猫を起こさないように
スターウォーズ
スターウォーズ

映画「マンダロリアン・アンド・グローグー」感想

 マンダロリアン・アンド・グローグーを愛最大・三次元で見る。もはや初代アバターを視聴するためだけの古代遺物と化した本技術は、3Dを意識した構図で撮影されていない場合、画面の彩度がわずかに下がるデメリットのみなので積極的に選択することはないのですが、複数の家人と都合のつく上映時間にうながされる形となりました。「スターウォーズ未履修者が最初に見る作品が決まった」などの、人気作にありがちなネットバスだけを意識した、トンチンカンな言説が巷間にあふれかえっているため、より正確な評価をおのれのテキストで残しておこうと思った次第です。以下は、スターウォーズ・シリーズでもっとも好きなのは3、もっとも嫌いなのはで、ライアン・ジョンソンの情婦であるキャスリーンへの強い反発から、ディズニーには一銭もはらいたくないため、ドラマ版はまったく見ておらず、初期トリロジーにはそれほど思い入れのない人物による感想となります。まず、「スターウォーズを見たことがなくても大丈夫」というのは大ウソで、主人公2人とハット族の造形からどういう背景を持つキャラクターなのかを説明なしに理解ーー本当になにひとつ説明しませんーーできることは、本作を楽しむための最低要件でしょう。もしかすると、アメリカ本国では本邦の青ダヌキやアンコ顔面のように、幼少期から全国民の意識に無条件で刷りこまれるレベルのIPなのかもしれませんが、地上波での放送がとんと途絶えた現在、我が国の若い世代に同じレベルの教養があるとは思えません。個人的なことを言えば、家人たちの成長とともに劇場へ足を運んだ123へ強い思い入れがあり、スターウォーズのスピンオフがいまだに半世紀も前の456をベースに作られ続けるのには、まったく納得がいっておりません。

 ファントム・メナスーーおなじみ、腰抜け田吾作邦題ーーの公開をめぐるファンとの騒動をフィルムにおさめたピープルVSジョージ・ルーカスを見てもわかるように、初期トリロジー愛好家は発達偏向のロコモーション・オタクと同じ特性を持っており、蒸気機関車が好きすぎるあまり新幹線を列車と認めないような、はたから見て病的なまでの執着へといたっている人々なのです(暴言)。国家間の紛争に個人で武力介入できるレベルのジェダイがゴロゴロしていた、明るく豪華絢爛な都市が惑星の地表をうめつくすプリクエルを「カエサル時代のローマ帝国」とするならば、戦えるジェダイはルークとベイダーぐらいしかおらず、辺境の砂漠と治安の乱れた薄暗いスラムばかりの初期トリロジーは「ローマ崩壊後の暗黒の中世」とでも表現できるでしょう。プリクエルは、マニアたちの”おもてたんとちがう”のかもしれませんが、毎作品、世界観から映像表現からキャラクターにいたるまで、確実に新しいものを見せてくれました。シークエルへの批判に、「すべての場面が既視感に満ち、スターウォーズ世界へなにひとつ新しいものを加えなかった」という言説がありますが、初期トリロジーを下敷きにしたディズニー傘下のスピンオフ作品の多くにも、同じくあてはまるように思います。これは本作においてもそうで、やっかいなファンの脳内に存在するスターウォーズ教科書a.k.a.不磨の大典を完全に読みこんでから作劇していることが、ある種の窮屈さとなって画面から伝わってくるのです。都市部はどんなに栄えていてもつねに薄暗く、計器はアナクロで解像度の低いデジタルのまま、操作系はタッチパネルを廃したボタンにレバーとくると、「もうええっちゅうねん」という気にさせられます。つまり、「おもしろいかどうか」「見ばえがいいかどうか」よりも、「不磨の大典に忠実かどうか」が優先されて作られており、プリクエルびいきは「帝国が滅んだんだから、いい加減、共和国時代の文明レベルにもどせよ」と、文句のひとつも言いたくなるわけです。

 ここまではすべてガワの話で、ようやくマンダロリアン・アンド・グローグーの中身についてふれていきますと、映画というより1時間のドラマを2本つなげたような構成になっていて、アクションこそ多めではありながら、全体としては起伏に欠ける印象を持ちました。”ジェダイ”の語源が”時代劇”なのは有名な話ですが、「スターウォーズを作るさいは、昭和のクロサワ周辺を下敷きにせよ」という教科書に記載されている製造ルールを厳密に遵守し、本作では「子連れ狼」や「てなもんや三度笠」(たぶん、ちがう)が参照されております。ここまでゴチャゴチャとプリクエル好きの恨み節を書いてきましたが、この映画を評価するにあたっての本質的な部分はほぼプラグマタと同じであり、すなわち、ベイビー・ヨーダたるグローグーに対する印象の好悪が、そのままダイレクトに加点要素へつながると言えるでしょう。マンドーが大蛇の毒にたおれたあと、ダーククリスタル的なパペット操演とVFXのハイブリッドであろう小人族との冒険行を、「はじめてのおつかい」としてハラハラドキドキ見まもるのは新鮮な体験で、ひさしぶりにスターウォーズ関連のグッズがほしいと思わされました。やっかいなオールドファンのうずまくこの巨大IPにおいて、新たなキャラクターが商品として定着するのはきわめてむずかしく、に初登場したBB8はかなりいいセンいっていたと思うのですが、8によるスターウォーズ・スキームの盛大なブッこわしに激怒したファンの暴動から、泣く泣く過剰な原点回帰をせまられた結果、9ではまたぞろC3POとR2D2を前面に押しだすこととなり、愛されるべきだった新たなイコンは完全に銀河の塵と消えたのです(またぞろ、シークエルへの批判がエッキスで再燃しながら、だれもBB8の話をしないことが、これを証明しています)。

