猫を起こさないように
テキストサイト
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雑文「猫を起こさないように(nWo)・復活のテキストサイト」

 よい大人のnWo

 エイプリルフール限定で、伝説のサイトがまさかの復活! 管理職も新入社員も、入社式の合間にチラ見せよ!

 「エイプリルフール限定」というのが、エイプリルフールのネタであったわ! よい大人のnWoは、いつだってオタク諸君にとっての恒常スーパー・ウルトラ・レアであるッ! 読了し、賞賛し、拡散しろ!

 昭和のクドくてカンにさわる、不適切にもほどがあるテキストサイトの大復活を、みたびここに宣言する! 特に、サイト開設日である1999年1月10日から2024年の令和にいたる全テキストを時系列で読めるシン・機能(笑)は、まさに圧巻としか形容できないシロモノとなっている! そして25年という歳月は、一個の人格をいかに一貫性なく変節させていくのかという残酷な事実について、舌でねぶりころがすようにじっくりと味わうと同時に、これだけ書いても一銭にすらなっていない冷厳たる現実へ、心胆を寒からしめるがよいわ! また、この長きをただ沈黙のうちにながめていた、いまやギョーカイのジューチンとなった諸君らも、これが最後のチャンス(人間の耐用年数的に)と心得よ! すなわち、匿名による「におわせ」からの応援や推挙のメッセージ、あるいは萌え画像などを積極的に送りつけていけ!

 小鳥猊下にマシュマロを投げる

質問:2ちゃんねるが滅び、匿名だからこそのオタクの叫びの面白さが消え失せていく世の中、こういうサイトが存在していることに涙を禁じ得ない。
回答:これを思うことと書くことのあいだにある、長大な隔絶を理解しておりますので、貴君の勇気にまずは感謝を申し上げます。現世での実績はだいたい解除してしまったので、かつてインターネットに満ちていた空気感を、最後のひとりになっても守り続けてやるのだと、なかば意地になっている側面はあります。気分は初代ランボーがごときワンマン・アーミーであり、萌え画像の寄贈などがあれば号泣しながらかつての思い出ばなしを始めるでしょう。

雑文「テキストサイト・サーガ実績解除報告」

 シンエヴァの円盤発売に伴って2年前の「:呪」が掘り起こされ、ジワジワと閲覧数が増えているようです。新規フォロワーもチラホラ見かけるので、あらためて自己紹介をしておきましょう。ここは1999年1月に開設したテキストサイト「猫を起こさないように」ーーのちに「よい大人のnWo」へ改名ーーの分社であり、その管理人は詭弁タラコの「2ちゃんねる」より古くからインターネットの深海に生息している小鳥猊下です(例えの通り、現実に引き上げられると口から内臓を吐き出して死ぬ)。自分の中にあるオタク気質を嫌悪するあまり、人生の岐路は常にオタクから遠ざかる選択をし続け、現世に口を糊する裏でオタクへの怨嗟を表明する小説を3本書き、それでも内なるオタクを殺しきれず、いまはエヴァへの愛憎と中華アプリへの礼賛を垂れ流すばかりとなった「なれはて」でもあります。

 しかしながら、長くインターネットを続けていると、ときには望外のすばらしいことも起こります。(突然のドラムロール)このたび、なんと小島アジコ先生に萌え絵を寄贈していただきました! 私の中でテキストサイト時代のインターネットーー個人的な定義は、1999年1月から2000年12月までのワールドワイドウェブ空間ーーと強く印象が結びついている絵師が何人かおり、氏はまさにオレのレジェンド伝説の一人だと言えるでしょう。また、この萌え絵はnWoのトップ画像であると同時に、ある意図をもって作られた現代芸術でもあります。次に鑑賞の手順を示しますので、これに従ってください。

 『56kbps程度までの遅い回線を準備し、夜の11時以降に当該の画像が上部から30秒ほどをかけてジワーッと表示されるのを、貧乏ゆすりでマウスをカチカチ鳴らしながら閲覧する』

 あなたが創造的行為に加わることで、はじめてこの作品は完成するのです(背景に走るイナヅマ、「デュシャーン!」の擬音)!

