猫を起こさないように
月: <span>2020年8月</span>
月: 2020年8月

よい大人のギャグ講座

 (ローマ風の貫頭衣を着た男が寝そべって緑茶をかけたシリアルを口元へ運びながら)シリアル・エクスペリメンツ・レインッ!

 やあ、おひさしぶり、みんなのトゥレットだ。ツイッターの伝道師? いや、ただの人間のトゥレットだよ。さて、先ほど放たれた至高のギャグにクスりともしなかったというなら、君は感性の深刻な磨耗を疑ったほうがいいだろう。だが、単純に教養の問題であることを勘案して、今日は特別に稀代のキング・ギャグ・メイカーである私から解説を行おうじゃないか。

 まずシリアルだけど、連続を意味するserialと食品のcerealをカタカナ英語の特性を利用して、意図的に誤読している。次にエクスペリメンツはexperimentsであり、実験を意味している。科学のそれではなく、「実験的な作品」といった文脈での意味合いでの使用だ。最後にレインだけど、横たえるを意味するlieの過去分詞形lainのことだ。これは「横たえられた」という意味で扱っている。ここまでで解説としては十分な気がするが、最近の私は君たちの無視・無音に識字の問題や文盲的な要素があるのではないかと深刻に疑っている。なので、さらに説明していこう。

 まずレインから、ローマ時代の横になってする食事方式が記述される。世界史の知識がわずかにでもあれば、この連想は簡単だろう。これにより、古代ローマ人が現代のシリアルを食するという可笑しさが生じることになる。次に、エクスペリメンツから「シリアルの実験的な食べ方」と着想し、ふつうはミルクなどをかけるところへ緑茶を用いている。ここには少々、思考の飛躍が必要だね。え、なんだって? コーヒーとかコーラのほうが面白くないッスか?だって?

 ほざけ、アリオン、人の子のぶんざいで! 酒の入った席での珍妙なイントネーションによる発語へ向けられた失禁的な笑いをギャグだと勘違いできるほど低偏差値の大学生風情めが! コーヒーやコーラをかけてシリアル食ってるアメリカ人なんてふつうにいそうだろ! 西洋のものに東洋のものをぶっかけ(bukkake)るからこそ、現実を超越したギャグ時空を形成できるんだろ! おまえみたいな低知能に高尚なギャグの理解なんて無理だよ! ダーイ、ダイ・スーン!

 緑茶を採用したことによって、羊の東西・時代の新古を重層的に配する結果となり、非常に深みのあるギャグ、一過性ではなく幾度も笑うことのできる耐久力のあるギャグに仕上がっているのがおわかりいただけたかと思う。

 余談だけど、今回のギャグに用いたアニメの最終回はプルーストの大著「失われた時を求めて」に登場したアイデアを下敷きにしている。そう、においが記憶のトリガーになるというあまりにも有名な、あのギミックだ。オンラインでの交流が偽りであるのは、においを欠いている点が大きいと思う。大学時代、居酒屋で交わした君との何気ない会話は、脂やレモンや雨のにおいで幾度も反芻される。一方、Zoomで交わした君との会話は、においというトリガーを持てないがゆえに、二度と思い出されない記憶の底へと沈むだろう。イヤホンをつっこんだ耳は空間の把握を失わせ、においのない動画は記憶の立体化を妨げ、そうして四畳半一間の個室に閉じこめられた君は、本来の現実の何分の一にも減じた贋作を、これこそが真作だと信じるようになる。

 為政者にとって人々が集うときに生じる混沌は、予測不能でありコントロールできないという点で、最も封じておきたい事象のひとつであることは疑いがない。どうか、一過性の何かに人間を去勢されないように! この世には、君たちの人間が弱っていくことを喜ぶ者たちが確かにいるのだから。そして、不織布の内側のつばきのにおいが、どうか私たちの不幸せな記憶と直結しませんように!

