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映画「最後のジェダイとスカイウォーカーの夜明けについて」

 映画「スターウォーズ9 スカイウォーカーの夜明け」感想

 スターウォーズ9、ロッテン・トマトの感想とか読みながら、初回鑑賞の記憶を反芻してる。最後のジェダイは納得のいかなさから劇場で3回見たけど、スカイウォーカーの夜明けは公開中にあと1回見れば無事に成仏させることができそうな気がしてきた。海外の反応なんだけど、批評家筋には不評でファン層に好評なのは、8と真逆になっていて面白い。結局のところ、ファンはスターウォーズを見に来ているのであって、最新の映画を見にきているのではないということだ。もちろん、最後のジェダイは映画作品としても優秀どころではなく、海外の批評家たちは自らの見る目の無さと、王道外しの逆張りを喜ぶ中二病的感性を露呈しているのである(けれど、スカイウォーカーの夜明けの構成がダメという指摘はよくわかる)。

 さて、批評家たちと同じ感性をした、おそらくスターウォーズに何の思い入れもなかったキャスリーン・ケネディが、B級SF作品(loopy、だっけ?)しか撮ったことのない監督の中二病的な脚本をなぜか痛く気に入ってーースターウォーズの解体とディズニー化というアイデアを、アボリジニへの教化のような白人特有の傲慢さで気に入ったのだろうーー7でエイブラムスが提示した全体のロードマップを完全に放擲して、180度の方向転換を行う決断ーー「スターウォーズを、ブッ壊す!」ーーを下したのだ。そして制作された最後のジェダイに、旧来のファンたちは激怒する。内容の拙劣さには改めて触れるまでもないが、ファンたちは何より、原典への敬意をあまりにも欠いた態度に怒ったのである。その不遜はまるで、土着の信仰を象徴してきた古い祠を、教会を立てるためにブルドーザーで更地したようなもので、穏やかで扱いやすく見えていた原住民たちの突然の蜂起にキャスリーンは恐怖を感じたはずだ。この例えはおそらく、極めて問題の本質と近い場所にあるように思う。これまで従順だった原住民たちの気狂いじみた暴動に白人の君主はすっかり怯えてしまい、彼らの文化を尊重した統治のやり方へと舵を切ることを決め、名代のエイブラムスにすべて丸投げして本国へと逃げ帰ったーーこれが、9において再び180度の方向転換が行われたことの内幕であろう。かように最後のジェダイなる傲岸により、半世紀近くをかけて築き上げてきたスターウォーズという巨大IPはあやうく完全に、完膚なきまでに破壊し尽くされてしまうところだった。しかしながら、ここに至り、統治者が女性であることが幸いする。もしこれが男性のCEOだったなら、自分の正しさを証明するためだけに8の路線での続編制作を強行し、ディズニー幹部とスターウォーズ・ファンの屍で埋まった、ペンペン草も生えない荒野だけが残されただろうから。
 
 それにしても不思議なのは、8の方向性で9を作って欲しかったと嘆いている連中のことである。いったいどんな内容の続きを想定していたのか、どうか私に教えてはくれまいか。そのアイデアが充分に魅力的でない限り、君たちの意見に乗ることはできない。最後のジェダイはスターウォーズ・レジームの否定だけで成立していて、それは4のコピーだと揶揄された7の方法論と根っこの部分では何ら変わるところがない。すなわち、原典への深刻な執着であり、依存である。例えるなら、衣食住を頼りながら親を罵り、校則違反を誇りながら退学はせぬヤンキーと同じである。さらに言えば、お気に入りの例えなので何度も使って申し訳ないが、最後のジェダイは米軍のするサトウキビ畑への火炎放射の如くであり、続編へと繋がっていくような豊かな萌芽はどこにも存在しなかったことが問題なのだ。スカイウォーカーの夜明けの話をしたいのに、またライアン・ジョンソンの批判になってしまった。あのクソ野郎がいなければ、キャスリーン・ケネディを乗せた宇宙船・スターウォーズ号が銀河の中心で1ミリも前進せず1回転していなければ、シークエルはもっと穏便でバランス(フォース!)のいい3部作になったはずだったのに!

