猫を起こさないように
年: <span>2020年</span>
年: 2020年

ゲーム「FF11の思い出」その7

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6

 FF11をやめるのは簡単さ、それを証拠に私はもう5回も引退しているからね! これはあれや、何年も課金してへんアカウントを消さずに残しておいてくれるスクエニが悪いんや! 例えるなら、オノレの身持ちの悪さで離縁せざるをえなかった恋女房が、何年経っても再婚しないままで、立ち寄ったら家に上げてメシまで食わせてくれて、着物の裾をまくりあげてなんならオメコもしときます?みたいなもんや! おどれ、期待さすなや! オレみたいな(次第に涙声となり)ク、クズに優しくすんなや!

 最近のエス・エヌ・エスを眺めるにつけ、感受性を精細にするとか、能力や技術を身につけるとか、時間当たりの効率を高めるとか、同じモノサシの直線上で前後だか上下だかにワチャワチャ移動することに、ほとんど意味を感じなくなってきた。年くったせいだろうけど近頃とみに、大切なのは手に入れたものを意識的に手放すことだと感じている。蒼天航路で諸国漫遊の旅から帰ってきた荀彧が「あらゆる土地を見聞し、あらゆる知識を身につけ、すべて忘れて帰ってまいりました」みたいなことを曹操に言う場面があるんだけど、すごく本質を突いてると思うのね。意識というテーブル(メモリ)の広さは限られていて、そこにいったん知っていることを乗せてからアウトプットする手順だと、出力サイズに限界ができちゃう。覚えてから忘れるのは言わば身体化のプロセスで、忘却からダイレクトに出力することで意識の制約を超えることができると思うんだよね。余談だけど蒼天航路でもういっこ好きな場面は、劉備が対面座位でセックスしながら相手と笑顔で目を合わせて「あー、きもちいいなー」って言うところ。本邦のまぐわいって、たぶん黒船以降だと思うけど、羞恥や淫靡でどちらかがどちらかを支配しにかかる感じが濃くて、江戸時代以前はこういうあっけらかんとしたやりとりだったのかなー、とか思ったのを覚えてる。でもこれ、よく考えたらアメさんの「オーイエスオーイエス、カモンカモン」とあんま変わらないよね。ぜんぜん関係ないけど、あっちのビデオがハイパーポジティブの女性上位なのは、撮影後にレイプだと訴えられないよう契約書に「恥ずかしがったりイヤがったり受け身だったりしちゃダメ」って書いてあるからなんだって。文化の違いってアホみたいだけど、難しいね。

 閑話休題。ジョーカーの感想のときにも書いたけど、どんな役立たずの無能者でも受け入れて幸せに過ごせる豊かさを与えるのが、共同体の役割の本来だと思うのよね。なので私がいま目標としてるのは、言葉にすれば「昭和のハッピーなボンクラ」かな。午前中は新聞読んで爪切って午後の会議では居眠り、終業時間の30分まえにソワソワしだして5分まえには帰り支度がすんでて、チャイムが鳴った瞬間に「おつかれー」って帰っていくの。新入社員には創業社長のコネでもあんのかって陰口たたかれてるんだけど、じつは過去に一回だけ会社倒産の危機を救ってるみたいな。そうそう、釣りバカ日誌のハマちゃん的なヤツ。オススメのパーティプレイって、カリカリ(クポー)に数値をチューンした高性能ジョブどうしが集まって有機的に高効率で動くのが当たり前の前提になってて、無能な給料泥棒を許してくれない会社みたいな感じあるんだけど、唯一ボンクラでもパーティに居場所があるのがハマちゃん、じゃなかった、風水士なのね。前も話したイドリスってゆう人権棒(創業社長のコネ)はいるんだけど、他のジョブに比べればはるかに低いハードルで、私が理想として目指す「昭和のハッピーなボンクラ」そのものなわけ。え、でもこないだイドリスの作成をあきらめてませんでしたかって? うふふ、じゃーん! これなーんだ! そう、ユグの完全結晶! ついこないだね、限界集落みたいな田舎マッカレル(鯖)から都会マッカレル(鯖)へブレイキング・バッドの過去消し屋みたいのと「オイ、過去を消してくれ!」「100円になります」「やしー!」みたいなやりとり(えの素)をして移籍したのでしたー! ガイシ(骸死)系企業のリストラクチャリング・ストームを部間調整や明朗快活さなど、社内のヒューマン・ファクターだけで切り抜けたアタシにとっては、募集のシャウトさえとびかっていれば、陰キャ集団の末席にケツをねじこむなんてビフォア・ブレックファストなのだ(モハメド・アライさん)! んで、ユグの完全結晶を無事に納品して、あとは高純度ベヤルドを納めるだけになって、1回目500つ、2回目2500つと来て、最後は5000つくらいかしらね、なんて緑のガマグチ開いてはらおうとしたら、なんか突然9999つにハネあがってて、担当が愛人に電話しながら何も考えず適当に片手で入力したような数字を要求されるわけ。とは言いながら1回目と2回目はすでにはらい終わってて、サイフにはまだ5千万ギルくらい残ってるし、高純度ベヤルドの単価を調べたら1つ5000ギルでちょうど買えるわーって競売のぞいたら、なんか99つで90万ギルすんの。(首をかしげて)んー、広告チラシの裏とちびた鉛筆を用意するだろー、5000かける99で筆算するだろー(長い間)……よん? (チラシを引き裂きながら)ちげーよ! 49万5千ギルだよ! ふつうたくさん買ったらディスカウントするもんだろ! なんで倍ちかくの値段になってんだよ、ボッタクリじゃねーか!などと競売前で暴れてたら、ラクダのようにみっしりと長いまつ毛を生やした業者ガルカが伏し目がちに悲しそうにこっちを見てきたので、反社ミスラは気まずくその場を立ち去ってリヴァイアサン組へのカチコミ、通称「うなぎ狩り」に向かうのであった。9999ついる素材入りのハコがたくさん落ちる系のプライム鰻で、昔から金策の王道として親しまれているのだ。

