猫を起こさないように
年: <span>2020年</span>
年: 2020年

ゲーム「MHWI:黒龍ミラボレアス」感想

 例のアドバタイズ・ドラゴンやってる。現環境で支配的な要素への逆張りだけで作られた、正にキメラティック・メタ・モンスターであり、制作側の想定する手順を完璧にトレースすることでしか討伐できない。フロンティアの雷龍のときみたいに、アルコールを抜いてソロで真剣に練習を繰り返せば勝てるのだろうが、私の気持ちの大半はオススメに向いており、アイスボーンにそこまでする熱量がもうない。バカ高い体力のせいで部位破壊が異様に渋くなっており、負けると素材がほぼ手に入らないこともやる気を大きく減退させる要素だ。カンコレのゲージ破壊や新艦ディグにも感じることだが、同じ時間を使って現実で手に入るものへ思いをいたせば、この年齢になって何も手に入らないまま素材と燃料と、何より貴重な時間が完全に虚空に消滅する作業なんてやってられるか、というのが正直な気持ちである。

「アルバトリオンを倒せ」
「倒せない。引退しよう」
「ミラボレアス実装です」
「懐かしい。復帰しよう」
「アルバトリオンを倒せ」
「は?」

 狭い地形に広い範囲攻撃で殺されるの納得いかない……

 ねえ、みんなそんなゲームうまいの? ぼくはファミコンからずっとやってるけど、ぜんぜんうまくならないよ?

 ムービーが入ったので倒したかと思ったら、「まだ2回も変身を残している」状態だったんですって。へー、すごーい、つよーい、さいきょーう(棒)。

 ミラボレアスが倒せず、復帰8時間で再び引退。モンハンって昔は、ドラクエで例えると「あるていど装備を整えれば、レベル30くらいで下手でも頑張れば勝てる」みたいな調整だったのに、いまや「完璧に装備を整えたレベル99を前提として、上手ならば勝てる」みたいなゲームになってるな、と思った。

 アルバトリオン、ミラボレアスと来て、私がモンハンに求めてたのって、「良質なアクション」じゃなくて「ごっこ遊び」だったんだなあって、つくづく思った。「キン消しを戦わせる小学生のような、自分が最後に勝つことを前提としたプロレス死闘ごっこ」がやりたいのに、「20分以上、一瞬も集中力を切らさず、最適な行動を選択し続けるアクションゲー」をやらされるのいらんねん。マルチプレイにしても「1人弱いヤツが混じると勝てない」のいらんねん。ゲームやねんから、弱いもんを助ける英雄ごっこをさせてえや。チームの足手まといになるのんは、リアルだけでもうじゅうぶんやねん。最近の格闘ゲームとかでもそうやけど、「素人には静止にしか見えない視線や体重移動のフェイントから、頭部への回し蹴り一発で決着」みたいの、ほんまいらんねん。そういうのは他のフィクションで摂取するから、ゲームくらいもっと雑に遊ばせてほしいねん。あと、こないだからやってる投票やけど、フォロワーの君たちに読んでもらうためにしとんちゃうねんで。君たちのフォロワーに「過去作を再発見」してもらうためにしとんねんで。投票数と同じ数のリツイートがないの、おかしいんとちゃうか? たのむで、現世利益と萌え画像をちゃんと誘導してや!

 まあ、あんま知りたくないだろうけど、ここ私の日記帳なんで近況を報告するね。いろいろ文句もつけたけど、ワールドおよびアイスボーンは携帯機をかなぐり捨てたという一点において名作であると認定できるし、これが人生において最後のモンハンになる気がするので(次作がまたスitchyだかゆう小人マシンなので)、引退したとか言っておきながら、仕事が終わってからアルコール入れる前に野良ミラボレアスへ通ってんのね。これがまあ、ぜんッぜん勝てないわけ。第一形態は誰かが死んだら誰かが即リタイアして終わるし、第二形態に進んでもみんな慎重すぎて頭が壊せないまま時間切れ、そんで十回に一回ぐらい第三形態までたどりついても、強力な範囲攻撃のおかげで熱した鉄板に落とすバタのようにハンターたちが瞬時に蒸発していく(含む自分)。そんで、いま私がやってんのは一回こっきりの「特別任務」で、クリアできたらミラボレアス討伐自体が「フリークエスト」へと移行すんのね。クリアできなきゃ「特別任務」をやり続けるしかなくって、これってつまり、毒虫を共食いさせる例の儀式の壺の逆バージョンで、日を追うにつれてどんどんヘタクソで弱いヤツが濃縮してく仕組みになってんの。何度も敗退を繰り返すうち、自分が反射神経の衰えたゲーム下手の中年美少女で、フレンドもおらずギルドに入るコミュ力も無い、リアルをそのまま反映したゲームライフに涙が出てくんのよ。で、しょうがないからせめて装備だけでも作って終わろうと思うんだけど、それ以外の素材は腐るほどあるのに邪眼だけが足りない。それもそのはず、邪眼って剥ぎ取りか頭部を二段階破壊しないと手に入らない上級素材なの。でも、いっかいも討伐したことのない下級モンハンプレイヤーなのに、なんか邪眼がいっこ必要な装備を持ってんのよね。調べてみたら、ネコのぶんどりで1パーセントの確率で手に入るよって書いてある。そっから、名付けて「ぶんどリタイア」マラソンが爆誕するわけよ。「この1パーセントが引けなきゃ、オレは今まで生き残ってこれなかったろうな」っつって根こそぎフランケンごっこしながら半日ほど延々とぶんどっては帰還を繰り返すんだけど、邪眼はゼロ。それ以外の素材は腐るほどあるからぜんぶ売るんだけど、本当に欲しいものは何ひとつ手に入らないのにカネだけが増えていくわけ。技術もなく、仲間もなく、友人もおらず、ただカネだけがしんしんと積もっていくその様子はまさに己の人生を眺めているようで、急に寒くなったこととあいまって、どんどん気が沈んでいくのよ。そんな虚無マラソンの傍らで、ネットフリックスの「ラストダンス」全話を視聴できたことだけが、きょう唯一の収穫でした。もしかして「デカスロン」の、のちに大統領になる黒人選手の人物造詣って、マイケル・ジョーダンを下敷きにしていたのかな、と思いました。モンハンきらい。

 邪眼マラソンの末、一匹もミラボレアスを倒していないにも関わらず、ドラゴン大剣装備が完成した。これがまー、アホみたいにつよい。アルコールを入れながら雑にプレイしても(歴戦王でさえ!)ほとんど死ぬことがなくなり、まさに求めていた理想のモンハンが実現したのであった。このまま終わるのも癪なので、毎日数回ミラボレアスに通ってる。きょうは英雄の証が流れるまで追いこんだが、圧倒的な存在感を示す太刀がひとりで4乙してクエスト失敗となった。ほんとクリアできんの、コレ?

 あと、ミラボレアスの直下ブレスと「あれもモンスターである以上」という台詞にすごくシン・ゴジラみを感じる。

 ミラボレアスたおせた!