 おわり(制作・著作NWO)

ゲーム「2020年のFGO」雑文集

 コノヤロー、他人の日本銀行券で食うライチはうめえか(皮ごと口腔へ突っ込みながら)! 世界三大テキストサイト運営者であるッ! ちなみに他2つは、HEXAGONとウガニクのホームページ。

 彼の編む崇高さに私などが何を付け加えることもできないが、最大限ひかえめに表現してたとしてファンガスの筆によるFGOこそが、いま読まれるべき、いま読まなければならない世界文学のひとつであるとの断言を過分な評価とは感じない。見るものによっては完全な絵空事と映るに違いない荒唐無稽の物語が、これだけ今日的なテーマを深く内包し、その答えへ肉薄していく様に、ほとんど奇跡を目の当たりにするような感動さえ覚える。第2部第5章の前半と後半を比較してわかるように、ファンガスはFGOを創造した神なればこそ、この世界を構成する真理の隅々へと通暁しており、預けられた設定を手さぐりに書き進める共著者(?)の書き様と比して、その解像度が圧倒的に違う。ブラウン管と4Kテレビくらい違う。以前からの繰り返しになるが、ファンガス以外の書き手たちは、己の技量の低さと彼我の力量の差に恥じ入り、少なくとも本編にはもう関わらないで欲しい。FGO最大のステークホルダーである重課金者からのお願いだ。

 さて、緩急自在、息もつかせぬ展開の連続から、至高の物語はその最高潮でいったんの幕となった。正直、ファンガスの趣味嗜好であるツンデレ女子まる出しのラスボスや、すでに語りつくされたブリテンとアーサー王をどうも再話しそうな感じや、上がりきったハードルをさらにクリアできるのか不安は残る。しかし、ファンガスなら必ず成し遂げてくれるはずだ。私がFGOを続ける理由は、物語ることへの彼の誠実さに向けた信頼である。ブラヴォ、FGO! ブラヴォ、ファンガス!

 あと、塩野七生の著作群を愛する小生は、FGOでのローマ周辺の扱いへ不快に近い不満を抱き続けておりましたが、第2部第5章の終盤で若干、溜飲が下がったことを最後に伝えておきます。そして、FGO世界の神であるファンガスがみずからの自我を仮託したアバターとも言うべきキャラクターが何人かーードクター、マーリン、宮本武蔵、そしてたぶん清少納言ーーおりますが、クリプターのリーダーは正にその一人だったと感じました。

 『人間はみんな、頑張っているんだよ。』

 ゼウスの登場テーマ、メガテンのボス曲みたいだったなー。

 エフェメロンでた! ここ、わたしの日記帳なんで、状況だけ書き残しておくね。FGOの新イベント読みながら空島でアイエロにシャンシャンしてたのね。人狼の館ってチャプターだったんだけど、これがまたクッソつまんないわけ。たぶん、セイレム(アビーの幕間)と同じライターだと思うんだけど、理詰めで緻密な展開をカッコつけて思わせぶり書こうとして、途中でめんどくさくなったかファンガスほどの力量がないか(たぶん後者)で、いい加減に最後をブン投げるとこなんか、ほんとソックリ。おまけに今回のシステムとも水と油(なぜかメインであるはずのスゴロク盤から切り離されて、分岐なしのつまらないシナリオを延々と読まされる)で、コイツといいアガルタといい、昔からの友人とか弱みを握られている女性とか(たぶん両方)を登用すんのやめろよって、FF11に数年間かけて渡してきた以上の金額がクソガチャで一瞬に蒸発したことへの申し訳なさもあいまってイッライラしてたんだけど、エフェメロンが出た瞬間にドーパミン過多の脳内ヘブン状態になって、ぜんぶどうでもよくなりました。あと、「やっぱりFGOは最高です! シナリオが時限式の公開なのはセイレムのときと同じで〆切を守れない書き手だからですよね!」って思いました。

