インターネットの無い時代に受けたハードコア平和学習ーー何の事前ノーティスもなく、小学生に突然ケロイドの写真を見せるなどーーの影響から、「平和への希求」というより「盛夏の滅び」を心に植えつけられてしまっているため、毎年この時期になるとひどく気持ちが落ちこみます。それに加えて、艦これのイベント海域がはじまってしまったものだから、「ただただ気分のアガるフィクションが読みたい!」と考え、ハイキュー!!の電子版を全巻一括購入しました(時節柄、エヌ・エイチュ・ケーからのサブリミナルな影響を排除できませんが……)。「本邦の男子バレーボール人口を有意に増やした、平成後期のスラムダンクに相当する作品」以外の情報をいっさい持たないまま、艦これのウィンドウにキンドルのそれをかぶせるようにしながら、読み進めていきます。最初の20巻ぐらいまでは、まさにジャンプ漫画の王道といった展開で、弱小チームが格上の強豪へいどむ試合は手に汗にぎり、地方予選の1回戦で敗退する「部活としてバレーボールを経験した者」へ向ける優しいまなざしに落涙し、何よりも作者の真摯な熱量に圧倒されて、「ああ、十代の頃にこの作品にふれたら、バレーボールはじめるわなあ」とひどく納得させられる感じがありました。
20巻以降は、「これまで見たこともないバレーボール表現」の斬新さに慣れてしまったせいもあり、「ワンチ」「シンクロ攻撃」「ナイスキー」を対戦相手の過去でサンドイッチする繰り返しにあきてきて、どこかダレる感じもあったのですが、毎話の最終ページにおける”ヒキ”が強烈で、ページを繰る手を止められないのは、さすが少年誌の頂点であるところのジャンプ連載作品だと素直に感心しました。我々スラムダンク世代は、「1つ前の試合を超える試合が見たい!」と作者をアオリたて、それにこたえる形で内容をエスカレートさせていった結果、全国大会の1回戦でそのドラマツルギーは臨界に達して、「2回戦でウソのようにボロ負け」となり、作品そのものが中絶させられたトラウマを、いまだ心のどこかに抱えたまま生きております。なので、ハイキュー!!がそのラインを超えてくるかどうかは、私にとって非常に大きな関心事でした。全国大会1回戦の相手が雑魚っぽいことに安心し、2回戦におけるジャイアントキリングを経て、ついに3回戦へと突入したときには、スラムダンクのトラウマをようやく克服できたように思いました。
ただ、連載の初期からライバル校として登場し続け、苦しい時期を支えてくれて、作者の思い入れも強いだろうネコマ高校が、この段階をむかえて相対的にまったく魅力を失っていることは、どうにも否定できませんでした。「オレたちは血液」ではじまる例のルーチンも、リアルとフィクションのどちらへより大きく振るかが決まっていなかった時期の「キャラ立てフレーバー」に過ぎず、数々の強豪を打倒してきたいまとなっては、共感性羞恥をまねく中2病的フレーズとして浮いてしまっています。ネコマ高校を見て思いだしたのは、名門!第三野球部で主人公チームを倒すことになる、主人公チームよりも低いスペックと厳しい環境を、努力と団結力と「けっぱれ」で乗りこえる東北の弱小高校でした。少年漫画の楽しさの基盤って、「最弱の主人公が強くなる過程で引き起こす、奇跡的なジャイキリの連続」だと思うんですよ。ネコマ高校との試合がハイキュー!!のベストバウト?に選ばれてるのは、その意味でたいへん納得が行かないし、腐女子による「ケンマ×ヒナタ」のBL組織票を疑っております。
そして、地味な3回戦を終えて、作品テーマである「小さな巨人」を描く準々決勝がはじまり、もうこれでスラムダンクの呪縛は完全に解かれたのだとホッと胸をなでおろしたところに突然、なんの前ぶれもなくそれはやってきました。ハンターハンターのゴンさんを彷彿とさせる怪物性が開花して、3セット目の大詰め最高潮のいよいよこれからというところで、主人公はケガですらない、体調不良による発熱で試合を途中離脱してしまうのです! 当然のごとくチームはやぶれ、「まあ、1年目で全国制覇はムシがよすぎるか」と気をとりなおし、キャプテンかプレイボールばりの2年生編がはじまるのを、当時の99パーセントの読者と同様に期待したわけです。にもかかわらず、高校の残り2年間をナレーションでスッとばして、ブラジルでのビーチバレー編がはじまったのには、冗談ではなく椅子から転げ落ちました。あとづけの推察ながら、35巻ぐらいから表紙の折り返しにある作者コメントから熱量が薄まっていくのは気になっていましたし、「じっさいに試合をすればいいだけなのに、なんでオレはわざわざこれを紙に描いてるんだ?」との慨嘆にいたっては、描きたいテーマ・場面・セリフを出しつくして、なお人気が下がらず、連載をやめたいと泣きついても編集部と、おそらくバレーボール協会から、「せめて、東京オリンピックまでは続けてくれ」と引き止められ、もうバレーボールの試合を描きたくない作者の気持ちとカネ勘定の得意な大人たちの思惑の落としどころが、南米への取材旅行の許可とビーチバレー編だったと想像すると、なんだか胸が苦しくなってきます。
そうしてついには、ありえたはずの「2年生編」「3年生編」「ユース編」「大学編」「Vリーグ編」「オリンピック編」「ワールドカップ編」を大急ぎの駆け足でぜんぶ塗りつぶして、続編の制作が不可能な地点にまで時間軸を早送りして、ハイキュー!!世界に完全なるトドメをさしてしまいました。これは、「もうだれがなんと言おうとバレーボール普及の神輿には乗らないし、バレーボール漫画だけは今後の人生でぜったいに描かない」という、作者の悲鳴に近い宣言のようにも聞こえるのです。この結末には、シンエヴァを見たときと同じ感覚がよみがえって、当初のつもりであったのとは逆に、「盛夏の滅び」による気持ちの落ちこみは、よりいっそう加速していきました。私がハイキュー!!という作品を通じて知りたかったのは、あの小柄な16歳の少年の歓喜と成長であって、40がらみのオッサンが吐露する創作の苦しみでは断じてありません。「スラムダンクの呪縛」は1回戦から準々決勝へとコマを進めた状態で「ハイキュー!!の呪縛」によって、新たに上書きされる結果で終わり、「少年漫画の連載は5年以内、30巻未満で終了」せねばならぬとの思いをあらたにした次第です。
あのね、艦これで例えるなら、ビーチバレー編は「連合艦隊12隻大破進軍」ですよ。最近の人気作になぞらえるなら、ビーチバレー編は「死にたがりの鬱君」ですよ。シンエヴァにせよ、正しい方向性を直言できる「良い大人」不在のまま、作者がいっときの自暴自棄で壊してしまった作品を見ると、どうにも自殺の名所で死者の手まねきに引きこまれるような気分にさせられます。20歳を越えた大人の話なんて、なにがあったって自分ひとりでやっていくしかないんだから、もうどうだっていいじゃないですか。少年漫画には、どこどこまでも思春期の葛藤へ寄りそって、少年が少年のまま世界の不条理を超克して、フィクションにのみ可能な栄光の輝きを見せてくれることを望みます。