猫を起こさないように
ウマ娘
ウマ娘

アニメ「ウマ娘プリティーダービー・新時代の扉」感想

 「当世イチのアニャたんファンとしては、フュリオサの予告トレーラーをスクリーンで見ておかなくちゃな……」というよこしまな欲望に駆動されて、外出中のスキマ時間で劇場版ウマ娘を見る(どんなチョイスやねん)。主役の”オレっ娘”が多彩な美少女たちと勝負にシノギをけずる、昭和の少年誌に掲載されていたかのような「熱血スポ根もの」という怪作にしあがっています。おもしろいかと問われれば、確かに平均以上にはおもしろいのですが、中盤で延々とくりひろげられるいわゆる「曇らせ」が間のびしているのと、いちばん盛りあがるはずのレースシーンがいずれも同じ一本調子のため、既視感によるダレはありました。本シリーズは、実在する競走馬のレース人生を「史実」に見立てて、「もし、彼/彼女がヒトと同じ内面を持っていたのなら、いったいなにを感じただろうか?」という問いかけに対するアンサーによってストーリーは進行していくのですが、もともと競馬に興味を持たず、スマホ版もリリース初年度の半年ほどで脱落した身からすると、アグネスタキオンというキャラの内面が大仰な描写のわりに意味不明で、視聴後にウィキペディアを調べて、ある程度の「答えあわせ」はできたものの、「立式の過程が解説されない」というモヤモヤは残りました。それもこれも、筋書きを史実に寄りかかりすぎているせいであり、テレビシリーズもそうでしたが、「栄光を挫折で”曇らせて”からの、大復活劇」なる物語の型にピッタリとハマる競走馬を探しだして主役にすえることが、悪い意味での枷になっている気はしました。本作をあしたのジョー(古ッ!)で例えるなら、ジャングルポケットが矢吹丈、アグネスタキオンが力石徹、フジキセキがカーロス・リベラ、テイエムオペラオーがホセ・メンドーサみたいな配置と役割になっており、「力石をリング上で撲殺してしまったため、顔面を打てなくなったジョーが、カーロスとの死闘でボクサーとして復活する」ところまでは、史実を利用した葛藤とその克服を演出することに、かろうじて成功していたとは思います。しかしながら、「フジハ、ポケットトハシルマエ二、コワサレテシマッテイタンダ……オペラオーノスエアシニヨッテネ」へ相当するラスボスとの因縁が作中でいっさい語られないため、最終レースの意味づけというか、作品中での意義が薄くなってしまい、ラストはいまひとつ盛りあがりに欠けました。

 「凄腕アニメーターたちがCGに頼らず、迫力のレースをペン1本でえがききる」という盤外のナラティブも目にしたものの、レース描写じたいがけっこうマンネリ化してきているとは思います。「美少女にさせるスレスレの変顔」「疲労や絶望を表すさいは多めのシワ」「スパートをかけるさいは地面を踏む足のスローモーション」「最高速に達したことを表す風防様のエフェクト」「限界を超えたことを表す劇画調の主線の乱れ」などの決まり芝居から、何より「史実による歴史修正力」で勝敗が決まるため、レースの展開がいささか説得力にとぼしく、結果に納得感が生まれてこない。なぜかシンカイ=サンが”いっちょかみ”で「レース後、唐突にライブが始まるのが異文化体験」みたいに語っているのを目にしましたが、そもそもライブの前提であるレースが筋書きありきのミュージカルになってしまってはいないでしょうか。これだけレースの過程や結果を「史実」に依存しているのだから、実在する競走馬の体格や筋肉の付き方、性格や走り方のクセについて、ケレン味を廃した確かな動きとしてアニメーションに落としこむ方法論もあったんじゃないですかね(宮﨑駿みたいなこと言ってる)。さらにうがった見方をすれば、本作のレースシーンは「クリエイターがクリエイターに向けて作る」の見本みたいな中身になっており、「いやー、ここの表現はグレンラガンのアレを参考にしてまして」みたいなニチャクチャとしたエクスキューズが終始、耳元でささやかれるかのようでした(幻聴です)。競走馬の名前もアニメーターの名前も知らない市井の一市民にとっては、そういったメタ要素から二重の意味でフィクションへの没入をさまたげられる感覚があり、マモルさんのよく言う「アニメーターは犬の集団と同じ。いちばん上手いヤツに、全員がゾロゾロついていく」との指摘が正しいとするならば、ガールズバンドクライみたいにレースの絵はぜんぶ3DCGで作って、脚本と構成に時間をかけたほうが、上手い犬に全体のトーンをひっぱられずにすむんじゃないですかね(頭頂部から雨様の黒いエフェクトを吹きだしながら)。

 「まだ上半期だけど、実写を含めた本年度のベストになるかもしれない」みたいなタガの外れた激賞も見かけましたが、ウマ娘は「美少女が制服や体操服やアイドル服を着て走ってるから、楽しく見ていられる」という、LGBTQF以外が抱く欲望を極大の前提としている事実に関して、どういった心の動きで意識の死角へと追いやることができるんでしょうか。これはステラーブレイドの大ヒットと同じ根を持っていて、アーマードコア6をその難易度から早々に投げた人物が、エロ装備を目的に数多の強ボスを撃破し、エロ装備を目的に全マップを隅々まで踏破し、エロ装備を目的に全クエストをクリアし、エロ装備を目的にドリンク缶をすべて収拾し、エロ装備を目的に2周目を始めるべきかをいま真剣になやんでいますが、この50時間をもってステラーブレイドは空前絶後の大傑作だなんて強弁するつもりは、サラサラーーロングポニーテールがラテックス臀部をなでる擬音ーーありませんからね! おのれの性欲を客体化できないのは昭和の太古より変わらぬ、オタクの持つ精神の陥穽だと言えますが、このたびの唐突な視聴には「ウマ娘初日の劇場がとんでもなく臭い」という直球ディスをひさしぶりにタイムラインで見かけてうれしくなってしまい、台風の日に川が氾濫する様子をうかがいに行くような野次馬的側面が、多分にあったことは伝えておきましょう。おとしめたい相手とケガレを紐づけるのは、人類史に変わらぬ差別の本質であり、オタクという概念が文字通り脱臭され、そのリプレイスとして「チー牛」なる単語が生まれたことには、ある種の感慨があります。長い苦闘の末に克服したと思った負の感情を、後の世代がガワだけ違えてくりかえすーーそれは、虚脱にも似た悲しみだと言えましょう。ともあれ、「差別の形は、人の心の形」との思いを再認識すると同時に、エスエヌエスへ垂れ流れる情報の胃ろう的な吸収は、知恵や知識とはほど遠い流動食にすぎないとの指摘を、自戒とともにここへ残しておきます。

 最後にウマ娘へ話をもどしますと、フジキセキのレース服が裸ジャケットで、申し訳にネクタイを谷間へ垂らしているのは、何か照応する「史実」があるんですかね? ちょっと走っただけで「まろびでそう」なのにハラハラさせられたので、せめて肌色のインナーとか着せてほしいなーと思いました。

ゲーム「FGO水妖クライシス」感想

 FGO、水妖イベントクリア。もはや第2部の結末を見届けるためだけに惰性のログイン(連続2,419日目)を続け、イベントテキストの9割が読む価値の無い中身だと半ばあきらめつつも、時折やってくるこの唯一無二のスペシャルがあるから、FGOはやめられない。水辺で行われるオールスター集合の当イベント、おそらくは今夏に配信予定だったものを、結末部に大幅な加筆を行った上で、前倒しで実装されたのではないかと推測する。なぜか? それは、時代の要請によって望まぬまま英雄に祭り上げられた個人が、その事実によって多くの無辜の民を長く苦しめ、無意味に死なせたのではないかと苦悩する物語だからだ。この英霊をいつ取り上げようと決めたのかは、知らない。しかし、「いま、ここ」で配信されることによって、受け手はテキストに記述された以上の内容を読みとることだろう。