 ミラボレアスのアホいてこまして、よっしゃ、ぜんぶの武器つかえるようにしたろゆうてドラゴン装備で防具くみはじめんねんけど、ずっとサボっとったからタマがぜんぜん足らんねん。んで、イベクエながめとったら、滅日あるやん。歴戦テオたおすヤツやねんけど、オスやからか知らんけど、封じられたタマ、確定でみっつも落とすねん(モンスターやし、キンタマみっつついとんかもしらんな)。アマプラでダイ大ながしながら滅日マラソンすんねんけど、声優はんがエエ声でカタカナ2文字に気持ちこめて「ギラ!」とか「イオ!」とかしゃべんの聞いてたら、だんだん恥ずかしゅうなってきて、顔があつなってくんねん。そしたら、うしろから音もたてんとしのびよってきたジャリが首かしげて、「おとうちゃん、こんなんすきなん? きめつみいひんのん?」とかきいてくんのに、「ち、ちげーし! ジャンプ連載時はもっとおもしろかったし! ちんぽデルパ!」とか大声でどなって泣かしてもうたり、もう最悪やねん。まあ、ジャリのくだりは妄想やねんけどね。歴戦テオ周回しまくってて思ったんやけど、いまはやりのキツメのおめこ?のゲーム化は、なんや格ゲーになりそうな気ぃすんねんけど、上弦とのバトルとかモンハンのシステムでワチャワチャやるんがしっくりくるんとちゃうかな。知らんけど。

 そういや特別任務のアルバトリオンたおしてへんわってなって(なって、やて。サブイボたったわ)、ミラボレアスのアホいてこましたあとやからかもしらんけど、装備もものごっつうつよなってるし、ぜんぜんたいしたことあらへんなゆうてヘラヘラ戦っとったら、属性DPSチェック3回もやりよんねんな。野良パーティでノーミスやったのに、3回目のフィールド攻撃でみんなまとめていんでもたわ。モドリ玉もつかわれへんし、フィールドひろうて壁ドンもなかなかでけへんし、なんや難易度の上げ方がごっつゲーム的やねん。環境を利用した本格狩猟アクションみたくはじまったワールドやのに、アイスボーンの最後はどいつもこいつもイー・スポーツやねん。ホンマはらたつわ。

 それと、ちんぽやらおめこやら、かんとの上品な方々にはエゲツない言い方して、えろうすんませんでしたな。かんにんやで、知らんけど。おあいては、しおみまこ、まこまこでしたぁ……ってだれやねん! いま完璧に脳内でセリフが再生されたで、こわっ!

ドラマ「半沢直樹2」感想

 え、だってそうでしょう? 組織名と役職名を明らかにしながら上長の許可も得ないまま業務内容に関する個人の感想を衆人環視の便所壁に書きちらすんですから! もし「ぼくたち、すごくがんばりました!」なんて言いながら納品してくる下請け業者がいれば、その場は笑顔で慇懃に対応しながら次回の契約更新は見送りますね! リーサラ・ウェポンであるッ!

 遅ればせながら、話題のハーフ澤NAOKIをチラ見しておるが、みんな大好き水戸黄門フォーマットーーあちらは開始45分で印籠、こちらは開始45分で土下座ーーを踏襲した銀行歌舞伎がたいへん楽しい(家人はスッと立っていなくなるので、下品な面白さなのだろう)。感心したのはテンポの速さで、最初はまちがって総集編を再生したかと思ったぐらいである。昭和のドラマ(スクール・ウォーズ)で育った身にとっては、10話で終わりなんていうのはほとんど打ち切り(スクール・ウォーズ2)みたいな短さだ。しかしながら、ネット動画のテンポに慣らされた客層を引き戻そうとする工夫と努力には違いなく、そのネットに愛され助けられながら週刊誌フォーマットを脱却できず馬脚をあらわしたマッソー男の態度とは好対照をなしていると言えよう。そして過剰な演技と感情を抜いてみれば、あらためて我が身をふりかえっての日々の仕事の無意味さに気づかされた。世の中の文系仕事はこのドラマのようにマイナスをゼロへ戻すだけの作業に満ちあふれている。現実はもっと淡々としており、面罵も土下座もないままに人が殺されていく。さらに組織内で死んで亡霊になっていることに、当の本人さえ気づいていない場合も多い。社内調整や人間関係のバランス取りに汲々とするばかりで、多くの時間を費やしながら何のプラスも達成できない。これこそが政治を含めた本邦における文系仕事の正体であり、高度に編まれているがゆえに局所的で普遍性を持てないブルシット・ジョブの塊である。

 質問:猊下はトゥー↑、トゥー↑、フォー↓(ハリソンフォードの真似で)・バケーションなのかな。

 回答:いえ、ノー・バケーションでした。謎の定額制サービス「働かせホーダイ!」が適用されていますので。

映画「ミッドサマー」感想

 みんぞくがくにくわしいかしこいせいようじんのぼくがかんがえたさいきょうのいんしゅうときさい、あるいは前置きの長すぎる北欧ポルノ。キリスト教による強固な枠組みを、まったく異なる文化の価値観で揺さぶって怖がらせる、ホステル系の映画と思って大いに期待して視聴を開始しました。まず言いたいのは、緊張感の持続で恐怖を高めるホラーというジャンルに、147分の上映時間は長すぎます(聞けばディレクターズカット版はさらに30分ほど長いようで、余計なシーンや余計な長回しまみれの本編へ、さらに追加する要素があることに驚く)。最初のうちは、奈良コミューン在住なので法の埒外と理解不能性の話や、小鳥猊下という存在は正に異界の体現だ、みたいな話をしようと考えてたけど、開始1時間ぐらいでそんな気分はすっかり消え失せました。ホラーの怖さの本質って「理外にあること」だと思うんですが、本作はすべての場面が理に落ちていて、徹頭徹尾アタマ(西洋の)で作ってる感じがプンプンにおいます。そのくせ、72歳で姥捨てヘルダイブさせる共同体の大祭が90年周期だったり、ディテールたっぷりの儀式がどうやって世代を越えて継承(ヘレディタリー!)されているのか、劇中の情報だけではサッパリわかりません。ならば、そのディテールがよくてきているかと問われれば、「昨夜いたした美女が、翌朝見ると老婆でビックリ」みたいな古典のエピソードが示すように、太陽の光はあらゆるごまかしをまさに”白日の下に”さらす効果があるため、かなりポスプロで色を触ってるはずなのに、セットや小道具のテクスチャから漂ってくる作りごと感をごまかしきれていません。舞台設定にしても、昔なつかしい「人喰いクロンボ土人にさらわれる白人カップル」の逆を描くことでポリコレと新奇さを同時にクリアできると考えたのが着想の出発点ではないかと推測しますが、全体的にとても成功しているーー性交はしていましたがーーとは言えないでしょう。そうそう性交の話です! そもそも、あんな状況で男性のチンコは立ちません、それだけは確実に言えます。気の抜けた、男女の腰の動きがバラバラの(まるで挿入してないみたい!)おセッセ1回で手軽に着床できるなら、不妊治療なんてこの世に存在しないでしょう。閉じられたコミューン内での繁殖問題を真剣に扱うなら、もっと汗みずくの老若児童男女くんずほぐれつの大乱交をこそ描かなきゃダメじゃないですか! だれがだれの父親かわからないから、共同体のみんなが家族って呼びあえるんでしょ! 観客が本当に見たかったのは、大乱交・胎児を子宮からスマッシュ・アウト・ブラザーズ(ひぎぃ)でしょ! ホラ、次回作への素晴らしいアイデアの示唆にお礼は? ありあすたー(ありがとうございました)! あと、本作の白眉である「ババア介添え・だいしゅきホールド」でググッてもゼロ件でバズってる気配がないのは、直後の場面における白人男性のチンコの先端(亀頭)が赤すぎたことへの衝撃が原因ではないでしょうか。