 今回の寄贈によって、私が20年以上をプレイしているクソゲーであるところの「テキストサイト・サーガ」実績解除が、数年ぶりにまたひとつ進みました。生ウガニクには5年前に会ったし、あとは生ノボルとオフ会して天野大気さんにトップ絵を依頼したら、実績コンプでプラチナトロフィーをゲットだなー(左の目尻に瑠璃色の涙が盛りあがり、やがて頬を伝い落ちる)。

雑文「『なぜ書くのか?』あるいは新規読者への手紙(2022.1.1)」

質問:拝啓 小鳥猊下(猊下って尊称ぽくてこの後に様をつけるか迷うのですが、アカウントへの敬意を込めまして)様

初めから言い訳がましいのですが、猊下のテキストの力強さ、確固たる視点を持って主に批判的にかかられた文章の前にただ無心に頷くことをするばかりで、何度読んでも「熱量、文量、長い文を読ませる技術、とにかくスゲ~」としか感想が出ず、ひっそりと猊下の文章を楽しませていただいておきながら拡散の一つもできなかった怠惰なもやし野郎からの私信になります。

いや、本当にすごい文章で、慇懃無礼な態度を取りながらときに下品、ときに俗的な表現を用いつつ、私にはとても思いつかない表現で猊下の感じたことにまつわる熱量を浴びることができる、いわば「小鳥節」を味わえる機会を得たことは、2021年の収穫でした、本当に良かったです。

大勢の最小公倍数的な感想を最もキレのある言葉で表現できたもの勝ちな風潮の中で、猊下の長文は生き生きとした個人の血の通った文章のように見えました。猊下が紡がれる文中で刻まれた奇妙なリズム、いや脈動を聞きながら(古のインターネットの無礼講的な粗野な温かみを感じつつ)、貴公の文章を、大きな小鳥の懐に抱かれているが如く味わっていた一年でした。辛いとき、寂しいとき、いつもそこにいて確固たる感情を見せつけ、その熱をそっと分けてくれた猊下のnoteに、twitterに、いつも救われていました、ありがとうございました。

具体的な感想が出てこない時点で当方の読解力や記憶力などお察しなのですが、とにかく猊下の文章をとても楽しませていただきました。誰にでもアクセスできる環境においていてくださり誠に感謝いたします。

ことしは例年に勝る寒冬のようです。ご自愛くださいますよう。

読者より

回答:ここは1999年に開設した「猫を起こさないように」というテキストサイトの分社なのですが、2021年になって新たな読者を得られたことは喜ばしい限りです。動きの少ないアカウントに思われがちながら、ヒマさえあればエゴサしたりnote記事の閲覧数を確認したり、「いいね!」がつこうものなら跳びあがって喜び、新規と思われる方のSNSなどは特にじっくりと読みこんでおる次第です。テキストによる発信をいくら繰り返せど周囲の状況は無音に近く、本当にだれかが読んでいるのか、読まれているとして意図は伝わっているのか、上下の区別さえない無重力空間を漂流するようで、ただ狂わずいることにさえ力を使うというのが実際のところです。このたび質問箱へ投稿いただいた感想を読み、大げさではなく薄れかけていた自分の輪郭を上書きされた気分になりました。かつて物語をめざしていた時期はあまりの無反応に苛立ち、ある奇特な御人に完全におんぶだっこで同人誌まで出しましたが、ついに期待したレスポンスは得られませんでした。最近では「感情の記録」「記憶の足跡」として、己が読み返すことを主に想定したテキストを書いています。特に虚構作品への言及は、キチンと調べて体裁を整えれば批評や評論になるのかもしれませんが、知識の不確かさや事実の誤認までもが、その時点での「人格の記録」のような気がするのです。言語を用いて精神のゆらぎを検出し、世界の混沌にあってその均衡を維持する。この意味で、いまの自己認識は「詩人」とでも言えましょうか。テキストで何を志向するかは、この20年でかなり変遷しましたが、「より多くの人に届いて読まれたい」というコアな部分だけはずっと変わっていません。貴君のような新しい読者がさらに新しい読者を呼び、そうして何か化学反応が起きて、新たな状況が生まれればと祈るような気持ちでおります。