 5年前は勝率5割ぐらいだったのが、とてむず(とてもむずかしい)で9割5分くらい勝てるようになってて感動すんだけど(負けるのはヨランオランのアホがチョロチョロしだして水攻撃にまきこまれて死ぬときだけ)、強くなった理由は3000万ギルしたチョッキと闇のネイグリング(暗黒微笑)と頭上に輝く3ツ星なのね。最後のを説明しとくとジョブポイントってのを6000万ぐらいかせぐとジョブマスターってのになって、脳天ファイラーみたいなマークが消せなくなるという辱めを受けるかわりに、廃人地獄登山の三合目ぐらいに到達した強さを手に入れられんの。「とりあえず青をそだてて安定してうなぎ狩りできるようになってから好きなジョブをプレイするといいですよ」なんていうハイエルフどもの狂った甘言にだまされて青魔道士を選んでからずっとソロひとすじ、マスターへ到達したのは休止も含めて苦節8年目のことであった。自分を育ててくれた青魔法への恩返しとして思いついたのは、一日7匹のうなぎに向けた感謝のシャンデュシニュだった。そしてある日、異変に気づく。うなぎをたおしても、まだマイティガードが切れていない! あのね、ふつうにプレイしてたら気がつけばマスターになってますよ、みたいにイモータルどもは言うけど、ぜったいに信じたらアカンからね。きゃつらのふつうって「365日休まずログインして、毎日最低3時間はプレイして、そのうち半分は金策、半分は戦闘に1秒の無駄もなく費やすこと。できればこれらを複アカで行うことが望ましい」だからね。アタシなんかログインしたりしなかったり、ログインしても10分でログアウトしたりで、今回の復帰でマスターになるまでに、足かけ3年ぐらいかかってるからね。生涯年収4億円以上の老人がバリバリの生存者バイアスで「人生は照る日曇る日あるけど、あっという間だよ。いまは苦しいのを楽しみなさい。それをなつかしく思う日がきっと来る」みたくウエメセで生涯年収1億円以下の若者に言うときの感覚と同じだから、純朴な新人のキミはぜったいに「そっかー、暗黒すきだけど、青からそだてるかー」なんて思っちゃダメ! アタシはそれで3年を棒にふったの! 心にしたがいなさい! 暗黒騎士をそだてなさい(「お父さんを喜ばせなさい!!!!!!」の作画で)!

 ここ数日はログインして、暗い森に複アカ立たせて範囲狩りして、ポイントがカンストしたらうなぎ狩りに行って、何匹かうなぎ倒したらまた暗い森に帰って……を繰り返してて、間違いなくカネは増えるし、ジリジリとだけど確実に複アカも強くなっていくの。でもこれ、本当に何の工夫もクリエイティブもいらない、感情にさざなみのひとつも立たない、まごうことなき作業なのよ。いまさらカネをかせいでイドリスを手に入れたところで、スタートから2時間経過してから先頭集団に追いつこうと走り始めるマラソンみたいなもので、母親から地上最強の生物が満足するように戦えとかムチャぶりされた13歳の格闘少年みたいな気分になってくる。5年前にアルマス作ったときも、鬱の身には心を消せる逃げ場だったろうけど、こうやってファンタジー世界がリアルの仕事と同じになってやめたのかもしれないな。ハハハ、まさにファイナル・ファンタジーというわけさ……ドヤッ!

ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

映画「ジョジョ・ラビット」感想

 ナチスとヒトラーをあつかった先行作品はすでに山ほど存在しており、それぞれがデリケートな題材に対して何か特別な視点や切り口を与えようと苦慮していた。ひるがえって本作はと言えば新しいアイデアは皆無であり、この題材に改めて挑戦した意義を感じることはできなかった。昔からの監督のファンだったりとか、スター・ウォーズ周辺の噂が気になる向きでなければ、ナチス政権下の市井を知るためにわざわざこの作品を選ぶ必要はないだろう。スーパーマリオのような天地人の横から構図、オブリビオンのごときバストアップを交互に切り返す会話、そして鮮やかな(ときにドぎつい)色づかい、この3つがかろうじて監督の持ち味と呼べるもので、脚本にいたっては映画業界を目指す少し意識の高い学生が書きそうな中身で小賢しさにあふれており、同テーマの作品群に比べてもひどく薄味である。オープニングがビートルズ・ナンバーで、私などのオールド・ファンはゲット・バックとか同バンドの楽曲を展開にからめるのではないかと一瞬だけ期待させられたが、ヒトラーへの熱狂をビートルズへのそれと重ねあわせて、サラリと大衆批判を行うための小道具に終わっていた。これは一例に過ぎず、指摘しだすとキリがないが、全編にわたって底の浅い意図によるしゃらくさい演出に満ちあふれているのである。監督自身が演じているイマジナリー・フレンドのアドルフもあとからとってつけた感が強くストーリーから浮いていて、狂言回しにすらなっていない。あと、アベンジャーズ女優から脱却したいスカーレット・ヨハンソンの、演技派をねらったわざとらしい演技もひどく鼻につく。暖炉の炭を顔に塗って出征中の父親のふりをする場面なんて、痛々しくて画面を正視できなかったほどだ。ただ、ふだんまったく映画を見ないようなライト層や、アメリとか好きな頭の弱い女子がベタ褒めしそうな雰囲気だけは漂っていると思いました(もちろん、アメリは傑作ですよ)。しかしながら、この作品に本当に必要だったのはそんなファッション感ではなく、ファッショ感だったのではないでしょうか……ドヤッ!

 え、タイカ・ワイティティ、スター・ウォーズ新シリーズの監督に決まったの? すいません、ライアン・ジョンソンのときと同じく、私にはもうすでに惨劇の未来しか見えません。そして、デ銭の好む監督像も明らかになってきたように思います。絵作りは個性的だけど作家性は薄く、いくらでも後から味付けを変更させてくれる人物です。脚本にクチバシをつっこんでも絵作りに触らなければ文句いわなそうな本作の監督がまさにそれ。どんなにヘタクソでもイビツでも、他者によるわずかの改変をも絶対的に拒絶するのが作家性で、ハゲの御大とかカントク(Cunt-Q)とか、目の前で自分の作品を「正しく」修正なんかされようものなら、即座に全力で殺しにいくという確信があります。ジョージ・ルーカスもまさにそれ。

ゲーム「FF11の思い出」その6

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5

 みんなイヤがってるみたいだから、FF11の話、手短にするね。復帰から一ヶ月半が過ぎて、ログインしてドメイン行ったら即ログアウトみたいな、プレイオンラインの表示時間のほうがむしろ長いような日々になってて、これ5年前と同じで、いよいよ引退へのカウントダウンが始まってんの。んで、もう心残りの無いようにしようって、やったことのないバストゥーク出身のガルカでたぶん最後の、「最初から」プレイを始めたのね。バストゥークのストーリーって他の二国と違って、「産業革命後における労働者階級の形成および被差別部落の誕生」みたいなファンタジーとはほど遠い内容で、特にガルカでプレイしてると鬱々としてくんの。そういえば直近のアップデートで、業者対策のためにエミネンスとかのポイント交換へ週あたりの上限が設けられたのね。どんな騒ぎになってるか興味半分でネ・ジツをのぞいたら、複アカの業者がエスカ・ジ・タからいなくなった話してて、「あいつら、本当にガルカ好きだよな(笑)」とかいつもみたくウエメセ(上から目線の略称)でバカにしてんのよ。わたしそれ見て、すっごく悲しくなったわけ。じっさい、ギル販売業者と思われるキャラのガルカ率はとてもとても高い(FF11語)んだけど、なぜかっていうとゲーム内のガルカはヴァナ・ディールにおける被差別民だからなの。いまRMT(リアル・マネー・トレードの略称)のサイトを検索してみたら、1億ギルが8〜9千円ぐらいで販売されてんだけど、複アカを駆使して最大限効率を高めたところで、本邦に住んでるだれかにとってはコンビニバイト以下にしかならなくて、時給で考えてもとうてい割にあう金額になってないわけ。つまりこれが意味するのは、ギル販売は円でもドルでもない通貨の国の住人が、先進国のバックドアからカネをかすめとるためにやってるんだろうなってことなの。貧しい彼らにとってガルカは虐げられる側の象徴で、RMTという行為自体に先進諸国に対する一種の反逆や、義賊的行為としてのメッセージが込められているように思えるのね。そうやって18年が経過して、ガルカという存在はいまやゲーム内の設定を越えて、現実世界の南北問題(経済の搾取構造)とさえリンクしていると考えると、バランスの悪い体躯に短すぎる爬虫類の尻尾とか、歩幅が大きいからタルタルとくらべるとスローモーションにしか見えない移動の様子とか、かつては欠点にしか思えなかったものが、とてもとても味わい深く感じられてきて、自分のキャラの広い背中を眺めているだけで、なんだか涙が出てきちゃった。流行り言葉にのっかれば、ガルカ・ライブズ・マターって感じ? 涙が出たといえば、最近のFF11のオトモはベター・コール・ソウル(ブレイキング・バッドのスピンオフ作品)なんだけど、弁護士で白人の主人公が自分の味方だと思っていた実の兄から「サモア大みたいな三流私立のオンライン教育で取った弁護士資格なんか認められると思うのか。おまえは俺と対等じゃない」みたいな罵りーーしかも兄はその思いをずっと弟に隠してて、問いつめたら感情とともに思わず、といった感じで吐き出された本心なのーーを受ける場面があって、「ヒュムなのに、同じヒュムどうしなのに!」って、ヴァナ・ディールと感情が混線して、号泣しちゃった。天は人の上に人を作らないけど、人が人の下に人を作ろうとする。