雑文「スターウォーズ・シークエルとBLMについて」

 ジョン・ボイエガがBLMーーくわしくないが、ブラック・マジシャンかボーイズ・ラブ・マニアックの略称と思われるーーについて語っているインタビューを読んだ。スターウォーズ・シークエルにおける自分の扱いの悪さを人種問題の観点で批判しており、さすがに今回ばかりはデ銭を擁護する気分になった。

 「オイオイ、ボイエガちゃん、フィンがああなったのは主にライアン・ジョンソンのクソ野郎の天童よしみ推しが原因で、人種問題はぜんぜん関係ないだろ! それに人種以前の話で、役者としての雰囲気や立ち居振る舞いにサミュエル・L・ジャクソンほどの魅力が無かったのが、次代のメイス・ウィンドゥになれなかった主な理由だろ! 公衆の面前で情動失禁みたいなスピーチしてるヒマがあったら、まず俳優としての未熟さを自分自身の責任と認めて、演技力の研鑽にはげめよ! なんでもかんでもスキン・カラーのせいにするから、みんなだんだんめんどくさくなって、弱い差別から強い不快に変じた感情を心の底へ沈めて、表面上は無視や無関心を装うようになるんだろ!(突如たちあがって、声音を使って小芝居を始める)」

 「(気色ばんで)ええッ、日程を一日延長するだって? 会場費とか人件費とか、どうすんだよ。チケットの払い戻しも出るだろうし、運営スタッフのスケジュールだって押さえなおさなきゃならない。そもそもウチの翌日から別団体が予約いれてたはずだろ?」

 「いま会長が頭下げに回ってるよ。そっちの延長分も、ウチがぜんぶ払う方向で調整するらしい」

 「オイオイ、莫大な労力と費用じゃないか! もちろんアイツの事務所に請求書を送りつけるんだろうな?」

 「バカ言うな。そんなことしたら差別を容認する会社として、ヤツらの標的にされちまう。安くはないカネだが、ひかえめに賛意を表明することで社会的な評判も下げずにすむ。必要な広報費用と考えるんだ」

 「オレは納得いかねえよ。情緒不安定なガキの世迷言に、大の大人が右往左往させられてよ。てめえのコンディションが悪いから、状況を利用してこしゃくな時間かせぎをしてるだけなんじゃねえのか?」

 「かもしれん。だが、本当のところは本人にしかわからんさ。ともかく、いまヤツらはパワーを持ってる。ヤツらの正面に立たないようにすることが肝要だ。表面だけでいいから、逆らわず同調してると思わせるんだよ」

 「ファック、やりきれねえ! ヤツらがやってるのはただの不法行為じゃねえか! いつまで暴力におびえて、こんな理不尽の言いなりにならなきゃいけないんだよ!」

 「すぐさ。幸い、ヤツらを駆動しているのは感情で、強い感情は対象を必要とする受け身なエネルギーだ。大事なのは、それを燃やすフュエルを与えないことさ。くれぐれも本音をネットに書いたりするなよ。そうすれば、じきにガス欠になって鎮火する。いつものようにな」

 「わかったよ、オレも大人になるよ……賛意を表明するメッセージを発出して、サポートしているふりをすることが、ヤツらへの最大の仕返しってわけだな(狡猾な微笑み)」

 「(笑顔でサムズアップ)いいぞ、自分たちの行動で社会が変わったと錯覚させるんだ」

 『このような悪は、なくさなければなりません。私たちは、世界で長いあいだ望まれていた変化へ参画することを約束します。** **、あなたは私たちのヒーローです』

 ……ってなるだろ!(これ以前の文章をすべて名詞化する安易で愚劣な表現)

雑文「東のとしまえん、西の生駒山上遊園地」

 吐死魔怨?とやらがクローズしたようだが、平城宮跡在住の小生にとっては旧エヴァ第弐拾参話におけるアスカの心境であり、降下しながら「なによ、奈良ドリームランドのときは報道しなかったくせに」と、エル・シー・エルに満たされた場所ではありえない、演出としての落涙をいたしている次第である。

 ホワイト・ビーチの熟達による大熊ネコの長寿繁栄はガン無視され、アッパー・フィールドのクソ不手際による大熊ネコの死亡が大きく取り上げられるこんな不均衡の世の中じゃ、ポイズン!

 古都の夢の国はデ銭のボスを激怒させ、鬼畜米英からのガイアツで潰されてしまった。だが、としまえんとほぼ同時期、1929年に設立された生駒山上遊園地は未だに健在であり、遊具から食堂から、「昭和のコールドスリープ」としか形容できない仕上がりで、訪れるたびにタイムスリップの気分を味わえる。

 カントン在住の貴様らは、としまえんロスとやらを慰撫するため、「ちょっと東京へ行ってはる」エンペラーを拉致同道した上で本来の意味での帰京を敢行し、生駒ケーブルを利用するがよい(戦時中、帝国海軍が大阪湾の哨戒に用いた本邦最古の大型遊具・飛行塔から手を振りながら)。

よい大人のギャグ講座

 (ローマ風の貫頭衣を着た男が寝そべって緑茶をかけたシリアルを口元へ運びながら)シリアル・エクスペリメンツ・レインッ!

 やあ、おひさしぶり、みんなのトゥレットだ。ツイッターの伝道師? いや、ただの人間のトゥレットだよ。さて、先ほど放たれた至高のギャグにクスりともしなかったというなら、君は感性の深刻な磨耗を疑ったほうがいいだろう。だが、単純に教養の問題であることを勘案して、今日は特別に稀代のキング・ギャグ・メイカーである私から解説を行おうじゃないか。

 まずシリアルだけど、連続を意味するserialと食品のcerealをカタカナ英語の特性を利用して、意図的に誤読している。次にエクスペリメンツはexperimentsであり、実験を意味している。科学のそれではなく、「実験的な作品」といった文脈での意味合いでの使用だ。最後にレインだけど、横たえるを意味するlieの過去分詞形lainのことだ。これは「横たえられた」という意味で扱っている。ここまでで解説としては十分な気がするが、最近の私は君たちの無視・無音に識字の問題や文盲的な要素があるのではないかと深刻に疑っている。なので、さらに説明していこう。

 まずレインから、ローマ時代の横になってする食事方式が記述される。世界史の知識がわずかにでもあれば、この連想は簡単だろう。これにより、古代ローマ人が現代のシリアルを食するという可笑しさが生じることになる。次に、エクスペリメンツから「シリアルの実験的な食べ方」と着想し、ふつうはミルクなどをかけるところへ緑茶を用いている。ここには少々、思考の飛躍が必要だね。え、なんだって? コーヒーとかコーラのほうが面白くないッスか?だって?