 ひどいこと言うので、慇懃な口調で書きますね。今回のレクイエム(FGOへの?)だかいうコラボイベントのことです。わたしがエフジーオーをすばらしいと思うのは、いちばん質のいいテキストがいちばん評価されていちばんカネをもらうという、単純だけれど、かつてのテキストサイト群が達成できなかったことをやってのけているところです。そしていちばんカネをかせげば、世界の大半を占めるテキストのクオリティなぞ薬にもしたくない人々からも敬意を集めることができます。この敬意というのはぞんがい大切な要素で、かつて面白いテキストで鳴らした運営者たちのその後を追いかけるにつけ、ますますそう思うようになりました。テキスト書き一筋でまだ頑張っている方々はいま、自分の技術を体系として教えたがったり、大きな組織に企画力で取り上げられたがったり、公に認められたいという気持ちが前面に出てきていて、見ていて辛くなってきます。人生も半ばにさしかかってから、自分の持ち物が面白いテキストを書く能力だけという悲しみは、本当に身につまされます。最近になって特に思うのですが、例の禿頭の御大も言うように、表現を志す者にとって重要なのは、絵や文章がうまいとかのスキルではなく、「語るべき物語を持っているかどうか」に尽きます。己の物語を持たないテキスト書きの末路には、暗澹たるものがあります。物語の欠落を社会的な評価、つまり他者の物語で埋めようとし始めるからです。逆に、己の物語を持っていたテキスト書きは、とても幸福そうに見えるのです。

 話がだいぶ横にそれました。今回のエフジーオーのイベントはファンガスが成し遂げた、すべてのテキスト書きがうらやむ偉大なる達成に気づきもせぬ無神経の輩による低クオリティの中身であり、わたしは強い憤りを禁じえません。テキストの低劣さに反して、グラフィックやギミックなどはかなりの労力をかけて作りこまれていて、他のイベントに比してもこの書き手に対する周囲の期待値の高さがうかがえます。にもかかわらず、その高い期待に対して、ファンガスが築いた最高のテキスト発表装置であるエフジーオーに対して、この書き手はセイレムに引き続き、またも裏切りで応えました。今回のイベントは、きっと素晴らしいテキストをつむいでくれるはずだから、最大のサポートをしてやろうという周囲の想いが伝わってくるがゆえに、この書き手のクズさがいっそう際立つという悲しい逆説に満ちています。繰り返しますが、アガルタとセイレムはエフジーオーに見あわぬ力量の書き手であり、もう関わらせぬほうがよろしいかと存じます。

 エフ・ジー・オー、小生のフレドンならすでにご存じのことと思うが、話題の環境破壊・人権マッカレルをサクッと重ねて、オール・スキル10にて畏れ多くも貸し出しを許可しておる。5年もプレイし続けているとキャラの性能なんて、正直どうでもいい。レベル100にしてコマンド・カードもギンギンに鍛えた全体宝具バスター・バーサーカー3体にNP100礼装をつけ、ボタンを3回押して戦闘を終わらせることが最適解のゲームで、わざわざボタンを押す回数を増やす気にはなれない。例えると、波動拳や昇龍拳をからめたコンボの練習をするぐらいなら、めくり大キックからの小足6発でいいみたいなものだ(情報が古いし、例えになっていない)。倒しきれなければスキルボタンを押す回数を増やすだけだし、それでもダメなら120円玉a.k.a.聖晶石の連コインですべてが解決する。出ッ歯の諸君が興奮した早口でまくしたてるところのアーツ・システムとやらは、ストロー級アジア人がするチェーンパンチだか飛燕の連撃だかいうヤツで、身長2メートル体重100キロ超のヘビー級黒人にすれば、体重を乗せたジャブ一発で消しとぶ何かに過ぎないのだ。

 まだ脂肪の乗らない薄い皮膚の下へ、きちんと内蔵と骨格を感じさせる描きぶりは真正のPDF(欧米におけるペドフィリアの略称)による仕事と認定する。しかも、健康に日焼けした光り輝く肌だけでなく、陽を浴びず病的にくすんだ肌のテクスチャまでが再現されており、nWoに引かないという選択肢は無い。一年半ぶりの驚くようなビッグ・スワンプであるが、後退のネジはすでに外しており、さんざん小細工をろうした後は、引けるまで最高額の日本銀行券をシュレッダーに差し込み続けるだけの作業に過ぎず、昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏な状況と言えるだろう(無表情で涙を流しながら)。

