猫を起こさないように
天気の子
天気の子

天気の子


天気の子


期待していたみなさん、すいません。すごく楽しめました。いつもは面白さを気持ち悪さが上回るのに、今回は気持ち悪さが面白さを上回らなかったことが理由だと思う。例えるなら、クサヤや鮒ずしやブルーチーズやシュールストレミングに比する臭みがなくなったので、ようやく味や食感に言及できるようになったという感じだ。ツイッターで散見される「90年代エロゲーのトゥルーエンド」なる評は的確に本質を言い当てていて、カントクの出自にも合致する慧眼だと思った。じっさい、本作のストーリーはまさにエロゲーのリアリティラインで描かれていて、その不整合を一般文芸と同じ視点で評するのも野暮であり、わざわざツッコむ気にはなれない。そんなことより、ラストシーンでは名前を呼ぶだけでなく、ついに男女が手を握りあう状態へと至っており、次作ではハグ、次々作ではキス、次々々作ではペッティング、次々々々作ではセックスと、ようやくチェリーボーイ卒業へのロードマップが見通せたのは喜ばしいことだ。あと前作と違って、小学生女子の描き方があまり気持ち悪くないのは、同級生の男子を登場させて大人からの視点を薄めたのと、何よりカントクの娘が小学生になったというのが大きいと思う。しかしアナタ、小学生の娘ですよ! 結婚して家庭を持ち、四十も半ばを過ぎて、子どもが小学生になってなお、こんな金木犀スメルの漂うストーリーを描き続けることができるというのは、ある意味すさまじいことですよ! 尊敬ーーには値しないまでも、保護するべき貴重な感性(DT力)ですよ! 本作のインタビューに目を通したら、「ヒロインを救うために東京を水没させるなんてことして、みんなボクのこと、ひどいと思いますよね?」とか思春期の少年みたいな世迷い言を吐いている。インタビュアーをはじめ、その場に居合わせた方々は、作り笑顔の下に「オマエが二百億かせいでなきゃ、すぐにでもこの場を離れるんだがな」という本音を秘し隠して仕事に当たられたこととご同情申し上げますが、オイ、そこかよ! 拳銃の扱い(チンポのメタファー?)とか、もっと他に気を使って脚本へ落とし込まなきゃいけないことがたくさんあっただろうがよ! いいんだよ、東京やセカイのひとつやふたつ滅んだって、ただのフィクションなんだから! エバー・キューから悪い影響を受けてんじゃねえよ! つい興奮してツッコむ気にはなれないはずのストーリーにツッコんでしまったが、私が心配するのは、本作も大入りロングランとなり、当然としてまた周囲の大人たちに次回作を求められたときのことだ。前作のキャラを登場させてまで、わざわざ舞台のつながりを明示したマジメなカントクのことだ。「水没した東京(不可逆な! 可塑性のない! エバー・キュー!)でぼくたちはいかに生きるのか(吉野源三郎! 宮崎駿!)」というセンで東京三部作みたいにトリロジーの完結編を考えようとする可能性が極めて高い。だが、その方向はカントクの器を越えた隘路だと、僭越ながらご指摘差し上げたい。なに、「シン・エヴァが公開されてから、結論をパクればいいじゃん。あと、絵の構図とか(笑)」とでも考えているんじゃないですか、だと! きさま、シンカイさんがそんな不真面目な人間であるはずが……(振り上げた拳をおろし、目をそらす)。ともあれ、皆が不幸にならないエス・シー・ディーズ(持続可能な創作目標)だけは、おずおずと提示しておきたい。カントクは「脚本はエロゲーからの借り物、構図と画面作りはエヴァからの借り物、背景美術だけが少しオリジナル」という自らの特性を受け入れ、以後は全国各地の主要都市へ舞台を移してのボーイ・ミーツ・ガールだけを描き続けるのが最良の一手であろう。本作の脚本をひな形として、あとはキャラの固有名詞を変えたぐらいの変更で(一般客はだれも気づかない)、各地の主要都市を緻密な背景美術で描いていくーーカントクの気晴らしに、ときどきは火山の噴火とかで街を壊滅させてもいいーーことで、聖地巡礼などで地方行政や観光事業と結託する。それがカントクにとっても観客にとっても出資者にとってもハッピーで持続可能な、三方一両得の展開であることは間違いないと断言しよう。もしカントクが「あの、東京だけがボクにとって特別な街なのであって……」などと童貞スメルのする思春期的な寝言をぬかしだしたら、周囲の大人たちはきっちりとチョウパンいれてから説得してください。あと、粉雪の舞う中でセミが電柱にとまっているカット見たけど、あれさあ、わかってるぜ、nWoの更新への目くばせだろ? いやあ、オレもいよいよネット界隈において「好きだと名前を言ってはいけないあの人」と化してきたようだな、照れるぜ、ハハハ(テロップ「※個人の妄想です」)!