猫を起こさないように
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ゲーム「艦隊これくしょん」感想

 FUNK LOVE(ファン倶楽部)! 小鳥猊下であるッ! 貴様ら、コミケを直前に控えた猛暑の最中、いかがお過ごしでしょうか? アー・ユー・バイイング・マイ・ファンジン? 少女保護特区効果により、いまやガイジンどもの聖地巡礼が耐えぬ四神相応の地に鎮座する小生だが、昨日全国を駆け巡った大地震の予報にも関わらず、貴様らから身を案ずる声は絶無であった!

 ネット上で小鳥猊下へ言及を行ったものへの自動発番により肥大し続けてきたnWoファン倶楽部の面々は、いったい何をしておったのか! 奈良県沿岸部在住の小生は、暗峠(くらがりとうげ)を越えて迫る大津波をサーフボード一枚で乗りこなし、あの巨大地震を命冥加に生き延びたことだけ報告しておく!

 ところで急激に話題の舵を切るが(唐突な比喩だ!)、最近ドはまりしているものがある。ちょっと手をつけてからしばらく放っておいたのだが、今ではこんなに面白いものがあったのか、これが無ければもう日も夜も呉れぬ(おっと、誤変換失礼!)という感じだ。

 戦争の悲惨を極めた場所へ身を置きながら不服の一言さえ漏らさず、日の終りのわずかな補給だけを楽しみにして、生きて戻れぬかもしれない過酷な命令に日々従事する、あのけなげさ。そして、ボーキサイトを溶かして自作した申し訳の装備を肌身離さず持ち続けるいじらしさ、豊食の日本人が永く忘れていたその清貧と愛らしさに、待ち受ける過酷な運命から逃れさせることはできないまでも、私はそっと背中から抱きしめ、暖めてやりたいような気持ちにさせられる。

 だから私は、少しでも生存率が上がるように、少しでも多くが故郷へ帰れるように神へ祈るのだ、「キラキラしねえか、キラキラしねえか!」と……!!

 さて、もうわかったと思う。いま大人気のアレだ。正解がわかった君は、web拍手などの匿名メッセージで構わないから、こっそりと私に耳打ちして欲しい。もちろん、商品名の一文字を丸の中に入れさせるくらいの簡単なクイズなので、正解者は多数になることが予想される。

 その中から抽選で一名に、nWoの今後に関わる重大な権利を譲渡しようと思う。今度こそ、ファン倶楽部(FUNK LOVE)のみんなの積極的な参加を期待しているゾ!

 うむ? 「やって」る? 「艦コレ」? なにソレ? 貴様らおたくとは、どうも話が噛み合わんな。いま大人気のアレと言えば、ソルジェニーツィン先生の「イワン・デニソーヴィチの一日」に決まっておろうが!

 戦争の悲惨を極めたラーゲリでアルミ(ボーキサイト)を溶かして自作したスプーン一本を脚絆に忍ばせ、わずかの粥と野菜汁を楽しみに酷寒(マローズ)の中での屋外作業をやり過ごす日々。「この野菜汁の一杯こそ、今の彼には、自由そのものよりも、これまでの生涯よりも、いや、これからの人生よりも、はるかに貴重なのだ」の一文にキュン死しない社畜はいないと断言できる。これだけであと十年は社に飼い殺されることができる勢いだ。

 もちろん、「キラキラしねえか、キラキラしねえか!」の台詞は、作業免除になる大吹雪(ブラーン)の到来を知らせる粉雪を祈願してのものに他ならない。「閏年のために、三日のおまけがついたのだ……」を超えるシニックを私は寡聞にして知らないが、貴様らはそうじゃないのか?

 そしてドストエフスキー以降のロシア文学のお約束とも言える、キリスト教徒からの神の愛に関する説法を黙って聞いたあげく、ビスケットを一枚あげちゃうんだぜ? しかも「腹の皮がさけるほど飲む」飽食の本邦とは違って、生きるためにギリギリのカロリーをしか与えられないラーゲリでのできごとなんだ!

 ああ、ワーニャかわいいよワーニャ!

 @nobody やっぱり! ぼくもなんかすでに死んだ人の追憶をたどる気持ちにさせられます! アリョーシュカはやっぱり死んだんだろうな、微笑みながら死んだんだろうな、とか。

 @nobody おしい! 「収容所群島」じゃなくて、初期作品の方です!

 @nobody す、すいません、うちの祖父はなんか兵役免除だったみたいで……すいません、こんな末裔が生きてて、今の繁栄を享受してて、本当にすいません……!!