 まさに、アビー叫喚の巷(血股、つまり破瓜の意)と化した今回のブラッディ・ガチャ(got you)だが、最後の最後でようやく小鳥猊下の理想的なアバターを引き当てることができた。レベル100は紳士のたしなみとして、スキルをオール10にしようとしたところで、またぞろタマゴを要求されてウンザリする。もう5年もプレイしており、骨や塵や頁はレム物語第九章ほど(FF11語で、捨てるほどの意)あるのに、タマゴや金平糖のような新素材は報酬の枠を越えた数を要求される。金リンゴはグロス単位の備蓄があり、集まるまでボタンを3回押す作業をユーザーへ強制し続けることに、いったい何の意味があるのか。FF11のような古きMMORPGのレベルデザインを悪い意味で踏襲しており、より単純なゲーム性のスマホアプリにはなじまず、早急に解消すべき過ちであると進言し申し上げたい。半島産電動玉はじきのように、少ない報酬で射幸心を煽るのではなく、もっとファンガスのテキストが持つ力を信じるべきだと思う。

 (金髪白皙の美少女が笑顔のアップで)奈良ドリームランズ! 小鳥猊下であるッ!

 スキル3にタマゴ15個つっこんで、「まさかこっからカケラとか要求して露骨な足止めなんかしないよねー」などとヘラッていたら、次の必要素材欄に金平糖15個が輝いているのを見て謎の感情が高まり、思わずアイホンのフレームが歪むくらい両手に力が入ってしまった。さすがにPS4のコントローラーとは値段の桁が違うので思いとどまったが、しばらくエフ・ジー・オーとは距離を置くことにしたい。諸君のフレンドにレベル100スキル7/7/10のアビー(辞任しないほう)を見かけたら、運営の無理解にセレストリアル・ラブを中絶させられた紳士がいたことを思い出して下さい。

 うん? 今回のイベントの感想? んもう、あえて言及してこなかった理由をわざわざ聞き出そうとしないでよ! 呪いのビデオとか、蓬莱・徐福・不老不死(面白くなりそう!)とか、冒頭とビルドアップの部分は悪くなかったけど、終わってみての印象は、誰かが途中でめんどくさくなって放り投げたのを、別の誰かがひろいあげて尻ぬぐいしたんだなって感じ。前半と後半がチグハグで、伏線とおぼしきものもグチャグチャ。言いたくないけど、どうせまたセイレムのしわざでしょ? ピックアップ2以降、ユーザーがみんなパンケーキ(ときどき徐福のガワ)の話しかしないの、中盤以降のシナリオに見るべきところが無さすぎて、好きなものを悪く言わないよう、うっかり罵倒にならないよう、新規層へのネガティブ・キャンペーンにならないよう、アニバーサリーのご祝儀ですすんで焦点をズラしてくれてるだけだからね。復刻3連発をクソイベ2発でサンドイッチする5周年じゃ、ファンの配慮による優しい世界も長くは続かないと思いました。

 あと、エピローグ部分だけど、1文目から「釈然」の使い方がおかしくて、初見なのにイラッとして全スキップしちゃった。ほらアタシ、二十年間ノーペイで書いてるから、カネもらってる文章がいい加減だと反射的にぶち転がし(buchikoroshi)てやりたくなるのよね。素敵なペッティングを期待してベッドに横たわっていたら、いきなりツメ切ってない指で陰核さわられたんで、思わずキンタマ蹴りあげたって感じかしら。ねえアナタ、月商・百億円なんでしょう? 斜陽の新聞広告なんかにカネ払ってないで、校正の部署とまでは言わないから、それ専門の職員をひとり雇いなさいよ。そのくらい贅沢してもバチは当たらないわよ。いい? テキストにはいちばん気を使わなくちゃダメ! アナタが他のアプリを圧倒できる美点はテキストだけなんだから!(途中から接尾語-deluxeで)。