 ほざけ、アリオン、人の子のぶんざいで! 酒の入った席での珍妙なイントネーションによる発語へ向けられた失禁的な笑いをギャグだと勘違いできるほど低偏差値の大学生風情めが! コーヒーやコーラをかけてシリアル食ってるアメリカ人なんてふつうにいそうだろ! 西洋のものに東洋のものをぶっかけ(bukkake)るからこそ、現実を超越したギャグ時空を形成できるんだろ! おまえみたいな低知能に高尚なギャグの理解なんて無理だよ! ダーイ、ダイ・スーン!

 緑茶を採用したことによって、羊の東西・時代の新古を重層的に配する結果となり、非常に深みのあるギャグ、一過性ではなく幾度も笑うことのできる耐久力のあるギャグに仕上がっているのがおわかりいただけたかと思う。

 余談だけど、今回のギャグに用いたアニメの最終回はプルーストの大著「失われた時を求めて」に登場したアイデアを下敷きにしている。そう、においが記憶のトリガーになるというあまりにも有名な、あのギミックだ。オンラインでの交流が偽りであるのは、においを欠いている点が大きいと思う。大学時代、居酒屋で交わした君との何気ない会話は、脂やレモンや雨のにおいで幾度も反芻される。一方、Zoomで交わした君との会話は、においというトリガーを持てないがゆえに、二度と思い出されない記憶の底へと沈むだろう。イヤホンをつっこんだ耳は空間の把握を失わせ、においのない動画は記憶の立体化を妨げ、そうして四畳半一間の個室に閉じこめられた君は、本来の現実の何分の一にも減じた贋作を、これこそが真作だと信じるようになる。

 為政者にとって人々が集うときに生じる混沌は、予測不能でありコントロールできないという点で、最も封じておきたい事象のひとつであることは疑いがない。どうか、一過性の何かに人間を去勢されないように! この世には、君たちの人間が弱っていくことを喜ぶ者たちが確かにいるのだから。そして、不織布の内側のつばきのにおいが、どうか私たちの不幸せな記憶と直結しませんように!

 おわり(制作・著作NWO)

ゲーム「2020年のFGO」雑文集

 コノヤロー、他人の日本銀行券で食うライチはうめえか(皮ごと口腔へ突っ込みながら)! 世界三大テキストサイト運営者であるッ! ちなみに他2つは、HEXAGONとウガニクのホームページ。

 彼の編む崇高さに私などが何を付け加えることもできないが、最大限ひかえめに表現してたとしてファンガスの筆によるFGOこそが、いま読まれるべき、いま読まなければならない世界文学のひとつであるとの断言を過分な評価とは感じない。見るものによっては完全な絵空事と映るに違いない荒唐無稽の物語が、これだけ今日的なテーマを深く内包し、その答えへ肉薄していく様に、ほとんど奇跡を目の当たりにするような感動さえ覚える。第2部第5章の前半と後半を比較してわかるように、ファンガスはFGOを創造した神なればこそ、この世界を構成する真理の隅々へと通暁しており、預けられた設定を手さぐりに書き進める共著者(?)の書き様と比して、その解像度が圧倒的に違う。ブラウン管と4Kテレビくらい違う。以前からの繰り返しになるが、ファンガス以外の書き手たちは、己の技量の低さと彼我の力量の差に恥じ入り、少なくとも本編にはもう関わらないで欲しい。FGO最大のステークホルダーである重課金者からのお願いだ。

 さて、緩急自在、息もつかせぬ展開の連続から、至高の物語はその最高潮でいったんの幕となった。正直、ファンガスの趣味嗜好であるツンデレ女子まる出しのラスボスや、すでに語りつくされたブリテンとアーサー王をどうも再話しそうな感じや、上がりきったハードルをさらにクリアできるのか不安は残る。しかし、ファンガスなら必ず成し遂げてくれるはずだ。私がFGOを続ける理由は、物語ることへの彼の誠実さに向けた信頼である。ブラヴォ、FGO! ブラヴォ、ファンガス!

 あと、塩野七生の著作群を愛する小生は、FGOでのローマ周辺の扱いへ不快に近い不満を抱き続けておりましたが、第2部第5章の終盤で若干、溜飲が下がったことを最後に伝えておきます。そして、FGO世界の神であるファンガスがみずからの自我を仮託したアバターとも言うべきキャラクターが何人かーードクター、マーリン、宮本武蔵、そしてたぶん清少納言ーーおりますが、クリプターのリーダーは正にその一人だったと感じました。

 『人間はみんな、頑張っているんだよ。』

 ゼウスの登場テーマ、メガテンのボス曲みたいだったなー。

 エフェメロンでた! ここ、わたしの日記帳なんで、状況だけ書き残しておくね。FGOの新イベント読みながら空島でアイエロにシャンシャンしてたのね。人狼の館ってチャプターだったんだけど、これがまたクッソつまんないわけ。たぶん、セイレム(アビーの幕間)と同じライターだと思うんだけど、理詰めで緻密な展開をカッコつけて思わせぶり書こうとして、途中でめんどくさくなったかファンガスほどの力量がないか(たぶん後者)で、いい加減に最後をブン投げるとこなんか、ほんとソックリ。おまけに今回のシステムとも水と油(なぜかメインであるはずのスゴロク盤から切り離されて、分岐なしのつまらないシナリオを延々と読まされる)で、コイツといいアガルタといい、昔からの友人とか弱みを握られている女性とか(たぶん両方)を登用すんのやめろよって、FF11に数年間かけて渡してきた以上の金額がクソガチャで一瞬に蒸発したことへの申し訳なさもあいまってイッライラしてたんだけど、エフェメロンが出た瞬間にドーパミン過多の脳内ヘブン状態になって、ぜんぶどうでもよくなりました。あと、「やっぱりFGOは最高です! シナリオが時限式の公開なのはセイレムのときと同じで〆切を守れない書き手だからですよね!」って思いました。

 ひどいこと言うので、慇懃な口調で書きますね。今回のレクイエム(FGOへの?)だかいうコラボイベントのことです。わたしがエフジーオーをすばらしいと思うのは、いちばん質のいいテキストがいちばん評価されていちばんカネをもらうという、単純だけれど、かつてのテキストサイト群が達成できなかったことをやってのけているところです。そしていちばんカネをかせげば、世界の大半を占めるテキストのクオリティなぞ薬にもしたくない人々からも敬意を集めることができます。この敬意というのはぞんがい大切な要素で、かつて面白いテキストで鳴らした運営者たちのその後を追いかけるにつけ、ますますそう思うようになりました。テキスト書き一筋でまだ頑張っている方々はいま、自分の技術を体系として教えたがったり、大きな組織に企画力で取り上げられたがったり、公に認められたいという気持ちが前面に出てきていて、見ていて辛くなってきます。人生も半ばにさしかかってから、自分の持ち物が面白いテキストを書く能力だけという悲しみは、本当に身につまされます。最近になって特に思うのですが、例の禿頭の御大も言うように、表現を志す者にとって重要なのは、絵や文章がうまいとかのスキルではなく、「語るべき物語を持っているかどうか」に尽きます。己の物語を持たないテキスト書きの末路には、暗澹たるものがあります。物語の欠落を社会的な評価、つまり他者の物語で埋めようとし始めるからです。逆に、己の物語を持っていたテキスト書きは、とても幸福そうに見えるのです。