 『(ガルカ詩人の歌声で)たかいたかいヤシのき、おおきなおおきなヤシのみ、サモアのしま、たのしいしまよ』

ゲーム「FF11の思い出」その7
ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

ゲーム「FF11の思い出」その5

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4

 よーうの、とぅばーさをー、きぃさくたぁーめぇーにー、ぎーんの、つうーぎをー、ふううのだー(シャンデュシニュのエフェクト)。あーさにー、なーれーばー、きえーうわーたーしー。ラ、ラ、ラ・テーヌ、ラ・テーヌのほしー。

 この18年で1万人くらいのプレイヤーが思いついて口にしなかっただろうネタを、令和の御代に臆面もなくエス・エヌ・エスへ投下するこの蛮勇! てか、オメーの滑舌、チャチャルンみてーだな(どき)! かつて廃人にあこがれた、いちプレイヤーであるッ!

 FF11って、いまだに一ヶ月に一回バージョンアップがあんの。でもメジャーな更新はもうしないよって2016年に宣言されててサイゼリヤの間違い探しぐらいしか変わらないんだけど、一ヶ月ですっかり底をついたアンバスのポインヨ報酬品が補充されるのよ。過激化したデモ隊の襲撃ですべての棚がカラになった食料品店に、食材を満載したトラックが横付けしてくるイメージで、暴徒たちはまだ店内に残ってエモノをベロでなめまわしてんの。元から悪いミスラと善から悪に染まったタルタル(出典:Wizardry)でかかれーっつって、トラックの運転席から降りかかってる首無し騎士と四足獣にモヤモヤした鉄パイプと貧相な棒でなぐりかかんだけど、なんか機関銃みたいな明らかに過剰防衛の反撃で6000くらいダメージくらってミンチにされて、デーン・デ・デーンとか死の音楽が流れんの。ダメージを受けると立ち上がっちまうんだナア、いつだってスタンド・アンド・ファイトとか言いながら、ちぎれかけた長いベロで何度も何度もデュラハン(ジャック兄さん)とウマ(渋川先生)にいどみかかんだけど、いっこ勝てないわけ。んで、先月までのオーク(末堂)は賭場の胴元が上客をコロす前にわざと大勝させて逃げられなくするためのワナだってわかったの。かーっ、すっかりだまされたわー、今月2キャラとも課金しちまったわー、アンバスでポインヨかせげないならもうやることぜんぜんねーわー、カネはもったいないけどいよいよ引退かー?なんて花の慶次の主馬様みたいなアザ(ウマに蹴られたので)をつけたミスラとタルタルのふたりで四畳半にねそべって親指で互いの鼻の穴おっぴろげてたら、ネ・ジツ方面の湿ったゲジゲジどもが、マリグナス装備は最強に強まっていてソロでも取れるしディ・モールト・ベネ(JOJO語)とかささやきあっているのが耳に入っちゃうわけ。しょーがねーなー、べつにあんたに言われたからじゃないんだからねっ!とかツンデレごっこしながら、北サンドリアにヘブン状態のビジュアルでワープして、当該のバトルフィールドに入るためのファントムクォーツを交換しようとしたら、どうしてかリストにないわけ。おっかしーなー、初期不良のオススメつかまされたかー?とか言いながらポプテピピックみたいに四角社を心の中で爆破していたら、なんかアルタナミッションをクリアしていないことに気づくわけ。なのにストーリーはなんとなく覚えてて、なんでかなー、ゲーム動画見る趣味はねーしなーっつって四畳半をぐるぐる半時計回りにまわって過去へと遡行してたら、それが75時代のヒゲナイトの記憶だって気づいたの。かーっ、転生前のヒュムの記憶を思い出したミスラってかー、ぼく地球(ぼくたま)みたいでオレかっけーなーとか言いながら2周目無双(主にレベルが理由)のアルタナミッションが始まるんだけど、過去の地形をデザイン(現存在)したヤツは最大限ひかえめに言ってもブッ殺してやりたいDEATH(英語)。現代の地形を熟知していればいるほど迷うようになっていて、まるで北斗神拳継承者は北斗七星の動きをなぞるのではないかってゆう、まったく根拠の感じられない仮説に基づいて石柱を立てたらめっちゃぶつかってくれてラッキーみたいな感じ(この例え何度目だ)で、あちこちおつかいしなけりゃならないもんだから、もう終始イッライラさせられんの。マウントありでもこのムカつきなんだから敵にからまれまくりながら徒歩で移動するしかなかった75時代に、ただプレイヤーの足止めだけに特化したこの仕様にゴーを出すジャッジ感覚はキチガイじみてて逆にすげーわ。これがアドゥリンまで行くと、ケイザックなんか風来のシレンを3Dにしたみたいで冒険感もクソもなくなって、怒りもわかない乾いた笑いしか出なくなってくるんだけど。でもハーフエルフーーおっと御時世的に政治的に正しく言いなおすでござるーーダブルエルフ(ノット・ピース)設定のリリゼットが表情から仕草から言動からめちゃくちゃかわいくて、いつのまにか我々の旅は推しウーマンーーおっと政治的に正しく言いなおすのでござった御時世的にーー推し月経のある人間ことリリゼットたんの追っかけとなって過去ヴァナを巡るストーカー・チック(症状)な全国ツアーと化したのであった。三国クエストとミッションと地形(地形)が複雑にからみあって(特に地形)て、ぜんッぜんストーリーは進まないんだけどネ☆(ウインクしながらピースサインを目の横に当てるポーズ)。

