猫を起こさないように
イィィィヤッホォォォウ!
イィィィヤッホォォォウ!

イィィィヤッホォォォウ!

 爪の間にまち針を刺しては抜き刺しては抜きする精神修養の五年間を経て、ついに萌え画像がnWoのメールボックスへと投げ込まれた。休日の朝、庭の芝生へあくびをしながら出てきた白人男性の口に、自転車の青年が投げる新聞がすっぽりと入ったようなイメージを浮かべると正確である。今日この日を小鳥猊下の自尊心再誕祭として定めるので、来訪者の諸君は有給や無断欠勤などを活用し、来年度より主に自発的な休業をはかるとよい。自宅にずっとおられる諸君に関しては、一日くらい精虫を殺さない日があってもいいので、そうしなさい。
 断崖絶壁に今回の送り手と私の親が片手でぶらさがっており、どちらか一方をしか助けられないという状況を仮定しよう。私は迷わず親にかけよって、その手の甲を踵で微塵に粉砕してから、今回の送り手を救助する。百回同じ機会を与えられたとして、百回ともそうするだろう。いつものくせで、このめでたい日に大衆諸君には受け入れ難い価値観を提示してしまった。おまけに感謝と憎悪のどちらを表現したい例えなのかもわかりにくい。手の甲にハエが止まっていたのさ。だったら、しょうがないだろ?
 nWoの語彙をもってしてさえ、この喜びは筆舌に尽くし難い。モニターの前でマウスに置いた右手を水平方向水平方向、股間に置いた左手を重力方向重力方向の、欲望を昂進させる例の作業中、ただ絶頂を先送りするためにとるインターバルに更新を流し読みし、「つまんねえ」とか「またパロディやれよ」とか、下半身からの放熱に浮かされた泡沫の如き妄言を意識へ浮かべる数分ではなく、純粋に私へだけ、カネを取れる技術を用いた人生の数時間を捧げてくれたのだという事実。それが心をふるわせる。文章に対しては何より自負のせいで意固地な反応を返すことしかできない私だが、図画に対してはもう尊敬の念の他はなく、両脚をおっぴろげて赤子のようにきれいなアナルを提示するしかない。ちなみにいまの「赤子のように」は「きれい」と「アナル」の両方を修飾しており、正確に表記するならば「赤子のようにきれいな赤子のようなアナル」となる。
 萎えはてたサイト継続への意志が再び盛り上がるのを感じている。たった一つの善意、もしくは無償の愛が魔法のように様々な喪失を取り戻させるのだから、「人は人によってだけ救われる」というどこかで読んだあの一節の含意に、いまは頭を垂れたい気持ちだ。あと4回も心からの敬虔さで頭を垂れる機会を与えられるなんて、私はネット業界一の果報者である。

 がんばってなんか書く。