猫を起こさないように
月: <span>2021年5月</span>
月: 2021年5月

雑文「ヴァナ・ディールの癒し」

 約束通り、連休中にFF11をぼちぼち再開した話するね。シンエヴァへのディスりも途中で入れるから、それが目的の人もガマンして読んでね。FF11熱が高まっているときは、それこそ早朝に畑をいじってドメイン参加してから出勤、帰宅後はオーメン詰みやウナギ漁を就寝前に粛々とこなしたり、それこそ毎日必ずログインする勢いなのね。そこから徐々に気持ちが冷めてくると、3日にいっぺんオーメンを1回消化するだけみたいになっていって、最後には心の中の熱いものがすっかり消えて、パタッとログインしなくなっちゃうわけ。このサイクルを数ヶ月から2年弱くらいの周期間隔で繰り返してたんだけど、最近では気持ちが冷めてても週に1度は必ずログインして、昏い森でする1時間ほどの複アカ範囲狩りでシステムから200〜300万ギルくらいのカネを引き出すことは続けてたの。それもこれも、2022年までのサービス継続こそ明言されたものの、FF11はそろそろ看取りの段階に入ってて、いつ病院から呼び出されてもおかしくない終末期の患者の家族みたいな気持ちになってるからなのよ。おちおち長めの旅行も行けないっていうか、他のゲーム(イコール・愛人)に浮気してるうちにサービス終了(イコール・正妻の死)されたら、後悔してもしきれないじゃない? 前回のGWから1年くらいそんな週イチのお見舞いを続けてたら、気がつけば首からかけたガマグチにけっこうな額のギルがたまってるわけ。

 本格的に復帰しようと思った直接のきっかけは何かと問われれば、ずっと私の居場所だったあの真冬の赤い砂浜が、シンエヴァでパリピが乳の大きい女とアオカンする常夏のウェイ系海の家に変えられてしまったことでした。虚構なるこの魂(小鳥猊下)の居場所を永久に失って途方にくれてしまい、同じくらい長いあいだ私を受け入れ続けてくれた北ロンフォールの森に体育座り(/sit)して、包みこむようなストリングスの音を聞きながらメソメソ泣いて(/cry)いたんです。そしたら、エルフのモヤッたナイトが目の前をチョコボで駆けていって、その後ろ姿を見た瞬間、「そうだ、ガマグチの小金でイージスを作ろう」と思い立ったわけなのです。アルマス、イドリス、カラドボルグと作ってきて、レリックに手を出さなかったのは、レベル75時代の記憶から、あれらの武具は真に選ばれた廃人だけが持つことを許されたスペシャルな神器であり、私のような仕事や家庭とオススメを両立できるぐらいのライトプレイヤーが手を出すなんて畏れ多いし、おこがましいと頑なに考えていたからです。前世はヒゲのナイトで、最初のアーティファクト防具をそろえたぐらいでFF11とはいったん縁遠くなってしまいましたが、ネコに転生(同世界転生!)してから青魔導師や暗黒騎士と一夜かぎりの火遊びをいくら繰り広げようと、我が心のジョブはいつまでもナイトであり続けているのです。シンエヴァでズタズタに引き裂かれた心を癒すには、同じくらい長く人生を伴走してくれているヴァナ・ディールでイージスを作る他に方法がないーー部外者の貴方から見て、たぶん少しも理路を感じないでしょうが、この考えは私の胸にストンと落ちました。