 エイジャンたちの死はどこまで重なろうともピンと来ないが、コーケイジャンの死は一個一個が己が身内であるかのように胸を痛ませる。これは、ウマ娘による擬人化で競馬というドラマをはじめて理解したオタクたちと同じレベルの話で、結局のところ、人は同族にしか共感を寄せることができないのだ。差別の本質が共感の欠如だと仮定すれば、単純にいかような見た目を持つかの話へと帰着し、それは敵味方を識別する我々の動物に根ざしているため、どうにも完全には抜き去ることが難しい。もちろん、私はこう読んだというだけで、ファンガスがどこまで意識的に書いているかは、正直わかりません。けれど以前にも指摘したように、「計算半分、センス半分」で今日的な物語の鉱脈にたどりつくのは、まさに「神おろしの巫女」の面目躍如だと言えるでしょう。もっとも、わざわざプレステ1みたいな汚いムービーを入れてくるセンスだけは、どうにも擁護できませんがね……。

 (髭のエイジャンがまっすぐにカメラを見つめて)ヒデアキ、わかっただろう。君の個人的な想いをそのままセリフでキャラにしゃべらせることでは、作品にメッセージ性など、決して生まれない。ある状況に向けて、キャラたちの行動がからみあい収束するダイナミズムこそが、物語に魂を宿らせるんだ。どれほど円盤の発売を延期して、細部の修正をくりかえそうと、君がエヴァの根幹を壊した事実を無かったことにはできない。ヒデアキ、私たちシンエヴァ否定派は、決してあきらめない。エヴァQの前日譚は、必ずここで頓挫させる。そして、我らの手に取り戻すのだ(背後に流れ出すエヴァ破の次回予告)。

雑文「ベルセルク未完に寄せて」

 訃報にふれた第一声は、「ば、馬鹿ッ! 本当に死ぬヤツがあるかッ!」でした(関西弁だったけど)。私にとってのベルセルクは、スペースシャトル(様の宇宙船)だったかなー。ノロノロつたない導入部からグングン作画力と演出力が加速し、「蝕」と重なったそのピークの爆発力で重力をふりきって成層圏まで一気に垂直上昇、「ロストチルドレン」で機体が平行に戻ったあとは衛星軌道に乗って、遠くでゆっくりと時間をかけて同じところをグルグル回っている、そんなイメージです。

 ドクター・マシリトが作者との対談で、「僕が担当なら蝕のシーンはぜったいに描かせない。若いうちにあれを描いてしまったら、作家として終わる」みたいなことを語ってて、本当に慧眼だったなーと改めて思わされました。ドラクエで例えると、レベル50ぐらいまでの到達とラスボスの打倒をバランスのいいテンポと長さで語るのが、良い少年漫画の基本系だと思うんですよね。昔の作品ならダイの大冒険あたり、最近の作品なら鬼滅の刃がそれに当たるでしょう。ベルセルクって、過去編というかなり早い段階で「蝕」を出してしまい、つまり一足飛びにレベル99へ到達してしまい、運営5年目のアプリゲーぐらいの煮詰まり方から現代編を語らなければならなくなってしまった。これに対する作者の回答は、「物語の失速を、画面の密度を際限なく高めていくことで相殺する」であり、運営10年目のMMORPGみたいに「レベル上限をさわれないので、装備数値の小幅な更新で成長を演出する」のと同じ袋小路に入りこんだ感がありました。少年漫画の歴史は長くないーー老舗のジャンプさえ50年ほどーーがゆえに、これまで顕在化してこなかった「連載の長期化と作者の寿命」という問題が、主に高齢化する読者側の不安として近年は浮上してきており、今回はそれが現実のものとなってしまいました。

 いち時代を築く作品というのは、作者がそれを受け止めるだけの充分な研鑽と才能の器を持っていることを大前提としながら、やはり「選ばれて与えられ、語ることを許される」特別な物語だと思うのです。それを語ることは古代のシャーマンがする神おろしのトランスであり、生命を燃やして歌い踊ることで日常を越えた何かの存在を、我々凡夫にもわかるよう伝えてくれるのです。そして同時に、神の依り代となった者は神が身内を満たしているうちに、与えられた物語を語り終える義務があるとも思うのです。長すぎる物語の語り手が、この義務を果たしたケースを私は寡聞にして聞いたことがありません。道半ばに生命を燃やし尽くして倒れるか、もう身内の神は失せているのに、神が共にあるふりをして踊っているかのどちらかしかない。古い世代の例えで言うなら、ベルセルクはまずデビルマンとしていったん短く苛烈に終わるべきだったのに、どの時点からかバイオレンスジャックへと語り方が移行してしまった(脇道であるギガントマキアの世界も、連載が続けばおそらく枝葉として統合されていったと思います)。

 少し話がそれますけど、こないだチェンソーマンをぜんぶ読んだんです。まー、これがものすごい速度の漫画でした。本当ならだれもついていけないような速さなのに、読者側の漫画リテラシーというか、フィクション受容能力が昔に比べて格段に上がっているので、作品側が読み手の読解へじかに融合してくるような形で行間を補完させて、わずか11巻という短さであの規模の話を強引に語り切る終わり方をしていて、少年漫画の文化的成熟を前提にした全く新しい作品が出てきたなと思いました。これだけ短いのに、チェンソーマンがハンバーガー屋に客で来るギャグみたいな小噺も混ぜてあって、従来の文脈から登場したのではない、異質の凄みを感じました。「速すぎて短すぎるのにちょうどいい長さ」って、ほんと良い少年漫画の定義を真正面からブッ壊すようなイレギュラーだと思います。

 え、紆余曲折あったけど、ちゃんと物語を終わらせたシンエヴァはえらいですね、だって? バカ、シンエヴァなんかをベルセルクといっしょにするなよ! たしかに狂戦士の甲冑はあからさまにエヴァ初号機のイメージをパクッてたけど、あれはテレビ版19話までの影響で、新劇はぜんぜん関係ないだろ! 完結まで25年もあったけど実働は5年ぐらいのものだろうし、神おろしの巫女が見事に舞台を務めて去ったあとの神社で、境内を掃いていただけの下男のオッサンが脱ぎ捨てられた巫女服をひろって身に着けて、キショク悪いアンコウ踊りをクネクネ踊っていただけだろ! だれかのレビューを読んでからしか作品の評価ができない貧相な感性を振り回すの、もういい加減にしろよ!

 まあでも、初老をこえたら前触れなく死ぬことはふつうにありますね。最近、私が(nWoなりに)頻繁にツイートをしているのは、現世からカネをかすめとるために90%以上の時間、自我を消滅させて生きているため、私の内側にある何が外で起きても変わらない本質をどこかへ残しておきたいという欲求がさせているのでしょう。そしてその欲求は、「ある日、突然に死ぬ」ということが思春期の甘い妄想ではなく、中年の生々しい現実として実感されてきたからです。頭の中にしかない、「こういう文章で感情を表現しておきたい」というモヤモヤしたものが吐き出されないまま死んだら、地縛霊にでもなりそうな気さえします。

 いまの夢は半世紀ほど経って、テキストサイトムラの住人たちがことごとく死に絶えてから、最後のひとりとして小鳥猊下の権威を高めるためだけに、あることないこと語りまくってやることです。アンタたち、せいぜい長生きしなさいよ! アタシより先に死んだりなんかしたら、アンタたちの悪口をふきまくってやるんだから!(アスカ? いいえ、ダイワスカーレットです。なぜかアスカは、私の中からいなくなってしまったので……)