 あと、御年76歳のシガニー・ウィーバーが劇中では俳優としてブッちぎりの格上すぎて、ジャバ・ザ・ハットの息子さえしのぐ存在感をかもしだしており、「Xウイングを持ちだすまでもなく、マザー・エイリアンをブチころがしたアナタの手腕なら、ハット族の砦ぐらい単騎で壊滅できるのでは?」と考えてしまったのは、作品世界を堪能する上でのかなりなノイズとなったことをお伝えしておきます。ともあれ、マンダロリアン・アンド・グローグー、ベイビー・ヨーダがなんらかの形で再撮影のウワサされる789の本編にからんでくれることを期待しつつ、虚構審美集団nWoによる採点は、100億とんで60点としておきます。

映画「鬼滅の刃・無限城編第一章」感想

 それほど熱心なファンというわけでもないので、一般客が一巡して落ちつくぐらいの時期に行こうと思っていたのを、めずらしく家人がしめした興味にうながされる形で、「鬼滅の刃・無限城編第一章」公開初週の劇場へと足を運ぶ。すべての上映回において、通常のシアターが予約でほぼうまっていたため、アニメ作品をアイマックスで見る恩恵は少ないと知りつつ、わずかに席の残っていたそちらを選択する(2人横ならびは無理だった)。ニュース等で「首都における初日の単館40回上映がすべて完売」などの状況を仄聞してはいたものの、じっさいに昭和の映画館と見まがうばかりにごったがえすロビーや、2700円もの単価で学生や貧乏人などの客層をスクリーニングするために利用する、ふだんは10人も座っていないアイマックス・シアターが、老若男女で満席になっている様子を目のあたりにすると、めまいのするような大衆的熱狂への実感がわきあがってきた。上映終了後、三々五々、席を立つ観客たちの感想戦に耳をそばだてるのも楽しく、女子中学生とおぼしき人物が友人にする「わたし2回目やけど、アカザが死ぬとこ、寝てて見られんかったわ」という、最高に中2病な発言をナマで拝聴させていただき、背筋がゾクゾクした。(ドウマの顔で)うんうん、わかるよぉ。あんな回想シーンに心をゆさぶられたなんて知られたら恥ずかしいし、学校でウワサになったら困っちゃうもんねえ、わかる、わかるよぉ(ちなみに、家人の感想は「日本のアニメってすごいねえ。スーパーマンが幼稚に見えたわ」でした)。

 閑話休題。鬼滅の刃は、よい少年漫画だと思う。アクション描写が得手ではないゆえ、言語過剰になるという原作の弱点を、確かな漫画読みの目を持つ制作会社が超絶アニメーションによって補完ーー「アニメ版は下書きの清書」という評を見て、笑ったーーすることで、万人にとどく最強コンテンツにまで昇華した経緯も理解する。ただ、配信全盛のタコツボ時代に、ここまでの客を劇場へと誘引するような、社会現象となるほどの作品かと問われたならば、疑問符をつけざるをえないことも、また事実なのである。きょうは、この一種の巨大なフェノメノンについて、つらつらと思考をならべてゆきたいと思う。まず、すべての状況を言葉で説明するーー「歩きだした。どこへ行く気だ。止まったぞ」「左耳が聞こえなくなった。右手の感覚もない」などーーため、小学校低学年からアニメを見慣れない老人までのあらゆる観客が、100%同じ物語を受けとって劇場を去ることができるのは、小鳥猊下をふくめたすれっからしの”物語読み”が馬鹿にしがちな要素ではあろう。だが、「余白や行間を読ませる」しかけは、ともすれば創作サイドの自己満足になりかねない、知能と感性で受け手をふるいにかける行為でもある。この意味において、鬼滅の刃の作劇は「すべての”ご見物”を平等にあつかい、知性の高低で差別を行わない」とも表現でき、それが超ヒットの基盤を形成しているのかもしれない。

