えば、エヴァ旧劇でも不可能だった、デビルマンで言うところの「善と悪のアルマゲドン」を、説得力のあるシナリオとビジュアルで提示しなければならないと指摘したことがありました。先日発表された「廻天」は、あのエヴァでも手を出すことのできなかったこの命題へと挑むつもりなのでしょうか。「物語を続ける」ため、小手先の作劇に逃げず、本邦では誰も成功していないこの命題へと、敗北を恐れないで真正面から堂々とぶつかっていくことを期待します。

 でも、わざわざそんなしんどいとこに行く理由も義理もないので、安易なキャラ萌え学園ものへと回帰しちゃう予感も、ちょっとあるなー。

雑文「聖夜の贈り物(FGOの未来に寄せて)」

 わえ(一人称)! 先割れの蛇舌でする聖夜のフェラーティオウ、小鳥猊下であるッ!

 昔はこの時期、わざと更新せんとリア充感だしとってんけど、今年はクリスマスも中止になったみたいやし、ちょっとならええやろ。書きやすいから関西弁でいくで。あのな、ファンガスの最新インタビュー読んでん。チンポコ?(チェンクロ)だかゆうスマホRPGを作ったヤツとのべしゃりになっとって、キホン相手を立ててて(ミスタイプやないで。「て」3つで正解や)、おべっかとまではゆわんけど、ずっとじょうずばっかゆうて進んでくねん。ファンガスがメディアに顔だしするときやけど、気に入った作品のおたく語りやとか、好きな作家のレスペクトなんかが話の中心になっとって、なんやホンマはどんな人物なんかとらえどころがないんやけど、対談のうしろのほうで鬼滅の話題をふられたとたんスイッチ入って、ギラギラと眼光するどくおもしろさの分析するみたいなモードんなって、ここまで立ててた対談相手の話をさえぎるわ否定するわ、クリエイターとしての生の怖さゆうか、すごみみたいのが出てて、うわ、こらエエもん見たわって感じやった。

 対談のまえのほうではスマホRPGとかMMORPGとか、数年に渡って運営せなあかんゲームの難しさも語られとって、オンラインのRPGは、プレイヤーが飽きて離れたり、サービスを続けられなくなったり、かならず後味わるう終わるゆう指摘には、その通りやとヒザを打つところがあったで。オフラインのRPGやと、少ないリソースで四苦八苦しながらキャラを育てる過程が楽しゅうて、その楽しさのピークとラスボスたおすんが重なったところで、ゲームを終えることができるやんか。でもな、オンラインのRPGは運営が長期化すればするほど宿命的に、レベル99になってからの時間がプレイタイム全体の100%に限りなく近づいていくねんな。レベル99の世界で何を楽しませるかに、作り手はみんな四苦八苦しとる。見てると、解決法はだいたい3つに集約される感じやな。1つ目「既存のキャラ・アイテムを一定のペースで陳腐化する」、ガチャの新キャラが旧キャラよりも確実に強く設定されるのがこれやね。2つ目「レベル上限を一定のペースで解放し続ける」、レベル200とか300とか、どこまでもキャラが成長する青天井方式やね。でも敵もつよなるから、差し引きでレベルアップの意味はほぼ消えてんねんけどな。プログラム上の限界はレベル65535なん? 知らんけど。3つ目「レベル上限はすえおきで装備やアイテムで少しずつステータスを上乗せする」、エフジーオーはこれに該当するんかな。絆上限解放とかコマンドカード強化とか、つよなった気はぜんぜんせえへんけど。

 わえ(カワイイ!)、6年にわたってメッチャ課金しとうから、もう弊カルデア(笑)の戦力はぜんぜん飽和してんねん。せやな、レベル99になって3年ぐらい経つ感じやから、そろそろなんか目先を変えた新しい遊び方が欲しいところやな。そこで提案やねんけど、持ちキャラが全滅するまで侵攻できるタクティクスオウガの「死の迷宮」みたいなヤツはどないやろ。ファンガスも好きなはずやで。持ちキャラが多いほど単純に有利になるし、戦力飽和のマスターにも課金する別の意味が出てくる。課金せんならせんで、少ないキャラでどこまでもぐれるかアタマつこたチャレンジもできるしな。あとは、報酬をどうするかが問題やね。ゲーム内でほしいもんもうないねんけど、「聖杯」「獣の足跡」は当確として、なんでかかたくなに導入しようとせえへん「任意のキャラの宝具レベルを1上げるアイテム」はどうやろ。ガチャの売り上げも下がってきてるみたいやし、頃合いとちゃう? 期待しとうで!

 でもな、ファンガスはん、「ボクが新キャラを引くためにいくら使ったと思いますか!」とかぬかすんは、もうけすぎの煙幕にしたかて白々しすぎるんとちゃいまっか? 例え10万円つこたとして、キミのこづかい50億円の0.00002%やないか! ほぼオナイやのに月額2万千円でバンザイの子もいるんやで! わえ(キュート!)はこの二十年間でテキストのかせぎは0円、いや、売れない同人誌のぶんマイナス50万円やねんで(正確にはnoteで500円もらったから、49万9千500円)! トボけるのもええかげんにしいや!

ゲーム「FGO第2部第5.5章」感想

 FGO2部第5.5章クリア。都合、8時間くらいかかった計算。ネタバレなしの感想? 「些か」「言の葉」への「想い」が強すぎますな。

 ゆかい。ハア? 小鳥猊下であるッ! ンンンン、以下はバリバリのネタバレですので、未クリア者はミュート推奨ですぞ!

