猫を起こさないように
D.J. FOOD(6)
D.J. FOOD(6)

D.J. FOOD(6)

 「 Jam, Jam! MX7! 今週もまたD.J. FOODの”KAWL 4 U”の時間がやってきたぜ! それではいつものように始めよう、 Uhhhhhhhhhhhh, Check it out!
  まァ、今でこそ地方局の一D.J.に専属でおさまりいただくわずかのサラリーで細々と二人の娘を養う、地域振興券に非常な喜びを感じるような、お釣りの出ないことに憤りを感じるような、娘二人の現世の様々の欲からもっとも遠い清らかな寝顔に現世の様々の欲の中でもっとも浅ましい欲を抱いて自己嫌悪に陥るような、そんな小市民的な飼い慣らされた日常を堅実に歩んでいるわけだけれど、あの頃は血気盛んなものだったからMOO・念平などというペンネームで子供だましの薄っぺらい熱血学園ガキ大将漫画をしこしこと記述して小金を稼ぎ、安い焼酎などを購入して悪酔いし、抑圧の外れた意識でもって意味の通じない奇声を発しながら外へ駆け出し、電柱に激突して横転、二万人の足に被害を出すほどの荒くれ者っぷりでした。小学館漫画賞をいただいたこともあるんですよ。下から読んだらペンネーム。さて、いつもの犬のようなおしゃべりはこれくらいにして、まず最初のお便りは静岡にお住まいのバルダーズ・ゲート最高!さんからです。『こんばんは、FOODさん、いつも楽しく聞いています。楽しく聞いているんですけど、FOODさんって嘘つきだと思う。だってFOODさんの昔の話って毎回めちゃくちゃだし、全部本当なんてことありえないと思う。全然整合性がないもん。それだけです。あとはいいと思う』 うん、いい指摘だと思うな。現代ほど現実の虚構化が進んでいる時代は過去なかったと言っていい。人間の知恵がある現実を、例えば誰かに伝えるために、言葉でもって確定させようとすること、それ自体がすでに虚構をつくりだしているんだ。家を出て、見上げた空が君にとってとても気持ちのいい様子だったとする。それを、出会った友人なりに伝えるために『抜けるような青空』という言葉でもって説明したとしよう。そのとき、君の目の前の空は確かに青かったが、東のほうから黒い雲がやってきつつあったことや、飛行機が横切ったことや、月がうっすらと見えていたことなんかは省略されている。なぜならそれらは君が感じた『とても気持ちのいい』感情と反する、あるいは全く関係ない事項であるから、省略してしまったほうが相手に誤解なく君の感じが伝わるだろうと君は無意識に思ったからだ。たったこれだけの操作だけれど、それは現実を虚構化していると言える。会話だってそうだ。現代には間をきらい、声を張って、演劇的にしゃべる人間のなんて多いことだろう。そしてみんながみんな、一語の無駄もない”意味のある”やりとりをしようとしている。すべての言葉に意味性を与えようとしている。まるでそれぞれが推理小説の中の登場人物でもあるかのようじゃないか。ネット上なんかもうそれ以外は無いって感じだね。会話の即時的で無さに現実の言語化から更にキーボードやらの装置で打ち出すという段階が加わって、意味の無さは極限まで削られ、必然だけが場を支配する。ときおり見受けられる無意味性でさえ、意味性へコントラストを与えるための役割を受けている。つまり意味が与えられている。要するにね、君の感じている整合性の無さっていうのは、君の周囲をとりまいている、君が知らずならされ適応してしまった虚構内感覚での違和感なんだよ。現実にもともと整合性なんてありはしないんだ。だから君が僕の話に感じるような、もっともあり得なく思えることも、それは虚構内でのありえなさ、おさまりの悪さに過ぎないってことさ。それに、もしかしたら僕自身、虚構の中の人間かも知れないじゃないか。長くなってしまった。さて、次のお便りは栃木にお住まいの片山春美ちゃんからのお便り。『FOODさんひどい。こないだ栃木に来るって言ってたのに、来なかったじゃないですか。ずっと待ってたんですよ。藤野さんは私の友だちです。今度はぜったい来て下さい』 ごめんごめん。本当に行くつもりだったんだよ。死ぬ予定だった叔父が持ち直してね。それもこれも間違って小麦粉を送ってしまったスタッフの中川君のせいだよ。恨むなら彼を恨んでください。本当に今度行きたいと思います。ごめんね。最後のお便りは大阪府にお住まいの小鳥くんからです。『こんばんは、D.J. FOODさん。何度も迷ったんですけど、重大な告白をするためにペンを取りました。ぼくは最近ホームページを作ったんですが、なんだかダメなんです。最初のうちはいろいろみんな褒めてくれて嬉しかったんですけど、最近はもう全然なんです。どうしたらいいでしょう。気持ちに張りが無くなってしまって。このままじゃ僕はダメになってしまうような気がする』 小鳥くん、どんな劇的な革命も変革も、最後には日常に吸い込まれていくんだ。若い頃は、Life is a carnival、ただお祭りのように大騒ぎで毎日が過ぎて、こんなふうに死ぬまで過ごせたらとよく思ったものだ。いろいろと無茶なこともやったよ。でもこんな僕も、最近わかってきた。当たり前の毎日を積み重ねることの尊さを。人の親として大地に身を横たえ、次の世代の肥やしとして朽ちていく喜びを。カストロ議長っているだろう。あの人も自分を取り巻く現実を打破するために革命を求めたはずなのに、その熱狂は死体のように冷えてゆき、いつのまにか自分がかつて自分を取り巻いていた打破すべき現実とまったく重なっていることに気がついてしまったんだ。かれの演壇に立つ疲れた年老いた顔を見たとき、僕はそんなことを思った。だから君も失われていくものを嘆かずにゆっくりと前へ進んでくれ。そして時期が来たら、次に来る者たちのために身を横たえ、彼らに我が身を喰わせるといい。そうやって、人類は歩んできたんだ。今日はなんだか最後に少しセンチになってしまった。来週はまたいつものように大騒ぎでいきたい。Life is a carnival。
 それじゃ、来週のこの時間まで、C U Next Week」