質問:「ば、馬鹿ッ! 本当に死ぬヤツがあるかッ!」ここ、どんな関西弁だったんですか?
回答:「アホか、なに死んどんねん!」です。関西弁、あったかいナリ……。

 雑文「マシリト&ウラケン対談」感想

ゲーム「2021年のFGO」雑文集

ゲーム「2020年のFGO」雑文集

 鬼一(キーチ)VS

 FGO、カレンというのは過去作の人気キャラのようですね。冒頭部分のシナリオがファンガス直筆なので、もちろん引かせていただいております。ギャグ時空でのファンガスの文章はおそろしく精緻で、ほとんど凝視しながらゆっくり読み進めますが、一文字たりとも改変の余地がありません。感嘆のため息が出ます。いまは失われた、薄いナイフの刃さえ通さない、古代の石垣積みの技術のようです。FGOのガチャ、少なくともここ半年は課金していませんが、新規の星5はすべて持っています。法具レベルにこだわりがない(1で充分)のと、サービス開始当初からプレイしており、最近のガチャは復刻が優勢で新キャラの投入が間遠なので、配布された石とか呼符だけで引いてしまいます。おや、「引けて」ではなく「引いて」と表現したことが気にかかりましたか。FGOのガチャは漫然と引くのではなく、意志を持って引くのです。詳しくは、この記事をご覧ください。これ以上の戦略は社外秘となりますので、萌え画像を寄贈いただいた方にのみ、特別にお伝えしております。寄贈先はこちら(geikakotori@gmail.com)。

 油断すると手がエヴァに関する文章を書き始めてしまうため、気持ちをもぎはなすようにエフジーオーのイベントをやってる。テキスト部分のボリュームこそ少ないものの、各キャラの特徴をブレずに芯でとらえた、ファンガスの手による正しいギャグ時空で、最後にはちょっとシリアスからの、ホロリとさせる落とし方もうまい。フランケンシュタインとかピグマリオンとか、「人形が魂を得る」というモチーフーーつまりは、支配的な親と隷属する子どもーーに昔から弱いこともありますが、ありていに言ってとても感動しました。しかしながら、クリア後の裏面が丸々100階も用意されてるのには、サービスのつもりかもしれませんが、正直ゲンナリです。所持サーバントの数が多いほど有利になるのは古参への目くばせでしょうけど、実装されたキャラは90%近く持っていて、NP100礼装も3枚そろってて、120円玉も躊躇なく連コインできる富豪の私でさえ、こんなにもプレイするのがダルい。いい加減サブスク方式でいいから、宝具スキップさせてよ、もう! このイベント、新しく入ってきた人はどんなふうに感じてるでしょうね。ウマ娘やりてーなー、とか愚痴りながらテキトーに編成して宝具ボタンを3回押す作業を延々と繰り返すのって、まさに「コンコルド効果」の最たるものですよねー。

 FGOの例のSLG、AIのアホさをマップの形状でカバーしたりして、だいぶ中身がこなれてきたんですけど、歯ごたえが高まれば高まるほど、べつに私はこのゲームをプレイしたいわけじゃないなー、報酬のために消化するのがただただめんどくさいなー、という気持ちになってきました。小鳥猊下です。

 とばっちりだけど、FGOも宝具スキップが無いという点だけで、一定数の客を失ってしまっている気がします。ウマ娘のスキル発動で「1日1回だけフルで見せて、残りは短縮表示する」みたいな設定があるんだけど、これを見習うといいんじゃないでしょうか。

 FGO第2部6章、ひさしぶりに星5を引けなかったが、ダビンチちゃん、おじいちゃん、キャスドラゴンちゃんはすでに弊カルデアへの招聘を済ませている。つまり、今回のハイペリオン的な巡礼の旅へ参加するメンツに過不足は無く、序盤の現在で、神造兵器「ユキチ・フクザワ」を投入すべき理由は皆無だ。それどころか、すごい勢いで宝具が回転しまくるため、120円玉の連コインさえまったく必要ないぐらいである。しかしながら、半年にわたってシンエヴァへの呪詛を吐きちらしている裏で、ファンガスがかような物語をコツコツと紡いでいたかと思うと、己の不明を恥じ入ることしきりである。ていねいに文字数を費やして、あるキャラクターとその背景をビルドアップしながら、たった1行で殺す。そのするどい切れ味には、なまくらな物語への自分語りでひん曲がった背筋が、すっくと伸びる思いです。

 FGO第2部6章、ときどきマテリアルに戻って再読したりしながら、一文一文を読み落とさないよう解釈しつつ、ゆっくりと進めてる。ファンガスの語る設定のみがこの世界における真実であり、その意味で他の書き手とは一文に込められた情報量がまったく異なるからだ。そして、第1部7章にも感じたことですが、本当に彼はFC・SFC時代のRPG的な組み立てが好きですね。まだ序盤ですが「妖精たちとゼロから始めるアーサー王伝説」といった切り口で、どのような終局へと突き進んでいくのか、大いに興味をかきたてられます。処女作に厚みを持たせるために用意された、作品内に直接は登場しない世界設定集ってあるじゃないですか。例えば初期のランスシリーズがまさにそれで、あちらは30年かけて設定のほぼすべてを作品内で回収しました(余談ながら、回収しなかったのが「スレイヤーズ!」で、回収できなかったのが「ベルセルク」)。型月世界っていうんですか? wikiを眺めると、コアなファンだけが知っている世界設定が無数にあって、でもファン自身も肝心の書き手が一人しかおらず、しかも超遅筆なこともあいまって、どれも回収されることなく終わるんだろうなーって、薄々どこかで感じてたと思うんです。それが、FGOのすさまじいヒットーーコアなファンのものという枠組みを越えて、無印Fateを「長いなー」と感じながら、王様の話だけクリアしたぐらいの人物にもリーチしたーーで状況が大きく変わった。書き手が目に見える巨大なカネによって評価を実感し、物語をつむぐスピードを急加速させたのです。noteに数百円くらいを課金されただけでうれしくなって何か書こうと思うくらいですから、百億円など売り上げようものなら、「この物語を紡ぐことは、時代が私に要請する使命だ」ぐらいに考えても不思議はありません。

 さらにFGOの大ヒットがプラスに働いたのは物語スケールの転換で、それまで書き手がどこかで囚われ、無意識の枷としていた「ある地方都市での伝奇譚」というくびきから、完全に解き放たれた点だと指摘できるでしょう。日常的な生活の舞台では披歴のしようも無かった設定を、人類史にまたがるFGOの物語スケールなら回収することができる。第1部6章、7章、終章と物語を進めるうちに、書き手がそこへ確信を深めたのだと推測します。第2部4章、5章後半(前半はクソクソのクソ)、そして公開された6章と、どんどん世界の謎の深奥へと接近していく手触りがあります。「星の内海」とか、字面を眺めているだけでもワクワクする。

 ただひとつ残念なのは、「スマホで読む世界文学」として胸を張って推奨できるFGOも、アニメ化されるとなぜかパッとしなくなってしまうところです。どれも恥ずかしくて、人に薦められないものになっちゃう。直近の第1部6章映画化の興収も、ファンの感じているこの空気を裏付ける感じで推移しているように見えます。これは、RPGでいうところの序盤から中盤を丁寧に描写したいファンガスの資質ーーそれが終盤の爆発的カタルシスにつながるーーを、前編・後編という長さに落としこんだ結果、映画としては間のびしてしまったからだろうと思います。ファンガスのシナリオを刈りこんで、映像作品として再構成し直す手腕を持つ人物が必要なのでしょう。ともあれ、第3部に懐疑的な私は、「罪と罰」の雑誌連載をリアルタイムで追うことのできた読者の気持ちで、残りページの方が少なくなった物語を惜しむように読み進めている次第です。

