猫を起こさないように
ゲーム「2021年のFGO」雑文集
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ゲーム「2020年のFGO」雑文集

 鬼一(キーチ)VS

 FGO、カレンというのは過去作の人気キャラのようですね。冒頭部分のシナリオがファンガス直筆なので、もちろん引かせていただいております。ギャグ時空でのファンガスの文章はおそろしく精緻で、ほとんど凝視しながらゆっくり読み進めますが、一文字たりとも改変の余地がありません。感嘆のため息が出ます。いまは失われた、薄いナイフの刃さえ通さない、古代の石垣積みの技術のようです。FGOのガチャ、少なくともここ半年は課金していませんが、新規の星5はすべて持っています。法具レベルにこだわりがない(1で充分)のと、サービス開始当初からプレイしており、最近のガチャは復刻が優勢で新キャラの投入が間遠なので、配布された石とか呼符だけで引いてしまいます。おや、「引けて」ではなく「引いて」と表現したことが気にかかりましたか。FGOのガチャは漫然と引くのではなく、意志を持って引くのです。詳しくは、この記事をご覧ください。これ以上の戦略は社外秘となりますので、萌え画像を寄贈いただいた方にのみ、特別にお伝えしております。寄贈先はこちら(geikakotori@gmail.com)。

 油断すると手がエヴァに関する文章を書き始めてしまうため、気持ちをもぎはなすようにエフジーオーのイベントをやってる。テキスト部分のボリュームこそ少ないものの、各キャラの特徴をブレずに芯でとらえた、ファンガスの手による正しいギャグ時空で、最後にはちょっとシリアスからの、ホロリとさせる落とし方もうまい。フランケンシュタインとかピグマリオンとか、「人形が魂を得る」というモチーフーーつまりは、支配的な親と隷属する子どもーーに昔から弱いこともありますが、ありていに言ってとても感動しました。しかしながら、クリア後の裏面が丸々100階も用意されてるのには、サービスのつもりかもしれませんが、正直ゲンナリです。所持サーバントの数が多いほど有利になるのは古参への目くばせでしょうけど、実装されたキャラは90%近く持っていて、NP100礼装も3枚そろってて、120円玉も躊躇なく連コインできる富豪の私でさえ、こんなにもプレイするのがダルい。いい加減サブスク方式でいいから、宝具スキップさせてよ、もう! このイベント、新しく入ってきた人はどんなふうに感じてるでしょうね。ウマ娘やりてーなー、とか愚痴りながらテキトーに編成して宝具ボタンを3回押す作業を延々と繰り返すのって、まさに「コンコルド効果」の最たるものですよねー。

 FGOの例のSLG、AIのアホさをマップの形状でカバーしたりして、だいぶ中身がこなれてきたんですけど、歯ごたえが高まれば高まるほど、べつに私はこのゲームをプレイしたいわけじゃないなー、報酬のために消化するのがただただめんどくさいなー、という気持ちになってきました。小鳥猊下です。

 とばっちりだけど、FGOも宝具スキップが無いという点だけで、一定数の客を失ってしまっている気がします。ウマ娘のスキル発動で「1日1回だけフルで見せて、残りは短縮表示する」みたいな設定があるんだけど、これを見習うといいんじゃないでしょうか。

 FGO第2部6章、ひさしぶりに星5を引けなかったが、ダビンチちゃん、おじいちゃん、キャスドラゴンちゃんはすでに弊カルデアへの招聘を済ませている。つまり、今回のハイペリオン的な巡礼の旅へ参加するメンツに過不足は無く、序盤の現在で、神造兵器「ユキチ・フクザワ」を投入すべき理由は皆無だ。それどころか、すごい勢いで宝具が回転しまくるため、120円玉の連コインさえまったく必要ないぐらいである。しかしながら、半年にわたってシンエヴァへの呪詛を吐きちらしている裏で、ファンガスがかような物語をコツコツと紡いでいたかと思うと、己の不明を恥じ入ることしきりである。ていねいに文字数を費やして、あるキャラクターとその背景をビルドアップしながら、たった1行で殺す。そのするどい切れ味には、なまくらな物語への自分語りでひん曲がった背筋が、すっくと伸びる思いです。