 倉庫の底に眠っていた、いつ入手したのかも思い出せないレリックシールドをひっぱりだすと、小金でパンパンになったガマグチを握りしめて、競売へと向かいます。お金が足りるかしらなんて、ひさしぶりにドキドキしながら必要な素材の値段を調べて、ビックリというか拍子抜けしました。かつて数億ギルは下らなかったイージス作成の要であるランペール金貨が、いまや1500万ギルくらいで買えてしまうのです。いや、重要なのは値段の下落ではありません。当時の希少性を伝えるために、長めの補足をしておきましょう。ランペール金貨というのは、オルデール銅貨10000枚との交換で手に入るアイテムです。この銅貨は、裏世界デュナミス(カッコイイ!)でしかドロップしません。かつての裏世界は入場パーティ数に制限があり、マフィアのボスみたいな廃人たちがシンジケートを組み、週末毎にどのパーティがどの順番で入場するかの談合を行なっていました。このシンジケートに入っていないパーティがウッカリ順番抜かしなどしようものなら、2ちゃんねると連動した陰湿な「晒し上げ」で村八分にされて、そのサーバーにはいられなくなってしまうほどでした。デュナミスに入場するためのアイテムは100万ギルぐらいして、基本的にそれを最大18人の参加者で頭割りするため、1回あたり5万ギル強を用意する必要がありました。便利なUIなんて二十年来ずっと未実装ですから、1対1のトレードでチマチマ参加費の集金が行われます。パンピーの集合時間は厳守でしたが、マフィアのボスの知り合いなら1時間以上遅れてもおとがめなしだったり、法ではなく人が治める混沌に満ちた鉄火場でした。入場までに集金と戦術確認とボスの友人の到着待ちを含めて軽く2時間、入場後は3時間30分をトイレにも立てず拘束される、文字通りの廃人コンテンツだったのです。制作側は、まともな社会人が6時間も中座不可のゲームをプレイできると思ってたんでしょうか(いや、レベル75時代は思ってたフシがありますねー、ナイスネイチャでーす)! シンジケートによる報酬分配の仕組みーーホームページ(!)を使うーーなども紹介したいのですが、もうすでに話が長くなってるので割愛しましょう。

 無事にデュナミスへ入ったら入ったで、PS2の処理能力では集団戦をまともに描画なんてできず、ラグラグのスローモーションの中、司令官の言うなりに3時間30分、尿意と便意に耐えつつ必死にいち兵卒を演じ続けます。そして終了後に、ドロップのしぶいオルデール銅貨をアライアンス(3パーティ18人)で山分けすることになるのですが、1回の攻略で銅貨2枚が手に入ると仮定しましょうか。毎日開催があり、それに毎回参加できたと仮定して、1年皆勤でも730枚にしかなりません。ランペール金貨が欲しければ、単純計算で15年はデュナミスに通わないといけない計算になります。現実的に考えれば、社会人は週末のみの参加となりましょうから、1ヶ月4週で8枚、1年48週で96枚、まあ盆暮れ正月は休みたいでしょうから、余裕をもって120年ほど見積もっておいていただければ、無事イージスが完成します。1枚で銅貨100枚相当の銀貨などもたまに(たまーに)ドロップするので、ロット運が極上に良ければ、じっさいはもう少し(20年くらい?)繰り上がるとは思います。

 いかがでしたか? かつてのFF11が持っていた途方も無さの片鱗はご理解いただけたでしょうか。「クラナんとか(クラーケンクラブ?)は人生」みたいな言葉がエロゲー界隈にありますが、それは100時間ほどのプレイで人生のイベントを走馬灯のように圧縮して体験できるくらいの意味でしょう。しかし、「FF11は人生」と言うとき、それは現実とまったく同じ縮尺の時間を、現実の生活をまるまる代償にして費やさないと強くなれないという意味なのです。FF14のための実験としてFF11にアイテムレベルを導入し、既存の武器防具すべてをゴミにした狼藉がどれだけひどく廃人プレイヤーを痛めつけるものだったか、ほんのわずかでもご想像いただけるでしょうか。その恨みの深さ、人為的なハイパーインフレによって人生の大半を捧げて集めてきたものがゴミになる瞬間を想像しただけで、マタンキがキュッと収縮する思いです。