 FGO第2部6章、6月実装分までクリア。前後編に分割するというから、FF6でいうところの世界崩壊のようなマップが激変するイベントが区切りになるのだろうと勝手に想像していました。「モルガンは中ボスに過ぎず、ラスボスの顔見せで引き」みたいに、演出のための前後編だと期待していたのです。そしたら、なんとも中途半端なところでストーリーがブツ切りにされていて、単純にテキスト・ライティングか演出の実装が間に合っていないだけのことが露呈しました。ファンガスの筆ならいくらでも待つので、こういうしょうもないところの印象で作品の価値を下げない方がいいですよ。誤解のないよう言っておくと、ストーリー自体はさすがの面白さでした。

 アヴァロン・ル・フェ、聖杯の入手までクリア。現段階の感想としては、「はァ? 重課金ユーザーを虚仮にすんのも、ええ加減にしとけよ。情動オナニーの絶頂を寸止めされんの、すげえイラつくわ」。

 ひと晩たってアルコールも抜け、冷静になったのでFGO追記。第6章全体の感想はエピローグまで終わってからにしますが、「カルデアの存在が人類史における剪定事象」という結論に向けて物語が進んでいる気がします。「FGOの冒険はすべて無かったことになる」のが、サービス終了と同時に描かれれば、この上なく美しいエンディングとなるでしょう。全盛期より売り上げを落としたとは言いながら、複数の会社の存立にまで食い込んだ巨大IPを、クリエイターの一存で終わらせることができるのかという難題は残ります。しかし、ファンガスは書き手として、「美しさに抗えない人」だと思うのです。彼が一貫して描いてきたのは、「いちど失われたものは取り戻せず、残された美しい思い出こそが人の崇高さの証である」というメッセージです。はたしてFGOは、「大きな喪失感とともに、ユーザーの記憶にだけ残り続ける気高い物語」として終わることができるのでしょうか。

 FGO第2部6章、演出かライティングの実装が間に合っていないか、ファンガスがエゴサで阿鼻叫喚の感想を読み漁りたいか、いずれかの理由から再びおあずけを食らっているため、溜まりに溜まった「幕間の物語」をイヤイヤ読んでる。体感で98%以上がハズレのテキストで、自分が頭の悪いジャリ向けの集金アプリにいれあげていることを改めて突きつけられ、暗澹たる気持ちになってくる。そして、見かけは渋面のまま心を弛緩させていたら、カイニスの幕間がファンガスの筆で書かれていて、涙腺にクリティカルヒットした。これがあるから、すべての「幕間の物語」にとりあえず目を通さないわけにはいかないのです。おそらくFGOユーザーのうちの少なくない数が、「あとで読むから」と言い訳しながら、報酬やスキル強化のためだけに幕間を全スキップしてると思うんですよ。そうして、アプリ外で行われる可処分時間の戦争から、あとで読まれることは決してない。カイニスの挿話とかが多くの目に触れず消えていくのはあまりに切ないので、ファンガスが書いた幕間だけ金枠とかつけて明示してはいかがでしょうか。星1と星5しか入ってないテキストガチャを延々と引かされるの、いい加減しんどいです。

 FGO第2部6章読了。古くからのFateファンは「来い、キャスター!」にウレションしてるんでしょうねー。詳しい感想は、また後日。それにしても、「成長や到達に、意思や信念が伴うことへの疑念」って、無印Fateとは真逆のテーマになってて、これは奇しくもファンガス自身が英霊(筆一本で百億を叩き出す、テキスト界のスーパースター!)と化した事実に呼応していると感じました。そして、「物語を現実の下に置き、現実の高所から物語を批評して、語り終えた物語は忘れられる」という恨み節は、シンエヴァへ向けられたものでしょう。あんなアンチ・フィクションが、「忘れられずに残る」ことが許せないに違いありません。知らんけど。

 第2部6章、気になった細かい点を2つ。モルガンとパーヴァン・シーにまつわる顛末がまったく無かったのには、少し拍子抜けしました。ケルヌンノスの神核が剥き出しになったところで、その挿話がネットリ始まると思って身構えていたのに! まあ、パーヴァン・シー自体がどこまで行っても「自傷行為をやめられない十代の少女」を拡大したキャラでしかなく、この母娘のすれ違いを新たな厄災として詳細に描写する意義が、いまのファンガス(アラフィフくらい?)には、もはや感じられなかったのかもしれません。期待の超大型人非人・ベリルに関して、マシュの過去(と純潔)を汚さないため、持ち味のモンスター感が大幅に抑制されてしまったのには、残念の一言です。彼の退場に漏れた声は、「え、それだけ?」でした。ここはまあ、二次創作で盛大に補完されることを期待しましょう。

 FGO第2部6章の感想、もっとくわしく聞きたい?
 よかろう、続けたまえ。当方に、拝聴の準備あり。60%
 まだクリアしてないんで、しばらく待って下さい。6.7%
 シンエヴァへのディスりが聞けるなら、あるいは。33.3%

 アンケート結果を見ると、まだクリアしていない方がおられるようなので、今晩まで待つことにします。5時間が秒で消える戴冠式なので、安心ですね。

 そうそう、こないだFGO6周年でレベル上限が120になったじゃないですか。「よーし、6年連続ログインしている重課金者のたしなみとして、パーフェクトキャラを作っちゃうぞー」などと息まいて、さっそく1体レベル102にして星5種火を20個つっこんだら、経験値ゲージが数ミリしか動かないの。これってつまり、新設された星5種火周回を数百回単位でやらないと最大レベルにはできないってことなのね。まあ、今回の成長要素追加って、対人要素があるわけでもないし、運営からのサービスの側面が強いと思うんですけど、正直なえました。戦術や敗北の要素が絶無の種火周回って、虚無そのものの作業じゃないですか。せめてこのタイミングで宝具スキップをあわせて導入してくれていれば、印象も違ったように思います。などと愚痴りながらも、じつは1キャラだけレベル120に到達してるんですよねー。唐突にFF11の近況報告をしておくと、3キャラ目が仕上がってきたので、ラスボスよりも強いカニと魚で延々とジョブポ稼ぎをやっています。1キャラ目と2キャラ目のウェポンスキルで連携つくって、3キャラ目でマジックバーストを2回いれる作業でけっこう忙しいんですけど、慣れてくるとTP待ちで手と脳がヒマになる時間が数秒あるんですよね。この隙間にFGOの星5種火周回を入れると、ピッタリとハマりました。休みの日も業務が頭に浮かぶタイプの社畜なのですが、完全に思考を消した作業マシンと化すことで、ひさしぶりにノーストレスの時間を過ごすことができました。ジョブポ500くらいのキャラがカンストするのとレベル120到達が同時くらいでしたので、まさに「いにしえのMMORPG」と同水準のタイム・コンシューミングな延命方法だと言えましょう。FF11に関わったスタッフがFGO関係者にいるみたいな話をどこかで目にしたことがありますので、今回の仕様もむべなるかなといったところでしょうか。第2部の終わりで所持サーヴァントごと新アプリへと移行させるとき(風説の流布)には、宝具スキップを含めて感性をアップデートしてほしいものです。

 ゲーム「FGO第2部6章」感想

 FGO夏イベ、かつてのテキストサイトを思わせる悪ノリ文章がたいへんに面白く、まさしく年に一度のお祭りって感じで大いに楽しんでいる。しかしながら、このイベントの真の目的はダビンチさんを配布することにこそあるのだと指摘しておこう。え、アヴァロン・ル・フェが終わったのに、ダ・ヴィンチ表記に戻さないんですかって? バカヤロウ! 俺が彼女に向ける視線は、いわば矢吹丈を見つめる鑑別所のモブ、妖精国のマイクさんのそれと完全に同化してしまってんだよ! あれだけ何度も意味深にピックアップしてきたのに、いまだにライダビンチさんを引けていない甲斐性なしのボンクラどもへ業を煮やしたファンガスが、ただあとから奪うためだけに水着ダビンチさんをてめえらに下賜くださってるんだよ(この文、傍点付き)! 第2部7章でダビンチさんが「いなくなる」ことは、これまでの伏線から考えれば、ほぼ確定の事項であると言えるだろう。「盛夏の滅び」は、本邦に生を受けた者たちの心性に深く刻まれていて、それはもはや無意識の願望と近いところにある。軽躁的なテキストの裏にひそむ寂滅を感得しながら読むことで、今回のイベントはあとになってから重層的な意味をもって、我々の胸へとよみがえるだろうことを予言しておく。

