猫を起こさないように
雑文「あるウルトラファンへの公開書簡」
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 映画「シン・ウルトラマン」感想

質問:お久しぶりです。ウルトラマン観てきました。(略)残念な感じでした…。ちょっと誰かわかる人に聞いてほしくてDMしてしまいました…子供向けコンテンツを「大人でも楽しめる」って言って提供する仕草本当に嫌いで、隣の席に座っていた多分ウルトラマン好きの子供が、微妙な顔をして最後劇場から出て行ったのが印象的でした

回答:原典の信奉者ほど内容に納得できないのが、直近の「シン・シリーズ」2作だったかと思います。初代マンの熱烈なファンほど、廃れたIPの復活を願うからこそ、盛り上がりに少しでも水をかけないように、太ももへアイスピックを突き立てるようにしながら不満を圧し殺して、「1兆点」みたいなツイートをしぼりだしている感じは伝わってきました。そして、話題作に乗っかって感想をバズらせたい非ファン層(オマエが言うな)がコア層のそういったふるまいに「褒めてよし」の許可を得たとカン違いして、とたんにペロペロと好意的にしゃべりだす感じ。最近のネットは特にこの傾向が強く、たとえば私はヨネヅ某の主題歌にまったく感心しなかったのですが、「古参の俺よりウルトラマンを理解している歌詞に嫉妬」みたいなひとつのツイートから伝播して、視聴した者たちの総体が歌の激賞へと雪崩れていく様子も、なんだか薄気味悪かったです。エンディングは「赤背景の黒シルエットでオリジナル主題歌」の方が、はるかに印象的な余韻となったことでしょう(この点は樋口監督によるマーケティング優先のジャッジだったと思ってます)。

 シンエヴァでも感じたことですが、ヒーロー物に重要な「後から来るだれかに預けるための未来を守る」という視点にとぼしく、それはやはり本作にも雰囲気として引き継がれています。「人間を好きになる」過程についてベタでも構わないので、それこそ「寿命に由来する大人から子どもへの継承」を不老不死の者から驚きをもって眺めるような挿話があれば、ゾフィーの台詞もちゃんと響いたと思うんですよね(もしくは冒頭付近の自己犠牲をもっと詳しく、異星人に理解不能な「聖なるもの」として描写するか)。庵野監督は人間のドラマに興味がなくーーないというより、「わからない」が正確な気もしますーー、政治的にも哲学的にも思想性は絶無であり、造形の表象とカメラアングルにのみ作家性を有する極めて特異な人物です。シン・ウルトラマンでは、まさにこの特性の悪い部分がすべて出ていたように感じました。

 こういった特質を理解して撮影する作品や題材をコントロールできる、ジブリの鈴木某のような敏腕プロデューサーがいないことは彼自身にとっても、彼がシンの名でマーキングしにかかっている作品群のファンにとっても、大変に不幸なことだと言えるでしょう。この裏には、もしかするとエヴァQの制作で大好きなヤマトのリブートに関われなかったショックがあり、その恨みが庵野監督の現在の行動を規定している気がするのです。「自分だったら、ヤマトのオープニングは1カットも変更しない。オリジナルのタイミングを完全にコピーする」との発言からもわかるように、原典が持つ「テーマ以外」への偏愛が強すぎるため、過去作を現代にリブートすることの意義、つまりテーマやメッセージを更新することへの意志が希薄なことこそが問題の本質なのでしょう。シンが新、Qが旧の言葉遊びだとするなら、本作のタイトルは「Q・ウルトラマン」こそがふさわしいと感じました。すなわち、大人の、大人による、大人のための、退行したウルトラマンです。