ゲーム「ファイナルファンタジー14」感想、あるいは麻雀について

 土間式麻雀(土を突き固めて作った玄関口において、蚕や牛のかたわらで行う麻雀の意)! 小鳥猊下であるッ!

 何やら無料で四人対戦ができるとのことで、東風荘の閉鎖からこちら遠ざかっていたネット麻雀を再開してみた。何を隠そう、私は麻雀が弱い。雀歴は20年以上、阿佐田哲也や片山まさゆきや押川雲太朗の著作をすべて読破し、戦術などへの理解は深いはずだ。しかし、とにかく弱い。今日も今日とて「久しぶりに麻雀ってヤツをやってみるか」などとワニ蔵の顔でつぶやき、対局相手全員の手牌を読みながら、捨て牌の手出し・ツモ切りをすべて把握しつつ、真剣に打った。するとどうだろう、4連続ラスを引き、うち2回はトビ終了だった。内容はと言えば、12局連続ノー和了、数少ないアガリはすべて低目、勝負牌はことごとくドラを抱えた相手のペンチャン・カンチャン待ちにつかまる。

 麻雀というのは本当に怖い遊びで、ドラ集めと絵合わせでなく、真剣に取り組めば取り組むほど、その人物の現在のカンや運などのパラメータをじつに正確に反映するようにできている。私が株やギャンブルの類を一切やらないのも、麻雀を通じて必ずトータルで負けることを知っているからである。

 しかし、読書をしながらの片手間とか、酒を飲みながらの絵合わせとかになると、かなり勝ててしまうのである。私が物事に当たるとき、少し力を抜いて正面から組みにかからない理由も、ここにあると言えよう。

ゲーム「FGOイベント『閻魔亭繁盛記』」感想

 エフージオ、ジョンストン掘りの裏側で金リンゴをかじりまくりながら、閻魔亭クリア。いったんファンガスの胞子を浴びれば使い回しの汎用モーションで、ストーリー的にもイマイチ印象の薄かったフィン・マックールでさえ、ホラ見ちがえた。惜しむらくは、あっさりとチュチュンを引けてしまったので、この良イベントに対して十分だと考える課金ができなかったことであろう。

 人類の歴史がなぜ継続しているのかと問われれば、いまこの瞬間にも世界のどこかで名も無き人々が、すんでのところで人間の破滅を防ぎ続けているからである。そして破滅へと至らなかった事象は、だれの記憶にも残らず、どこにも記録されることはない。ちょうど小さな善意が、大きな悪意に先んじて日々のニュースを飾らないようにだ。本イベントにおける新所長の言動は、世界の破滅に対する我々の、無意識の善なるふるまいを代表していると言えるだろう。ファンガスがこの感じ方を共有しているのかは、わからない。ただ、共有しているように思えるというのが、私にとって非常に重要だ。

 僕の優雅な年末におし入って来た、この奇妙な慈愛のようすがそれからどうなったかというと、実はまだ続いているのです。

 「よい大人のnWo」なるサイトを年始の暇にあかせて読み返しているが、どれもこれも才気にあふれており、ひどくおもしろい。にもかかわらず、この人物はもう書いていないのだという。だれも彼に声をかけず、何よりだれも彼にカネを払わなかったことが原因である。私がエフ・ジー・オーにできるだけ課金しようと思うのは、そのうちのいくらがファンガスの懐に入るのかは知らないが、彼に書き続ける意志を失ってほしくないからである。痴人への愛という更新の登場人物が、次のように述懐している。

  「私ね、舞台に上がる前は奇跡が起きるような気がするの。もし、この舞台をうまくやり終えたら、みんなが私に拍手をして、そうして次の日からは誰からも愛されるように、誰からも必要とされる私になれるんじゃないかって思うの」

 とてもよくわかる感覚だ。そして、この気分をいつも裏切られ続けてきたことで彼女は摩耗してしまったのだろうな、と思う。昨年末に行った更新とその後の無視および無反応で、久しく忘れていたこの感覚を思い出した。だれかの目に少しでも留まるよう、最新の更新から気に入りのフレーズを紹介する。

 『そうだ、ウガニク。いまのインターネットはすべて偽物の、まがい物だ。テキストが魔法として機能した神代のインターネットは1999年まで、それ以降はただの言葉の下水道じゃないか。』

 『きみの汚い言葉は最高にきれいだった。ぼくの下劣な言葉は最高に美しかった。ぼくたちのテキストサイトには、確かなキュレーションがあった、審美眼があった。』

 『それがどうだ。回線は馬鹿みたいに速く安くなったけれど、いまや恐ろしい分量の美しい言葉ばかりが下品に乱雑に、かつて美術館であり博物館であった場所の床へ足の踏み場もないほどに、ただ放置されている。』

 『さあ、ウガニク。君のあとから来たまがい物どもを、ぜんぶ、ぜんぶ殺しつくしてくれ。』

 新年の抱負は、「バズる」「炎上する」。小鳥猊下でした。

ゲーム「ウィッチャー3」感想

 (純粋なまなざしで)小鳥猊下はスケベってどういう意味? (ギラギラした目で)それは性欲が強いということだ! 小鳥猊下であるッ!