 小鳥猊下がアビー(議員ではないほう)の最終再臨絵の肩の表現を眺めながら。「うーむ、何を資料にして描いたか確認するのが怖くなってくるようなPDFぶりだな……」

 貴様らはひさしぶりのボックスガチャ登場に甲高い奇声をあげて大興奮のズンドコのようだが、いま小生の気分はたいそう沈んでいる。今後もエフ・ジー・オーを続けていくならば、可能な限り多くのボックスを開け、素材やポイントを備蓄した方がいいのはわかっている。しかしながら、素材と金リンゴを交換するためだけにタンポポのせが如きライン工的単純作業へ費やすだろう時間は、非可換のクリエイティブに身をやつす我が身にとって虚無としか形容のしようがない。この憂鬱の正体は、カンコレのイベントに近い。つまり、効率を追い求めるあまりゲームが仕事とイコールに、主体的な楽しみのはずが押しつけられた義務感になるあの感じだ。ツッタイーを眺めてると、例の環境破壊キャスターを使った伝説級3ターン攻略の動画が上がっててイヤイヤの薄目で見るんだけど、コチャコチャ神経症みたいに何回も何回もスキルボタン押してオーダーチェンジまでしてゼイゼイ言いながら倒してーー古い記憶だけど、MTGのMoMaのプレイングを見てる感じに似てるーードヤッてんのにウンザリする。まえに黒人とアジア人の例えを出したけど、初手ステラからのレベル100エヌ・ピー100バスター・ゴリラ宝具3連発でも同じ3ターンなのよ。これを例えるなら、先に失神した方が負けの24時間耐久将棋戦で相手の顔面をグーで殴ることがルールとして禁じられていないみたいなもの。あと、今回のシミュレーション・パートにしても初回こそ新しいゲーム性に一瞬オッと思わされたものの、エー・アイがアホすぎて、無敵・回避持ちのバスター・ゴリラ2体を吶喊させ、片方をオトリにしてボスへ3回さわるだけのゲームだとすぐに判明してしまった(対人なら面白いかもしれないことを付け加えておく)。これを例えるなら、先に気絶した方が負けの24時間耐久囲碁戦で相手の頭頂にネリチャギをかますことがルールで禁じられていないみたいなもの。

 話をボックスガチャへ戻すが、通常ガチャに払う分の課金でアルバイトを雇って周回を代行してもらうことを真剣に考えるぐらい、自分の手でプレイすることを想像すると憂鬱になり、びっくりするほどやる気が起こらない。え、いつもの家人とやらにたのんで代わりに周回してもらえばいいじゃないですか、だって? バカモノ! 二次元女性の痴態と嬌声に三次元商売女の一時的なそれらと同じだけのカネを支払うような異常なゲームをやっていることを身近なだれかに知らせるなんてできるわけないだろ! おたく趣味への世間的な態度はビー・エル・エムと同じで、みんな強い差別心を公では表明できなくなってるだけだろ! 「おたく趣味はすでに市民権を得てまして~」みたいに出ッ歯の裏声でヘラッてるから、アンドロフォビアの自称・活動家に発見されて粘着されたあげく、おまえはおまえでいつまでもホーム・アローン(婉曲的な表現)なんだよ! おたく趣味を身内にであっても一切表明せず、なんなら死後に遺品で判明するなんていうのは、当たり前の現実認識から来る常識以前の処世術だろ! エヌ・ダブユ・オーの読者なら、いい加減に覚えてくれよ!