 2部第5.5章、エフジーオーの本編としては「些か」食い足りないが、坂田金時を主人公とした少年漫画と考えれば、まあまあの仕上がり。しかしながら、書き手がファンガスでないときの避けられない瑕疵として、「世界の謎については表面をなぞるばかりで、真実へはどうにも肉薄できない」という点があり、アルターエゴ・リンボという大悪党を数年越しに倒す話なのに、イマイチ盛り上がりには欠けました。どんなに良い書き手であっても、ことエフジーオー世界においては最善の書き手であるファンガスが常に比較対象としてあるため、ハナっから勝てない試合をさせられるのはかわいそうだとは思います。なので指摘するのは酷なんですけど、今回の書き手はストーリーラインが細くなると無意識にか語彙を厚塗りするというクセがあり、それゆえ登場キャラクター全員が一個の自意識から延長された人格だとわかってしまうのです。完全に単独の作品ならば見過ごされるだろうことを、最善との比較から指摘されてしまうのは恐ろしいと思いました。個人的なことを言わせてもらえば、1部第4章のキャラクターたちがすごく嫌いなので、第七節くらいまでは読み進めるのがしんどかったです。バベッジとかパラケルススとか、どうひっくり返しても魅力的になりようがないキャラへテキストを割くぐらいなら、清少納言をもっとお話にからめて欲しかったなー、と思いました。もっとも、彼女はファンガスの持ちキャラなので、年末に向けて監修の時間が取れなかったことが、申し訳程度の出番(平安京なので出さないわけにはいかない)で終わってしまったことの理由ではないでしょうか。

 あと終盤で、「人類愛がないと人類悪になれない」とか言い出したのには「うわー、やっちまったなー、ファンガス怒るぞー」って思いました。この前後もそうですけど、今回の書き手は語彙が重たいわりに、ストーリーテリングが単純で直線的なんですよね(逆にファンガスは平易な語彙で重層的に物語る)。不安になったのか、最後の最後でカルデアの面々に「でもリンボの言うことだから、真実である可能性は薄いよね」とか言わせて予防線を張っていたのには笑いました。リンボってミステリアスでインパクトのある隠れた人気キャラだと思うんですけど、異星の神との関係もほとんど明らかにされず、なんだか雑に処理されちゃって残念だなーって感じです。それと終幕はいつもファンガスの監修がガッツリ入って、強烈なクリフハンガーで終わるのが常なのに、今回は「あっちのオレ、どうだった?」「ゴールデンでしたよ!」みたいなシャバい終わり方で、「ああ、年末のサプライズに向けてファンガスが忙しくて、修正の手が回ってないんだな」と思いました。

 ここのところ、来るイベント来るイベント、ぜんぶに文句つけてる気がしますけど、何度も言いますが私にとって、書き手がだれであるかが最も重要なのです。つまり、スターウォーズはジョージ・ルーカスに関わってほしいし、エヴァは庵野秀明に監督してほしいし、グイン・サーガは栗本薫が書いたとこまでしか認めないし、ペリー・ローダンは読む気にならないし、FGOはファンガスにすべてのテキストを書いてほしい、単純にそれだけのことで他意はありません。

雑文「twitter批判と創造性について」

 通りすがりに”Hi, there!”くらいの感じで「いいね」してやってんのに、だれも挨拶をかえさないどころか目さえ合わせない。まったくここは礼儀のなっていないインターネットですね。私がヤング・エグゼクティブをつとめている現実社会では考えられないことですよ。挨拶は相手に自分をモノ化させないことで犯罪をふせぐって教わらなかったんですか! これ以上は凄惨な事件になりますよ!

 んで、自分のためにイヤイヤ「いいね」つけてるーー強気な言葉とは裏腹に、都度の消毒で少女の指先は赤くただれ、ところどころ裂けた皮膚の下に赤い肉がのぞいているーーと、否応にフォロワーの多いアカウントを観察することになるわけですよ。24時間中18時間くらい断続的に1ツイートへ収まるニュースや世間への感想を述べていて、わたしもフォロワーを増やすためにはそういった発言をしなければならないのかと思った次第。では、試みに社会的な1ツイートを。バズったら、いいおにく買おう。

 建立1300年の法隆寺の前に、創業10年未満の立ち食いステーキ屋の出店がいきなり許可され、あげく半年も経たず下品な看板を残してつぶれ、それがいつまでも放置されて景観を乱し続けるのが、奈良県の観光行政の本質。

 あれですよね、1000リツートを1越えるごとにツイッター社から1ドルもらえるんですよね? みんなそれで生計たててるんですよね? だから毎日あれだけ時事にからめたツイートをしてるんですよね? あたし、信じてるから!

 本邦の抱える問題とは、新しい事象に対して即座に新しい言葉が発明され、一瞬で社会の隅々まで行きわたり、それこそ老若男女、社長から乞食、教授から中卒まで、その言葉を使い、その言葉で思考するようになることである。浸透の過程に何の疑義もなく、発明された言葉が後からの批判で覆ることもない。少し話はズレるが、もはや国民的スポーツの座から陥落して久しい野球のニュースがスポーツコーナーで大きな割合を占める理由もこれに近い。使い古された定型(「Aの頑張りに応えるため、気持ちでBしたとC」構文)だけでニュース文が書けるので、その利便性が世の実情とは乖離して存在し続ける理由だ。最近のニュース文にはひどいものが多いので、この種のライティングこそAIで自動化すべき分野だろうと思う。閑話休題。そんな1984年的な「言語に思考させられている状況」への抵抗として、nWoでは固有名詞や類型的な言い回しを避ける表現を長く心がけてきた。それもこれも、いまは亡き栗本御大が「小説に新聞の見出しみたいな表現を使ってんじゃねーよ! 言葉は使われれば使われるほど摩耗して意味を減じていくんだよ! 小説ってのは新たに言葉を創造していく作業なんだよ!」みたいな内容を小説道場で吠えていたことへ、持ち前の素直さで従った結果である。冷静に考えれば、モーツァルトがぽつぽつ楽譜を埋めるばかりの新人作曲家へするアドバイスみたいなムチャぶりではある。おかげで二十年が経過した今、もう何も書くことがなくなってしまった。かつて、本当に独創的なテキストを書いていたサイト運営者がいたのだが、彼の消息を追ってみると、ただのゲーム実況者になっていた。あまりに独創的すぎたので、どこかの時点で言葉のオリジナリティが枯渇してしまったのだろうと推測する。だが、枯渇しても表現への欲求が消えるわけではない。「生きながら萌えゲーに葬られ」から一節を引用する。