 話がだいぶ横にそれました。今回のエフジーオーのイベントはファンガスが成し遂げた、すべてのテキスト書きがうらやむ偉大なる達成に気づきもせぬ無神経の輩による低クオリティの中身であり、わたしは強い憤りを禁じえません。テキストの低劣さに反して、グラフィックやギミックなどはかなりの労力をかけて作りこまれていて、他のイベントに比してもこの書き手に対する周囲の期待値の高さがうかがえます。にもかかわらず、その高い期待に対して、ファンガスが築いた最高のテキスト発表装置であるエフジーオーに対して、この書き手はセイレムに引き続き、またも裏切りで応えました。今回のイベントは、きっと素晴らしいテキストをつむいでくれるはずだから、最大のサポートをしてやろうという周囲の想いが伝わってくるがゆえに、この書き手のクズさがいっそう際立つという悲しい逆説に満ちています。繰り返しますが、アガルタとセイレムはエフジーオーに見あわぬ力量の書き手であり、もう関わらせぬほうがよろしいかと存じます。

 エフ・ジー・オー、小生のフレドンならすでにご存じのことと思うが、話題の環境破壊・人権マッカレルをサクッと重ねて、オール・スキル10にて畏れ多くも貸し出しを許可しておる。5年もプレイし続けているとキャラの性能なんて、正直どうでもいい。レベル100にしてコマンド・カードもギンギンに鍛えた全体宝具バスター・バーサーカー3体にNP100礼装をつけ、ボタンを3回押して戦闘を終わらせることが最適解のゲームで、わざわざボタンを押す回数を増やす気にはなれない。例えると、波動拳や昇龍拳をからめたコンボの練習をするぐらいなら、めくり大キックからの小足6発でいいみたいなものだ(情報が古いし、例えになっていない)。倒しきれなければスキルボタンを押す回数を増やすだけだし、それでもダメなら120円玉a.k.a.聖晶石の連コインですべてが解決する。出ッ歯の諸君が興奮した早口でまくしたてるところのアーツ・システムとやらは、ストロー級アジア人がするチェーンパンチだか飛燕の連撃だかいうヤツで、身長2メートル体重100キロ超のヘビー級黒人にすれば、体重を乗せたジャブ一発で消しとぶ何かに過ぎないのだ。

 まだ脂肪の乗らない薄い皮膚の下へ、きちんと内蔵と骨格を感じさせる描きぶりは真正のPDF(欧米におけるペドフィリアの略称)による仕事と認定する。しかも、健康に日焼けした光り輝く肌だけでなく、陽を浴びず病的にくすんだ肌のテクスチャまでが再現されており、nWoに引かないという選択肢は無い。一年半ぶりの驚くようなビッグ・スワンプであるが、後退のネジはすでに外しており、さんざん小細工をろうした後は、引けるまで最高額の日本銀行券をシュレッダーに差し込み続けるだけの作業に過ぎず、昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏な状況と言えるだろう(無表情で涙を流しながら)。

 まさに、アビー叫喚の巷(血股、つまり破瓜の意)と化した今回のブラッディ・ガチャ(got you)だが、最後の最後でようやく小鳥猊下の理想的なアバターを引き当てることができた。レベル100は紳士のたしなみとして、スキルをオール10にしようとしたところで、またぞろタマゴを要求されてウンザリする。もう5年もプレイしており、骨や塵や頁はレム物語第九章ほど(FF11語で、捨てるほどの意)あるのに、タマゴや金平糖のような新素材は報酬の枠を越えた数を要求される。金リンゴはグロス単位の備蓄があり、集まるまでボタンを3回押す作業をユーザーへ強制し続けることに、いったい何の意味があるのか。FF11のような古きMMORPGのレベルデザインを悪い意味で踏襲しており、より単純なゲーム性のスマホアプリにはなじまず、早急に解消すべき過ちであると進言し申し上げたい。半島産電動玉はじきのように、少ない報酬で射幸心を煽るのではなく、もっとファンガスのテキストが持つ力を信じるべきだと思う。

 (金髪白皙の美少女が笑顔のアップで)奈良ドリームランズ! 小鳥猊下であるッ!

 スキル3にタマゴ15個つっこんで、「まさかこっからカケラとか要求して露骨な足止めなんかしないよねー」などとヘラッていたら、次の必要素材欄に金平糖15個が輝いているのを見て謎の感情が高まり、思わずアイホンのフレームが歪むくらい両手に力が入ってしまった。さすがにPS4のコントローラーとは値段の桁が違うので思いとどまったが、しばらくエフ・ジー・オーとは距離を置くことにしたい。諸君のフレンドにレベル100スキル7/7/10のアビー(辞任しないほう)を見かけたら、運営の無理解にセレストリアル・ラブを中絶させられた紳士がいたことを思い出して下さい。

 うん? 今回のイベントの感想? んもう、あえて言及してこなかった理由をわざわざ聞き出そうとしないでよ! 呪いのビデオとか、蓬莱・徐福・不老不死(面白くなりそう!)とか、冒頭とビルドアップの部分は悪くなかったけど、終わってみての印象は、誰かが途中でめんどくさくなって放り投げたのを、別の誰かがひろいあげて尻ぬぐいしたんだなって感じ。前半と後半がチグハグで、伏線とおぼしきものもグチャグチャ。言いたくないけど、どうせまたセイレムのしわざでしょ? ピックアップ2以降、ユーザーがみんなパンケーキ(ときどき徐福のガワ)の話しかしないの、中盤以降のシナリオに見るべきところが無さすぎて、好きなものを悪く言わないよう、うっかり罵倒にならないよう、新規層へのネガティブ・キャンペーンにならないよう、アニバーサリーのご祝儀ですすんで焦点をズラしてくれてるだけだからね。復刻3連発をクソイベ2発でサンドイッチする5周年じゃ、ファンの配慮による優しい世界も長くは続かないと思いました。

 あと、エピローグ部分だけど、1文目から「釈然」の使い方がおかしくて、初見なのにイラッとして全スキップしちゃった。ほらアタシ、二十年間ノーペイで書いてるから、カネもらってる文章がいい加減だと反射的にぶち転がし(buchikoroshi)てやりたくなるのよね。素敵なペッティングを期待してベッドに横たわっていたら、いきなりツメ切ってない指で陰核さわられたんで、思わずキンタマ蹴りあげたって感じかしら。ねえアナタ、月商・百億円なんでしょう? 斜陽の新聞広告なんかにカネ払ってないで、校正の部署とまでは言わないから、それ専門の職員をひとり雇いなさいよ。そのくらい贅沢してもバチは当たらないわよ。いい? テキストにはいちばん気を使わなくちゃダメ! アナタが他のアプリを圧倒できる美点はテキストだけなんだから!(途中から接尾語-deluxeで)。

