猫を起こさないように
月: <span>2020年7月</span>
月: 2020年7月

映画「パラサイト 半地下の家族」感想

 『なんだかここで結婚したような気がするし、ここで生まれたような気がする』

 視聴後、最初に思ったのは万引き家族と同じ手法を使っているなということ。つまり、弱者による明確な犯罪行為へ感情移入させ、自分が同じ立場だとしたら同じ行動を取っただろうと思わせることで、現行の社会システムの不足や不備を可視化させるやり方だ。本作で言えば社会的階級と結びついた「臭い」がそれであり、執拗に臭いを言われた後に目の前で鼻をつままれれば、私でも殺すかもしれないと感じさせてしまうところが他のメディアにはない映画芸術の一種、暴力的なまでの伝播力である。前半の一時間はコメディタッチで描かれ、半地下に住む家族の貧しさを安全圏の観客として笑わせておいて、後半のパートでは貧しい人々を笑ってしまったその事実こそが差別に気づかず虐げる側と同じふるまいであることを強烈に突きつけられるという構成になっており、視界にあり理解もしていると思っていたものが全く別の何かに変じていく落差が見事である。万引き家族が枯淡の味わいだったのに対して、本作は彼の国の伝統料理を思わせる濃い味付けで、それぞれの社会に対する両作品の価値は完全に等価でありながら、後者がアカデミー賞受賞へと至った理由なのだろう。もう一つ要因を挙げるならば、彼の国はハイパー格差社会でありながら、対外的には巨大電子機器会社ときらびやかな芸能活動を全面に押し出して、実状を糊塗する宣伝ばかりが行われてきた。そこへ非常にリアルな社会風刺の作品が現れたのだから、初代ゴジラではないが、そのインパクトが西洋にとって大きかったのかもしれない。個人的なことを言えば、家人が彼の国の芸能イコール虚構へ耽溺していく様を苦々しく見ていたこともあり、西洋の審査員と同じく評価のパラダイムシフト的なものが生じた。この視点を持つ人物がいるなら、彼の国は大丈夫なのだろう。

 あと、是枝監督的な上手さを指摘するなら、金持ちほど西洋文化に傾倒してゆき、貧乏人の中に父を敬い救おうとする儒教精神が息づいているという描き方がそれだ。冷静に考えれば常に正となるテーゼではないのだが、物語の中への落とし込み方が巧みなので、否応に真実として受けとめさせられてしまう。社会の半数以上を占める貧しき人々を共犯者にする、狡猾きわまるたくらみだと思う。

 それと、ものすごいひさしぶりに韓国映画みたなー、いつ以来だったかなーと考えてたら、火山高ぶりだった。

ゲーム「FF11の思い出」雑文集

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6
ゲーム「FF11の思い出」その7

 だれもいないバルクルム砂丘でフェイスとレベル上げしてたら、なつかしさに涙が出てきた。うまく言えないけど、ファミコン時代の2Dゲームは現実のできごとと結びついた「思い出」だけど、PS2以降の3Dゲームは現実のできごとと切り離された「記憶」になってる気がする。ここが多くの冒険者でにぎわっていた頃、自分が現実で何をしていたかは覚えていないけど、フェイスによる挑発の効果音が響きわたった瞬間、「レベル上げしませんか?こちら戦シモ黒」みたいな赤文字のtellをまざまざと幻視して、水底に沈んだ巨大な伽藍としてのヴァナ・ディールが痛切に胸へ迫った。幼少期を過ごしたいくつかの町のひとつのように、通いなじんだ公園にはマンションが建てられボロアパートは更地にされていて、いっしょに遊んだはずのあの子はもう顔も名前も思い出せない。けれど、かつてここに住んでいたという感覚だけが、いつまでも残っている。