 こういった感慨にふけりながらランペール金貨を落札し、他に必要なアイテムを順に集めていくと、まだ強化の余地は残しながらも、わずか半日ほどでイージスが手に入ってしまいました。18人が15年毎日、裏テルでいがみあいながらも、表面上はたがいに呼吸を合わせてプレイを続けないと手に入らなかった文字通りの神器が、いまや私のバッグにソッと収まっているのです。客観的にはどう見えているのかわかりませんが、もしシンエヴァ以外のことを語る気持ちが私によみがえったのだとしたら、それは他でもない、イージスを所有した事実により与えられた癒しのおかげです。

 少し脱線しますけど、レリック武具ってどれも人格を備えていて、前の持ち主がいるんですよね。のちに実装されたミシックやエンピには無い設定で、レリックの特別さをいっそう際立たせています。武具に人格がある作品といえばランス・シリーズを思い出すんですけど、どちらもアイデアの源流はマイケル・ムアコックのエルリック・サーガに違いありません。ファンタジーにおける最強の武器はどれか論争というのは、中二病罹患者にとって大好物かと思いますが、なに、やっぱりそれはエクスカリバーでしょうって? ラグナロクと2刀流で運用したい? シーッ! 興奮すんなよ、オタク! ご忠告さしあげますが、FF4に影響を受けたそんな恥ずかしい感性は、決して公言せずに大学ノートへしたためて、エロゲーを隠れミノに使った伝奇作品の元ネタにしたほうが賢明ですわよ? 思わぬ横ヤリに話がそれたが、最強の武器はストームブリンガー、これ一択、これしかない。エルリック・サーガ6巻の第4章6節はそれこそ全文暗記するほどーー「さらば、友よ! われは汝の千倍も邪悪であった!」ーー何度も読んで文体に影響を受けまくってるし、同巻表紙の天野喜孝氏によるエルリックの憂いに満ちた表情は、まるで彼の遺影のようにも見え、いまでも脳裏に焼きついています。はい、ファンタジーにおける最強武器はストームブリンガーということで、キュー・イー・ディー! 異論はありませんね? あたし、安心したわよおお!

 FF11に話を戻しますが、アルマス、イドリス、カラドボルグ、イージスと作ってきて、そのどれをもほとんどパーティで使用していない事実に気づいたときは、愕然とさせられました。この行動の特性ーー道場で武術を極めながら、いっさい試合には出ないーーは、私のテキストサイト運営にも色濃くあらわれており、最近ではもはや病名を伴う精神疾患なのではないかと疑いはじめています。

 しかしながら、FF11をプレイしていない人が勘違いをするといけないので念のため断っておくと、S級武具を複数所持しているのは、ぜんぜんすごいことなんかではないんです。私の強さはおそらく十年以上プレイしている人の2アカか3アカ目に登録された3番目か4番目の倉庫用キャラぐらいに過ぎません。霊界では測定できない強さの妖怪を便宜上、すべてS級とくくっているだけで、S級の強さはピンキリなのです(わかりにくい例えで、すいません)。FF11のプレイも二十年選手なので、シンエヴァと同じく無限に書ける感じは持ってますが、本当はパンピーだった自分ではなくて、シンジケートのボス側、つまり廃人サイドの人物によるこういう回想録が読みたいんですよ。でも、見回してもだれも書いてないなー。戦争体験みたいなもので、もうみんな死んじゃった(社会的に)か、トラウマで封印された忌まわしい記憶になっちゃってるのかなー。

 イージス強化かんりょーう(アフターグロウから目をそらしながら)。余ったカネでスヴレン装備一式、買ったった。しかも、「妬まれた」ほう。いまの自キャラを例えるなら、50万円の生地で仕立てたスーツを着せられたニートって感じ。しかも、就活はしない。それにしても、呪物はデフレで安くなったね。ぜんぶそろえて3000万ギルしないんだもんなー。え、なんでソロでしか活動しないのに、そんなバカな買い物をしたのかって? いいんだよ! オレにとってのイージスとスヴレンは、交通事故で両親を亡くした女子高生にとってのスーパーカブみたいなもんなんだよ! 守りの指輪をレンチで薬指へ締めつけてから、少し遠いカメラで自キャラを眺めて、自然と口元がニヤけるみたいな楽しみ方をしてんだよ! はー、スヴレン頭はネコミミみたいな形状で、ミスラとすっごくあうなー(ゆるんだタレ目で)。