 小鳥猊下がアビー(議員ではないほう)の最終再臨絵の肩の表現を眺めながら。「うーむ、何を資料にして描いたか確認するのが怖くなってくるようなPDFぶりだな……」

 貴様らはひさしぶりのボックスガチャ登場に甲高い奇声をあげて大興奮のズンドコのようだが、いま小生の気分はたいそう沈んでいる。今後もエフ・ジー・オーを続けていくならば、可能な限り多くのボックスを開け、素材やポイントを備蓄した方がいいのはわかっている。しかしながら、素材と金リンゴを交換するためだけにタンポポのせが如きライン工的単純作業へ費やすだろう時間は、非可換のクリエイティブに身をやつす我が身にとって虚無としか形容のしようがない。この憂鬱の正体は、カンコレのイベントに近い。つまり、効率を追い求めるあまりゲームが仕事とイコールに、主体的な楽しみのはずが押しつけられた義務感になるあの感じだ。ツッタイーを眺めてると、例の環境破壊キャスターを使った伝説級3ターン攻略の動画が上がっててイヤイヤの薄目で見るんだけど、コチャコチャ神経症みたいに何回も何回もスキルボタン押してオーダーチェンジまでしてゼイゼイ言いながら倒してーー古い記憶だけど、MTGのMoMaのプレイングを見てる感じに似てるーードヤッてんのにウンザリする。まえに黒人とアジア人の例えを出したけど、初手ステラからのレベル100エヌ・ピー100バスター・ゴリラ宝具3連発でも同じ3ターンなのよ。これを例えるなら、先に失神した方が負けの24時間耐久将棋戦で相手の顔面をグーで殴ることがルールとして禁じられていないみたいなもの。あと、今回のシミュレーション・パートにしても初回こそ新しいゲーム性に一瞬オッと思わされたものの、エー・アイがアホすぎて、無敵・回避持ちのバスター・ゴリラ2体を吶喊させ、片方をオトリにしてボスへ3回さわるだけのゲームだとすぐに判明してしまった(対人なら面白いかもしれないことを付け加えておく)。これを例えるなら、先に気絶した方が負けの24時間耐久囲碁戦で相手の頭頂にネリチャギをかますことがルールで禁じられていないみたいなもの。

 話をボックスガチャへ戻すが、通常ガチャに払う分の課金でアルバイトを雇って周回を代行してもらうことを真剣に考えるぐらい、自分の手でプレイすることを想像すると憂鬱になり、びっくりするほどやる気が起こらない。え、いつもの家人とやらにたのんで代わりに周回してもらえばいいじゃないですか、だって? バカモノ! 二次元女性の痴態と嬌声に三次元商売女の一時的なそれらと同じだけのカネを支払うような異常なゲームをやっていることを身近なだれかに知らせるなんてできるわけないだろ! おたく趣味への世間的な態度はビー・エル・エムと同じで、みんな強い差別心を公では表明できなくなってるだけだろ! 「おたく趣味はすでに市民権を得てまして~」みたいに出ッ歯の裏声でヘラッてるから、アンドロフォビアの自称・活動家に発見されて粘着されたあげく、おまえはおまえでいつまでもホーム・アローン(婉曲的な表現)なんだよ! おたく趣味を身内にであっても一切表明せず、なんなら死後に遺品で判明するなんていうのは、当たり前の現実認識から来る常識以前の処世術だろ! エヌ・ダブユ・オーの読者なら、いい加減に覚えてくれよ!

 うん? 最近エフジーオーの話しませんね、だと? エセ関西弁がしばらくのマイブームーー少なくない数を敵に回したようだーーだったこともあり、ふつうに読める内容の細かな瑕疵を、わざわざ文字化することもなかろうと考えていた。よって、これから記述するのは深夜のファミレスで気のおけない友人とダベる席での、朝日とともに消えてしまうようなたわごととして聞いてもらいたい。なに、そういうのにぴったりの新機能があるんですよ、だと? たわけが! なぜか俺のツイッターには貴様らが激しく言及しているところのフリーセックスだかわんぱくフリッパーだかいう機能が実装されておらず、キツネにデリケートゾーンをつままれて(ひぎぃ)いるような気分である。邪馬台国はよかったです。技巧に走らず修辞を飾らず、シンプルなテキストで最小限を語る。話の落とし方が本質的に4コマ漫画で、もうちょっと読みたいなというタイミングでバサッと切るのが、ふつうのテキスト書きにはない個性で面白かったです。んで、いまやってる潜水艦のイベントですけど、めずらしいことにだれがテキストを書いたかあらかじめ明示されてて、よっぽど自信があるんだろうなと思いながら読みはじめました。冒頭はジェネリック・ファンガスといった感じで読ませるテキストと感じましたが、後半の解決編へ進むにつれて語彙選択の硬軟でファンガスより硬を選ぶ比重がかなり高い(2部3章ほどではない)ことが気になりだし、それに加えてかゆいところをかいてくれないもどかしさがつのるようになりました。「そこもうええから、もっと説明せなあかんとこあるんちゃうか?」って感じです(関西弁をすいません)。良いシナリオって、読者がかいてほしい「かゆみ」の個所を適切な強さで「かゆみ」が解消するまでキチンとかいてくれるかどうかが最大のキモだと思うんですよね。今回ファンガスのジェネリックを体験して、ファンガス本人のテキストがいかに適切な語彙で必要な個所を過不足なく説明しているかがわかりました。その点だけはよかったです。あと、ミステリー的な仕掛けについても、その結論に至る伏線を説明してくれるんですけど、納得感がないから驚きにつながらないんですよね。「いや、そらわからんやろ、ちょっと無理があるで。わしらキミのオナニー見るために高いカネ払っとんちゃうで」というのが正直な感想です。星5を同時に2体もガチャへぶちこみ、高いカネを払わせるイベントになっているから、なおさら読み手の視点は厳しくなります(下品な関西弁はすいませんでした)。まだ第5幕と終幕を残している段階での感想なので、この印象がくつがえるのを強く期待しています。

だい5まく いま くりあした

しょうぎばん が ごばんだったってゆうの
げーむしすてむで ひょうげんしとけ

すきゃんのはんい と しょうぎのこまのうごき
ぜんぜん かんけいなくて がっかり

それと フランちゃんの きゃらぞうけい
すぱいあんどふぁみりー の えいきょうか
べつじん れべる

でも かわいいから ゆるす

 潜水艦のやつクリア。終幕のどんでん返し(知ってた)から、楊貴妃が手元にあって嬉しいキャラに化けたのはとてもよかったです。ファンガスのお気に入りの知性を下げず対等に会話させ、説得力を保ったまま少し押しこんで話を終えたのには、確かな筆力を見ました。あのキャラってファンガスにしかさわれないと思ってたので、どこまで監修が入ってるかはわかりませんが、本当に信頼されてるんだなーって感じました。何かを持ち上げるために何かを下げるのって最悪(おまえが言うな!)だし、アホのメンヘラ女が自傷で主人公に記憶されたい(第2部5章前半かよ!)みたいのも本当に気持ち悪いですからね! あと、最後の種あかしなんですけど、クトゥルフ神話のコアなファンは口の端を歪めてニヤニヤしながら「ア・ハーン」って感じなんでしょうけど、こちとら黒の断章と邪神伝説シリーズと輝くトラペゾヘドロンの知識しかないので、固有名詞を伏せられたままでは何のことやらサッパリわかりませんでした。