 ええ、根がミーハーなので、やってますよ、ウィッチャー3。きっと、ゼノなんとかをこきおろすために本作へ言及するんだろうと気になって、つい出歯亀的にのぞきにきたんですよね。アハハ、そんな下品なことしませんよ! とりあえずの雑感だけ、お伝えしますね。最初のボスを倒すまでに感じていたのは、まるで「ソーサリー!」みたいだな、「魔法使いの丘」を冒険しているみたいだなということでした。ちょうど子供時分に漠然と頭のなかに抱いていたイメージが、目の前に具現化されるのを見るようでした。オープンワールドっていうと、物語より先に巨大な箱庭がドンとあって、バグも多いけど進行不能なものでなければだいたい許容されて、ゲーム性のバランス取りは最初から放棄されてて、気になるならファンサイドがMODで調整していいよって感じだったじゃないですか。でも、本作はオブリビオン時代のそういった丸投げから確実に進化している。同系統のゲームを研究対象として前提にしてるのが伝わってきて、スカイリムとドラゴンエイジがあったから、ウィッチャー3がこうなってるのがわかる。オープンワールド系ゲームは、成熟期にさしかかったのかもしれませんね。

 あと、これは言っておきたいんですが、ローカライズがとても素晴らしい。元のゲームは面白いはずなのに、ローカライズに愛が無くて止めてしまうことって、結構ありませんか。やる気がまるで、“消えかかった光”のようになっちゃうんですよね。おっと、遠回しの批判がまた皆様を不快にさせてしまうでござるよ! 人気商売、小生、人気商売でござった!

 で、ローカライズに言及するとハナから原語でやれよ、みたいにアオってくる方々がいますよね。実際わたしもアオる側の発言が多いように思いますが、正直なところを言いますね。元より対話の意志があったり、小金を持った客であったりする場合と、こちらを本気で殺してやろう、喰い物にしてやろうと相手が思っている場合では、言葉はその質を全く変えるでしょう。前者の状況なら外国語を用いてコミュニケーションを取れる人は少なくないように思いますが、後者の状況で負けない語学力を持つ方は実はそれほど多くありません。この意味でオープンワールドを真の体験として味わうには、母語によるローカライズが不可欠なのです。

 声の配役とか、翻訳のニュアンスとか、モブの反応とか、膨大な労力を必要とするわずかの違いを埋めるのは、オリジナルへの愛以外にはありません。ゲームは気難しい目利きの旦那方を相手にする、言わば嗜好品の商売だと意識して欲しいですね。

 ウィッチャー3、プレイ中。血まみれ男爵のクエストがひどく身につまされて、しばしコントローラーを置く。アル中のDV夫、繊細な偽善者、泥酔の末に妻を流産させながら、水子の霊へは涙を流す。我々はみんな赤ら顔の、酒を飲み過ぎた中年であり、自分を憐れむことさえ満足にできやしない。死にたくはないという理由で、後悔にまみれながら、ただ生きることを手放せない。

 血まみれ男爵が首を吊った。虚構の人物が死ぬことにショックを受けるのは、どのくらいぶりだろう。グイン・サーガで言えばユラニア三醜女のルビニアとか、いつでも過剰な耽溺を抱えたキャラに愛をおぼえる。だれだって等分に、まわりが思うよりはずっと繊細にちがいない。受け入れがたい現実を前にしたとき、それを変えることではなく逃げることを選ぶ弱さに、共鳴してしまう。

 サイドクエストのやめどきがわからず、ここ三日ほどノヴィグラドに滞在し続けている。それにしてもこの街、行ったはずのない城塞都市カーレを思い出させるなあ。

 猫ウィッチャー(猫ピッチャー的な絵柄でアクスィーの印を結びながら)! 小鳥猊下であるッ!