 FGO夏イベ、メチャクチャ面白いなー。これまでさんざんヘイトを集めてきたFGO随一の嫌われキャラであるコロンブスを、開き直ってヘイト方向へと突き抜けさせることで逆に笑わせたり、ファンの反応をキッチリ織り込んで話を作ってきてる。黒髭のメタっぽい発言やギャグもすごいノリノリで書いてあるし、リアルタイムで追いかけないと本当の意味では体感できない面白さで、いままさにいっしょに物語を紡いでいる感じがすごくするなー。個人的に大ッ嫌いだったマンぐり返しとメンヘラ自傷女を魅力的なキャラに描きなおしているし、まさにノムラならぬファンガス再生工場と言えましょう(清少納言が生き生きと活躍していることと、「だぞぅ!」語尾が確認できたので、メインの筆は彼で間違いない)。ピックアップ2、はやく来ないかなー。

 FGO夏イベ、オールクリア(たぶん)。一糸乱れぬギャグ時空からの、完璧な遺言でした。彼女はこの記憶があれば、贋作として生きた己の短い生を肯定できるでしょう。蛇足ながら指摘しておくと、ダビンチさんの宝具演出から推測して、初期プロットは多くの恐竜たちと出会うドラえもんの長編映画(プラス、ポケモン)のようなものだったのではないでしょうか。それが、「ダビンチさんの作った精巧なロボット恐竜」という設定に置き換わってしまった。これまた邪推ですが、アガルタかセイレムが預かったプロットで途中まで書き進めてて、監修を繰り返すうちにその中身をファンガスが許せなくなり、最後にはぜんぶ捨ててーー「ええい、カッカソーヨーもいいとこじゃねえか! よこせ、オレがぜんぶ書く!」ーーイチから書き直したのではないでしょうか。だとすれば、夏イベにしては短め(内容はパーフェクト)なのもうなずけるところです。絶対に外してはならないカンどころを外さないのが、FGOの持つ最大の美点であり、ダビンチさんの最後の冒険は、間違いなくその体現でした。これは裏を返せば、キャラクターへの共感であり、敬意であり、愛なのです。シンエヴァが持たなかったすべてを、いまのFGOは備えています。赤い砂浜で静かに眠っていたのを、薄汚いカネもうけのためだけに引きずりだされて、あげくまたゴミのように捨てられてしまったあの少年のことが、どこまでも、どこまでも、どこまでも不憫でなりません。

 あと、大陸版で中華系のキャラが削除されまくってる話ですが、遺憾の意を示したり強く抗議するのではなく、ギャグにせよシリアスにせよ、虚構内でのネタや風刺へと昇華してほしいと願っています。それこそが、我々の現実と並走しながら物語を紡ぐFGOの、いやファンガスの真骨頂ではないでしょうか。

 ゲーム「FGOハロウィンイベント感想」

 FGOのぐだぐだイベント、メイン部分をクリア。おそらく、邪馬台国と同じ「漫画でわかる」の人によるシナリオで、漫画家としての特性が為せる技だと推測しますが、伏線の構成が巧みだし、章またぎのヒキがうまいし、短いテキストでズバッと印象的な場面を作っている。だれ一人として死にキャラを出さず、各人の大義も葛藤も説得力を持って描かれていて、正直なところ強い感動を覚えました。高い更新頻度を求められるスマホアプリに埋め草のギャグ担当で呼ばれていたのが、登板を重ねるごとに少しずつ周囲からの信頼を得ていくうち、次第に開発リソースを多く割いてもらえるようになり、とうとう本イベントで大輪の花を咲かせた感じがします。過去の実績や友人補正から、天下の百億円アプリで無条件に優遇してもらっているにも関わらず、それを意気に感じるどころか、ずっと裏切り続けてきたセイレムやアガルタとは、非常に対照的だと思いました。もしかすると戦国と幕末という制約はあるのかもしれませんが、私の中でファンガスの次に信頼できる書き手になったことをお伝えしておきます。

 FGOのレイド・イベントに「スカスカわんわん1ターンキル」で参加中。分量こそ少ないものの、直近のテキストが尻あがりに良くなっていったので、この年末のお祭りへ参加する気持ちになったからです(まあ、昨日までは仕事上がりにはレイドが終わっていましたが……)。人類悪の討伐が終わるまではインターネットにいますので、一日遅れのクリプレ萌え画像などを寄贈するとよいでしょう。

 FGOのツングースカ読了。単体のシナリオとしては悪くないけど、3年を引っ張った敵役との決着としては物足りないというのが正直なところです。テキストにしても、セイバーウォーズ2終盤のような駆け足感が常にあり、コヤンスカヤを仕留める場面さえ描写が薄くて、イマイチ盛り上がりに欠けました。太公望って、型月世界では歴史のある有名キャラなのかもしれませんけど、FGOから入った身にとってはポッと出の新キャラに過ぎず、カルデアとビーストとの因縁を取り扱う人物としては不適切だと思うんですよ。期待の新人・太公望のデビュー戦に、噛ませ犬でコヤンスカヤを使ったみたいなバランスの悪さを感じました。例えるなら、刑事コロンボだと思って調査パートを見てきたのに、謎解きパートで古畑任三郎が出てきて事件を解決しちゃったようなもんですよ、これ。

 あと、「どうでもいいと思ってるから、キッチリした仕事ができる」というのは、よくわかる感覚だと思いました。それと、もうだれかが同じツイートをしてるでしょうけど、ニキチッチのデカチッチがエロチッチだなーと思いました。

 

雑文「人気作品に学ぶ『ループ』と『転生』の正体について」

 FGOの新イベントをチマチマ進めてる。たまった無償石で回して出なかった新キャラが呼符1枚で引けたり、10キャラ以上の新衣装がドバッとタダで配られたり、やっぱりFGOは気前がいいなあ、と思った。これがウマ娘なら、新衣装は別キャラ扱いで6万円天井のガチャに入りますからね。ウマ娘、キャラやストーリーやゲーム性の良さは認めますけど、みんなもっと集金システムのエゲツなさを指摘するべきだと思いますよ。んで話をFGOに戻すけど、今回のシナリオはファンガスの筆ですね、間違いない。これだけの数のキャラを登場させながら、キッチリそれぞれの外してはいけない特徴を芯でとらえてミートして、打率10割ですべてクリーンヒットにしていく手腕はさすがだと思いました。他のライターの方々は、ファンガスの提示した各キャラの魅力をしっかり読み込んで、少しでもこの技術に追いつけるよう学んでほしいところです。個人的には、今回の題材であるアイドルについて、特にグロス販売ーー偏差値の落差を平均でならして、下限との差で上限を浮かび上がらせる手法ーーになってからのアイドル・グループをどう楽しむべきなのかよくわかりません。なぜ、こんなにも執着して応援したがる人々がいるのかを理解できていないので、だれか競馬に例えて教えてもらえないでしょうか。

 え、本末転倒なことをまたネタでわざと言ってるんでしょうって? いやいや、ある概念をだれかに理解させるのに、そのだれかにとって親しい別の概念へと置き換えて説明するのって、すごく大事ですよ。きのうの午後、FF11やりながら(ここに至る話はまた後日)タイムライン眺めてたら、競馬の話が延々と流れてくるわけ。んで、テレビつけたら競馬やってて、順ぐりに出走する馬の紹介してんの。そしたら、ポニーかラバかみたいな明らかに他より小さい個体がいるのよ。ウマ娘に黒づくめでチンチクリンのキャラがいてすごい人気なんだけど、その小さな馬を見た瞬間に理由が理解できたの。筋骨隆々の恵体を有するサラブレッドを、種族さえ違って見えるこんな小兵が押さえて勝利するなら、それは確かに痛快なドラマだろうなって思えたの。

