猫を起こさないように
雑文「ルンペン的生活者の手記」
雑文「ルンペン的生活者の手記」

雑文「ルンペン的生活者の手記」

 ノトーの運営がまたぞろルンペンの記事でフレイミングしておるようだが、「スマホでnWo!」は過去サイトと比べても相当に読みやすく、提供されているフォーマットには感謝しきりである。そして、通勤や出張の合間にどこへも届かなかった作品をノトー上で読み返すことは、うらさびしくも楽しい時間だ。

 さて、自己選択的ルンペンなる概念については、特にロスジェネ世代が過敏に反応しているように見受ける。それは戦場の如き歳月ーー才覚と努力だけでは、生き残るのに充分ではない苛烈な環境ーーを過ごした経験から、いま現在の立ち場がいかほどであろうと、我々全員の社会的自認が「特別に運の良かったルンペン」にとどまるからだろう。私は生き残った方のルンペンだが、私の額をねらって放たれたはずの弾丸が逸れ、周囲の同胞を殺し貫くのを何度も何度も見てきた。なぜ私が死ななかったかを説明するのに、自身の能力を挙げることだけは絶対にないと言える。つまり私が生き残った理由は、運が良かったか、神に選ばれているかのいずれかというわけだ。小鳥猊下なるを構成する卑屈と諦念と高慢と自己愛は、まさにこういった時代背景によって形作られてきたのである。ゆえに、ちんぽおめこを連呼する躁の汚濁と、少女保護特区の終幕のような鬱の清浄は、私の中でまったく矛盾しておらず、両者は常に行き来する場所なのである。

 先日、移動の合間を使って5年ぶりぐらいにMMGF!を読了した。巧拙はおくとして、書かれている中身のあまりの偽りのなさに涙がこぼれた。同時に、これを繰り返せば技術の向上は見込めるのだろうが、この内容でダメだったなら私が私である限りは、もう何をどうやっても仕方がないとも感じた。高慢と自己愛から転落したその卑屈と諦念は、アイドルとセックスワーカーの隣接にも似ており、現代的な病理の形象化がすなわちキング・ルンペン・小鳥猊下の正体なのだろう。

 いやー、ルンペンに言及した文章だけでなく、こんなルンペンが書いた文章まで分けへだてなく掲載してくれて、ありがとう! ひと昔前なら、駅や公園の便所壁に記述するしかなかったわけだから! 弥栄、弥栄、ノトー運営の未来に栄えあれ!