 「何かを批判したり批評したりする態度だけをとり続けることを選択すれば、永遠の生命を生きることが出来ると思っていた。新聞というメディアが現実に依拠することで永遠を存続できるように、誰かの作り出した何かに依拠し続ければ、自分は存在を長らえることができるだろうと考えていた。」

 つまるところ、ゲームや映画への感想も、ニュースへの言及も、他者の言動への批判も、人間社会に寄生する血吸い虫の所業と変わるところはなく、そう考えるともう何もかもの意味を失って唇はこわばり、少しも口を開くことができなくなってしまう。私が本当に聞きたいのは、この諦念から話すことを止めただれかの声であり、圧倒的なオリジナルを放擲し、他者の創造物に乗せて話を続けることに決めただれかの本心なのだ。永遠も半ばを過ぎて、何も語ることがない空っぽの心を抱えて生きている。みんなどうやってこの気持ちをしのいでいるのだろう。

 なにッ! エフジーオーの2部第5.5章が明日開幕と申すか! 題材からして1.5部第3章の書き手と推測する。(ヨダレを手の甲でぬぐいながら)こいつァ、楽しめそうだぜ……空っぽの心に他人の創作物からエネルギーを吸い上げて、自分語りを垂れ流す社会的無責任さをな……!!

ゲーム「2020年のFGO」雑文集

 コノヤロー、他人の日本銀行券で食うライチはうめえか(皮ごと口腔へ突っ込みながら)! 世界三大テキストサイト運営者であるッ! ちなみに他2つは、HEXAGONとウガニクのホームページ。

 彼の編む崇高さに私などが何を付け加えることもできないが、最大限ひかえめに表現してたとしてファンガスの筆によるFGOこそが、いま読まれるべき、いま読まなければならない世界文学のひとつであるとの断言を過分な評価とは感じない。見るものによっては完全な絵空事と映るに違いない荒唐無稽の物語が、これだけ今日的なテーマを深く内包し、その答えへ肉薄していく様に、ほとんど奇跡を目の当たりにするような感動さえ覚える。第2部第5章の前半と後半を比較してわかるように、ファンガスはFGOを創造した神なればこそ、この世界を構成する真理の隅々へと通暁しており、預けられた設定を手さぐりに書き進める共著者(?)の書き様と比して、その解像度が圧倒的に違う。ブラウン管と4Kテレビくらい違う。以前からの繰り返しになるが、ファンガス以外の書き手たちは、己の技量の低さと彼我の力量の差に恥じ入り、少なくとも本編にはもう関わらないで欲しい。FGO最大のステークホルダーである重課金者からのお願いだ。

 さて、緩急自在、息もつかせぬ展開の連続から、至高の物語はその最高潮でいったんの幕となった。正直、ファンガスの趣味嗜好であるツンデレ女子まる出しのラスボスや、すでに語りつくされたブリテンとアーサー王をどうも再話しそうな感じや、上がりきったハードルをさらにクリアできるのか不安は残る。しかし、ファンガスなら必ず成し遂げてくれるはずだ。私がFGOを続ける理由は、物語ることへの彼の誠実さに向けた信頼である。ブラヴォ、FGO! ブラヴォ、ファンガス!

 あと、塩野七生の著作群を愛する小生は、FGOでのローマ周辺の扱いへ不快に近い不満を抱き続けておりましたが、第2部第5章の終盤で若干、溜飲が下がったことを最後に伝えておきます。そして、FGO世界の神であるファンガスがみずからの自我を仮託したアバターとも言うべきキャラクターが何人かーードクター、マーリン、宮本武蔵、そしてたぶん清少納言ーーおりますが、クリプターのリーダーは正にその一人だったと感じました。

 『人間はみんな、頑張っているんだよ。』

 ゼウスの登場テーマ、メガテンのボス曲みたいだったなー。

 エフェメロンでた! ここ、わたしの日記帳なんで、状況だけ書き残しておくね。FGOの新イベント読みながら空島でアイエロにシャンシャンしてたのね。人狼の館ってチャプターだったんだけど、これがまたクッソつまんないわけ。たぶん、セイレム(アビーの幕間)と同じライターだと思うんだけど、理詰めで緻密な展開をカッコつけて思わせぶり書こうとして、途中でめんどくさくなったかファンガスほどの力量がないか(たぶん後者)で、いい加減に最後をブン投げるとこなんか、ほんとソックリ。おまけに今回のシステムとも水と油(なぜかメインであるはずのスゴロク盤から切り離されて、分岐なしのつまらないシナリオを延々と読まされる)で、コイツといいアガルタといい、昔からの友人とか弱みを握られている女性とか(たぶん両方)を登用すんのやめろよって、FF11に数年間かけて渡してきた以上の金額がクソガチャで一瞬に蒸発したことへの申し訳なさもあいまってイッライラしてたんだけど、エフェメロンが出た瞬間にドーパミン過多の脳内ヘブン状態になって、ぜんぶどうでもよくなりました。あと、「やっぱりFGOは最高です! シナリオが時限式の公開なのはセイレムのときと同じで〆切を守れない書き手だからですよね!」って思いました。

