猫を起こさないように
日: <span>2023年2月5日</span>
日: 2023年2月5日

ゲーム「FGO第2部7章後半」感想

ゲーム「FGO第2部7章前半」感想

 FGO第2部7章後半を読了。「育ちの悪い会社」だなんて、「だれかが非難や糾弾に用いる言葉は、その人が最も言われたくない言葉でもある」を地で行く育ちの悪いシャバゾーがチョーシこいて、本当に申し訳ありませんでした(土下座)。重課金者にとって愉悦のORT戦についてはすでにお伝えしておりますが、カマソッソさんが文字通りのゾンビアタックでこの難敵を単騎撃破したことを想像するとき、私のマナコとオソソッソはじゅんと熱くうるんできます。戦闘の合間合間に語られる挿話はどれも出色の出来で、アルコールが入っていたこともあり、ずっと号泣しながらプレイしていたことをまずお伝えしておきます。都市英霊の最期へ至る顛末は「勝ちがないのに、なぜ戦うのか?」という問いへ真正面から答えており、いままさに行われている地上の虐殺のすぐ傍らへ鳥瞰から舞い降りるような気さえしましたし、異霊プロテアの言葉なき翻心を描く下りには、「人は打算には打算を、気持ちには気持ちを返すものだ」という台詞を思い出して、夜中なのに強めの嗚咽がほとばしり出て近隣を騒がせたほどです。

 良質な物語だけが与えられる豊かな余韻に浸りながら、さらに思いつくまま7章での印象に残った場面をあげていきます。ある人物へ向けた「リーダーの器でないことを自覚しながら、必要な場面では逃げずに気持ちをふるいたたせ、必ず決断の責任を取る」という評が、個人的に深く胸へ刺さりました。存外「決める」ことのできる人間は少なく、それが組織や人の生き死にに関わるとなれば、さらにその数を減じるにちがいありません。社会の底から見上げる野党的な視点のフィクションばかりが横行する現在、意図せぬまま高所に立たされた者の責任と覚悟の気高さを描けるのは、FGOが空前の大ヒットとなったからこそで、他のスマホゲーでは表現のおよばない魅力だと言えるでしょう。じっさい、昨今のSNSにおける他責や他罰の有り様は見ていられないほどですし、学生の世迷言や貧乏人の私小説なんて、もう薬にもしたくないですからね!

 また、あるディノスの死に際しては旧エヴァの「彼の方がずっといい人だった。生き残るならカヲル君の方だったんだ」という告解を思い出しましたし、「フィクションには涙を流せるくせに、身近な人たちの死にはまるで不感症である」という自責の吐露は、己のことを言われているようでした。以前、「nWoに可能な愛と勇気の物語を」とスタートした小説に「紡がれるのがどのようなテキストであれ、私たちは本質的に小鳥猊下を読んでいるのです」という感想を寄せられたことがあり、当時は批判のようにも感じられたのですが、いまならばこの感覚はよくわかります。私がFGOに触れるときの態度がまさにそれで、本作を通じて「リアルタイムで追う最高の物語のひとつ」を体験しているのと同時に、「同じ時代を生きるファンガスの人生」を読んでいるのだと言えるでしょう。第2部6章が彼の歴史観や人間観を高い視点から集大成的に表現していたのに対して、この7章は王道的なストーリー展開でありながら、地に足をつけた彼の個人的な感覚や感情を引き写して、そこここに落とし込んでいるような印象を受けました。

 マーリンに代表される「現世と隔絶された、孤高の観察者」というモチーフには、生涯を語り部として過ごしてきたファンガスの人生と自意識が仮託されていると確信するのですが、今回の「星見の姫」はより解像度の高いリフレインとなっているように思います。これだけ多くのファンたちに求められている人物の自意識が、「与えられた環境からは離れて生きられない巨竜、その心はどれだけの時間を経ても成長せず、善悪の区別なく未来永劫を観察し続けるのみ」であることには悲しみにも似た、しんとした気持ちにさせられます。成長とは幻想であり、たとえ家族を持ち日々を仕事にやつしたところで、容れ物の外殻が厚みを増すだけのことで、たたえる中身が大きく変質することはありません。彼はあるキャラの幕間の物語において「生きることは、濁ること」と表現しましたが、その言葉とは裏腹に出力されるテキストは、ますます清明に研ぎ澄まされていくのです。この事実は私に、戦争帰りのトランペット吹きを書いた古い小説を想起させました。人を殺したために音楽から見放されたと嘆く黒人ペッターへ、乞うて一曲を吹かせたところ、これまでに無いような深い音を響きわたらせる。彼はその直後に、信じていた音楽から裏切られたと感じ、自殺してしまうーーそんな内容です。