 また、作品テーマとしては、以前にも指摘した「利他と継承」が挙げられ、無限城編第一章を見ながら、さらに感じた追加の主題は「感謝と報恩」と「家族愛」であった。これだけの人気を博すようになった原作も、週刊連載の常として、読者からの反響をさぐりながら展開をつど軌道修正しているため、全話を通して読むとブレている部分はかなりある。攻撃と回避の技術は「匂い」「糸」「透明」とたがいにつながりなく場あたり的に変遷するし、主人公の血統をほのめかしながらじつは赤の他人にすぎず、修得したはずの最強必殺技は完遂できないまま終わってしまう。しかしながら、ヴィンス・ギリガン作品に通底する「コズミック・ジャスティス」を思わせる、鬼滅世界のすべてをおおう、まったくゆるぎのない一貫したスキームは、たしかに存在するのである。「鬼にも鬼になる理由がある」「人を食った鬼は必ず退治される」ぐらいの指摘はすでに星の数ほどあろうし、「縁壱の才能という集合に、物語中のすべての要素が包含されている」という小鳥猊下の評にも、感心させられるものがある。それらにくわえて、物語のもっとも中核的な場所を占めているのは、すでに公の場では口にしにくいものとなった、”一日一善”に類する「昭和の道徳観・倫理観」なのだ。友人が「私の母親は毒親でェ……」とめそめそ泣きだせば、「自分は両親を心から尊敬している」とは言いにくくなるし、同性愛のカミングアウトをした同僚に対しては、「つわりの妻を世話して寝不足ぎみで……」との弱音は口腔にとどまるだろう。年収の低さによる生活苦をなげく氷河期世代の友人を、老人ホームや障害者施設のボランティアに誘うことははばかられるし、インスタで旺盛な趣味の発信を行う独身者のいる職場では、2人の子どもがうつった家族写真を取りだすのには抵抗をおぼえることだろう。

 秘孔を突かれて全身の痛覚神経がむきだしになった、アミバのような(わかりにくい例え)人々と接するにあたり、良識的な多数派のとるもっとも賢明なふるまいは、「内心と私生活のいっさいを表明しないこと」に帰着するのである。米国におけるTRUMP PHENOMENONや、本邦でのSAY THREE PARTYの躍進を極北として、マジョリティ側が「沈黙の忍従を強いられている」と実態以上に思いこまされている”程度”のグラデーションが我々の日常の背景にあり、鬼滅の刃を社会現象へと押しあげる遠因になったのではないかと推察する次第である。すなわち、「弱きをたすけ、強きをくじく」「家族を持って一人前」「人への感謝を忘れずに」「恩返しの心」「おじいさん、おばあさんを大切に」「立って半畳、寝て一畳」「ご先祖さまに恥じぬよう」「お天道さまが見てる」など、もはや広言せぬほうがよいものとして、内心の自主検閲に黒塗りした”人の道”が、鬼にむかって大音声で説法されるのを聞く快感は、まちがいなくあると思う。個人的なことを言えば、最高学府の法学部を卒業した人物が、持てる能力を薄給のビューロクラットとして民草にそそぐのではなく、高年収の外資コンサルファームにささげる利己の時代において、「オマエもかつては弱かったはずだ! 弱い者を助けるのは、強い者の責務だ!」と寸分の迷いもなく、怒りとともに断言する主人公の姿を見て、かなり胸のつかえがとれたーー「あ、それ、言ってもいいんや」ーー感覚は、まぎれもなくあった。

 以前の感想にも書いたように、現代を生きる子どもたちが、もはや大人たちはおもてだって口にできず、そちらへ教え導くこともはばかられる、「利他と継承」「感謝と報恩」「家族愛」について、この作品を通じて学ぶことができるとするならば、もしかすると冗談めかして聞こえるかもしれないが、本邦の未来はきっとよりよく、明るいものになるだろうという予感がするのである。あと、制作会社による「無限城のレンダリングに3年をついやしたので、3部作の完結には10年かかる」との談話を知り、だれもそこに力を入れることを望んでいないという点で、「スターウォーズ3における、惑星ムスタファーの溶岩みたいだなー」と思った。

アニメ「範馬刃牙」感想

 範馬刃牙「親子喧嘩編」を通して見る。低クオリティの静止画に音声がついただけみたいなシロモノで、どこか激しく動かしたいシーンがあるから作画の足をためているのかと思いきや、そんなシーンは一瞬もなく、最後までずっと同じ調子のまま、低クオリティのまま終わります。意味不明の展開を超絶な作画力で、まさに勇次郎が息子の頭をなでるように無理やり読ませた原作から、作画力だけを抜いて何も足さない仕上がりになっています(ユーザー・イリュージョンの話がマルシーとれないので引かれてる)。でもね、この程度の品質で、居ならぶ韓ドラまでおさえて、ネットフリックスの視聴ランキング世界1位をとってんですよ(!)。

 原神のときにもさんざん言いましたけど、我々を停滞させているのは、もはや呪いと化した国民的心性である「神経質なまでの几帳面さと行儀のよさ」なんじゃないですかねえ。チェンソーマンがあれだけのハイクオリティだったのに、解釈違いと原作ファンに難クセをつけられて、2期の制作さえ絶望的な状況に追いこまれているのに対して、刃牙シリーズは死刑囚編から安定の「低クオリティ・コントロール」で、ついに最後の最後まで語りきっちゃった。さらには、刃牙ファンの裾野を世界各国のあらゆる人種へと広げ、近い将来に幼年編から最大トーナメント編まで作られそうな勢いです(スターウォーズの大好きな世界中のオタクたちは、この順番のストーリー提示に大興奮すること間違いありません)。