 話かわるけど、いまのオススメってニ・チャンそっくりになってて、二十年近くいすわってる牢名主みたいのがゴロゴロしてて、既得権益のカタマリみたいになってんの。半年ロムってろならぬ半年ソロってろが当たり前の世界で、ふつうゲームなんて1、2週間ほど遊んだり遊ばなかったりでクリアできるようなもんだけど、18年物のオススメはその発酵ぶりから質量が莫大になってて、アオりではなく言葉通り半年毎日ログインして遊ばないとわかってこないことも多いわけ。オススメって究極のところ装備集めゲーなんだけど、牢名主どもは自分の装備を賛美する新規は欲しいけど、自分を脅かす強さは手に入れさせたくないのね。きゃつらはまずアビセアのレベルキャップ解放でなんかピンクの寝巻きみたいのに過去装備群を半壊させられ、次にアドゥリンのアイ・エル装備で過去装備群を全壊させられてんの。そのファースト・インパクト(大質量隕石による恐竜の絶滅)とセカンド・インパクト(大質量隕石をよそおった使徒による人類の半壊)を生き残ったきゃつらは深海魚のような猜疑心のカタマリで、いつだってまた膨大な時間の投入によって築き上げた己の地位が失われないかビクビクしてんのよ。だから無償で新人を助けることをひどく嫌っているわけ。きゃつらの名言のひとつに「せっかく新人を助けても、半年もたたずにいなくなる」ってのがあんだけど、不死の者と定命の者がすれちがう感じがすごくよくあらわれてるファンタジックで味わい深い言葉よね。エルフにとっての100年は人間のスケールで言えば半年にも満たない時間である、みたいな。ゲームには定年による引退はないから、たぶんサ終(サービス終了の略称)まで既得権益に我利我利でしがみつき続ける感じで、それが新規参入を嫌う典型的な先細りの業界と同じ構造になってんのよ。業界の衰退が権益の消滅とイコールだとわかってても、近視眼的な月経の無い人間(男女とも)にはその気づきを行動に移すことは難しいのね。最近いちばんショックだったのはイーストちゃんがおれもあと30年ぐらいで死ぬから世界を変えることは正直どうでもよくなってきたみたいな発言をしてたことなんだけど、その感じはどれだけ否定したところで自分にも出てきてて、オススメをプレイしていてときどきたまらなくイヤになるのは、そういった寿命に由来する逃げきりの諦念みたいなのをかいま見る瞬間なのね。でもまだアカウントを停止せずにいるのは、そしてだれが読むでもないテキストをこうやって書き残しているのは、今回ここを離れたら次にヴァナ・ディールへ気持ちが向いたとき、もう戻る場所はないんだろうなっていう確信めいた予感があるからなの。翌年にはダムの底へ沈むことが決まっている村の盛夏を、最後にそぞろ歩く年老いた住人のうちのひとりが、たぶんわたしなんだと思う。

ゲーム「FF11の思い出」その6
ゲーム「FF11の思い出」その7
ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

ゲーム「FF11の思い出」その4

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3

 複・アカ(垢)作って、廃人スワンプ(沼)につま先だけちょいとつけた話の続きするね! ファースト・ジョブのレベル99まではキラキラした目で世界中を巡りながら、ヴァナ・ディールの星唄と複数のミッションを並行して進めてストーリーや世界観もタンノウして、すごい楽しかったのね。結局、旧エリアだけでカンストまで上げきった形なんだけど、いまのオススメってそっから先は武器・防具に設定されたレベルの平均がキャラの強さになる仕組みなのね。経験値カンストしてからたまってたポインヨでエミネンス装備とかゆうのを交換したら、ステータス全般がガガッと底上げされてとつぜん2倍ほど強くなんの、死にかけた戦闘民族がマメ食ったみたいに。んで、モーグリみたいにくるくるまわりながら、あざとかわつよい装備をうっとりとながめてたら、メインキャラのミスラが悪い顔して背後に立ってて、おまえもそろそろ経験しとかなアカン、なあに、枕に顔うずめてたらすぐに終わるさかいになっつって、アンバスとかゆうイケナイ遊びに誘ってくるわけ。そんでミスラが長いベロ出しながらオークどもをなます切りしてるかたわらで枕に顔をうめてブルブルふるえてたら、何もしてないのに半日ほどでネバネバしたポインヨがタップリとたまってんの。言われるままに交換した景品を薄暗い窓口に持ってったら、いつのまにか準最終装備がひとそろいカバンに入ってて、何の脈絡もなくまた2倍ほど強くなんの。いっこめのアカウントはエミネンス装備からアホみたいに時間かけてジリジリと装備を更新してくんだけど、にこめのアカウントではその膨大な労力をあっちゅーまにショートカットできるってわけ。もちろんマグロみたいに寝ころがってるだけなので、戦闘や魔法や床上手のスキルはいっさい身についてないから、低偏差値のガッコウから推薦でワセダ入ったセイガクみたいな状態なんだけど、事情を知らない周囲からは違いなんかわかんないわけ。2キャラいれば単純に報酬とかポインヨを1回につき倍もらえるし、世に複・アカ業者のタネはつきまじって気持ちにさせられたわ。んで、そのアンバス三店方式(ポイント入手、チケット取得、アイテム交換)でゲットした準最終装備をさらに更新していこうとすると、72時間キングベヒんもスにはりつくより毎日すこしだけーーすこしだけど必ず毎日ーーログインするのが最適解になんの。リアルの時間と社会性を生贄に捧げれば捧げるほど強くなれたあの頃の、侮蔑と嫉妬と尊敬の入り混じった廃人たちへの玄妙きわまる感情はもう遠い過去の話になってて、いまはあんな破天荒のキチガイどもじゃなくて、真面目なサラリーマン・タイプの冒険者たちが淡々と先頭集団を走ってんの。ゲームなのにエクセルとかでいろいろキチンと管理して、リアルでも間違いなく仕事できるのが伝わってくる連中なわけよ。パーティでの動きが悪くても昔みたいに名指しで面罵されたあげくネットにさらされることもなくなって、たがいに裏テルぐらいはしてるかもしれないけど、ただ次からはブラックリストで回覧されて参加を断られるようになるだけ。ほんと、現実のサラリーマン社会とソックリで胸くそ悪くなってきたんで話もどすけど、ログインしてポインヨもらって庭いじりして、ゴブ箱は45日しばり(業者のせい)で開けられず、メインキャラの引率でドメインいってアンバスいってオーメンいけない……みたいにルーチンで順にこなしてくと30分~1時間ぐらいでヒマになんのよね。なんじゃこりゃー、複アカにしてもやることぜんぜん変わっとらんやないかーい、いよいよもう引退なのかー?なんて西日さす四畳半でタルタルとふたり寝そべりながらオッ立てた中指で鼻ほじってたら、窓(windows)から薄暗いエスカ・ジ・タの空がのぞいているのが目に入ったわけ。説明しとくと、最終ミッションで導入されたエリアで、ぶっちゃけここだけでレベル99まで上げられちゃうお手軽でチョベリグ(超・ベリー・グッドの略称)なスポットなの。もうやることねーし、世界観をゆったり楽しむより効率最優先のセカセカしたゲジゲジどものジメジメのすみかで、タルタルのデコスケ野郎の別ジョブ上げて、ケアルタンクなデジョン肉奴隷にでも調教すっか!よーし、お父さん一度も恩恵を受けたことのない(ぼっちなので)パワーレベリングしちゃうぞー!なーんてはりきりながら、二人は一路クフィム島へと向かったのだった。目からハイライトの消えたタルタルのセクハラ野郎が顔面をケツにつっこむ勢いで密着尾行(/follow)してくる中で、時空のワレメちゃんにグリグリ太いのをねじこんだら、そこがもうエスカ・ジ・タなわけ。陰気な音楽の流れ続ける灰色の世界なんだけど、あらゆるレベル帯の敵がせまいエリアに三密(身密、口密、意密)状態になっててリポップもはやくて、レベル上げには最適なのね。5年ほど前、見ようみまねでサブダックションの範囲狩りにトライして、ドラゴンは倒せたけどヘンな鳥みたいのが倒せなくて床ペロ(死を卑小化するファミコン世代の妄語)して以来の来訪で、1,800日前の反省をふまえてあらかじめやり方を調べたら、なにサブダックションなんか使ってんだよ、テネブラルクラッシュ一択だろうがよ、このミスラのソロリティ野郎とかぬかすので、あまりワタクシを怒らせないほうがよろしいですわよって巻き毛ですごんだら黙った。んで、(たしかこうだったな……)とか転生前の勇者時代の最強ワザの出し方をさぐるみたいに手順をふんでくわけ。ぜんぶ黒目になった低レベルのチビスケを離れた場所に立たせて、魔法攻撃用の装備にクネクネ・チカチカ着替えて、金剛身とオカルテーションかけて、軽くジョグしながら敵にからまれて大リンクつくって、あるていど集まったら夢想花で眠らせて、最後にテネブラルクラッシュ……(だったか?)。そしたら、レトロなエヘクトとともに数十匹の敵へ10,000を優に超えるダメージがそれぞれ通って、瞬時にビャーッとログが流れてレベルアップのファンファーレが多重に聞こえるぐらいタルタルのパラサイト野郎のレベルが一気に上がったの。窓(windows)の外から両手を前に交差するミスラの詠唱フォロースルーをながめながらアタマに浮かんだのは「あれ、またオレなんかやっちゃいました?」ではなく、グラップラー刃牙でジャックハンマーのドーピングを手伝った博士が見開きでアタマを拳銃でうちぬいて自殺する場面の「ジャック……君は強くなりすぎた」ってセリフ。でもなんで死んだのか感情の動きがよくわかんないよね、あれ。んで、ミスラがもの憂げにタバコ吸いながら「比丘たちよ、意思が業である、と私は説く」とか言ってログアウトしていって、残されたタルタルが敵にからまれてプリケツさらす(死を戯画化する漫画的ビジュアルを強調した表現)の。そしたらレベルダウンの文字が画面に表示されて、アイスボーンの約束の地のレベルダウンに感じた既視感の正体はこれだったのかー、などと思わぬ疑問が氷解したのが全国の女子高生のみなさんに送る今週のビックリ・ドッキリ・クライマックス。

ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6
ゲーム「FF11の思い出」その7
ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

ゲーム「FF11の思い出」その3

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2

/shout トレインー! 逃げてー!
(真昼の陽光に白く輝く砂丘の向こうから、砂埃をあげながら怒涛の勢いで長文が迫ってくる)

 またFF11の話するね! ツッタイーじゃ反応ぜんぜんないけど、ノトーだとけっこう見られてるみたいなのでその下書きと思って、この世の95%はまともなのに残りの5%にあえてフォーカスする貴様らへ向けてわたしの熱いほとばしりを垂れ流すね! 最近のFF11はスマホゲーみたくログインボーナスを導入してて、毎日もらえるポインヨとかをためていくとソロでも最終に近い武器とか防具をもらえたりすんの。まあ、それでも下手すると半年単位のログインを求められんだけど、75時代の一日30時間HNM(ハイレベル・ノートリアスモンスターの略称)ポップ待ちという矛盾ッ!よりずいぶんマシな仕組みになったと言えるよね。だから、ログインしてポインヨもらって庭いじりして、ゴブ箱ポインヨであけてSPキーであけて、ドメインいってアンバスいってオデシーいかない……みたいにルーチンで順にこなしてくと30分~1時間ぐらいでヒマになんのよね、ホラ、ぼっちだから、おれ。FF11熱は高まってんのにあんまやることねーなー、とか言いながら小指で鼻ほじってたら、四畳半のすみでホコリかぶってるパソコンが目に入ったのね。そういやウインドーズ(Windose)?セブンが使えなくなるっつって、去年テン入りを買わされてパソコン一台あまってたんだったわ、よっしゃ、新キャラ作って10年ぐらいやろうと思ってた複アカ(垢)・プレイすっか、わーい、これでおれも所持アカウントのプレイ日数を足すと新生児が小学生になるぐらいの時間が経過していた廃人どもの仲間入りだーっつって、意気揚々とセブン入りのパソコンにオススメをインストールすんだけど、いざログインする段になったら、口のはしからヨダレたらしてペットボトルに排尿するような未来を幻視してすっかりブルッちまって、とりあえずフリートライアルでカンベンしてやっか!あとから有料アカウントへの切り替えもできるんですねすごい、それほどでもないっつってキャラメイク始めるわけよ。そしたらさ、まず名前がぜんぜん通らない。説明しとくと、オススメはキャラ名がそのままキャラIDになってて、同じサーバー内には同じ名前が存在できない仕組みになってんの。18年物の臭いたつオススメは休眠キャラも含めて有名どころ(KURAUDOなんて絶対にとれない。たぶん同名のアカウントは高額で闇取引されてる)はほとんど使われていて、名前を考えて順に通らないか試していくだけで半日ぐらいかかって、さすがオススメ思わぬところで貴重な時間を盗んでいくわーなんてボヤきながら、なんとかホビット族をキャラ登録までこぎつけるわけよ。視点が低いから酔うっていう理由でタルタル使ったことなかったから薄目のロンパリでおそるおそる歩き出すんだけど、この18年(こわ)のあいだに数々の3DゲームとPSVRによってわたしの三半規管はギンギンにきたえられてたことがわかるわけ。わーい、どれだけ地面スレスレをカメラがなめてもシラフのままだーっつって、そのままはだかで野外へとびだしてって同じサイズのウサギに胴まわしげりくらって床ペロ(死をエンタメ化するスラング)するわけよ。やっぱはだかはユニフォームじゃないかーっつって、ケツをプリプリしながらタルタルのあざとかわいい装備を身につけて、レベル上げしながら本国ミッションを進めてくの。新しい土地へエリチェンするたびに拡張版?のミッションが次々と始まってたいそう混乱させられるんだけど、さすがに本筋のストーリーはすごい面白いわけ。あと固有名詞がばつ牛ン(タイプミス、抜群の意)にすばらしくって、特にシャクラミとかフェ・インとか初期のネーミングはトールキン・レベルの世界構築だなって思うわけよ。余談だけど後期になるほどくすんできて、ケイザックとかモリマーとかぜんぜんあかんやん、どうしたんってなる。ちなみに直前までの文章を強制的に名詞化する「〜ってなる」「〜ってなった」語法が死ぬほど嫌いで、いま人生ではじめて使ってみてサブイボが止まらなくなり、こんなぞんざいな日本語を使うと思われたら私の名誉に関わるので、あくまでネタでやってることを文脈無視して注記せねばってなった。おまえにこのくらいのワクワク名詞ぢからがあれば十年前の同人誌ももっと売れたのにのう、なんてコ・ノムさんばりにボヤきながら、三日ほどの気楽なソロプレイだけでレベル40くらい(昔はギスギス・パーティプレイだけで三ヶ月以上かかった)になって、ラスボスのジュノ大公(バレ)に魔晶石を奪ってこいっつわれて獣人の本拠地をみっつ順にまわるんだけど、そのうちのひとつベドーに向かうことにしたのね。カメ人間のたくさんいるとこで、地上が段差で上下に分かれてて地下もあって、おまけに呪いの石まであちこちに置いてあんの。下調べの段階で、けっこうややこしいなー、すごい迷いそうだなー、腐ってもオススメだからなー、やっぱ5時間くらいみといたほうがいいのかなー、家人も実家に帰しとくかー?なんてビビッてたら、いざ現地に到着するとなんか景色を覚えてる。記憶のまま地図も見ずに歩いてったら、目的地の大伽藍の手前まですんなりたどりついちゃったの。おっかしーなー、なんでかなーって考えてたら、近くのカメの名前見たとたん、まるで現実みたいにパーッと記憶がよみがえってきてビックリした。このエメラルド・クダフってのをたおすと、再ポップのときに抽選でノートリアスモンスターが出ることがあんの。たしか、ガブー・アンバンキッシュトみたいな名前だったかな。もう15年以上(こわ)前だと思うけど、そのときはネコの青魔じゃなくてヒゲのナイトだったんだけど、ぐうぜん通りかかってそいつをソロで倒したら、バルキリーマスクってのを落としたわけ。オークションハウスで売ったら40万ギルぐらいになって、これがおれの金策だっつって数週間?数ヶ月?ぐらいベドーにこもってた時期があったことを思い出したんだわ。あの頃はみんなギッスギスしてて、まさに生き馬の目を抜くヴァナ・ディールって感じで、だれも金策の手段を他人に教えたりなんかしないの。有名どころのノートリアスモンスターにはアイドルの出待ちよろしく、つねに何人かが24時間体制で張りついているのに、このガブーのところには奇跡的に誰もいなかったの。それからベドーに通うようになって、それこそ現地ログアウト現地ログインする勢いでさ、バルキリーマスクのドロップ率は正直よくなかったけど、自分しか知らない金策ができたのがうれしかったのね。ところがある日、シナ(China)だか北米だかのプレイヤーがこつぜんと現れて、ガブーんとこに張りつくようになったのよ。たぶん、競売の履歴から名前で検索して、場所を割り出したんじゃないかと思う。そっからはポップの瞬間、どっちが早くタッチして赤ネームにできるかという熾烈な奪いあいがはじまるわけ。いまはぜんぶ南半球の発展途上国の、英語も日本語もわからない複アカの業者ばっかで風情もなにもないけど、あの頃は一人ひとりちゃんと中の人がいたのよね。とってもとられてもカタコトの英語でののしりあってさ、ファックオフ・サノバビッチ、ピスオフ・ユー・マザーファッカーみたいに。そのくせ戦闘が終わったら「出たか」「いや、出ない」「そうか、次のが持ってるな」みたいなやりとりして。そいつのキャラ名も忘れてて、いま生きてんのかもわからないけど、良きライバルっつーか、敵の将軍こそが味方の文官よりもこの前線でいちばん自分の考えていることを理解している、みたいな奇妙な連帯感があったなー。いないとホッとすると同時に心配したり、いるとムカつくと同時に安心したりさ。