 ひどいこと言うので、慇懃な口調で書きますね。今回のレクイエム(FGOへの?)だかいうコラボイベントのことです。わたしがエフジーオーをすばらしいと思うのは、いちばん質のいいテキストがいちばん評価されていちばんカネをもらうという、単純だけれど、かつてのテキストサイト群が達成できなかったことをやってのけているところです。そしていちばんカネをかせげば、世界の大半を占めるテキストのクオリティなぞ薬にもしたくない人々からも敬意を集めることができます。この敬意というのはぞんがい大切な要素で、かつて面白いテキストで鳴らした運営者たちのその後を追いかけるにつけ、ますますそう思うようになりました。テキスト書き一筋でまだ頑張っている方々はいま、自分の技術を体系として教えたがったり、大きな組織に企画力で取り上げられたがったり、公に認められたいという気持ちが前面に出てきていて、見ていて辛くなってきます。人生も半ばにさしかかってから、自分の持ち物が面白いテキストを書く能力だけという悲しみは、本当に身につまされます。最近になって特に思うのですが、例の禿頭の御大も言うように、表現を志す者にとって重要なのは、絵や文章がうまいとかのスキルではなく、「語るべき物語を持っているかどうか」に尽きます。己の物語を持たないテキスト書きの末路には、暗澹たるものがあります。物語の欠落を社会的な評価、つまり他者の物語で埋めようとし始めるからです。逆に、己の物語を持っていたテキスト書きは、とても幸福そうに見えるのです。

 話がだいぶ横にそれました。今回のエフジーオーのイベントはファンガスが成し遂げた、すべてのテキスト書きがうらやむ偉大なる達成に気づきもせぬ無神経の輩による低クオリティの中身であり、わたしは強い憤りを禁じえません。テキストの低劣さに反して、グラフィックやギミックなどはかなりの労力をかけて作りこまれていて、他のイベントに比してもこの書き手に対する周囲の期待値の高さがうかがえます。にもかかわらず、その高い期待に対して、ファンガスが築いた最高のテキスト発表装置であるエフジーオーに対して、この書き手はセイレムに引き続き、またも裏切りで応えました。今回のイベントは、きっと素晴らしいテキストをつむいでくれるはずだから、最大のサポートをしてやろうという周囲の想いが伝わってくるがゆえに、この書き手のクズさがいっそう際立つという悲しい逆説に満ちています。繰り返しますが、アガルタとセイレムはエフジーオーに見あわぬ力量の書き手であり、もう関わらせぬほうがよろしいかと存じます。

 エフ・ジー・オー、小生のフレドンならすでにご存じのことと思うが、話題の環境破壊・人権マッカレルをサクッと重ねて、オール・スキル10にて畏れ多くも貸し出しを許可しておる。5年もプレイし続けているとキャラの性能なんて、正直どうでもいい。レベル100にしてコマンド・カードもギンギンに鍛えた全体宝具バスター・バーサーカー3体にNP100礼装をつけ、ボタンを3回押して戦闘を終わらせることが最適解のゲームで、わざわざボタンを押す回数を増やす気にはなれない。例えると、波動拳や昇龍拳をからめたコンボの練習をするぐらいなら、めくり大キックからの小足6発でいいみたいなものだ(情報が古いし、例えになっていない)。倒しきれなければスキルボタンを押す回数を増やすだけだし、それでもダメなら120円玉a.k.a.聖晶石の連コインですべてが解決する。出ッ歯の諸君が興奮した早口でまくしたてるところのアーツ・システムとやらは、ストロー級アジア人がするチェーンパンチだか飛燕の連撃だかいうヤツで、身長2メートル体重100キロ超のヘビー級黒人にすれば、体重を乗せたジャブ一発で消しとぶ何かに過ぎないのだ。

 まだ脂肪の乗らない薄い皮膚の下へ、きちんと内蔵と骨格を感じさせる描きぶりは真正のPDF(欧米におけるペドフィリアの略称)による仕事と認定する。しかも、健康に日焼けした光り輝く肌だけでなく、陽を浴びず病的にくすんだ肌のテクスチャまでが再現されており、nWoに引かないという選択肢は無い。一年半ぶりの驚くようなビッグ・スワンプであるが、後退のネジはすでに外しており、さんざん小細工をろうした後は、引けるまで最高額の日本銀行券をシュレッダーに差し込み続けるだけの作業に過ぎず、昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏な状況と言えるだろう(無表情で涙を流しながら)。

 まさに、アビー叫喚の巷(血股、つまり破瓜の意)と化した今回のブラッディ・ガチャ(got you)だが、最後の最後でようやく小鳥猊下の理想的なアバターを引き当てることができた。レベル100は紳士のたしなみとして、スキルをオール10にしようとしたところで、またぞろタマゴを要求されてウンザリする。もう5年もプレイしており、骨や塵や頁はレム物語第九章ほど(FF11語で、捨てるほどの意)あるのに、タマゴや金平糖のような新素材は報酬の枠を越えた数を要求される。金リンゴはグロス単位の備蓄があり、集まるまでボタンを3回押す作業をユーザーへ強制し続けることに、いったい何の意味があるのか。FF11のような古きMMORPGのレベルデザインを悪い意味で踏襲しており、より単純なゲーム性のスマホアプリにはなじまず、早急に解消すべき過ちであると進言し申し上げたい。半島産電動玉はじきのように、少ない報酬で射幸心を煽るのではなく、もっとファンガスのテキストが持つ力を信じるべきだと思う。

 (金髪白皙の美少女が笑顔のアップで)奈良ドリームランズ! 小鳥猊下であるッ!