 本邦の漫画界隈には、「あまりに名作すぎて、おそれ多くてさわれない」や「ファンが厄介すぎて、怖くてさわれない」作品が、誇張ぬきで数十年来を塩漬けにされたまま、ゴロゴロしてるじゃないですか。あのチェンソーマンの仕上がりでダメなら、もう何をどうやったって一部のファンにはダメなわけで、我々は刃牙シリーズの雑なアニメ化が大成功したことを見ならうべきだと思うんですよね。全視聴者の1%にも満たない、うるさ方の原作ファンや声の大きい作画オタクは無視して切り捨てて、低品質の雑なアニメ化をもっとガンガン増やしていきましょう! 有識者および資本家のみなさん、本邦の衰えたプレゼンスを回復するのに、これほど簡単で安あがりな施作はありませんよ! とりあえず、高校鉄拳伝タフあたりからやっていきましょうか!

 『(バーガーとコークを手に、あきれ顔で)このアニメは世界でいちばん視聴されている。だから世界でいちばん面白いものに決まってるだろ。』

映画「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」感想

「オカンがな、さいきん映画みたんやけど、タイトルが思いだされへんゆうねん」
「ほうほう、ほんなら、どんな内容かボクにゆうてみ」
「オカンがゆうにはな、主人公が車から落ちる話やったらしいねん」
「そんなもん、さいきん公開された映画で主人公が車から落ちる話ゆうたら、怪物に決まりやないか! 男と女でつくるフツウの家族の話を母親から聞いてたら、おホモだちのヨリくんからケイタイに着信があって、主人公は衝動的に助手席からとびおりてまうのよ。そら、怪物で決まりや、まちがいない!」
「でもな、オカンがゆうにはな、主人公はずっと車から落ちそうやねんけど、最後は落ちへんゆうねん」
「だったら、怪物とちゃうかー」
「オカンがゆうにはな、その車ゆうのがトゥクトゥクやったらしいねん」
「そら、インディ・ジョーンズと運命のダイヤルやないか! インディは三輪タクシーの運転中、ナチの残党とかにおそわれて、首ねっこつかまれたりなぐられたり撃たれたりするけど、壁とか障害物にぶつかる寸前で腹筋したりエビ反りしたり回転したりして、ぜーんぶかわして運転席にもどってくるのよ。インディが乗り物から落ちることだけは、ぜったいにないのよ。こらもう、インディ・ジョーンズで決まりや、まちがいない!」
「でもな、オカンがゆうにはな、主人公はゲイやってゆうねん」
「ほな、インディ・ジョーンズちゃうやないか! インディはゴリゴリのヘテロで奥さんも息子もいるのよ。インディがゲイなんてことは、シリーズ作品のどれを見てもありえないのよ」
「オトンがゆうにはな、スーパーマリオブラザーズちゃうかゆうねん」
「うそこくな、ファック野郎。だが、ワンチャンあるかもだ。もうええわ、ありがとうございました」

 インディ・ジョーンズ「と」運命のダイヤル、愛マックスで見る。事前情報をいっさい入れずにいたら、冒頭でディズニーとルーカスフィルムのロゴが現れ、イヤな予感は一気に最高潮へとたかまりました。結論から言いますと、本作にはスターウォーズ・シークエルの反省が充分に生かされており、最後のジェダイのようなひどい有様とはなりませんでした。まず、1969年を舞台とするストーリーを語るのに、2023年の倫理観を持ちこまなかったのは、最良の判断だったと賞賛すべきでしょう。公衆の面前で酒を飲みまくり、屋内でタバコをふかしまくり、顔面をグーで音高く殴打し、黒人女を躊躇なく射殺し、悪党のナチスは皆殺しにし、同性愛者はひとりも登場しないーーもう清々しいばかりの割り切りぶりです。場面転換の際の編集やアクションパートの尺など、ヘタクソだったりバランスの悪かったりする面は多々ありますが、全体としてスピルバーグが撮影・編集したと言われても不自然には感じないレベルでの、模倣と擬態が行われています。

 さらに特筆すべきは、ディズニーがSNSを通じた市場調査を徹底的に行なった結晶である、足元さえおぼつかない80歳のハリソン・フォードに代わって物語を駆動する役割を与えられた、フィービー・ウォーラー扮する「おもしれー女」a.k.a.エレナ・ショーの存在です。詐称、捏造、淫蕩、詐欺、虚言、飲酒、暴力、喫煙、友人を亡くして意気消沈のインディを前にゲラゲラと悪魔のように哄笑しながら自らの手柄をまくしたてる天然のサイコパス、生まれながらのdamn thief、「この人物であわよくば続編を」の色気さえ廃した最高のアンチ・ヒロインであり、ここまでマイナスに突き抜けさせないと、SNS優位の時代においては好感度なるものが上昇に転じないのは、心胆を寒からしめる事態であると言えましょう。ストーリーの最後に奇想天外の大オチを持ってくるのは当シリーズの伝統ですが、前作では宇宙人とUFOの実在をビジュアルで提示してしまい、旧3部作のファンに総スカンを食ったのは記憶に新しいーーえ、もう15年前なの? マジで?ーーところですが、本作における大オチもそれに負けず劣らず荒唐無稽なのに、インディ・ジョーンズというキャラクターの造詣から逆算した中身であり、思わず彼の心情につりこまれて涙ぐんでしまうような、感動的なものとなっています。そして、インディと古くからの観客とのシンクロニシティによるその感動を、「おもしれー女」が暴力的に蹂躙していくところまでがセットになってて、「ディズニー、ふっきれてんなあ」と、逆に感心させられました。