 ウィッチャー3をプレイしていて、JRPGが死のうが任天堂が変節しようが、もはやどうでもいい気分になってきた。三人の泥酔男が女物の服を着てかわやの猊下(猊下だ!)と対話する場面では久しぶりに声をあげて笑ったし、ケィアモルヘンで仲間たちとワイルドハントを迎え撃つ場面では久しぶりに鳥肌が立つほど気持ちが高ぶった。

  ウィッチャー3、ようやくクリアする。ウィッチャーの娘が女帝として国を継ぐだろうエンディングだった。別れの場面における演出は細かな感情の機微に富んでおり、本邦のモデリングが指向する二次元美少女の立体化では到達できない高みに届いていた。本邦の「萌え」なる文化は、人の世にある男女間のあらゆる機微を、それがたとえ父娘であったとしてさえ、すべて性交レベルへと貶める。もしこれが某ゼノセックスでの演出だったなら、ウィッチャーの娘は握ったこぶしを顎の下でチューリップ状に開きながら顔面を不必要にカメラへ近づけ、陰茎が股ぐらに収まったときみたいな声で頬を染め、巨大な眼球に淫水の如き濡れた質感を浮かべたに違いない。いや、いや、そうだった、もう忘れるんだった。JRPGのことはすっかり忘れて、いい映画を鑑賞した後のような余韻をかって、いましばらくこの世界を放浪しよう。

ゲーム「ディスティニー」感想、あるいは大作化の問題点について

 ディアブロとヘイローとスカイリムのゲーム性を同じ鍋で煮詰めて、スターウォーズとスタートレックとマジックザギャザリングの世界観を香りづけとしてふりかけた超大作。あちこちで宣伝しまくっていたので、ゲームに興味が無くとも名前を知っている向きは多かろう。操作感は軽快だし、画面のクオリティは超絶的だ。制作側の愛と熱気も充分に感じられる。しかしながら、冒頭の要素の足し算にはなっておらず、結果としてそれぞれの劣化コピー感ばかりが強く感じられる仕上がりとなっている。

 だが何より恐ろしいと思うのは、十年近くと5億ドルを制作に費やした超大作であるのに、リリース直後の48時間程度である程度まで評価が定まってしまい、いったん悪いふうに定まってしまえば後からの追加要素でそれを覆すのが極めて困難だということだ。エンターテイメントを食い散らかすわれわれ飽食のブタへ、天井知らずに高まっていくクオリティを維持しながら、本質的にはすでにどこかで語られてしまった物語をそうではないように提供する作り手側の恐怖は、いかばかりかと思うのだ。

 いったいどうやって、彼らは作り続ける意志を保つのだろう。それは大河に落とす一滴のようなもので、きっと自分がやらなくても他の誰かが同じように、あるいはもっと上手くやってくれるのだ。他の誰かがではない、今ここにいる「自分」が作らねばならない、物語らなければならないと、どうすれば信じることができるのだろう。現在のnWoの停滞とはまさにその停滞である。いくつかの新たなアイデアから更新に着手しようとはした。だが、なまじ一般受けをねらって球を投げたばかりに、書く動機を失ってしまったのだ。私小説や日記をのぞいて、特定の人物が語らなければならない虚構が、いまの世界に存在するのだろうか。

 ……というのが最初の5時間くらいまでの、しかつめらしい感想。

 それからさらに10時間ほどプレイして、先ほどストーリー部分をレベル18でクリアしたが、物語の展開がびっくりするほど理解できない。これほど理解できないのはFF13以来だが、実際のところファルシのルシをコクーンでパージをはるかに超えるレベルで理解できない。いつのまにか自分が発狂しているか、脳に重篤な障害を抱えているのではないかと疑うレベルで、本当に何も、何ひとつデスティニーという物語が理解できない。正気を確かめるためにいくつかのSF作品を見返したぐらい、己の認知崩壊を半ば信じかけるレベルで理解できない。でも、ゲームとしてはすごい面白い。プレイ時間に比例して面白くなる。なんだこれ。

 「大変です! コーテックスにフレイヤーが侵入しています!」 え、なに? もう一回言ってくれる? 小鳥猊下であるッ!