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6
ゲーム「FF11の思い出」その7
ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

アニメ「スーパーカブ(10話まで)」感想

 恩義のある絵師が紹介していたので、スーパーカブ1話を見る。語りすぎない丁寧で静かな演出に心いやされるのですが、鬱病患者にとっての精神的おかゆみたいだな、とも同時に思うわけです。現代のオタクたちは咀嚼力を失っていて、ここまで噛み砕かないと栄養として摂取できないのか、つまりは直面する現実に疲弊しきっているのかという印象を持ちました(シンエヴァは、患者へ意志確認をしない胃ろうでしたが……)。

 いま隆盛を極めている、この「初老男性が愛好するニッチな分野を女子高生の主人公が体験する」ジャンル(名称あるの?)ですけど、これ男子高生だったらやっぱりダメなんですかね? ダメだろうとは感じるんですけど、ダメな理由を言語化できません。そこで提案ですが、「初老女性の愛好するニッチな分野を男子高生の主人公が体験する」ジャンルってどうでしょうか。この世にすでに存在するのだとしたら、ぜひ作品名を教えてほしいです。さっきの命題を逆照射することで、解答にたどりつける気がするんですよね。

 あと、スーパーカブの主人公って加害側の交通遺児だと思うんですけど、「若おかみ」みたいにテーマとしての焦点化はせず、最後までこの設定とは距離をとって終わってほしいなと思っています。

 映画「若おかみは小学生!」感想

 スーパーカブ、続けて見てるけど、無味無臭の白がゆから、どんどん味付けが濃くなっていくなー。富士山をカブで「うおーッ!」とか言いながら登る話には、「いやいや、そうはならんやろ」と思わず失笑が漏れてしまったし、文化祭の手伝いをカブでする話での主人公のセリフは、完全に「団塊世代の独居老人がする、女子高生へのウエメセ説教」と化してました。梅干しトッピングとか中華味とかいらんから、1話の白がゆに戻してほしいなーと思いました。

 スーパーカブ、アマプラだから一週遅れぐらいで見てるけど、どんどんヘンなアニメになっていくなー。なんていうんだろう、料理ではなくバイクですべてを解決しようとする、狂気と説得力に欠けた「美味しんぼ」って感じ。パーツのためにあれだけ食費を切り詰めてるのに、一杯で五百円以上はするだろう高級豆のコーヒーをガンガン飲みだしたり、沢に落ちた女子高生が親でも警察でもなく友人に電話で助けを求めたり、スーパーカブという重力場で作品内のすべての事象が曲がっていく。原作もこんななの?

 アニメ「スーパーカブ(11話)」感想

雑文「ファミコン世代と『ループ』『転生』の病理について」

 きょうは”May fourth”だから、”May the force be with you.”とかけてスターウォーズの日らしいですけど、タイムラインではまったく見かけませんね。まあ、「最後のジェダイ」だけで過去の7作品をまとめてブッ壊しちゃったから、しょうがないよね。我々はこれを他山の石とするべきだったのに、シンエヴァのクソ野郎めが……いや、もう言うまい。小鳥猊下です。

 きのう放流したツイート群の一部が、少々バズっているようですね。文脈が切り取られて理解されるのはツイッターの常ですが、いちおう意図を補足しておきましょう。

 ループものと転生ものは、過去に失われた選択に対して自分は「もっとうまくやれたはず」で、「どこかに正解が存在するはず」だという人生を物語に見立てた希求であり、さらに言えば、唯一の主体である自分の「正しい入力」を待っている世界への希求なのですね。私たち初老オタクの正体とは、つまるところ毒親からゲームへと避難したピコピコ少年たちの末路であり、正しい入力には正しい反応を返してくれる(そして、間違った入力には正しい罰を与えてくれる)はじめての存在に育て直された人たちが我々なのです。昨日と同じ入力をしたのに今日は同じ反応が返ってこない毒親って、最初にして究極の他者であり、長じては別に珍しくもなんともない、世間にありきたりに転がっている不条理と同じ存在だとわかるわけじゃないですか。だから、そういった人々の願望をあずかって描写される「時間ループもの」や「異世界転生もの」って、どれだけガワを違えても根幹にあるのは幼少期に与えられたその恨みなので、都合の悪い他者ーー毒親と同じく、己の都合で悪役のようには視界から排除できないーーの存在しない、正しい入力があれば正解が導かれる8ビット的深度の世界にしかならないのでしょう。