 個人的には、冒頭の列車と序盤のカーチェイスをもっと短くした上で、例の場所から帰還するシークエンスを追加して、上映時間を2時間前後に収めれば完璧な続編になったと思いますが、世界的なブロックバスター(古い表現)には星の数ほど批判が向けられるのが宿命なのだと言えましょう。初代インディ・ジョーンズの登場が決定的なものとした「考古学アドベンチャー」というジャンルに対して、その偉大な先達の後継者となるべく、古くはハムナプトラやナショナルトレジャー、最近では実写版アンチャーテッドなど、様々な追随の試みがなされてきました。しかし、グーグル社のカメラが全地表から全海底までを覆いつくし、ダイバーシティの御旗の下に打倒すべき悪は地上から消滅し、「どこを冒険して、何と戦うのか」を設定するのが極めて困難な現代において、そのいずれもがいまや頓挫を余儀なくされています。本作において、半世紀も前のずっとシンプルな世界でインディ・ジョーンズが活躍するのを、最新の映像であるにも関わらず、郷愁にも似た気持ちでなつかしく眺めながら、どこか一抹のさみしさを禁じえませんでした。

 最後に、いま行われている戦争の終結から10年ほどの冷却期間を経たのち、新たに戦うべき「絶対悪」を得た次世代のインディ・ジョーンズが再び銀幕(古い表現)へと登場するだろうことを予言しておきます。それまでは、ネットフリックスなどによるマスターキートンの実写ドラマ化で、我々の「考古学アドベンチャー」への渇きが満たされることを、半ば本気で期待しております。

映画「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」感想

 アバター2、見てきた。西洋人の大監督が撮る超大作に、アジア人の短躯広報がビビりまくってつけた副題「ウェイ・オブ・ウォーター」は、ファントム・メナス以来の盛大なる腰の引けっぷりだと言えましょう。そして、赤青メガネをつけた無責任な観客が「やっぱ3Dってゲテモノだよなー」などとヘラヘラ笑ってるのを見て、「映画芸術の新たな地平は、映像に1次元を加えることである」という強い信念に突き動かされて、専用カメラを開発してまで「やらなキャメロン!」と作りあげた前作はまさに映画革命でしたが、残念ながらここ10年余りで市場から3D映画そのものが駆逐されてしまいました。

 前作の熱烈な信者である身としては、何を出されても「アバターもえくぼ」の心境でいようと臨んだのですが、まず率直なところから言いますと「13年もかけて、これ?」という感想でした。なぜか、映画版のファイナルファンタジーを彷彿とさせらましたねー。長すぎる制作期間で技術革新に追い抜かれたせいか、はたまたCPUとグラボのパワーが足りてないせいか、画質はフルハイビジョンと4Kと8Kを頻繁に行き来し、フレームレートは25fpsから120fpsのレンジを何度も上下する始末で、全体としての統一感がまったく取れていません。初代は名実ともにエポックメイキングな作品でしたが、ここ10年のマーベル台頭によって御見物の目が肥えたせいでしょうか、実写で撮影している部分とフルCG部分の見え方に乖離がすさまじく、売りであるはずのそのCGもプレステ4か5のムービーシーンぐらいにしか見えないのです。

 さらに3時間12分もの長尺をとっておきながら、そのうち半分は技術自慢のアトラクションパートで、肝腎のストーリーパートも前作で語り終えた内容の蒸しかえしばかり、「ベトナム戦争」「アパッチ民族浄化」「捕鯨問題」「ガイア理論」をごった煮にしたあげく、世界の現状からどれをもテーマとして焦点化できなくなった結果、大声で「家族の結束」を叫びだすというグダグダさです。また、映画監督としての格は天と地ほども違いますが、その芳醇な才能をアバター世界の構築にのみ費やした十数年が別の作品に注がれたらとどこか惜しむ気持ちは、作家として最も円熟していたはずの十数年をエヴァンゲリオン世界のリブート失敗(大失敗)に空費した某監督の無様さを否応に連想させます。スターウォーズ6の感想でも指摘したことですが、つくづく考えさせられるのは、アメリカが建国の過程で負った原住民虐殺という国家的トラウマは、今日に至るまで子々孫々へいまだに宿業として受け継がれており、彼らは「世界最強の軍事力を有する我々を、インディアンたちが石槍と石弓でうち負かしてくれるという甘美な破滅」をどこかで待ち続けているのかもしれません。