 強大な力ゆえにダークサイドへと落ち、シスのアプレンティスかシスその人として銀河に君臨するレイを8で描いておけば(あと、レン騎士団の裏切りとか)、9におけるカイロ・レンのライトサイドへの転向はさらにドラマチックで感動的なものになり、パルパティーンをひっぱり出さずとも二人の関係性だけで物語を完結させることができたはずなのだ。プリクエルがルーク・スカイウォーカーの英雄譚だったスターウォーズをダース・ベイダーの悲劇へと塗りかえたという批判を以前に紹介したことがあったが、この言でいえばディズニーによるシークエルはスターウォーズを「パルパティーン・サーガ」とでも呼ぶべき喜劇へと書きかえてしまった感がある。ジョージ・ルーカスによるシークエル初期構想は、ミディクロリアンに焦点を当てたものだったそうだ。おそらく、シスもジェダイも同じミディクロリアンから発しており、善と悪は人の観察が生じせしめる概念に過ぎず、ニーチェの如きその彼岸への旅路こそがルーカス版シークエルの結末だったのではないか。

 しかしながら、取り返しのつかぬ繰り言ばかりを反復しても仕方があるまい。クライアントの欲しかったものではなく、実際に撮影された映画の内容、すなわちエイブラムス監督の苦悩の軌跡について少し触れておく。まずはフォース・アポーツ、フォース・キュア、フォース・リザレクションなどと揶揄されている、フォースへ新たに搭載された機能群についてである。アポーツについては前任者が導入した絵ヅラ優先のトンデモを否定しないエイブラムスの優しさに満ちており、諸君は責めるならキャシーのイキり情夫をこそ責めて欲しい。そしてキュアはリザレクションへの大きな伏線であり、シスの秘儀とは異なった方法で愛する者を救うというのは、アナキンが強く求めながら、ついぞたどり着かなかった境地でもある。アナキンとベンの間に存在する違いとは何だろうか。それは「共に銀河を支配しよう、永遠に!」と真逆にあるもの、すなわち己の命さえ求めない利他である。その究極の無私をもって、ベンは最後の最後でジェダイとして霊体化することを許された。いま書きながら気づいたが、ベンはレイの腹部に手を当ててリザレクションを試みていた。これにより、スカイウォーカーを襲名するエンディング(3のそれと同じ絵ヅラの)を越えた先で、レイはベンのフォースによって処女懐胎していて、第1作目でアナキンの置かれた状況への円環を成すという読みさえ可能になっている! そして今度こそ、ダース・ベイダーの誕生というスターウォーズ・サーガの宿痾を解消し、憎悪と絶望の無い世界が立ち上がる(ライズ)のではないかという新たなる希望(ニュー・ホープ)をーー失礼、私はいつものように君たちを置き去りにし、自分だけを感動させる都合のいい妄想へと入り込みすぎてしまったようだ。

 ともあれ、エイブラムス監督、本当にお疲れ様でした。前任者の、唇の端からよだれを垂らした情動失禁(大切なものを壊す快感!)の痕跡をきれいにぬぐい去り、粉々にされた祠の破片をかき集め、じつに丁寧な仕事で元の形へと修復されました。愚痴りたいことも多いでしょうに、どのインタビューを見ても、悪態をつかず、誰かのせいにせず、先人へ敬意を払う姿勢を貫いており、誠実な人柄がしのばれます(エンディング間際でモブの女性同士をキスさせる「ディズニー仕草」をサラッと織り込んで、キャシーの顔を立てることも忘れないところとか)。貴方こそが、死にかけていた、あの古い物語の救世主です。でも、物語的な文脈が特にないのに、カイロ・レンのマスクをツギハギだらけに修復したところは、ライアン・ジョンソンへの当てつけっぽくて笑いました。

