猫を起こさないように
みんながんばろうねっ!
みんながんばろうねっ!

みんながんばろうねっ!

乳首を隠す意図を失うほど、胸襟をガバガバに開いておるのに誰も私のピンク色のつぼみへ接吻しに来ぬ。全く不条理である。

ホームページ上でも固有名詞を避ける態度を貫いている私が、ときどき尿漏れのようにそれを記述するのは、その裏へ「高尚なイメージを付与したい」など、読み手を誘導するための意図があることを常に疑って頂きたい。昨日もそうだった。調子に乗ってごめん。件の映画だが、何かを理解しているわけではない、「あまりに正気すぎて、心に狂う余地が一片も無い」ようなときに視聴することを決めているだけに過ぎぬ。

さて、リアルの階層が平屋建ての、勘違いしがちな向きに宣言しておきたいが、この日記における記述は読み手をエンターテインさせることを主眼においているのであり、現実の誇張や歪曲は当たり前に行われていると警戒して頂きたい。現実を現実のままに留める役は、「転向」や「変節」を文章中に多様するあの人々に任せておけばよい。例えば、昨日の日記の「壁を殴りつけることで怒りを維持しながら更新した記憶がある」という下りは嘘である。そもそも、パソコンを設置してある場所から手の届く位置に都合よく、殴っても隣人が怒鳴り込んでこない手ごろな壁があるはずはない。何より壁を殴っていては両手がふさがりタイピングできぬ。真相は、単にキーボードへ思い切り額を打ち付けていただけのことだ。それならば、隣人への配慮から壁を殴る力をセーブする気苦労がはぶけるし、両手を使える分、タイピングもはるかに容易である。流した体液も鼻からのような過激さではない、額の裂傷から顔面を垂れ流れた鮮血が衣類とキーボードを汚しただけのことである。おっと、こんな軟弱な更新風景を開帳したら、むしろ月経前の女子しか寄ってこなくなっちゃうよ!

”胸襟を~”の後へ続く擬音に促されるように下ばきの中身を覗き込み、指先でもってためすがめつする婦女子たちの様子に、青ざめた横顔へ苦悩の翳りを浮かべながら記述を終える。