 最後に、念のための注意喚起として付け加えますが、本作を中学生以下のお子さんに見せるのは、危険な気がします。幻想のヰタ・セクスアリスとして、特殊な性癖をふかぶかと植えつけられそうな実在感だけは、全編にわたって横溢しているのですから! しかしながら、「ただの異星人だから」とロリペド方面の、「ただの身長差だから」とショタ方面の需要をただちに満たしてくるのは堂々たる大監督の威風であり、この点にだけは三千円弱をはらっても惜しくないと断言しておきましょう。

アニメ「新版・うる星やつら」感想(第1話)

  うる星やつらの新版アニメ、第1話を見る。やっぱりラムちゃんって、じつにアイコニックな不朽のキャラクター造形だなあと、改めて感じます(本作のデザイン、SMD虎蛮ぽくない?)。初登場シーンに一瞬だけ「ラムのラブソング」が流れかかるのは、スターウォーズ7での「ダースベイダーのテーマ」のあつかいを彷彿とさせて、あふれでるラスボス感に笑ってしまいました。旧版のアニメがマモルさんによるアレだったので、今度こそ原作を忠実になぞっていく意図のリブートだと思うんですが、スマホやSNSの登場するスタイリッシュな令和のオープニングに対して、黒電話で連絡し突然の暴力が頻発し不適切発言の横行する昭和の本編をどうすりあわせていくのか気にかかります(メタとか夢オチとかで昭和から令和に遷移したりすれば、旧版アニメと同じになっちゃうし……)。

 自分の中の価値観が変化ーーアップデートとは言わないーーしたのに気づかされたのは、主人公の母親が繰り返す「産まなきゃよかった」というセリフが、かつては笑えるギャグだったはずなのに、いまではあまりにセンシティブに聞こえてしまったことです。他にも公衆の面前でブラジャーをはぎとる展開も、知っているのにギョッとしてしまいましたし、原作に忠実であればあるほど、今後こういった違和感はどんどん増していくのでしょう。「令和と昭和に横たわる価値観の隔絶をどう料理していくのか?」を楽しみ半分、怖さ半分で見届けたいと思います。

映画「スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホーム」感想

 スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホームを見てきました。こちらは前作の感想ですが、こういったヒネクレた視点を持つ人物に平手打ちして、ハッと目を覚まさせるような快作でした。ネタバレ厳禁みたいなふれこみに、「どうせ別世界でロバート・ダウニーJr.と再会して、アベンジャーズのリーダーを改めて任されるんやろ?」とかなり斜に構えた態度で見始めたのですが、最初の敵の登場に「あれっ、まさか」と思ったらそのまさかで、あとは2時間半が瞬く間に過ぎ去る大号泣の大冒険。よくぞ思いつき、よくぞ権利をクリアし、よくぞ撮ったと思います。

 アメイジング2の感想を読み返すと、かなり辛辣にこきおろしていますが、ラスト直前で落下していくヒロインへ必死に追いすがり、地面から数十センチのところで彼女の胴体を糸でつかまえるも、引き上げる衝撃で海老反りとなって後頭部をしたたかに打ちつけ、死ぬ。このシーンを真横からのカメラで見せつけられたのが長年のトラウマになっていたことに、今日ようやく気づきました。手を伸ばすトム・ホランドが敵の攻撃に吹きとばされ、「ああ、また!」と脳裏にあのビジュアルがまざまざと再生された次の瞬間、颯爽と現れたアンドリュー・ガーフィールドが追いすがり、ついに8年越しの無念をはらしたのです! 救出直後の彼の表情にとても強くシンクロしてしまい、知らず多量の涙がマスクの上にまでほとばしり出ました。トラウマの存在を自覚したと同時に、それがそのままスーッと消滅していく体験であり、「憑き物が落ちる」とはまさにこのことでしょう。

 そして、怒りに支配されるトム・ホランドがあわや人殺しとなるのを、すんでのところでトビー・マグワイアが食い止めた場面は、憤怒の演技がヘイゼン・クリステンセンそっくりだったせいか、「ジェダイ聖堂でアナキンの殺戮を阻止できたオビワン」を連想して胸が熱くなったのは、自分でも驚きでした。それにしてもトビー・マグワイア、相変わらず童顔ですけど、いい年の取り方をしましたね。口元のはにかみ方が若い頃のままで、すごくいい。

 ノー・ウェイ・ホーム、少年が喪失を乗り越えて大人になる話であると同時に、スパイダーマンという作品を本来あった場所へと戻す話でもありました。アベンジャーズは東映まんがまつりのヒーロー大集合に過ぎないのに、各主人公の本編を乗っ取っていく感じが気に食わなかったのですが、今後の展開がどうなるかはいったん置くとして、本作でかなりその溜飲が下がりました。シンエヴァも、シンジがアスカを鳥葬から助けて日本に四季が戻るぐらいの展開でよかったんですよ、本当に。また愚痴になってしまいましたが、ともあれ、「スパイダーマン8部作」という新たな概念が誕生したことに、ブラヴォの拍手を送りたいと思います。

 余談ながら、3人のかけあいがどれも楽しくて、特にトビー・マグワイアが「君はアメイジング」とアオりまくり、アンドリュー・ガーフィールドが「オレなんて」と自己卑下しまくるのには、大笑いしました。当時はあんなに悪しざまに言って、ごめんね。いまさらながら、アメイジング3を撮らせてあげてほしいなあ。内容に期待はしてないけど、9部作のほうが収まりがいいからね(ひどい)!