 「あれッスよね、サイバーパンク2077みたいなスゲーのが8,000円ぐらいで遊べるのを考えたら、FGOの星5一体に1万円とか払うのが馬鹿らしくーー」

「……高くない」

「え?」

「考えをあらためたまえッ! 伊吹童子に1万円は、けっして高くはないッ! 私は3万円はらっても一向にかまわんッ!」

「で、でも」

「たしかに君の言う通り、本編に登場した伊吹童子なら、聖晶石3個でもおしいくらいです」

「い、言ってません。言ってない」

「恨むなら、このキャラの魅力をシナリオ上で百分の一も描写できなかったライターの無能を恨みなさいッ!」

「言ってないよーッ!」

漫画「こづかい万歳」感想

 ネットでの流行りに影響を受けやすいリバース(吐瀉)・アルファ・ブロガーであるところの小生は、おそらくボン・ホリデイズに起因するアンバスおよびリリス(キャバ嬢)混雑の待ち時間を埋めるために、本作をぴえん・ぱおん・アマゾンでサクッと購入して読了した。そしておそらく、物質的な優越に基づいたタチの悪い大笑いのファースト・インプレッションが通り過ぎると次第に怖くなっていき、いま現在も進行形で怖くなり続けている。

 夫はこづかいの内訳に窮々とするばかりで家計全体を把握しているのが妻だけというのが怖いし、夫が自由業で妻が専業主婦(のように見える)なのが怖いし、四十五歳で未就学児を二人も抱えていることが怖いし、夫が何か事故(バイクが趣味なのも怖い)にあったり大病をしたらと思うと怖いし、子どもたちに器質的な疾患や発達の問題が発覚したらと思うと怖いし、妻が裏でホストに貢いだり不倫して逃げたりしたらと思うと怖いし、この家族の周囲に頼れる親族の気配がまったくないのが怖いし、とにかく本作の一家には人生にまま起こりうる突発的なアクシデントへ対応するマージンが一切ないのが怖い。私は長い間ずっと生きることが怖かったが、これから過ごす時間をこれまで過ごした時間が上回り、この瞬間に我が身が消えたとしても残された者たちは少し悲しんだ後、それぞれの人生をやっていくだろうと思えるようになってから、ようやく生きることの怖さが薄らいできた。

 少し話がそれるが、特に私生活をネタにする漫画家は自分や身内にマイナスの出来事がふりかかった場合、それをネタに昇華できるかがポイントだと思っている。例えば、私がサイバラ女史をはじめて知ったのは「まあじゃんほうろうき」の3巻だった。この巻からすでに現在へ至るキャラと絵柄が確立しており安心して見ていられるが、同作品の1巻(と2巻の途中まで)はまったくひどいものだった。没個性で絵もヘタクソ、麻雀業界には珍しいから声をかけられた「美大卒の若い女性」以外の何者でもなかった。「まあじゃんほうろうき」の1巻で消えてしまったサイバラ女史を想像する怖さが、この漫画にはある。

 もしかすると、作者自身やその家族へすでに何か大きな不幸が訪れていて、いま読者たちは「半地下の家族」の前半部分を笑っている状態なのではないかと思うと、本当に怖くなってくる。2巻、3巻と読み進めるうち、数十円、数百円の駄菓子に貧困の苦しみを慰撫されていた者たちが、家族にふりかかった不幸をきっかけとして格差社会に飼い殺されている事実へ気づかされ、暴力的な蜂起へと至る後半部分がこの先に待ち構えているのではないかーー私は、いまこの瞬間も怖くなり続けている。

 「こづかい万歳」の2巻と3巻をまとめて読む。1巻の感想で冗談みたいに書いたことが、いよいよ本格的に冗談ではなくなってきた感じ。作者がホラーだと意図せぬままにつむぐ極上のホラー、本邦の大衆が陥っている袋小路を絵柄だけは剽軽に、これ以上ない生々しさで描き出している。我が子に安い中古の玩具を買い与え、その審美眼を養うでもない、家名を継がせるでもない、「末は博士か大臣か」を期待するでもない、己の自我を延長しただけの、ペットにするのと同じ飼育。自我の未分化なうちの服従をそれと認めないままキャラ化して、SNSやフィクションに己の人生の一部として登場させる愚かしさ。寿命や品性をベニスの商人よろしく「肉の量り売り」にすることを「節約」なる言葉にすりかえる浅はかさ。作り手はそれらをユーモラスで肯定的なギャグとして描こうとしているのに、読み手にとって本邦の悲惨な現状を見せつけるドキュメンタリー作品としか受け取れないレベルにまで到達している。個人的な感覚を言えば、他人の手垢がついたものなど触りたくもないし、どこの馬の骨が運んだかわからない食糧に口をつけるなんて想像するだけでゾッとする。そして、私の感覚の方が本邦においてはマイノリティになりつつある事実に、絶望的な気分にさせられている。いよいよ、我が人生に「森の生活」を実践する季節が訪れており、すべてから切断された場所でひとり隠遁する他ないのやも知れぬ。

映画「パラサイト 半地下の家族」感想

 『なんだかここで結婚したような気がするし、ここで生まれたような気がする』

 視聴後、最初に思ったのは万引き家族と同じ手法を使っているなということ。つまり、弱者による明確な犯罪行為へ感情移入させ、自分が同じ立場だとしたら同じ行動を取っただろうと思わせることで、現行の社会システムの不足や不備を可視化させるやり方だ。本作で言えば社会的階級と結びついた「臭い」がそれであり、執拗に臭いを言われた後に目の前で鼻をつままれれば、私でも殺すかもしれないと感じさせてしまうところが他のメディアにはない映画芸術の一種、暴力的なまでの伝播力である。前半の一時間はコメディタッチで描かれ、半地下に住む家族の貧しさを安全圏の観客として笑わせておいて、後半のパートでは貧しい人々を笑ってしまったその事実こそが差別に気づかず虐げる側と同じふるまいであることを強烈に突きつけられるという構成になっており、視界にあり理解もしていると思っていたものが全く別の何かに変じていく落差が見事である。万引き家族が枯淡の味わいだったのに対して、本作は彼の国の伝統料理を思わせる濃い味付けで、それぞれの社会に対する両作品の価値は完全に等価でありながら、後者がアカデミー賞受賞へと至った理由なのだろう。もう一つ要因を挙げるならば、彼の国はハイパー格差社会でありながら、対外的には巨大電子機器会社ときらびやかな芸能活動を全面に押し出して、実状を糊塗する宣伝ばかりが行われてきた。そこへ非常にリアルな社会風刺の作品が現れたのだから、初代ゴジラではないが、そのインパクトが西洋にとって大きかったのかもしれない。個人的なことを言えば、家人が彼の国の芸能イコール虚構へ耽溺していく様を苦々しく見ていたこともあり、西洋の審査員と同じく評価のパラダイムシフト的なものが生じた。この視点を持つ人物がいるなら、彼の国は大丈夫なのだろう。

 あと、是枝監督的な上手さを指摘するなら、金持ちほど西洋文化に傾倒してゆき、貧乏人の中に父を敬い救おうとする儒教精神が息づいているという描き方がそれだ。冷静に考えれば常に正となるテーゼではないのだが、物語の中への落とし込み方が巧みなので、否応に真実として受けとめさせられてしまう。社会の半数以上を占める貧しき人々を共犯者にする、狡猾きわまるたくらみだと思う。

