猫を起こさないように
6th GIG “クレイドル”
6th GIG “クレイドル”

6th GIG “クレイドル”

 販売目的ではない漫画を大量に陳列・賃貸することで利潤を追求する図書館でない店。見た瞬間にこれは尋常の社会生活を営む種類の人間ではないと理解されるものや、背広姿など風体はまともだがあまりの目の輝きの無さやあまりの目の輝きに異常を認められるものが大量にたむろしてその精神的負の質量にもかかわらず不気味なまでの整然さで漫画を閲覧している。その中でもひときわ異彩を放つ一人の青年。椅子を三つならべ腰掛けなお左右に肉をあまらせるほどのデブっぷりで「一人一度に五冊までにお願いします」の張り紙が隠れるほどにうず高く漫画本を積み上げて本を大事にするものが見たならば発狂するようなやり方で製本部分が負荷に耐えかね分解するほどに本を左右へ押し広げ棟方志功もかくやという勢いでぺージに5センチの距離まで顔を接近させギンギンに冷房の効いた店内でなお粘着質の汗をだらだらと垂れ流しながらかれをすべての社会集団から遠ざけてきたのだろうと想像させる異常な虚構への没入力でもって周囲の哀れみの視線や店員の再三の注意も気づかずに漫画をむさぼり読んでいる。
 「(一人の男が背後から歩み寄ってくる。一見普通だが頭の”リカさま命”と書かれたバンダナがその最初の印象を致命的に裏切っている)よぉ。久しぶりだな」
 「(クリーチャーという形容がもっとも正しい動きで顔をあげ)ああ、ご無沙汰してます」
 「(積み上げられた本を見て)『キン肉マン』『スクラップ三太夫』『キックボクサーマモル』…おいおい、ずいぶんとレトロじゃないか」
 「へへ、ジャンプ黄金期の終焉とほぼ同時にその才能の斜陽を迎えた一漫画家の悲劇的な運命を自分の少年時代にフィードバックさせつつ追体験していたんですよ」
 「(肩をすくめて)酔狂なこった。最近見かけなかったが、どうしてたんだい」
 「ようやく同人活動のほうが軌道に乗り始めて、そっちのほうがちょいと忙しくなってきたんで」
 「そうかい。そりゃよかった…せいぜいがんばってこの店の歴史に最後の花をそえてくれ(立ち去ろうとする)」
 「(周囲の数名を大質量の脇腹でなぎ倒しながら身体をひねって)ちょっと待って下さい。そりゃいったいどういう意味で」
 「(振り返り)知らなかったのかい。今月で潰れるんだよ、ここ」
 「(薬の匂いがしみついた四枚の壁に切り取られた部屋で)…というわけさ」
 「(パイプ椅子を蹴って激しく立ち上がり)なんだって! それじゃ、読むデイが潰れてしまうっていうのか!」
 「(ブリキ製のバスのおもちゃを床に走らせながら知性の宿らない笑顔で)ぶーぶー」
 「(全員が会話を止めそちらを向く。この上なく優しい顔でほほえみながら)そうか、ブーブーかっこいいな、よかったな、CHINPO」
 「(何事も起こらなかったかのように向き直り)読むデイは俺たちの思い出の場所だ。(目を潤ませながら)俺たちが初めて出会ったのもあそこだった」
 「(目を潤ませながら)サラリーマン金太郎の全巻イッキ読みを俺たち四人が同時に思いつき、書棚の前で凄惨なにらみあいになったところへ『まァまァ、そんなに怖い顔しないで。本宮ひろ志はどの作品も絵柄・テーマ・面白さにおいて変わるところが無いから、サラリーマン金太郎にこだわって喧嘩をするのはまったく馬鹿げているよ』と穏やかに仲介してくれたのは読むデイの店長だった」
 「そうそう。(目を潤ませながら)『又、本宮ひろ志の廉価版として宮下あきらを挙げることができるがそちらを利用しても読了後に得るものは何ら差が無いよ』と店長が教えてくれたおかげで、僕たち四人は衝突を避けてゆっくりと漫画を楽しむことができたんだ」
 「(室内に転がっていた美少女フィギュアを取り上げて)だーだー」
 「(全員が会話を止めそちらを向く。この上なく優しい顔でほほえみながら)そうか、CHINPOは委員長がお気に入りか。よかったな、CHINPO」
 「(何事も起こらなかったかのように向き直り)そして俺たちは本宮ひろ志と宮下あきらへの不満をぶちまけお互いの漫画への情熱を語り合い、いまの俺たちとして歩みだしたんだ」
 「(突然手にしていたフィギュアをテレビに向かって投げつける。テレビには紫色のロボットが巨大な怪獣の身体を引き裂くシーンが写っている)びぇぇぇぇぇぇ」
 「(全員が会話を止めそちらを向く。あわててテレビにかけよってスイッチを消す。泣きじゃくるCHINPOの頭をなでながら)よし、よし。怖かったな、いけないよな、こんな残酷なのつくっちゃいけないよな、CHINPO」
 「(鼻水を垂らしてしゃくりあげながら)ぶえ、ぶえ、ぶえぇ」
 「……」
 降りた沈黙にうながされるように一人、また一人と部屋から出ていく。看護婦に手を引かれて出ていく幸せそうな顔のCHINPO。リノリウムの床にブリキのおもちゃだけがぽつんと残される。残酷に照らす真昼の陽光。

to be continued