 うん? 最近エフジーオーの話しませんね、だと? エセ関西弁がしばらくのマイブームーー少なくない数を敵に回したようだーーだったこともあり、ふつうに読める内容の細かな瑕疵を、わざわざ文字化することもなかろうと考えていた。よって、これから記述するのは深夜のファミレスで気のおけない友人とダベる席での、朝日とともに消えてしまうようなたわごととして聞いてもらいたい。なに、そういうのにぴったりの新機能があるんですよ、だと? たわけが! なぜか俺のツイッターには貴様らが激しく言及しているところのフリーセックスだかわんぱくフリッパーだかいう機能が実装されておらず、キツネにデリケートゾーンをつままれて(ひぎぃ)いるような気分である。邪馬台国はよかったです。技巧に走らず修辞を飾らず、シンプルなテキストで最小限を語る。話の落とし方が本質的に4コマ漫画で、もうちょっと読みたいなというタイミングでバサッと切るのが、ふつうのテキスト書きにはない個性で面白かったです。んで、いまやってる潜水艦のイベントですけど、めずらしいことにだれがテキストを書いたかあらかじめ明示されてて、よっぽど自信があるんだろうなと思いながら読みはじめました。冒頭はジェネリック・ファンガスといった感じで読ませるテキストと感じましたが、後半の解決編へ進むにつれて語彙選択の硬軟でファンガスより硬を選ぶ比重がかなり高い(2部3章ほどではない)ことが気になりだし、それに加えてかゆいところをかいてくれないもどかしさがつのるようになりました。「そこもうええから、もっと説明せなあかんとこあるんちゃうか?」って感じです(関西弁をすいません)。良いシナリオって、読者がかいてほしい「かゆみ」の個所を適切な強さで「かゆみ」が解消するまでキチンとかいてくれるかどうかが最大のキモだと思うんですよね。今回ファンガスのジェネリックを体験して、ファンガス本人のテキストがいかに適切な語彙で必要な個所を過不足なく説明しているかがわかりました。その点だけはよかったです。あと、ミステリー的な仕掛けについても、その結論に至る伏線を説明してくれるんですけど、納得感がないから驚きにつながらないんですよね。「いや、そらわからんやろ、ちょっと無理があるで。わしらキミのオナニー見るために高いカネ払っとんちゃうで」というのが正直な感想です。星5を同時に2体もガチャへぶちこみ、高いカネを払わせるイベントになっているから、なおさら読み手の視点は厳しくなります(下品な関西弁はすいませんでした)。まだ第5幕と終幕を残している段階での感想なので、この印象がくつがえるのを強く期待しています。

だい5まく いま くりあした

しょうぎばん が ごばんだったってゆうの
げーむしすてむで ひょうげんしとけ

すきゃんのはんい と しょうぎのこまのうごき
ぜんぜん かんけいなくて がっかり

それと フランちゃんの きゃらぞうけい
すぱいあんどふぁみりー の えいきょうか
べつじん れべる

でも かわいいから ゆるす

 潜水艦のやつクリア。終幕のどんでん返し(知ってた)から、楊貴妃が手元にあって嬉しいキャラに化けたのはとてもよかったです。ファンガスのお気に入りの知性を下げず対等に会話させ、説得力を保ったまま少し押しこんで話を終えたのには、確かな筆力を見ました。あのキャラってファンガスにしかさわれないと思ってたので、どこまで監修が入ってるかはわかりませんが、本当に信頼されてるんだなーって感じました。何かを持ち上げるために何かを下げるのって最悪(おまえが言うな!)だし、アホのメンヘラ女が自傷で主人公に記憶されたい(第2部5章前半かよ!)みたいのも本当に気持ち悪いですからね! あと、最後の種あかしなんですけど、クトゥルフ神話のコアなファンは口の端を歪めてニヤニヤしながら「ア・ハーン」って感じなんでしょうけど、こちとら黒の断章と邪神伝説シリーズと輝くトラペゾヘドロンの知識しかないので、固有名詞を伏せられたままでは何のことやらサッパリわかりませんでした。

 「あれッスよね、サイバーパンク2077みたいなスゲーのが8,000円ぐらいで遊べるのを考えたら、FGOの星5一体に1万円とか払うのが馬鹿らしくーー」

「……高くない」

「え?」

「考えをあらためたまえッ! 伊吹童子に1万円は、けっして高くはないッ! 私は3万円はらっても一向にかまわんッ!」

「で、でも」

「たしかに君の言う通り、本編に登場した伊吹童子なら、聖晶石3個でもおしいくらいです」

「い、言ってません。言ってない」

「恨むなら、このキャラの魅力をシナリオ上で百分の一も描写できなかったライターの無能を恨みなさいッ!」

「言ってないよーッ!」

漫画「こづかい万歳」感想

 ネットでの流行りに影響を受けやすいリバース(吐瀉)・アルファ・ブロガーであるところの小生は、おそらくボン・ホリデイズに起因するアンバスおよびリリス(キャバ嬢)混雑の待ち時間を埋めるために、本作をぴえん・ぱおん・アマゾンでサクッと購入して読了した。そしておそらく、物質的な優越に基づいたタチの悪い大笑いのファースト・インプレッションが通り過ぎると次第に怖くなっていき、いま現在も進行形で怖くなり続けている。