 シンエヴァでいちばん笑った感想ーーアスカでオナニーしないことをシンジの「成長」と呼ぶーーは紹介しましたけど、いちばん感心した見解はなにかといえば、「大人には、充分に長く放置し忘却することで、問題の意味と枠組みを無化するという解決法がある」(必殺、イナーシャル・キャンセラー!)というものです。まあ、シンエヴァは無知で無謀で無邪気な無作為の結果うまれた大凡作なので、こういった高尚な人生訓を受けるには値しないと思いますが、この言葉は作品批評から切り離しても至言ですね。自分を嫌っている人物やこじれた状況へ、ワザワザつっこんでいって解決しようとする試みには、自分があくまで世界の主人公であり、必ず正解が存在することを信じる幼さを感じます。どこぞの戦国武将ではないですが、「相手が死ぬのを待つ」という戦略はじつに効果的で、それは世界の主人公であることを降りた「大人」にしかできないやり方でしょう。ループもの、転生ものが初老オタクを慰撫する物語でありながら、どこか未成熟で幼い印象をまとうのは、この世界理解の拙さに根があるのではないでしょうか。

 あと、オタクって基本的にロマンチストだから、虚構内や金銭の伴う多情の恋愛遍歴を経ながら、そのすべてを無意味にする運命のひとりが世界のどこかに存在しているはずだと、心の片隅で信じているんですよね。しかしそれは、ハヤオ翁あたりの個人的な妄念を集団幻覚としてインプリントされて(すごい人だ!)しまっているだけのことだと思うんです。つまるところ、ボーイ・ミーツ・ガールのフィクション構造がそうなっているだけで、現実には自分の心の形へフィットするようオーダーメイドされた異性なんて、どこにも存在しないのです(ひどいこと言って、すいません)。フィクションが苦手とするのは、表面的には動きの見えない長い時間の描写で、まったく別の形だったふたつが「互いを殺さない」という命題のためだけに、いがみあいながらも絡みあってひとつへと融合していく、気の遠くなるような時間を使ったプロセスこそが、現実での関係性に近いと思うんですよね。でもそんなのって正直しんどいから、「ひとめぼれ」や「運命の出会い」みたいに、パッと燃焼する瞬間を処方箋として虚構に求めてしまう心性が、ループや転生を作り出しているのだと思います。さて、いかがでしたか? 最後にここまでをまとめると、「時間ループもの」と「異世界転生もの」は痛みを和らげるためにファミコン世代の初老へと処方される終末期ケアのモルヒネであり、「実現しなかった可能性未来としての過去」という痛みを持たない青少年にとっては、中毒を引き起こす麻薬でしかないということを、このツイート群で証明させていただきました。みなさまのご参考になれば幸いです。

 ……とかふざけて書いてたら、ロシアで「異世界転生もの」が法律で禁止されたというニュースが流れてきました。理由は「輪廻転生の思想を植えつけ、現世よりも良い来世があると若者に信じさせるから」だそうで、極東のテキストサイト運営者の懸念が、社会主義国家のお墨付きをもらっちゃったなー。

 「オイオイ、だれだよ、異世界転生ものが青少年に悪影響があるなんて得意げに語っちゃってるの! オレじゃあないぜ? プーチンさ!」

 ほんと日本人って未来に生きてるよなー、ってこれ、未来に生きちゃダメだっていう、独裁者からのまごころあふれるメッセージですよね。セイズ・ザ・デイ!