 何の話だっけ。そうそう、FGOのイベントにからめたアイドルの話から脱線したんだった。今回のイベント、テキストのすばらしさは両手離しで褒めながら、終盤のストーリー展開には「またループかよ」と少し失笑が漏れてしまったのは確かです。失笑しながらもお話は面白くなっていくので、つくづくこの時間ループというのはズルいギミックだなと、改めて考えさせられました。最近ではどこを見回しても、「時間ループもの」か「異世界転生もの」ばかりですが、この2つは「人生のやり直し」を希求しているという点で、基本的に同じカテゴリでくくっていいと思います。そして、これが流行る理由はズバリ、オタクの高齢化でしょう。二十代前半くらいまでは単線の人生をわき目もふらず驀進(バク、シンッ!)するのみですが、それ以降は生業や棲み処や配偶者や扶養者の有無と種類が否応な選択(しないことも含め)として分岐を為していき、引き返せない失われた可能性としての過去を、我々の背後へ膨大に作り出していく。選ばなかった選択肢への未練とか、人生をやり直すことへの欲望というのは、基本的に初老ーーいやいや、40歳くらいを指すのよ?ーーを迎えてから老年へとめがけて最大化していくもので、青少年にとって本来は無縁のものに違いありません。しかしながら、オタクのマスが初老を越えて市場がそのニーズに応えた結果、ループものと転生ものがあふれかえり、本来的にはまだその欲望を持たないはずの青少年に、あえて言いますが、いまやジャンルとして悪影響を与えるような広がり方をしています。終わったあと、通り過ぎたあと、そこに分岐や選択肢があったのだと遅れて気づくからこそ、我々は人生を前に進めることができるのであって、最初から分岐や選択肢の前に立っていることを意識させられては、永久にそこで立ち往生するしかありません。

 ループものの源流としては、J.P.ホーガン御大が挙げられるのかもしれませんが、本邦においては何よりエロゲー業界がその発祥でしょう。「デザイア」で提示された革新的アイデアを「YU-NO」が洗練したシステムと融合して可視化させ、その肉厚の油揚げを「まどマギ」がかっさらって魔法少女と悪魔合体した結果、爆発的に人口へと膾炙したのです。ファンには申し訳ないですが、エヴァ原理主義者の私としては、「まどマギ」がここまで時間ループの概念を一般化させなければ、シンエヴァはもっと臆面もなくベッタベタのループものとして終われたんじゃないかと、少し恨みに思っております。いつまでシンエヴァについて愚痴ってるんだって感じですけど、「これは虚構だ」って開き直るぐらいなら、初代プレステみたいな汚いCGや撮影所を見せるんじゃなくて、「逆境ナイン」(やっぱり友人は大切)や「グレンラガン」のように、9回裏100点差から逆転勝利するみたいな、銀河をフリスビーとして武器に使うみたいな、突き抜けたウソによるフィクションを描くべきだったと思うんです。どちらも、「オイオイ、そんなのありえねーだろ!」と両手を打ち鳴らしての大爆笑から、最後は大号泣の大団円ですからね。過去作の自己模倣でいうなら、マクロスよろしくブンダーが船尾方向から直立してギガ・初号機へと変形、天の川銀河をフィールドに巨大アヤナミと恒星をサッカーボールにして蹴りあうみたいな突き抜け方をしていたら、監督の抱えるエヴァを作るしんどさを含めて、受け入れる気持ちになれたと思います。恥をかきたくない自分クンがカッコつけて、パンツを脱ぐどころか奥さんにつけられた貞操帯を見せびらかすみたいな、リスクをとって決勝点をねらうのではなくガチガチに守りを固めて、失点を回避しながらドローをねらうサッカーみたいなことをエヴァでするから、ここまで非難(君だけ)されるんですよ。

 ループものの話に戻ると、「まどマギ」の最初の劇場版を家人と見たんですけど、途中までは眠たそうに頬づえついてたのが、主人公を助けるために少女が同じ時間を繰り返しているとわかった瞬間、目を見開いて身を乗り出しましたからね。2012年当時、ループものが一般層にとっていかに新しかったかが、このエピソードから理解していただけると思います。もっとも、「叛逆」については半ばアニメ自慢のキャラ萌え作品と化していたので、家人は途中から舟をこぎだして、ついには寝てしまいました。以前、「叛逆」の後をまともに語ろうと思えば、エヴァ旧劇でも不可能だった、デビルマンで言うところの「善と悪のアルマゲドン」を、説得力のあるシナリオとビジュアルで提示しなければならないと指摘したことがありました。先日発表された「廻天」は、あのエヴァでも手を出すことのできなかったこの命題へと挑むつもりなのでしょうか。「物語を続ける」ため、小手先の作劇に逃げず、本邦では誰も成功していないこの命題へと、敗北を恐れないで真正面から堂々とぶつかっていくことを期待します。

 でも、わざわざそんなしんどいとこに行く理由も義理もないので、安易なキャラ萌え学園ものへと回帰しちゃう予感も、ちょっとあるなー。

漫画「スーパーホース列伝 優駿たちの蹄跡」感想

 無制限焚書(Kindle Unlimited)でプロレススーパースター列伝の競走馬バージョンみたいな漫画を見かけたので、サクッとディー・エルする。プルルーン(いななき)! そうそう、これこれ、こういうのが読みたかったんですよ! この漫画では、レースでスポットライトが当たる競走馬やジョッキーやエンピツを耳にはさんだ赤ら顔のオッチャンだけではなく、その裏側にいる零細牧場の経営者や馬主や厩務員の人間ドラマが丹念に描かれているのです。一頭一頭の馬がこれだけの人々の想いを乗せて走っている事実を知ることができ、いまの気持ちは感動の一語に尽きます。競走馬という存在は、3年間のレース生活を安直に女子高生へとなぞらえられるずっと前から、人々の想いによって擬人化されてきた存在だったのですね。各レースに出走しているのは、地方の貧しい牧場から一発逆転の期待を込めて送り出された人の精髄としての馬であり、大きなレースでは同世代の数千頭から純粋に能力で選ばれた十数頭がガチンコの叩きあいをして、どの馬も勝たせてやりたい背景を持つ中で否応に勝者と敗者が生まれてしまう。いやー、ドラマですねえ! 競馬って、ドラマだったんですねえ。わたし、全然わかってませんでした。もっと早く教えてよ、もう! また、最近では地方の牧場がどんどん消えてて、競走馬の生産自体が大会社の寡占状態に近くなって、ブリードでかけあわせる血の多様性も減っていって、優秀な馬どうしが潰しあわないように、会社がどのレースに出走させるかコントロールしてて、みたいな寂しい話も見かけました。私がゲームとして体験し、漫画として読んだ競馬は、地方と都会の構図、持たざる者の富める者への挑戦、そして血の多様性が生み出す、競馬史上もっとも熱く輝いていた時代の話だったことがわかりました。例えば、都会の巨大ショッピングモールの商売を地方のいち小売店が叩き潰すのを見るような快感が、そこにはあったのだろうと想像します。それがいまや、日々のニュースは貧しさばかりを強調し、その裏にいる富める者たちの姿は徹底的に隠蔽され、持たざる者たちは勝負をすらさせてもらえない。そして何より、杭につながれた馬が無力感を学習し、やがてロープを外されても杭から離れようとはしないように、私たちは自分が勝者になることは絶対に無いと、心のどこかで信じてしまっているから。プルルーン……(いななき)