 FGO第2部6章、ときどきマテリアルに戻って再読したりしながら、一文一文を読み落とさないよう解釈しつつ、ゆっくりと進めてる。ファンガスの語る設定のみがこの世界における真実であり、その意味で他の書き手とは一文に込められた情報量がまったく異なるからだ。そして、第1部7章にも感じたことですが、本当に彼はFC・SFC時代のRPG的な組み立てが好きですね。まだ序盤ですが「妖精たちとゼロから始めるアーサー王伝説」といった切り口で、どのような終局へと突き進んでいくのか、大いに興味をかきたてられます。処女作に厚みを持たせるために用意された、作品内に直接は登場しない世界設定集ってあるじゃないですか。例えば初期のランスシリーズがまさにそれで、あちらは30年かけて設定のほぼすべてを作品内で回収しました(余談ながら、回収しなかったのが「スレイヤーズ!」で、回収できなかったのが「ベルセルク」)。型月世界っていうんですか? wikiを眺めると、コアなファンだけが知っている世界設定が無数にあって、でもファン自身も肝心の書き手が一人しかおらず、しかも超遅筆なこともあいまって、どれも回収されることなく終わるんだろうなーって、薄々どこかで感じてたと思うんです。それが、FGOのすさまじいヒットーーコアなファンのものという枠組みを越えて、無印Fateを「長いなー」と感じながら、王様の話だけクリアしたぐらいの人物にもリーチしたーーで状況が大きく変わった。書き手が目に見える巨大なカネによって評価を実感し、物語をつむぐスピードを急加速させたのです。noteに数百円くらいを課金されただけでうれしくなって何か書こうと思うくらいですから、百億円など売り上げようものなら、「この物語を紡ぐことは、時代が私に要請する使命だ」ぐらいに考えても不思議はありません。

 さらにFGOの大ヒットがプラスに働いたのは物語スケールの転換で、それまで書き手がどこかで囚われ、無意識の枷としていた「ある地方都市での伝奇譚」というくびきから、完全に解き放たれた点だと指摘できるでしょう。日常的な生活の舞台では披歴のしようも無かった設定を、人類史にまたがるFGOの物語スケールなら回収することができる。第1部6章、7章、終章と物語を進めるうちに、書き手がそこへ確信を深めたのだと推測します。第2部4章、5章後半(前半はクソクソのクソ)、そして公開された6章と、どんどん世界の謎の深奥へと接近していく手触りがあります。「星の内海」とか、字面を眺めているだけでもワクワクする。

 ただひとつ残念なのは、「スマホで読む世界文学」として胸を張って推奨できるFGOも、アニメ化されるとなぜかパッとしなくなってしまうところです。どれも恥ずかしくて、人に薦められないものになっちゃう。直近の第1部6章映画化の興収も、ファンの感じているこの空気を裏付ける感じで推移しているように見えます。これは、RPGでいうところの序盤から中盤を丁寧に描写したいファンガスの資質ーーそれが終盤の爆発的カタルシスにつながるーーを、前編・後編という長さに落としこんだ結果、映画としては間のびしてしまったからだろうと思います。ファンガスのシナリオを刈りこんで、映像作品として再構成し直す手腕を持つ人物が必要なのでしょう。ともあれ、第3部に懐疑的な私は、「罪と罰」の雑誌連載をリアルタイムで追うことのできた読者の気持ちで、残りページの方が少なくなった物語を惜しむように読み進めている次第です。

 FGO第2部6章、6月実装分までクリア。前後編に分割するというから、FF6でいうところの世界崩壊のようなマップが激変するイベントが区切りになるのだろうと勝手に想像していました。「モルガンは中ボスに過ぎず、ラスボスの顔見せで引き」みたいに、演出のための前後編だと期待していたのです。そしたら、なんとも中途半端なところでストーリーがブツ切りにされていて、単純にテキスト・ライティングか演出の実装が間に合っていないだけのことが露呈しました。ファンガスの筆ならいくらでも待つので、こういうしょうもないところの印象で作品の価値を下げない方がいいですよ。誤解のないよう言っておくと、ストーリー自体はさすがの面白さでした。

 アヴァロン・ル・フェ、聖杯の入手までクリア。現段階の感想としては、「はァ? 重課金ユーザーを虚仮にすんのも、ええ加減にしとけよ。情動オナニーの絶頂を寸止めされんの、すげえイラつくわ」。