 質問:e3,TGSとありましたが、今期待しているゲームがあれば。

 回答:E3やTGSが何を指すのかわからず検索したほどにはゲーム業界の事情に疎い俺様だが、もうBloodborne一択である。以前も話したように思うが、すべての携帯ゲーム機には今この瞬間、即座に爆発して欲しいし、破砕したそのガラスが蒙昧な似非愛好家どもの水晶体を苛烈に切り裂いて欲しいと真剣に願っている。先日発売されたらしい乱闘撲殺兄弟の最新作や、かつて愛した怪物殺戮者シリーズなどは、目先の小銭に目がくらむあまりプラットフォーム選択を明らかに失敗しており、もはや深刻な憎悪しか感じない。ロス在住の外タレである俺様が求めるのは、巨大モニターとサラウンドを兼ね備えたゲーム専用シアターに火を吹かせる正真正銘の次世代ゲームであり、携帯ゲームなどという尻毛に付着した糞の欠片を積極的に舐め取ろうとする貧乏人どもは、それこそ半島の電動玉はじきでもやっていればいいのである。君や私のような金満家たちは、そろそろ貧乏人からゲームを取り戻そうではないか。某有名美食家ふうに言うならば、「なんという汚らしい画面と音声だ! 必要もない連中がゲームをするからだ!! 馬鹿どもにゲームを与えるなっ!」の心意気である。それこそソフトやハードの価格を十倍にして、真の愛好家以外をふるいおとせばいいのだ。いつまでも貴様らの母親がゲームのことを「ファミコン」とか「ピコピコ」と表現するのは、正に貴様ら低収入の無業者どもがスマホや携帯ゲーム機を使用し続けるがゆえである。ゲームが本邦において文化として成熟できず、貶められ続けている原因は、正に貴様らであることを自覚せよ。

 「あのケッチにケルがいるはずです!」 ごめん、もういいや。小鳥猊下でした。

 うむ、私だ。何ッ、アースホールが閉経し申し上げただと!? 小鳥猊下であるッ!

 なんかアイポンを大画面にしたら、突如イングレスがプレイできなくなった。なので営業中に生じたその隙間に、デスティニーの世界観のことをぼんやりと考えていた。設定集であるところのグリモアを読んでも読んでもわからないストーリーになんか既視感あるなー、なんだったかなーと考えていたら、諸君の期待を裏切って誠に申し訳ないがエヴァQではなく、桜玉吉「なぁゲームをやろうじゃないか!!」のアコンカグアの回だった。「漫画専門学校の生徒がつい描いてしまいそうな、ひとりよがり設定のファンタジー」という欄外の解説は、デスティニーの正体を過不足なく語り尽くしており、ようやく胸のつかえがとれた次第である。この回は傑作なので、諸君にもぜひ読んでみて欲しい。小鳥猊下だった。

 デスティニーの内部告発みたいな文書を目にする。クリエイター側がこだわりのあまり制作に時間をかけすぎ、業を煮やした販売サイドが制作サイドからゲームを取り上げて、物語の枝葉をばっさり切った上でリリースのための突貫工事を行ったことをうかがわせる内容だった。クリエイターのこだわりが過ぎて作品を取り上げられるのってなんか本邦でも見たことあるなー、なんだったかなーと思っていたら、FF12とFF15だった。

 またエヴァQの悪口になるけど、いっしょに見に行った家人が「優秀な人たちにたっぷりの時間とお金をあげてもうまくいかへんのやから、アニメを作るのって難しいんやねえ」みたいなことを話していたのを思い出した。まったくその通りである。海の上のピアニストという映画で主人公が「鍵盤の数が88という有限だから無限の音楽を奏でられるのであって、無限の鍵盤を持つピアノでは誰も音楽を奏でられない。それは神のピアノだ」って語る場面があるんだけど、最近はいろんなジャンルでこの神のピアノ問題を見るなあと思った。

 あと、かぐや姫の物語が取り上げられなかったのは、さすが高畑監督だなと思った。

 なんかデスティニーってさ、今のゲームの悪いところの象徴って感じ、すんだよね。ゲームは基本的に子どものもんだって気持ちがどこかにあって、その上で「大人も楽しめる」ってのが理想なんだよ。今のゲームってさ、子どもは無視して大人めがけて作ってて「大人しか楽しめない」ってのがすごい増えてる気がする。そりゃ、子どもって属性は時間とともに失われるテンポラリーなものだから、少子化の時代にそこ目がけて作っても先細るっていう理屈はわかんだよ。でもそれってやっぱ大人サイドの理屈じゃん。デスティニーって、5億ドル使って10年かけて作ったんだってさ。10年っていう制作スパンが、もう子どもって属性を無視してるよね。10年って赤ん坊が小学生になって、小学生が成人を迎えるような年月だよ。例えば神格化された初期のドラクエ三部作は、2年にも満たない年月で続けざまにリリースされて、まさにその時代の子どもが子どもの属性を失わないうちにシリーズの完結までを体験できたことが大きいと思うんだ。

