猫を起こさないように
風の歌を聴け
風の歌を聴け

風の歌を聴け

 「やぁ。」
 「ひさしぶり。半年ぶりくらいかな。」
 「ちょっと最近仕事が忙しくてね。」
 「今日はもうおしまいなのかい。」
 「いや、ちょっと流行りの風邪にやられてね。会社は休みにして今まで家で寝てたんだ。」
 「それはそれは。まだ寝ていたほうがいいんじゃないの。」
 「いや、もう大丈夫。」
 「そう。何か飲むかい。」
 「今日はアルコールはやめておくよ。気分じゃないんだ。」
 「そうかい。」
 「…。」
 「…。」
 「今日一日家で寝ていてさ、あの頃のことを久しぶりに思い出したんだ。」
 「うん。」
 「あの頃はいつも焦燥感とそれに倍するくらいの無力感があってさ、これは社会が悪いとか叫んでプラカードふりまわしてさ、いろんな思想書からパクったような内容のきったねえ手書きのビラ配ってさ、そんな行為に何か意味があると信じててさ、でも違ったんだな。」
 「うん。」
 「俺がそのころ世界の殻だと、これを破れば俺は解放されると思い続けていたものは、結局自分自身の殻に過ぎなかったんだ。…それを自覚したとき、俺はただアニメを見るしかできない男になっていたよ。」
 「うん。」
 「天井のしみを数えながら、今日一日そんなことを思い出していたんだ。」
 「…。」
 「…。」
 「最近は、玄関におくような全身が写る姿見があるだろ、あれを目の前において、インターネットで落としてきたきっついきっついアニメ絵を見ながらオナニーするのが日課なんだ。」
 「うん。」
 「もちろん、画像もちゃんと姿見に映るような角度に配置しなきゃダメだぜ。これが唯一のコツなんだ…最初はちょっと照れたような感じなんだけど、しまいには泣き笑いのような表情を浮かべた自分の口から、いったい誰に向けられたものか、『ちくしょう、ちくしょう』って呻きが漏れてるのに気がつくんだ。その誰からも非難される、どんな高い哲学性もないドブの底のような惨めさが、何の生産性もなく日々しょうことなしに消費される現実の対象を持たないスペルマが、この時代の、”今”の本質であるような気がするんだよ。そうは思わないかい、ジェイ。」
 「さぁ、あたしにはむずかしいことはわからないけどね。やっぱりビール、飲むかい。」
 「おたくなんて・みんな・糞くらえさ。」
 「そうかもしれないね。」
 「ダニさ。奴らになんて何もできやしない。おたく面をしている奴を見るとね、虫酸が走る。…ジェイ、クレヨン王国はもう消せよ。終わったんだ。」
 「すまない。」