ドラマ「カウボーイビバップ(実写版)」感想

 ネトフリでカウボーイビバップの実写版を見る。アニメ版の台詞と場面と音楽をツギハギにコラージュした中身を、ファンのアマチュア・コスプレイヤーたちの演技で見せられてる感じ。画面の作り方は、一般ドラマの撮影とYoutubeの素人動画が混在しているみたいで、時折オッと思わせるカッコいい絵もあるんだけど、平均値を算出すると赤点になってしまう感じ。キャラについて言えば、スパイクはちっともジークンドーを使わないし、ジェットは多様性と人種への配慮で子持ちのバツイチ黒人にされるし、フェイはなぜか見た目を林原めぐみへ寄せたキャスティングにされている(だれ得やねん)。最初こそマジメに見ていたものの、早々にディアブロ2をプレイしつつの「ながら見」へと移行しました。吹き替えはオリジナルの声優が当てているーージェットの人が生きていればなあ!ーーので、画面さえ注視しなければ20年ぶりの新作エピソードを体験している気分になれたのはよかったです。

 しかしながら中盤を過ぎたあたりから、次第に原作の改変が鼻につくようになってきます。まず、ビバップクルーたちのドライで絶妙な距離感を、ベシャベシャした旧来的な家族のフレームへと落としこんでいくのは、原作の意図をちゃんと読めてないなあと思いました。そして、性的マイノリティや政治的正しさへの目くばせっていうのは、つくづくフィクションと相性が悪いというか、ぜんぜん内容の面白さとは関係ないですね。ディズニー資本でスターウォーズが壊れてしまったのも、まさに余計な視点を作中へ流入させたことが原因だったと、いまでも恨んでおります。この実写版では、原作があえて触れなかった部分を詳細に語って白けさせたばかりか、作品テーマの根幹だった「男の生きざま」を「女の一生」ーーモーパッサンかよ!ーーへと改変してしまいました。最後の最後でエドが唐突に登場して、シーズン2への色気をただよわせましたけれど、このクオリティと路線で継続することはファンの理解を得られないのではないでしょうか。「女帝ジュリア」みたいなのがアップ・トゥ・デイトされた「正しい」最新の物語トレンドだというのなら、白人と見まがう少年が異世界で様々な人種の半裸美少女からモテまくる「間違った」話の方が、はるかに上等でマシなものだと吐き捨てておきましょう。

 私にとってのカウボーイビバップとは、「泥の河に浸かった人生も悪くはない、一度きりで終わるなら」と願いながら、「どれだけ生きれば、いやされるのだろう」と神ではないものへ祈る祈り、他者との議論や承認を通過しない「生き方」の話なのです。その万人が苦しむ苦しみ、固有の地獄であると同時に普遍的な崇高さを、性別や人種などのガワ一枚へと矮小化することで解決できる対象になったと信じる傲慢なムーブメント、特に虚構へとそれを持ち込もうとする態度には、強い嫌悪感を伴った反発をしか感じません。

ゲーム「FGO第2部第5.5章」感想

 FGO2部第5.5章クリア。都合、8時間くらいかかった計算。ネタバレなしの感想? 「些か」「言の葉」への「想い」が強すぎますな。

 ゆかい。ハア? 小鳥猊下であるッ! ンンンン、以下はバリバリのネタバレですので、未クリア者はミュート推奨ですぞ!

 2部第5.5章、エフジーオーの本編としては「些か」食い足りないが、坂田金時を主人公とした少年漫画と考えれば、まあまあの仕上がり。しかしながら、書き手がファンガスでないときの避けられない瑕疵として、「世界の謎については表面をなぞるばかりで、真実へはどうにも肉薄できない」という点があり、アルターエゴ・リンボという大悪党を数年越しに倒す話なのに、イマイチ盛り上がりには欠けました。どんなに良い書き手であっても、ことエフジーオー世界においては最善の書き手であるファンガスが常に比較対象としてあるため、ハナっから勝てない試合をさせられるのはかわいそうだとは思います。なので指摘するのは酷なんですけど、今回の書き手はストーリーラインが細くなると無意識にか語彙を厚塗りするというクセがあり、それゆえ登場キャラクター全員が一個の自意識から延長された人格だとわかってしまうのです。完全に単独の作品ならば見過ごされるだろうことを、最善との比較から指摘されてしまうのは恐ろしいと思いました。個人的なことを言わせてもらえば、1部第4章のキャラクターたちがすごく嫌いなので、第七節くらいまでは読み進めるのがしんどかったです。バベッジとかパラケルススとか、どうひっくり返しても魅力的になりようがないキャラへテキストを割くぐらいなら、清少納言をもっとお話にからめて欲しかったなー、と思いました。もっとも、彼女はファンガスの持ちキャラなので、年末に向けて監修の時間が取れなかったことが、申し訳程度の出番(平安京なので出さないわけにはいかない)で終わってしまったことの理由ではないでしょうか。