 ごめん、またエヴァの悪口言うけど、序の所信表明に若者のアニメ離れを食い止める、みたいな文言があって、その気宇にすごい感銘を受けたんだけど、それって正に子どもっていうテンポラリーな属性のうちに体験することの重要さを言ってると思ってたんだよね。でもそっからもう10年近く経とうとしてるわけ。序ではじめてアニメに感動した子どもは、もうエヴァという物語の完結を見ずに、この世界には存在しなくなってるわけ。もういい大人になってるぶんにはいくらでも待つけど、子どもは待てないんだよ。以前スカイウォードソードの感想でも似たようなこと書いて、そのあとゼルダの制作期間が5年は長すぎる、みたいな社長インタビューをネットで読んだんだけど、まさにこの失われる子どものことを言ってんじゃないかなあ。

 初代ポケモンとか体験した世代だけど、あれも今日まで生きながらえているけれど、もうぜんぜん今の子どものものじゃない気がする。かつて子どもだっただれかが、自分の子どもに自分の子ども時代の感情を追体験させているっていう感じがすごくする。不純物が多く混ざってる気がする。日曜朝のライダーとかレンジャーとかプリキュアとかもそういう感じがすごいする。だから最近は、レベルファイブってすごいなあって思う。

 10年くらい前にローグギャラクシーとかいうゲームがあって、グラフィックがきれいだけどストーリーが意味不明っていう、まさにレベルファイブ版のデスティニーなんだけど、これをプレイしたときは本気でブッ殺すぞって思った(今でも鮮明に思い出す「二つの塔で苦労も二倍だな!」)。実際にそこから一切レベルファイブの関わるゲームはプレイしていないんだけど、ローグギャラクシーの反省からか子ども向けの新規タイトルをずっとリリースし続けていて、ついに妖怪ウォッチを大ブレイクさせたのがすごいなって思う。就学前の子どもが「じばにゃん、じばにゃん」と言いながら走り回るのを見かけるにつけ、本当にひさしぶりに、子どもだけに向けたゲームが出てきたことを実感する。親が我が子のためにグッズを買いに走り、でも何がそんなに面白いのかはわかってない感じが、すごく子どもだけのものって気がする。

 このブームを見て、やっぱりすべての物語には賞味期限があって、その中でも子どもに向けた物語だけが幾度も幾度も、趣向を変えて語られ続ける意味があるんだなと思った。かつてジュヴナイルと呼ばれた物語類型だけが、何度も何度も子どもたちに向けて新たに語り直される意義を持っているような気がする。バンジーには、たぶん無理だろうな。

ゲーム「FGO第1.5部第4章」感想

 ふぉりなー! ふぉ、ふぉーっ、フォアアーッ!! フォアーッ!! アビゲイルーッ! 俺だ―ッ! 結婚してくれー! 市井の一市民であるッ!

 え、セイレムどうでしたかって? セイレム……セイレム? ああ! 最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんの幕間の物語のことだね!

 冒頭の空騒ぎにアガルタの匂いを嗅ぎつけ一瞬イヤな予感に満たされたものの、それ以降は第二部への伏線を散りばめながら、クトゥルフ物として適切な展開が適切な文章と適切な語彙の選択で展開していき、終盤を迎えるまでは正座したまま息を詰めて読ませていただいた。終盤までの展開は、新機軸の劇中劇と繰り返し言及される認知の歪みとのメタ的な仕掛けが驚愕のコズミック・トリックを織りなす結末を夢想させるのに充分だったし、時限式の物語解放は古風な探偵小説のような「読者への挑戦状」だろうと考えていた。

 アハハ、笑ってくれ、結果としてスマホゲーごときに期待値を上げすぎた私の方が愚かだっただけのことさ!

 ともあれ、昨年末の盛り上がりを考えれば、同じ時期にまた何かを仕掛けてくるだろうし、それがために繰り上がった〆切がアビーの幕間の物語の完成度を著しく下げたのだと想像すれば、この胸のモヤモヤも一種のライブ感としてかろうじて許容できるというものだ! それまでは、最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんへ伝承結晶および聖杯を注ぎ込む作業を、傷つけられた高貴なるハートの慰撫としたいと思う。

 しかしながら今回の伏線から判断して、第二部がネルフ・バーサス・戦略自衛隊の如き、カルデア・バーサス・人類にならなさそうなのは、残念なところである。

ゲーム「FGO第1.5部第3章」感想

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! 市井の小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの素晴らしさは、マネタイズできなかったがゆえに緩やかな枯死を受け入れざるを得なかったテキストサイト群に対して、ある種のアンサーたりえているところだと信じておる! ツッタイーに駄文と春画を垂れ流す有象無象の裏に同じ数だけ潜む、気難しい沈黙のテキスト目利きを唸らせ、正しい意味でのパトロンとしてカネを払わせたのだ! 無名の鑑賞者が持つテキストへの審美眼を信じており、それに対して真摯だったからこそ、昨年末から本年の当初にかけて、エフ・ジー・オーはソーシャル・ゲームのスターダムを駆け上ることができたのだ!