 夫はこづかいの内訳に窮々とするばかりで家計全体を把握しているのが妻だけというのが怖いし、夫が自由業で妻が専業主婦(のように見える)なのが怖いし、四十五歳で未就学児を二人も抱えていることが怖いし、夫が何か事故(バイクが趣味なのも怖い)にあったり大病をしたらと思うと怖いし、子どもたちに器質的な疾患や発達の問題が発覚したらと思うと怖いし、妻が裏でホストに貢いだり不倫して逃げたりしたらと思うと怖いし、この家族の周囲に頼れる親族の気配がまったくないのが怖いし、とにかく本作の一家には人生にまま起こりうる突発的なアクシデントへ対応するマージンが一切ないのが怖い。私は長い間ずっと生きることが怖かったが、これから過ごす時間をこれまで過ごした時間が上回り、この瞬間に我が身が消えたとしても残された者たちは少し悲しんだ後、それぞれの人生をやっていくだろうと思えるようになってから、ようやく生きることの怖さが薄らいできた。

 少し話がそれるが、特に私生活をネタにする漫画家は自分や身内にマイナスの出来事がふりかかった場合、それをネタに昇華できるかがポイントだと思っている。例えば、私がサイバラ女史をはじめて知ったのは「まあじゃんほうろうき」の3巻だった。この巻からすでに現在へ至るキャラと絵柄が確立しており安心して見ていられるが、同作品の1巻(と2巻の途中まで)はまったくひどいものだった。没個性で絵もヘタクソ、麻雀業界には珍しいから声をかけられた「美大卒の若い女性」以外の何者でもなかった。「まあじゃんほうろうき」の1巻で消えてしまったサイバラ女史を想像する怖さが、この漫画にはある。

 もしかすると、作者自身やその家族へすでに何か大きな不幸が訪れていて、いま読者たちは「半地下の家族」の前半部分を笑っている状態なのではないかと思うと、本当に怖くなってくる。2巻、3巻と読み進めるうち、数十円、数百円の駄菓子に貧困の苦しみを慰撫されていた者たちが、家族にふりかかった不幸をきっかけとして格差社会に飼い殺されている事実へ気づかされ、暴力的な蜂起へと至る後半部分がこの先に待ち構えているのではないかーー私は、いまこの瞬間も怖くなり続けている。

 「こづかい万歳」の2巻と3巻をまとめて読む。1巻の感想で冗談みたいに書いたことが、いよいよ本格的に冗談ではなくなってきた感じ。作者がホラーだと意図せぬままにつむぐ極上のホラー、本邦の大衆が陥っている袋小路を絵柄だけは剽軽に、これ以上ない生々しさで描き出している。我が子に安い中古の玩具を買い与え、その審美眼を養うでもない、家名を継がせるでもない、「末は博士か大臣か」を期待するでもない、己の自我を延長しただけの、ペットにするのと同じ飼育。自我の未分化なうちの服従をそれと認めないままキャラ化して、SNSやフィクションに己の人生の一部として登場させる愚かしさ。寿命や品性をベニスの商人よろしく「肉の量り売り」にすることを「節約」なる言葉にすりかえる浅はかさ。作り手はそれらをユーモラスで肯定的なギャグとして描こうとしているのに、読み手にとって本邦の悲惨な現状を見せつけるドキュメンタリー作品としか受け取れないレベルにまで到達している。個人的な感覚を言えば、他人の手垢がついたものなど触りたくもないし、どこの馬の骨が運んだかわからない食糧に口をつけるなんて想像するだけでゾッとする。そして、私の感覚の方が本邦においてはマイノリティになりつつある事実に、絶望的な気分にさせられている。いよいよ、我が人生に「森の生活」を実践する季節が訪れており、すべてから切断された場所でひとり隠遁する他ないのやも知れぬ。