 質問:FF11おもしろそうですね、やってみようかな。。。

 回答:うーん、レタスと聞いて野菜じゃないほう、核熱と聞いて原子爆弾じゃないほう、トレインと聞いてブルーハーツじゃないほうが即座に思い浮かぶ、75時代の住人でない限りはオススメしない。さっきも書いたけど、駅前がシャッター通りの、山肌にへばりつくようなベッドタウンは、そこで幼少期を過ごした者なら、そぞろ歩くだけで一日中をメランコリックな感傷にひたって過ごすことができるが、そうでない者にとっては、過疎で死んでいく土地のひとつに過ぎない。ただ、文芸だけはいい。すごくいい。これなんて、J.R.R.トールキンの筆だって言われても信じちゃうぐらい(言い過ぎ)。

 「いずれ長い時を経てそれは、吟遊詩人の奏でる唄となり、真冬に炉端で語られる昔話になるやもしれない。だが、そもそもの始まりはこうだ。ある日1人の冒険者が、サンドリアの地に降り立った……」

 よし、ひと通りストーリーだけ追うために無料期間中のみプレイするのはいいけど、終わったら必ずキャラデリするんだぞ!

 ヴァナ・ディールの星唄の最終章を惜しみながら進めてて、最初のキャラで見てるから2回目なんだけど、11のストーリーの総まとめであると同時に6まで、もっと厳密に言えば3までの初期ファイナルファンタジーの世界観の集大成になってて、オールドファンにはすごくグッとくるわけ。シリーズのエンディング感さえ、漂ってくる仕上がりなのよ。エンディングと聞いて思い出すのは、数年前にネ・ジツだったかで見た書きこみなんだけど、サービス終了の瞬間、キャラをログアウトさせずにル・ルデの庭へ置いてたら、自分が死んだあとヴァナ・ディールに転生できるかな、みたい内容なの。冗談めかしているのにどこか深刻な気配をはらんでいて、いったいどんな素性の人がどんな気持ちでこれを書きこんだんだろうと、いまでもときどき思い出すことがある。人にここまで言わせるゲームって、ある?

 カイポッシュ! ちゅどーん! (黒コゲの大の字で横たわるミスラとタルタル、口からドリフ的な煙を吐きながら)この食料品店、まいど過剰防衛が過ぎるやろ……(流れ出す軽躁的な音楽)ちゃーちゃーちゃーちゃらららちゃちゃっ。

 ナッシング・コンペアーズ・トゥ・FF11! 貴様らに近況を報告しておくなら、念願のイドリスをゲットしたものの、某霊界探偵の敵キャラみたくレベル99にしてからラスボスへ挑む性分が鎌首をもたげて、殴り武器として使わないからモヤらせる必要なんてまったくないのに、いちマンコの餅鉄を納品し始めてしまった。朝は起床してすぐ複アカでドメインに参加してから路上のムシロへ出勤して、夜はサバ缶にたまった小銭を煮沸消毒するかたわらでキッチリ7匹うなぎを倒してから就寝する。日中ストリートでする労働のほうが休まるぐらいの勤勉ぶりであり、餅鉄をドロップのみで3000個くらい納めたところで、楽しいはずのオススメを苦しいものにしているのは、他ならぬ自分ではないかと我にかえった。そこから複アカでの効率プレイをスッパリ止めて、メインキャラでのアルタナミッション攻略を再開した次第である。どうも前キャラはカルゴナルゴ砦防衛戦ぐらいで引退していたようで、中盤以降はまったくのご新規さんとしてストーリーを楽しむことができた。10年以上前のエキスパンションなのに少しも古びておらず、文芸のすばらしさは言わずもがな、イベントパートの演出がいいし、有名アニメーターが関わっている?せいだろうかキャラの動きがいいし、構図もいちいちキマッている。ズヴァール城で助太刀にはいるノユリの台詞がカッコいいし、四つんばいでケット・シーにつめよるリリゼットの動きには思わずふきだすし、星の神子へ吐露するカラハバルハの真情には涙がこぼれた。そうこうするうち、「翼もつ女神」のバトルフィールドに挑戦できるようになって、朝は起床してすぐドメインに複アカで参加してから路上のムシロへ出勤して、夜はサバ缶にたまった小銭を煮沸消毒するかたわらでキッチリ7回キャバ嬢に通ってから就寝する……って、アレ?