 それと、ものすごいひさしぶりに韓国映画みたなー、いつ以来だったかなーと考えてたら、火山高ぶりだった。

ゲーム「FF11の思い出」雑文集

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6
ゲーム「FF11の思い出」その7

 だれもいないバルクルム砂丘でフェイスとレベル上げしてたら、なつかしさに涙が出てきた。うまく言えないけど、ファミコン時代の2Dゲームは現実のできごとと結びついた「思い出」だけど、PS2以降の3Dゲームは現実のできごとと切り離された「記憶」になってる気がする。ここが多くの冒険者でにぎわっていた頃、自分が現実で何をしていたかは覚えていないけど、フェイスによる挑発の効果音が響きわたった瞬間、「レベル上げしませんか?こちら戦シモ黒」みたいな赤文字のtellをまざまざと幻視して、水底に沈んだ巨大な伽藍としてのヴァナ・ディールが痛切に胸へ迫った。幼少期を過ごしたいくつかの町のひとつのように、通いなじんだ公園にはマンションが建てられボロアパートは更地にされていて、いっしょに遊んだはずのあの子はもう顔も名前も思い出せない。けれど、かつてここに住んでいたという感覚だけが、いつまでも残っている。

 質問:FF11おもしろそうですね、やってみようかな。。。

 回答:うーん、レタスと聞いて野菜じゃないほう、核熱と聞いて原子爆弾じゃないほう、トレインと聞いてブルーハーツじゃないほうが即座に思い浮かぶ、75時代の住人でない限りはオススメしない。さっきも書いたけど、駅前がシャッター通りの、山肌にへばりつくようなベッドタウンは、そこで幼少期を過ごした者なら、そぞろ歩くだけで一日中をメランコリックな感傷にひたって過ごすことができるが、そうでない者にとっては、過疎で死んでいく土地のひとつに過ぎない。ただ、文芸だけはいい。すごくいい。これなんて、J.R.R.トールキンの筆だって言われても信じちゃうぐらい(言い過ぎ)。

 「いずれ長い時を経てそれは、吟遊詩人の奏でる唄となり、真冬に炉端で語られる昔話になるやもしれない。だが、そもそもの始まりはこうだ。ある日1人の冒険者が、サンドリアの地に降り立った……」

 よし、ひと通りストーリーだけ追うために無料期間中のみプレイするのはいいけど、終わったら必ずキャラデリするんだぞ!

 ヴァナ・ディールの星唄の最終章を惜しみながら進めてて、最初のキャラで見てるから2回目なんだけど、11のストーリーの総まとめであると同時に6まで、もっと厳密に言えば3までの初期ファイナルファンタジーの世界観の集大成になってて、オールドファンにはすごくグッとくるわけ。シリーズのエンディング感さえ、漂ってくる仕上がりなのよ。エンディングと聞いて思い出すのは、数年前にネ・ジツだったかで見た書きこみなんだけど、サービス終了の瞬間、キャラをログアウトさせずにル・ルデの庭へ置いてたら、自分が死んだあとヴァナ・ディールに転生できるかな、みたい内容なの。冗談めかしているのにどこか深刻な気配をはらんでいて、いったいどんな素性の人がどんな気持ちでこれを書きこんだんだろうと、いまでもときどき思い出すことがある。人にここまで言わせるゲームって、ある?

 カイポッシュ! ちゅどーん! (黒コゲの大の字で横たわるミスラとタルタル、口からドリフ的な煙を吐きながら)この食料品店、まいど過剰防衛が過ぎるやろ……(流れ出す軽躁的な音楽)ちゃーちゃーちゃーちゃらららちゃちゃっ。

 ナッシング・コンペアーズ・トゥ・FF11! 貴様らに近況を報告しておくなら、念願のイドリスをゲットしたものの、某霊界探偵の敵キャラみたくレベル99にしてからラスボスへ挑む性分が鎌首をもたげて、殴り武器として使わないからモヤらせる必要なんてまったくないのに、いちマンコの餅鉄を納品し始めてしまった。朝は起床してすぐ複アカでドメインに参加してから路上のムシロへ出勤して、夜はサバ缶にたまった小銭を煮沸消毒するかたわらでキッチリ7匹うなぎを倒してから就寝する。日中ストリートでする労働のほうが休まるぐらいの勤勉ぶりであり、餅鉄をドロップのみで3000個くらい納めたところで、楽しいはずのオススメを苦しいものにしているのは、他ならぬ自分ではないかと我にかえった。そこから複アカでの効率プレイをスッパリ止めて、メインキャラでのアルタナミッション攻略を再開した次第である。どうも前キャラはカルゴナルゴ砦防衛戦ぐらいで引退していたようで、中盤以降はまったくのご新規さんとしてストーリーを楽しむことができた。10年以上前のエキスパンションなのに少しも古びておらず、文芸のすばらしさは言わずもがな、イベントパートの演出がいいし、有名アニメーターが関わっている?せいだろうかキャラの動きがいいし、構図もいちいちキマッている。ズヴァール城で助太刀にはいるノユリの台詞がカッコいいし、四つんばいでケット・シーにつめよるリリゼットの動きには思わずふきだすし、星の神子へ吐露するカラハバルハの真情には涙がこぼれた。そうこうするうち、「翼もつ女神」のバトルフィールドに挑戦できるようになって、朝は起床してすぐドメインに複アカで参加してから路上のムシロへ出勤して、夜はサバ缶にたまった小銭を煮沸消毒するかたわらでキッチリ7回キャバ嬢に通ってから就寝する……って、アレ?

 え、FF11はどうなりましたかって? それ、優越感以外の感情で言ってる? 餅鉄いちマンコの納品を終え、イドリスをモヤらせたーーアニメの悪臭エフェクトみたいな緑色で、見た目は最悪ーーにも関わらず、「まだそのときではない」とか言いながら、野良パーティへの参加へ踏み切れずにいる次第である。テキストサイト運営においても、客観的に見て充分なスキルを身につけた後でさえ、「まだそのときではない」と言い続けるうち、ついには公の場に出る機会を失ってしまった。これはある種の精神的な疾患だと思うが、あらゆる技術体系を「道」と称する本邦において、とくだん珍しい症例とは言えないのではないだろうか。よし、これをレベル99シンドロームと名付けよう! マルシー取ったから、使うときは俺に萌え画像を送れよ(輩、「やから」のルビ)!

 3部位から150戦ぐらいノー・ドロップだったマリグナス装備が10戦ほどでそろい、あれだけのビッグ・スワンプをもたらしたアビーが何気ない単発のガチャで宝具を重ねる。幸運も不運も中長期で眺めれば、必ずゼロへと収束する。しばらくは、よほど気を引き締めて日常生活を送らねばなるまい。

 最近、FF11の話しませんねって? こないだ競売に桁をまちがえて出品して、1000万ギルほどの損失を出した。小金は抜け目なくひろうくせに、大金は雑なやり方で逃してしまうのをゲームでもやらかしたことに嫌気がさして、それ以来ぱったりとログインするのをやめてしまった次第である。もちろん、課金は停止していない。1年続けてもエフジーオーのガチャ100連くらいのものだし、この18年に与えてくれたアレコレへの感謝としては安すぎるくらいだ。諸君も私の態度を見習って、「この20年に与えてくれたものへの感謝としては安すぎる」とか言いながら、萌え画像を寄贈して欲しい。

雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」