 あと終盤で、「人類愛がないと人類悪になれない」とか言い出したのには「うわー、やっちまったなー、ファンガス怒るぞー」って思いました。この前後もそうですけど、今回の書き手は語彙が重たいわりに、ストーリーテリングが単純で直線的なんですよね(逆にファンガスは平易な語彙で重層的に物語る)。不安になったのか、最後の最後でカルデアの面々に「でもリンボの言うことだから、真実である可能性は薄いよね」とか言わせて予防線を張っていたのには笑いました。リンボってミステリアスでインパクトのある隠れた人気キャラだと思うんですけど、異星の神との関係もほとんど明らかにされず、なんだか雑に処理されちゃって残念だなーって感じです。それと終幕はいつもファンガスの監修がガッツリ入って、強烈なクリフハンガーで終わるのが常なのに、今回は「あっちのオレ、どうだった?」「ゴールデンでしたよ!」みたいなシャバい終わり方で、「ああ、年末のサプライズに向けてファンガスが忙しくて、修正の手が回ってないんだな」と思いました。

 ここのところ、来るイベント来るイベント、ぜんぶに文句つけてる気がしますけど、何度も言いますが私にとって、書き手がだれであるかが最も重要なのです。つまり、スターウォーズはジョージ・ルーカスに関わってほしいし、エヴァは庵野秀明に監督してほしいし、グイン・サーガは栗本薫が書いたとこまでしか認めないし、ペリー・ローダンは読む気にならないし、FGOはファンガスにすべてのテキストを書いてほしい、単純にそれだけのことで他意はありません。

雑文「スターウォーズ・シークエルとBLMについて」

 ジョン・ボイエガがBLMーーくわしくないが、ブラック・マジシャンかボーイズ・ラブ・マニアックの略称と思われるーーについて語っているインタビューを読んだ。スターウォーズ・シークエルにおける自分の扱いの悪さを人種問題の観点で批判しており、さすがに今回ばかりはデ銭を擁護する気分になった。

 「オイオイ、ボイエガちゃん、フィンがああなったのは主にライアン・ジョンソンのクソ野郎の天童よしみ推しが原因で、人種問題はぜんぜん関係ないだろ! それに人種以前の話で、役者としての雰囲気や立ち居振る舞いにサミュエル・L・ジャクソンほどの魅力が無かったのが、次代のメイス・ウィンドゥになれなかった主な理由だろ! 公衆の面前で情動失禁みたいなスピーチしてるヒマがあったら、まず俳優としての未熟さを自分自身の責任と認めて、演技力の研鑽にはげめよ! なんでもかんでもスキン・カラーのせいにするから、みんなだんだんめんどくさくなって、弱い差別から強い不快に変じた感情を心の底へ沈めて、表面上は無視や無関心を装うようになるんだろ!(突如たちあがって、声音を使って小芝居を始める)」

 「(気色ばんで)ええッ、日程を一日延長するだって? 会場費とか人件費とか、どうすんだよ。チケットの払い戻しも出るだろうし、運営スタッフのスケジュールだって押さえなおさなきゃならない。そもそもウチの翌日から別団体が予約いれてたはずだろ?」

 「いま会長が頭下げに回ってるよ。そっちの延長分も、ウチがぜんぶ払う方向で調整するらしい」

 「オイオイ、莫大な労力と費用じゃないか! もちろんアイツの事務所に請求書を送りつけるんだろうな?」

 「バカ言うな。そんなことしたら差別を容認する会社として、ヤツらの標的にされちまう。安くはないカネだが、ひかえめに賛意を表明することで社会的な評判も下げずにすむ。必要な広報費用と考えるんだ」

 「オレは納得いかねえよ。情緒不安定なガキの世迷言に、大の大人が右往左往させられてよ。てめえのコンディションが悪いから、状況を利用してこしゃくな時間かせぎをしてるだけなんじゃねえのか?」

 「かもしれん。だが、本当のところは本人にしかわからんさ。ともかく、いまヤツらはパワーを持ってる。ヤツらの正面に立たないようにすることが肝要だ。表面だけでいいから、逆らわず同調してると思わせるんだよ」

 「ファック、やりきれねえ! ヤツらがやってるのはただの不法行為じゃねえか! いつまで暴力におびえて、こんな理不尽の言いなりにならなきゃいけないんだよ!」

 「すぐさ。幸い、ヤツらを駆動しているのは感情で、強い感情は対象を必要とする受け身なエネルギーだ。大事なのは、それを燃やすフュエルを与えないことさ。くれぐれも本音をネットに書いたりするなよ。そうすれば、じきにガス欠になって鎮火する。いつものようにな」

 「わかったよ、オレも大人になるよ……賛意を表明するメッセージを発出して、サポートしているふりをすることが、ヤツらへの最大の仕返しってわけだな(狡猾な微笑み)」

 「(笑顔でサムズアップ)いいぞ、自分たちの行動で社会が変わったと錯覚させるんだ」

 『このような悪は、なくさなければなりません。私たちは、世界で長いあいだ望まれていた変化へ参画することを約束します。** **、あなたは私たちのヒーローです』

 ……ってなるだろ!(これ以前の文章をすべて名詞化する安易で愚劣な表現)