猫を起こさないように
風の歌を聴け
風の歌を聴け

風の歌を聴け

 僕たちは店の奥にある薄暗いコーナーで脱衣麻雀を相手に時間を潰した。幾ばくかの小銭を代償に死んだ時間を提供してくれるただのガラクタだ。しかし鼠はどんなものに対しても真剣だった。ゲーム・オーヴァーの赤い文字がお嬢様の真っ白なパンティの上に表示されたとき、僕たちは二人の財布をあわせての全財産、ちょうど50枚の百円玉を投入し終わったところだった。
 「お高くとまりやがって。この売女が!」
 鼠があらあらしく筐体を蹴り上げる。チョッキ姿の店員が人混みをかきわけこちらに向かってくるのに、僕は鼠を後ろから抱えるようにしてゲームセンターの外へと連れ出した。
 冬の夜気は、寄る辺無い人間にとってずいぶん身にこたえる。街灯に群がる蛾の羽音が響きわたる路地裏で、誰も追ってこないのを確認して僕は路上に座り込んだ。鼠はどうにも腹の虫がおさまらないといったふうでコーラの自販機を殴りつけた。ケースの灯りが明滅して、消える。
 「おい。もうよせよ。」
 「5000円だぜ。職も無いのに。何やってんだ、俺たちは?」
 鼠が吐き捨てた唾は、道端に広がる反吐と混じり合って濡れた音をたてた。
 「間延びした時間、ケチな遊び、こんなのはもうたくさんだ! なぁ、あんたはこのままでいいと思ってんのか?」
 「しょうがないだろ。俺たちを受け入れてくれる場所なんて、この社会には無いんだよ。」
 「だからって、」
 「おまえはそうやっていつも、酒や何やの勢いを借りて、問題を声にした時点で満足しちまってるんだよ。俺は本当に、絶望的にどうしようもないのを知ってるのさ。だから俺は、いつも黙ることにしている。」
 とびかかってくるかと思ったが、鼠は急に脱力したようになってその場に座り込んでしまった。
 「わかってるんだよ。でも不安なんだ。俺はあんたみたく大人じゃないから、言わずにはいられないんだ。」
 「俺だって、何かわかってるわけじゃないよ。ただ、自分がわかっていないことをわかっているだけなんだ。」
 沈黙。僕の言ったことが聞こえたのかどうか、鼠は宙を睨んで言った。
 「考えたことないか? このまま、アニメや漫画の二次元の異性だけが興味の対象のまま、二十年経ったらって。定職にもつかず、社会からのかろうじてのお目こぼしをさずかって、稼いだ日銭をLDやらグッズやらにつぎこんで、人づきあいはネットの上しか無くて、ネットでは馬鹿みたいに明るい演技して、外見は年をとるのに失敗して不気味に若々しくて、そんで二十年で技術はすげえ進歩してて、ほとんど人間と変わらないエロゲーキャラの等身大人形とセックスしてんだよ。直結したノートパソコンとマウスでヴァギナの位置や愛液の量を調整したりしながら、その人形を愛撫してんだよ、本当に心からの愛情から。やっぱ純愛ですね、鬼畜系はダメですよ、とか言ってんだよ。ネットで。顔文字つきで。萌え~とか言ってんだよ、本当は何よりも自分のことが一番好きなくせに。それは、正しいのか? もうそれは人間じゃないんじゃないのか? 人間とは呼べないんじゃないのか? …俺たちはどうなっちまうんだろう。俺たちは本当に、どうなっちまうんだろう。」
 鼠は抱えた膝の間に顔をうずめると、すすり泣きはじめた。僕はジーンズの尻から煙草を取り出すと、火をつけた。
 たちのぼる煙に、けばけばしい都会のネオンライトがゆらいだ。だが、それは煙のせいではなく知らず流れ出た涙のせいらしかった。
 たとえそうなることをあらかじめ知っていたとして、僕たちにどうしようがあるというのだろう。僕は鼠の述懐を聞いていて、むしろ心地いいと感じている自分に気がついていた。
 鼠は十分ほど泣き続けていたろうか、顔をあげると照れくさそうにセーターのすそで涙をぬぐった。
 「その携帯ストラップ、いいな。」
 「ああ、いいだろ。おじゃ魔女どれみだよ。見つけるのに苦労したんだぜ。」
 僕たち二人は顔を見合わせると、声をたてて笑った。