雑文「1999年のテキストサイト:関西編(2020.1.5)」

質問:小鳥猊下の1ファンとして心よりメッセージさせていただきます。
 猊下のことを地域格差の物語など無礼なことを申し上げたのは、個人的なテキストサイトと重なる自分の歴史がありました。
 長くなるかもしれませが、取り止めのない自分語りをお許しください。
 1990年代後半より、テキストサイトの更新チェックは一日で一番楽しみという日々を過ごしておりまして、猫を起こさないように、をどこからかのリンクで見つけた時、すでに出来上がっていたテキストのボリュームと、さらにそこから膨らんでいく規模と密度に興奮して過ごしてました。
 どれだけテキストがあれど更新されなければ更新チェッカーに取り上げられず埋まってしまう世界の中でも、一際存在感のある猫を起こさないようにには格別の思い入れがありました。
 当時私は大阪市内のアパートに住んでおり、何かしらの創作で世に出たいと夢を抱いて過ごしていました。
 目指す媒体は違えど、やがては猊下や方々のようなテキストに影響を受けた、大袈裟にいえばテキストサイトの子として糧にして成長していく自分を夢見ていたのです。
 ある日テキストサイト界隈でおおきな盛り上がりがあり、サイト運営者の方が集うようなクラブイベントの話なんかがあって、私の記憶の中ではあの日以来、界隈の意味が変質してしまったように覚えています。
 結局のところイベント開催能力、対人能力、そしてなりより東京に住んでいること、いかに自分がおもしろお兄さんか、それらを高らかに宣言する場のように思えてしまい、今でいえばリア充だの人権だのとそれらを表現する言葉はたくさんありますが、当時はそれをうまく表現する言葉が私にはありませんでした。
 小鳥猊下のことは関西にお住まいであることや、生業の傍らでサイト運営されているということが頭のなかにありました。
 私は関西圏に生まれ暮らし、その文化の中でいきることを嬉しく思っている一人です。
 私は関西に根差し、あくまで中央とは距離を置いた場所で創作や発信をする方に常に尊敬の念があります、
 ただテキストサイト界隈が、関東のテキストサイト運営者の馴れ合いになる中で、猊下はどのようにお考えなのかと思い、自分の心情と重ねてしまったのが当時の私で、その延長に今もあります。
 もしこの質問箱というのが質問を投書するものであるなら、その時期のテキストサイト界隈をそんな目で見てた一読者についてどう思われるでしょうか、ということになるかもしれません。
 確か2001年あたりには逃げるように仕事で千葉に転勤になり、創作の友とも離れ離れになり、ネットからも距離を置いて働くなかで現地で結婚したりなど、もう夢とか創作とか、遠く離れた場所で生きております。
 それも20年のお話でおぼつかない部分、ポッカリ抜けている部分ばかりです。
 「ヘイ、総理大臣官邸かい。今から一時間後、首相をブチ殺しにいくぜ」
 プロフィールにあった、オーガの台詞をスキャンしたコマ、100人オフレポの最後にあるの、様々な思いが入り混じり。
 一切合切を吐き出すようなつもりで書いて、なんの中身もないお目汚しを晒すことになりましたことをお詫びします。
 心より愛を。

回答:長文の質問に対しては、長文の回答で遇したい! 質問箱のクソ仕様による転送が腹立たしいので、ツイッターにて以後の返答を行うこととする!
 「20年が経過したからこそ、書くことのできたファンレター」といった内容に、深い感慨を抱いております。「時間あまりのカネなし文系大学生」に「回線速度の遅いインターネット」という2つの要素が偶然に重なり、極めて特殊な文化が一時的に形成されたーーそれがテキストサイト隆盛の印象です。当世風に言えば「陰キャのコミュ障」が、記述したテキストでならば、だれかに何かを伝えることができる、ただ一つの場所のように感じていました。よく使う例えですが、当時のテキストサイト群は、「私がただ音を発するだけの肉の塊だとしても、あなたは愛してくれるのか?」という馬鹿げた(しかし切実な)問いかけと極めて近いところに存在していたように思います。いま確認したら、ウガニクのホームページの最終更新日は2000年8月19日でしたが、このあたりまでが自分にとっての「テキストが魔法として機能した神代」であり、これ以降は管理者の人物がサイト上のテキストと密接にリンクする「人の時代」になっていく感じです。現実でのイベントによる交流と、管理人同士の人間関係がネット上でサイトの位置を決める。当世風に言えば、「陽キャの高コミュ力」がちやほやされ、アクセス数を稼いでいく。それって現実とまるで同じじゃないかという、陰キャ丸出しの憤慨と反発の気分はずいぶん長くあり、依怙地なまでにテキストだけの活動にこだわっていたことを思い出します。そうは言いながら、何度かオフ会を開催してみたり、たぶんその時期にいくつかの分岐点があったと思うのですが、最終的に変化を選ぶことができませんでした。そして、2001年1月18日に開設されたあのサイトが古のホームページ群をすべて過去のものとし、インターネットに満ちていた神秘のマナの残滓は完全に消滅します(少なくとも、私からはそう見えました)。だれかのツイートで「小鳥猊下の文章には生活臭さがなくてすごい」みたいに書かれたことがありますが、おそらく以上のような経緯を前提とした「テキストサイトの文章は文章のみで成立せねばならず、現実の書き手の人生と連絡を持つべきではない」という強い思い込みが、根底にあったからだと思います。もっとも最近では、特にツイッター上でだいぶルールが緩んできており、忸怩たる気持ちはあります。しかし、ネット上にしか存在しないキャラクターとは言え、二十年の長きを交わらぬまま並走してきますと、気づかぬところで融合している部分があるのは、避けられないところかと納得してもおります。じっさい、2016年1月3日に小鳥猊下へまつわるすべてのアカウントを削除して閉鎖に至ったときは、我が子を鈍器で背後からなぐりつけたあげく、まだ生きているその首を手づからに絞めて死なせるような、何とも言えない気分になりましたから。話がだいぶそれましたが、ご指摘のように100人オフ会レポートの最後は、古いテキストサイトのエンディングとして書いた側面があります。2018年10月20日に行われたあの会は、婉曲的に表現するならヒコホホデミとホムダワケに謁見することができたおかげで長年の憑き物が落ちたという点で、正にエンディングにふさわしい場所でした。もっとも、2011年8月のコミケC80参戦レポートのときも同じような気分で書いており、結局のところ、私が死なない限りはエンディングの延伸されていく無様さを何度も何度もさらすしかないのかな、と感じる日々です。まあ、なんとかここまで生きてきましたので、またなんとかどこまでか生きていきましょう、お互いに。