雑文「人気作品に学ぶ『ループ』と『転生』の正体について」

 FGOの新イベントをチマチマ進めてる。たまった無償石で回して出なかった新キャラが呼符1枚で引けたり、10キャラ以上の新衣装がドバッとタダで配られたり、やっぱりFGOは気前がいいなあ、と思った。これがウマ娘なら、新衣装は別キャラ扱いで6万円天井のガチャに入りますからね。ウマ娘、キャラやストーリーやゲーム性の良さは認めますけど、みんなもっと集金システムのエゲツなさを指摘するべきだと思いますよ。んで話をFGOに戻すけど、今回のシナリオはファンガスの筆ですね、間違いない。これだけの数のキャラを登場させながら、キッチリそれぞれの外してはいけない特徴を芯でとらえてミートして、打率10割ですべてクリーンヒットにしていく手腕はさすがだと思いました。他のライターの方々は、ファンガスの提示した各キャラの魅力をしっかり読み込んで、少しでもこの技術に追いつけるよう学んでほしいところです。個人的には、今回の題材であるアイドルについて、特にグロス販売ーー偏差値の落差を平均でならして、下限との差で上限を浮かび上がらせる手法ーーになってからのアイドル・グループをどう楽しむべきなのかよくわかりません。なぜ、こんなにも執着して応援したがる人々がいるのかを理解できていないので、だれか競馬に例えて教えてもらえないでしょうか。

 え、本末転倒なことをまたネタでわざと言ってるんでしょうって? いやいや、ある概念をだれかに理解させるのに、そのだれかにとって親しい別の概念へと置き換えて説明するのって、すごく大事ですよ。きのうの午後、FF11やりながら(ここに至る話はまた後日)タイムライン眺めてたら、競馬の話が延々と流れてくるわけ。んで、テレビつけたら競馬やってて、順ぐりに出走する馬の紹介してんの。そしたら、ポニーかラバかみたいな明らかに他より小さい個体がいるのよ。ウマ娘に黒づくめでチンチクリンのキャラがいてすごい人気なんだけど、その小さな馬を見た瞬間に理由が理解できたの。筋骨隆々の恵体を有するサラブレッドを、種族さえ違って見えるこんな小兵が押さえて勝利するなら、それは確かに痛快なドラマだろうなって思えたの。

 何の話だっけ。そうそう、FGOのイベントにからめたアイドルの話から脱線したんだった。今回のイベント、テキストのすばらしさは両手離しで褒めながら、終盤のストーリー展開には「またループかよ」と少し失笑が漏れてしまったのは確かです。失笑しながらもお話は面白くなっていくので、つくづくこの時間ループというのはズルいギミックだなと、改めて考えさせられました。最近ではどこを見回しても、「時間ループもの」か「異世界転生もの」ばかりですが、この2つは「人生のやり直し」を希求しているという点で、基本的に同じカテゴリでくくっていいと思います。そして、これが流行る理由はズバリ、オタクの高齢化でしょう。二十代前半くらいまでは単線の人生をわき目もふらず驀進(バク、シンッ!)するのみですが、それ以降は生業や棲み処や配偶者や扶養者の有無と種類が否応な選択(しないことも含め)として分岐を為していき、引き返せない失われた可能性としての過去を、我々の背後へ膨大に作り出していく。選ばなかった選択肢への未練とか、人生をやり直すことへの欲望というのは、基本的に初老ーーいやいや、40歳くらいを指すのよ?ーーを迎えてから老年へとめがけて最大化していくもので、青少年にとって本来は無縁のものに違いありません。しかしながら、オタクのマスが初老を越えて市場がそのニーズに応えた結果、ループものと転生ものがあふれかえり、本来的にはまだその欲望を持たないはずの青少年に、あえて言いますが、いまやジャンルとして悪影響を与えるような広がり方をしています。終わったあと、通り過ぎたあと、そこに分岐や選択肢があったのだと遅れて気づくからこそ、我々は人生を前に進めることができるのであって、最初から分岐や選択肢の前に立っていることを意識させられては、永久にそこで立ち往生するしかありません。

