猫を起こさないように
日: <span>2022年7月11日</span>
日: 2022年7月11日

アニメ「BASTARD!! 暗黒の破壊神」感想

 艦これイベント最終海域を進行中。諸君のようなエリートとは異なり、乙へ落とした難易度にさえヒイヒイ言ってるクソ提督だが、潜水マス大破撤退の苦しみは諸君の抱いているそれと何ら変わるものではない。現在、4本目(4本目……!!? )のゲージ破壊に取り組んでいるところだが、己の内に潜む暴力性を強く自覚させられている。大和改二重への改装のため、山のように放置されていた限定任務に着手し、設計図0枚から勲章をかき集めたのに、その最強戦艦が資源を食うばかりでいっこうに仕事をしないからだ。ご存じのように、このイベント海域、ゲージ削りとゲージ破壊でやっていることの見かけは同じなのに、ゲームの本質がまったく変化してしまう。前者は資源と時間が成果として累積する定期預金(古ッ!)であるのに対して、後者は有り金すべてを畳に並べてサイコロの目にベットする場末の賭場と化すのだ。

 現状をまともに認識しては発狂するしかないので、意識を坊ノ岬での大破撤退からそらすために、ネトフリでバスタードをながら見しはじめる。まったく本作といいスプリガンといい、当時の中高生のうち、「就職氷河期を生き残った連中だ、ツラがまえが違う」みたいな管理職になったサバイバーどもが、いよいよ現場の実権を握りはじめ、あと10年ちょっとを逃げ切るだけの立ち場になって、もう好き放題やりだした感が伝わってきますねー。さらに10年を待てば、次世代のnWoファンが管理職として現場の実権を握り、「少女保護特区」や「MMGF!」を出版したりアニメ化したりしてくれると考えると、まだまだがんばれるって気持ちになります(ぐるぐる目で)。

 さて、今回アニメ化されたバスタードはスプリガンと違って、お世辞にもクオリティが高いとは言えませんが、あの時代の空気感だけはたっぷりと詰まっており、いろいろと当時を思い出して懐かしい気持ちになりました。アニメの出来について、ドぎつい原作ファンが新旧を比較したドぎつい絡み方ーー主人公の声が甲高すぎるのは同意しますーーをしているのを見かけ、ある世代にとってはとてもとても大切な、名実ともに神話的な作品だったことをあらためて確認できました。ちょうどグループSNEあたりが、海外のテーブルトークRPGやゲームブックなどを翻訳・翻案して本邦へ紹介し、急速にファンタジーの世界観が主に中高生男子の人口へと膾炙していった時期に、バスタードの連載はスタートします。最初期の本作は、既存作品を丸パクリした設定にヘヴィメタル趣味をふりかけただけの、メタ視点の悪ふざけが過ぎる極めて同人的な内容で、まさか10週打ち切りをまぬがれて大長編と化し、ここまでの伝説的な扱いをされる作品になるとは、だれも予想していなかったように思います。個人的にはそれほどハマらなかったのですが、呪文詠唱を丸暗記して唱えるのが流行ったり、周囲の盛り上がりはなんとなく記憶にあります。

 適切かどうかはわかりませんが、他作品をからめて全体の印象を述べると、ランスシリーズのような悪ノリのパロディと下ネタで始まったのが、氷をあやつる四天王の登場ぐらいから作者の真剣度が増して、語り方の質が大きく変わります。メタが鳴りをひそめると同時に、物語はギアを上げてグングンと加速していくのですが、やがてベルセルクと同様、作画を細密化させすぎるという自縄自縛ーーこちらは話のスケールを大きくしすぎたせいもあると思いますーーに陥って、ついには肝心のストーリーを頓挫させてしまいました。今回のアニメ化は、物語の質が変わる前の段階ーー最後は続編前提のヒキで、2期が無ければ目も当てられない尻切れトンボーーで終わっており、新たにバスタードへ触れた層に、昨今の倫理観とあわぬがゆえの悪印象だけを与え、本作を知る必要の無い「頭文字F」にまで発見されて、どこかで吊るし上げをくらって中絶させられないか、続きを期待する者としてちょっと心配しています。

 原作の展開、特にセリフをほぼ忠実に再現したこのアニメを眺めるうちに思ったのは、バスタードは少年漫画が本当に「少年・イコール・男の子」だけのものだった時代の作品だったんだなあということです。精通前と精通後ーー女性の警戒心と主観的な接触の意味が変わるーーを行き来する主人公が、女性ヒロインたちの処女性に異常なまでのこだわりを見せるところへ、特にそれを感じます。いまはどうかわかりませんが、かつての少年漫画が持っていた絶対の不文律とは「寸止め」、すなわち「主人公とヒロインが絶対にセックスを完遂しないこと(ペッティングまではオーケ)」でした。これは「セックスすることが相手との契約になり、二人の関係性と己の内面が永久に変更され、以後はそれが死ぬまで継続する」という価値観であり、セックスという行為に最大級の意味づけをし、ひたすらに「一穴一棒主義」を信奉する強い倫理観の表れなのです。裏を返せば、セックスした瞬間に失われる可能性の流動を担保し、少年の持つ無限の未来を異性から隔離しているとも指摘できるでしょう。

 かつてのオタクというのは本当に純粋な、無窮の愛がこの世に存在することを信じて、いつまでも探し続ける人たちのことでした。そんな我々にとって、ランスシリーズのエンディングが感動的だったのは、あの時代のすべての少年漫画がどこかであきらめて、それを手放していった先に、ただひとつ残された古い物語として、無窮の愛は確かに存在すると示してみせたことでしょう。つまり、バスタード時代の少年漫画が抱いていた「人生を永久に変更するセックス、そして至高の愛」という夢想に満ちたテーマを、ついには男性の視点から語り切ったのだと言えます。

 ともあれ、今回アニメ化された範囲だけでは旧世代のオタクたちが、なぜあれだけバスタードに熱狂していたのかサッパリ伝わらないと思いますので、我々の名誉のために、せめてアンスラサクス戦ぐらいまでは映像化してほしいものです。