雑文「ウガニクとの邂逅、あるいは『平成最後のテキストサイト100人オフ』について」

 マジでウガニクくるの? マジか! 秒でエントリーした。ちなみに、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」での言及は、『日記・テキストサイト「猫を起こさないように(nWo)」開設。「虚構日記」はどう読まれるべきか。』でした。

 エイジ・ワン・カンパニーのミドル・マネジャーたる小生にとって、ちょうど象牙の社印をモンハンの如くストンプするビジー・シーズンにさしかかる頃であり、参加についてはクリアすべきビッグ・ハードルを残しているッ! がんばる。あと、萌え画像な。な?

 テキストサイト100人オフより、ほうほうの体で帰寧。生ウガニクと20年越しの邂逅を果たしたことを、まずはお伝えしておきます。

 @uganik ウ○○○先輩、土曜日はお疲れさまでした。いまは20年越しの憑き物が落ちたような、晴れ晴れとした気分です。それにつけても、○ガ○○先輩をさしおいてブシドーソウル?みたいな新参者の先行者にマイクを渡す行為は許せませんね! 思い出すだけで、猊下の怒りは有頂天です!

 @uganik そのこじらせた自意識、さすがです、○○○ク先輩! テキストサイト100人オフ、不敬な輩に対する「あとで呪殺リスト」は私もつけてました。もっとも、99人を越えたあたりで数えるのを止めましたがね……これはもう、オフレポをも辞さずでしょうか……

 質問:小鳥猊下のオフレポマダー!(チンチン

 回答:バカモノ! 欠けた茶碗を箸で叩く、もしくは下半身を露出するでないわ! オフレポはぼつぼつ書き進めており、すでに一万字を越えているが、少しも終わる気配がない。それもこれも、怒りのフラッシュバックで執筆中に高級万年筆の先端を圧し潰してしまうからだ。年内の上梓を目処とするがよい。

 小鳥猊下を名乗っていたサイト運営者だが、リアルイベントに参加すると眉目秀麗な容姿のせいだろうか、こういったプチ・ストーカーを招き入れてしまうからイヤなんだ。ああ、オフレポ? ドカチン・ワークの合間に毎日ポツポツと書き進め、ようよう二万五千字を越えたところだ。この感じだとおそらく三万字前後に収まるが、公開する場所もないし、公開したところで百人マイナス一人の敵を作るだけだろう。結局、自分がいちばん面白がるだけのテキストを公開したところで、だれも幸せにはならない。だが今、テキストサイトの更新を書いている実感だけはある。なぜそれをわざわざ公開するのかと問われれば、虚構日記だからとしか答えようがない。

 世界よ、これがオフレポだ。 #テキストサイト100人オフ

 ――ついに、nWoからテキストサイト100人オフ会のレポートが上梓されましたね。まさか旧サイトを復活させての公開とは思いもよりませんでした。

 ははは、本当は書くつもりは少しもなかったんだ。だが、参加者たちのレポートを読むうち、気の抜けたジジイのファックみたいな中身ばかりで、むらむらっときてね。イベント中心のなれあいじゃない、お前らにテキストで殴りあう昔ながらの、本物のオフレポを見せてやるぞって気持ちになったんだ。

 ――それにしても長いレポートです。文中リンクも異常に多い。

  さっき文字カウントしたら、32,000字を越えていたね。実のところ、あと20,000字くらいは密度をそのままに増やせるんだ。けれど更新を行うときの常で、書いていないときも脳のリソースの30%くらいがそれに占有された状態になる。いい加減、日々のドカチン・ワークに影響があるので、このあたりで見切った格好だ。数えてみたら、文中リンクも500箇所以上あった。

 ――少し多すぎませんか。

 オフレポは文中リンク多めで、とあったからね(笑)。あと、私のような古株と最近ネットを使い始めた連中とでは、色々な情報に対する前提条件が異なっている。その差異を是正する意味もあった。