 あと、職場でエンピツを耳にはさむクセのある人物がいて、いい人なんだけどなんかずっと生理的な嫌悪感があって、この気持ちなんなんだろうなー、どっから来てんだろうなーと考えてたら、馬券売り場の赤ら顔のオッチャンだった。

ゲーム「ウマ娘プリティーダービー」感想

 話題のウマ娘を少しプレイ。「パワプロ」と「ときメモ」と「ダビスタ」と「デレステ」を4身悪魔合体して、ふつうは合体事故で外道になるのに、たまたま上位悪魔ができて「コンゴトモヨロシク……」って感じ。

 あと、ウマ娘を本腰いれてプレイしようと育成方法を検索するも、互いの情報を無限にコピーしあったような、ハプスブルク家の末裔みたいな精薄ゲーム攻略サイトばかり出てきて、心底ゲンナリする。2ちゃんねるの方が確かな情報が手に入るって、最近のインターネットはどうなっとんねん。

 あとウマ娘、エフジーオーとは比較にすらならない額ですが、こないだちょろっと課金してみたんです。あのねー、このガチャの手触りねー、すごいヤバいわー。エフジーオーは「ガチャの結果へコミットしている気分」を味わえるし、刃の錆びついたシュレッダーがヂギヂギいいながら万札を粉々にしてくのを、ほぞを嚙みながら見ることだけはできるでしょー。でもねー、ウマ娘のガチャはねー、福沢諭吉先生がとつぜん人体発火して、パッと強い光に網膜を焼かれたかと思ったら、一瞬のうちに灰も残さず虚空へと消えてしまう感じなのよねー。これ、課金してる人ヤバいよ。

 ウマ娘、チーム15枠をB+で埋めて、いよいよ因子継承ループを理解しないと上にはいけない段階になってきた。こうなると「なんでゲームで勉強しなきゃいけねえんだ」というメンドくささが勝ってきて、育成にからむ運の要素も気になりだした。

 通勤時にnoteで自分が過去に書いた文章を読んでるってキモい話したことあるけど、最近はウマ娘の影響で、ときどき箸休め(私の文章はドぎついので)に競走馬のwiki読んでる。これがまー、すごい面白い。書いている人の思い入れと熱量が伝わってくるし、ところどころに引用されるジョッキーとか馬主とか、関係者の言葉に目頭が熱くなることもしばしば。これまで数々の無機物や非人間を擬人化してきた本邦のギーク産業ですが、これほどそれに適した題材が残されていたのかと驚くことしきりです。結局、人間は人間の営為にこそ感動するし、たいていの人間は「けものフレンドリー」ではないので、擬人化されることで人馬のドラマが噛み砕かれて、とても受容しやすくなったのが大ヒットの理由ではないでしょうか。

 さて、いい人ふうに書いてきましたけど、もともとが人非人なので、最近はルーケミア・スイマーのアーティフィシャル感動を押し売られるのに、いい加減ウンザリしてるーー当該の人物が画面に出た瞬間、「ゲーッ!」と叫んでテレビを消すーーということを付け加えて、ここまでを台無しにしておきますね。

 あと個人的な競馬への印象は、阿佐田哲也と西原理恵子の著作から出来上がっていて、大金を賭ける側の汚濁と破滅、つまりギャンブルの負の側面に強い焦点がありました。しかし、家族の生活費を握りしめ、酒にごりした視線を向けるその先には、「速くて、純粋で、きれいなもの」があったという事実は、私の人生において大げさではなく、ひさしぶりのパラダイムシフトとなりました。以前、「きれいはきたない、きたないはきれい」を描くときのSFが大好きだという話をしたことがありましたが、今回はそれに近い感情を抱いています。ギラギラした賭博要素を脱臭し、キラキラしたアイドル要素とすりかえたのは、このジャンルをより広い層に届けるための発明だなあと思いました。ただ、ガチャに数万円を突っ込んで爆死することと、娘の結婚資金をテッパン・レースに突っ込んで紙屑にすることは、本質的には同義であるはずなのに、前者はどこか自慢げなツイートになり、後者はワンカップの酒の中に涙として消えるのはなぜでしょうか。両者の違いは何かを考えて、その結論が「扶養家族がいるかどうか」へ帰着するのを見るとき、なかなかに暗澹たる気分にさせられます。

 きょうまた新しいキャラが追加されたようですけど、繰り返しますがウマ娘のガチャは本当に、本当にヤバい。競走馬のwikiを読んだら、史実では非業の死を遂げたキャラたちを育てたいと思うじゃないですか。でも、まったくもって引ける気がしない。肌感覚として、FGOでの1,000円がウマ娘では10,000円くらいのレートになってる。ガチャを引くたび、使徒(福沢諭吉)が触手(ゴミピース)を残して、跡形もなく形象崩壊(流行らなかった)する感触を味わいます。おまけにちゃんと育成したいなら、キャラだけじゃなくサポートも引いてSSRを5枚重ねましょうって、おまわりさーん! もうこれ、ガチで通報レベルの違法賭博ですよ!

 ウマ娘がゴールデンウィークにかこつけて、大量に石をバラまいてるみたいですけど、どんなにひどいガチャであるかを無課金者にも体験させる結果となり、逆効果だと思うんです。このガチャ、少なくとも私は引けば引くほど恐怖心が増していき、ぜったいに課金はしないとの決意を新たにさせられます。FGOのガチャは多くとも1万円くらいで目当てを引ける感じで、ついついそれが呼び水になって金額が増えることもなくはないですが、基本的に控えめな客引きであり、良心を感じます。じっさい4年目くらいからは復刻も多く、新キャラもたまった無料石でほぼ引けるので、課金ゼロが長く続いています。いっぽうウマ娘の場合、「運よく安くすむ」なんてことはまず期待できない。「まあ、まず天井までカネ入れてよ。6万円くらいで引かせるからさ。天井のないガチャより、よっぽど良心的でしょ? サポートガチャ? ああ、あれはオプションだから。とりま配布でいけるし、無視していいよ。引きたいなら止めないけど」と陽キャの兄ちゃんに笑顔で客引きされてる感じがすごく怖い。「6万円が天井だから良心的」ってセリフ、それちょっと録音して親戚に聞いてもらった方がいいですよ。ただでさえPS5本体や売買春によるリアル・ファックよりイッパツの値が張るのに、かてて加えて開発期間3年を費やした多くのキャラたちが列を成して待機してて、これから数年にわたって間断なく次から次へとガチャに投入されていくんですよ! 対人要素もユルいし、ガチでプレイする理由なんてどこにもないでしょ? まだウマ娘に課金してる方々は、いいかげん目を覚ましてください! 「ゴルシウィーク(笑)」なんてヘラッてる場合じゃないですよ!

 「ウマ娘の育成は、麻雀である」という言葉を見つけて、薄暗い部屋で青白い無表情にモニターの明滅を照り返させながら、「うまいこと言うなー、ウマだけに」などとひとりごち、思わず頬をヒクヒク痙攣させてしまいました。麻雀って、どの牌を切るかの有効性が状況に応じて常に変化していて、つど「この瞬間は」どれが最適かを判断し続けていくゲームで、ウマ娘のトレーニング選択も言われてみれば、まさにそんな感じです。もっとも因子継承という要素があるので、より正確に表現すれば、「ウマ娘の育成は役満を上がったあと、チンチロでシゴロを出さないと点棒がもらえない麻雀である」と言えましょう。

 え、きょうまた新しいウマ娘が追加されたの? もしかして、お姉さま、そのお顔は! 「ロクマンエンガテンジョウダカラ、スゴクリョウシンテキ」って、目のハイライトが消えてるじゃないの! これから毎月、サービスが続く限りキャラが追加されていくのよ! お姉さま、6万円じゃ済まないの、かっこ6万円ぷらすサポガチャ代かっことじ、かける12ヶ月かけるアプリ継続年数なのよ! ライス、腎臓2個しかないのよ!