 しかし、この十ヶ月というもの、アガルタに代表されるスタンディング・クラップを監修無しに提供し続けるなど、一度はエフ・ジー・オーを信じた目利きたちを侮辱し、愚弄し続けてきた! アーリー・アダプターは同時にアーリー・リーバーでもある! 最もコアな層が最初に見限り、彼らが醸成していた熱気に寄せられていただけの、本質の見えぬスカム・バグどもが、いつの間にか消えていた熱にようよう気がついて最後に離れる、その過程がソー・コールド、ブームの正体なのだ! 正直なところ、復刻、復刻、クソアガルタ、クソ水着二部、そして復刻の流れ(言い忘れたが、原作を知らないセラフは素晴らしかった)の中で、日々エイ・ピーを惰性的に消費することへ嫌気がさし、もう二部を待たなくてもいいかなと思いはじめていたところだった!

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! オイ、剣豪七番勝負すげーおもしれーよ! 物語的に役割を終え、二次創作的にも消費され尽くした盾女が出てこないのもすげー好感度高い! 何よりかつてのギャルゲー、テキストゲーを丹念に読む手触りを想起させるのが素晴らしい! まだ最後までクリアしていないので、俺様の実存と御言葉を求めてやまぬ貴様らを置き去りにしてプレイに戻るが、最後に予言しておく!

 次作、カイロ・レンは母を殺せないことでライト・サイドへ立ち返り、レイはその強大なフォースゆえにダース・ベイダーと化すであろう! 万人を鏖殺(FGOの影響だ!)し、何人の反撃も受けつけぬ暴力を得たとして、貴様はそれを行使しないほど強い倫理や信仰を持つことができるのか? エピソード1~6がアナキンの物語であったように、レイは新しいサーガの主人公となるために、出自の知れぬままダークサイドへ堕ちるしかない。

 市井の小鳥猊下であった。センキュー、センキュー!

ゲーム「FGO第1.5部第2章」感想

 6章、7章、終章、新宿と来て、この内容で大丈夫と判断したクオリティ・コントロールの甘さにびっくり。たぶん2章、4章を書いたのと同じ人だと思うんですけど、すいません、もはやドラゴンボールのチャオズ的存在に成り果ててますので、この辺で置いていくべきではないでしょうか。

 血の通わない、実感に乏しい語彙を並べるだけの、腐臭放つ壊死したテキスト群。ハンターハンターの最新刊を読んだ直後なので、余計に鼻についたのかもしれませんけれど。もし関係者の目に届くならば、どうかお伝え下さい。この内容を許容することは、FGOの終わりの始まりであると。

 終章で姿を消す重要人物へするニガーの言及に、ガワだけ同じ後輩キャラもどきがする「てめーは俺をおこらせた」発言、FGOを愛する真摯なファンがその瞬間ライターへ感じた気持ちをこの上なく的確に代弁しており、アガルタの女のメタ・アンチ・クライマックス。

ゲーム「FGO第1部第6章」感想

 じつはさー、ちょくちょくフェイト・ゴーやってんだよね。ケイタイの、課金するやつ。え、以前ちいさい画面でするゲームは死ね、滅びろ、みたいなこと言ってませんでしたか、だって? バカヤロウ! それはロスにサラウンド完備のシアターを併設した大邸宅を持つところの小鳥猊下将軍様のことであって、その分霊たる俺様には何の関係もないことはない!

 で、どうしてフェイト・ゴーはじめたかってえと、かつてnWoにトップ画像を寄贈したことのある、十数年前に一度オフ会であっただけのソウルメイト、カルメン伊藤女史がすごい楽しそうにツッターイ・ウォンカムラオで語っているのを偶然見たからなのであった。ネットで影響力を持つインフルエンサーに弱いエクス・アルファブロガーの俺様は、たちまち流行りに飛びついたというわけさ! サンキュー・フォー・アスナ・イトー!