 ――具体的には。 

 同じ単語でも辞書的な定義と、経験により獲得した意味への質感は違うということだ。

 ――難しいですね。 

 例えば、セックスという言葉ひとつとっても、君には同性とのアナルセックスだし、ぼくにとっては山羊との獣姦だろう。

 ――なるほど、猊下の感じる語彙への質感を、文中リンクを多用することで共有したかったと。

  その通り。あと、個人的に田中康夫フォロワーなので、「なんクリ」を現代的な手法で再構築したい気持ちもあった。

 ――ああ、芥川賞候補にもなった「なんとなく、クリトリス」ですね。

  クリスタル。クリスタルな。

 ――それにしても、物議をかもしそうな内容です。 

 文句があるなら、オフレポで殴りかえせばいいのさ。それが昔ながらの、テキストサイトの流儀ってやつだろ? もっとも、40字くらいじゃ皮一枚、傷つけられないだろうけどね(笑)。だが、九十九式の宮本には期待している。オフ会の直後、レポートを1,000字書いたがまだ公開しないとわざわざ宣言するような、昔気質のサイト運営者だ。もしかすると、彼なら私に敗北を教えてくれるかもしれない。敗北を知りたい。

 ――怒る人も出ませんか。

  むしろ、だれかが怒れば上出来なのさ。今後は、このオフレポに対する参加者の反応を注視したい。リツイート、いいね!、@ツイート、トゥゲッターへの追加、それらがこれまでと同じ温度とジャッジで行われるのか、それとも完全に黙殺されるのか。二十年間の経験から言えば三つのうち、最後のものが最も可能性としては高いだろうね。まあ、なんにしても一度は閉鎖したサイト、気楽なものさ。全部また、消せばいい。

 ――それにしてもウガニクです。本当に大丈夫なんですか? 許可とってるの?

  ははは、それこそ余計な心配というものだよ!  ウガニクは私だし、私はウガニクだ。ホラ、こうしてインタビューを受けている瞬間にも、君の後ろの本棚と壁の隙間から拳をふり上げて、私を鼓舞してくれている。「おい、小鳥! いいのか、こんなオフレポで大丈夫か? 俺ならもっと、歯向かう気持ちも失せるぐらいに、徹底的にブチ転がすぜ!」ってね!

 ――ありがとうございました。 (企画・制作:nWoエンタープライズ)

 おい、お前ら! あれだけキャッキャウフフ・ステイトで盛り上がってたのに、急にシーンとなるなよ! 俺が全裸で舞台にとびでた瞬間、毎回真顔でシーンとなるのやめろよ! 市井の小鳥猊下であるッ! 毎晩、酒飲みながら読み返して、ゲラゲラ・ステイトで大爆笑してるのに、「復活させてのレポートありがとうございます」やら「久しぶりに猊下の文が読めて良かったです」やら、無表情で話しかけてくるのやめろよ! 自分の同人誌を読み返すときもクライマックスでは毎回、オイオイ・ステイトで号泣するくらいなのに、なんでお前らは俺の文章を読みながら常に無感動でいられるんだよ! 綾波レイかよ! むしろ怖いわ! (入道雲パーマが両手を口元に当てて)一般人との感じ方のズレが、いまのコリツ・ステイトを作り出していることに少しも気づかないなんて……!! あと、オフレポを読み返すたびに文中リンク追加してて、私的リンク集みたいになってきました。リンク集と言えば、「日曜日には僕は行かない」も地味に改変してるので、貴様らもシミジミ・ステイトで懐古するがいいです。

 質問:オフレポ読みましたけど、ぜんぶ本当にあったことなんですか?

 回答:実際にあったかどうかは、全く問題ではありません。歴史とは、ある事象に関与した当事者がすべていなくなったあと、残されたモノから当事者以外のだれかが推測する何かのことです。小鳥猊下およびウガニク周辺に関するまともなオフレポが存在しない以上、これはやがて「事実になる」のです。

 「テキストサイト100人オフ」のオフレポ公開からちょうど一週間が経過したので、状況を振り返ってみようと思う。

  リツイート:2/88 いいね!:3/88  @ツイート:0/88  トゥゲッター追加:yes

 分母の88とは参加総数であり、実際の参加者以外から寄せられた反応はカウントしていない。ちなみにリツイートした2名は、直接に名指しをした九十九式の宮本と、私に性的魅力を感じているだろう兄貴の館の兄貴だった。私のオフレポより、体裁も文章も中身もはるかに充分ではないものが、より多くの反応を得ているこの不可解な現状をどう解釈するべきだろうか。私は長くテキストサイト系とは、文字通りテキストのクオリティがすべてを決するグループだと考えてきた。アクセス数(今ならフォロワー数)に判断を左右されず、だれが書いたものであろうと、そのテキストが良いものなら手放しの賞賛を惜しまない。管理人が持つテキスト審美眼への絶対的な信頼が、このグループをかたち作っているのだと。