 うへ、なつかしさと喪失感に涙がこぼれそうになってきたのであわてて話かえるけど、今回の再プレイでよかったのは、限界突破クエストがすごい面白いのがわかったことかな。新キャラはレベル50以降、5刻みでクエスト受けてキャップを外さないとレベルが上がらなくなる仕組みなのね。いったんキャップ外すとジョブ変えても適用されて、レベル99になれば旧エリアはどこ歩いても格下の敵ばっかになって、ワープ開通による移動の大幅緩和(昔は1時間半かけて歩いていったあの狩場にも5秒で到着、イメージはスター・トレックの転送。飛空挺の待ち時間で釣りしたりとかはもうだれもしてない)もあいまって、気分はパックツアーで行く海外の有名観光地巡りなわけ。でも、限界突破クエストには当時のバランスが残ってて、自分よりもかなり格上のモンスターばかりいる獣人本拠地に潜入させられたりするわけ。姿や足音を消す魔法を使ってヒリヒリしながら獣人たちの横をすり抜けていくんだけど、ときどき魔法を見破るヤツもいて、いったん見つかると周囲の獣人がいっせいに襲いかかってきて、あっというまに殺されちゃう。この緊張感を例えるなら、夜のヨハネスブルクで一杯ひっかけてこいと命じられた日本人バックパッカー(大学生)って感じ。そういう状況もあいまって、当時は奥修道とか大伽藍とか祭壇の間とかに行くのは本当に怖かったし、ある種の神秘性さえ湛えた場所になっていたように思う。アイテムレベル119の装備で全身を固めて、敵集団の大リンクのド真ん中に無傷でボッ立ちしたまま、「お前アルマスでボコるわ・・」とか言いながらカメの王を一瞬でカカッとなで切りにするオレツエエ・プレイでは体験できないものへひさしぶりに触れることができて、うれしかったなー。天外2のこと何度も引き合いに出すけど、ゲームという作りごとに実在感をまとわせるのは、グラフィックの精細さがどうこうじゃなくて、数値をいかにデザインするかに尽きると痛感させられたね。

 え、フリートライアルはレベル50までで限界突破クエストはありませんよ、だって? ハハハ、そこに気づいてしまったか。じつはフリートライアルでレベル50まで上げて、エフジーオーのテキストにはアホみたいに課金してるくせに、ザルカバードとかオンゾゾのネーミングというハイ・クリエイティブに一銭も入れてないのぜったいおかしーわってなって、結局2コめのダウンロード版を買ったのね。オススメをプレイするには、プレイオンラインIDとプレイオンラインパスワードとスクエア・エニックスIDとスクエア・エニックスパスワードとワンタイムパスワードとプロダクトキーの6つを遺漏なく準備した上で、それぞれ16桁くらいあんだけどOと0の違いなどをしっかり判別しながら1コも間違えず入力する必要があるのね、だいたい100文字ぐらい。なに言ってんのかわかんないと思うけど。んで、フリートライアルのプレイオンラインIDとプロダクトキーをひもづけようとすんだけど、うまくいかないの。1時間くらいいろいろ試すんだけど、ぜんぜんダメ。使ってるIDが違うのか、組み合わせが違うのか、そもそも入力ミスなのか、原因も特定できないわけ。そしたら入力ウィンドウの欄外にちっさい字でなんかユーではじまるIDがあれば入れろとか書いてある。これかーっつって、メールで送られてきたユーからはじまる文字列入れたら、フリートライアルと関係ないまっさらのプレイオンラインIDとプロダクトキーがひもづいちゃったわけ。気づいたときには時すでに時間切れ、いかりや長介あたまがパー状態で、また7千円払うか30時間ぐらい捨ててイチからやり直すかの二択を迫られることになってるわけ。時給計算したらもう一回7千円払うのがはるかにいいに決まってんだけど、アラブの石油王もスーパーの買い物で生野菜の10円差に悩むみたいな状態になって、四畳半を何周もぐるぐる回ってから、イチからやりなおすことに決めたわけ。んで、気を取りなおしてキャラメイク始めたら、フリートライアルで半日かけて決めた名前が他ならぬ自分に押さえられてて通らないっていう。いやー、このオススメ、もうほんとうにだれにもオススメできないわ。

ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6
ゲーム「FF11の思い出」その7
ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

映画「アナと雪の女王2」感想

 え、これ劇場で上映されたの? 本国ではスター・ウォーズのホリデー・スペシャルみたいな扱いで、テレビ放映のみで円盤は発売されてないんですよね? くだくだしい脚本とこみいった台詞に加えて、映画芸術を真っ向から否定した時系列のリニアーすぎる展開にガックリ。CGクオリティの低い部分も散見され、前作の高い完成度に比して蛇足としか形容しようがない後日譚に仕上がっている。

 ところで先日、国営放送にて「若おかみは小学生!」が地上波初放映されたが、家名や地域共同体にからめとられている既婚女性(憶測)が、少女に世界の命運を背負わせることへ性的な興奮をおぼえるフリークス野郎だけが肯定する、グロテスク極まる作品だと口汚くののしっておられるのが目に入ってしまった。関心を得たい一心でノトーに同作品への高い評価を再公開してしまったフリークス野郎a.k.a.薄汚いおたく代表であるところの小生は背筋が寒くなり、キンタマーー失礼、ゴールデンボールズーーがきゅっと収縮した次第である。しかしながら、社会現象となった前作「アナ雪」の感想においては、家と公への隷属を長女に対して強要しているのが物語の瑕疵だと指摘できていたので、織子たんの萌え萌えなキャラデザインに目をくらまされたこのキモオタをどうかゆるしてほしい。

 本作のラストで意中の男性と結婚して家督を継ぐことになった妹(低学歴の肉欲)が姉(高学歴で知的)を王国から放逐し、ウォールデンばりの森の生活を強いたことで、エルサの扱いがぞんざいである印象は強められ、長男長女たちにとってのソレジャナイ感を高める結果になったことをとても残念に思う。映画産業のような「虚業」に就くことをゆるされるのは、家に対して責任のない次男次女以下であることが多いからの結末ではないかと疑わせるぐらいの、ほとんど憎しみさえ感じるぞんざいぶりだった。

 あと、近年のデ銭さんに顕著な現実への逆張りーー女性と有色人種を持ち上げるために男性と白人をディスるなどの手法ーーには、そろそろみんな気づいているので、やめたほうがいいと思いました。乾いた軟便にスチームを当ててるみたいで、すごく臭いますよ。

雑文「深夜ラジオ、あるいは対話について」

 最近では、インタネトーやらツッタイーに出座するたびに、リッチ・ホワイトがゲーティッド・コミュニティに引きこもる気分を生々しく想像できるような有様である。王ならば貧しき者たちへのノブレス・オブリージュも生じようが、富める者たちには元よりそんな義務はない(小さくてやわらかい社の元プレジデントぐらいにリッチを突きつめればーー金のバスタブでするロマネコンティ風呂みたいなイメージーー話は別だろうが)。差別とは、いまや無視とか装われた無関心に形を変えているのだ。もちろん、キング・ルンペンの愛称で親しまれている青い血の私も、萌え画像の一枚すらよこさない君たちの生や苦しみには、何一つ関心がない。

 え、キングじゃなくてエンペラーでしょ、だって? なに、昨年の今頃にインペリアル・サクセッションの茶番劇をやってませんでしたか? ハハハ、記憶違いじゃないの? 俺は今も昔も、ナラ・プリフェクチャー在住のしがないローカル・ガバナーさ……何より、スローターにフィリサイドにアースクエイクにタイフーンにフラッドにプレイグにエピデミックにコンテイジョンにデプレッションに、俺の治世がこんなに悲惨なわけがない(ツンデレ制服女子が腕組みしながら)!

 おっと、意図的なビーンボールと受け取られかねないので、話題を変えよう。今日わざわざゲーティッド・コミュニティから出座ましましたのは、ラジオ番組での芸人の失言と説教が話題になっていると知り、大学生くらいまではよくラジオを聞いていたことを思い出したからだ。当時はネットもスマホも存在せず、ファミコンの電源アダプターも母親に隠されているため、特に深夜は文字通り、ラジオを聞くくらいしかやることがなかった。内面旅行のレディオ・ライブラリーから多くの名作を知ったし、ジュン・ハマムラからはライト・ウイングドな映画鑑賞法を学んだ。もちろん、一晩中・日本も受験期にはよく聞いた。エレクトリック・グルーブのことは長く芸人コンビだと思っていた。ピンポンがコケインの顔を「歪んでる」とディスり、生放送中にコケインがスタジオから出ていった回(台本だったのかな……)とか、なーんちゃんたりしちゃったりなんかしちゃったりしてーa.k.a.広川太一郎が生出演してくれて、本人が帰ったあとに「なんで、出てくれたんだろう?」とピンポンとコケインで不思議がってる回とか、昨日のことみたいに思い出すことができる。あ、なんかリレー・ドラマみたいなのにハガキだしたの思い出した、採用されなかったけど。ラジオを聞かなくなって久しいけど、ポストカード・クラフツマンには劣等感というか、尊敬みたいな感情、いまだにあるなー。そういえば、ノーザン・トゥルースとバンブー・ジャスティスの超能力・ヤングマンズ・アソシエーションは今どうなってるの? おっと、閑話休題。

 で、諸君が話題にしている例の放送を聞いた。一晩中・日本を聞くのは、じつに二十数年ぶりのことだ。そして改めて、他のメディアにはない凄みを感じることができた。行われたのは、対話だ。より正確に言うなら、対話への試みである。私たちの生活において、対話が行われることは極めてまれだ。共感の雰囲気を醸成し、気まずさを薄めるために、空間を音で満たす会話ばかりが横行している。ひとつの意味を共有しようと試み、いったん意味が共有されれば、それが成される前と同じ立ち位置にあることはできない、その行為を対話と呼ぶ。己の人生をふりかえっても、対話だったと思えるコミュニケーションは数えるほどしかない。対話と思われるものの多くは、真剣な外面だけを装い、己を固持することをあらかじめ決めた、いわば音の振動を伴った時間の空費に過ぎない。今回、生放送で行われたのが本当に対話だったのかどうかは、究極的には対話を行った当事者たちにしかわからない。それは教育と同じで、十数年を経てから「あれは対話だった」とひっそり気づく性質のものだ。少し前に、人類が滅んだ後の街で家々の部屋をすべて見て回りたいという、私の抱える異常な欲望を話したことがあると思う。今回の経験は、それに近い。透明人間として、壊れかけた夫婦の寝室に居合わせる。加工も記録もない、ドキュメンタリーには満たない何か。テレビでもなく、ネットでもない、ラジオだからこそすくうことのできた水面の泡。これが、対話だったことを心から願う。