 え、FF11はどうなりましたかって? それ、優越感以外の感情で言ってる? 餅鉄いちマンコの納品を終え、イドリスをモヤらせたーーアニメの悪臭エフェクトみたいな緑色で、見た目は最悪ーーにも関わらず、「まだそのときではない」とか言いながら、野良パーティへの参加へ踏み切れずにいる次第である。テキストサイト運営においても、客観的に見て充分なスキルを身につけた後でさえ、「まだそのときではない」と言い続けるうち、ついには公の場に出る機会を失ってしまった。これはある種の精神的な疾患だと思うが、あらゆる技術体系を「道」と称する本邦において、とくだん珍しい症例とは言えないのではないだろうか。よし、これをレベル99シンドロームと名付けよう! マルシー取ったから、使うときは俺に萌え画像を送れよ(輩、「やから」のルビ)!

 3部位から150戦ぐらいノー・ドロップだったマリグナス装備が10戦ほどでそろい、あれだけのビッグ・スワンプをもたらしたアビーが何気ない単発のガチャで宝具を重ねる。幸運も不運も中長期で眺めれば、必ずゼロへと収束する。しばらくは、よほど気を引き締めて日常生活を送らねばなるまい。

 最近、FF11の話しませんねって? こないだ競売に桁をまちがえて出品して、1000万ギルほどの損失を出した。小金は抜け目なくひろうくせに、大金は雑なやり方で逃してしまうのをゲームでもやらかしたことに嫌気がさして、それ以来ぱったりとログインするのをやめてしまった次第である。もちろん、課金は停止していない。1年続けてもエフジーオーのガチャ100連くらいのものだし、この18年に与えてくれたアレコレへの感謝としては安すぎるくらいだ。諸君も私の態度を見習って、「この20年に与えてくれたものへの感謝としては安すぎる」とか言いながら、萌え画像を寄贈して欲しい。

雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

ゲーム「FF11の思い出」その7

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6

 FF11をやめるのは簡単さ、それを証拠に私はもう5回も引退しているからね! これはあれや、何年も課金してへんアカウントを消さずに残しておいてくれるスクエニが悪いんや! 例えるなら、オノレの身持ちの悪さで離縁せざるをえなかった恋女房が、何年経っても再婚しないままで、立ち寄ったら家に上げてメシまで食わせてくれて、着物の裾をまくりあげてなんならオメコもしときます?みたいなもんや! おどれ、期待さすなや! オレみたいな(次第に涙声となり)ク、クズに優しくすんなや!

 最近のエス・エヌ・エスを眺めるにつけ、感受性を精細にするとか、能力や技術を身につけるとか、時間当たりの効率を高めるとか、同じモノサシの直線上で前後だか上下だかにワチャワチャ移動することに、ほとんど意味を感じなくなってきた。年くったせいだろうけど近頃とみに、大切なのは手に入れたものを意識的に手放すことだと感じている。蒼天航路で諸国漫遊の旅から帰ってきた荀彧が「あらゆる土地を見聞し、あらゆる知識を身につけ、すべて忘れて帰ってまいりました」みたいなことを曹操に言う場面があるんだけど、すごく本質を突いてると思うのね。意識というテーブル(メモリ)の広さは限られていて、そこにいったん知っていることを乗せてからアウトプットする手順だと、出力サイズに限界ができちゃう。覚えてから忘れるのは言わば身体化のプロセスで、忘却からダイレクトに出力することで意識の制約を超えることができると思うんだよね。余談だけど蒼天航路でもういっこ好きな場面は、劉備が対面座位でセックスしながら相手と笑顔で目を合わせて「あー、きもちいいなー」って言うところ。本邦のまぐわいって、たぶん黒船以降だと思うけど、羞恥や淫靡でどちらかがどちらかを支配しにかかる感じが濃くて、江戸時代以前はこういうあっけらかんとしたやりとりだったのかなー、とか思ったのを覚えてる。でもこれ、よく考えたらアメさんの「オーイエスオーイエス、カモンカモン」とあんま変わらないよね。ぜんぜん関係ないけど、あっちのビデオがハイパーポジティブの女性上位なのは、撮影後にレイプだと訴えられないよう契約書に「恥ずかしがったりイヤがったり受け身だったりしちゃダメ」って書いてあるからなんだって。文化の違いってアホみたいだけど、難しいね。