 ひと晩たってアルコールも抜け、冷静になったのでFGO追記。第6章全体の感想はエピローグまで終わってからにしますが、「カルデアの存在が人類史における剪定事象」という結論に向けて物語が進んでいる気がします。「FGOの冒険はすべて無かったことになる」のが、サービス終了と同時に描かれれば、この上なく美しいエンディングとなるでしょう。全盛期より売り上げを落としたとは言いながら、複数の会社の存立にまで食い込んだ巨大IPを、クリエイターの一存で終わらせることができるのかという難題は残ります。しかし、ファンガスは書き手として、「美しさに抗えない人」だと思うのです。彼が一貫して描いてきたのは、「いちど失われたものは取り戻せず、残された美しい思い出こそが人の崇高さの証である」というメッセージです。はたしてFGOは、「大きな喪失感とともに、ユーザーの記憶にだけ残り続ける気高い物語」として終わることができるのでしょうか。

 FGO第2部6章、演出かライティングの実装が間に合っていないか、ファンガスがエゴサで阿鼻叫喚の感想を読み漁りたいか、いずれかの理由から再びおあずけを食らっているため、溜まりに溜まった「幕間の物語」をイヤイヤ読んでる。体感で98%以上がハズレのテキストで、自分が頭の悪いジャリ向けの集金アプリにいれあげていることを改めて突きつけられ、暗澹たる気持ちになってくる。そして、見かけは渋面のまま心を弛緩させていたら、カイニスの幕間がファンガスの筆で書かれていて、涙腺にクリティカルヒットした。これがあるから、すべての「幕間の物語」にとりあえず目を通さないわけにはいかないのです。おそらくFGOユーザーのうちの少なくない数が、「あとで読むから」と言い訳しながら、報酬やスキル強化のためだけに幕間を全スキップしてると思うんですよ。そうして、アプリ外で行われる可処分時間の戦争から、あとで読まれることは決してない。カイニスの挿話とかが多くの目に触れず消えていくのはあまりに切ないので、ファンガスが書いた幕間だけ金枠とかつけて明示してはいかがでしょうか。星1と星5しか入ってないテキストガチャを延々と引かされるの、いい加減しんどいです。

 FGO第2部6章読了。古くからのFateファンは「来い、キャスター!」にウレションしてるんでしょうねー。詳しい感想は、また後日。それにしても、「成長や到達に、意思や信念が伴うことへの疑念」って、無印Fateとは真逆のテーマになってて、これは奇しくもファンガス自身が英霊(筆一本で百億を叩き出す、テキスト界のスーパースター!)と化した事実に呼応していると感じました。そして、「物語を現実の下に置き、現実の高所から物語を批評して、語り終えた物語は忘れられる」という恨み節は、シンエヴァへ向けられたものでしょう。あんなアンチ・フィクションが、「忘れられずに残る」ことが許せないに違いありません。知らんけど。

 第2部6章、気になった細かい点を2つ。モルガンとパーヴァン・シーにまつわる顛末がまったく無かったのには、少し拍子抜けしました。ケルヌンノスの神核が剥き出しになったところで、その挿話がネットリ始まると思って身構えていたのに! まあ、パーヴァン・シー自体がどこまで行っても「自傷行為をやめられない十代の少女」を拡大したキャラでしかなく、この母娘のすれ違いを新たな厄災として詳細に描写する意義が、いまのファンガス(アラフィフくらい?)には、もはや感じられなかったのかもしれません。期待の超大型人非人・ベリルに関して、マシュの過去(と純潔)を汚さないため、持ち味のモンスター感が大幅に抑制されてしまったのには、残念の一言です。彼の退場に漏れた声は、「え、それだけ?」でした。ここはまあ、二次創作で盛大に補完されることを期待しましょう。

 FGO第2部6章の感想、もっとくわしく聞きたい?
 よかろう、続けたまえ。当方に、拝聴の準備あり。60%
 まだクリアしてないんで、しばらく待って下さい。6.7%
 シンエヴァへのディスりが聞けるなら、あるいは。33.3%