 ループものの源流としては、J.P.ホーガン御大が挙げられるのかもしれませんが、本邦においては何よりエロゲー業界がその発祥でしょう。「デザイア」で提示された革新的アイデアを「YU-NO」が洗練したシステムと融合して可視化させ、その肉厚の油揚げを「まどマギ」がかっさらって魔法少女と悪魔合体した結果、爆発的に人口へと膾炙したのです。ファンには申し訳ないですが、エヴァ原理主義者の私としては、「まどマギ」がここまで時間ループの概念を一般化させなければ、シンエヴァはもっと臆面もなくベッタベタのループものとして終われたんじゃないかと、少し恨みに思っております。いつまでシンエヴァについて愚痴ってるんだって感じですけど、「これは虚構だ」って開き直るぐらいなら、初代プレステみたいな汚いCGや撮影所を見せるんじゃなくて、「逆境ナイン」(やっぱり友人は大切)や「グレンラガン」のように、9回裏100点差から逆転勝利するみたいな、銀河をフリスビーとして武器に使うみたいな、突き抜けたウソによるフィクションを描くべきだったと思うんです。どちらも、「オイオイ、そんなのありえねーだろ!」と両手を打ち鳴らしての大爆笑から、最後は大号泣の大団円ですからね。過去作の自己模倣でいうなら、マクロスよろしくブンダーが船尾方向から直立してギガ・初号機へと変形、天の川銀河をフィールドに巨大アヤナミと恒星をサッカーボールにして蹴りあうみたいな突き抜け方をしていたら、監督の抱えるエヴァを作るしんどさを含めて、受け入れる気持ちになれたと思います。恥をかきたくない自分クンがカッコつけて、パンツを脱ぐどころか奥さんにつけられた貞操帯を見せびらかすみたいな、リスクをとって決勝点をねらうのではなくガチガチに守りを固めて、失点を回避しながらドローをねらうサッカーみたいなことをエヴァでするから、ここまで非難(君だけ)されるんですよ。

 ループものの話に戻ると、「まどマギ」の最初の劇場版を家人と見たんですけど、途中までは眠たそうに頬づえついてたのが、主人公を助けるために少女が同じ時間を繰り返しているとわかった瞬間、目を見開いて身を乗り出しましたからね。2012年当時、ループものが一般層にとっていかに新しかったかが、このエピソードから理解していただけると思います。もっとも、「叛逆」については半ばアニメ自慢のキャラ萌え作品と化していたので、家人は途中から舟をこぎだして、ついには寝てしまいました。以前、「叛逆」の後をまともに語ろうと思えば、エヴァ旧劇でも不可能だった、デビルマンで言うところの「善と悪のアルマゲドン」を、説得力のあるシナリオとビジュアルで提示しなければならないと指摘したことがありました。先日発表された「廻天」は、あのエヴァでも手を出すことのできなかったこの命題へと挑むつもりなのでしょうか。「物語を続ける」ため、小手先の作劇に逃げず、本邦では誰も成功していないこの命題へと、敗北を恐れないで真正面から堂々とぶつかっていくことを期待します。