 閑話休題。ジョーカーの感想のときにも書いたけど、どんな役立たずの無能者でも受け入れて幸せに過ごせる豊かさを与えるのが、共同体の役割の本来だと思うのよね。なので私がいま目標としてるのは、言葉にすれば「昭和のハッピーなボンクラ」かな。午前中は新聞読んで爪切って午後の会議では居眠り、終業時間の30分まえにソワソワしだして5分まえには帰り支度がすんでて、チャイムが鳴った瞬間に「おつかれー」って帰っていくの。新入社員には創業社長のコネでもあんのかって陰口たたかれてるんだけど、じつは過去に一回だけ会社倒産の危機を救ってるみたいな。そうそう、釣りバカ日誌のハマちゃん的なヤツ。オススメのパーティプレイって、カリカリ(クポー)に数値をチューンした高性能ジョブどうしが集まって有機的に高効率で動くのが当たり前の前提になってて、無能な給料泥棒を許してくれない会社みたいな感じあるんだけど、唯一ボンクラでもパーティに居場所があるのがハマちゃん、じゃなかった、風水士なのね。前も話したイドリスってゆう人権棒(創業社長のコネ)はいるんだけど、他のジョブに比べればはるかに低いハードルで、私が理想として目指す「昭和のハッピーなボンクラ」そのものなわけ。え、でもこないだイドリスの作成をあきらめてませんでしたかって? うふふ、じゃーん! これなーんだ! そう、ユグの完全結晶! ついこないだね、限界集落みたいな田舎マッカレル(鯖)から都会マッカレル(鯖)へブレイキング・バッドの過去消し屋みたいのと「オイ、過去を消してくれ!」「100円になります」「やしー!」みたいなやりとり(えの素)をして移籍したのでしたー! ガイシ(骸死)系企業のリストラクチャリング・ストームを部間調整や明朗快活さなど、社内のヒューマン・ファクターだけで切り抜けたアタシにとっては、募集のシャウトさえとびかっていれば、陰キャ集団の末席にケツをねじこむなんてビフォア・ブレックファストなのだ(モハメド・アライさん)! んで、ユグの完全結晶を無事に納品して、あとは高純度ベヤルドを納めるだけになって、1回目500つ、2回目2500つと来て、最後は5000つくらいかしらね、なんて緑のガマグチ開いてはらおうとしたら、なんか突然9999つにハネあがってて、担当が愛人に電話しながら何も考えず適当に片手で入力したような数字を要求されるわけ。とは言いながら1回目と2回目はすでにはらい終わってて、サイフにはまだ5千万ギルくらい残ってるし、高純度ベヤルドの単価を調べたら1つ5000ギルでちょうど買えるわーって競売のぞいたら、なんか99つで90万ギルすんの。(首をかしげて)んー、広告チラシの裏とちびた鉛筆を用意するだろー、5000かける99で筆算するだろー(長い間)……よん? (チラシを引き裂きながら)ちげーよ! 49万5千ギルだよ! ふつうたくさん買ったらディスカウントするもんだろ! なんで倍ちかくの値段になってんだよ、ボッタクリじゃねーか!などと競売前で暴れてたら、ラクダのようにみっしりと長いまつ毛を生やした業者ガルカが伏し目がちに悲しそうにこっちを見てきたので、反社ミスラは気まずくその場を立ち去ってリヴァイアサン組へのカチコミ、通称「うなぎ狩り」に向かうのであった。9999ついる素材入りのハコがたくさん落ちる系のプライム鰻で、昔から金策の王道として親しまれているのだ。