 あと、「死徒」とか「直死の魔眼」とか、月姫リメイクアルク・ルートだけ読んで続きを断念した私にもかろうじてわかる単語を散見しましたが、「同じ部品で再構築しても、機能停止を一度でも通過すると再起動できないのが、生命の本質であり死の定義」という考え方は、初期作品での観念的な「書生の繰り言」から大幅にアップデートされた「魂の思想」とも言うべき何かへと至っており、「書き続けること、生き続けること」による長い時間をかけた変化を見ることができました。キノコの着ぐるみの中にいるファンガス本体はアラフィフぐらいだと推測しますが、この年代は論語とは違って天命を知るどころか、フォントサイズ100かつボールドの「惑」一文字であり、人生の残り時間が見えてくるからでしょうか、傍目には無謀に思える大転身をする方々がポロポロ出始める時期です。どうか社長を筆頭とする周囲の大人たちは、この希代のストーリーテラーが乱心して道を踏み外さないよう、最果ての塔の錠前をしっかりとロックして、物語だけをさえずるカナリヤとしての天寿を、彼にまっとうさせてあげて下さい。

 7章読了後に型月世界とやらのwikiを眺めていると、20年を塩漬けにされていた大学ノートの「最強設定集」が、FGOの大ヒットにより正史として語られ始めていることへ感動を覚えると同時に、これがコアなファンの内輪ウケに消費されるだけでいっさい世に出ないまま、書き手が寿命を迎える未来も充分にありえたのだと思うと、そら恐ろしい気分にもさせられるのです。もはや中身がスッカスカのアバターでさえ、「全5部作!」なるキャメロン翁の妄言を看過しているのですから、型月世界の膨大な裏設定をすべて預けられつつあるFGOなら、「全9部作!」くらいブチ上げてファンガスに残された作家人生へ明確なロードマップを引いても、だれからも文句は出ないでしょう。

 そして古希を迎えるあたりから、FGOが「世界の真実」を観念的なテキストで語る新しい宗教と化していったとして、それを2次元文化の成熟が生みだした新たなパースペクティブとして全面的に受け入れ、什一税のお布施も死ぬまでは欠かしませんので、関係者のみなさま、どうか何卒、なにとぞ!

ゲーム「2023年のFGO」雑文集

ゲーム「2022年のFGO」雑文集

 FGO第2部7章の後半を進行中。ORT戦が重課金ユーザーにとって考えうる最高のギミックで実装されており、やはりファンガスは私のnote記事を読んでいるにちがいないとの確信を深めた。クラス相性を眺めながら4枚あるNP100礼装で4回宝具を撃つ作業は、優雅なアフタヌーンティーを楽しむが如しである。低所得の無課金ないし微課金ユーザー諸君は、盾女(箱男の文化的待遇)の時間による復活をイライラ待ちながら、一週間ほどかけてチマチマORTの体力を削りたまえ。それにしても、サービス開始から7年を経て、いよいよ完凸カレイドスコープがBlack Lotusなみのやらかし感を放ち始めていますねー。

 そっかー、ククルカンがウルトラマンだったかー。いま、あらゆる予想が外されていく快感に酔いしれています。ジャンピング土下座の披露は、また後日。(上映初日に言わされてる顔で)FGOさいこー!

 星4が何体か出撃した時点でORT討伐終了。星5は無傷のままでした。もっと強くてもよかったんじゃないかなー。え、盾女(箱男の以下略)の復活って時間経過じゃなくて戦闘回数なの? 開始1年未満の初心者がストーリー読みたさでここまで来たら、明確な「詰み」が生じるんじゃない? 課金誘導なの?