 そして、ファイナル・オーダーってネーミングはどうかと思いました。3で戸田奈津子がファースト・ギャラクティック・エンパイアを「第一銀河帝国」と訳出して、だれ視点からの第一やねんとファンから総ツッコミを食らっていましたが、それと同じ類の過ちを犯しています。この「ファイナル」は制作者視点からしかネーミングできないはずで、9の中でここだけ8のようにメタっぽくなってしまっています。個人的には、エヴァQ予告のファイナル・インパクトを思い出してムカつきました。劇中のだれ視点やったら、それがファイナルになるってわかんねん。

 あと、数百隻のスターデストロイヤーが待ち構えているのがわかっているのに、来るかどうかわからない援軍だけを頼みに(来なければ、死)たった十数隻で特攻し、「ごめん、やっぱりダメでした」って言うポー・ダメロンの無策っぷりには心の底から、「コイツ本当にダメロンだな」と思いました。これからは語尾に「なんとかロン」ってつけるようにすればーー「ごめんロン、やっぱ援軍はこなかったロン」ーー、上官にしたくない男ナンバー・ワン(nWo調べ)の、文字通り致命的に無能な彼でも、プリキュアみたいで許せる気持ちになるんじゃないでしょうか。あ、7のときから冗談みたいに言ってましたけど、もしかしてこのネーミングって、日本語市場へのメタな目配せなんですか? 援軍がきたとき(初回視聴なのに、なぜか来るのがわかってました! 私もフォース・センシティブなのかもしれません)の「armyじゃない、peopleだ」みたいな台詞はベタですけど、スターウォーズらしくてグッときました。なぜかいま思いつきましたけど、「ザ・ピープル・バーサス・ライアン・ジョンソン」ってドキュメンタリー映画の企画、どうでしょうか? 「バーサス・ディズニー」じゃ会議に通らないんで、少しマイルドな提案にしてみました!

 それと、シスの全天候型フォース・ライトニングって、乗組員と船体を傷つけずに航行能力だけ奪ってるし、EMP兵器みたいな扱いなの? あそこだけ、なんかマトリックスぽかった。

映画「スターウォーズ9 スカイウォーカーの夜明け」感想

 悪意のある置き石に横転、大脱線した貨物列車の機関部分を修理し、再び線路に乗せ、荷物を積みなおし、なんとか目的地にはたどりついたという感じ。一本の映画としては構成的に難があるが、正しくスターウォーズ作品となっている。本作を前半と後半に分割し、それぞれに足りない分の尺を足して2つの作品にすればもっと完成度は上がったはずだが、キャスリーン・ケネディCEOの情夫であるライアン・ジョンソンの狼藉のせいでそれは許されなかった。

 5年前にも指摘したように、ただその強大な力ゆえにレイはダース・ベイダーと化し、イスラムに傾倒する英米の若者を思わせるカイロ・レンがライトサイドへと転向する、この2点を描写することは7に張られた伏線から判断すれば、規定路線だったはずだ。それを、エイブラムスが丁寧に上げたアタックしやすいそのトスを、ライアン・ジョンソンが突然のオーバーヘッドキックで観客席に蹴りこみーー「オイ、何やってんだ! バレーボールだぞ!」「でも、今のオーバーヘッドキック、すごかっただろ?」ーー、皆を騒然とさせたのが8である。そして、たんこぶをつけた観客から忌々しげにコートへと投げ返されたボールを、エイブラムスが再びレシーブし、自らトスし、自らアタックしたのが本作なのだ。ベンチに下がったライアンがふてくされながら、「でも、おれのオーバーヘッドキックのほうがすごかったじゃん」と小声で吐き捨て、コーチに後頭部をはたかれるところまでが目に浮かぶようである(幻視です)。