 でも、わざわざそんなしんどいとこに行く理由も義理もないので、安易なキャラ萌え学園ものへと回帰しちゃう予感も、ちょっとあるなー。

アニメ「ゴジラSP(6話まで)」感想

 あんまタイムラインでおもろいおもろいゆうてるから、「ゴジラSP」最新話まで見てしもたがな。クレバーなハードSFゆう感じで、たしかにメッチャおもろいねんけど、こっからは完結してから見たほうがええかなゆう気持ちもあんねん。もうこれトラウマやねんけど、シン・ゴジラの影響をモロに受けた「正解するカド」ゆうSFに見せかけた空想(クソ)アニメがあって、半分くらいまでしか見てへんのに「これ傑作やで!」ゆうて家人にススメてしもて、えらい赤ッ恥かいたことあるねん。死んどったトカゲをシン・ゴジラで復活さしたのんに影響受けとるだけの共通点やったらええねんけど、こっちも本職やのうて小説家がシナリオ書いてるいいますやんか。ほんのちょっとだけ、イヤな予感がしてんねんけど、あ、やっぱアカン。こわなってきてしもたから、もう続き見んのやめとくわ。「正解するカド」の最終回んときマジギレで画面にパンチしてもて、モニター1台ダメにしとるからな。ブラウン管のときやったらいけてんけど、薄型テレビはもろうてダメやね。「ゴジラSP」やけど、最終回が放映されてからタイムラインに流れてきた感想みて、どないするか決めるわ。

 せやけど、最近はみんな作品の悪口ゆわんね。はじめは盛り上がっとったくせに、「パタッと話題に上らなくなって」しもて、その作品がみんなにみかぎられたんがなんとなくわかんねん。モルカーとかそんな感じやったやん。風刺とかフェチがもっと見れるおもてたら、映画のパロディに終始しだして、なんやのんそれって感じで、キャラのかわいさ以外の話題がいっさい消えてもた。最近はみんな、おのれの気にくわんようになったら、ハナから無かったことにしよんねん。それ、悪口よりもよっぽどひどい仕打ちやと思わへん? 通夜での夜を徹した悪口って、故人への愛の表明やと思うねんけどなあ。ワイ、大阪で育って京都で学生生活おくっとうから、茶化しとイケずが身についてしもてるだけなんやろか。まあ、「ゴジラSP」がカドみたいに終わってもたら、ダンマリやのうてちゃんと悪口ゆうて、こら見たアカンでってフォロワーに伝えたってや。ワイとキミとの約束やで。

 アニメ「ゴジラSP(最終回)」感想

アニメ「宇宙戦艦ヤマト2202」&映画「ミッドナイト・スカイ」感想

 「はてブ」コメントへの回答を書いてるとき、netflixに続編が配信されていたことを思い出して、ヤマト2202をBGVに流したのね。なに、コレ? 「戦争はいけません。武器は悪いものです。どちらも人を殺しますからね。では、この前提で平和について議論しましょう」から始まる学級会っていうか、戦後の左翼的平和学習の悪い影響を最大限に受けた語り手って感じで、波動砲を使うか使わないかの話をグチグチグチグチ延々とやり続ける。それも、指揮官たる人間の思考や葛藤とは思えないーー「ボクちん、使わないってオネエタマと約束したんでちゅ!」ーー低劣な次元で。前作2199は高級割烹を思わせる、ギリギリまで薄くした演出と乾いた筆致が全編に貫かれていて、ラストは少しウェットでしたけど、個人的にはすごく評価が高かったんです。なんで、その正統な続編が傷んだ果実をベシャベシャのシロップで食わせるみたいになってんの? まあ、SNSの話題にも上がってこない理由だけはよくわかりました。オリジナルはたぶん何度目かの日曜朝の再放送を見ていたぐらいで、エースコックのワンタンメンのCMと記憶が同じレベルで紐づいてるくらいの薄い視聴しかしてないんですけど、コアなファンたちはこの仕上がりに納得してるの? 「呪い」どころか、感想さえ見かけないよ?

 そんで口直しをしたくなって、「そうだ、海外SFなら学芸会ではない、大人の世界への処し方を味わえるはずだ」とシンエヴァで被った精神的外傷から考え、予告編で気になっていたミッドナイト・スカイ(おじさんが少女を庇護する話なので)を視聴する。2時間あるんですけど、冒頭20分と最後の10分をつないで短編として見ても何の支障もない、むしろその方が小品として価値が高まるまである、全編の4分の3が余計なシーンの大駄作でした。コロナ禍における「配信映画」が、興収を気にしなくていいせいでこの程度の品質にとどまるとしたら、サブスク方式の映像提供サービスにはすべて滅んでほしいです。わたくし、這ってでも劇場へ行きますから!