 スキル3にタマゴ15個つっこんで、「まさかこっからカケラとか要求して露骨な足止めなんかしないよねー」などとヘラッていたら、次の必要素材欄に金平糖15個が輝いているのを見て謎の感情が高まり、思わずアイホンのフレームが歪むくらい両手に力が入ってしまった。さすがにPS4のコントローラーとは値段の桁が違うので思いとどまったが、しばらくエフ・ジー・オーとは距離を置くことにしたい。諸君のフレンドにレベル100スキル7/7/10のアビー(辞任しないほう)を見かけたら、運営の無理解にセレストリアル・ラブを中絶させられた紳士がいたことを思い出して下さい。

 うん? 今回のイベントの感想? んもう、あえて言及してこなかった理由をわざわざ聞き出そうとしないでよ! 呪いのビデオとか、蓬莱・徐福・不老不死(面白くなりそう!)とか、冒頭とビルドアップの部分は悪くなかったけど、終わってみての印象は、誰かが途中でめんどくさくなって放り投げたのを、別の誰かがひろいあげて尻ぬぐいしたんだなって感じ。前半と後半がチグハグで、伏線とおぼしきものもグチャグチャ。言いたくないけど、どうせまたセイレムのしわざでしょ? ピックアップ2以降、ユーザーがみんなパンケーキ(ときどき徐福のガワ)の話しかしないの、中盤以降のシナリオに見るべきところが無さすぎて、好きなものを悪く言わないよう、うっかり罵倒にならないよう、新規層へのネガティブ・キャンペーンにならないよう、アニバーサリーのご祝儀ですすんで焦点をズラしてくれてるだけだからね。復刻3連発をクソイベ2発でサンドイッチする5周年じゃ、ファンの配慮による優しい世界も長くは続かないと思いました。

 あと、エピローグ部分だけど、1文目から「釈然」の使い方がおかしくて、初見なのにイラッとして全スキップしちゃった。ほらアタシ、二十年間ノーペイで書いてるから、カネもらってる文章がいい加減だと反射的にぶち転がし(buchikoroshi)てやりたくなるのよね。素敵なペッティングを期待してベッドに横たわっていたら、いきなりツメ切ってない指で陰核さわられたんで、思わずキンタマ蹴りあげたって感じかしら。ねえアナタ、月商・百億円なんでしょう? 斜陽の新聞広告なんかにカネ払ってないで、校正の部署とまでは言わないから、それ専門の職員をひとり雇いなさいよ。そのくらい贅沢してもバチは当たらないわよ。いい? テキストにはいちばん気を使わなくちゃダメ! アナタが他のアプリを圧倒できる美点はテキストだけなんだから!(途中から接尾語-deluxeで)。

 小鳥猊下がアビー(議員ではないほう)の最終再臨絵の肩の表現を眺めながら。「うーむ、何を資料にして描いたか確認するのが怖くなってくるようなPDFぶりだな……」

 貴様らはひさしぶりのボックスガチャ登場に甲高い奇声をあげて大興奮のズンドコのようだが、いま小生の気分はたいそう沈んでいる。今後もエフ・ジー・オーを続けていくならば、可能な限り多くのボックスを開け、素材やポイントを備蓄した方がいいのはわかっている。しかしながら、素材と金リンゴを交換するためだけにタンポポのせが如きライン工的単純作業へ費やすだろう時間は、非可換のクリエイティブに身をやつす我が身にとって虚無としか形容のしようがない。この憂鬱の正体は、カンコレのイベントに近い。つまり、効率を追い求めるあまりゲームが仕事とイコールに、主体的な楽しみのはずが押しつけられた義務感になるあの感じだ。ツッタイーを眺めてると、例の環境破壊キャスターを使った伝説級3ターン攻略の動画が上がっててイヤイヤの薄目で見るんだけど、コチャコチャ神経症みたいに何回も何回もスキルボタン押してオーダーチェンジまでしてゼイゼイ言いながら倒してーー古い記憶だけど、MTGのMoMaのプレイングを見てる感じに似てるーードヤッてんのにウンザリする。まえに黒人とアジア人の例えを出したけど、初手ステラからのレベル100エヌ・ピー100バスター・ゴリラ宝具3連発でも同じ3ターンなのよ。これを例えるなら、先に失神した方が負けの24時間耐久将棋戦で相手の顔面をグーで殴ることがルールとして禁じられていないみたいなもの。あと、今回のシミュレーション・パートにしても初回こそ新しいゲーム性に一瞬オッと思わされたものの、エー・アイがアホすぎて、無敵・回避持ちのバスター・ゴリラ2体を吶喊させ、片方をオトリにしてボスへ3回さわるだけのゲームだとすぐに判明してしまった(対人なら面白いかもしれないことを付け加えておく)。これを例えるなら、先に気絶した方が負けの24時間耐久囲碁戦で相手の頭頂にネリチャギをかますことがルールで禁じられていないみたいなもの。

 話をボックスガチャへ戻すが、通常ガチャに払う分の課金でアルバイトを雇って周回を代行してもらうことを真剣に考えるぐらい、自分の手でプレイすることを想像すると憂鬱になり、びっくりするほどやる気が起こらない。え、いつもの家人とやらにたのんで代わりに周回してもらえばいいじゃないですか、だって? バカモノ! 二次元女性の痴態と嬌声に三次元商売女の一時的なそれらと同じだけのカネを支払うような異常なゲームをやっていることを身近なだれかに知らせるなんてできるわけないだろ! おたく趣味への世間的な態度はビー・エル・エムと同じで、みんな強い差別心を公では表明できなくなってるだけだろ! 「おたく趣味はすでに市民権を得てまして~」みたいに出ッ歯の裏声でヘラッてるから、アンドロフォビアの自称・活動家に発見されて粘着されたあげく、おまえはおまえでいつまでもホーム・アローン(婉曲的な表現)なんだよ! おたく趣味を身内にであっても一切表明せず、なんなら死後に遺品で判明するなんていうのは、当たり前の現実認識から来る常識以前の処世術だろ! エヌ・ダブユ・オーの読者なら、いい加減に覚えてくれよ!