 そのフェイト・ゴーってアプリ、スーファミ時代のRPGの戦闘だけに特化したみたいな作りで、懐かしい感じもあってダラダラ続けてたワケ。でさ、このゲーム章立てになってて、ふた月にいっぺんくらい新しいストーリーが配信されんの。導入部こそ引きこまれたものの、まあずっと安定してつまらなくないこともないわけ。んで、こないだ第6章だったかが追加されて、ちんちんさわった手で画面に恥垢の指紋つけながらプレイしはじめたのよ。そしたらさ、一時間後くらいかな、アルコール不織布で画面をぬぐって、居住まいを正しながら石鹸で洗った指先でプレイするゴスロリ少女がそこにいたわけよ。

 第6章を担当したっていうエッグプラント・ファンガスだけど、人類に共通する高い普遍性を語ることができる稀有の人材なのよ。その普遍性が一部の世界文学しか持ち得ない域に達しているにも関わらず、エロゲーやらスマホアプリやらに惜しみなく廃棄していく様子は、かつてテキストサイトなる廃文院に至高の世界文学を廃棄し続けた小鳥猊下を重ねあわせちゃうね。例えるならエッグプラント・ファンガスは、昆虫食専門のフードファイターみたいなもので、彼が食べるとき、ゴキブリさえも視聴者の目には極上の飴細工と映ずるぐらいなの。んでさ、技工だけじゃなくって、恐ろしい量の昆虫を食べることだってできちゃう。なのにさ、ジャンルそのもののニッチ/ゲテモノぶりが、彼を老若男女が視聴するメジャーのスターダムから否応に遠ざけてるんだよね。同じ界隈にいたエンプティ・アビス・ブラックは、無垢な存在のサクリファイス、汚濁が清浄に変換する一瞬のカタルシスという一芸のみで、メジャーの舞台から声がかかるようになったじゃん。なんで多芸のエッグプラント・ファンガスがマイナーの小屋に留められているのか、ボクには不思議でならないよ!

 え、ユア・ネイム・ピリオドで現在メジャーのスターダムを駆け上がっているシンカイ=サンは何に例えることができるかだって?

 それをボクに聞くのかよ! すでに評価が確立している高級店しか扱わず、おまけにひどいクチャラーなのに、食べ物を口に入れた瞬間に無難で適切なコメントを吐き出すことができるから重宝されているグルメ・レポーターという位置づけに決まってるだろ! あんなのと比較させるなよ! ボクだけが理解できる、エッグプラント・ファンガスの高潔が汚れるだろ!

 もうッ、また罵倒芸になっちゃったじゃないの! アタシに聞くのが悪いんだからね!

ゲーム「俺の屍を越えてゆけ2」感想

 俺屍2プレイ中。前作もそうだったが、ウィザードリィ世代直撃、いったんゲームを開始すると数時間はフッとぶほどの時間泥棒ぶりなので、できるだけ電源を入れないよう努めている。細部にまで神経の通ったゲーム性の手触りが、抜群に心地いい。そして、ストーリーも含めてゲーム全体を周辺状況込みで俯瞰するとき、とたん本作は狂王の試練場というよりコズミック・フォージの様相を呈し始め、狂気クリエイター更新への意欲を久しぶりにかきたてられるぐらい、面白い。

 赤の他人の屍を幾度も越えてクリアに至ったところの、小鳥猊下であるッ! ゲームに作家性を求めてしまうみたいな話を前にしたことあると思うんだけど、アタシほら、テキストサイト界隈のレジェンドだから、テキストに作家性を求めちゃうのよね。

 例の続編だけどさ、特にイベントパートでさ、明らかに違う人がセリフ書いてんの。指定の文字数を埋めるだけが目的みたいな、精の薄いテキストが書かれてんの。アタシってほら、2ちゃんねるの前から存在してる、日本のインターネットの生ける伝説だからさ、文章の密度とか艶とかでだれが書いたかなんてすぐにはっきりわかんだね。自動生成ダンジョンがウリになのに、ラストに近づくにつれてぜんぶコピペの一本道になってって、なんか全体的に納期に追われてむりくり完成させたみたいな突貫工事感ただよってんの。

 今回、一見さん向けにストーリー重視みたくなってんだけど、場面場面に整合性が無くて、なんか精神に疾患のあるキャラが自作自演した、統合失調みたいなシナリオなのよね。感情を知らない宇宙人がロジックで地球人の行動を推測したら、ぜんぜん違ってました、みたいな。赤の他人も「うるさい、黙れ!」しか言わなくて、おいおい、オマエがちゃんと話を聞いてやるだけで今回の件はもっと早い段階で収束したんじゃねーのって。

 あれっ、大人がちゃんと子どもと話をしてたら起こらなかった、本質的に不要のできごとが中心に置かれたストーリーって最近なんかあったなー、なんだったかなーと思ってたら、エヴァQだった。

 それと、エンディング後のおまけで一族全員が主題歌に合わせて左から右に行進していくみたいなのがあるんだけど、同じ顔で同じ衣服で同じ名前の部外者が何度も何度も現れるのがあんまりシュールで笑った。いや、むしろ笑えない。

 どんなベテランも自分の創作物への距離感を正しく保つのは難しいんだな、と思った。