 5年前は勝率5割ぐらいだったのが、とてむず(とてもむずかしい)で9割5分くらい勝てるようになってて感動すんだけど(負けるのはヨランオランのアホがチョロチョロしだして水攻撃にまきこまれて死ぬときだけ)、強くなった理由は3000万ギルしたチョッキと闇のネイグリング(暗黒微笑)と頭上に輝く3ツ星なのね。最後のを説明しとくとジョブポイントってのを6000万ぐらいかせぐとジョブマスターってのになって、脳天ファイラーみたいなマークが消せなくなるという辱めを受けるかわりに、廃人地獄登山の三合目ぐらいに到達した強さを手に入れられんの。「とりあえず青をそだてて安定してうなぎ狩りできるようになってから好きなジョブをプレイするといいですよ」なんていうハイエルフどもの狂った甘言にだまされて青魔道士を選んでからずっとソロひとすじ、マスターへ到達したのは休止も含めて苦節8年目のことであった。自分を育ててくれた青魔法への恩返しとして思いついたのは、一日7匹のうなぎに向けた感謝のシャンデュシニュだった。そしてある日、異変に気づく。うなぎをたおしても、まだマイティガードが切れていない! あのね、ふつうにプレイしてたら気がつけばマスターになってますよ、みたいにイモータルどもは言うけど、ぜったいに信じたらアカンからね。きゃつらのふつうって「365日休まずログインして、毎日最低3時間はプレイして、そのうち半分は金策、半分は戦闘に1秒の無駄もなく費やすこと。できればこれらを複アカで行うことが望ましい」だからね。アタシなんかログインしたりしなかったり、ログインしても10分でログアウトしたりで、今回の復帰でマスターになるまでに、足かけ3年ぐらいかかってるからね。生涯年収4億円以上の老人がバリバリの生存者バイアスで「人生は照る日曇る日あるけど、あっという間だよ。いまは苦しいのを楽しみなさい。それをなつかしく思う日がきっと来る」みたくウエメセで生涯年収1億円以下の若者に言うときの感覚と同じだから、純朴な新人のキミはぜったいに「そっかー、暗黒すきだけど、青からそだてるかー」なんて思っちゃダメ! アタシはそれで3年を棒にふったの! 心にしたがいなさい! 暗黒騎士をそだてなさい(「お父さんを喜ばせなさい!!!!!!」の作画で)!

 ここ数日はログインして、暗い森に複アカ立たせて範囲狩りして、ポイントがカンストしたらうなぎ狩りに行って、何匹かうなぎ倒したらまた暗い森に帰って……を繰り返してて、間違いなくカネは増えるし、ジリジリとだけど確実に複アカも強くなっていくの。でもこれ、本当に何の工夫もクリエイティブもいらない、感情にさざなみのひとつも立たない、まごうことなき作業なのよ。いまさらカネをかせいでイドリスを手に入れたところで、スタートから2時間経過してから先頭集団に追いつこうと走り始めるマラソンみたいなもので、母親から地上最強の生物が満足するように戦えとかムチャぶりされた13歳の格闘少年みたいな気分になってくる。5年前にアルマス作ったときも、鬱の身には心を消せる逃げ場だったろうけど、こうやってファンタジー世界がリアルの仕事と同じになってやめたのかもしれないな。ハハハ、まさにファイナル・ファンタジーというわけさ……ドヤッ!

ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」