 しかし、今回の結果が明らかにしたのは、当該の人物と過去に面識があったかどうか、そして実際のイベント等を共にしたかどうかが、テキストそのもののクオリティに優越するという動かしがたい事実である。マナコをクリックするとなまこのウィキが表示されたり、「なんでも言うこと聞きマス」に傑作ミュージカルナンバー“I can change”がリンクされていたり、まさにこれは、爆笑と感嘆のメリーゴーランドやないかー! 目の前にある至高のテキストに言及もせず、「ホニャララさんがつぶやいてたお店に来ちゃいましたー」とか、もう見てらんない。おまえらアホかと。馬鹿かと。テキストサイトってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。

 すなわち、今回行われたのは「テキストサイト100人オフ」ではなく、「リアルイベント出会い系100人オフ」であったことが確定的に明らかとなった。この「リアルイベント出会い系100人オフ」について、私からもう積極的には触れるまい。なぜなら、現存する最後のテキストサイト系管理者である私がこれ以上、より低いものへ対等にとりあえば、ウガニクを始祖ジュラとした過去の英霊たちの名へ、泥を塗ることになるからである。

 @uganik オフレポを通じてパイセンの権威と威光を再びインターネットに蘇らせようとしましたが、どうやら力およばなかったようです。すいません……

 小鳥猊下が現存する最後のテキストサイト系管理人であるという主張に対して、あなたは賛同しますか?(企画・制作 nWoエンタープライズ)

忘備録「ロスジェネについて」(2013.12)

 ああ、またこの世代の犯行だったか、という感じ。ぼくたちの小中学生時代はインターネットが存在せず、ゆえに左の教育の純粋な効果が最も期待できた時代だった。ぼくたちは意味もわからず汗を軽蔑し、土からは遠く切り離されたまま、ファミコンのドットの群れに世界を見ていた。

 その暖かな楽土へ、当時はだれもそれとは知らなかった第一次就職氷河期がやってくる。社会に回収されない個人が多く野へ撒かれたのが、ちょうどこの時期だ。そしてぼくたちは、数少ない優れたクリエイターや、均衡を失った多くのキチガイになった。汗は牛馬に所属し、土を不浄とみなすようずっと教えられてきていたし、何より最悪なことに、大学生のときにエヴァンゲリオンの本放送があった。いや、大真面目だ。

 余談だけれど、90年代後半のテキストサイト管理者は、そんな社会に回収されないアウトローか、その予備軍である学生がほとんどを占めていたように思う。一昔前のアマチュアバンドに例えれば、有名テキストサイトがインディーズレーベルだとすれば、エロゲーライターになることはメジャーデビューする、みたいな感じだった。そう、エロゲー制作が最高にクールで、ワルくて、ゴッドな一時期は確かに存在した。いま、ぼくがそれを感じることはない。

 閑話休題。今回の事件は規模こそ違えど、マーク・チャップマンを描いたチャプター27的であり、また手前味噌を言わせてもらえば、極めて高天原勃津矢的である。護送車に乗せられるときカメラに向けた彼の表情は、目をキラキラさせた満面の笑顔だった。長い長い無視の不遇を経て、ようやく社会に見つけてもらえたこと、そしていま正にこの瞬間、世界の焦点が自分の上にあることが、嬉しくてしょうがなかったのだろう。ぼくに不機嫌にテレビを切らせたのは、まちがいなく同族嫌悪と呼ばれる感情だった。憎しみと自己愛の種子はかように広く深く撒かれており、これが最後の一人だとは、ぼくにはとうてい思えない。

 ぼくたちは、虫のようにたくさんいる。そしてぼくたちは、虫のように人の悪徳を実感できず、ただその種子を萌芽させないことに人生の多くを費やしている。

掌編「ドラゴンクエスト10のある日常」

 仕事を終えて、四畳半のアパートに戻る。ネクタイの結び目に指を入れながら、電気のヒモを引く。流しに残されたレトルト食品の残骸と、朝出かけるときのままに乱れたシーツが目に入る。

 上着を脱いでベッドに掛けると、タバコに火をつけた。スマホで冒険者の広場を確認すると、分身である魔法使いのステータスには万単位の経験値と千単位のゴールドが計上されていた。今日も誰かに雇われ、順調に責務をこなしていたようだった。現実の俺とは大違いだ。笑みは自然、自嘲的なものになる。