 うん? 最近エフジーオーの話しませんね、だと? エセ関西弁がしばらくのマイブームーー少なくない数を敵に回したようだーーだったこともあり、ふつうに読める内容の細かな瑕疵を、わざわざ文字化することもなかろうと考えていた。よって、これから記述するのは深夜のファミレスで気のおけない友人とダベる席での、朝日とともに消えてしまうようなたわごととして聞いてもらいたい。なに、そういうのにぴったりの新機能があるんですよ、だと? たわけが! なぜか俺のツイッターには貴様らが激しく言及しているところのフリーセックスだかわんぱくフリッパーだかいう機能が実装されておらず、キツネにデリケートゾーンをつままれて(ひぎぃ)いるような気分である。邪馬台国はよかったです。技巧に走らず修辞を飾らず、シンプルなテキストで最小限を語る。話の落とし方が本質的に4コマ漫画で、もうちょっと読みたいなというタイミングでバサッと切るのが、ふつうのテキスト書きにはない個性で面白かったです。んで、いまやってる潜水艦のイベントですけど、めずらしいことにだれがテキストを書いたかあらかじめ明示されてて、よっぽど自信があるんだろうなと思いながら読みはじめました。冒頭はジェネリック・ファンガスといった感じで読ませるテキストと感じましたが、後半の解決編へ進むにつれて語彙選択の硬軟でファンガスより硬を選ぶ比重がかなり高い(2部3章ほどではない)ことが気になりだし、それに加えてかゆいところをかいてくれないもどかしさがつのるようになりました。「そこもうええから、もっと説明せなあかんとこあるんちゃうか?」って感じです(関西弁をすいません)。良いシナリオって、読者がかいてほしい「かゆみ」の個所を適切な強さで「かゆみ」が解消するまでキチンとかいてくれるかどうかが最大のキモだと思うんですよね。今回ファンガスのジェネリックを体験して、ファンガス本人のテキストがいかに適切な語彙で必要な個所を過不足なく説明しているかがわかりました。その点だけはよかったです。あと、ミステリー的な仕掛けについても、その結論に至る伏線を説明してくれるんですけど、納得感がないから驚きにつながらないんですよね。「いや、そらわからんやろ、ちょっと無理があるで。わしらキミのオナニー見るために高いカネ払っとんちゃうで」というのが正直な感想です。星5を同時に2体もガチャへぶちこみ、高いカネを払わせるイベントになっているから、なおさら読み手の視点は厳しくなります(下品な関西弁はすいませんでした)。まだ第5幕と終幕を残している段階での感想なので、この印象がくつがえるのを強く期待しています。

だい5まく いま くりあした

しょうぎばん が ごばんだったってゆうの
げーむしすてむで ひょうげんしとけ

すきゃんのはんい と しょうぎのこまのうごき
ぜんぜん かんけいなくて がっかり

それと フランちゃんの きゃらぞうけい
すぱいあんどふぁみりー の えいきょうか
べつじん れべる

でも かわいいから ゆるす

 潜水艦のやつクリア。終幕のどんでん返し(知ってた)から、楊貴妃が手元にあって嬉しいキャラに化けたのはとてもよかったです。ファンガスのお気に入りの知性を下げず対等に会話させ、説得力を保ったまま少し押しこんで話を終えたのには、確かな筆力を見ました。あのキャラってファンガスにしかさわれないと思ってたので、どこまで監修が入ってるかはわかりませんが、本当に信頼されてるんだなーって感じました。何かを持ち上げるために何かを下げるのって最悪(おまえが言うな!)だし、アホのメンヘラ女が自傷で主人公に記憶されたい(第2部5章前半かよ!)みたいのも本当に気持ち悪いですからね! あと、最後の種あかしなんですけど、クトゥルフ神話のコアなファンは口の端を歪めてニヤニヤしながら「ア・ハーン」って感じなんでしょうけど、こちとら黒の断章と邪神伝説シリーズと輝くトラペゾヘドロンの知識しかないので、固有名詞を伏せられたままでは何のことやらサッパリわかりませんでした。

 「あれッスよね、サイバーパンク2077みたいなスゲーのが8,000円ぐらいで遊べるのを考えたら、FGOの星5一体に1万円とか払うのが馬鹿らしくーー」

「……高くない」

「え?」

「考えをあらためたまえッ! 伊吹童子に1万円は、けっして高くはないッ! 私は3万円はらっても一向にかまわんッ!」

「で、でも」

「たしかに君の言う通り、本編に登場した伊吹童子なら、聖晶石3個でもおしいくらいです」

「い、言ってません。言ってない」

「恨むなら、このキャラの魅力をシナリオ上で百分の一も描写できなかったライターの無能を恨みなさいッ!」

「言ってないよーッ!」

漫画「鬼滅の刃」感想

 いまさら、オウガ・デストロイング・ブレイドを読む。端的に言って、とてもおもしろかった。ひさしぶりに現実を忘れてフィクションに浸ることができたし、何よりいまを生きる子どもたちがこの作品を支持しているという事実に、胸を熱くさせられた。好ましいのは、人気の出た作品が長く連載を継続するために、設定や感情の隘路へと入り込んでいくのに対して、本作は乾いた筆致のまま、わずか二十巻ばかりの地点ーー昔人の感覚だと、これでもまだ長いがーーで物語をたたみにかかっているところだ。ジュブナイル作品は、子どもがその属性を失う前に語り終えられることで、その時代にしか心に刻むことのできない何かを永遠に彼らへ残すことができる。ネコ型ロボットや海賊ゴム人間やポケット内の怪物は、かつて子どもだった誰かが、己にとって重要だった感傷を後から来た小さな存在へ押し売りする装置と化してしまっており、言い過ぎを許してもらえるならば、ときに子どもへと害を及ぼしてさえいるように思う。