 アンケート結果を見ると、まだクリアしていない方がおられるようなので、今晩まで待つことにします。5時間が秒で消える戴冠式なので、安心ですね。

 そうそう、こないだFGO6周年でレベル上限が120になったじゃないですか。「よーし、6年連続ログインしている重課金者のたしなみとして、パーフェクトキャラを作っちゃうぞー」などと息まいて、さっそく1体レベル102にして星5種火を20個つっこんだら、経験値ゲージが数ミリしか動かないの。これってつまり、新設された星5種火周回を数百回単位でやらないと最大レベルにはできないってことなのね。まあ、今回の成長要素追加って、対人要素があるわけでもないし、運営からのサービスの側面が強いと思うんですけど、正直なえました。戦術や敗北の要素が絶無の種火周回って、虚無そのものの作業じゃないですか。せめてこのタイミングで宝具スキップをあわせて導入してくれていれば、印象も違ったように思います。などと愚痴りながらも、じつは1キャラだけレベル120に到達してるんですよねー。唐突にFF11の近況報告をしておくと、3キャラ目が仕上がってきたので、ラスボスよりも強いカニと魚で延々とジョブポ稼ぎをやっています。1キャラ目と2キャラ目のウェポンスキルで連携つくって、3キャラ目でマジックバーストを2回いれる作業でけっこう忙しいんですけど、慣れてくるとTP待ちで手と脳がヒマになる時間が数秒あるんですよね。この隙間にFGOの星5種火周回を入れると、ピッタリとハマりました。休みの日も業務が頭に浮かぶタイプの社畜なのですが、完全に思考を消した作業マシンと化すことで、ひさしぶりにノーストレスの時間を過ごすことができました。ジョブポ500くらいのキャラがカンストするのとレベル120到達が同時くらいでしたので、まさに「いにしえのMMORPG」と同水準のタイム・コンシューミングな延命方法だと言えましょう。FF11に関わったスタッフがFGO関係者にいるみたいな話をどこかで目にしたことがありますので、今回の仕様もむべなるかなといったところでしょうか。第2部の終わりで所持サーヴァントごと新アプリへと移行させるとき(風説の流布)には、宝具スキップを含めて感性をアップデートしてほしいものです。

 ゲーム「FGO第2部6章」感想

 FGO夏イベ、かつてのテキストサイトを思わせる悪ノリ文章がたいへんに面白く、まさしく年に一度のお祭りって感じで大いに楽しんでいる。しかしながら、このイベントの真の目的はダビンチさんを配布することにこそあるのだと指摘しておこう。え、アヴァロン・ル・フェが終わったのに、ダ・ヴィンチ表記に戻さないんですかって? バカヤロウ! 俺が彼女に向ける視線は、いわば矢吹丈を見つめる鑑別所のモブ、妖精国のマイクさんのそれと完全に同化してしまってんだよ! あれだけ何度も意味深にピックアップしてきたのに、いまだにライダビンチさんを引けていない甲斐性なしのボンクラどもへ業を煮やしたファンガスが、ただあとから奪うためだけに水着ダビンチさんをてめえらに下賜くださってるんだよ(この文、傍点付き)! 第2部7章でダビンチさんが「いなくなる」ことは、これまでの伏線から考えれば、ほぼ確定の事項であると言えるだろう。「盛夏の滅び」は、本邦に生を受けた者たちの心性に深く刻まれていて、それはもはや無意識の願望と近いところにある。軽躁的なテキストの裏にひそむ寂滅を感得しながら読むことで、今回のイベントはあとになってから重層的な意味をもって、我々の胸へとよみがえるだろうことを予言しておく。

 FGO夏イベ、メチャクチャ面白いなー。これまでさんざんヘイトを集めてきたFGO随一の嫌われキャラであるコロンブスを、開き直ってヘイト方向へと突き抜けさせることで逆に笑わせたり、ファンの反応をキッチリ織り込んで話を作ってきてる。黒髭のメタっぽい発言やギャグもすごいノリノリで書いてあるし、リアルタイムで追いかけないと本当の意味では体感できない面白さで、いままさにいっしょに物語を紡いでいる感じがすごくするなー。個人的に大ッ嫌いだったマンぐり返しとメンヘラ自傷女を魅力的なキャラに描きなおしているし、まさにノムラならぬファンガス再生工場と言えましょう(清少納言が生き生きと活躍していることと、「だぞぅ!」語尾が確認できたので、メインの筆は彼で間違いない)。ピックアップ2、はやく来ないかなー。

