猫を起こさないように
今日のこの人
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今日のこの人

 東京都杉並区にお住まいの小鳥満太郎さんは人間国宝に指定される最後のホームページ職人です。江戸時代から続くホームページ職人の家系に生まれたかれは、同じく高名なホームページ職人であった父親より手ほどきを受け18歳のおりに独立、それ以来ずっとこの職業を生業としています。今日も特にと乞われ、ホームページの調整に出かけます。
 「最近は年のせいか、目が弱くなっちまって。新しい仕事は断ってるんだけど」
 満太郎さんは我々取材班に苦笑いでそう漏らします。
 「工業製品なんかと違って、ホームページってのはいったん作っておしまいってわけにはいかねえから。その後の手入れが大切なんだな。手入れを怠るとすぐにダメになっちまう。今日のホームページは、俺が20代の頃に作ったやつなんだよ。それがいまだに動いて愛されてるっていうのは、ほんと嬉しいことだよ」
 50年来のつれあいだという奥さんが火打ち石を切って満太郎さんを見送ります。
 「え。ああ、そうだねえ。アレとも長いからね。俺がここまでやってこれたのも、アレのおかげだと思ってます。あ、これァ使わないでおくれよ。いまさら照れくさいから」
 それを言う満太郎さんのはにかんだような表情には、愛があふれているように思えます。
 「よくがんばったな。前に来たのがいつだったかな。五年にはなるか」
 満太郎さんはホームページを手に取ると、流れるような手つきでメンテナンスを行います。それはまるで母親が赤ん坊にする愛撫のように、門外漢の私たちにも優しさの波動を感じさせます。
 「JAVAだとなんだとか、近頃はそういうホームページが多いけれど、俺にゃ本質をごまかしちまうような気がするんだよ。時代についていけない古い人間の繰り言に過ぎないと言われればそれまでだけどね」
 話す間も満太郎さんは手を休めることをしません。その芸術的なテキストが次々と積み上げられていきます。
 「これであと十年は大丈夫だよ、ご主人」
 満太郎さんは取り出した煙草に火をつけると、目を細めて深々と煙を吸い込みます。
 「腎臓をイわしちまって食事制限されてから、仕事の後のこれだけが楽しみになっちまった。十年後にまた来れるかねえ……後継者? ホームページってのは、それぞれが独自で、生殖能力に欠けた奇形みたいなもんでねえ。俺が手を加えることができるのは俺が作ったホームページだけなんだよ。後継者っつったって、そいつはそいつにしか手を加えることのできないホームページを新たに作るだけだ。(頭を掻きながら)こういうこと言うから古いって馬鹿にされるんだな。まァ、最近のホームページはそうでもないようだがね。俺みたいな職人はどんどん無用になってくんだろうな。ガキもいないし、俺の代でこの家業は終わりだろうね」
 そう言って笑った満太郎さんの横顔は少し寂しそうです。
 「顔文字、かい。どうなんだろうねえ」
 満太郎さんの顔が少しくもります。
 「最近は特に多いみたいだね。悪感情は無いよ。いや、昔は顔文字が入っているだけで怒りくるってモニターを殴りつけたりしたものだけどね。でも近頃は年をとったせいだろうね、ああ、可哀想だなって思うんだよ。仏さんみたいな透明で清澄な哀れみの感情が湧いてきて、最後には無性に泣けてくるんだ。日本語の本当の豊かさにも触れられず、精の薄い――あっと、よくねえかな。でも古い人間なんだ、勘弁しておくれよ――箇条書きの文章に句読点の代わりに顔文字を頻発する若い連中を見ると、その無知と愚かさとあまりの手に入れて無さのために泣いてやりたくなるんだよ。彼らは自分の貧困な語彙と日本語力で、目に見えない相手に自分を伝えようと必死なんだ。残念なことに俺たち夫婦は子どもを授からなかったけれど、もし自分の息子なりがこんなふうに顔文字を使っているとしたら、どんなにか胸のしめつけられる気持ちになるだろうって想像するんだ。だって、そうだろう。たどりつけないことは、生まれつき知的にチャレンジさせられてしまっていることは、彼らの罪じゃないんだから」
 満太郎さんの目にうっすらと涙が浮かびます。
 「今日実は俺の誕生日なんだよ。確か73になるんだっけかな。お招きはありがたいんだけど、こんな日くらいは家でアレといっしょに過ごしたいと思います。今日はどうもご苦労さんでした」
 私たちクルーに深々と頭を下げると、最後のホームページ職人・小鳥満太郎さんはひょこひょこと飛び跳ねるような足取りで帰っていかれました。
 去り際に彼の残した言葉は、いまだ私たちの耳に残っています。
 「ああ、誰か俺の誕生祝いに春画を送ってくれねえかな。誰か、幼女の春画を送ってくれねえかな…」

(企画・制作 nWoエンタープライズ)