 薄く煙を吐きながら何度か広場を更新すると、つど経験値とゴールドがわずかに増えていく。いまの時間から、半ば寝ながらプレイするより、見知らぬ旅人へ預けておいたほうがよほど効率がいい。アストルティアでの冒険は、今日もおあずけというわけだ。冒険者の広場で確認する元気チャージは、すでに200時間を超えていた。これはきっと、現実世界で奪われた活力――意味の無い部署間の調整に身をやつした分だ――がチャージされているのに違いない。

 底の見えない灰皿にタバコを押しつけると通勤カバンから3DSをとりだし、冒険者の便利ツールを立ち上げる。今日もすれちがいゼロ。この一週間、誰ともすれちがっていない。ハーフミリオンは、関西の僻地では充分に多い数とは言えないだろう。

 ふと、胸にさしこむような孤独を感じた。無人島ならば、きっと感じないような孤独だった。それはほとんど痛みを伴っていて、思わずフローリングの床にうずくまる。疲労はとうにピークを越えていた。もはや何かを胃に入れようという気さえ起こらない。のろのろと立ち上がり、ステテコ一枚になるとベッドに身を横たえる。

 救急車のサイレンが遠くに聞こえて、湿った敷布を全身にまきつけた。夢うつつに見たのは、スーツ姿のエルフがメタルスライムに暴走メラミを唱える光景だった。

 ああ、ここでもか。死と同じ救済――安らかな忘我が訪れたのは、そのすぐあとだった。

 『ドラクエ たのしいね!』

ゲーム「FGOイベント『閻魔亭繁盛記』」感想

 エフージオ、ジョンストン掘りの裏側で金リンゴをかじりまくりながら、閻魔亭クリア。いったんファンガスの胞子を浴びれば使い回しの汎用モーションで、ストーリー的にもイマイチ印象の薄かったフィン・マックールでさえ、ホラ見ちがえた。惜しむらくは、あっさりとチュチュンを引けてしまったので、この良イベントに対して十分だと考える課金ができなかったことであろう。

 人類の歴史がなぜ継続しているのかと問われれば、いまこの瞬間にも世界のどこかで名も無き人々が、すんでのところで人間の破滅を防ぎ続けているからである。そして破滅へと至らなかった事象は、だれの記憶にも残らず、どこにも記録されることはない。ちょうど小さな善意が、大きな悪意に先んじて日々のニュースを飾らないようにだ。本イベントにおける新所長の言動は、世界の破滅に対する我々の、無意識の善なるふるまいを代表していると言えるだろう。ファンガスがこの感じ方を共有しているのかは、わからない。ただ、共有しているように思えるというのが、私にとって非常に重要だ。

 僕の優雅な年末におし入って来た、この奇妙な慈愛のようすがそれからどうなったかというと、実はまだ続いているのです。

 「よい大人のnWo」なるサイトを年始の暇にあかせて読み返しているが、どれもこれも才気にあふれており、ひどくおもしろい。にもかかわらず、この人物はもう書いていないのだという。だれも彼に声をかけず、何よりだれも彼にカネを払わなかったことが原因である。私がエフ・ジー・オーにできるだけ課金しようと思うのは、そのうちのいくらがファンガスの懐に入るのかは知らないが、彼に書き続ける意志を失ってほしくないからである。痴人への愛という更新の登場人物が、次のように述懐している。

  「私ね、舞台に上がる前は奇跡が起きるような気がするの。もし、この舞台をうまくやり終えたら、みんなが私に拍手をして、そうして次の日からは誰からも愛されるように、誰からも必要とされる私になれるんじゃないかって思うの」

 とてもよくわかる感覚だ。そして、この気分をいつも裏切られ続けてきたことで彼女は摩耗してしまったのだろうな、と思う。昨年末に行った更新とその後の無視および無反応で、久しく忘れていたこの感覚を思い出した。だれかの目に少しでも留まるよう、最新の更新から気に入りのフレーズを紹介する。

 『そうだ、ウガニク。いまのインターネットはすべて偽物の、まがい物だ。テキストが魔法として機能した神代のインターネットは1999年まで、それ以降はただの言葉の下水道じゃないか。』

 『きみの汚い言葉は最高にきれいだった。ぼくの下劣な言葉は最高に美しかった。ぼくたちのテキストサイトには、確かなキュレーションがあった、審美眼があった。』

 『それがどうだ。回線は馬鹿みたいに速く安くなったけれど、いまや恐ろしい分量の美しい言葉ばかりが下品に乱雑に、かつて美術館であり博物館であった場所の床へ足の踏み場もないほどに、ただ放置されている。』