 よっしゃ、ちょっとトーン変えるから、ワン・ボディの人はこっからは読まん方がええで! 少し驚かされたのは、シンギュラリティ(婉曲的な表現)の方々が話し手の論旨そのものに深く賛同しているのにも関わらず、マリッジに関する言及にことごとくネガティブな反応をしているところだった。それこそ、バーティカリー・チャレンジド(政治的に正しい表現)やシン・ヘア(流行におもねった表現)にコンプレックスを抱いている方々が、それらをダイレクトに表現した罵倒(チビやハゲ)を聞いたときの反応に近く、認知の歪みさえ感じられるレベルなのだ。私が感じたのは例えるなら、階段教室で穏やかに講義をしていた大学教授が突然に背後の黒板をこぶしでなぐりつけた後、何ごともなかったようにまた穏やかに話し始める場に立ち会った学生の感じるだろう恐怖であり、もっと簡単に言えば「え、そこまで気にするようなものなの?」という驚きである。少子高齢化の進む現代社会において、もはやあらゆる場面でこの話題はタブーとなる時期に達しているのだと感じ、今後の言動について貴重な気づきを得ることができた。ツッタイー・ユザーなる本邦のノイジー・マイノリティの中の、さらにノイジアーなマイノリティの意見である可能性は高いが、用心に越したことはない。やれやれ、すべてをインターネットに包囲され、もはや現実の方が引きこもるべきゲーティッド・コミュニティみたいじゃないか!

 あの、何かの否定は何かの肯定にはならないですよ。

 先ほどの連続ツイートの結果、フォロワー2名減る。例えば、あるノーベル賞作家の人生観を永久に書きかえる「個人的な体験」が水頭症の嬰児であったように、彼にとってのそれは結婚だった。そして、別の誰かにとって、結婚は人生観の変更には至らない。なぜその当り前さへ理解が及ばないのかを苦しむと同時に、それこそが認知の歪みなのだろうとも思う。

 やめ、やめ! 先ほど、幾度目のことだろう、シン・ゴジラを通して視聴した。この傑作に改めて深く感動すると同時に、まさかシン・エヴァはもう間に合わないから大丈夫だと思うけど、シン・ウルトラマンがコビッドの影響を受けて作り直されないことを切に願った。

アニメ「エヴァ破再視聴、あるいは旧エヴァ19話礼賛」

 なんかYoutubeで序破Qが無料公開されていると聞きおよび、久しぶりにロスの自宅に備えた7.1chサラウンドのシアター(忘れてた)でアンプの埃をはらって、10年ぶり(10年ぶり!)に破を大画面で見た。オリジナルの8話から19話を再構築しながら、同時に旧劇場版のモチーフをあちこちに散りばめて、本当に新しいエヴァの新たな行く末へ、期待しか持てない仕上がりだったことを再発見し、悔しさのあまり涙が出てきた。2010年の段階で、都市を襲う津波がすでにビジュアル化されていたり、海洋研究所で大災害を生き残った者がいなくなった者を悼むやりとりがあったり、2011年の出来事をあらかじめ予見したかのような先回りのアンサーさえ描かれいる。今回あらためて、Qでの方針転換が本当に余計で必要のない、作品の自走性と共時性を裏切った、ただただ世の悲惨をエンターテイメント化する類の冒涜だったとの気持ちを強くさせられた次第である。

 さて、ここからはただのおたく語りとなる。くぐもった早口で本当にキモいので、注意してほしい。終盤のアスカ退場以降の展開について、テレビ版の19話があまりに完璧すぎるため、カネと労力はより以上にかけられているだろうにも関わらず、ゼルエル戦のパートがゴテゴテと厚塗りされた(特にコネメガネ周辺)緊張感のないものにしか見えなくなっている。劇場公開版では本部への使徒侵入後のシーン全般に赤いフィルターがかけられていたのをご記憶だろうか。第19話の構成・構図・カット割りのテンポがハイパーすぎて新作で上書きすることができず、コピーで流用するしかないのを、演出で異なったふうに見せようとあがく試みがすべて空回りしているのだ。後のぶんだー(笑)艦長の台詞にしても「メインシャフトが丸見えだわ」はテレビ版の録音の方がはるかに鬼気迫る感じだったし、「5番射出急いで」の下りも緊迫感を大きく損なう改変ーーロックを解除してから、初号機がキックでボタンを押すーーが行われており、見るたび生理的な違和感でイラッとする。電源が切れる直前のシーンも原作のゲス顔(劇場公開版はゲス顔のままだった)から、観客にアピールするためのヒロイックな表情に差し替えられており、人類の存亡をひとりで背負ったあの場面におけるシンジさんの必死さを大きく減じているように思う。あらゆる手段でテレビ版の19話を越えようともがくも、完璧すぎる内容にことごとくはねかえされ、苦肉の策で行った修正や追加演出ーーシンジさんの「でもそんなのかんけえねえ」、コネメガネの「もったえー(え、何? オマエ滑舌わりいな)」ーーが見事にスベッているのは、もはや気の毒でさえある。新劇場版しか知らない君には、ぜひテレビ版の19話だけでも見てほしい。

 あと、劇場公開版はBGMが台詞や効果音を圧倒するぐらいもっとギンギンに鳴っていて、DVD版の音量バランスにガックリして、アンプを調整することで再現できないか一晩中、延々と設定を詰めていたことも思い出した。あの頃は、本当に次への期待にあふれていて、楽しかったなー。本当に、楽しかった……

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

映画「トイストーリー4」感想

 上映時間が100分なんだけど、エンドロールが10分弱として、80分くらいまではとても楽しく見ていたのね。新しいキャラクターたちも魅力的だし、このシリーズでなくてはならない新しいアイデアもある。なので、昔からのファンに向けた、かつてのアイドルたちによるカムバック公演、一夜限りのお祭りムービーだと思ってたわけ、80分くらいまでは。それが最後の最後で唐突に、作品の根幹に関わるデリケートな部分へ、デ銭の野郎がベロで湿らせた毛むくじゃらの指を突っ込んで、愛撫を始めたわけよ。そしてキラキラしてたアイドルたちが別人みたいに豹変して、舞台上でアンアン悶えだしたのを見せられる気持ち、わかる? スター・ウォーズ8といい、いまのデ銭からは「挿入すれば俺のもの」みたいな、薄汚い男根的商業主義をしか感じない。ああ、怒りにかられて同じレベルに堕してしまった。汚された心を浄化するために、前作を見たときに書いた感想を引用しておく。

 『本当に大切なものだから、だれかが汚さないうちに終わらせる。子どもの目には夢の国、大人の胸には死の気配。どこも壊していないのに、ほら、もう何の足し引きもできなくなった。己が代換品であることを知りながら、なお生きなければならないあなたへ送る、数少ない本物のマイルストーン。』