 基本的には、過去の名場面を下敷きとしたシーン(運命の戦いを思わせる波濤のデュエルなど)の連続で、シリーズを追いかけてきたファンなら、否応にグッとさせられることは間違いない。そして本作の最後において、「スカイウォーカー」は團十郎や菊五郎と同じく、歌舞伎のように襲名されていく何かとなった。フォースの使役はブラッドラインによらないという8のラディカルさを、少々薄めて再提示した形だ。映画史上に名を残す、空前の駄作である8さえも完全には否定しないあたり、さすが「100点を取れない代わりに決して80点を下回らない男」、エイブラムスの面目躍如と言えよう。同僚のライアンを否定せず、旧来のファンに寄り添いながら、上司のキャシーの機嫌を取ることも忘れないーー本作における彼の苦労を想像すると、キリキリと胃が痛くなってくる。

 だが冷静に見れば、3つもの作品を費やしておきながら、9のラストは再び6のエンディングの地点に戻っただけで、スターウォーズ・サーガそのものは1ミリも前に進んでいないのであった。8さえ無ければ、作品テーマを半歩は前進させることができただろうと思うと、無念でならない。そろそろキャシーはルーカスに頭を下げて、ディズニー資本のままで構わないから、彼の初期プロットによる3部作を撮り直させてもらうべきだと真剣に思う。

 そして、本作による再度の路線変更により、前作でフォースの片鱗を見せた馬屋の少年は、永久に奴隷として飼い殺されることとなった。ライアン・ジョンソンのクソ野郎め、最後の最後までイヤな気分にさせてくれるぜ!

 映画「最後のジェダイとスカイウォーカーの夜明けについて」

ゲーム「FGO第1.5部第3章」感想

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! 市井の小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの素晴らしさは、マネタイズできなかったがゆえに緩やかな枯死を受け入れざるを得なかったテキストサイト群に対して、ある種のアンサーたりえているところだと信じておる! ツッタイーに駄文と春画を垂れ流す有象無象の裏に同じ数だけ潜む、気難しい沈黙のテキスト目利きを唸らせ、正しい意味でのパトロンとしてカネを払わせたのだ! 無名の鑑賞者が持つテキストへの審美眼を信じており、それに対して真摯だったからこそ、昨年末から本年の当初にかけて、エフ・ジー・オーはソーシャル・ゲームのスターダムを駆け上ることができたのだ!

 しかし、この十ヶ月というもの、アガルタに代表されるスタンディング・クラップを監修無しに提供し続けるなど、一度はエフ・ジー・オーを信じた目利きたちを侮辱し、愚弄し続けてきた! アーリー・アダプターは同時にアーリー・リーバーでもある! 最もコアな層が最初に見限り、彼らが醸成していた熱気に寄せられていただけの、本質の見えぬスカム・バグどもが、いつの間にか消えていた熱にようよう気がついて最後に離れる、その過程がソー・コールド、ブームの正体なのだ! 正直なところ、復刻、復刻、クソアガルタ、クソ水着二部、そして復刻の流れ(言い忘れたが、原作を知らないセラフは素晴らしかった)の中で、日々エイ・ピーを惰性的に消費することへ嫌気がさし、もう二部を待たなくてもいいかなと思いはじめていたところだった!

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! オイ、剣豪七番勝負すげーおもしれーよ! 物語的に役割を終え、二次創作的にも消費され尽くした盾女が出てこないのもすげー好感度高い! 何よりかつてのギャルゲー、テキストゲーを丹念に読む手触りを想起させるのが素晴らしい! まだ最後までクリアしていないので、俺様の実存と御言葉を求めてやまぬ貴様らを置き去りにしてプレイに戻るが、最後に予言しておく!

 次作、カイロ・レンは母を殺せないことでライト・サイドへ立ち返り、レイはその強大なフォースゆえにダース・ベイダーと化すであろう! 万人を鏖殺(FGOの影響だ!)し、何人の反撃も受けつけぬ暴力を得たとして、貴様はそれを行使しないほど強い倫理や信仰を持つことができるのか? エピソード1~6がアナキンの物語であったように、レイは新しいサーガの主人公となるために、出自の知れぬままダークサイドへ堕ちるしかない。

 市井の小鳥猊下であった。センキュー、センキュー!