 『さあ、ウガニク。君のあとから来たまがい物どもを、ぜんぶ、ぜんぶ殺しつくしてくれ。』

 新年の抱負は、「バズる」「炎上する」。小鳥猊下でした。

アニメ「艦これ1話」感想

 わたしはいま、巨大化した曙さんの足裏と床のあいだにいます。わたしは自閉症なので、胸部を圧迫されることにつよい安堵をおぼえました。本棚と床の隙間からは、きのう轟沈したはずのまるゆさんがうらめしそうにわたしを見ています。魚雷で大破した頭蓋から、脳漿がまざってドロリとした赤い液体が床を流れてきました。まるゆさんの両目は樹木のうろのようで、わたしはひどくこわくなりました。ドロリとした赤い液体がわたしのほおにふれ、わたしは気を失いました。

 目をさますと部屋は真っくらになっていて、曙さんもまるゆさんもいなくなっていました。身体を起こそうとすると、ほおがフローリングの床にはりついているのがわかりました。つけっぱなしのモニターが暗やみにちかちかと明滅しており、なにやらパン助のあげるようなあで声が聞こえてきます。えいと声をだすと、べりりと床からほおをひきはがしました。床はいちめん赤かったのですが、わたしの顔があった部分だけ木目が見えていました。ほおをさすりながらモニターへ目をやると、大小さまざまの女性が水面をアイススケートのようにすべっていました。奇形的なまでに大小さまざまで、股下すぐから両足を露出しているというところだけが共通していました。あと一センチ丈をつめればぜんいんのオソソが露出しそうなほどで、年来のガイノフォビアがまたぶりかえすような気がしました。画面からはイズミヤでかかってるみたいな音楽がずっと流れており、女性たちの会話は「パンぱカパン」「こコはユズレませン」などまったくかみあっておらず、ああ、彼女たちも自閉症なんだな、と思いました。

 いつのまにかだれもいなかったわたしの部屋は人でいっぱいになっていました。さいしょはみんな気まずそうに黙っていたのですが、大御所ふうの漫画家のような見かけをした人影がすっくと立ち上がり、「カンコレヨキカナ!」と声を裏がえらせて絶叫しました。するとホッとしたような空気がまわりに流れて、「フツウニリョウサク」「オレハジュウブンタノシメタ」などのつぶやきが聞こえはじめました。画面に視線をもどすと棒立ちの黒い人物を女性たちがとりかこんで射撃の的にしており、どう目をすがめてもわたしには気のくるった出しものにしか見えず、染色体のすくない我が子をくちぐちにほめたたえる学芸会の保護者席に混じった子無しみたいな気持ちになりました。

 すると、だんだん頭がグラグラしてきて、わたしはまた気をうしないました。目を覚ますと、わたしは巨大化した曙さんの足裏と床のあいだにいました。天井と本棚の隙間からは頭蓋を大破させたまるゆさんがニコニコとわたしを見下ろしています。わたしは自分の気がくるっていなかったことがわかり、胸部を圧迫される安堵とあいまって、眠るような心もちになりました。

忘備録「ベネディクト16世との思い出」

 これでインタネトー上に光の猊下と闇の猊下が揃ったことになる。互いの存在を強く意識してはいるが、バベルの呪いから未だリプライには及んでおらぬ。もしそうなれば、光と闇の対消滅に、現世は無へと帰すだろうがな。それも世界の選択か。ラ・ヨダソウ・スティアーナ。

 質問:ククク……ついにローマ法王が退位を決意したようだな……。しかし、不用意なツイッター参戦がその引き金となったことを看破した者は多くあるまい……。奴らにとって決して世間に漏れてはならぬ秘中の秘……すなわち、コンスタンティヌスの寄進状に裏書きされた、光と闇の両猊下の禁じられし融合による、実存世界の対消滅……!! 小癪なヴァチカンの都市結界による援護があったとは言え、ベネディクトの奴め、この光の猊下との精神念波を通じた千日戦争を、命冥加に凌ぎきりおったわ……!! 敵ながら天晴れな奴よのう……観念世界からの侵略を水際で防いだ、正に世の英雄というわけだ……。ククク……教皇選出のコンクラーベがこの千日戦争、すなわち日本語の「根比べ」を語源に持つと知る者は、もうシスティーナにも限られておろうがな……。(次第に小声で)しかし、あのヘテクロミアの枢機卿め……なるほど、面白い……きゃつが17世というわけか……!!(kotorigeikaさん)

 回答:聞こえていますか? あなたの心に直接語りかけています。この類の妄想を三十代で保持し続けているとは、さぞやおつらい現実をお過ごしのことでしょう。しかし、あなたのそれは借り物の言葉と設定に満ちており、オリジナリティの欠片も見当たりません。この類の妄想は、素晴らしいフィクションへの昇華でマネタイズできる才能が無いのなら、早々に放棄してしまうのが賢明です。さもなくば、悲劇的な結末が待っていますよ。ねえ、聞いてるの? 直接心に語りかけてるんだから、耳ふさいだってムダよ?