 さて、現代日本において最も重要な作品の一つであるFGOのテーマが「善と超克」であるのに対して、本作のそれは「利他と継承」だと指摘できるだろう(「快活なユーモア精神」も両者に共通している点だ)。善については、何度か話をしてきたと思う。この世界の半分は善で成り立っており、そうでないもの(悪とは言わない)と、常にほんのわずかの差異で過半の境界を拮抗している。そして、善は基本的に観測できない。新旧問わぬあらゆるメディアという間接的な秤では、微小な善の放出を測定することができない。十年、二十年と生活や空間を共にしてきた誰かが、ふとした瞬間に漏らす吐息のような形でしか、善を見ることはできないのだ。その、2つの主観が科学のような客観に転じるほんのわずかな一瞬にだけ、私たちは善なるが確かに実在することを信じられる。FGOで描かれる善は、この意味での善だ。宇宙の多くを占めながら極めて観測の困難な、存在を予想されたあの昏い物質のように、善は見えねど善はある。ファンガスを読むと、繰り返しの日常の中に消えていくその感覚が鮮やかによみがえる。そして利他もまた、善と同じ性質を持っている。特に、ネット上に蔓延する利他のような何かは、すべて偽りと考えていい。なぜなら、自己愛は言葉にできるが、利他は行為そのものでしか表せないからだ。そうそう、自己愛と言えば、「弱くて可哀そうな自分をいたわれ」と叫ぶ鬼の、見開きによる回想はすごかったね! 我が身をふりかえって身につまされたし、何より凡百の長期連載作家なら、あれだけで十週くらいは引き伸ばしそうだーーおっと、話がそれた。

 オウガ・デストロイング・ブレイドがこれほどの人気を博しているのは、キャラ立ちやアクションの魅力だけでなく、意識的にか無意識的にかは知らない、全編にわたって通底する「利他と継承」というテーマに子どもたちが共鳴しているからだと思う。老人は言わずもがな、「大人」を喪失したこの世界で、行動の規範を求める子どもたちが虚構のキャラのふるまいから、それを学べるのだとしたらーーもしかすると未来は思ったより悪くない方向へ進むことができるのかもしれない。

 ともあれ、クロコダイルか、その名前、確かに覚えたぜ! へへッ、ファンガスといい、とんでもないヤツらと同じ時代に生まれちまったもんだ……(十年前の黄ばんだ同人誌ーー善と継承がテーマーーを握りしめながら)

  現代日本における基礎教養とやらであるところの「ゴム人間」について無料公開を聞きつけて、幾度目の挑戦だろう、第一話からのマラソンを開始した。そして、これまた幾度目の中絶だろう、またも嘘P団解散後のバトルあたりで読むのをやめてしまった。あと、現代日本における常識とやらであるところの「王国」読破チャレンジにしても、コココの人が死ぬぐらいでいつも挫折してしまう。両者に共通するのは何かと問われれば、キャラの魅力とまでは言わない、主人公の強さに説得力を欠いている点である。すなわち、被ダメ/与ダメに関してシステム(=作者)の補正が強すぎて、フェアなバトルになっていないのだ。その点、話題のオウガ・デストロイング・ブレイドは、ゲーム的な想像力でバトルを組み立てていることもあってか、非常にフェアな攻防だと感じることができる。なぜ突然、こんなことを話しているかと問われたら、FF7Rの裏で某ミニの天外魔境2を少しずつ進めており、改めてシナリオの進行とほとんど一体化したゲームバランスの妙に、ひどく感心させられているからである。でも「人肉」や「オカマ」はOKで、「キンタマ」がNGなのは意味がわからないなあ、と思った。

 鬼滅、おっと、オウガ・デストロイング・ブレイドの最終回(と作者の性別?)が話題のようだが、この内容は読者やファンに向けられたものではなくて、作者自身がするキャラクターに対しての罪滅ぼしというか、過酷な結末を強いてしまったことへのねぎらいなのだと思う。一流の彫刻家や仏師が言う「素材の内側に元から存在しているものを削りだすだけ」「それが外へ出てくる手伝いをするだけ」といった感覚に似て、自分がどこか別の世界に存在するキャラの依り代となって、彼らの生き方を自動書記的に写し取るようにストーリーを紡ぐという語り手がいる(特に女性に多いように思うが、小説家なら中期までの栗本薫とか、漫画家なら高橋留美子とか)。この作者にはたぶん、虚構にすぎないはずのキャラクターたちが、現実の人間と同じ重さで実在しているように感じられているのだと思う(そして、その感覚が作品の魅力につながっている)。だからこそ、蛇足のそしりを受けてでも生命を賭して戦った彼らへ、最後に救いの安息を用意したかったのだ。別の書き手、例えばファンガスだったら死を死として、喪失は喪失のまま提示してーーそれでも、網膜を焼く生の輝きを残しながらーー終わっただろうが、これは優劣の話ではなく、資質の違いだとしか言いようがない。私は、この結末を肯定する。最後までおのれの子らを商品として差し出さず背後に守り切った、生むものの矜持に拍手を送りたい。

 正直なところ、これまでツッタイーではニュースをななめ読みするぐらいで、自分のツイートとそれに対する反応にしか興味は無かった。しかしながら、「いいね!」を解禁して他者のツイートをじっくり読んでみると、興味ぶかくないこともない。最近は、どいつもこいつもオウガ・デストロイング・ブレイドの人気にあやかって関心を得るため、興味もないのに言及しまくっているのがほほえましい。もちろんインタレスト・ルンペンである私もあやかりたいので、諸君のツッタイー仕草に従うこととしたい。

 以前、鬼滅の刃が子どもたちに人気を博しているのは、「利他と継承」というテーマへ向けた無意識の共振が理由だと指摘した。「大正浪漫」「不老不死」「吸血鬼」「太陽の克服」「剣術」「呼吸法」といった、少年漫画的に使い古された題材を用いながら、私が突出してユニークで魅力的なモチーフだと感じたのは、「善悪を超越した巨大な才能の存在」である(才能はある閾値を超えると善悪の分別を超越する)。じつを言えば、ツッタイーで月曜日に行われるネタバレでこのキャラを知ったことが、作品に触れてみようと思うきっかけであった。究極の生命体と多数の人間たちによる争いの構図が、一個の天才という集合へ要素として包括されており、彼は世界を鳥瞰する神の位置にいながら、自らの才をつまらぬものと断じ、おのれの人生を失敗だったと悔いている。才能とは、「なぜ他人にはこんな簡単なことができないのだろう」「こんな児戯に賞賛や報酬の生じることがむしろ申し訳ない」と思える何かのことで、作中の彼のふるまいは正にこれを裏書きしている。賛否両論の最終回も、「永遠の生命」と「究極の天才」だけが輪廻から外されていることを暗に示すためだと考えれば、諸君の解釈も変わってくるだろう。いまなぜか、かぐや姫の物語を見たときの感想に、「つがいを得て子を成したものが地上で輪廻の輪に乗り、そうでないものたちは月へと帰る」と書いたことを思い出した。