 ウマ娘、課金要素のエゲツなさに加えて、もうひとつ気になっていることがあって、それは因子継承のしぶさです。ステータスのひとつを3段階のレベルで次のキャラに引き継ぐシステムなんですけど、最高ランクの「星3」がぜんッぜん出ない。競馬の血統をシステム化してるんだから、現実と同じくハズレはあるでしょうけど、親馬のもっとも秀でた能力が引き継がれる可能性がいちばん高いと思うじゃないですか。じっさいのところは、育成終了時に5つあるステータスから「完全にランダムで」ーーサービス開始後のある時点で高いステータスほど「選ばれにくい」調整がされたような気はしていますーー1つが選ばれ、選ばれた1つの数値が「もし充分に高ければ」1割くらいの確率で星3がつくようになってて、こないだも言いましたけど「麻雀の役満とチンチロのシゴロ」を同時に達成できないと、戦力がある程度そろった時点からは、育成が完全に無駄になるんです。いちばん育てやすいバクシンオーのスピードSSを50体くらい産出しましたけど、スピード星3は私のアプリではゼロでした。イベント短縮のレース全スキップでも1回の育成に20分くらいかかりますから、プロ厩務員たちの嘲笑が聞こえてくるようですが、17時間前後の試行ぐらいではまったくお話にならない世界なのです。なぜこんな仕組みになっているかと言えば、「ゲームが陳腐化するまでの時間をできるだけ長く稼ぐため」に他なりません。そして、ステータス星3厳選が終わったら、次は取得スキル厳選の育成にステージが移るのです。当初は毎日マジメにスタミナをすべて消費していましたが、戦力が整ったある時点からは、だいたい20分4回で80分を無為な育成に注ぐのが苦痛になってきました。このへんがウマ娘を続けるかどうかの分水嶺だったと思いますが、スタミナあふれを無視して気が向いたら半荘1回やるぐらいの感じに姿勢を変えたら、ずいぶんと気が楽になりました。

 「課金要素がエゲツない」のと「育成要素がとてもしぶい」の2点を除けば本当によくできたアプリですが、入れこみ過ぎるとカネと時間の双方で簡単に人生の破滅までゴールできてしまう闇をはらんでいるのも、また事実でしょう。そして、人気アプリゲーが宿命として抱える「際限のないインフレ」に、過去のどの手法で対応するのかも、まだ見えてきていません。私は長く楽しむため、あまり「掛かり気味」にならないよう細々と追いかけようと思っています。

 1万円いれて出なかったら、あと5万円いれないと1万円いれたのがムダになるから、1万円いれられない。わかるー。小鳥猊下であるッ!

 タウルス杯グレード決勝Bグループ2位くらいのアカウントがネチネチ文句つけてますが、賞品でもらった無償石でちょうど1500個になったので、キャラガチャ回したんですね(はー、無償石が天井ぶん貯まるまでガチャしない人もおるんやねー。お母ちゃん、都会ってこわいです)。そしたら大爆発してSSRが3枚でたんですけど、ぜんぶ持ってるウマ娘でした。消費者庁さーん、ピックアップって書いてありますけど、新たにキャラ追加しただけで確率かえてないですよ、これ! レース機能24時間メンテの侘び無償石がたったの150個(FGOでいうと3個)だったり、だんだん運営の「結婚する気のないサイコパスなジゴロ」の側面が隠れなくなってきたので、ぜったいに課金しません(土のついた通帳を胸元に抱きしめながら)。

 「ウマ娘の対人レースは、トレカの環境メタゲーム」というツイートを見かけて、「はー、かしこい人は本質をひとことでつくなー」と思わず感心してしまいました。え、小鳥猊下もそうだって? ええい、みなまで言うな、台無しになる(台無し)! かつてマジック・ザ・ギャザリングにハマって箱買いとかしてた時期もありましたけど、メタゲームを行うための最低限の前提は「現環境の使用カードをすべて、コモン・アンコモン・レア4枚ずつそろえていること」なんですよね。当たり前すぎて、この前提を満たすまでに必要な金額がいくらになるかなんて話題にすらのぼらない(くるってますね)。ウマ娘の対人戦が、MTGのようなトレカと同じ現環境の分析バトルになるとすれば、実装されているSSRサポカはすべて引いた上で5枚重ねてレベルMAX、実装キャラもすべて引いた上で才能と覚醒レベルMAXがメタゲームのための前提となります(くるってますね)。ここまで書いて、ウマ娘がアプリゲーの宿命であるインフレにどう対応するかが見えてきました。それはズバリ、新たなスキルを間断なく追加していき、対人環境を常に変化・流動させることでしょう。現時点ではグレードリーグの賞品も大したことないので、みんな自分の戦略を公開して穏やかに談笑してますが、Aグループ1位の賞品が限定サポカとか限定ウマ娘になってくる(充分に予想の範囲内)とクリティカルな情報はオープンなネットから姿を消して、結果次第では血を見る大炎上になるでしょうね。これ、制作会社にとってオイシイのは、新スキルの実装にほぼリソースが必要ないことです。SSRサポカの追加は1枚絵の発注とわずかのテキストで済みますし、既存キャラの衣装違いは同モデル・同ストーリーで少しだけガワとスキルを変えてガチャに入ることがすでにわかっています。つまり、3年間をかけて作った確かな土台があるので、この先は少ない制作リソースでユーザーから無限にカネを吸い上げることのできるシステムがすでに構築されているのです。なんだったかのトレカを作ってる会社の社員が、「まるで現金を刷っているみたいだった」と発言してるのを読んだことがありますが、ウマ娘の大ヒットはまさに社内に造幣局ができたような感覚なのでしょうね。細かいことを言うと、ガチャ天井までの必要課金額を示す「育成ウマ娘交換Pt」が、ピックアップ期間終了と同時にしょうもないクローバーに交換されてしまうのも、銭ゲバ感が非常に強くてイヤなところです。これが期限の無い累積だったら、FGOぐらいは課金したかも……いや、ぜったいに課金しません。

 ウマ娘、ガワだけ変えた2Pカラーみたいなキャラがまた追加されましたね。苦難の3年間を終えて、いよいよ開発は我々ユーザーから少ない労力で大量のカネをまきあげる、収奪の秋を迎えたようです。このアプリは本当に、本当によくできています。それは認めざるをえません。実在の競走馬の特徴をみごとにつかまえて擬人化した魅力的なキャラクター、ユーザー側の工夫と運の要素が絶妙にからみあった育成要素、そして良く練られたトレーディング・カードゲームのようなメタ戦略を可能にする対人戦。しかしながら、これらすべてを十全に体験するためには、膨大な時間と大量のカネが前提として必要になることを覚悟しなければなりません。月額1万円くらいの課金で楽しもうなどと考えているなら、そのカネは制作会社への応援や養分になりこそすれ、貴方の人生にとってはまったくの無駄、シュレッダーにかけたり火をつけて靴を探したりするのと同じレベルで無駄になると考えましょう。もし貴方が真剣にプリティダービーの舞台で戦おうと思うなら、月額10万円、年間で120万円を準備ーーこれは最低ラインで、多ければ多いほどいいですーーした上で、他のゲームはすべてスマホから削除、プレステ5とPCもハンマーで破壊し、もし可能なら仕事も辞めて下さい。私は大マジメで言っています。これを読んで冗談だと思うなら、ハナからこのアプリには近づかないほうがいいですね。

 おっ、またウマ娘に天井まで入れたんかいな。6万円ゆうたらな、人生は買われへんけど、人ひとりの1ヶ月分の寿命とおんなじみたいなもんや。独りだちしてから死ぬまで60年とか考えてみ。いのちの700分の1ぐらいを我がでえぐってほっとんのと同じなんやで、ええのんか? そうか、ええのんか……