 FGO夏イベ、オールクリア(たぶん)。一糸乱れぬギャグ時空からの、完璧な遺言でした。彼女はこの記憶があれば、贋作として生きた己の短い生を肯定できるでしょう。蛇足ながら指摘しておくと、ダビンチさんの宝具演出から推測して、初期プロットは多くの恐竜たちと出会うドラえもんの長編映画(プラス、ポケモン)のようなものだったのではないでしょうか。それが、「ダビンチさんの作った精巧なロボット恐竜」という設定に置き換わってしまった。これまた邪推ですが、アガルタかセイレムが預かったプロットで途中まで書き進めてて、監修を繰り返すうちにその中身をファンガスが許せなくなり、最後にはぜんぶ捨ててーー「ええい、カッカソーヨーもいいとこじゃねえか! よこせ、オレがぜんぶ書く!」ーーイチから書き直したのではないでしょうか。だとすれば、夏イベにしては短め(内容はパーフェクト)なのもうなずけるところです。絶対に外してはならないカンどころを外さないのが、FGOの持つ最大の美点であり、ダビンチさんの最後の冒険は、間違いなくその体現でした。これは裏を返せば、キャラクターへの共感であり、敬意であり、愛なのです。シンエヴァが持たなかったすべてを、いまのFGOは備えています。赤い砂浜で静かに眠っていたのを、薄汚いカネもうけのためだけに引きずりだされて、あげくまたゴミのように捨てられてしまったあの少年のことが、どこまでも、どこまでも、どこまでも不憫でなりません。

 あと、大陸版で中華系のキャラが削除されまくってる話ですが、遺憾の意を示したり強く抗議するのではなく、ギャグにせよシリアスにせよ、虚構内でのネタや風刺へと昇華してほしいと願っています。それこそが、我々の現実と並走しながら物語を紡ぐFGOの、いやファンガスの真骨頂ではないでしょうか。

 ゲーム「FGOハロウィンイベント感想」

 FGOのぐだぐだイベント、メイン部分をクリア。おそらく、邪馬台国と同じ「漫画でわかる」の人によるシナリオで、漫画家としての特性が為せる技だと推測しますが、伏線の構成が巧みだし、章またぎのヒキがうまいし、短いテキストでズバッと印象的な場面を作っている。だれ一人として死にキャラを出さず、各人の大義も葛藤も説得力を持って描かれていて、正直なところ強い感動を覚えました。高い更新頻度を求められるスマホアプリに埋め草のギャグ担当で呼ばれていたのが、登板を重ねるごとに少しずつ周囲からの信頼を得ていくうち、次第に開発リソースを多く割いてもらえるようになり、とうとう本イベントで大輪の花を咲かせた感じがします。過去の実績や友人補正から、天下の百億円アプリで無条件に優遇してもらっているにも関わらず、それを意気に感じるどころか、ずっと裏切り続けてきたセイレムやアガルタとは、非常に対照的だと思いました。もしかすると戦国と幕末という制約はあるのかもしれませんが、私の中でファンガスの次に信頼できる書き手になったことをお伝えしておきます。

 FGOのレイド・イベントに「スカスカわんわん1ターンキル」で参加中。分量こそ少ないものの、直近のテキストが尻あがりに良くなっていったので、この年末のお祭りへ参加する気持ちになったからです(まあ、昨日までは仕事上がりにはレイドが終わっていましたが……)。人類悪の討伐が終わるまではインターネットにいますので、一日遅れのクリプレ萌え画像などを寄贈するとよいでしょう。

 FGOのツングースカ読了。単体のシナリオとしては悪くないけど、3年を引っ張った敵役との決着としては物足りないというのが正直なところです。テキストにしても、セイバーウォーズ2終盤のような駆け足感が常にあり、コヤンスカヤを仕留める場面さえ描写が薄くて、イマイチ盛り上がりに欠けました。太公望って、型月世界では歴史のある有名キャラなのかもしれませんけど、FGOから入った身にとってはポッと出の新キャラに過ぎず、カルデアとビーストとの因縁を取り扱う人物としては不適切だと思うんですよ。期待の新人・太公望のデビュー戦に、噛ませ犬でコヤンスカヤを使ったみたいなバランスの悪さを感じました。例えるなら、刑事コロンボだと思って調査パートを見てきたのに、謎解きパートで古畑任三郎が出てきて事件を解決しちゃったようなもんですよ、これ。

 あと、「どうでもいいと思ってるから、キッチリした仕事ができる」というのは、よくわかる感覚だと思いました。それと、もうだれかが同じツイートをしてるでしょうけど、ニキチッチのデカチッチがエロチッチだなーと思いました。