ゲーム「FGO第2部7章後半」感想

 FGO奏章プロローグを読む。第7章をすでに読み終わったもっとも熱心なファンたちが、「ではまた、1年後にこの場所でお会いしましょう」と解散しかかるのに、「待った、待ったぁ!」と運営側(notファンガス)がチン入し、新商品のチラシをまきだしたみたいな感じですねー。第6章からにおわせてあった「プレイヤーと主人公は、イコールの存在ではない」ことが極めて不穏な形で顕在化してきていたり、7年にわたる人理救済の旅の結末へ向けて設定が再セットアップされたりするのを非常に興味深く読みながら、一方でどこかガッカリするような気分もあります。

 メタ的にFGOの現況を鳥瞰ーーうッ、「フカン」と書こうとすると頭痛がーーすれば、「最終章のライティングと実装」に向けたファンガス以外のライターによる時間稼ぎでしょうし、さらに言えば「第3部の展開と設定の詰め」と「原神クラスの新アプリ立ち上げ」のための準備期間だと指摘できるでしょう。つまり、ここから3章分は1.5部と同じく、失礼ながら「二線級のライター群による本筋とは離れた埋め草」である可能性が非常に高く、ファンガスのテキストだけを読みたい少数のファンにとっては、2〜3年の虚無期間が約束されたことと同義なのです。

 まあ、まいどまいど失礼かつ悲観的な予想ばかり垂れ流す当アカウントのようなすれっからしのファンを、一喝してシャキッとさせるような快作をせいぜい期待してまーす(中指の第二関節までを鼻孔に挿入し、寝そべりながら)。

映画「NOPE/ノープ」感想

 映画評論家のみなさんや社会学者の先生方が激賞している「NOPE/ノープ」を、遅ればせながら4K Ultra HDで視聴しました。予算の関係で1チップ方式の疑似4K型落ちDLPプロジェクターしか用意できなかったのですが、これまで使っていた液晶フルHDプロジェクターに比べて、黒の沈み方や表現力が格段に上がっているのが素人目にもわかります。黒い肌と夜の闇と物体の影をクッキリと見分けることができたのには、得も言われぬ感動がありました。いやー、黒人主演の映画を見るのにはまさに最適のプロジェクターで、購入までにはいろいろと悩みましたが、結果としてベストバイだったことが証明されてホッとしましたねー……え、肝心の映画の中身はどうでしたかって?

 当たり前の話ですが、黒人や女性や同性愛者や障害者が監督だから面白いものが撮影できるだろうなんてのは、冷静に考えればまったく正の命題と成りえないことへ、そろそろ映画評論家のみなさんや社会学者の先生方は気づくべきだと思いますね。もし、こんなB級SFクソ映画に「クソ映画!カネ返せ!」と心の底から叫ぶことができず、むりくり「社会的な文脈」とやらを見出さねばならないのが生業だったらと想像するだけでゾッとしますし、そんなルンペンみたいな職業につかなくて本当によかったなと、いまは胸をなでおろしております。刺激的な映像をブツ切りにつないだだけの「正味」に対して、チンパンジーとコリアン・キッズの関係性へハッパをキメたような「解釈」を垂れ流さなくてすむというだけで、人生はずっとシンプルで生きやすい場所になることでしょう。いやー、それにしても黒人主演の映画を見るのに最適なプロジェクターを手に入れたのがわかったことだけは、本当によかったです!

 あと、作品の中身を知らずチューニングの合わない前半1時間はなんとか見れるけど、後半1時間で積み上げたぜんぶをブチ壊しにされて「クソ映画!カネ返せ!」って叫んだ作品あったなー、なんだったかなーと考えていたら、ライアン・ジョンソン監督の「LOOPER/ルーパー」だった。よく見たら邦題の表記の仕方も同じで、クソ映画どうしの意図せぬシンクロニシティに、笑った。

質問:NOPEを楽しめた派です。プロジェクターが良いのはわかりましたから、もう少し内容を具体的に。
回答:直近の作品で例えるとサマータイムレンダ問題とでも申しましょうか、端的に言えば「同一作品内ジャンル崩壊」を起こしているのが最大の問題でしょう。ミステリ仕立てのホラーとして始まったのが、気づけば西部劇風のエヴァンゲリオンになっているのですから!

雑文「海賊王には、なりたくない」

 海賊王の名を騙った事件のニュースを見る。生放送だろう番組でも作品名が出ないどころか、ほのめかしやにおわせさえない不自然なほどの箝口令に、作者の狂乱と編集部の狂奔がしのばれて、なんだか楽しくなってきました。もちろん作品に罪はありませんが、幅広いファン層の一部について、大きく解像度が上がりましたねー。

 本邦の長い長い下り坂と並走してきた長期連載が、そのストーリーの最終盤において、このような現実とのリンクを生んだのは、じつに示唆的かつ皮肉なことです。新たに何も手に入らない世界において、すでに持てる者の財産を仲間たちと強奪する行為に、肯定的な文脈を与えてしまっているのですから!