 ところで、ほんの二十年ばかりテキストサイトを続けるだけの簡単なことを、閉鎖したり商業デビューしたり生命を落としたり、なぜみんな実践できないのだろう。金銭が発生したことのない文筆はこの世に存在しないも同じで、結局、私はテキスト書きとしては失敗した。その深い悔恨を抱いて、生きている。

ゲーム「FGO第2部第5章」感想

 FGO第2部第5章、ぼつぼつ進めてる。導入はさすがの面白さだったのに、いまアルゴノーツご一行あたりだけど、びっくりするほど低クオリティでイライラしてきた。おそらく、中盤はファンガス監修の手が回っていないんだろうな、と思った。後半の巻き返しに期待します。

 FGO第2部の最重要イベントであるドクターとの再会と、あれだけ強キャラを強調してきたカイニスの消滅を、こんな低クオリティで済ませてしまっていいの? 章の冒頭でブリテンの空想樹が伐採済みだったり、ファンガスに健康面で重大な問題が生じたか、生存を疑わせるレベルで深刻に心配なんですけど!

 FGO第2部第5章、いまのところ全体的にすごいどうでもいい。でも、これまでにすごい課金してるから、しかたなく読まされてる感じ。望月千代女も、別人レベルでキャラがちがってて、見ていられない。月商・百億円でこのていたらく、ひどい。

 え、ギリシャの神々が機械って、そんな設定どこに書いてあったの? 唐突すぎて絶句する。もうさっさと終わらせたいのに、言葉が汚い上に話がチンタラしてて、続けて読む気になれない。このマンぐり返しみたいなキャラ推しも、いい加減うざい。

 ふつう、あれだけハードル上げた最強万能キャラの章なんだから、ファンガスが書くだろうと思うじゃないですか、ふつう。第5章、これまでのところ、課金する気が1ミリも起こらないことだけが唯一の美点。何年でも待つので、ぜんぶファンガスのライティングでお願いします。

 そっかー、ナノマシンかー、さくげきじょうのもうてんだったなー。ナノマシンなら、おちんちんだけじゃなくって、せんすいかんもおっきくなっちゃうのは、なっとくだよなー。しょうがないよなー、ナノマシンだもんなー。よい大人のnWo 枯痔馬酷男(3)

 FGO第2部第5章、気難しいテキスト目利きの諸君は嫌気がさして、読み進めることをあきらめたのではないかと思うが、クライマックスでまたファンガスの魔力がテキストに戻ってくる。第24節までを全スキップしてもいいから、第25節以降だけは読むといい。第24節まではキャラ全員が同じ自意識と語彙(汚い)レベルで繰り広げるワンピース的な胸やけ感動(仲間、絆、恋、ヤンキーなら泣く)の押し付けに辟易していたが、第25節の後半を境に質が変化した。オリオンの最期に至るくだりは、卑小な日常を越えた人間の高潔さーーそして、愛ーーへの賛歌であり、正しくFGO的なメッセージだった。その監修の確かさに、ファンガスへの信頼を改めて厚くした。彼ならばきっと裏切らないだろうという期待こそが、このゲームを続けるもはや唯一の理由である。この一節への敬意を表するために、いくばくかの課金をしようと思う。ブラヴォ、FGO! ブラヴォ、ファンガス!

 あれ、でもエウロペ? エウロペはどこへ行ったんですかァーーッ! またボクをだましたなッ、ファンガスゥーーッ!

ゲーム「グリムドーン&FGOクエスト」感想

 令呪(れいわ)! 小鳥猊下であるッ!

 最近ではもっぱら、グリムドーンをプレイしている。ディアブロ2の良い部分をディアブロ3のシステムで再構築した感じで、プレイフィールがたいへんによろしい。正直なところ、ラダーとかシーズンとか、充分なプレイ時間が確保できない社畜にとって、先頭集団に追いつかねばと気ばかり急かされる辛い要素でしかない。それがないだけで、たいへんに心やすまる。世間的には周回遅れであろうと、自分のペースでポツポツ進めることができるのは、ありがたい。

 「気ばかり急かされる」つながりで言及しておくと、今回のエフジーオーのイベントと恒例のエイプリルフール限定アプリを順に体験し、私はなんともそら恐ろしい気分にさせられた。プログラマの技術力よりファンガスの思い描く設計が優越する暗転まみれの大奥に、数ヶ月にわたる制作の労を24時間でご破算にするFGOクエスト。そもそもエフジーオーにもっともカネを落とす年齢層が、年度初めの平日にドラクエ1と同規模のゲームをコンプリートできるはずがない。ファンガスはそれをわかっている。わかっていて、かくあるべしという己の想いを優先しているのだ。クリエイターとしてのこの傲慢さは例えるなら、庵野秀明が描いた緻密な軍艦の絵を、夜間だからの理由ですべて黒塗りに演出した高畑勲の領域にさえ到達している。

 予言しよう。現在進行中の第2部が終われば、どれほどの収益があろうとも、どれほど皆が哀願しようとも、エフジーオーが二度と起動できなくなる未来を。そう、まさにエイプリルフール限定のアプリのように。

 私は、ファンガスのそんな傲慢さを愛する。逆にそうならなければ、彼を軽蔑するだろう。だからこそ、いずれは無に帰すこの沼へ、カネを注ぎ続けるのである。

 え、今回はどのくらい注いだんですか、だって? 一千万プレイヤーかつクリスチャンの俺様にとっては、十分の一税にも満たぬビー・ケー・シーに過ぎぬわ!